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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


飛び降り希望



 ――プロローグ

 草間・武彦は窓枠に飛びついた。
 ガラリと窓を開ける動作を一緒に、片足を枠に乗せる。
「半熟タマゴが半熟なのも、うちの零が貧乳なのも、ポストが赤いのも俺が悪いんだあ」
 叫ぶやいなや、草間は窓から身体を乗り出した。
 びっくりしたのは、貧乳と称された草間・零だ。

「お兄さん!」
 怒るのも忘れて、兄の身体にしがみつく。草間は、零の細腕の中でもがく。
「お兄さん、どうしたんですか、やめてください、死んじゃいます」
「私が死ねばいいんだわ、誰もが死んでしまえばいいんだわ」
 草間の声で、気味の悪い台詞が吐き出される。

 草間・武彦は大嫌いな怪奇調査の依頼で、自殺の多発しているマンションを調べに行っていた。
 帰って来た草間は、大好きな煙草を吸うことも、コーヒーを所望することもせず、ただ、ブツブツとなにやら呟いていた。そして気が付いたように立ち上がり、二階である興信所の窓から外へ飛び出そうとしているのだ。
 するりと零の腕の中から、草間が抜け出る。零は草間をまた、捕まえる。
「お兄さん、やめてください。誰か、誰か助けて!」
 頭を振る草間から、眼鏡が乱暴に投げ出された。カシャンと、音がした。
 
 
 ――エピソード
 
 突然零の悲鳴が聞こえてきて、興信所の階段を上っていたシュラインは驚いて足を止めた。すぐに、零が悲鳴を上げたのだと認識し、残りの数段を駆け上がった。ボロボロとも言える、青みがかった灰色のドアを開けて、中へ入った。
 草間・武彦と零が、窓の側でもみ合っている。
 シュラインはコンビニで買った草間の好きなメロンパンをソファーへ放り出した。
「シュラインさん、お兄さん、ここから飛ぶ気なんです」
 零が草間の腕を取り、後ろ手にぎりぎりと締め上げながらシュラインの方を見た。
 零はどこから見ても、どこかの「お嬢さん」的な容貌の少女だった。……しかし、それなりの格闘はできるのだ。
 シュラインは意味を全て汲むことはできなかったが、
「そのまま、そのままね」
 と言い草間が仮眠用にいれている布団をクローゼットの中から取り出した。もう夏に近いからか、手近には毛布しか見当たらない。シュラインは毛布をかき分けて、冬場使う厚い布団を取り出した。
 布団を片手に、草間の机の横にかけてあるロープをひったくる。ロープなんてどんな非常事態だって使わないわよ、と草間に告げたことを思い出す。使うこともあるのね、悠長にシュラインはそんなことを考えた。
 草間は零の手から逃れることができず、ただ両足をバタバタさせて奇声を上げている。
 明らかに様子がおかしい。
「零ちゃん、武彦さんを布団で包んでロープで縛って……どこか、ファイルの棚でいいわ。ここと繋いで、落ちないように固定しておいて」
 シュラインの指示に零が神妙な顔でうなずく。
「私立たせて押さえてますから、布団で巻いてください」
「わかったわ」
 言うほど簡単な作業ではなかった。
 なにしろ、草間は驚くほどの力で抵抗し、隙を見つければ窓の外へ飛び出そうとする。
「しっかりして、武彦さん」
 シュラインの声にも、草間は無反応だった。ただ口の中でブツブツと「私は死ぬ、生きていられない」とつぶやいている。
 一体何が起きてこうなったというのだ。
「死なせないわよ、武彦さんは」
 きっと草間を睨み、布団で巻かれ暑苦しい格好になっている草間の体周りにギュウギュウロープを巻きつける。草間がいつも座っている机に無理矢理座らせ、椅子と草間の身体も縛り付けた。一度結わいてから、この興信所で最も重いであろうファイルの入っている棚の一部と、椅子をくっつける。
 そこでようやく、一息ついた。
「うー、ポストは赤い、タマゴはやわらかい、零は貧乳」
「……意識を完全に乗っ取られてるわけじゃ、ないのね」
 シュラインは難しそうに眉根を寄せ、腰に手を当てながらぼやくように言った。
 零はなんだか複雑そうな顔で
「さっきっから、人の胸のことばかり……」
 と苦い口調で言う。
 
