コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


時空図書館〜紫陽花の園〜

■オープニング
 草間の事務所に、紫陽花の花束と共にカードが届けられたのは、降り続く雨の日々に珍しく晴れ間が覗いたある日の午後のことだった。
 誰が来たとも知れないのに、いつの間にか事務所のテーブルの上にそれが置かれてあったのだ。見つけたのは、零だった。カードを開いて、彼女はうれしそうに草間を呼ぶ。
「兄さん、時空図書館の管理人さんから、お茶会の招待状です」
「なんだって?」
 奥から出て来た草間は、カードを受け取り開いた。そこには、こう書かれてあった。
『図書館の庭園の一画に、紫陽花の園を作りました。その花を愛でつつ、お茶をご一緒しませんか? どうぞ、お友達を連れておいで下さい。菓子などの持参も歓迎いたします。では、お待ちしています。  時空図書館管理人・三月うさぎ』
 それを読み下している草間に、零は期待に満ちた目を向ける。
「兄さん、皆さんをお誘いして、行きましょう。ね?」
 同意を求めるように言われて、彼は小さく肩をすくめた。雨のせいでか依頼も少なく、ここのところは暇だ。時空図書館で供されるお茶が美味なのは充分承知してもいた。暇な時に羽根を伸ばすのも、悪くはないだろう。
「そうだな、行ってみるか」
 答えて彼は、誘う人間のリストをさっそく頭の中で繰りながら、電話へと向かうのだった。

■紫陽花の園へ
 軽い浮遊感と眩暈が去った後、海原みたまはあたりを見回し、思わず小さな歓声を上げた。
 草間の事務所にいつの間にか届けられた紫陽花の花束とカード。そのカードを扉として彼女は時空図書館の庭園へと訪れていた。
 妻であり主婦であり傭兵でもある彼女は、二十二歳。長く艶やかな金髪とルビーのように赤い瞳の持ち主だった。今日は更に、フレアーの大きく効いた深紅のパーティドレスをまとい、手袋やヒールも同色でまとめている。手には、娘の作ったクッキーと日本茶の入った深紅の光沢のある紙で作られたペーパーバッグを下げていた。まさに、大輪の花とたとえてもいいような鮮やかな装いである。とても、中学生の子供がいるとは思えない。
 そこにいるのは、むろん彼女一人だけではない。草間と零の他に、同行者は四人。娘の友人の一人で草間の事務所で事務のアルバイトをしているシュライン・エマと、同じく娘の友人の一人で図書館司書の綾和泉汐耶、リンスター財閥総帥にして占い師のセレスティ・カーニンガム、そしてイフリートでフリーターのシオン・レ・ハイである。
 彼らも、弱視だというセレスティを別にして、皆あたりを見回し感嘆の声を上げている。が、それも無理はない。あたりは一面、紫陽花に埋め尽くされていたのだ。いったい、どれぐらいの広さがあるのだろうか。かなりの面積の中に、色とりどりの紫陽花が植えられている。あまりに大量にあるので、淡い紫色の霞としか見えないほどだ。その至る所では、噴水が細い水を吹き上げていて、地上から空に向かって雨が降っているのかと錯覚するほどだった。
 たしかにこれは、「紫陽花の園」に違いない。
(あの子から話は聞いてたけど……凄いわね。……いったい、どれだけの広さがあるの?)
