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<東京怪談・PCゲームノベル>


死神の花園

 街中には夏の陽射しが容赦なく降り注ぐというのに、彼が今歩いている森の中は、半袖だと少し肌寒く感じるのではないかと感じられる。
彼――尾神 七重はゆったりとしたペースで進めてきた足を止め、鬱蒼と繁る木々の葉を仰ぎ眺めた。
圧しかかってきそうな灰色の雲が一面に広がっていて、それを見ている七重の気持ちまでも暗く潰れそうになる。
……ふいに吹いた風が彼の頬を撫でていき、その冷えた感触で自分を取り戻して、暗く沈む気持ちを否定するかのように頭を横に振る。

――――もう二度と、瞼を閉じることはしないと。そう決めたんだ。

 きちんと切り揃えられた灰色の髪を風が揺らして吹きぬける。
気分まで滅入りそうになる陰鬱な森の光景と、それを増長させる空の色。
膝丈ほどにまで伸びている草花の緑を踏み分けて、小さな深呼吸を一つつく。

 森は無意識を象徴するものだと唱えたのはユングであっただろうか。
その説が事実であるならば、彼の心象を現す森は、これほどにまで陰鬱なものだということだろうか。
「もっともあれは夢占いでの診断だったはずですけれども……」
 陰鬱としたそれを一蹴するように、ふと小さな笑みを零した。
その笑みが持つ意味は、彼自身にも解らなかったけれど。


□ ■ □

「私も見たことのない花だっていうのよ」

 エカテリーナはそう言うと、悔しそうに表情を曇らせて小さな舌打ちを一つついた。

 七重が魔女エカテリーナの屋敷を訪れるのは、これが二度目のことになる。
歓迎の意をこめて七重を迎え入れたラビは、エカテリーナの部屋に彼を通して淹れたてのアイスコーヒーを差し伸べた。
 七重はラビに小さく頭をさげると、伸べられたグラスの中身を一口だけ口にした。
「よく来てくれたわね、七重。――ちょうど誰かの手を借りたいと思っていたところだったのよ」
 エカテリーナはそう告げてからグラスに残っているコーヒーを一気にあおり、口の端を持ち上げて笑みを浮かべた。
 
 事の起こりはエカテリーナが風の噂で耳にしたのだという、花の話題だった。
彼女の古い知り合いが新しい花を咲かせることに成功したのだという。
「どんな特長の花なのかってことが判れば私には自分で創り出すことが出来るのよ」
 エカテリーナの手に収まったままのグラスに、新しいコーヒーを注ぎ入れるラビをチラリと見やりつつ、魔女は言葉を続ける。
「古い馴染みなんだけれど、私から株分けを頼むとかそういうことはしたくないのよ。種さえあれば、そこからさらに新しい花を創造してやるのに」
「……お友達とかですか?」
 ポケットからハンカチを取り出して口許を拭いつつ、七重が魔女に問う。
エカテリーナはその問いに対して首を横に振ってみせると、ガラス製のテーブルの上で両手を組んだ姿勢で体を僅かに前のめらせた。 
「彼とは同じ森を住みかとする者同志というだけの付き合い。たとえてみればお隣さんってところかしら」
 なるほどと頷き、七重は汗をかいたグラスを再び口に運んで肩をすくめた。
「さきほど仰っていた、ちょうどいいというのは……その花に関することで、誰かに何か頼み事をなさろうというところだったのですか?」
「その通りよ、七重。その花さえ手に入れれば――可能ならその種を手にしてしまいさえすれば、後はどうにでもなるのだもの」
 グラスの中にストローを突きたててそれを弄びながら、魔女はそう言って瞳に浮かべている赤い光をほんの少し細くさせた。
「それなら僕が行ってきます。ちょうどここへお邪魔させていただいたのも、何かのご縁でしょうし」
 前こちらにお邪魔させていただいた時、ご迷惑をおかけしてしまいましたしと言葉を続け、エカテリーナの後ろで控えているラビに目を向ける。
ラビは視線に気付くとやんわりと微笑み、とんでもありませんと返した。
 二人のやり取りを眺めつつ、エカテリーナは満足そうに微笑んで椅子の背もたれに背中を押し当てた。
「ありがとう、七重。助かるわ。――それで、その花の持ち主なのだけど、ちょっと曰くのある人なのよね。死神という呼称を持っているのだけれども」
「死神、ですか?」
 エカテリーナの言葉に瞳を細くさせる。
「穏やかではない別称ですね……その由来はどういったものなのですか?」
 七重は鈍く光る赤をたたえた瞳をゆらりと細め、淡々とした口調でエカテリーナを見据えた。
その光を確かめて、浮かべている笑みをさらに満面にたたえて小首を傾げると、魔女は長い髪を手櫛で撫でつけながら口を開いた。 
「つまり、彼を訪ねていった客人が一人も戻ってこなかったとか、戻ってこなかった客人達は皆、彼の周りで揺れる花に変えられてしまったのだとか。
……まあ、彼が死神なんてあり難くない名前を戴くことになった噂というのかしら」
「一人も戻ってないのですか? それは全て死神が?」
 七重が言葉を返すと、魔女はわずかに眉根をよせて首を横に振る。
「事の真相は私も詳しく知らないのよ。だって私には興味のないことだもの。――どうかしら。行ってきてくれるかしら」