 
「こんにちーっす。さっきっから、その人、くだらないこと気にしてんねー」
 コンコンと、声に遅れてノックする。
 振り返ると、Tシャツにジーンズ姿の学生が立っていた。雪森・雛太だった。
「……さっきっからって、あなたずっと見てたの」
 シュラインが驚いて聞き返す。男手ならば手伝ってくれればよいものを。
「いやー、テツマン明けで頭痛いわ目しょぼしょぼするわ、歳には勝てねえなあ」
 雛太は聞いてもいないのに、深く頭をうなずかせながら感慨深げに言った。それから草間に近付いて、布団で見えない肩をポンと叩いた。
「なー、おっちゃん。貧乳は悪いことじゃねえだろ。マニアがいるし、彼女ならロリコン受けもするかもしんないしな。タマゴは好きなだけ茹でてくれていいから。何時間でも。で、ポストが赤い理由なんか、今誰でも知ってるぜ。黒ポストが夜になると見え辛くて、赤になったってやつな」
 草間が「うー、私は飛ぶ」とうなったので、雛太は「あっそう」と他人事のような顔で草間から離れ、シュラインと零の間を通ってソファーに腰をかけて、一つ大きな欠伸をしてから、涙目を瞬かせながら言った。
「なーんだ、もしかして、憑いてるあんたが貧乳だったりしてなあ」
 自分の思い付きが面白かったのか、雛太はカラカラ笑った。
 しかし、シュラインと零に凍てつく視線を浴びせられていたので、雛太は二人の女性を交互に眺め、口をすぼめて黙った。

