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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


時空図書館〜紫陽花の園〜

■オープニング
 草間の事務所に、紫陽花の花束と共にカードが届けられたのは、降り続く雨の日々に珍しく晴れ間が覗いたある日の午後のことだった。
 誰が来たとも知れないのに、いつの間にか事務所のテーブルの上にそれが置かれてあったのだ。見つけたのは、零だった。カードを開いて、彼女はうれしそうに草間を呼ぶ。
「兄さん、時空図書館の管理人さんから、お茶会の招待状です」
「なんだって?」
 奥から出て来た草間は、カードを受け取り開いた。そこには、こう書かれてあった。
『図書館の庭園の一画に、紫陽花の園を作りました。その花を愛でつつ、お茶をご一緒しませんか? どうぞ、お友達を連れておいで下さい。菓子などの持参も歓迎いたします。では、お待ちしています。  時空図書館管理人・三月うさぎ』
 それを読み下している草間に、零は期待に満ちた目を向ける。
「兄さん、皆さんをお誘いして、行きましょう。ね?」
 同意を求めるように言われて、彼は小さく肩をすくめた。雨のせいでか依頼も少なく、ここのところは暇だ。時空図書館で供されるお茶が美味なのは充分承知してもいた。暇な時に羽根を伸ばすのも、悪くはないだろう。
「そうだな、行ってみるか」
 答えて彼は、誘う人間のリストをさっそく頭の中で繰りながら、電話へと向かうのだった。

■紫陽花の園へ
 軽い浮遊感と眩暈が去った後、シオン・レ・ハイはあたりを見回し、思わず小さな歓声を上げた。
 草間の事務所にいつの間にか届けられた紫陽花の花束とカード。そのカードを扉として彼は時空図書館の庭園へと訪れていた。
 イフリートでフリーター、常に金欠の彼は、外見上は四十前後だろうか。長く伸ばした黒髪を後ろでゆるく束ね、鼻の下と顎にも髭をたくわえている。青い瞳と白い肌、長身のがっしりした体には、上等のシルクのシャツとソフトスーツをまとい、なんとなく十九世紀の貴族といった風情でもあった。もっともそのなりが、見る者によっては幾分胡散臭く感じられるのも本当のことだ。当人は、自分は紳士であり、常に紳士らしい服装をしていると自負していたのだが。手には、差し入れの入った紙袋が握られている。
 そこにいるのは、むろん彼一人だけではない。草間と零の他に、同行者は四人。草間興信所で事務のアルバイトをしているシュライン・エマと、彼女の友人でリンスター財閥総帥にして占い師のセレスティ・カーニンガム、同じく彼女の友人で図書館司書の綾和泉汐耶、そして主婦兼傭兵だという海原みたまである。
 彼らも、弱視だというセレスティを別にして、皆あたりを見回し感嘆の声を上げている。が、それも無理はない。あたりは一面、紫陽花に埋め尽くされていたのだ。いったい、どれぐらいの広さがあるのだろうか。かなりの面積の中に、色とりどりの紫陽花が植えられている。あまりに大量にあるので、淡い紫色の霞としか見えないほどだ。その至る所では、噴水が細い水を吹き上げていて、地上から空に向かって雨が降っているのかと錯覚するほどだった。
 たしかにこれは、「紫陽花の園」に違いない。
(なんといいますか……凄いですねぇ……。これだけのものを造ろうと思ったら、どれだけのお金が必要なんでしょうか……?)
