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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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彼岸への地図
【壱】
「物好きだね」
アンティークショップ・レンの店主である碧摩蓮は溜息混じりに呟いて、正面に立つ嘉神しえるの微笑と向き合った。意志の強そうな焦茶色の双眸が微笑んでいる。そこにはただの好奇心ではない何かがあった。
カウンターには先程まで話題に上がっていた地図がある。ファイルにきちんと収められて、時間の流れに押し流されないよう配慮されているかのようだった。長い時間のなかで人々の想いを閉じ込めてきた紙片。彼岸への地図なのだと蓮が語ったそれに視線を落として、しえるは云った。
「どうすればそれがわかるのかしら?」
蓮が語った呪い殺された人々の想いというものにふと触れてみたいと思った。触れることができるのなら、それに触れて確かめてみたいと思ったのだ。
呪い殺したい人の枕下に忍ばせて、寝言を待ちそれに答える。それだけで人の心を眠りの淵へと閉じ込める。閉じ込められたそれは果たしてどうしているのだろうか。肉体と引き離されて、どこかもわからないそこで何を思っているというのだろう。
「本当に物好きだね」
蓮は呆れ顔で同じ言葉を繰り返す。
「でも、どうしようもないのも本当なんでしょう?」
微笑は揺らぐことのない覚悟を表すようにしてはっきりとしたものだった。一度決めたことは譲らないとでもいうような真っ直ぐな目が、蓮の答えを待っている。
「まぁね。厄介な代物だしね。どうすることもできないでいるっていうのが本当さ。だからといって何ができるって云うんだい?」
「手っ取り早い方法だったら力技でいきたいところだけど、それじゃあ浮かばれないだろうし……。そうね、できるなら直接そこに訊きに行こうと思うんだけど、できるのかしら?」
なんでもないことを提案するようにしえるが云うと、蓮は大きく息を吐いてすっとしえるのほうへとファイルを滑らせた。その意味を覚ってしえるは訊ねる。
「どうすればいいの?」
蓮はその言葉を予め悟っていたかのようにしてそっとカウンターの下から古びた枕を取り出すと、ファイルの横に並べるようにしてしえるに差し出す。ファイル越しに見える螺旋状のものが描かれた紙片。それはまるで迷宮に迷い込むための地図のようだった。
「これの下にその地図を置いて眠ればいいんだそうだよ」
一体いつからそこにあったのかわからないような古びた枕を指差して蓮は云う。
「あら。案外簡単なのね」
笑ってしえるは枕とファイルのなかに収められていた紙片を取り出すと、それらを手に品物が犇く店内を見回して一つの寝椅子に目を止めた。
「あそこ借りるわね」
云って蓮の答えを待つこともなくすっと歩を進め、寝椅子の肘掛のあたりに地図を下に敷くようにして枕を置くとふわりとそこに腰を落ち着け枕の柔らかさを確かめるように軽く叩くと小さな頭を乗せて、目蓋を閉じた。
その刹那不意に頭の裏側から直に声が響く。
―――もう夢はお終いにして……。
【弐】
泥濘に立つような気持ちでしえるは自分が佇む場所を確認した。足元は暗く、見回す周囲もまた同様。視界の至るところに茫洋とした仄明るい光の塊が漂い、完全な闇を蕩かしている。一つや二つではない。数え切れないほどの数の仄明るい光の塊はそれぞれに何かを見つめるようにして、ぼんやりと闇のなかに浮かんでいる。
こんなにもたくさん。思いながらしえるは悠然と腕を組み、すっと息を吸い込むとゆっくりと吐き出した。背中には柔らかな純白の半透明な六枚の翼の気配。それが闇のなかに浮かぶ指標だとでもいうように、辺りに散らばって個々にどこかを見つめていた光の塊がしえるに集中するのがわかった。
それを感じてしえるは具象化した銀色の小さなホイッスルと咥え、勢いよく吹き鳴らす。闇を切り裂くように響く澄んだ音に刹那、辺りがしんと静まりかえるのがわかった。
「はーい、念の皆さん注目!」
歯切れ良い口調でしえるが云う。
それは闇いっぱいに響き、柔らかな気配を残して溶けていった。
―――新しい人……。
―――可哀想に……。
―――……誰に恨まれたのだろう。
言葉が闇の隙間から響いてくる。どれもこれもが哀しく響き、これ以上の絶望はないといったような冷たさをまとっていた。
「私は誰にも恨まれてなんかいないし、あなたたちの仲間になろうと思ってここへ来たわけではないわ」
凛とした声でしえるが云うと再び闇のなかから声が響く。
―――ではどうして。
―――こんなところへ来ても何もないのに……。
「あなたたちがいるじゃないの。忘れちゃ駄目よ。自分がここにいることが大切なんだから」
当然のことだというようにしえるは云うと、個々に散らばっていた光の塊がするりするりと人の形を作りだす。その姿はさまざまで、男女問わずいるようだった。闇のなかから向けられる視線は皆淋しげに、裏切られたという想いに染まっている。それに同情することもなく言葉を続けた。
「あなたたちにはたくさんの恨み辛みがあるのかもしれないわ。私はそれをはらすことも、あなたたちに共感することもできないけど、話しを聞くくらいならできるわ」
しえるの言葉に闇がざわめく。
―――そんなことができる人間がいるのか?