 シュラインは草間の姿を眺めながら、困った顔で口にした。
「武彦さん、たしか自殺の頻発するマンションへ調査へ行ったのよね」
「そうです、それから様子がおかしく」
「元々かもしんねえぞ」
 雛太がニヤリと笑って二人の会話に参加する。また、女性二人が雛太を睨む。
 雛太は両手を軽く上げて、二人を制するようにしながら曖昧に笑んだ。
「ジョーク、ジョーク」
 雛太を無視して話を進めることにする。
「確かに。私がコンビニまで行くって言っても、煙草の一つも注文しなかったし……」
「なにより、お兄さん煙草吸ってないんです」
「妊娠しちゃったとか」
 雛太を二人とも見ようともしなかった。そこへ、
「調査ですか、いや、私もね行ったんですよ、そのマンション」
 気配も何もなしに、いきなり男の声が響いた。
「妊娠はあるかもしれません。この時代ですし、男だって妊娠の一つや二つ乗り越えるべきかもしれません」
 弾けるように全員が振り返った。
 そこには、神父の服装をして眼鏡をかけた男が腰をかすかに曲げて、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「どうも、神宮寺・旭です」
 神宮寺・旭はいつも通り誰も自己紹介を希望していないにも関わらず、自らフルネームを名乗った。
「聞いてねえよ」
 胡散臭そうな顔をした雛太が思わず突っ込む。
 旭にはそんな台詞は届いていないようで、シュラインと零の間をひょいひょいと抜けた旭は、うなる草間の元へ寄って行った。
「お久し振りです、草間さん」
 のんびりゆったりとした口調でまず挨拶をする。
「しばらく見ないうちに、随分暑苦しいお姿になりましたねえ。わかった! きっと一人我慢大会でしょ」
 旭が思い付いて、後ろのギャラリーを振り返った。
「そして、草間さん耐え切れず寝てしまった!」
 断定的な口調だったが、あまりにも的外れだった為、シュラインと零は口を噤んでいる。
「我慢大会すんのに、一人でどーすんだよ。大会っつうんだから競うんだろが。大体、我慢大会の途中で寝るってどういう神経だよ、そいつの一人勝ちじゃねえか」
 旭は雛太の指摘を甘んじて受けるように、くすりと笑った。
「その通りです。我慢大会だというのに、闇鍋がないのはおかしい!」
「そこかよ」
 旭はううむと顎に手を当てて、しぼり出すように続けた。
「鍋……が足りないですね。あの、奥さんお鍋用意してもらえますか」
 旭がシュラインの方を向いて、思案に暮れた表情で告げる。シュラインは思いっきり呆気にとられた顔で
「はぁ?」
 と聞き返していた。
「奥さん……? っておい、おっちゃん結婚済みだっけ」
「いえ、シュラインさんはここの事務員さんで」
 旭の誤認の裏づけがされる。
「だって、鍋が足りないじゃないですか」
 旭は構わず鍋にこだわる。
 シュラインはわけがわからないと頭を抱え、ジロリと草間・武彦の頭を睨んでから、神宮寺・旭の職業が悪魔祓い師だったことを思い出した。ならば、もしかすると鍋が草間に憑いた霊を追い出すのに関係があるのだろうか。
「神宮寺さん、この霊をどうにかする為にお鍋が必要なんですね?」
 考え込んだシュラインは、じっくりと訊いた。神宮寺・旭は同じようにじっくりとシュラインと目を合わせた。眼鏡越しの旭の瞳は、瞬間だけ鋭く光ったように思える。
「えーと……あのですね。鍋がどうして必要かと言いますと、非常に言い辛いのですが」
「なんなんです?」
 覆いかぶさるようにシュラインが訊ねる。
 旭は恥ずかしそうにそっぽを向き、開け放たれたままの青空を見やったまま言った。
「どうしても、食べたくなってしまって。私が」
 長く重い沈黙が流れた。全員言葉を失っていたが、突っ込み体質ゆえにボケ慣れをしているのか雪森・雛太はいち早く意識を回復し、恥ずかしそうにしている旭の背中に思いっきり蹴りを入れて
「あんたが食うのかよ!」
 爆笑問題の田中のような突込みをした。
 
 
 ヨーロッパ土産にタペストリーとオリーブオイルのセットを持ってやってきた蒼王・翼は、草間興信所の変な空気に顔を歪めた。
 まず、窓が開け放たれている。この窓からは排気ガスぐらいしか入ってこないので、普段は締め切られている筈だ。次に草間探偵の机の上がいつもに増して混沌としている。子供が積み木を壊したような状態に物が積まれ、机の回りにも物が飛び散っていた。そうかと思えば、客用のソファーにシュライン・エマと草間・零、若い学生のような容貌の男が一人、黒装束の神父が一人腰かけている。
 それから、目の錯覚ではなさそうなので付け足すと、草間・武彦が布団に簀巻きにされた状態で椅子に座らされ、憔悴した様子でファイルの詰まった棚にくくりつけられていた。その草間には、どうやら霊らしきものが憑いている様子である。
「神宮寺さん、どうにかしてください」
 シュラインがこぼすように言うと、神宮寺と呼ばれた神父は眼鏡を難しそうにかけなおして
「私の条件は一つです。草間さんが半熟タマゴを食すのが条件で……」
「だーから、半熟だって煮りゃあ完熟なんだよ、そんなつまんねえ条件出すな」
 若い学生風の青年が激しく言い返す。
 零が困惑しきった声色で呟く。
「お兄さんに半熟なんて……無理です」
 草間・武彦という男は、ハードボイルドつまり完熟タマゴをこよなく愛する男であり、半熟タマゴを心底憎む男なのである。
「人間死ぬ気になればなんでもできるものですよ」
 そう神宮寺。
「実際死のうとしてんだろうが」
 若い学生が言う。
 
