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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


恋文
「お義兄さん、手紙が届いていましたよ」
 買い物から帰ってきた零が、請求書の束と、何通かの封筒を手に歩いてくる。
「ダイレクトメールの類なら捨てていいぞ」
「今日は入っていなかったみたいです。良かったですね」
「それでもその量か…。寄越してくれ」
 一緒に渡された請求書や依頼にもならない愚痴の手紙の類に顔をしかめながら、最後に手に取った封筒に一瞬おや?と違和感を感じつつもぺりぺりと中身を開き、その中に書かれてある便箋に目を通した。
『―貴方様からの突然のお手紙、驚きました
  やさしく、あたたかいお気持ち、とても嬉しく拝見いたしました
  すぐにお返事を、と思いましたが、なかなか良い文面を思い浮かばす、長い間お待たせして申し訳ありません
  一日も早くお会いできますよう願っております
  それまでどうかご健勝でおいでくださいませ
  武彦様まいる              その』
「………は?」
 思わず眼鏡の位置を合わせてまじまじと見つめてしまう。
 全く身に覚えの無い内容に、何度も何度も読み返し、眉を寄せたまま考え込み。
 そして、封筒の表裏を調べてみた。
 宛名は、大雑把に書かれてはあるもののこの辺の住所に間違いは無く、名前も草○武彦と二文字目がかすれているものの自分の名に思える。――興信所宛てではなく個人名宛ての手紙は珍しいのだが。
 違和感が、どうしても消えない。
 もう一度表を良く見返してみると――
「そうか」
 納得行ったようにぽつりと呟いた。
 貼られていた切手は、10円のものが1枚きり。
 通常ならば、送られて来る筈の無い手紙だった。

   * * * * *

「――仕方ない、呼ぼう」
 1週間後。げんなりとした顔の武彦が、零に声をかける。それをみた零も心配そうな顔をしながらこくりと頷いて登録されてある臨時雇い名簿を持ち出して来た。
 単なる郵便事故かと思っていた。――ずっと昔に出した手紙や葉書が、どういう経過でか紛れ込み、数十年を経て相手に届く事がまれにある。その類だと思っていたのだが。
 あの日から、毎日手紙が届く。差出人の名も筆跡も同じ、そして内容は日に日に増してくる思慕の念が書き連ねてあり、そしてまた武彦からの返事が届かないことに対する恨みがましい言葉も次第次第に増えてきていた。
 肌寒い気持ちを感じたのは間違いでは無い筈だ。
 最初の日以来、貼られている切手は全て10円のものだったのだから。

   * * * * *

「今日も暑いですね…」
 ぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、いつものように事務所へと顔を出しに来た少女、海原みなも。
 初夏の筈の季節は気温が真夏並ということもあって、泳ぎたいです、と呟きながら何か良い仕事はないかと通いなれた道を行く。
 其の目の前に、見知った顔が驚いたように立ち止まった。
「みなもちゃん?」
 事務所の事務を担当している女性、シュライン。良く一緒に組んで仕事をしていることもあり、当然のように名前も顔も覚えていたらしい。
「こんにちは。いつも大変ですね、こんなに暑い日なのに」
「人のこと言えないでしょ。…呼ばれてきたの?」
「いいえ、何かお仕事ないかなって。――あったんですね」
 にこにこと楽しげに笑うみなもにそうよ、とシュラインが話しながら一緒に事務所へと向った。途中、電話で聞いたという依頼の内容を伝えながら。
 扉を開けるなり、其処に居た人物に目を丸くする。
「早いですね。私達が最初かと思ったのに」
「あら、本当ですね。こんにちは」
 セレスティが一足先に事務所へと来ていたらしい。その手元にあるのが届けられたと言う手紙だろう。
 シュラインが後に残って戸を閉めてくれるのを見ながら、ぴょこんとみなもが事務所の中へ入っていった。
「ふー」
 …続けて現れたのは、この暑い最中にもライダースーツを着ている嵐だった。