 稼いだ金の大半を服とある少女に貢いでいて、常にピーピー言っているシオンは、思わずあんぐりと口を開けたまま、そんなことを考えてしまう。
 背後をふり返れば、そこには人工のものらしい広い池が広がり、その中央には大理石の四阿(あずまや)が作られていた。池のほとりから四阿へは、移動のための小さな橋がかけられている。
 そのどこか絵のような風景に、更に驚き呆れて見入っていたシオンの耳に、セレスティがシュラインにここの様子を尋ねている声が聞こえて来た。銀の髪と青い目に、男性とは思えない美貌のその麗人は、どうやらこの風景のほとんどが見えていないらしい。足も弱いのか、ステッキをついている。
 一方のシュラインは、二十代半ばぐらいだろうか。すらりとした長身の体にノースリーブの白いワンピースとサマーニットの白いカーディガンをまとい、長い黒髪はそのまま背に流していた。目が悪いのか、それともアクセサリーなのか、胸元には薄い色のついたメガネが揺れている。手には差し入れの菓子が入っているらしいバスケットと、白い傘を下げていた。
 彼女が、セレスティに周囲の様子を説明している。
 シオンは、その声を聞くともなしに聞きながら、かの少女や自分がいつもいる公園の子供たちや、そしてペットの兎にもこの美しい風景を見せてやりたいなどと、埒もない考えにふけっていた。
 が、ほどなく彼のその思考は中断された。
 橋を渡って、一人の青年が彼らの前に姿を現したのだ。すらりとした体に白い中国風の衣装をゆったりとまとった二十代半ばとおぼしい青年である。薄紅色の髪の間からは、途中から羽根と化した耳が、まるで髪飾りのように覗いていた。赤い瞳は、光の加減によって髪と同じ薄紅色に見える。
 この青年こそが、世界中のどの場所・どの時間ともつながっていて、古今東西全ての書物が収められているといわれる時空図書館の管理人、三月うさぎだった。
「ようこそ、皆さん」
 やわらかく微笑んで彼らを出迎える三月うさぎに、代表して草間が口を開いた。
「紫陽花の園とはよく言ったものだな。……いったい、どれだけの紫陽花が植わってるんだ?」
「さあ、どれぐらいでしょうね。いろいろな種類や色がありますから、きっと充分楽しんでいただけますよ」
 答えて彼は、シオンたちを四阿の方に招いた。先に立って歩き出す草間に、シオンたちも続く。橋を渡りながら、シオンがちらりと後ろをふり返ると、シュラインがセレスティの肘に手を添え、ゆっくりと一緒に歩いているのが見えた。手を貸すべきかと一瞬考えるが、シュラインだけで充分そうだと見て取って、彼は先を行く同行者たちの後を追った。

■水上の四阿
 四阿の中は、広々として風通しが良く、快適だった。
 中央に据えられた白い丸テーブルの上には薄紫色のテーブルクロスが掛けられ、紫陽花が生けられている。
 シオンは再び目を丸くして、あたりを見回す。上品にまとめられているために、一見質素なようだが、実は高価な材料が惜しげもなく使われているのだと見て取って、シオンは更に驚いた。他の者も同様に、あたりを見回している。それへ三月うさぎが、それぞれに席を勧めた。
 セレスティがホッとしたように手近の椅子に腰を降ろす。それを見やって、シュラインが持参して来たバスケットをテーブルの上に置いた。
「本日は、お招きいただいてありがとう。こっちは差し入れよ。それと、これは三月うさぎさんに」
 言って彼女は、同じく手にしていた傘をそちらに差し出した。
「私にですか?」
 三月うさぎが、幾分驚いたように目を見張る。そして、彼女が差し出した傘を受け取り、広げた。それは中国風の端の角張ったもので、しかも骨の先の部分にそれぞれ小さな玉飾りがついている。洒落た雰囲気で、彼にはよく似合っていた。
「似合うじゃない。なんだか、オリエンタル風ね」
 そんな声を上げたのは、みたまだった。二十二、三歳ぐらいだろうか。金髪に赤い瞳、その上深紅のパーティドレスを着て、ヒールや手袋、化粧やアクセサリーまでを同色でコーディネートしている彼女は、なんとも艶やかで、とても中学生の子供がいるようには見えない。
「それはどうも。……シュラインさんも、ありがとうございます。遠慮なくいただいておきますよ」
 言って傘を閉じる三月うさぎに、みたまも手にしていた深紅のペーパーバッグをテーブルに置いた。