「……また、取り込み中に僕は来たのかな」
 思わず苦笑を禁じえず、翼は言った。誰も気付いていなかったらしい。全員が驚いて翼を見上げている。
「翼くん。久し振りね……でもテレビで観ていたからそんなに久し振りって感じじゃないわ」
 シュラインはソファーから立ち上がった。翼はシュラインに土産の紙袋を手渡しながら
「久し振り。なんだか、元気そうだね」
 と笑った。
 シュラインは「元気っていうか、なんていうか」と首を傾げ、ソファーへ翼を座らせながら紙袋を持ってキッチンへ向かって行った。
「こんにちは、神宮寺・旭です」
 誰も訊いていないのに、まず旭が翼にフルネームで挨拶をする。ついでに、隣にいた幼げな顔をした青年も「雪森・雛太です」と真似て言った。翼は涼しい顔で笑って流し、自分の自己紹介はしなかった。
 ガタン、と大きな音がした。音は翼の後ろからしたものだった。翼の後ろには、棚にくくりつけられた草間がいる。
 旭と雛太が腰を浮かした。草間は椅子を腰につけたまま、窓に飛びついた。立ち上がった翼は、机に手をついて机を飛び越え、落ちようとしている草間の首根っこを捕まえた。ガシャリと音がして足元を見ると、草間の眼鏡が落ちている。レンズが割れていて、もう使えそうにない。
「こら、武彦。キミはなにをやってるんだか」
 嘆息と共に草間の身体を回収し、元いた場所まで連れて行く。
 キッチンから慌てて顔を出したシュラインがほっとした表情になった。
 草間の顔に眼鏡はない。おそらく、草間はこの窓から何度も身を投げようとしたのをシュライン達に止められ、こういう姿になっているのだろう。
 おおーっ、翼の軽い身のこなしに雛太と旭が歓声を上げる。
「暑い中この格好じゃ気の毒だな。シュラインさん、紐解いちゃうね」
「え? でも……」
「僕が見てるから大丈夫」
 シュラインは逡巡するように少し虚空を見つめてから
「そうね。翼くんがいいって言うんなら、大丈夫ね」
 と言って五人分の冷たいウーロン茶を運んで来た。
 翼は少しだけ草間の眉間に片手を当てた。直接静かにしろと指令を与えると、草間は驚くほど静かになった。固く結んであるロープを切り、布団から開放してやる。草間はうなだれて、椅子にしょんぼりと座っていた。