   * * * * *

 みなもが気を効かせてセレスティの所から最初の一通を除いた残りを持って来ると、3人がそれぞれ手紙を調べ初めた。そして書かれている住所をメモしていく。
「消印、今のなんですね…」
 時間を超えたわけじゃないんですね…と何か不満そうに呟くみなも。
「それならそれでおかしいじゃないか?だったら何故10円で届く?」
「そうなのよね」
 シュラインも首を傾げながら何か言おうとした時、もう1人事務所へ現れ、そしてその言葉は言わずじまいになった。
 現れたのが、ウィンだったからだ。
「大丈夫なの?」
「黙って来ちゃった。大丈夫、メモは残してあるし…それにそんなに危険そうじゃないでしょ?」
「そうね…でも、気を付けてね?思いつめた心程やっかいなものはないから」
「ありがと」
 気遣って椅子を勧めたシュラインへ笑顔と共に礼を言ってちょこんと椅子に座り、ふぅっと息を吐くウィン。
「…大丈夫ですか?もしかして、具合悪いんですか?」
 シュラインとのやりとりを見て心配になり、すすす、と近寄って行く。それにはゆるりと首を振って軽く微笑むと、
「大丈夫よ。大事を取って座らせてもらっているだけ。走ったりは出来ないけれど病気じゃないわ」
「?」
 『ここ』と声を出さずに口にすると、ウィンが自分の腹部にそっと触れて…それでようやく意味が分かり。ぱっと顔を輝かせてその部分を注目しては顔を上げて「おめでとうございます」と自分のことのようにぱぁっと笑みを浮かべた。
「あ…でも、それじゃあ調査は…」
「激しい動きとか、衝撃が無ければ大丈夫よ。…いつも兄にばかり楽しい思いをさせたくないもの。ねえ?」
「そうですね」
 くすくす、とみなもが笑い、その話を聞いていたシュラインも軽い苦笑を浮かべながら同意なのかこくんと頷いた。
「それじゃあ、早速だけど最初に届けられた手紙を見せてもらえるかしら?」
「――ええ。いいですよ」
 その声に応えたのは、ウィンの目の前にいた2人ではなく、奥の応接間で手紙を『観』ていたセレスティの穏やかな声だった。
「10円って何年前に使われたものなの?」
 ウィンはそう聞きながら、封筒を裏表と返してそこに書かれている文字を読み取っている。
「大体大雑把な計算で4〜50年位前だ」
「そうなの、ありがとう」
 他の手紙も見聞していたらしい嵐がふっと顔を上げて言い、礼を言ってまた封筒に視線を戻す。
「……あら?」
 ふっとウィンの眉が寄せられた。
「消印は今のものなのね」
「そうなんですよね。当時に出されたものじゃない、ということなんでしょうか?でも…」
「そうなると、『返事が来ない』と手紙が舞い込んでくる理由が分からないのよ」
 届いた手紙は全部で7通。来る時間は最初の日こそ午後だったが、それ以降はどうやら午前の便で届けられているようだった。――古い時代の切手を使っているとは言え現実の価値は10円で。それならば料金不足と言う事で郵便配達人から不足料金の請求が来そうなものだがそれは無かった。
「郵便屋さんは気が付いてないんでしょうか?」
「その可能性もあるわね」
 シュラインがどさどさと電話帳をテーブルに置いて、みなもの言葉を引き取った。これから電話帳を元にこの近辺の住所と名の調べ物をするらしい。
「手伝わなくてもいいんですか?」
 封筒を熱心に調べていたセレスティが何か申し訳なさそうに言い、「あー、いいんだいいんだ」と嵐がぱたぱた手を振る。
「セレスティはセレスティの『目』で見てくれりゃいい。俺達は俺達の目で見るまでさ」
 そう言って口の端を歪めるように笑う。
「どうしても駄目なら手伝ってもらうが」
「分かりました」
 頑張れよー、と言う投げやりにも取れるような声を残し、嵐はシュライン達の居る場所へ集まっていった。

