|
誰にも言えない朝の事
何時もと変わらぬ朝。
けれど何か楽しい事が起こりそうな……そんな予感。
ただの感に過ぎないが、楽しそうな事に関してはモーリスの感はとても良く当たるのだ。
澄んだ空気の中。
何時も通りモーリスが屋敷の中を回っている最中、気付いた事が一つ。
普段なら見える顔ぶれが一人ばかりたりないような……ポッカリと穴が開いたような気配。
それが何かはすぐに気付いた。
「モーリスさん。おはようございます」
「おはようございます」
声をかけてきた使用人の一人に挨拶を返すと、尋ねたかっただろう話を切り出す。
「兎月君を見ませんでしたでしょうか? 今朝はまだ姿を見ていないもので」
「いえ、私もまだですが……確かに少し珍しいですね」
モーリスが感じ取ったのはこれだったのだ。
兎月は何時もなら朝早くから起きている。
それに真面目な彼のことだから、なにも言わずに居なくなる事も考えられない。
ここは何かあったと考えるのが普通だろう。
「何か用事でも?」
「急ぎではないのですが、気になったものですから」
「解りました。それでは私も見つけたら声をかけておきますね」
「お願いします」
軽く会釈をしてその場を離れる。
さて、どうしたものかと思いながら通路に飾られている花々や花器を眺めながら。その中の一本を手に取り、数多くある花瓶を見ながら考え込み始めた。
それほど大げさな事ではなかったが、この予測が当たっているなら楽しいだろうと言う事が浮かんだのだ。
兎月の本性故の連想。
何かの切っ掛けで、元の姿に戻っているのではないか。
「まさかねぇ……」
口ではささやかに否定しながら、内心では楽しみにすらしている。
「確かめに行ってみましょうか」
花を花瓶に戻し、モーリスは兎月の様子を確かめに向かった。
別棟となっている兎月の部屋を前で足を止め、ノックを二度。
返事はない。
「失礼します」
きちんと断ってから扉を開く。
綺麗に片づけられた部屋にも、ベットにも兎月の姿はない。
ただ、床にポツンとあるのは一枚の絵皿。
白地に藍で描かれた月を見上げる兔の絵。
「ああ……」
どうやらモーリスの予感は当たっていたようだ。
この絵皿こそが兎月の本性。
何かの拍子に戻ってしまったのだろう。
僅かな欠けがその証拠。
「寝相悪いんでしょうか?」
クスクスと笑いながら浮かんだのはあまりにもリアルな想像。
寝返りを打ち、ベットの端のとてもバランスの悪い所でお皿に変化して落ちてしまった……おおむねそんな所だろう。
「何時までもこのままでは可哀相ですからね」
絵皿をそっと撫で、モーリスは自らの力を使い絵皿の欠けを綺麗に直す。
「これで大丈夫でしょう」
人の姿に戻した兎月は、まだ状況が良く理解できていないようだった。
「えっ、あ……おはようございます。モーリスさん。どうしてここに?」
ベットに腰掛けたままの兎月の手を取り、緑の瞳を輝かせる。
「怪我をしていたようだったので、たった今直した所だったんですよ」
「そうだったのですか、ありがとうございます」
「ええ、ですからお礼を貰わないとなりませんよね」
指先に軽く口付け手もなお、何かなんだかよく解っていないようだった。
「……はい?」
首を傾げた兎月に視線を合わせ、華やかに微笑む。
「いただきます」
「えっ?」
口付けた指を口に含み、指の付け根から指の先、果ては爪の形までを確認するかの様な動きでゆっくりと舌を絡めていく。
何かを確認するかのような動きは、体の芯からくすぶるように火を付け煽る。
「……っ、モーリスさん?」
「どうかしましたか?」
話をするために指は僅かに解放されたが、腕はつかまれたままだ。
引きかけた手を握り直すとその指先が僅かにピクリと跳ねる。