「こっちは私からよ。娘の手作りのクッキーと、日本茶。……今日は、娘の代理で来たのよ。また、妙な所に飛ばされると困るってあの子が言うんでね。よろしくって言ってたわよ」
「ああ……」
 三月うさぎは、彼女の言う「娘」が誰なのかに思い当たったのか、小さくうなずいた。
「あれから、セキュリティを少し調整しましたのでね。今度いらして下さる時には、きっと弾かれることはないと思いますよ。娘さんには、そうお伝え下さい」
「ふうん。……まあ、伝えておくわ」
 みたまは、信じていないような目で彼を見やって、それでもそう答える。
 二人の話が終わるのを待っていたのだろう。セレスティが、椅子に座したまま、手にしていた小さなクーラーバッグをテーブルの上に乗せて言った。
「私も、スィーツを用意して来ました。どうぞ、みなさんで召し上がって下さい」
「あ……。私も」
 ぼうっと彼らのやりとりを見ていたシオンは、慌てて手にしていた紙袋を差し出す。中身は、ホットケーキだった。
 草間からお茶会のことを聞いた彼は、一も二もなく「行きます!」と答えたわけだが、その主な理由は、菓子やお茶にあった。本を読むのも嫌いではないので、図書館にも興味はあった。が、食べ物への興味の方がまさっている。とはいえ、手ぶらで行くのもなんだと考え、持ち合わせのない自分であっても、どうにか調達できるものをということで、ホットケーキを焼いて持って来たのだ。粉は市販のものだが、中央に愛らしい兎の焼き目を入れて、少しだけオリジナリティを演出してみた。
「私も、持って来ました」
 零も言って、こちらも小さなクーラーバッグを差し出す。
「これはこれは。どんなお菓子だか、楽しみですね」
 三月うさぎは微笑みと共に言って、いつの間にかやって来ていた翡翠色の髪と目の女たちに、それらをテーブルに並べるように命じる。女たちは、一旦彼らが持参したものを全て手にして、そこから運び去った。
 それを見送り、改めて三月うさぎがシオンたちに椅子を勧める。すでに座しているセレスティ以外の者も、それぞれ腰を降ろした。
 そんな中、汐耶が幾分バツが悪そうな顔で口を開く。
「すみません……。私だけ、何も用意してなくて。急なお話だったものですから」
 彼女も、二十二、三歳ぐらいだろうか。長身の体に濃紺のパンツスーツをまとい、短い黒髪と涼しげな青い瞳にメガネというその姿は、どこか青年のようにも見える。
 彼女の言葉に、慌てたように横から零が口を挟んだ。
「そうなんです。汐耶さんは、本を届けに来て下さったんですけど、それを私が無理にお誘いしたんです」
「気にすることはありませんよ。こちらでも、菓子は用意していますし。カードにあんなふうに書いたのは、以前持参していただいたのが、思いのほか美味しかったのに味をしめてしまったから、だけですからね」
 言って、三月うさぎは笑った。
 ほどなく、翡翠色の髪の女たちが、銀のワゴンで紅茶や菓子類を次々と運んで来る。むろん、シオンたちが持参したものも、一緒にテーブルに並べられた。
 ちなみに、他の者たちが持参したものは――シュラインのは、ロールケーキだった。その切り口からは、白い生クリームと紫と赤と白の小さな四角いゼリーらしいものが覗き、まるで紫陽花のようだ。セレスティのは、フルーツゼリーとムースが二層になったスィーツだった。これは、一つずつ小さな透明の器に入っていた。みたまのは、彼女の言葉どおりクッキーだ。日本茶は後で出すつもりなのか、今はそこにはない。零のは、枇杷のシャーベットだった。
 対して、三月うさぎが用意していたのは、アップルバナナブレッドと紅茶のティラミスだった。ティラミスは、セレスティのスィーツ同様に小さな器に入っている。
 紅茶はダージリンだろうか。なんとも深い味わいがあって、シオンは一口飲んで思わず溜息を漏らした。
(なんて味わいのお茶なんでしょうか……。何か、この世のものとは思えないですよ)
 幾分大袈裟ともいえる感嘆を胸に漏らし、彼はゆっくりとそれを味わった。それから、今度は女たちに取り分けてもらった菓子にも手を伸ばす。彼がもらったのは、シュラインのロールケーキと零の枇杷のシャーベット、それにセレスティのスィーツだった。むろん、後で他のものも味見するつもりではある。