「私がやってみるわ」
 シュラインは翼にそう告げた。翼はうなずいて、ソファーへ腰かけた。
「ねえ、死ななくてもよかったって、思ってるんじゃない?」
 草間にシュラインが語りかける。草間は、かすかに身を震わせて、小さく首を横に振った。
「名前を教えて、なんていう名前なの」
 草間のくぐもった声が答える。
「アケミ……、私はアケミ」
「明ける美しいで明美さんかしら」
「そう、私はそう呼ばれていた」
 呼ばれていた? シュラインの頭に変な言い回しが残る。つまり、この明美は本当は違う名前の人物なのだろうか。明美があだ名とは思えないから、源氏名だろうか。
「少し話を聞かせて、話しやすい話しでいいわ」
「……私の話なんてつまらないわ。私はつまらないし、どうしようもないのよ。私は誰にも好かれないのよ」
 うめくような声だった。それにしても、草間の口から聞くのはやはり少し変な感じがする。
「私はあなたの話が聞きたいの。お店で出会ったの?」
 シュラインはカマをかけてみた。自分はダメなのだとある一定以上の年齢の人間が悩むことは、仕事か恋愛だろう。明美の口調は女学生のものではないし、女学生は源氏名など持っていない。
「そうよ、でもタマタマなの。私のお店じゃなくて、お洒落なバーだった」
「素敵な人だった?」
 ドンピシャだ。
「シャイな人だった。あの人、私の肩を抱くまで三ヶ月かかった……」
「可愛い人ね」
「可愛い人――そう。とても」
 穏やかな表情が草間に浮かぶ。明美はあの人が本当に好きだったのだろう。明美が自殺したがる理由は、その人にあるのだろうか。
「その人に、つまらないなんて言われたことはないんでしょう?」
「ない、あの人はそんな人じゃない。私はつまらないの、知っていたわ。それなのにあの人は一言もそんなこと言わなかった。私が愉快な存在じゃないって私は知ってた」
 言い回しがまたおかしくなる。明美はなにかを隠そうとしている? なんの理由で?
「あの人に必要なのは私じゃなかったの」
 この手の思い込みはコンプレックスに起因する。彼女はそれを隠そうとしているのだろうか。
「どうしてそんなことがわかるの」
「わかるわ。だって、じゃなきゃあんなことは言わない」
 シュラインは慎重にゆっくりと訊ねた。
「あんなことって?」
 すうと草間から血の気が引いていく。突然、シュラインの肩を草間が掴む。そして草間は呪文を唱えるように口の中で呟いた。
「あなたさえいなければ、あんなことにはならなかった。あなたさえいなければ、私達は出会わなかった男と女さえいなければ私はこんなにつまらない存在になんかならなかった。出会いたくなかったなぜどうして、だから死ななくてはならないの。あなたも私もあの人も全部死ななくてはならないのよ」
 強張ったシュラインの身体を揺らして、草間がシュラインと共に立ち上がろうとする。そこへすかさず翼が割って入り、草間の中の明美をすぐに落ち着かせた。
「私はここまでね……」
 振り返ると旭がメロンパンを食べながら言った。
「重症ですねえ」
「あんた勝手に食ってんじゃねえよ」
 シュラインと明美のやり取りを聞き入っていて、突っ込むのを忘れていた雛太が慌てて旭の肩を裏拳で叩く。
 メロンパンは半分以上なくなっていた。
 
 
「つまりこういうことだよね、明美さん。キミは本当とは違う名前を持っていて、あの人はキミの本当の名前を知らなかった。その差異で、キミ達は別れてしまった。合ってるかい?」
「どんな差異だそれ?」
 雛太が言うと、旭が答えた。
「目玉焼きに醤油をかけるか、ソースをかけるかですね」
「違うと思うぞ」
 雛太と旭のやり取りは他の三人にはすっかり無視されている。
 明美こと草間は顔を真っ青にして、じっとうつむいている。うんともすんとも言わない。ただこの世の全てが恐ろしいようなそんな顔で、身体を強張らせて動かない。
 翼は本当に不思議そうに、明美に訊いた。
「愛されてると思っていたんだろう? それに、キミも愛していた。それ以外になにが必要だったのかな」
 カタカタと明美の歯が鳴る。明美の隣に中腰になっているシュラインが、そっと明美の背を撫でた。最初は草間の姿に戸惑っている様子だったシュラインも、すっかりいつもの調子を取り戻したようだった。
「私は、愛される資格なんかなかった」
「わからないな。愛されることに資格なんていらないだろう」
 優しい翼の声色に、明美はぶんぶんと小刻みに首を振った。また悲しそうに顔を伏せたところへ、シュラインがハンカチを差し出した。明美はそっと薄いオレンジ色のハンカチを握って、ハンカチへ顔を埋めるようにした。
「私は、違った。あの人が求めている私じゃなかった」
「違うよ。あの人はキミを求めていたのだろう」
「違わない! 私は違った……私は……」
 吐き捨てるように明美は言った。
「私は男だったのよ」
 ここぞ突っ込みどころ! と雛太は片手を振り上げて、明美へ「ありえねえ!」と突っ込もうとしたが、場の空気的にもそれは不可能だった。今そんなことを叫べば、おそらくシュラインのパンプスで足を踏まれ、零のエルボーを食らい翼からは何を受けるかわからない。
 旭はそんな雛太の気持ちなど感じもしないのか、相変わらずの調子で受け答えた。
「そりゃあ、人類的にびっくりしますねえ」
 しかし、翼のえらく真面目な説得は続いている。
「でも、キミはキミだろ。例えばキミが女だとしたら、あの人はキミを愛さなかったかもしれないよ」
「でも……」
「でも?」
「あの人は、私に結婚しようって言ったのよ」
 そうくるとは思っていなかったのか、よき聞き手を務めていた翼が口ごもった。代わりに旭がのほほんと呟く。
「確かに、まあ、日本の法律じゃあ結婚は無理ですなあ」
 うわあんと泣き出した明美に、シュラインと翼は旭を睨んだ。旭は、慌てて口に両手を当てて「これは失言でした」と悠長に言った。