 なんとなく呆然とその風景を見やりながら、彼女は胸に呟いた。
 背後をふり返れば、そこには人工のものらしい広い池が広がり、その中央には大理石の四阿(あずまや)が作られていた。池のほとりから四阿へは、移動のための小さな橋がかけられている。
 そのどこか絵のような風景にすっかり見入っていたみたまの耳に、セレスティがシュラインにここの様子を尋ねている声が聞こえて来た。
 二十代半ばとも見えるセレスティは、銀の髪と青い目に、男性とは思えない美貌とほっそりした体型の持ち主だった。本性は人魚だとかで、視力が弱く、足も弱い。今も片手にステッキを握り、それを支えにそこに立っていた。もう一方の手には、小さなクーラーバッグを下げている。
 一方のシュラインは、みたまより四つ年上の二十六だった。すらりとした長身の体にノースリーブの白いワンピースとサマーニットの白いカーディガンをまとい、いつも後ろで一つに束ねている長い黒髪は、珍しく背にそのまま流してあった。胸元には、いつもどおり薄い色のついたメガネが揺れている。手にはバスケットと、白い傘を下げていた。
 彼女が、セレスティに周囲の様子を説明している。
 みたまは、それを聞くともなしに聞きながら、再度あたりに視線を巡らせた。
 ややあって、橋を渡って、一人の青年が彼らの前に姿を現した。すらりとした体に白い中国風の衣装をゆったりとまとった二十代半ばとおぼしい青年である。薄紅色の髪の間からは、途中から羽根と化した耳が、まるで髪飾りのように覗いていた。赤い瞳は、光の加減によって髪と同じ薄紅色に見える。
 この青年こそが、世界中のどの場所・どの時間ともつながっていて、古今東西全ての書物が収められているといわれる時空図書館の管理人、三月うさぎだった。
「ようこそ、皆さん」
 やわらかく微笑んで彼らを出迎える三月うさぎに、代表して草間が口を開いた。
「紫陽花の園とはよく言ったものだな。……いったい、どれだけの紫陽花が植わってるんだ?」
「さあ、どれぐらいでしょうね。いろいろな種類や色がありますから、きっと充分楽しんでいただけますよ」
 答えて彼は、みたまたちを四阿の方に招いた。先に立って歩き出す草間に、みたまたちも続く。橋を渡りながら、彼女がふと後ろをふり返ると、シュラインがセレスティの肘に手を添え、ゆっくりと一緒に歩いているのが見えた。手を貸すべきかと一瞬考えるが、シュラインだけで充分そうだと見て取って、彼女は同行者たちに足並みをそろえた。

■水上の四阿
 四阿の中は、広々として風通しが良く、快適だった。
 中央に据えられた白い丸テーブルの上には薄紫色のテーブルクロスが掛けられ、紫陽花が生けられている。
 みたまは再び感嘆の思いで、あたりを見回す。四阿は上品にまとめられているために、一見質素なようだが、実は高価な材料が惜しげもなく使われていることに彼女は気づいたのだ。他の者たちも同様にあたりを見回している。それへ三月うさぎが、それぞれに席を勧めた。
 セレスティがホッとしたように手近の椅子に腰を降ろす。それを見やって、シュラインが持参して来たバスケットをテーブルの上に置いた。
「本日は、お招きいただいてありがとう。こっちは差し入れよ。それと、これは三月うさぎさんに」
 言って彼女は、同じく手にしていた傘をそちらに差し出した。
「私にですか?」
 三月うさぎが、幾分驚いたように目を見張る。そして、彼女が差し出した傘を受け取り、広げた。それは中国風の端の角張ったもので、しかも骨の先の部分にそれぞれ小さな玉飾りがついている。洒落た雰囲気で、彼にはよく似合っていた。
「似合うじゃない。なんだか、オリエンタル風ね」
 みたまは、思わずそう声を上げた。
「それはどうも。……シュラインさんも、ありがとうございます。遠慮なくいただいておきますよ」
 言って傘を閉じる三月うさぎに、みたまも手にしていた深紅のペーパーバッグをテーブルに置いた。
