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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


彼岸への地図

【壱】

 日が傾き、夜の闇があたりを支配し始めた頃、セレスティ・カーニンガムは慣れた足取りでアンティークショップ・レンのドアを潜った。店主である碧摩蓮はいつもと変わらない商いをする気などさらさらないといったような体でカウンター越しにセレスティに視線を向けた。いらっしゃいませの言葉もない。怠惰にカウンターに頬杖をつき、手慰みにファイルに収められた一枚の紙切れをふわりふわりと揺らしているだけだ。古めかしい紙切れが一枚、そのなかで所在なげにされるがままにされている。
「それは?」
 ふっとセレスティが問うと、蓮は揺らしていた手を止めてファイルのなかに収められた紙切れへと視線を向けて一つ嘆息した。
「厄介な品物さ」
 店内を埋め尽くす品々の間を縫うようにして歩を進めて、セレスティはカウンターを挟んで蓮を向かい合う格好で微笑んだ。
「見せて頂けますか?」
 云うと蓮は眉間を寄せて、よしな、と呟く。そしてこんなものは燃やしちまったほうがいいのさと誰へともなく云うと、手元にあった燐寸を手にとり勢いよく擦った。そしてファイルから引き出した今にも破れてしまいそうなほどに草臥れた紙切れに異臭を漂わせる燐寸を近づける。セレスティは火が紙に触れるその刹那、声を聞いたような気がした。
 ―――もう夢は終わりにして……。
 その声に弾かれるようにして咄嗟に蓮の手から紙を奪い取る。蓮はそんなセレスティがわからないといったような体で頸を横に振ると、愚かなことはおよし、と呟いて燐寸を吹き消す。細い煙が辺り溶ける。
「本当に厄介ごとが好きなようだね」
 呆れるようにして云う連に、それほどでも、と微笑みで答えてセレスティは自身の手のなかにやって来た古めかしい紙の説明を求めた。茶けた紙には掠れて判然としない図形のようなものが記されている。どこへ続くとも知れない螺旋を描いたような図形だ。それをじっくりと見つめていると、再度声が響いた。今度は明瞭とした、きちんとした声だ。蓮の耳にもそれが届いたのか、仕方がないといったような表情を刻むと大きく一つ溜息をついた。
「どうにかしてくれるのかい?」
「事情を話して頂けるのであれば」
「事情も何もないさ。そいつは莫迦げた人間の自己本位の塊だよ」
 汚らわしいものだと吐き捨てるようにして蓮は云う。つまらないものにはかまっている暇などないといった体でそっぽを向いて、再度大きく吐息を吐き出す。
「寝言に答えてはいけないって云うことくらい聞いたことはあるだろう?どうしてなのかも」
 セレスティは怠惰に呟く蓮の言葉に優雅に頷く。
「寝言は彼岸の言葉だからってことになっているけれどね、本当は呪なんだそうだよ。その根源がその地図さ」
 云って蓮はセレスティが手にしている紙切れに視線を向ける。そしてセレスティに真っ直ぐな視線を向けると言葉を続けた。
「呪い殺したい相手の枕の下にそれを忍ばせて、寝言を云うのを待つんだよ。そしてそれに答えれば、相手は死ぬ。……否、死ぬというのは正しくないのかもしれないね。眠りという死にも似た永遠のなかに閉じ込めてしまうんだそうだよ」
 蓮の言葉を聞きながら、セレスティは手にしている古めかしい紙切れが重さを増した気がした。人の報われないままに袋小路に送り込まれて戻れない心がそのなかを彷徨っているのかと思うとおざなりには扱ってはいけないような気がしたのだ。肉体がなくとも、ここに意思があるのならそれを尊重してやるべきなのではないだろうか。そんな気さえしてくる。
「人の傲慢さが生んだ代物さ。そんなものをいつまでもこの世に残しておく必要がどこにあるというんだい?」
 蓮の心は既にセレスティの手の中にある地図を焼き払うことで消失させてしまうことを決めてしまっているようだった。けれどそれでは何一つとして解決しないのではないだろうかとセレスティは思う。根本的な解決は人をそのようにして現世から引き離した者の罪を問うことではなく、この地図のなかに閉じ込められてしまった者の心の声を聞くことなのではないかと思ったからだ。
「確かにこれは人の傲慢さ、自己本位が生み出した罪の証なのかもしれませんね。けれど、それによって彼岸へと送られた人はどうなるのでしょう?この地図を燃やしてしまったところでこのなかから解放されると云うのですか?」
 僅かに語調を強めてセレスティが云うと蓮はカウンターの下に手を突っ込み、乱暴な仕草でカウンターの上に一つの枕を放った。そして勝手にしろとでもいうようにぶっきらぼうな口調で、
「そんなにそこにいる奴の念に拘るのなら、解決しておやり。その枕の下に地図を忍ばせて眠ればいいんだそうだよ。そうすればそこにいる誰かに会えるだろうからね」
と云うとカウンターの奥の死角へと姿を消した。
 なんだかんだと云って蓮も地図の内に囚われた誰かのことを考えていたのではないかとセレスティは思う。そうでなければ枕をすぐ手の届くところに置いておくことはなかっただろう。カウンターの上に放り出された枕を手に、セレスティは店内を見回し、西洋アンティークの優雅さを醸す寝椅子に目を止めた。ゆったりとした曲線を描くフォルムをまとうそれに近づきそっと枕を設えると、その下に地図を忍ばせ躰を横たえる。
「そこには何があるというのですか……?」
 誰へともなく呟いて目蓋を閉じると、滑らかに流れる髪の下の決して心地良いとはいえない枕の下から声が響いた。
 ―――闇と夢。それだけよ。終わらないものだけが私を縛って離さないの。