 味はどれもなかなかのものだった。ロールケーキは、生クリームにヨーグルトが混ぜられているらしく、ゼリーの食感ともあいまってなんとも爽やかだった。枇杷のシャーベットはほどよい甘さが、紅茶とよく合う。そしてスィーツもフルーツゼリーとムースの食感が、口の中で不思議な味わいをかもし出していた。
 その味わいにまたもや吐息をついて、シオンはふと考える。こんなに美味しい菓子類を、時おりねぐらがわりにしている公園の子供たちの土産にしたら、どんなに彼らは喜ぶだろうかと。
(残らなかったらしかたがありませんが……残った分だけでも、いただいて帰れないかどうか、後で聞いてみましょう)
 彼は、そう心に決めた。
 その彼の耳に、セレスティが三月うさぎに訊いている声が聞こえて来た。
「なかなか素晴らしい味わいですが……これらは、どちらで?」
「インドの奥地の村でしか採れない茶葉を、ここの庭園で育てたものですよ」
 三月うさぎの答えに、セレスティが青い目を見張るのが見えた。耳をそばだてていたシオンも、驚いて思わず自分のカップを見やる。彼の頭には、茶葉は店で買うものという発想しかない。だのに、これはここで作られたものだという。
「ここで育てているのですか?」
 セレスティも、思わずというように問い返している。しかし三月うさぎは、平然とうなずいた。
「ええ。……ご案内したい所ですが、この園からでは少し遠いので。興味があれば、今度はそちらへご招待しますよ」
「機会があれば、お願いします」
 セレスティが、うなずき返す。
 そのやりとりを聞きながら、シオンは、いったいこの庭園はどのぐらいの広さがあるのだろうかと考える。そもそも、図書館に不随している庭園だと聞いたはずだが、肝心の図書館の建物すらここからは見えないのだ。
 そうこうするうち、紅茶と菓子を堪能したらしいシュラインが、この園を一巡りして来ると言って立ち上がった。別館で本物の書物を見せてもらってもいいかと尋ねる彼女に、三月うさぎは快く承諾を与えている。そして、ついでのように彼は、草間に一緒に行ってはどうかと言い出した。
 言われて草間は少し考えていたが、結局承知して、シュラインと二人で四阿を出て行った。
 それを見送り、シオンは気になったことを尋ねる。
「あの……。先程シュラインさんが『本物の書物』とか言ってましたが、ここには本物と偽物の書物があるんですか?」
「偽物、というと少し違いますが……感覚としてはそんなようなものですね」
 三月うさぎは、小さく苦笑して言うと、彼にこの図書館の蔵書について説明してくれた。
 それによれば、時空図書館の本館と呼ばれる建物には、古今東西のあらゆる書物が収められてはいるが、それらは図書館に迷い込んだ人間の望むとおりのもの――つまりは、想像の産物でしかないのだという。たとえば、伝説に言われるような書物や、その人の記憶にはあるが現在は絶版になっているような書物も、この図書館では手に入る。が、それが実際に出版されたものと同じかどうかは、わからないということだ。
 対して、別館と呼ばれる建物に収められた蔵書は、正真正銘の本物だった。ただし、その建物へは盗難の防止のためもあって、管理人の許可を得た人間しか入れないことになっているのだという。
「ええっと……では、たとえば私が何かここにある蔵書を読んでみたいと思ったなら、シュラインさんが行ったのと同じ、別館へ行く方がいい、ということですか?」
 頭の中で今聞いたことを整理しながら、シオンは問い返した。
「そういうことですね。蔵書に興味があるのでしたら、どうぞ。今から行けば、あのお二人に追いつくと思いますよ」
 うなずいて言う三月うさぎに、シオンはどうしようかと考える。どんな本があるのか見てみたい気もするが、さほど強い興味があるわけでなし、以前草間にバイトを回してもらった時に、他の者からちらりと草間とシュラインがいい雰囲気だと漏れ聞いた覚えもある。そんな二人の邪魔をするのも気が引ける。
 彼が考え込んでいると、汐耶と零が、先の二人とは別のルートで紫陽花の園を巡る相談をしているのが耳に入った。そこで、彼は三月うさぎに言う。
「蔵書は、またの機会にします。……ところで、申し訳ないですが、ここの紫陽花を一輪、いただけないでしょうか。ある人へのプレゼントにしたいので」
「かまいませんよ。一輪と言わず、好きなだけ、お持ち下さい」