   * * * * *

 草間武彦に似た名を探してみる事にし、恐らくこの付近だろうと言う事で電話帳を繰る。
「く、く…草…草…」
 つぅっと紙の上に指を走らせながら呟くシュライン。この付近の住所だと言うので、武彦、と名の付いていない物も含め、細かくチェックを入れていく。
「武彦、と言う名は見当たりませんね…」
 同じく別の電話帳で探していたみなもがぽそりと呟き、
「そうね。――でも」
 シュラインも同意し、ちょっと言葉を続け。
「十分あり得る話だろ」
 その後を嵐が引き取った。かくん、と首を傾げるみなもに、
「ちょっと年代を調べてみたんだが…あの切手が通用してた時代って50年くらい前の話なんだ。その当時いくつだったのか知らんがまあ20と見ると、…今いくつだと思う?」
「あ…そうですね。そうなると随分お年なわけですから…」
「当人が亡くなっているか、健在でもその子に代替わりしている可能性は十分あるのよね。困っちゃうのはとっくの昔に引っ越していたりしてこの近所に居ないことなんだけど。――そこまで考えていたら何も出来ないわ」
 手紙の主は此処に居るものと思って送って来ているわけだから、と小声で呟くシュライン。
「電話帳に載せていないこともあるしな。それこそ否定材料は山のようにあるが」
「単純に草間さんのところへ来た、っていう可能性はないんですか?」
 訪ねて来て話を聞いた時にもそんなことを言っていたみなもが、一応言われたとおり草○姓を抜き出しながら言う。それにはシュラインと嵐の2人が顔を見合わせて軽く首を傾げた。
「ウィンも同じようなことを言っていたけど、どうかしらね…うぅん」
 何か非常に複雑な表情をしつつ、シュラインがぱたりと電話帳を閉じた。その上に肘を置き、手に頤を乗せながら何か考え込む様子を見せ。
「『怪奇探偵』の名を欲しいままにしてる草間ならあり得ないと言い切れないのがな…」
「ちょっと待て。――俺は普通の探偵だぞ、ふつーの」
「いやだって無理だろ、今更そんな事言っても」
 自分宛の手紙が余程気に掛かったのか外に出る事も無く一緒になって電話帳やネットを調べていた武彦が憮然とした顔で、今日何本目か分からない煙草へと手を伸ばした。

   * * * * *

『武彦…ああ、いるよ。武器の武の字になんとか彦って名前に付く彦の字だろ?』
 何件目の電話だっただろうか。若い男性の声で反応があったのは。
『…へぇ。そんなことあるんだ』
 手紙が事務所へ誤配されてきたらしい、という電話に受話器の向こうの相手が面白そうに笑う。
『でも何でうちだって分かったの?今はうちの名前親父の名で登録されてる筈なんだけどな』
「お爺様のお名前なんですね、武彦さんって」
 ちら、と事務所で話を聞いている他の仲間に視線を送る。武彦の名を持つ、年寄りの家族がいるらしい、それだけでも可能性はかなり高い。
 電話帳の住所を見てみると、かなり近い位置にあることも分かり、きゅ、と思わず指でその名の上を強く押し付けてしまう。
『そうだよ。――でもなぁ…』
 急に、電話の向こうの歯切れが悪くなった。
「どうかしたんですか?」
『いや、俺心当たりないしさ』
 ごく当たり前のことを言って、差出人の名を聞いたあとでもうーん、と電話の向こうで唸り声が聞こえる。
『念のために、一度来てもらえるかな』
 電話ではしにくい話なのだろうか、電話の向こうの相手はそう言って来た。

