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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


恋文
「お義兄さん、手紙が届いていましたよ」
 買い物から帰ってきた零が、請求書の束と、何通かの封筒を手に歩いてくる。
「ダイレクトメールの類なら捨てていいぞ」
「今日は入っていなかったみたいです。良かったですね」
「それでもその量か…。寄越してくれ」
 一緒に渡された請求書や依頼にもならない愚痴の手紙の類に顔をしかめながら、最後に手に取った封筒に一瞬おや?と違和感を感じつつもぺりぺりと中身を開き、その中に書かれてある便箋に目を通した。
『―貴方様からの突然のお手紙、驚きました
  やさしく、あたたかいお気持ち、とても嬉しく拝見いたしました
  すぐにお返事を、と思いましたが、なかなか良い文面を思い浮かばす、長い間お待たせして申し訳ありません
  一日も早くお会いできますよう願っております
  それまでどうかご健勝でおいでくださいませ
  武彦様まいる              その』
「………は?」
 思わず眼鏡の位置を合わせてまじまじと見つめてしまう。
 全く身に覚えの無い内容に、何度も何度も読み返し、眉を寄せたまま考え込み。
 そして、封筒の表裏を調べてみた。
 宛名は、大雑把に書かれてはあるもののこの辺の住所に間違いは無く、名前も草○武彦と二文字目がかすれているものの自分の名に思える。――興信所宛てではなく個人名宛ての手紙は珍しいのだが。
 違和感が、どうしても消えない。
 もう一度表を良く見返してみると――
「そうか」
 納得行ったようにぽつりと呟いた。
 貼られていた切手は、10円のものが1枚きり。
 通常ならば、送られて来る筈の無い手紙だった。

   * * * * *

「――仕方ない、呼ぼう」
 1週間後。げんなりとした顔の武彦が、零に声をかける。それをみた零も心配そうな顔をしながらこくりと頷いて登録されてある臨時雇い名簿を持ち出して来た。
 単なる郵便事故かと思っていた。――ずっと昔に出した手紙や葉書が、どういう経過でか紛れ込み、数十年を経て相手に届く事がまれにある。その類だと思っていたのだが。
 あの日から、毎日手紙が届く。差出人の名も筆跡も同じ、そして内容は日に日に増してくる思慕の念が書き連ねてあり、そしてまた武彦からの返事が届かないことに対する恨みがましい言葉も次第次第に増えてきていた。
 肌寒い気持ちを感じたのは間違いでは無い筈だ。
 最初の日以来、貼られている切手は全て10円のものだったのだから。