□ ■ □

 湿った土を一歩一歩踏みしめながら歩く。
初冬を思わせるような冷たい風が巡る中、目指す先に視線を向ける。
――そろそろ一時間は歩いてきただろうか。
 
『ここから一時間ほど歩いた場所に、死神の住みかがあるはずです』

 屋敷を出立するときに聞いたラビの声が頭の片隅で回る。
『僕が一緒に行って案内をしましょうか?』
 ラビはそう言って心配そうに眉をしかめたが、七重は言葉なく首を振って断わった。
大丈夫です。今回はきちんと仕事をこなしてきますから。
そう言って丁寧に頭をさげた七重を、ラビとは対称的な笑顔をもってエカテリーナが送り出してよこしたのだった。

 それほど前のことではないやり取りを思い出しながら足を進める。
――――やがて彼の視界に映りこんできたのは、乱立した木々が途絶えた向こうに広がる、広大な緑の海だった。
膝丈よりも高く伸びた草が風にあおられて波打っている。
海岸に打ち寄せる波にも似た音を響かせて揺れる草の海。その光景に少しの間だけ気持ちを奪われた後、草原の中央にそびえている大樹に目を向ける。
「…………」
 腰下まで伸びている草の中に身を投じ、からみつく草の根に足をとられないように注意を払って、かきわけながら進んでいく。
緑の向こうに、灰色の空が両腕を広げている。
気を抜いたら自分をとりこんでいきそうな空を見やり、七重は唇をかみしめた。

 七重がこれまで積み上げてきた時間は、ふとした瞬間に彼を暗闇へとさらっていこうとする。
彼は今までそれをただ暗黙と了解してきたのだけれども――今は違う。

 記憶の中で渦巻く言葉に眉根を寄せ、迫ってくるように広がる雲を振り払うように草をかきわけた。
途端に草の海は途絶え、代わりに広がったのは一面に芳香を漂わせている花園だった。
色とりどりの花が風に揺れ、ひっそりと咲いている。
「……これが……」
 独り言を呟こうとした時、花園の真ん中にそびえている大樹から屈託なく笑う子供の声が聞こえた。
「お客さん? 久しぶりだなぁ」
 声の主はそう言って嬉しそうに笑い続ける。
 七重はその主を見やって丁寧に頭を下げ、片手をネクタイにあてて軽く首を傾けた。
「初めまして。森の魔女エカテリーナさんから言伝を受けまして、あなたを訪ねてまいりました」
 丁寧に、そしてゆっくりと挨拶を告げる。

 死神はサーカスなどにいそうな道化の仮面をつけていて、どうにかすれば簡単にひしゃげてしまいそうなほどに細い体を、膝を抱えるような姿勢で大樹の根元にある窪みにしまいこんでいた。
背丈だけを察すれば七重よりは大人なのだろうかと思えるが、発する声は明らかに七重よりも幼いように聞こえる。