 シュラインと翼で根掘り葉掘り訊いた結果、あの人とは清掃会社勤務の三十三歳独身の中村・源次郎だとわかった。明美は結婚の話を聞いて、罪の意識と源次郎が望んでいるのが本当の女だということを知った為、あのマンションから身を投げたという。それが、一年前のことだった。
 シュラインは草間の作っている途中の調査報告書を広げながらコメカミに手を当てていた。
「確かに、一年前、正しくは一年と一ヶ月前の自殺を発端にするようにあそこで人が死にはじめているみたいね。自殺の要因は明美さんにアリか……それにしてもじゃあ、どうして武彦さんは無事に帰ってこられたのかしら」
 翼が簡単に答える。
「それは……現場はマンションの屋上だろ? 明美さんはマンションに憑いているみたいだから、屋上に『自殺をしたい』と思って上ってきた少ない人に必ず作用していたんだろうな。実際何も考えないで上っている人にはまるで効かない。
 そこへ武彦がやってきた。ここは自殺をする場所だと認識しているにも関わらず、自殺をしようとしない武彦に憑いてしまった明美さんは、ここまで引きずり出されてしまったんだ」
 明美は小さな声でうめいた。
「私は、死にたかっただけなのに」
「キミは死ななくてもよかったと思うよ。その、源次郎さんに会ってみようか」
「今更、会ったって何も変わりません」
「変わらないよ。キミは明美さんなのだから、きっと変わらない。突然逝ったキミに源次郎さんがどうしてるか、見てみればいいさ」
 明美はモジモジしている。……草間がモジモジしている。絵づら的に気持ちのいいものではない。
 雛太が小声でブツブツ言っている。
「もしもーし、ただのオカマの色恋沙汰自殺騒動にそこまでするこたあないと思うんだけど」
「オカマも色々大変ですねえ」
 旭がしきりにうなずいている。
「オカマだって心は女よ」
 明美は言い切って、うわあんとまた泣き出した。シュラインと零と翼が雛太と旭をジロリと睨んだ。
「なんか、俺達変なところに居合わせちゃったなあ」
 雛太が救いを求めるように旭に言ったが、旭はそんなことカケラも思っていない顔をしていた。
「そうですか?」
 一番場違いなのは、神宮寺・旭だろうと、雛太は思った。
 