「大丈夫ですよ。何も、怖くなんかありませんから」
目をのぞき込むように微笑み、滑るような動きで肩に手を置き力を掛けるだけで……いとも容易く兎月をベットに横たわらせる事が出来てしまう。
素直なだけあってここまではとても容易かった。
だが表情だけは目まぐるしく変わっていて、とても微笑ましい。
「モーリスさん……? ええと……今、朝ですよ」
「そうですね」
「今から寝るんですか?」
「そう言う事になりますね」
微妙に咬み合わない会話。
兎月にとっては言葉通りの意味で、モーリスからすれば少しばかり違う物を含んだ言葉だ。
スルと自らのネクタイに手をかけるとようやく兎月がようやく眉を潜める。
「えっと……」
「大丈夫」
上半身を起こしかけたのを押さえるように、体を寄せて体重をかけた。
二人の距離は、とても近い。
「優しくしますから」
ほんの少し声のトーンを落とし、囁きかける。
髪や額に軽いキスを繰り返す間に、服に手をかけ一つ、また一つとボタンを外していく。
「これは……その……?」
問いには答えず、優しく微笑み返してから唇を塞ぐと驚いた兎月の目が大きく見開かれた。
「―――っ!」
逃げそうになる舌を追いかけ、更に深く口付ける。
所在なさげに宙を漂わせていた手が思い出したようにモーリスの肩に添えられ、動きを止めさせようとするが……ささやかすぎる抵抗はほんの僅かな間だけだった。
「うっ、んん……」
呼吸が荒くなり、押し返そうとしていた手は反対にモーリスにすがりつくかのように握りしめられている。
「ふ……っあ」
「そう、それでいいんですよ」
微かに震えた唇を親指の先でなぞり、場にそぐわないような……けれどモーリスにはこの上なく馴染んだ笑みを浮かべてからはだけた胸元に手を差し入れた。
「―――っ!」
手を触れ、体の線を直にたどると僅かに体が跳ねる。
「モ、モーリスさ……」
上がり始めた体温や早く脈打つ心臓の鼓動をはっきりと感じ取る事が出来た。
「いい子ですね、そのまま……」
首筋に口付け……兎月の耳元で囁く。
「大人しくしていて下さい」
「ふ……ぁ!」
何とも可愛らしい反応だと、モーリスは小さく笑みをこぼした。
くたりと弛緩した兎月。
まだ息も荒く目はぼんやりと天井を見上げたままだ。
「大丈夫ですか?」
「……その、あ……」
その側でモーリスは自らの服を整えてから、兎月の軽く汗ばんで額に絡みついた髪をそっと撫でてかき上げる。
「あの……」
思っていた通り、情事の名残で僅かに掠れた声。
「喉、渇いたでしょう」
優しい声で差しだしたのはよく冷えた水。
「ありがとうございます……」
気怠げな体を僅かに起こし、とても美味しそうに水を飲み始める。
「その……」
「もっといりますか?」
「………いえ」
最後の一滴まで飲み干してから、兎月は乱れた服に気付いてモーリスの視線から隠れるように枕へと顔を埋めた。
原因は、つい先ほどまでおこなわれていた事が頭を過ぎったためか。
誘っているような仕草だが、流石に二度目は負担が大きすぎるだろう。
チャンスはきっとまたある。
楽しみはまた後で取っておく事にして、今日はここまでにしておく事にしよう。
乱れたシーツに沈む兎月の体に布団をかけ直し、次に浮かんだのはこのベットの事。
「また落ちたりしたら危ないですから、低い物に変えるか……和室にでも変更した方が良いかも知れませんね」
次は、落ちたりしないように。
髪を撫でると気持ちよさそうに目を閉じ、かぼそい声で返事を返す。
「は、はい……」
ふにゃりと力の入らない姿を見ながら、暫く前に卯月を気にかけていた使用人にどう説明しようかを考えるのも……それはそれで楽しそうな事だった。
|
|
|