「こっちは私からよ。娘の手作りのクッキーと、日本茶。……今日は、娘の代理で来たのよ。また、妙な所に飛ばされると困るってあの子が言うんでね。よろしくって言ってたわよ」
 告げた言葉に嘘はない。
 彼女の娘は、以前ここのお茶会に誘われて参加したのだが、人魚の末裔だったためかどうか、ここのセキュリティに引っかかり、同じ時空図書館内ではあるが、まったく別の場所へ飛ばされてしまったのだった。ちなみに、みたま自身も人魚の血を引いている。が、娘ほどその血は濃く出ていないため、本日はその代理として手作りクッキーと日本茶を預かり、こうして参加したのだった。
「ああ……」
 三月うさぎは、彼女の言う「娘」が誰なのかに思い当たったのか、小さくうなずいた。
「あれから、セキュリティを少し調整しましたのでね。今度いらして下さる時には、きっと弾かれることはないと思いますよ。娘さんには、そうお伝え下さい」
「ふうん。……まあ、伝えておくわ」
 みたまは、なんとなく信用できないと彼を見やって、それでもそう答える。
 二人の話が終わるのを待っていたのだろう。セレスティが、椅子に座したまま、手にしていた小さなクーラーバッグをテーブルの上に乗せて言った。
「私も、スィーツを用意して来ました。どうぞ、みなさんで召し上がって下さい」
「あ……。私も」
 シオンが、慌てて手にしていた紙袋を差し出す。
 彼は、一見すると四十前後だろうか。長く伸ばした黒髪を後ろで束ね、鼻の下と顎にも髭をたくわえていた。長身でがっしりした体には、シルクのシャツとソフトスーツをまとっている。十九世紀の貴族といった風情だが、なんとなく胡散臭い雰囲気も漂っていた。もっとも、彼の物腰は礼儀正しく、外見ほど胡散臭い人物でもないようだった。
「私も、持って来ました」
 零も言って、こちらも小さなクーラーバッグを差し出した。
「これはこれは。どんなお菓子だか、楽しみですね」
 三月うさぎは微笑みと共に言って、いつの間にかやって来ていた翡翠色の髪と目の女たちに、それらをテーブルに並べるように命じる。女たちは、一旦彼らが持参したものを全て手にして、そこから運び去った。
 それを見送り、改めて三月うさぎがみたまたちに椅子を勧める。すでに座しているセレスティ以外の者も、それぞれ腰を降ろした。
 そんな中、汐耶が幾分バツが悪そうな顔で口を開く。
「すみません……。私だけ、何も用意してなくて。急なお話だったものですから」
 彼女は、みなもより一つ年上の二十三だという。長身の体に濃紺のパンツスーツをまとい、短い黒髪と涼しげな青い瞳にメガネというその姿は、どこか青年のようにも見える。
 彼女の言葉に、慌てたように横から零が口を挟んだ。
「そうなんです。汐耶さんは、本を届けに来て下さったんですけど、それを私が無理にお誘いしたんです」
「気にすることはありませんよ。こちらでも、菓子は用意していますし。カードにあんなふうに書いたのは、以前持参していただいたのが、思いのほか美味しかったのに味をしめてしまったから、だけですからね」
 言って、三月うさぎは笑った。
 ほどなく、翡翠色の髪の女たちが、銀のワゴンで紅茶や菓子類を次々と運んで来る。むろん、みたまたちが持参したものも、一緒にテーブルに並べられた。
 ちなみに、他の者たちが持参したものは――シュラインのは、ロールケーキだった。その切り口からは、白い生クリームと紫と赤と白の小さな四角いゼリーらしいものが覗き、まるで紫陽花のようだ。セレスティのは、フルーツゼリーとムースが二層になったスィーツだった。これは、一つずつ小さな透明の器に入っていた。シオンのはホットケーキだった。中央に愛らしい兎の焼き目が入っている。零のは、枇杷のシャーベットだった。
 対して、三月うさぎが用意していたのは、アップルバナナブレッドと紅茶のティラミスだった。ティラミスは、セレスティのスィーツ同様に小さな器に入っている。
 みたまが持って来たクッキーも皿に盛られてテーブルに並んでいたが、日本茶は後で出すつもりなのか、そこにはなかった。