「魔女のお遣い? きみ、魔女の友達?」
 死神は窪みに収まったままで七重の顔を見上げると、カクリと首を横に傾けた。
「僕がエカテリーナさんの屋敷にお邪魔したのは、今回で二度目です。お二人とは親しいというわけではないと……思います」
 返ってきた七重の言葉に頷き、死神はようやく腰を持ち上げる。
細くしなる枯れ木のような細い体。立ちあがった死神は、やはり七重よりも頭二つ分ほど背が高い。
 死神は七重の応えを聞きながらカクカクと体を揺らしている。その姿はまるでどこかから操られているマリオネットのようだ。
「フゥン。まあいいや。それで? お遣いの中身は?」
 人形のように動く彼の姿は無気味ではあったが、七重は表情一つ変えることなく言葉を放つ。
「あなたが新しい花を作り出したのだという噂があるそうです。エカテリーナさんはその花を見てみたいと」
「花? ああ、花か、なるほど。花ならその辺に咲いてるからさ、適当に持って帰りなよ」
 カクリカクリと揺れながら七重の顔をじっくりと眺める死神に、七重は首を横に振ってみせた。
「出来たら種も一緒にいただきたいと思います。よろしいでしょうか?」
 ゆらゆらと揺れ踊るように周りを巡る死神に視線をあてて、七重はポケットからハンカチを取り出してそれを広げる。
種を手にいれた場合、帰路の途中でなくしたりしないよう、包んで持ち帰ろうというのだ。
 死神は彼の動作を確かめて、甲高い声を張り上げ笑った。
「種なんてそんなもん、魔女なら花さえあればどうにでも出来るでしょ? ……ああ、そうだ。きみ、花は勝手に持ち帰ってもいいけど、ちょっと頼まれてくれない?」
「――――頼みですか?」
 ハンカチを折りたたんでポケットに戻すと、七重は死神の面を見据えて小首を傾げた。
 死神は七重の返事に何度も首を縦に振ってみせ、ゆっくりとした動きで片手を持ち上げてカタリと揺れる。
「――きみの心の中を、ちょっと覗かせてよ」
 伸ばされた死神の片腕が七重の腕を掴もうとする。
 七重は死神の顔から視線をそらすことなく、溜め息のように呟いた。
「僕の心を覗くのはいいですけれど……あなたはこれまでもそうして人の心を覗いてきたのですか?」
 死神の手が止まる。
「そうだよ。ぼくは今までにたくさんの人間の心を見てきた。――だから?」
「……人の心を覗き、それを知るっていうのは……辛くないですか?」

 灰色の空から降りてきた風が、花園とそれを囲む草の海を大きく揺らして過ぎていく。

「――――辛い?」
 ぼそりと呟くように返してきた死神の言葉に、七重は小さく頷いた。
「見たくないものや知りたくないことというのは、やはり往々にしてあるものだと思います。全部が自分にとって良いことばかりではないのですから」
「きみは? 見たくないこととか知りたくないことを知ってしまったっていうことがあるの?」
 死神は差し伸べていた腕を引き戻し、再び大樹の窪みに体を収め、カクリと首を傾けている。
七重はわずかに目を細め、肩をすくめてみせた。
「何度も、何度も。――でも」
 その後に続く言葉を飲みこんだ七重を見上げ、死神が体を揺らす。
「でも?」
 
――――瞼を閉じれば、全ては闇に沈む

「でも僕は」

 伏せた睫毛の下にある赤い瞳が、危ういような光をもってゆらりと揺れた。

「僕が今まで経験してきた思い出や記憶は、無くすことが出来ない事実です。だから僕は、それから目をそらすようなことはもう止めようと……そう決めたんです。
もう取り乱すことなく、ちゃんと自分が置かれている状態に正面から向き合っていこうと」

 睫毛を持ち上げて死神を見やる。
彼は大樹の根元で膝を抱えて丸くなり、言葉を発することもなく、ただ静かに七重を見上げている。

 瞬きの後、死神はゆらゆらと体を動かしながら立ちあがり、大樹のすぐそばにあった花を一輪摘みとって七重に差し伸べた。
「持っていきなよ。これがあればあとは魔女がどうにでも出来るはずだし。……ナナエっていったね。きみはこの花から生み出される新しい花を見届けてくれるの?」
 差し伸べられた花を受けとり、深く頷きながら七重は小さな笑みを浮かべた。
「どんな花が咲くのか楽しみです。……その、出来れば花を育てていくお手伝いとかもしていきたいと思ってますし」
 
