コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


プレゼント・デート




 バニラエッセンスの甘い匂いが台所に広がる。
 胸一杯に吸い込むと、優しい気持ちになれる香り。
 期待感も包み込んで、出来上がったクッキーを眺める。
 ――うん、良い出来。

 お父さんは喜んでくれるのかなぁ。

 六月に入ってから、ずっと悩んでいたプレゼントの中身。ネクタイにしようと思って、デパートで買ったはいいものの、何だか物足りない。
 ネクタイはあたしが作ったものじゃない、ただ選んだだけ――ネクタイって選び辛くて、最終的に購入したものはありふれた柄になってしまったから、自信もない。もっと心を込めたもので、喜んでもらえるものをあげたいと思っていた。
 出来れば、手作り出来るもの。
 ――そうだ、クッキーがいい!
 唐突に浮かんだアイディアに、あたしは飛びついた。でも、何のクッキーにすればいいのか。
(どんなのがあったかなぁ?)
 ――シナモンクッキーとか、チョコレートクッキーとか……。
(中にこだわるのもいいかも)
 ――胡桃を入れたり、チョコチップ……は、子供っぽいかな? 大人向けならレーズンだけど、嫌いな人も多いし……。
 お菓子関係の雑誌をパラパラとめくって、クッキー特集を探し出す。短時間で出来る簡単なクッキーから、生地を一旦冷やすものなど、あたしの知らないものもある。
「ブランデークッキー? いいかもっ」
 大人っぽくなるし、香りも良さそう。あたしからすれば、背伸びしたお菓子でも、お父さんには合いそうだ。
(あとは、最初に思いついたのを作ったりして……)
 何種類か作って、可愛くラッピングしよう。
 頭の中で話が進んでいくにつれ、まるでもうプレゼントが出来上がったことのように、嬉しくなった。材料の購入リストを今のうちに作っておかないと、明るい気分のまま忘れてしまいそうなくらいだ。

 ……ラッピングしたクッキーは、お店のものと遜色なく見えた。
 あたしが作ったのだと思うと、嬉しくて、口元が緩んでしまうくらい。ネクタイだけにしなくて正解だった。
(早く渡したいな)
 一日おいたってクッキーは美味しいけど、作り手としてはすぐにでも渡して反応が見たい。
 ――今すぐに会いたいけど――

「その顔だと、クッキー作りは上手くいったみたいねぇ」
 台所に来るなり、お母さんは言った。
「旦那様は仏領ギアナにいるわ」
「……うん」
 そう、お父さんはお仕事中なのだ。
(仕方ないもん)
「きっと、すぐ帰ってきてくれるよね」
「あら、どうして行かないの?」
「え? だって…………邪魔じゃない?」
「まさか。みなもが来るのを、待っているわよ」
「本当に?」
 心配性ね、とお母さんは笑った。嘘をつくメリットがないわよ?

 それじゃあ、行っちゃおうか。

 荷物はお母さんが事前に用意してくれていた。飛行機のチケットもある。
 すぐにでも出かけたいあたしには、とても嬉しかった。
 自分も行きたいと駄々をこねると思っていた妹は、全く文句を口にしなかった。妹としては、お母さんと二人でお留守番をすることに胸を弾ませていたのかもしれない。家族全員が揃うのもいいけど、母子や父子二人で過ごすというのもいつもと違う感じで良い。後者は少しうしろめたい気持ちがある、それでいて楽しくってたまらないのだ。
 可愛い我侭のかわりに妹は、あたしにお守りをくれた。幸運に恵まれるようにと。


 お父さんは空港まで迎えに来てくれていた。
「おとーさんっ」
 駆け寄って、抱きついて。腕を広げたお父さんの姿がちらりと見えて、その後は近寄りすぎたために、服の色だけが視界に広がった。
 お父さんは私服だった。半分安心して、半分残念に思う。私服じゃなかったら、購入したネクタイが似合うかどうか頭の中で合わせてみて――喜ぶか、他の柄にすればよかったと落ち込んでいるところだ。
(これじゃあ、わからないなぁ)
 せめて全体で捉えて考えようか。背中にひっつけた手はそのまま、身体だけ離して、お父さんを見る。
 するとお父さんは慌てて、
「……今は雨季なんだ」
 と言った。
 ――確かに、お父さんの服は濡れていた。それをあたしが不審に思ったか嫌がったのだろうと、勘違いしたらしい。
 あたしは全然気にしていなかったから、おかしくなった。
「傘を買えば良かったのに」
「買おうと思ったときには、もう遅かった」
 お父さんは真面目な口調で言う。
 つられて、あたしも天候が心配になってきた。土砂降りだと出かけられない。
「どのくらい降っているの?」
「いや、もう止んでいるよ。みなものお陰――かもしれない」
「……だと嬉しいな」
 もう一度、顔をお父さんの服にくっつける。