 紅茶はダージリンだろうか。なんとも深い味わいがあって、みたまは一口飲んで思わず溜息を漏らした。
(美味しい……。たしかに、このお茶だけでも充分ここに来る価値があるわね)
 胸に呟き、彼女はゆっくりとそれを味わう。そして、今度は女たちに取り分けてもらった菓子にも手を伸ばした。彼女がもらったのは、セレスティのスィーツと零の枇杷のシャーベット、それにアップルバナナブレッドだった。むろん、後で他のものも味見するつもりではある。
 味はどれもなかなかのものだった。スィーツはフルーツゼリーとムースの食感が、口の中で不思議な味わいをかもし出し、枇杷のシャーベットはほどよい甘さが紅茶とよく合っていた。アップルバナナブレッドは、リンゴとバナナ、それにほのかに香るラム酒の風味がなんともいえない。
 みたまはそれらを口に運びながら、いったいどうやったらこんなものが作れるのだろうと密かに感心していた。
 小さいころから傭兵稼業に従事して来たせいで、戦闘能力はかなりのレベルに達している彼女だが、一方の妻として主婦としてのレベルは哀しいほどに低い。
 主婦の腕の見せどころであるはずの料理の腕前も当然ながら低く、今では娘の方がレベルは上かもしれなかった。たいていは海外の戦場で日々を送っている彼女も、たまに帰国すると娘と一緒に料理や菓子を作ることがある。が、レシピを娘が表にして逐一説明してくれても、どうにもまともなものができたためしがないのだ。
 そんな彼女にとって、今テーブルの上に並べられた菓子の数々はどれも、まさに神秘の輝きさえ放っているように見えた。
 ひたすら感心しながら菓子を口にしている彼女の耳に、セレスティが三月うさぎに訊いている声が聞こえて来た。
「なかなか素晴らしい味わいですが……これらは、どちらで?」
「インドの奥地の村でしか採れない茶葉を、ここの庭園で育てたものですよ」
 三月うさぎの答えに、セレスティが青い目を見張るのが見えた。なんとなく耳をそばだてていたみたまも、驚いて思わず自分のカップを見やる。茶葉を自分の庭で作るなどということが、できるものなのだろうか。
「ここで育てているのですか?」
 セレスティも、思わずというように問い返している。しかし三月うさぎは、平然とうなずいた。
「ええ。……ご案内したいところですが、この園からでは少し遠いので。興味があれば、今度はそちらへご招待しますよ」
「機会があれば、お願いします」
 セレスティが、うなずき返す。
 そのやりとりを聞きながらみたまは、改めてここはいったいどのぐらいの広さがあるのだろうかと考える。娘から聞かされた話の内容だけでも、ずいぶんと広大な敷地を持っているらしいことはわかるが、実際に目にすると更に途方もなく感じられる。
(……尋常な空間じゃないことだけは、たしかなようね)
 低く胸に呟いて、彼女は小さく吐息をついた。
 そうこうするうち、紅茶と菓子を堪能したらしいシュラインが、この園を一巡りして来ると言って立ち上がった。別館で本物の書物を見せてもらってもいいかと尋ねる彼女に、三月うさぎは快く承諾を与えている。そして、ついでのように彼は、草間に一緒に行ってはどうかと言い出した。
 言われて草間は少し考えていたが、結局承知して、シュラインと二人で四阿を出て行った。
 それを見送り、みたまは自分はどうしようかと考える。個人的なお茶会になど呼ばれるのは初めてのことなので、今一つ勝手がわからない。
 隣の席では、彼女同様初めてここへ来るらしいシオンが、三月うさぎに図書館の蔵書について尋ねていた。
 三月うさぎは、問われて丁寧にこの図書館の蔵書について説明している。すなわち、時空図書館の本館には、古今東西のあらゆる書物が収められているが、それは図書館に迷い込んだ人間の望むとおりのもの――つまりは、想像の産物でしかないのだということを。そして、そんな中、シュラインが向かった別館だけは、「本物の書物」を収蔵している場所なのだと。