【弐】

 眠りの淵は曖昧に揺れる。
 重力から時はなれて空中を彷徨う水滴のように、ふわりふわりと曲線を描くようにして……―――。
 人は自分が眠ったことには気付かない。ふと気付いた時には眠りのなかにいて、ふと気付いた時には目覚めている。夢とは死にも似た眠りを誤魔化すための虚構でしかない。終わることを知っているから眠ることができる。虚構が永遠ではないことを無意識のうちに理解することができるから、人は眠りに総てを明け渡すことができるのだ。それが彼岸への第一歩だというこを知りながらも、それを恐れずに無防備に眠ることができるのである。
 ―――終わらない夢のなかは……。
 女性の声が響く。闇のなかに流れる一筋の黒髪。艶やかに滑らかに曲線を描いて、視界をすり抜けていく。紅色の唇が闇のなかで言葉を綴る。
 ―――とても暗くて……とても冷たく……。
 眠りが日常になったのはいつからだろうか。生れ落ちたその時から当然のことになっていたような気もするが、それ以後のような気もする。そもそも眠りというものはなんであるのだろうか。肉体を維持するために必要不可欠なもの。本当にそうなのだろうか。眠りは怠惰に、時間を空費するもののような気もする。起きている時間がもっと長ければ多くのことができるような気がする。
 ―――終わらないというそれだけが…本当……。
 闇のなかで女性が面を上げた。蒼白い顔が闇に浮かび上がり、セレスティの視界のなかではっきりとした輪郭を描く。長い髪を背中まで垂らし、浴衣姿で淋しげにセレスティを見つめている。
「あなたは……?」
 ―――私は私。そして私たち。……終わらない夢の囚われ人。幾年月日が流れたことか。あなたはそれをご存知ですか?
 セレスティは頸を横に振ったつもりだったが、それが本当に形となって彼女の目に映ったかどうかはわからなかった。肉体というものの曖昧さ。躰は軽く、意識だけが鮮明。所在無さが不快感にも似たものをもたらす。居た堪れなくなるほどの不安。
 ―――じきに慣れますわ。肉体などただの器にすぎませんもの。
 その言葉にセレスティは本音なのだろうかという疑念を抱く。
 だから問うた。
「あなたは、否、あなた方は夢を終わらせてほしいのではなかったのですか?」
 女性が微笑む気配がした。けれどセレスティの目に映る女性が笑っている気配は微塵もなかった。まるで能面のように無表情だ。冷たくしんと冷えて、何もかもを諦めてしまったとでもいうようにしてそこにある。
 ―――ここへ来てしまったあなたに何ができるとおっしゃるの?
 声に滲む微笑みの気配は確かだというにも拘らず、微笑んでいる人などどこにもいない。目の前にいる女性はただの幻のようにして微動だにしなかった。まっすぐにセレスティを見つめて、何かを待っているようなだけだ。
 沼地に足を取られるような気配。ずぶずぶとどこまでも沈んでいくような、不快感。意識だけだというのに、皮膚を通して感じるようにそれは鮮明だ。恐怖を伝達しようと足掻く神経の存在を感じる。それを忘れてはならないのだと何かが訴えている気配がする。
 ―――此処は彼岸の始まり……。一歩踏み出せばあなたは此方側の住人よ。
 声が木霊する。まるで誘惑するかのように、招き寄せようとするかのようにして涼やかに響く。
「あなたたちはずっと此処にとどまっているのですか?」
 セレスティが訊ねる声に気配が笑う。
 ―――面白いことをお訊ねになるのね。
 反響する声が無数の人々の気配を伝える。
 ―――私たちが他に何処へ行けるのだとおっしゃるの?
「では諦めているのですか?ここへずっととどまっていなければならないのだと、そうした自身の運命を諦めて、同じような存在を引き寄せているのですか?」
 ―――つまらないことをおっしゃる方ね。
 長い沈黙。
 ―――誰が私たちを救ってくれるのかしら?
 人の心はどこまで堕落していくのだろうか。人に呪われ、人に殺され、それを目の当たりにした人々やそれを行使した人々の心は何に蝕まれ、どこまで堕落していくのだろう。良心などという言葉は疾うに失われてしまったとでもいうのだろうか。あまりに愚かな現実。どこまでも堕落して、どこまでも自らの罪から目を逸らし続ける。向き合うことで総てから許されることを拒み続けるのは虚勢なのか。それとも傲慢な自我なのか。
 ―――肉体など疾うに失われて、私たちが戻る場所などもうどこにもないのよ。夢が淵だけが私たちの永遠。ここからは逃れることも、離れることもできない……。
「では、どなたが夢を終わらせてほしいという声を私に届けたのですか?」
 セレスティが問うと、不意に辺りの空気が凍りついたような気がした。触れられたくないところに触れられてしまったとでもいうようにして、冷たい空気が肌を撫ぜるような気配がする。能面の女性がまっすぐに仄暗い目でセレスティのことを見つめている。セレスティはその向こう側に問いかけるようにして、云う。
「夢を終わらせてほしいのだと願うあなたも確かにそこにいるのではありませんか?」