 湿った空気を吸い込んで、

「お父さんにね、プレゼントがあるの」
 好みがわからなかったんだけど、とネクタイを渡し、クッキーを渡す。
 お父さんが包みを開けてクッキーをかじるまでの時間――たった十秒ほどのことなのに、一分くらいに感じられた。その間大きく吸った息をとめていたから、胸がズキンと煩く鳴った。
「………………………………うまい」
 一個のクッキーが、瞬く間にお父さんの口の中に収まる。もう一つ取り出し、それも口の中へ。
 さらに一個、と出したクッキーを、お父さんはあたしの口に入れた。
 ブランデーの匂いが、鼻から喉へと流れていく。
 確認するように、お父さんの手があたしの耳たぶにふれ、もう片方の手があたしの頭をなでた。

「みなも、デートしようか」

 ――デートってどんな風に?
 あたしの疑問に、お父さんは自分でも首を傾げていた。
「そうだな。例えば……手を繋いで、滝を見に行く」


 上の部分が平らになっている、テーブルマウンテンと呼ばれる山を登る。ロープウェイを利用したから、それほど辛くはない。
 左手を前に伸ばして、指先だけお父さんの指と絡めていた。汗ばみ始めた指同士が、二人を一本の糸として繋いでいる。
 ――雨のあとの空は、薄青く、その上に白くて薄い雲がカーテンのように広がっている。風が吹くと雲は速いスピードで動き、また自らもオーロラのごとく身体を揺らせてみせた。
「空が近いの」
「雲が降りてきているんだ」
「手を伸ばしたら、届きそう……」
 離した左手を空へと伸ばしかけたところで、お父さんの手があたしをつかんだ。
「雲にさらわれてしまうかもしれない」
 湿気を含んだ風が顔をなでた。

 雨が滝になる。
 耳を塞いでしまうほどの涼しげな音、零れた光かと思うほどに輝いた飛沫。視界にちらほら見られる緑と混ざって、クレヨンを指につけて紙に伸ばすような、力強い色合いをしている。
「もっと有名な滝があるんだが、そこへ連れていけば良かったかな」
「ううん、ここで充分! 綺麗すぎるくらい……」
「そうかい?」
 お父さんは滝の右端――虹色の花が咲いているのを指し示した。
「虹色なんて、珍しいね」
「そう思うだろう?」
 ――あの花の色には、言い伝えがあるんだ。
「羽をつけたLという女があそこへ向かって飛び降りた」
 ――ここは空と地の境界線の位置にあたるから、彼女は空と地を間違えたんだね。
「事実、Lは空へ飛んだつもりだった。結果、羽は地に奪われ、それを飲み込んだ花は虹色になった」
「羽をなくして、その人はどうなったの?」
「ヒトになった。今も生きている」


“花を探している”
 それが今日のお仕事なのだと、お父さんはあたしに説明してくれた。
 この山にある筈だと。
「ねぇ、もしかして――あれじゃない?」
 直感で、これではと思う花があった。
 繋いだ手を握り締めて、ひっぱって。
「早く、ね、早くっ」
 窪んだ大地に咲いているのは、白い花。一つ一つは小指の爪ほどの小さな花が、いくつも咲き誇って、白い世界を平べったく創り出していた。
「……痛いだろうけど、ごめんね」
 何本か取って、お父さんに見せた。
「それだ!」
 普段聞かないような、弾みをつけた声を出すお父さん。
「よく見つけられたね」
「うん。妹にもらったお守りのお陰かな」
「――お守りと、みなものお陰だ」
 お父さんは、あたしと繋いだ手を空にかかげた。


 繋いだ手を離したのは、飛行機の中で眠ってしまっていたとき。
 気が付いて寂しくなって、寝息をたてているお父さんの手を、再度繋いだ。
 淡く良い夢をみられるように、の、おまじない。

 出来れば、優しい夢を。





終。