   * * * * *

 ウィンとセレスティの2人は、残った手紙も調べてみると言い、何か分かったら互いに連絡し合うことにして、3人は電話帳に載っていた住所へと足を運んだ。
 徒歩でもそれほど遠くない道も、まだ季節としては早い夏日の天気と気温で遠い道のりに感じられる。
「武彦さんってどんな方なんでしょうね」
 暑さを紛らわすためか、みなもがふとそんなことを言い出した。
「草間さんみたいな人なんでしょうか。…草間さん宛てに送られたラブレターだと思ったんですけどね…」
 残念、そう呟いた言葉を覆い被せるように、
「同じ名前だからと言って同じような性格をしているとは限らないと思うわよ」
 何故だか少し早口になって、にこりと笑いかけた。その後ろで小さく口元を歪めて笑った嵐が、ふっと後ろを振り向いて首を傾げる。
「あら?どうしたの?」
「いや、何でもない」
 気のせいだったのかな、そう呟く嵐に首を傾げながら事務所から程近い家へと歩いていった。
「暑いのにわざわざありがとう」
 玄関で皆を出迎えた青年が、受け取った手紙を表裏ひっくり返し、そしてもう一度表をじっくりと見て。眉を寄せ、それから思いついたように、
「これ、苗字が擦れてるんだね」
 ぽつんと呟いた。
「うちで間違いないの?」
「その確認をしてもらいたいの。――この手紙を届けてあげたいものだから」
 ふぅん、そう言った青年が封筒の中身を覗き、そして手紙を読んだ。次第にくすぐったそうな顔になって顔を上げ、
「そっか…じいさん、そんな人がいたんだ。困ったな…」
 苦笑いをした青年が、ふとそんなことを呟く。
「どうかしたんですか?」
 みなもの言葉に少し迷ったようだったが、「まあいいか」と言い訳すると、
「実はさ。…じいさん、もうこの家にいないんだよ」
 え?
「そ、そんな顔されても。――2年前ならぴんしゃんしてたんだけどさ…一昨年の夏か、風邪引き込んで暫く寝込んだら、治った時にはもう惚けてたんだ」
 あまり詳しいことを話したがらないが、青年が顔を一瞬顔をしかめた様子を見ればなんとなく想像が付く。
「暫く家で世話してたんだけど、どうにもしきれなくなっちゃって、施設に頼んだのが半年前さ。此処に居ても役には立たなかったと思うけどね」
「あの…失礼ですけれど、その…おばあ様の方は?」
「俺がちっちゃい時に死んだって。あんまり覚えてないんだけどね、凄い怖かったって親父は言ってたな」
 首筋へ手を当てて、ちょっとだけ困った顔をする青年。
「なんなら、住所教えようか?面会出来るかどうかちょっとわかんねーけど」
「はい、お願いします。…でも、ご一緒なさらないんですか?お爺様のことなのに…」
 ははっ、ともう一度苦笑いした和生が何か口の中でもごもごと呟き、
「用事もあるし…まあ、いいか…」
 そうやって行くための理由を探していたのかもしれない。実際に行くことを決めた後の青年は、先程祖父のことを聞かれて戸惑っていた様子は何処にも見えなかった。

   * * * * *

「じいちゃん、遊びに来たよ」
 遠くを見たまま返事をしない祖父に、照れくさそうに声をかける和生。寝たきりを回避するためとかで、車椅子をゆっくりと運びながら、しきりと声をかけているのは施設で働いている若い女性。
「では、ごゆっくり」
 談話室の、日陰になる場所へと車椅子を慣れた様子で動かしていくと、何かあれば呼んで下さいね、と皆へ声をかけてぱたぱたと去っていく。
「はじめまして。…今日は、お手紙を届けに来ました」
「………」
「じいちゃん。分かる?手紙を持って来てくれたんだってさ。なんか、間違って届いてたんだって。――しのさん、って人から。覚えてる?俺知らない人なんだけどさ…」
「………ぅ…あ」
 どんよりと濁った目。何処を見ているのか分からないその目が、ひらひらと舞う落ち葉に向けられ…そしてぱたりと肘当てに置いていた手が膝へ落ちる。
「…じいちゃん」
「お…お…おぉおおお…」
 不意に。
 手紙を差し出していたみなもの手に、老人とは思えない力の手ががば、と掴みかかった。
「あ…あの?」
「――そ……そ、の…」
 ぐしゃり、と手紙を握り締める手がその勢いのまま紙を押し潰す。よろっ、と――弱っている筈の足が、何かを見ているのか、立ち上がり――その目には、先程までのどろんとした濁りは無く。
 視線は、みなも達の後ろに真っ直ぐ注がれていた。
「じいちゃん!?」
 転ばないかと心配して慌てて駆け寄った和生がその身体を支え、そしてぎょっとしたように祖父と同じ位置へと視線を向ける。
 其の視線の先へ、導かれるように皆が顔を向ける、と――
 すらりとした、姿勢の良い、和服姿の女性が其処に立っていた。