 照れたように笑ってみせる七重に、死神はやわらかな声音で言葉を告げた。
「ナナエ、今度どんな花が咲いたか教えてよ」

 七重はただ小さく頷いて、再び不慣れな笑顔を浮かべる。
「わかりました。約束します」


 七重が持ち帰った花はジャスミンに似た花びらに、暮れていく空を彷彿とさせる色を浮かべていた。
 エカテリーナはその花を受け取ってからずっと、クルクルと回しながら眺めている。
「お疲れ様でした、七重君。……お怪我などされていませんか?」
 冷えた緑茶が入ったグラスを七重の前に置きながら、ラビがわずかに首を傾けて訊ねた。
七重はグラスを手にとってラビに目を向けて、こくりと首を縦に動かす。
「あんたは過保護ね、ラビ」
 ラビの問いに対して口を挟み、エカテリーナが小さな嘆息を一つついてみせた。
「七重はあんたが思っているような子供ではないのよ。ちゃんと自分で立とうとする気力のある、一人の人間なのよ」
 そう告げる魔女の手の中で、花は見る間に種へと姿を変えていく。
魔女の言葉に眉根を寄せたラビに向けて、七重は軽く手を振った。
「……いえ、僕はまだ子供です。誰の手にも頼らずに立っていることはまだ難しいかもしれません……でも、出来るかぎりは自分の足で立って行こうとは思ってます」
 グラスを握り締めたままでそう応えた七重を、エカテリーナが微笑みつつ眺める。
「まあ、ともかくも、今回は助かったわ。ありがとう、七重。これはお遣いのお礼よ」
 差し出されたエカテリーナの手が握り締めていたものを受け取り、それを確かめて、七重は少しだけ驚きの色を浮かべた。
手渡されたものは、今しがた自分が持ち帰ってきた花から創りだされた種だった。
「これは」
 言いかけた七重の言葉を片手で制すと、エカテリーナはグラスの中身を口にしてから首を傾げた。
「あれと同じ花は咲かないわ。形とか少しづついじって変えたから。――あなたの心を反映したものが咲くはずだわ」
 クスリと小さな笑みを零し、魔女はそれきり口を閉ざした。
「……僕の心を映した花…………」
 
 グラスの中の氷が溶けて崩れていく音がする。

「七重君の心ですか……どんな花が咲くのか、見てみたいです」
 そう言って笑うラビが、エカテリーナの向こうで穏やかな笑みを浮かべて七重を見守っている。
彼の笑顔を眺めつつ、七重は魔女から貰った種に視線をおとした。
「……大事に育てます。咲いたら見ていただけますか?」
 呟くように問いた声に、ラビは大きく頷いていた。
「…………ありがとうございます」
 消え入りそうな声でそう返し、睫毛を伏せた七重の顔には、小さな小さな笑顔が浮かんでいた。

  

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2557 / 尾神・七重 / 男性 / 14歳 / 中学生】



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■         ライター通信          ■
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いつもお世話になっております。今回はゲームノベル「死神の花園」に参加してくださいまして、まことにありがとうございます。
今回も納期ぎりぎりの納品になってしまいました。大変申し訳ございません…。

今回はいただいたプレイングがほんの少し前向きなものであったように感じられまして、私なりに色々と想像させていただきました。
つまり、例えばこれから強くあろうと思い立った人間は、しかしすぐにそれを実現出来るのだろうかとか。
もう2度と泣かないと決めていても、本当にそれを実現出来る人は僅かなのではないかと、私は考えました。
まして七重君はまだ年若く、これからまた彼を打ちのめすような事が無いとも限らないだろうし、と。
…なので、今回のノベルでは、これから強くあろうと思い立った彼の、まだ少し不安定な…けれどもどこか頼もしい…
そんな感じを少しでも表現できればと思い、書かせていただきました。
勝手な妄想で申し訳ありません
ほんの少しでもお気に召していただければ、光栄に思います。

それでは今回はありがとうございました。また次回、機会がございましたら、お声をいただければと思います。