【参】

 揺れる、水面に曖昧な、影が映る。
 そんな幻が見えた気がした。
 闇のなかに浮かび上がる淡い光の球体。それはあたりをぼんやりと漂って、次第に数を増やしていく。
 ―――あんたが初めてだ。
 男の声とも女の声ともつかない声が云う。
 ―――殺されたわけではないんだね。
 木霊する声の主などどうでもいいこと。
 ―――面白い……。自ら望んでここへ来るなんて。
 云う言葉にセレスティは答える。
「あなた方に呼ばれたといっても過言ではないのかもしれませんけれどね。―――さて、どうなさるおつもりですか?」
 ―――あなたはどうすれば良いと思っているのです?
 声が訊ね返す。
「あなた方が行くべきだと思う場所へ行けばいいのではないのでしょうか?
 吐息に空気が震える微弱な気配。
 反響。
 水紋が広がるように拡散。
 音の波。
 溶け出していく。
 一つ一つが霧散する。
 そんな気配があたりいっぱいに広がる。
 そしてふと気付くとセレスティは確かに自分の肉体と共にそこにあって、目の前には肉体を持った、否、肉体を持ったように見せかけた寝間着姿の女性が立っていた。もう能面のような顔はしていない。申し訳なさそうに目を伏せて、話しをするべきなのかどうかを迷っている様子だった。
「あなたも行くべき場所は行かれたらどうですか?」
 ―――私を責めないのですか?
「その必要がどこにありますか?私はあなたに呼ばれたからここに来た。それだけです」
 女性はふっと柔らかな微笑みを浮かべた。そしてするすると糸が解けるようにしてその姿を闇のなかに溶かしていく。ゆっくりと頭を垂れて、申し訳なさそうにしながら静かにその姿を溶かしていった。
 絶対的な闇が戻ってくる。目蓋の裏側を染める闇の鮮明さに、意識の自由が奪われていく。五感に触れていたものが一つ一つ剥がされていく。深い眠りの底だろうか。それともこれは目覚めの予感なのかわたからないままセレスティがそれに身を任せると、不意に現実の声が鼓膜を震わせた。
「いつまで寝てるんだい」
 セレスティの顔を覗き込むようにして蓮が立っている。
「おはようございます」
 微笑と共にセレスティが云うと、本当にね、と云って蓮は店の外へと視線を向けた。
 朝陽が眩しいくらいに外の世界を満たしていた。
 眠りは覚めて、生が帰ってくる。
 思いながらゆっくりと上体を起こして、セレスティが枕の下を探るとそこにあったのは古びた、何も描かれていない白紙。地図のように張り巡らされていた図形はすっかり姿を消していた。
 連が笑う。
「つまらないものに煩わされていたもんだ」
 その言葉を受けてセレスティは云った。
「何はともあれ、これで良かったのでしょう」
 二人は笑う。
 差し込む朝陽が眠りを遠くへ運び去る。眠りは覚めて、永遠など遠くに消える。死に似ていると思うのは、きっとそれがあまりに心地良く、あまりに恐怖に満ちているものだからだろう。時々現実が重く圧し掛かる時、逃れる場所だからこそ畏怖する。それが眠り。囚われたままではいられないと思いながらも、どこかでそこに永遠に逃れてしまいたいと思う場所。そここそが眠りというものが支配する場所なのだ。
「眠ることが怖くなることはありませんか?」
 不意にセレスティが訊ねると蓮は真顔で答えた。
「怖いさ、時々ね。でも必ず目覚めることを知っていればそれほど恐れる必要もないんだよ」
 その言葉を噛み締めて小さく伸びをすると、いい朝ですねと呟いてセレスティは寝椅子を下りた。
 



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】


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■         ライター通信          ■
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いつもお世話になっております。沓澤佳純です。
雰囲気重視とのことだったのでなるべくご期待に添えるよう努めさせて頂いたのですがいかがでしょうか?
少しでもお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。