『やっと――会えた』
 ざ、ざ、風が鳴る。
『やっと――これで』
 周りにも人が居る筈なのに、痛いほど静かで、声は無く。
 一歩、また一歩。
 これまでの時間を、縮めるように、近づいて。
『――たけひこ、さん』
 ひたり、と足が止まる。あと数歩で届きそうな距離なのに、それ以上進もうとはせず。
 和生に支えられたままの老人も、目を見張ったままその場に立ち尽くしている。
『…お手紙…読んでくださらなかったの?』
 ぉぅ、そんな言葉にならない声が老人の喉から漏れた。
『待っていたのに』
 静かな声に、ふと暗い影が差す。――不穏な空気を感じ取った嵐が見ると、上目遣いでじろりと老人を睨みつける目があり。その豹変振りにぞく、と背筋が寒くなった。
『――ずっと――待っていたのに』
「う…う、あ…そ、その…」
 ずず、と、不自由な足を引きずって、老人が女性へ近づいていく。
 その口から、空気と共に、搾り出すような声が吐き出された。
「すまな、か、った」
 両の目から涙を溢れさせ、萎びた手を女性へ向ける。
「――すまな、かった」
 その手を、女性がそっと自分の手で包む。そして…ふわ、と微笑み。
『許して差し上げます』
 手を愛しげに包んだまま、そう、呟くように言うと。
『――やっと貴方を…私だけのものに出来るのですもの』
 にこりと。
 笑った――ぞくり、と、凍りつきそうな微笑で。
「じいちゃん!?」
 その悲鳴に、はっと我に返る。
 とたん、急に暑さが感じられるようになり、そして同時に人の声が聞こえ出した。
 何時の間に戻っていたのか、車椅子の上でぐったりとしている老人の姿が目に入ったのは、その直後のことだった…。

   * * * * *

 そう長い間話していたわけでもないのだが、『家族が来て興奮した』ということにされてしまい。老人の意識はその時から戻らなくなっていた。こういった施設だから医療スタッフも常備してはいるのだが、流石に意識不明の状態ではどうしようもなく近所の病院へと搬送される。
「…どうしよう」
 待合室で、和生が頭を抱えて呟いた。叫び出す一歩手前の顔が、泣きそうに歪んでいる。
「なあ、見たよな?あれ、見たよな?」
 付き添ってきたもののこれからどうしたら良いのか分からずにいた皆がはっと顔を上げた。和生が真剣な顔で皆を見つめていたからだ。
「――ああ。見たよ」
 ぼそりと、嵐が肯定の言葉を告げる。みそのもこくこく、と頷いた。其処へ、事務所へ連絡を済ませて来たシュラインが加わった。
「あんたたちが連れてきたとかじゃないよな」
「それは…」
 何か言いかけて、シュラインが言葉を止める。あの女性が手紙の主であるなら、結果的に連れて来てしまったのは間違いないことなのだから。
「どうしたらいい?――俺、じいちゃん殺しちまうのか?」
「…させないわ」
「ええ。――させません」
 ちら、と集中治療室へ向かう方向をを見ながらみなもがこくりと大きく頷く。…ひとつだけ、有利な事があるとすれば、あの場で老人を『連れて行かなかった』と言う事。其れは、老人の生命力が勝っていたか、――それとも、『彼女』が連れ去ることを躊躇ったか…その可能性があるならば、まだ生きる望みは消えてはいなかったからだ。