 愛想良く三月うさぎに返されて、彼は破顔した。
「ありがとうございます」
 礼を言って、汐耶と零に声をかける。
「すみません。私もご一緒させていただいて、いいですか?」
「私はかまいませんけど……」
 汐耶が答えて、零の方を尋ねるようにふり返った。
「私もかまいません。大勢で回った方が、楽しいですから」
 零も言って、うなずく。
 そこで彼らは、改めて三月うさぎにその旨を告げ、シュラインたちとは違うルートをたどる方法を教えてもらうと、何事か話し込んでいるセレスティとみたまにも一言告げて、席を立った。

■紫陽花巡り
 ややあって、シオンと汐耶、零の三人は、紫陽花の園の中に作られた散策用の小道を見事な紫陽花の群れを眺めがら歩いていた。
 小道は、まるで病院や役所の建物の中のようにいくつかに色分けされており、彼らはその中の青いタイルを貼られた道をたどっていた。ちなみに、シュラインたちは別館へと続く門のある黄色いタイルの道を行ったようだ。
 紫陽花は、植わっている土に含まれるPHによっても色を変えるものなのだが、ここではそういうことは関係ないようだ。同じ土に植えられているものであっても、それぞれにまったく異なる色を持つ。また、種類が違うものもあって、紫陽花と一口に言ってもこうして眺めてみると、なかなかに味わい深いものだとわかる。
「凄いですね。紫陽花に、こんなにいろんな色や種類があるなんて……!」
 零が歩きながら、無邪気な声を上げた。
「そうですね。……ただ、手入れは大変そうですけれど」
 シオンはうなずき、ふと思いついて言う。
「手入れとかは、たぶん、あの女の人たちがするんじゃないでしょうか。ほら。私たちのお茶の給仕をしてくれた……」
「ああ……」
 汐耶に言われてうなずきつつも、シオンは本当にここは何もかも別世界なのだと深い溜息をついた。そうして、改めてその紫陽花たちを見やる。
 持ち帰る許可はもらったものの、これほどたくさんの種類と色の中から、いったいどれをかの少女へのプレゼントにしたらいいものか。
(悩みますねぇ……)
 思わず立ち止まって、腕組みになる。
「シオンさん?」
 汐耶が、そんな彼を怪訝そうに見やって声をかけて来た。我に返って、シオンは尋ねる。
「汐耶さんなら、この中からプレゼントをもらうとしたら、どれがいいですか?」
「え……」
 突然問われて、彼女もとまどったようだ。が、改めてあたりを見やり、考え込む。
 ややあって、彼女は言った。
「数が多すぎて、決められないです。でも……それはただ、ピンと来る紫陽花がここにはないだけなのかもしれないですけど」
 そうして、小さく笑って付け加える。
「それに、私とシオンさんがプレゼントしたい相手の好みは、違うかもしれませんよ?」
「そ、それもそうですよね」
 痛いところを突かれて、シオンはわずかに動揺しながらうなずく。やはり、プレゼントにする紫陽花は、自分で選ぶしかないようだ。
 そうやって、たわいのない話をしながら歩くうち、ようやくシオンは「これだ!」と思う紫陽花に巡り合った。中の方がほんのりと淡い青で、そこから外側に向かってゆるやかなピンクに変化しているそれは、傍から見ると紅がかった紫のオーラをまとって輝いているようにも見えた。
 シオンは、その紫陽花に歩み寄ると、心の中でそっと謝罪の言葉を呟いた。
(こんなに綺麗に咲いているのに、ごめんなさい)
 そうして、下の方から折り取る。三月うさぎは、いくらでも持って帰っていいとは言っていたが、彼にしてみれば一輪だけで充分だった。
 足を止めて彼が紫陽花を取って戻るのを待ってくれている汐耶と零の方へ向かいながら、シオンは自分はここから、四阿へ戻ろうと考えていた。望みのものは手に入れたのだし、せっかくのプレゼントを枯らしてしまっては意味がない。二人がまだ散策を続けるのなら、自分だけ戻ってもいいだろうと彼は思う。
 二人の傍まで来て、彼が口を開こうとした時だ。零がふいに小さく目をしばたたいて、彼の後方を指差した。
「あれ、なんでしょうか」
「兎……みたいね」
 そちらを見やって、汐耶も呟く。が、メガネの奥の目は驚いたように見張られていた。
「どうかしましたか?」
 言いながら、シオンもふり返る。そして彼もまた目を見張った。そこにはたしかに、兎が一匹じっとこちらをうかがうようにして、うずくまっていた。ちょうど、紫陽花の群れが途切れ、別の小道と交わっているあたりだ。