 明美の取り憑いた草間・武彦は、スッピンで外へ出るのは嫌だと言い、源次郎さんに会うのならきちんとお化粧をしていくと言い張ったので、大変濃い化粧をしていた。
 本来明美という人物は、濃いい化粧の人物らしい。草間・武彦はべったりとファンデーションを塗りたくり、付けマツゲをバサバサ言わせて取り付けた後、これでもかというほどマスカラを付けた。おもむろにピンクとオレンジのチークを入れる。かなり派手に。お前はどこかの田舎のガキかというぐらい、頬が真っ赤になっている。
 アイシャドーは瞼全体に薄い水色マツゲに近付くほど濃いブルーというグラデーションがほどこしてある。それを草間・武彦がやっているわけである。
「気持ち悪ぃ」
 思わず口に出した雛太の足を翼が思いっきり踏んづける。
「あいて」
 どこから見てもオカマである。
 これから、可愛い洋服を選びに街へくり出すというのだから始末におえない。しかも、今更ほっぽりだして逃げようものなら、女性陣に何を言われるのかわからない。同盟を組もうと思っても、男である旭はずっとあんな調子である。……やってられない。
 雛太はいい加減ゲンナリしている。女が化粧をしているところを見るならともかく、化粧をしているのは草間である。引かれた紅さえ憎らしい。
 耳を摘まれるようにして、オカマに引き連れられて駅前のデパートへ入る。天ボケの零はもちろん、肝の据わったシュラインも当たり前顔で、何事にも驚かない作りらしい翼も当然といった様子だった。そして唯一の男の旭も、なんてことはないという顔で全然可愛くないサイババの顔のついたネックレスなんかの購入を薦めて、失笑を買っていたりする。
 これでは、雛太が浮かばれない。いや、死んではいないのだが。
 実際シュラインだって、微妙に笑顔が引きつっている。そりゃあそうだろう。草間がもの凄い立体メイクで、「コレカワイー」って、フリフリでスケスケの花柄のスカートを手に取っているのだから。
「あー、頭いてぇ」
 頭痛をも要して頭を押さえると、すっかり明美を「お姉さん」と呼ぶようになっていた零が心配そうに雛太を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「あー、そうだ、今日テツマンだったんじゃん、俺」
「鉄腕アトム」
 旭がポンと手を叩いて言う。
「ちがーう、徹夜マージャン!」

 明美の覚えている職場を訪ねて行くと、怪訝な顔をした作業服の社員が源一郎を呼びに行ってくれた。
 シュラインはノースリーブのフワフワした薄い生地のワンピースに、また薄いカーディガンを羽織っている草間を横目で見た。目ざとく明美に発見され、この世のものとは思いたくない草間の顔がニコリと笑う。
 ……滅茶苦茶だわ……。
 シュラインにとっては悪夢でしかない。
 あー、気持ち悪くなってきた。と、こっそりと胸の片隅で呟く。
 零など、草間をお兄さんと呼ぶのを諦めてお姉さんと呼んでいる。その変わり身の速さに脱帽だった。
 しかも幽霊はお金は払えないということで、シュラインが立て替えた。……これは必要経費として草間興信所に申請しなければなるまいと思った。草間のサイズをシュラインが着れるわけはないし、知り合いのオカマにもサイズが合わないからだ。
 痛い日差しを避けて、収集センター事務所に入って待っていた。クーラーの風が心地いい。横目に風にはためく草間いや明美のカーディガンが見える。なんだかそれを見ただけで、陰鬱になってきて、シュラインは人知れず一つ溜め息をついた。

「俺に客だって?」
 事務所のドアがガラリと開いて、黒く焼けたガテン系の男が顔を出した。
 翼が一歩出た。事情を説明しようと言うのだろう。けれど、すぐに明美が翼を追い越した。源次郎は戸惑った顔をした。明美が、今飛び込まんという体制で立ち止まる。
 源次郎は、目を何度も瞬かせた。
「あ……あ、け、み?」
 恐らく明美を連れてきた全員の頭の中に、「どーしてわかったの!」という問いが弾き出される。
 シュラインが推測するに、明美とはもう化粧の名称だったのではないだろうか。そうでなくては、明美さんに草間がそっくりだったぐらいしか理由が思い浮かばない。
 そして明美は、汚れのついたままになっている作業着に迷わず飛び込んだ。
「源ちゃん!」
「……夢……夢だよな。だって、明美は死んじまったんだから……」
「源ちゃん、私よ、明美。本当よ」
 源次郎は乱暴に明美の肩を掴み、胸から引き剥がしながら頭をブンブン横に振った。
「だ、誰だ、こんなイタズラしやがんのは!」
 明美は「違うの、イタズラじゃないの。神様が許して下さったのよ」とうそぶいた。
「源ちゃんの足のサイズは十六文! 私しか知らないことよ」
 源次郎は目を見開いて驚き、ガバッと明美に覆いかぶさって明美を抱き締めた。
「明美じゃねえか、ちくしょう!」
 直視するのが嫌になっているシュラインと雛太は、コッソリと小声で愚痴っていた。
「なにが十六文なのかわかんねえし」
 ピシッと雛太が突っ込む。シュラインは呆けた様子で
「なによ、十六モンモンって」
 意味もなく口にした。雛太は隣に向かって
「勝手にモン増やしちゃだめだよ」
 一応突っ込んだが、シュラインからは深い深い溜め息しかもれなかった。
 