   * * * * *

 かつん、かつん、と杖を付く音がし、そしてセレスティがウィンに付き添われながらゆっくりと姿を現した。
「連絡を戴いて、急いで来ましたが…どうですか?」
「――まだ、なんとも…」
 分からない、と言うように小さく首を振る嵐達の近くで小さく震えている青年がいる。誰?とウィンが目顔で訊ねると、其れを察したらしいシュラインがすっと近づいて説明してくれた。
「――この2人も調べてくれた仲間なの」
「あ…そうなんですか。俺、草田和生って言います」
 新しく加わった2人に名乗りを上げると、ウィンとセレスティがそれぞれ名乗り、そしてちらっと病院の廊下の奥――まだ誰も中に入れない治療室へと視線を向けた。
「これね」
 ウィンが、事務所に残っていた手紙の束をバッグから取り出す。
「あの後も調べてみたのだけど」
 セレスティと顔を見合わせながら、話し合ってきたのだろう、ほんの少しだけ口ごもった後で辺りを見回し、
「残念だけど、相手の女性の方は分からなかったの。何しろ、この手紙には相手の住所は無いし、苗字も書かれてないのだもの」
「仕方ないわ。…他には?」
「一度、手紙を出した形跡があるの」
 え?と小さく声を上げるみなも。嵐も不審気な顔でその事を聞いている。唯一話に付いて来れないのは和生だが、その彼も特に口を挟む事は無く耳を傾けている。
「事務所に届けられたのは、2通目らしいわ――本当に手紙が届いたのかどうか不安で、新しくもう1通書き直したみたい。でも、相手からの返事を待って取って置いたようね」
「初めての返事にしては、投函したのがごく最近みたいだから気になっていたんですけれど…そういうことだったんですか」
「その後も、そうですね。相手を責め、または返事を乞うような内容でしたから。――手紙を出す前に、返事が来てくれれば、と…手紙を書き上げては出す直前で思い直してまた戻した、そんな雰囲気でした」
 かつん、と杖を付いて待合室のソファに腰を降ろしたセレスティがふと顔を和生に向け、
「失礼ですが、1つ聞いても宜しいですか?」
 穏やかに、そう問いかけた。――透き通るような青い瞳に見つめられて、どぎまぎしたか慌てて和生がこくこくっ、と首を縦に振る。
「キミのお爺様が、隠し物をしている場所に心当たりはないでしょうか?」
「隠し物…」
 鸚鵡返しにその言葉を口にする青年。
「まだキミのお爺様が結婚する前に、この人から同じ文面の手紙を貰った可能性があるんです。――もし…もし、処分されていなければ。大切に保存してあるとすれば、家族に…特に、キミの亡くなったというお婆様に気付かれないような場所に置いておくと思うのですが」
「………あ…」
 暫く何か考えていた青年が、何か思いついたのか小さく声を上げた。その時になって初めてじっと見つめられていたことに気付いて、視線をずらしながらセレスティにこくりと頷く。
「ひとつだけ、あります。ちょ、ちょっと待ってて下さい。うち行って取ってくるんで。何かあったら家に連絡下さいねっ!」
 それは、思い付きと言うより確信のようなものだったか。がばっと立ち上がった和生がばたばたと走り去っていく。途中、廊下ですれ違ったらしい看護師の怒ったような声と謝る青年の声が聞こえて、それからまた足音が小さくなっていった。
「あるかな」
 少しして、ぽつりと嵐が呟く。
「…無ければ、また別の方法を考えるわ。――すぐに連れて行かなかった…その事が救いになってくれるといいのだけれど」
 送られた、たった1通の手紙。その手紙が見つかれば…大切に取って置いたという証が見つかれば、妄執を断ち切ることが出来るかもしれない。
 幸いなことに、目立った動きも無く。それは好転したわけでも無いが、急変したと言う事ではないので、時計を睨みながらじりじりと待ち続けた。

「面会時間は過ぎましたよ。御用が無ければ…」
「すみません。…草田さんの容態が落ち着くまで、いさせて下さい」
 待合室、他の病室を見回っていた看護師に断りを入れ、ぽすんとソファに座りなおすみなも。長い時間待つと言う上に症状の急変を危惧して心の休まる暇が無く、予想以上に体力を消耗していた。
「………ー」
 ぱたぱたぱた、と小さな足音が、どんどん大きくなって来る。それがばたばたばたばたとけたたましく廊下に響き渡った直後、
「ありましたありましたありましたっっっ!!!!」
 喜びの声なのか奇声なのかわからないくらい興奮しきった声が、待合室だけでなく廊下を広々と伝わっていった。
「あったの!?」
 半分は気休めのような提案だったのに、きちんと見つけ出してきた和生にウィンが駆け寄る。
「え、ええ…ふう。家から駆け通しだったんで流石に疲れたぁ」
 ソファにどさっと腰を降ろした青年が、尻ポケットに捻じ込んだ『2通』の手紙を取り出す。
「…2通ですか?」
「そっ、これ。1通は、じいちゃん宛ての手紙。――もう1通は返事だった」
「返事!?」
 まさか、あると思わなかった、もう1通の手紙。
 声を上げた嵐も慌てて口を押さえてまじまじとその手紙を見る。初めて目にする、角張った文字と、しっかり封をされ、切手まで貼られている手紙。
『――梅山 その 殿』
 宛名には、初めて知った『彼女』の苗字が。
「物置の奥に、古い写真とか道具が置いてあるのを思い出したんだ。昔、其処を探検してたらじいちゃんにえらく怒られてね。大事な物があるんだから無闇に入るな!って――それでさ」
 へへっ、と笑いながらぺらんと1枚の写真を取り出す。
「手紙と手紙の間に挟んであったよ。――この女性じゃないかな、そのってひと」
 黄ばんだ、白黒の写真。しかも青年が笑った理由が良く分かった。
「隠し撮り?」
 覗き込んだ嵐がそう言ってにやっと笑う。
「まあ、いけないんですよ、そういうのは」
 そう言いながらも、目は怒っていないみなも。
「――今は本当にあっさりと出来てしまいますけどね。当時は大変でしたでしょうに」
 斜めになっていて、ぶれている写真。その中で、親に付き添っているのだろうか、着物姿の綺麗な女性の姿があった。
「ああ…そうよ。この人」
 見せてもらったウィンが目を細めた。また会えたというような口調に一瞬変な顔をしたものの、何か納得したらしい和生が手紙を手に取り、「ごめんな、じいちゃん」と呟いてぴりぴりと開く。
 ――それは、不器用ながら、返事を貰えた嬉しさに喜び勇んでいる、若々しい男性の筆跡だった。そして、何枚か書いた後で急に紙の質が変わり、そして文章も、筆の勢いも変わる。
 内容は、親が突然に決めてきた縁談を怒る言葉と、自分の不実を責める言葉…そして、親不孝にはなり切れないと嘆き、
『――申し訳ありません』
 その言葉で締めくくっていた。