 兎をじっと見詰めていたシオンは、ふいにまさかという思いに捕らわれる。兎は、彼のペットの垂れ耳兎にそっくりだったのだ。仮に畏怖利射兎(いふりいと)と呼んでいるその兎は、今日は紫陽花をプレゼントする予定の少女に預けて来ていた。
(でも……まさか……)
 どんな場所とも時代ともつながっているというここならば、そんなこともあるかもしれない。まさかと思いながらも、気づいた時には、すでに彼はその兎めがけて走り出していた。一方兎は、まるで彼が近づくのを厭うように、逃げ出した。
「シオンさん?」
 汐耶と零の、怪訝そうな声が追いかけて来たが、彼はかまわなかった。普段、これほど感情的に動くことはないというのに、今はどうしたことか、二人の声も耳に入ってはいない。彼はただ、兎の姿を追って、走り続けていた。

■水の封印
 シオンが足を止めたのは、紫陽花の園が完全に途切れ、だだっぴろい何もない空き地が目の前に姿を現したあたりでだった。とはいえ、そこが空き地だったから足を止めたわけではなく、兎の姿がふいに消えてしまったのと、強烈な水の気配を感じたためだ。
 イフリートとはいえ、彼の場合、母親は雪女なので水を恐れるということはあまりない。たとえば、川や池、湖などにも近づくことはできるし、雨の中でも平気だった。だが、今そこに感じられる水の気配は尋常なものではない。
 足を止めた彼の背後から、汐耶と零がやっと追いついて来て、同じく足を止めた。二人とも、肩で息をしている。
「どうしたんですか? 急に走り出したりして」
 やっと息を整えて、汐耶が訊いた。が、訊かれても彼自身にも理由がわからないのだ。答えようがない。
「すみません……。何か、気がついたら、走り出してしまっていて……」
 正直に答えて、彼はふと足元を見やり、眉をひそめる。そこに、小さな石のプレートのようなものがはまっているのに気づいたのだ。
 彼の視線を追って、汐耶もそれを見やる。
「これ……何かの封印みたいだわ」
 低く呟いて、彼女はしゃがみ込む。しばらく考えていたが、小さくうなずくと、彼女はそのプレートに片手を当てた。
「な、何をしてるんですか?」
 内容はわからないが、なんらかの力が動く気配に、シオンは思わず問う。汐耶は集中しているのか答えない。が、傍から零が言った。
「たぶん、あのプレートは何かの封印なんじゃないでしょうか。汐耶さんは、封印能力を持っていて、逆に封印を解くこともできるんです」
「へぇ。便利な能力を持っているんですね」
 普段あまりイフリートの能力を使わないシオンは、感心したように呟く。
 その時だ。どこかで、何かが割れるか折れるかするかのような、奇妙な音が響いた。と。
 今まで何もなかったはずの、空き地の上の空間――ちょうど彼らの目の高さの位置がふいに二つに割れて、そこからまるで滝のように水があふれ出して来たのだ。
「げっ!」
 シオンは、思わず奇妙な声を上げた。一瞬だが、彼の姿は本性の青い炎に立ち返り、その場から空の高みへと舞い上がる。空中からあふれ出した水は、なんらかの魔法を帯びており、浴びればイフリートである彼にとっては危険なものだと瞬時に判断したためだ。
 だが、彼のような技を持たない汐耶と零は、あふれ出した水を頭からかぶってしまったようだ。それでも、かろうじておぼれなかったのは、とっさに汐耶が、解いた封印を再び封じたためだろう。
 水は途端に、まるで嘘のように消え、二つに割れた空間も元どおりになった。
 後にはただ、びしょ濡れになった汐耶と零の二人がいるのみである。
 地上に降りて、人間の姿に戻ったシオンは、慌ててその二人に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……。なんとか」
 うなずいて、汐耶は小さく肩を落として謝る。
「それより、ごめんなさい。……私が、むやみに封印を解いたりしなければ」
「気にしないで下さい。私は濡れてませんし……それより、四阿へ戻って、三月うさぎさんに、着替えがないか訊いてみませんか?」
 慌ててかぶりをふり、シオンはびしょ濡れの二人を見かねて言った。
「そうね。……そうしましょうか」