   * * * * *

「ラブレターが送られてくる、ねえ」
 戸惑い気味の連絡を受けたあとで、少し考え込んだウィン・ルクセンブルクは、こっそりと辺りを見回してみた。
 偶々と言うのか、その時自宅にはウィンしかおらず、そして連絡内容と言うのが、手紙の誤配とでも言うものらしい。
 …危険はあまりなさそうなのよね…。
 もう一度、何となく動きを止めて辺りの気配や音に耳を澄ませてみた。…近くに誰も居る様子は無く、そして普通通りならば戻って来るのはまだ暫く先のことだろう。
「――いいわよね?」
 誰にともなく許可を求めるように呟く。その返事は当然の如く無かったが、ウィンはにっこりと笑うと出かけるための外出着を選びにクローゼットを置いてある部屋へと移動していった。
「あら」
 事務所へやって来たウィンを目ざとく見つけたシュラインが目を輝かせ、そして次の瞬間軽く眉を寄せる。
「大丈夫なの?」
「黙って来ちゃった。大丈夫、メモは残してあるし…それにそんなに危険そうじゃないでしょ?」
「そうね…でも、気を付けてね?思いつめた心程やっかいなものはないから」
「ありがと」
 気遣って椅子を勧めてくれたシュラインへ笑顔と共に礼を言ってちょこんと椅子に座り、ふぅっと息を吐いた。
「…大丈夫ですか?もしかして、具合悪いんですか?」
 シュラインとのやりとりを見て何を思ったのか、すすす、と近寄ってきて心配そうに聞いてくるみなも。それにはゆるりと首を振って軽く微笑むと、
「大丈夫よ。大事を取って座らせてもらっているだけ。走ったりは出来ないけれど病気じゃないわ」
「?」
 『ここ』と声を出さずに口にすると、腹部にそっと触れて…それでみなもにもわかったらしい。ぱっと顔を輝かせてその部分を注目しては顔を上げて「おめでとうございます」と自分のことのようにぱぁっと笑みを浮かべた。
「あ…でも、それじゃあ調査は…」
「激しい動きとか、衝撃が無ければ大丈夫よ。…いつも兄にばかり楽しい思いをさせたくないもの。ねえ?」
「そうですね」
 くすくす、とみなもが笑い、その話を聞いていたシュラインも軽い苦笑を浮かべながら同意なのかこくんと頷いた。
「それじゃあ、早速だけど最初に届けられた手紙を見せてもらえるかしら?」
「――ええ。いいですよ」
 その声に応えたのは、ウィンの目の前にいた2人ではなく、奥の応接間で手紙を『観』ていたセレスティの穏やかな声だった。
「10円って何年前に使われたものなの?」
 そう聞きながら、封筒を裏表と返してそこに書かれている文字を読み取っていく。
「大体大雑把な計算で4〜50年位前だ」
「そうなの、ありがとう」
 他の手紙も見聞していたらしい嵐がふっと顔を上げて言い、礼を言ってまた封筒に視線を戻す。
 宛名は聞いた通り、草○武彦となっている。住所はかなり大雑把で、郵便番号なども書かれていない。…切手も10円で間違いなく…そして、消印は。
「……あら?」
 ふっとウィンの眉が寄せられた。
「消印は今のものなのね」
「そうなんですよね。当時に出されたものじゃない、ということなんでしょうか?でも…」
「そうなると、『返事が来ない』と手紙が舞い込んでくる理由が分からないのよ」
 届いた手紙は全部で7通。来る時間は最初の日こそ午後だったが、それ以降はどうやら午前の便で届けられているようだった。――古い時代の切手を使っているとは言え現実の価値は10円で。それならば料金不足と言う事で郵便配達人から不足料金の請求が来そうなものだがそれは無かった。
「郵便屋さんは気が付いてないんでしょうか?」
「その可能性もあるわね」
 シュラインがどさどさと電話帳をテーブルに置いて、みなもの言葉を引き取った。これから電話帳を元にこの近辺の住所と名の調べ物をするらしい。
「手伝わなくてもいいんですか?」
 封筒を熱心に調べていたセレスティが何か申し訳なさそうに言い、「あー、いいんだいいんだ」と嵐がぱたぱた手を振る。
「セレスティはセレスティの『目』で見てくれりゃいい。俺達は俺達の目で見るまでさ」
 そう言って口の端を歪めるように笑う。
「どうしても駄目なら手伝ってもらうが」
「分かりました」
 頑張れよー、と言う投げやりにも取れるような声を残し、嵐はシュライン達の居る場所へ集まっていった。

   * * * * *

 差出人の名は手紙の中にある「その」しか無く、住所も苗字も書かれていない。其れを確認した後、ぺたりとテーブルの上に手紙を置いた。
 ――すっ、と、最初に送られてきた手紙へと手を伸す。一足先に手を付けていたセレスティは何か考え込み、それ以降に届けられた封筒を調べている。
 軽く呼吸を整え、それから慎重に手紙へと指先を走らせた。何か、読み取れるものを探して。

 ――さらさらと、丁寧に文字を走らせる姿が見える。白い、指先。ペンを持った手が時折止まり、そして。
 ぴりぴり。
 書きかけた内容を読む時間はなかっただろう。そのままその白い手は紙を破り、そして再びゆっくりとペンを走らせ始めた。
「……どうして…」
 細い、細い、声。
 書かれている、嬉しそうな内容にはそぐわない、絶望的な声が聞こえてきた。
 ……一日も早くお会いできますように……
 ぽたり。
 大きな雫が便箋の上に思いがけず大きな音を立てて落ち、『嬉しく』の字が大きくにじんで見えなくなった。
「また…書き直さなきゃ……」
 震える声が手を止め、次々に増える文字のにじみを隠すように何度も便箋を引き裂いた。

「うーん」
 ふっと戻った意識にぱちりと目を開いて首を傾げる。
「どうでしたか?」
 セレスティがウィンを気遣うようにそっと声をかけた。その彼へ礼の意味も込めてそっと微笑みかけながら、
「特にこれと言って手がかりは掴めないわね。…そう言えば、あの返事って悪いものじゃないのよね?なんで泣いていたのかしら」
「泣いていたのですか」
 ええ、と軽く頷いたウィン。
「ラブレターを戴いた返礼を書いているにしては随分悲しげだったし」
「そう言えば、書上げた時も楽しい、という感情はありませんでしたね…」
「やっぱり?」
 ――今までに来た手紙はまだ残っている。其方を調べることにして、最初の手紙を手にセレスティの傍へ移動する。
 電話帳を調べ、目的の場所らしい電話番号へと片っ端から掛け続けていたシュライン達の方は手紙の本当の宛先らしき家に突き当たったらしい。其方の「武彦」へ確認してもらうために最初に興信所へ届いた手紙を大事にバッグに仕舞ったみなも達が、確認のために地図を調べていた嵐の案内で現地へと向かっていった。それを見送ってから、しきりに手紙を調べていたセレスティへ顔を向ける。
「何か分かった?」
「――」
 見れば、セレスティの透き通った青い瞳は入り口へと向けられたままになっている。その手はせわしなく手紙に触れていたのだが、良く見れば手の動きよりも目の方へと意識が行っているのに気付いただろう。
「どうかしたの?」
「…今日は私達の他にお客様は来ていませんよね」
「来てない筈だぞ。――零、そうだよな?」
「ええ。…どうかなさったんですか?」
「いえ…その」
 ちょっとだけ首を傾げるセレスティ。気のせいかもしれないのですが、と前置きをして、
「――出かけた足音が『4人』分聞こえたような気がしたものですから」
 そう呟くように言って再び手紙へと顔を戻した。今度は手紙の方に神経を集中させることにしたらしい。