「…出せば、良かったのに。出せなかったのね」
 大事に今まで取っておいてあるということは、そうなのだろう。相手からの手紙も、相手の写真も今まで保存してあった所を見れば。
「体面とか…気にしたのかもしれない。結構気ちっちゃくて…でも、これは悪いよな。――謝ったのも、しょうがないよな」
 ぞろぞろと治療室へ向かいながら、和生がぼそっと呟く。
「――でもさ。…でもさ。だからって連れてって貰いたくないよ」
 写真の中で、微笑んでいる女性を見。
「草田さんですね?…とりあえず落ち着きましたので、別の病室へ移しました。ご両親へは?」
「連絡してあります。…入ってもだいじょぶですか?」
「ええ」
 待合室に居ない皆を探しに来ていたらしい看護師に連れられ、病室へと移動した。
「まだお話は出来ませんけれど、あまり興奮させませんように」
 その一言と共に室内へ入る。――無機質な音を立てる機械と、呼吸器を付けて眠っているように見える老人。和生が静かにその傍に寄って、
「じいちゃん」
 一言、声をかけた。
「じいちゃん宛ての手紙、見つけたよ。返事も…写真もさ。ごめんな、隠してたもの見つけちゃって」
 薄くなった髪を、撫でる手付きは酷く優しい。
「手紙、ちゃんと届いてた。…返事も、書いてたんだ。ごめんって、言ってただろ」
 祖父へと向けられた顔――だが、その言葉は祖父へと向けられた物ではないのが分かる。
 ふっ、と、セレスティと嵐が全く同じ方向を見詰めた。其れに続いて、ウィンもすぅっと視線をベッドの傍らへ向け、シュラインとみなもがそれに続く。
 ――誰もいない空間。なのに、何かがわだかまっているようにも見える。――目の錯覚かもしれないが。
「頼むから、連れて行かないでくれよ。――じいちゃんだって書いたんだから返事くらい出せば良かった。…俺、生まれなかったかもしれないけど、親の縁談が気にいらないなら駆け落ちでもなんでもすれば良かったんだ。――あんただってさ」
 不意に、和生の視線が、セレスティ達の向ける視線の向こうへと、誰かの目線を追うでも無く向けられ。
「その時に縋り付けば良かったんだよ…出来なかったのは分かってる。分かってるけど…だったら、じいちゃんを今連れて行くのだけはやめてくれよ。――返事なら、ここにあるから」
 ぱさりと、彼女が出した手紙と、出せなかった返事と――そして、写真がベッドの上に落ちた。
「とってあったよ、ずっと…ずっと、長い間、誰にも見せないで取っておいてあったよ」
 ゆらり。
 最後の言葉を和生が吐き出した途端、空気が、揺らめいた。
 そして。
 ――こふっ。
 咳が、老人の喉から漏れた。続いて、ひゅぅっと息を吸い込む音。
 息を飲む皆の前で、老人が…ゆっくりと目を開く。
「じいちゃん!?」
 慌てて、横たわっている祖父の手を取り、ぎゅぅと握り締めた、その和生の顔をまじまじと見つめ。
 口が、ゆっくりと動き。
「か…ず――ぼう、か」
 ――にっこり、と。
 その老人は、勢い込んで手を握り締めた和生の手を、ごく僅かだけ握り返し、そして――笑った。
 刻まれた皺を、くしゃくしゃにしながら。