 自分の姿を改めて見やり、汐耶は深い溜息をついて言うと、零を見やった。彼女もうなずく。なんとなくとぼとぼと歩き出した二人の後について歩き出しながら、ふとシオンはプレゼントにするつもりだった紫陽花のことを思い出した。慌てて、ずっと握りしめていたそれを見やる。不思議なことに、その花は青い炎と化した彼がずっと持っていたにも関わらず、燃えてはいなかった。
 安堵に胸を撫で降ろしながらも彼は、小さく首をかしげる。もしかしたら、ここの花はなんらかの魔法がかかっているのかもしれないと、ふと思ったのだ。が、彼はすぐに考えるのをやめた。いいではないか。大事なプレゼントが無事だったのだからと。

■賑やかにお茶を
 四阿へ戻ると、びしょ濡れの汐耶と零に、三月うさぎもさすがに目を丸くした。
「どうされたんですか?」
 問われても、汐耶は肩を落としたままだ。零が、彼女を気遣うように見やった後、助けを求めるようにシオンを見やる。しかたなく彼は、事情を三月うさぎに説明した。
 話を聞いて、彼は少し困ったように小さく笑う。
「それはそれは。災難でしたね。ここを出る前に、一言説明しておけばよかったですね。その空き地は、この園の噴水やこの池に使うために作られた貯水タンクのようなものですよ。今日いらした方の中には、水の性を持った方も何人かいますから、それに刺激されて封印を解かせようと誘いを向けたのでしょう。あなた方は、たまたまそれに引っかかってしまったということです」
「それで……でしょうか。あのプレートを見たら、なんだか封印を解かなければいけない、という気になってしまって……」
 肩を落としたまま、汐耶が言った。
「私もです。兎を見た途端に、自分が飼っている兎を思い出して……気づいたら、後を追って駆け出していました」
 シオンも、うなずいて続ける。
「なんの警戒もしていなかったのですから、無理もありませんよ」
 三月うさぎは穏やかに微笑んで言うと、汐耶と零に着替えて来るよう言った。そうして、翡翠色の髪の女たちの一人に、二人を案内するよう命じる。女に促されて、汐耶と零は再び四阿を出て行った。
 後には、三月うさぎの他は、セレスティがいるだけだ。
 三月うさぎに命じられて、女たちの別の一人が、プレゼントにする紫陽花を水の入った一輪挿しに生けてくれた。このまま持ち帰ればいいという三月うさぎに礼を言って、セレスティに自分たちの見た紫陽花の見事さを話していると、やがて、汐耶と零が戻って来た。二人とも、白いフレンチスリーブのワンピースを着ていた。零はうれしそうだが、汐耶はなんとなくおちつかない様子だ。
 そうこうするうち、今度はシュラインと草間が戻って来た。もう一人、二十七、八歳ぐらいの見慣れない青年を伴っている。みたまが持って来たクッキーをつまみながら、聞くともなしに彼らの話を聞いていると、青年は三月うさぎの友人か何からしい。シュラインや草間とも面識があるようだ。
 どうやらシュラインは、別館まで行ったものの、望みの書物を見ることができなかったらしい。三月うさぎと青年のやりとりは、主にそのことだった。
 やがて、三月うさぎがシュラインに自分の不手際を謝罪する。シュラインは、それへかぶりをふって言った。
「あ……。いいえ、次に来た時の楽しみに取っておくから、気にしないで。それより、新しいお茶をいただけないかしら。歩いたら、喉が乾いてしまって」
「ああ、そうですね。では、他の皆さんにも、みたまさんからいただいた日本茶をお出ししましょうか」
 うなずいて、三月うさぎは翡翠色の髪の女たちの一人に、お茶の用意を命じる。
 それを聞いてシオンは、自分も喉が乾いていることに気づいた。
(日本茶も、楽しみですね)
 胸に呟き、また一つクッキーをつまむ。
 零は草間と、汐耶はシュラインと何事か話し始めており、シオンはそれを、ぼんやりと眺めていた。
 と、さっきシュラインたちと来た青年が声をかけて来た。妹尾静流と名乗った青年に、シオンも自己紹介する。セレスティも、同じように声をかけられて、やはり挨拶を交わしていた。
 そこへ、みたまも戻って来た。
 どこへ行っていたのか、意気揚々とした足取りで三月うさぎの傍まで来ると、手にしていたトランプ大のカードを見せる。
「少し虐めさせてもらって、言われたとおり、封印したわ。面白い武器になりそうだから、もらって帰るわ。それと、こっちは返すわね」