 そのあたりのことは、娘の話にもあったが、みたまは興味深く三月うさぎの説明を聞いた。質問した当人のシオンと、セレスティもやはり熱心に耳を傾けている。
 一方、汐耶は零と紫陽花の園をシュラインたちとは別ルートで回る相談をしているようだ。三月うさぎはシオンに蔵書に興味があるなら、シュラインたちの後を追ってみてはどうかと勧めたが、彼は結局、汐耶と零の二人と共に紫陽花を見て回る方を選んだ。
 彼らが四阿を出て行くと、後はみたまとセレスティ、そして三月うさぎの三人だけになる。
「セレスティは、紫陽花を見て回らないの?」
 中身がほとんどなくなったカップを置いて、みたまは向かいに座すセレスティに尋ねた。
「ええ。……ステッキだけでは、長時間歩行するのは無理ですし、強い日射しも辛いですからね」
 うなずく彼に、みたまはなるほどとうなずく。同じ人魚の性を持つ者とはいえ、彼のようにまったく人間の血が混じっていない者には、たしかに地上は辛いだろう。
「みたまさんこそ、紫陽花を見に行かないんですか?」
 問い返されて、みたまは肩をすくめる。
「そうね。一人で回るのはつまらないから、やめておくわ。ここからでも、充分眺められるし」
 言って、彼女は紫陽花に目を遊ばせている三月うさぎの方をふり返った。
 以前、娘にここでの話を聞いて以来、どうしてもしたかったことの許可を求めるために、口を開く。
「ねぇ、三月うさぎ。私、一つ許可をもらいたいことがあるんだけど。……ここには、以前私の娘が来た時、あの子を襲った奴がいるのよねぇ? そいつを虐めたいのよ。もちろん、理由は単なる私怨。報復というやつね。だめかしら?」
「それは、困りましたね。彼らは、自分の務めを果たしただけですし……」
 三月うさぎは、面白そうに言って、少しだけ考えるそぶりをした。が、すぐにうなずく。
「わかりました。いいでしょう。ただし、あなたがガーディアンたちの中から、娘さんを襲った者を見分けることができたら、ですが。それと、そのスカートの中に隠しているぶっそうなものをここでは使わないと約束して下さいますか? そんなものを使われたら、ここは内側から崩壊してしまいかねませんからね」
 言われてみたまは、軽く瞠目した。彼が指摘したとおり、彼女はスカートの中に携帯用対戦車ライフルと、同じく携帯用の重火器を忍ばせていた。どちらも外観は小さいが、威力は抜群の代物だ。
 しかし、彼女の驚きはすぐに去る。悪びれもせず、肩をすくめて言った。
「ここが壊れるかもしれないと言われては、使うわけにはいかないわね。でも、せっかく持って来たこれがだめなら、どうやって、そいつを虐めたらいいのよ?」
「これをお貸ししますよ」
 三月うさぎは言って、いったいどこから取り出したのか、テーブルの上に太い腕輪のようなものを置いた。みたまはわずかに眉をひそめてそれを取り上げる。ずっしりと重い。
「ふうん」
 彼女は、しげしげとそれを見やった。戦場で培った経験を直感にまで高めて、どんな道具でも使用することのできる彼女には、これもこうして眺めただけで、だいたいの使い方は理解できる。
「わかったわ。ありがたく借りることにするわ」
 うなずいて、彼女はそれを左手の手首にはめた。
 三月うさぎは、それへもう一つ、今度はトランプ大のカードを差し出した。
「もしよろしかったら、これもお持ち下さい。封印のカードです。外から来た方に簡単に傷つけられてしまうようなガーディアンなど、いりませんのでね。傷つけ、従えることができるのなら、そのカードに封じて持ち帰られてけっこうですよ」
 そう言う三月うさぎの目は、幾分挑発的な笑みを浮べていた。時空図書館の外から来た人間などに、ここのガーディアンを傷つけることはおろか、個々の識別さえできるはずはないと考えているらしいのが、ありありとわかる。
 みたまは、金色の美しい眉を軽く上げて、赤い瞳で嘲笑するかのように彼を見返した。ルビーのごとき瞳の奥に、小さな炎がともる。
 それを見やって、三月うさぎは薄く笑った。
「ガーディアンたちは、翡翠色の小道をたどった先にある、翡翠色の小館にいますよ。どうぞ、ご武運を」