 
 ――エピローグ
 
 男の胸の中で成仏してしまった明美に代わって帰って来たのは草間・武彦だった。草間が目を開けると、なにやら暑苦しいものと密着している。しかも、足元がグラグラしていた。びっくりして足を見ると、素足にペディキュアまでしてご丁寧に足の毛まで剃った見慣れた両足が見えた。一瞬トランクス姿か? と訝ったが、ヒラヒラとしたものが目に入って、ますます頭に疑問符が浮かんだ。
 スカート?
 ぐい、と肩を捕まれる。目線をつつつと上げ、小麦色の肌色の草間より少しだけ高い男の顔の前で視線を止める。
「お前が男だっていい、結婚しよう」
 茫然自失で迎えた理解に苦しむ言葉は、右耳から左耳に抜けていった。
 草間は強引に男の胸の中から出て、上ずる声で叫んだ。
「こ、こ、こ、この変態!」
「それはお前だよ!」
 雛太が突っ込む。草間は後ろから聞こえた友人の声に、振り向いた。
 翼は意味ありげな微笑を浮かべて立っていて、零は目にいっぱいの涙を溜めて草間を見守っている。その後ろの旭は「ダイオキシンとカイワレ大根」について熱心に事務員に訊ねている。一番後ろに並んで青くなっている二人は、呆けて使いものになりそうもない。
「明美! そんなこと言わずに、うんと言ってくれ」
 手を伸ばしてくる作業員風の男に、草間は足を振り上げて蹴りつけつつ叫んだ。
「バカ野郎、誰が好きこのんで男と結婚なんかしなくちゃならないんだよ!」
 草間の今の容貌的に、まったく説得力を欠いていることを草間は知らない。
 そこへ翼がなんだか納得したように
「武彦の眼鏡がない顔みてたら、あのーキミが酔っ払って僕を口説いたこと思い出した」
 一番後ろにいるシュラインが大声を上げた。
「……ほ、ホントなの、武彦さん!」
 草間はシュラインと翼と作業服の男を見比べて、ヤバイ気配を察知した。
 シュラインが旭と零を押し退けて奥から出てくる。
「翼くん、十六よ、十六。あんた歳わかってる? 犯罪じゃないの!」
 草間は作業服の男の小脇をなんとか抜け、ガラリとドアを開けてとりあえず外へ飛び出した。
 シュラインが後を追っていく。
 
 残された雛太は、一人静かに
「お前のその格好だけでも犯罪なのによ」
 と偏見に満ちた突込みをした。
 
 
 ――end
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男性/23/大学生】
【2863/蒼王・翼(そうおう・つばさ)/女性/16/F1レーサー兼闇の狩人】
【3383/神宮寺・旭(じんぐうじ・あさひ)/男性/27/悪魔祓い師】

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■         ライター通信          ■
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「飛び降り希望」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
怪奇ものと銘打っていたつもりが、結局コメディかよ!(雛太さま口調)すいません。許してください……。
では、次にお会いできることを願っております。

 シュライン・エマさま
 
 毎度どうも! ご参加ありがとうございます。
 プレイングにあったような、前向きなアドバイスを私が思いつかず、こういう形になりました。
 少しでもご希望に添えていれば幸いです。
 ご意見がありましたら、お気軽にお寄せください。
 
 文ふやか