 言って彼女は、反対側の手首に巻きつけていた腕輪のようなものをはずして、テーブルに置いた。かなりの重量があるのか、重そうな音がする。
「それはそれは。……傭兵というのも、伊達ではありませんね」
 三月うさぎは、軽く目を見張って、感心したように答えた。
 そこへ、ちょうどおりよく新しいお茶が運ばれて来た。
「あら、うれしい。ちょうど喉が乾いていたのよ」
 言ってみたまは、自分の席に腰を降ろした。そうして、初めて静流に気づいたようにそちらをふり返り、互いに挨拶を交わす。
 そんな彼らの前に、女たちが次々と日本茶の入った茶器を並べて行く。
 シオンはそれを手に取り、一口飲んだ。途端、さわやかな苦味と芳ばしさが口の中に広がる。どうやら、緑茶に玄米茶をプラスしたものらしい。
 それを半分ほど飲んでから、彼は新たに菓子類も取り分けてもらう。菓子類には、日本茶に合うようにとの配慮なのか、葛餅が加えられていた。彼は、それと紅茶のティラミスとアップルバナナブレッドを取ってもらった。
 それを口にしようとして彼は、ふともう一つの土産のことを思い出す。忘れないうちにと、慌てて三月うさぎに切り出した。
「すみません。こちらに出されたのや、皆さんが持参したお菓子ですが、残ったら、いただいて帰ってもいいですか?」
「私はかまいませんよ。他の皆さんは、いかがですか?」
 三月うさぎの問いに、それぞれ談笑していた他の者たちも顔を上げる。皆が了承してくれたので、シオンはホッとしてそれぞれに礼を言い、やっと目の前に取り分けられた菓子に手を伸ばした。

■エンディング
 シオンたちが草間興信所に戻った時には、あたりはすでに真っ暗になっていた。時空図書館の庭園ではずっとあたりは明るいままだったので、シオンは少し驚いてしまった。が、遅くなっても悪い気はしない。いっそ、ずっとあそこにいれば、ねぐらを確保する心配がなくてよかったかもしれない、などとちらりと考え、少しだけ彼は苦笑する。
 とりあえず、草間と零の好意で今夜は事務所に泊めてもらうことになった。包んでもらって持ち帰って来た菓子類は、冷菓子の類は冷蔵庫に入れさせてもらい、他もとりあえず事務所の台所に今夜は置かせてもらう。
 他の者たちもそれぞれ帰途に着き、草間はシュラインを送るからと言って、事務所を出て行った。零は、今夜はここのソファで寝ることになるだろうシオンのために、タオルケットを探しに奥に行っている。
 一人残されて、シオンはまぶたの裏に、今日見た見事な紫陽花の数々を思い浮べていた。
もらって来た花は、一輪挿しごと目の前のテーブルの上にある。明日、これを手渡して、あの見事な紫陽花たちについて話したら、かの少女はどんな顔をするだろう。
 彼は、そんなことを考えては、幸せな想像に顔を笑み崩れさせるのだった――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3356 /シオン・レ・ハイ /男性 /42歳 /びんぼーEfreet】
【1883 /セレスティ・カーニンガム /男性 /725歳 /財閥総帥・占い師・水霊使い】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員(バイト)】
【1685 /海原みたま /女性 /22歳 /奥さん兼主婦兼傭兵】
【1449 /綾和泉汐耶 /女性 /23歳 /都立図書館司書】

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■         ライター通信          ■
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ライターの織人文です。
私の調査依頼に参加いただき、ありがとうございます。
6月→梅雨→紫陽花、という発想で、紫陽花と噴水といった舞台を考えてみました。
皆さんに、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

●シオン・レ・ハイさま
はじめまして。
参加いただき、ありがとうございます。
今回は、綾和泉汐耶さま、草間零と共に
紫陽花の園を巡っていただきましたが、いかがだったでしょうか。
またの機会がありましたら、よろしくお願いします。