 が、彼女は、それに言葉を返すこともせず、封印のカードをさらうようにして受け取ると、背を向けた。そのまま、ヒールの音も高らかに、四阿を後にする。

■翡翠色の小館
 そして。
 みたまは先程から、翡翠色の髪と目をした、三月うさぎそっくりの青年と戦い続けていた。
 四阿を出た彼女は、三月うさぎに言われたとおり、紫陽花の園の中に作られた翡翠色の小道をたどった。その園の中には、いくつかの小道が作られ、それは病院や役所のように行き先によって色分けされているらしかった。
 あたりには、色とりどりの紫陽花が見事に咲き競っていたが、闘志を燃やす彼女の目には、それもろくに入ってはいないようだった。
 そうやって進むうち、次第に紫陽花は少なくなり、かわりに周囲には見たこともないような翡翠色の不思議な花が姿を現し始めた。やがて花は木になり、そうして彼女は翡翠色の木々に囲まれた森へと足を踏み入れていた。
 さすがの彼女も、不思議な光景に目を見張り、あたりを見回しながら歩く。
 その目の前に、やがて現れたのが、翡翠色の小館だった。
 もっともその建物は、外観はたしかに館だが、中はまるで倉庫のようだった。だだっぴろい翡翠色の空間に、何体もの翡翠色の髪をした青年たちがロッカーのような箱に直立不動の姿勢で入って並んでいるのだ。それらの目は全て閉じているが、顔立ちはどれも三月うさぎにそっくりだった。
(何これ。……気持ち悪いわね)
 見るなり、みたまは眉をひそめて胸に呟いた。まるで、三月うさぎのクローンかロボットのようだとふと思う。が、彼女はすぐにそんなことを考えている場合ではないのだと、自分で自分を叱咤した。娘を襲った奴を、この中から探さないといけないのだ。とはいえ、これだけそっくりでは固体識別などできるはずがない。その上、彼女の娘は襲われた時、相手に傷を負わせたりはしていない。ますます手掛かりはなかった。
(ここは、直感に頼るしかないわね。三月うさぎは、こいつらをガーディアンって呼んでたし……つまりは警備ロボットのようなものよね。それなら……)
 彼女は、一体一体をじっくりと観察して回りはじめた。
 そうして「これだ」と確信した一体に、三月うさぎに借りた武器で攻撃をしかけたのだが――さすがに相手も、この図書館のセキュリティを任されている存在だけはある。そう簡単には倒されてくれなかった。
 ふいに動き出したそのガーディアンは、彼女の攻撃をよけると、そのまま部屋の中央の少し広くなった場所へと踊り出た。
 それから彼女とガーディアンは、ずっと戦い続けている。みたまの感覚では、もう三十分以上は経過しているだろう。彼女が三月うさぎからもらった腕輪は、中央の飾りの部分から、銛状のレーザーのようなものを発射できるようになっていた。ただしこれは、どうやら当たっても傷を負うのはこのガーディアンだけらしい。更に、同じ飾りの部分から、レーザーでできた剣のようなものを引き出すことができるようになっており、彼女は今、それを右手にかまえてガーディアンと戦っていた。
 対するガーディアンは素手だったが、その両手からは電撃を放って来る。これも、あたりには影響を与えないもののようだ。が、おそらく当たればみたまはダメージを食らうに違いない。
(せっかく用意したパーティドレスを、だめにしたら、承知しないからね!)
 彼女は、打ち出された電撃を素早くかわしながら、幾分方向違いのことを胸に叫んだ。再度、ガーディアンが電撃を撃って来る。それに向かって、彼女はとっさに腕輪をはめた左手を掲げた。途端、腕輪の飾りの部分がまばゆく輝き、円形に光の膜が楯のように広がる。
 電撃は、その楯にはじかれて、そのまま真っ直ぐにガーディアンに返って行った。
「ギャッ!」
 獣じみた叫びを上げて、ガーディアンがもんどり打って倒れる。みたまは、その喉元へ手にした剣の切っ先を突きつけた。
「私の勝ちね」