 ――手紙と写真は、老人へ意識が向けられていた間に全て無くなっていた。ウィンがバッグに入れて持って来ていたものも、みなもが持ってきたものも、そして和生が家から持ち出して来たものも。無くなる訳が無いと部屋中を探してみたが、見当たらなくなる場所に落ちる筈も無く。結局1通も見つからないまま、和生の両親が駆けつけて来たのを潮に引き上げることにした。両親の後ろでこっそりと手を振る和生に小さく手を振り返しながら。
 次の日に、手紙が届くことは無くなった。その次も、そのまた次も。

   * * * * *

 後日。
 ――ほんの少しだけ。
 祖父の痴呆が後退した、と、青年が後で教えてくれた。
 年代は違うものの、家族を家族として認識出来るようになったらしい。時々小学生に間違われてます、そう告げた青年の声は、もしかしたら少し潤んでいたかもしれない。電話越しでは良く分からなかったけれど。
 そして。
「――お義兄さん、手紙が来てますよ」
 ぽんと渡された封筒を見て、武彦が思い切り顔を顰める。
 草間武彦様、と書かれた封筒の文字は、つい最近何通も連続で届いた筆跡に良く似ていたからだ。やや線が震えてはいたけれど。
「解決したんだよな?あれは」
「その筈ですけれど」
 嫌々開けて、中を覗き込み。中に入っていた紙を取り出した。
「…一度開封した跡があるな」
 呟きながら、便箋を開き――そして、ひらりと落ちた小さな紙を拾い上げた。それは、一筆箋で、中に一言、
『御世話になりました』
 年のせいか、震えながら、それでも綺麗な文字で書かれてある紙。
 便箋の方に目を通す。
『――先日亡くなった母の遺品を整理しておりました所、草間様宛ての封筒が残されておりましたのでお送り致します。亡くなったことお知らせしなければならないと思い、勝手ながら開封させていただきました。香典その他の気遣いは無用ですので…』
 遺族が手紙を追加したのだろう。一通り読み終えてほっと息を付く。
「この日付ですと、最初に手紙が送られて来た日にはもう…」
「そうだろうな」
 呟いて、手紙を封筒に戻す。これは誤配では無く、この事務所に宛てられたものなのだから。
「零。――この封筒も調査済みの中へ入れておいてくれ。後でシュラインがやって来た時にファイリングしてもらうから」
「分かりました」
 封筒を受け取った零が何か思いついたのか、未処理の箱に入れるとくるりと振り返り、
「今回の件は、もしかしたら誤配でもなんでもなくて、この方からの依頼だったのかもしれませんね」
「…だな」
「依頼料は入りませんでしたけれどね」
「………」
 そっぽを向いた武彦が煙草に火を付ける。
 ゆらりと揺れた煙の向こうで、くすりと零がひとつ笑った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ    /女性/ 26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1252/海原・みなも      /女性/ 13/中学生              】
【1588/ウィン・ルクセンブルク /女性/ 25/実業家兼大学生          】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725/財閥総帥・占い師・水霊使い    】
【2380/向坂・嵐        /男性/ 19/バイク便ライダー         】

NPC
草田和生
草田武彦

梅山その

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。「恋文」をお届けします。
今回は誤配というプレイングの他に、時空を越えた手紙、という解釈もしていただいて、其方のプレイングも楽しく拝見させていただきました。今回は誤って…最後の手紙はそうではありませんでしたが、誤って届けられた、という話で進めました。でも時空を越えたお話というものも楽しそうなのでいつか機会を作ってやらせていただきたいと思っています。

数十年の時を経て、ようやく交わった『想い』、それを読み取っていただければ幸いです。

では、またお会い出来ることを願って。その時を楽しみにしています。
間垣久実