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真昼の月と道案内
目の前に突きつけられた選択肢。
いくら迷っても、どんなに難しい問題でも……後悔したくなかったら答えを出す事が許されるのは自分だけなのだ。
だから、紀紗は自分でこうしようと選択したのである。
「本当にいいんか?」
「もう決めたん」
父親の海外赴任が決まったのは、少し前の話。
当然のように、一緒に行くような事にもなりかけたし、紀紗自身そうしようと考えた事すらあった。
けれど、そうしなかったのは新しい土地への不安があったのかも知れないし、住み慣れた……愛着のある日本から離れたくなかったのかも知れない。
それ以外に単純だったり、複雑だったりするような理由があったかも知れない。
その時悩んだ事全てを一言で表す事は出来ないが、結果だけははっきりとしている。
とにかく紀紗が選択したのは……。
「うち、日本にいたいねん」
しっかりした口調。
真っ直ぐな目。
それが答え。
日本に残る事を選んだ紀紗は、東京に住む親戚の家に住む事になった。
色々な手続きを済ませ、新しく住む親戚の家補向かう途中。
新幹線の中でウトウトとし始めた紀紗が見たのは、不思議な夢だった。
誰かと合う夢。
真っ暗な道を走る。
この先に誰かが居るのだ。
誰かは解らない、どうして走っているのかも解らなかった。
只々走る。
体が重くなって、息が苦しいような……そんな頃だった。
ザッと一瞬で目の前が開け、瞬きししてから、暗闇の中から誰かを捜すように目の前を凝視する。
確かにそこにいる。
闇よりももっと深い黒。
人のような……人ではない何か。
近寄ろうと踏み出そうとし足は、動かない。
「―――っ!」
何かを言おうと口を開いても、喉に何かが詰まったように言葉が出なかった。
息苦しさを感じながらそれでも呼びかけようとして、紀紗はその相手を何と呼べばいいかすら知ない事に気付く。
知らない相手に声をかけようとしていたのに驚いたのもつかの間、相手が紀紗の存在に気付いた事に息を飲む。
「………」
振り返る。
もう少しで顔が見えそうな、その瞬間。
「―――っ、……う」
声に目蓋を開く。
「んっ……んー?」
目蓋を開くとまわりでは、そろそろ降りる支度をしている人が多かった。
もうすぐ東京につくのだろう。
もう少しだったのにと溜息を付く。
「って、うちも支度せなっ!」
霞みががった頭を軽く左右に振り、紀紗も急いで降りる支度を始めた。
このままでは降り損ねてしまうと周りを片づけ、バックを手元に引き寄せる。
お陰で降りるのは間に合ったが、一息ついた後もさっきの夢が気になりなんだかスッキリしなかった。
「誰やったんやろ……」
夢の話の筈だが、顔が見えるか見えないかと言う中途半端で気になる所で起こされた物である。
もちろん起きないと寝過ごしていたのだから幸運と思えない事もないが……やっぱりなんだか悔しい。
なんだかとても気になる相手のような気がしたのだ。
「……あかんっ、何時までも悩みたない。もう気にせんとこう」
従姉妹との待ち合わせの時間はまだあるが、慣れない土地だし改札口が何処にあるかも知らない。
待ち合わせは改札口。
行った事のない場所なのだから、早めに向かった方が良いだろう。
今度こそ気を取り直して鞄を持ち上げ歩き出す。
「改札は……っと」
周りを見渡し、ある事に気付いたのは数歩ばかり歩いてからだった。
「あ、あれ……?」
その予想を思いついた途端、サッと血の気が引くのを自覚した。
見上げれば案内板にあるのは何番通路や西口や東口と言った標識の数々。
広く大きな駅だけに、出口は無駄に多かった。
「何処で待ち合わせ!?」
メモを取りだしたが、やっぱりよく解らない。
交番に行くべきだろうが、それすら解らないのだ。
どうしようかを悩んだ紀紗は、他がおろそかになっていたらしい。
人にぶつかり、慌ててわびる。
「ごめんなさい」
飛び退いて、更にもう一度。
「すいませんっ」
ここでゆっくり歩く訳に行かない事に気付いたのはすぐだった。
先に人の少ない場所にいってそこでゆっくり考えようと思ったが、空いてるスペースを捜すのも一苦労。
結局は歩いている間にも人混みに流され続け、ようやく止まれた時には自分が何処にいるのかすら解らなくなっていた。
「……あかん」
始めての土地では土地勘が働こう筈もない。
つまり紀紗はすっかり道に迷っていた訳である。
来てそうそうこうなるなんてと……思わず頭を抱えたくなった。
壁ぎわに立って、一人溜め息を付く。