―――……戯言だ。
「まぁ、兎に角話してみる気になった人からどうぞ」
しえるは怯むことなく言葉を紡ぐ。凛とした声だけが闇のなかに響き渡り、ぼんやりと曇る声を貫くようにして淡い光を残した。
「私は絶対に忘れないわ。あなたたちの悔しさや哀しみをずっと覚えていることができる。だから……」
云ってしえるは一際華やかな笑みを刻んで続けた。
「スカッと吐き出してあなたたちは忘れちゃいなさい。ここにいたってどうしようもないことはあなたたちが一番よくわかっているでしょ?」
小首を傾げるようにして訊ねると、誰からともなくしえるの言葉を支持するような声が紡がれる。
―――信じてもいいのかもな……。
―――もうここは真っ平よ。
―――どこへ行けばいいの?
「まぁ、兎に角焦らないで。私はじっくり話しを聞くつもりでここに来たんだから、あなたたちが満足するまでここにいるわ」
さらりと云って、しえるは面刹をするかのごとく机と椅子を具象化させ、続いて順番待ち用の椅子を何脚か並べた。
「話す気になった人からどうぞ」
笑って机に向かうしえるの前に次第に人々が集まってくる。ある人は哀しげに俯き、ある人は怒りを湛えた強い双眸をしてしえると対面した。紡ぎ出される言葉はどれも相手の身勝手に振り回された結果の出来事ばかりで、決してその人に非があったものではなかった。なかには互いの擦れ違いの結果というのもあったが、殺されていい人などどこにもいないことだけは確かだった。
慎重に、そして丁寧にしえるは言葉の一つ一つを掬い上げた。根気強く耳を傾けるしえるの姿に背を向けていた人々も次第に心を開き、いつしかしえるの前には長蛇の列が出来上がる。順番待ち用に並べた椅子は瞬く間に埋まり、いくつ具象化しても間に合わないくらいになった。それでもしえるは誰一人として疎かにすることはなかった。丁寧に、言葉一つ一つがその人だけのものであることを理解しているかのように汲み上げ、耳を傾け、静かに浄化していく。
柔らかな光に包まれるようにして溶けていく人が一人消える度に、闇は晴れていく。わかったわと笑うしえるの笑顔のように、闇は鋭さを失い、滑らかな曲線を描くやさしさのなかに溶ける。
―――本当に忘れないでいてくれるのですか?
日本髪の女性が縋るようにして訪ねる。
「絶対に忘れないわ。あなたの言葉も、想いも全部私が覚えていてあげる。……これで悪夢は終わりよってそこ!順番ズルしない!」
叫ぶように云って、ホイッスルを甲高く吹き鳴らすとしえるの目の前にいた日本髪の女性は小さく笑った。
―――ありがとう。あなたに出逢えて本当に良かったわ……。
そして一つの光になって、消えていく。
夢の時間がどのようにして進んでいるのかはわからない。けれど長蛇の列が短くなるにはかなりの時間を要したことだろう。しえるは軽い疲労感を感じながらも、それでも最後まで聞き届けてあげなければならないという一心で耳を傾け続けた。頷き、存在を肯定し、もう苦しみは終わりだと告げる。消えていく人々の笑顔がしえるを微笑ませ、ありがとうという言葉がそっと背を押してくれた。
一つ浄化すれば、一つ闇が薄くなる。
それがとても嬉しかった。
【参】
―――どうしてあなたはここへ来たの?