 艶やかな笑みを浮べて宣言する彼女の目は、身にまとったドレスと同じく深紅に燃え上がり、乱れた金髪はまるで獅子のたてがみのようだった。相手が人間ならば、己を見下ろす彼女のその姿に、感嘆の溜息ぐらいはこぼしそうな光景だ。が、ガーディアンはただ無感動な翡翠色の目で彼女を見上げているばかりである。
 彼女はそれを見やって、小さく肩をすくめた。そして、三月うさぎから渡された封印のカードをその額に向けて投げた。と、まるでそこに刺さるべき切れ目があったかのように、カードはガーディアンの額に突き刺さる。
『かーど・ますたーノIDトシテ登録者サレル名前ヲドウゾ』
 ふいに、彼女の脳裏にそんな声が響く。
「海原みたま」
 彼女はしかし、平然と答えた。
『ぱすわーどヲ決メテ下サイ』
「開けゴマ」
 再度問われて少し考え、彼女は告げる。
『かーど・ますたーノ登録ヲ完了シマシタ。コノ固体ヲ封印シマス』
 また声がして、カードが一瞬輝くと、倒れたガーディアンはその中へと吸い込まれて消えた。

■賑やかにお茶を
 みたまがガーディアンを封印して、元の四阿へと戻った時には、すでに他の者も顔をそろえていた。もっとも、彼女も帰りはさすがに周囲に目をやる余裕があったので、紫陽花を堪能することもできたのだが。
 彼女は、意気揚々とした足取りで三月うさぎの傍まで行くと、手にしていた封印のカードを見せる。
「少し虐めさせてもらって、言われたとおり、封印したわ。面白い武器になりそうだから、もらって帰るわ。それと、こっちは返すわね」
 言って彼女は、例の腕輪のようなものをはずして、テーブルに置いた。
「それはそれは。……傭兵というのも、伊達ではありませんね」
 三月うさぎは、軽く目を見張って、感心したように答える。その目の中に、本物の感嘆の色を見て取って、みたまは三月うさぎにだけわかるように、小さく目元で笑い返した。
 そこへ、ちょうどおりよく新しいお茶が運ばれて来た。それを見て初めて彼女は、自分の喉がからからだということに気づく。
「あら、うれしい。ちょうど喉が乾いていたのよ」
 言って彼女は、自分の席に腰を降ろした。そうして初めて、見たことのない顔が混じっているのに気づく。二十七、八歳ぐらいのおちついた雰囲気のある青年だった。
 青年が声をかけて来たので、挨拶を交わす。彼は、三月うさぎの友人で妹尾静流だと名乗った。
 そんな彼女たちの前に、翡翠色の髪と目の女たちが、次々と日本茶の入った茶器を並べて行く。それは、みたまが娘に預かって持参したものだった。緑茶に玄米茶をプラスしたものだ。
 彼女は茶器を手に取ると、一息に中身を飲んだ。本気で喉が乾いていたのだ。半分ほど飲んだところでやっと茶器を置いて、新たに菓子を取り分けてもらう。菓子類には、日本茶に合うようにとの配慮なのか、葛餅が加えられていた。彼女はそれとロールケーキとホットケーキ、自分が持って来たクッキーを取ってもらった。喉の乾きが満たされてみると、実は空腹でもあったらしいと気づいたためだ。
(軽く運動したんだから、空腹は当然だわね)
 そんなことを胸に呟き、さっそくロールケーキを口に運ぶ。
 彼女がそれを半分ほどたいらげたところで、シオンが慌てたように三月うさぎに切り出した。
「すみません。こちらに出されたのや、皆さんが持参したお菓子ですが、残ったら、いただいて帰ってもいいですか?」
「私はかまいませんよ。他の皆さんは、いかがですか?」
 三月うさぎは、にこやかに答えて他の者たちにも問う。みたまは、むろん否やはなかったので、快く承諾した。他の者たちも同様だ。シオンは安堵したように一人一人に礼を言ってから、自分の前に取り分けられた菓子に手を伸ばす。
 次に口を開いたのは、汐耶だった。
「三月うさぎさん、ここで出されるお菓子は、皆手作りなんですよね? 洋菓子作りのコツってあるんですか?」
 そう問うた彼女は、どういうわけか、最初に着ていたパンツスーツから、白いフレンチスリーブのワンピースに着替えている。彼女の隣の零も同じ服装だ。
(何かあったのかしら?)