こうなる事が解っているなら、連絡が取れそうな手段の一つでも用意しておけば良かったのだ。
最もそれすらも今さらの話である。
「どないしよ……」
周りの人は早足で歩き、紀紗には目もくれない。
時折視線が来る事もあったが、ニヤニヤしている辺りはあまり良い対応とも思えなかった。
それでも何とかしなければならないと道行く人に声をかけようとするが……。
「あの、すいませ……」
急いでいるのか、見向きもされない。
タイミングが悪かったのかも知れないともう一度。
さっきは男の人だったから、今度は女の人を捜し声をかける。
「すいませんっ」
「ごめんなさい、急いでるんです」
二度目も失敗。
今度こそ肩を落とし、溜息を付く。
「みんな冷たい……」
がっくりとうなだれた紀紗の前がフッと陰る。
日の光が雲に隠れたかのような気がしたが、ここは室内だ。
そんな事、有り得ない。
事実日陰の正体はすぐ近くに立っていた背の高い男の人だった。
ドキリとしたのは相手が黒ずくめの格好であったから。
服や靴、サングラスまでが全て黒。
普通に考えると々返事を返せばいいか解らないのだが。
「どうした、具合でも悪いのか?」
声のかけ方や口調からして悪い人ではないらしい。
「――………」
顔を上げ、目が合うと何かとても不思議な感覚がした。
見下ろすのは真っ黒な瞳。
日本ではよく見るはずの物だ。
紀紗とて同じ瞳の色だし、家族や友人にも多い。
けれど、何かが……。
記憶のとっかかりに触れそうになった紀紗に、男はもう一度声をかける。
他意はなく黙り込んでいた事に気付いたための行動。
「本当に平気か、喋れない訳じゃないだろう?」
紀紗を気にかける声に、慌て意識を引き戻す。
「大丈夫、何もあらへんから」
両手を振った所で、自分が道に迷っていた事を思い出した。
「あの、頼みがあるんやけど……うち道に迷ってしもうて」
待ち合わせの時間はもう過ぎているから、従姉妹も紀紗を捜してるだろうと思うと途端に不安になってきた。
待たせるのも悪いし、心配もしているかも知れない。
そんな紀紗見て、大体の事は理解が出来たようだった。
「何処だ?」
「えっ」
「待ち合わせの場所だ」
言い直した男に、慌ててメモを見せる。
「こっちだ」
背を向け歩き始めた後を急いで付いていく。
黙ったまま見つめるなんて言う行動を取ってしまったが、相手は特に気にする様子もなく道案内してくれるようだった。
見失わないかと思ったが、その心配は必要ないようだとはすぐに気付く。
ちゃんと付いてこられるようにゆっくりめに歩いてくれているし、背も高いから見失うと言うこともないのである。
後ろを付いていく最中。
何か話そうかとか思ったのだが何を言えばいいかも解らず、言葉もないまま歩いていく。
黙り込んでいる時に目に付いたのは背中だった。
後ろを歩いているのだから当然の事なのだが、眺めているうちに思い出したのは最初に感じた不思議な感覚。
ハタと気づく。
その事を聞けばいいのではないか?
だがどう言えばいいかと思っている間にピタリと動きを止め、紀紗は危うく背中にぶつかりそうになった。
「っわ!」
「……ここだ」
「は、はいっ! って、ええっ!?」
さっきの場所から大して歩いていない。
こんな近い距離で迷っていたのかと思うと顔から火が出そうになる。
「っと、せや! うち聞きたい事が……」
パッと顔を上げ、そのままの勢いで尋ねてしまおうと思った矢先の事。
「紀紗ちゃーん」
名前を呼ばれ、手を振ってくれているのが従姉妹だとすぐに気付いた。
やはり彼女も捜してくれていたらしい。
「ごめんな、道に迷うてしもうて」
「大丈夫だったの?」
「案内してくれた人が居て……」
手を振り替えし、隣を見上げた瞬間。
案内してくれた男の姿は、もう何処にもなかった。
「あ、あれ……?」
確かにそこにいたのは、はっきりと覚えている。
背の高い後ろ姿。
紀紗を気にかけてくれた言葉。
それから……とても印象に残る黒。
「どうしたの?」
「さっきまでいたんやけど……あっ」
一つだけ、思い出した。
忘れていたというほうがきっと正しい。
まだ、聞きたい事も聞けなかったし、お礼すら言っていなかったのだ。
「ああ……しもうた……」
助けて貰ったのに何て情けない。
「大丈夫よ、ねっ」
落ち込んだ紀紗を元気づけてくれた物の、それからしばらくの間あの男の人が気になったのは……きっとお礼を言えなかった事だけが理由じゃないはずだ。
それは、紀紗と守恒が二度目にあった時の事。
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