列の最後でひっそりと順番を待っていた少女がしえるに問う。
「どうしてって云われてもねぇ……。力技で捻じ伏せてしまっても良かったのかもしれないけれど、それじゃあ浮かばれないと思ったのよ」
しえるの正面で椅子に腰を落ち着け、ぶらぶらと両足を揺らしながら少女は膝の上で握り締めた手に視線を落とす。
―――他人なのにどうしてそんなによくしてくれるの?
少女はひどく哀しげに、今にも泣き出しそうな顔をしていた。まだあどけなさの残る容貌にはところどころにはっきりとした痣が浮かび、唇の端などにははっきりとした傷が刻まれている。誰にこんな所へ送られたのかも口にせず、ただどうしてしえるがここに来たのかということばかりを問う少女はずっと俯いたままだ。どんなにまっすぐにしえるが見つめても、返される視線はない。
「放っておけなかったのかもしれないわね」
云ってしえるはそっと手を伸ばして少女の頤に触れた。そしてすっと俯けている顔を持ち上げると、やさしく笑う。
「こんなふうに俯いている女の子を放っておいていいのかしら?私は放っておけないのよね。多分、それだけだと思うわ」
―――やさしいのね……。
「そうかしら?当然のことよ。あなたがずっとここにいる理由はないし、もっと心安らぐところへ行ってもいいと思う。忘れられるのが怖いというなら、いつまでも私は覚えているわ。過去に縛られているのだったら、その過去を私に預けて、あなたは新しい未来に向かっていくのもいいと思わない?あなたはここにいるし、他のどこにもいない。どこへでも行けるのよ」
さらりとしえるが答えると、不意に少女の双眸からはらはらと涙の雫が零れた。
―――父様も、母様もあたしをいらない子だって云ったのよ。
ぽつりぽつりと涙に言葉をつまらせながら少女は云う。誰もそんな風に言葉をかけてくれたことはなかったと、こんなふ風にやさしくされたのは初めてだと止まらない涙をそのままにぽつりぽつりと語った。しえるはそんな少女の髪を撫ぜて、椅子から立って傍らにしゃがみこんで、あなたはここにいるわ、と何度も何度も繰り返した。
―――あたしなんていなくてもよかったのかもしれない……。
云う少女を抱き締めて、その耳元でしえるは囁く。
「あなたはここにいるわ。私が覚えている。たとえあなたのご両親が忘れてしまっても、私が覚えているわよ。だからもう、そんなに哀しい思いはここへ置いていきなさい」
どれだけの間、少女の細い躰を抱き締めていたことだろう。腕のなかで静かに光になっていく少女に何度ここにいると、どこへでも行けると囁いたかわからない。
ふと気付くとアンティークショップ・レンの古めかしい天井。頭の後ろには弾力性を欠いた枕。腕にまだ少女の存在が残っているような気がしたけれど、いつまでもあの場所にとどまっていていいわけはないのだと思い直してしえるは一つ大きな伸びをした。
「あ〜、よく寝た」
背伸びをすると同時に漏れた言葉に蓮が呆れたような口調でカウンターの向こうから言葉を返す。
「本当にね」
「私そんなによく寝ていたの?」
目を瞬いてしえるが問うと蓮は大きく頷く。
「まっ、あながち悪い夢でもなかったせいね、きっと」
爽やかに云ってしえるは枕の下に忍ばせていた紙片を引き出す。
それは白紙だった。
指先を切るようなほど純白をまとった、白紙に戻っていた。
「こんなこともあるのね」
呟いて古びた枕と純白の紙片を手にカウンターに近づくと、
「何があったんだい?」
と特別興味もないことを訊ねるように蓮が問う。
「別に何も。話しを聞いてきただけよ」
しえるは清々しい笑みと共にそう答え、カウンターの上に枕と紙片を置き去りにしてアンティークショップ・レンを後にした。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2617/嘉神しえる/女性/22/外国語教室講師】
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■ ライター通信 ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
とても穏やかなやさしい雰囲気の方なのだと思いながら書かせて頂きました。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。
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