 みたまは、思わず首をかしげたが、洋菓子といわず菓子の作り方のコツならば、ぜひ自分も聞いて帰りたいと思ったので、口を挟むことなく、三月うさぎの答えを待つ。
「洋菓子作りのコツですか……。それは難しい質問ですね」
 しかし三月うさぎはそう言って、問うように静流の方を見やった。取り分けてもらったフルーツゼリーとムースのスィーツの器を取り上げながら、静流は少し考え、口を開く。
「洋菓子と一口に言っても、種類はいろいろですから、作り方のコツはそれぞれ違うと思います。ただ、全体として言えることは、細部まで手を抜かず丁寧に、細かい作業を一つ一つきっちりこなすことですね」
 彼の言葉を頭の隅にメモしながら、みたまはそれがコツ? とわずかに眉をひそめる。
 一方汐耶も、もう少し具体的なことを聞きたかったらしく、言った。
「なんとなくわかるけれど……本のとおりに作っても何か物足りなくなってしまうのは、なぜかしら。私は、そういうことが多くて、それで洋菓子作りは苦手なんだけど」
「それはきっと、慣れの問題ですね」
 静流は、笑って言った。
「苦手だと思うことは、あまりやろうとしませんから、それでよけいに苦手になってしまうんじゃないかと思います。だから、失敗してもかまわないぐらいの気持ちで、何度でもチャレンジすることがうまく作れるようになる秘訣ですよ」
 それを聞いてみたまは、なるほどと胸にうなずく。たしかに、武器の扱いなどでもそのとおりだ。訓練では、苦手なものほど失敗を恐れず何度でも使ってみる必要がある。ただし、武器の場合は、失敗は命を奪う危険も伴ってはいるが。
 にしてもこの青年、男性なのにお菓子作りが得意なのだろうかと、彼女は思わず首をかしげる。
 汐耶も、同じことを思ったらしい。やはり小さく首をかしげて訊いた。
「ずいぶんと詳しいけれど……妹尾さんもお菓子を作るんですか?」
「今日ここで出した菓子は、静流からの差し入れですよ。葛餅は、日本茶に合うようにと、以前彼にもらったレシピでヒスイたちに作らせたものですけれどもね」
 今度は三月うさぎが、苦笑と共に告げる。「ヒスイ」というのは、あの翡翠色の髪と目の女たちのことだろう。思いがけない答えに、汐耶が軽く目を見張った。みたまも同じく瞠目する。思わず、テーブルの上のティラミスとアップルバナナブレッドを見やる。その絶妙の味を思い出し、彼女は低くうなった。
(主婦でもないのに、どうしてあんなに美味しいものが作れるの?)
 思わず胸の中で叫び、彼女は帰ったら妻と主婦のレベルを上げるべく、特訓することを誓うのだった。

■エンディング
 みたまたちが、草間興信所に戻った時には、すでにあたりは真っ暗になっていた。
 あちらは、いつまで経っても空は明るく日が沈む気配もなかったのにと、みたまは驚く。が、満足してもいた。
 他の同行者たちと別れて家路をたどる彼女の足取りは軽い。
 自分がはたして、お茶会の作法をちゃんと守れていたかどうかは謎だが、とりあえず娘への土産話はたくさんできた。新しく珍しい武器も手に入れたし、お茶もお菓子も美味しかった。自分が持参したものも評判が良かったようだし、ほくほくである。
(ただ一つ問題があるとすれば、課題ができたってことだけね)
 ふと胸に呟き、彼女は思わず大きく溜息をついた。とりあえず、簡単なものから挑戦してみようとは思うが、はたして、次に日本を発つまでに、いったいどれだけの妻・主婦レベルのアップができるだろうか。何やら、道程は果てしなく遠い気がする。
(弱気になっちゃいけないわ。私には、戦場で培った直観力があるじゃないの! それを駆使して、がんばるのよ!)
 思わず小さく拳を握りしめて胸に叫びつつ、彼女は愛する家族の待つ自宅への道を足早にたどるのだった――。

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1685 /海原みたま /女性 /22歳 /奥さん兼主婦兼傭兵】
【3356 /シオン・レ・ハイ /男性 /42歳 /びんぼーEfreet】
【1883 /セレスティ・カーニンガム /男性 /725歳 /財閥総帥・占い師・水霊使い】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員(バイト)】
【1449 /綾和泉汐耶 /女性 /23歳 /都立図書館司書】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

ライターの織人文です。
私の調査依頼に参加いただき、ありがとうございます。
6月→梅雨→紫陽花、という発想で、紫陽花と噴水といった舞台を考えてみました。
皆さんに、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

●海原みたまさま
はじめまして。
参加いただき、ありがとうございます。
娘さんたちにも、お世話になっております。
さて、ご希望どおり私怨も晴らせたかと思いますが(笑)、
いかがだったでしょうか。
またの機会がありましたら、よろしくお願いします。