 気のせい、と一概に決め付けることは出来ないが、かと言って出かけた皆を連れ戻しても現状に変化があるとは思えず、念のために連絡だけ入れておこうと武彦が電話を取る。
 が。
「――圏外らしい」
 何度かかけてみてもその周辺への電波の通りが悪いらしく、仕方ないと向こうからの連絡を待つ事にした。出かけた先が近所と言う事もあり、足で移動出来ない範囲ではなかったからだ。

   * * * * *

 届いた7通の手紙のうち、1通はみなもたちが持っていき、残りの6通は手元にある。
 事務所へ届けられた順に並べられたそれを、セレスティと少しずつずらしながら『観』て行くことにしたのだ。

 朱漆の文箱の中に、手紙が溜まっているのが見える。書いて切手まで貼り、そして…出せずに箱の中に仕舞いこんでいく。出そう出そうと思いながらも、手紙が届いていないのかと書き直した手紙も、返事を欲しいと催促する手紙も相手のことを信用していないのか、――はしたないと思われはしないだろうか、そう思えば文箱の底へと沈ませることしか出来ず…だが、手を止めることも出来ず。そうやって時折手紙を書き綴っていたものらしい。
「これが、最後ね」
 一番新しく届けられた手紙をウィンが手に取り、そして紙面へ指を滑らせる。――色あせた封筒は、そうやって文箱の底に仕舞いこまれたまま、長い時を待っていたのだろうか。
「…届かないのは、寂しいわね」
 思えば。
 その言葉が、いけなかったのだろう。

 ――気がつけば、ウィンは純和風の佇まいの中で、小さな木の机に向かって座っていた。
 顔を上げて周囲を見回すと、欲しいと思っていた見事な色に染まった年代ものの和箪笥と丸い大きな手鏡を置いてある鏡台があり、そして反対の壁際には――白無垢の、うちかけが掛かっている。
 思わず手に取って滑らかな布の表面を撫でてみる。これが花嫁衣裳であることは分かっていたが…そう思いながら自分を見てみると、地味ながら染めの良い着物をきっちりと着こなしていることに今更ながら気付き、慌てて腹部を圧迫していないかどうか手で押さえてみた。
 ――何も、なかった。
「え…?」
 ここに来て、ようやく違和感に気付く。此処は何処なのか、――事務所に居た筈なのに、そういう意識が戻ってきて無意識に頭に手をやり、見知らぬ手触りにぞっとして立ち上がると鏡台へと向かった。蓋の付いた大きな手鏡に少し関心しながら、蓋を恐る恐る外す。
 ある意味では予想通りと言おうか。
 鏡の中の女性は、長い間慣れ親しんでいた顔では無く――その、凍りつきそうな真黒の瞳が、冷たくウィンを見つめ返してきた。
「口惜しい」
 自分の唇から、自分のものではない声が漏れる。
「とうとう…来なかった」
 ちらりと恨めしげに白無垢をみやり、そしてふっと目線を下に落とす。
「――お会いしたかったのに…」
 どうして返事をくれなかったのか。…どうして、見知らぬひとと結婚してしまうのか。
「くやしい…くやしい」
 ちき、と畳に爪が立つ。ぷつりとイグサが切れ、まだ畳の中に残っていた青い匂いがふわりと部屋に広がった。
 せめて。
 せめて、あれを着ずに済めば、待ち続けることも出来るのに。
 ――手紙をくれたのはあの人なのに――

「――さん。大丈夫ですか?」
 肩にそっと触れる感触にびくっとし――
 目を開けば、いつもの事務所の中だった。ふと手を見てみれば、慣れ親しんだ自分の手。頬に当てて、ふぅっ、と息を付く。
「ありがとう」
「いえ。少し様子がおかしかったものですから」
 どうぞ、と零が配って回っていたのだろう、温かなお茶を勧められて其れに口を付け、そしてもう一度――戻ってきたと言う実感にゆっくりと息を吐いた。時計をちらっと見ると、随分長い間入り込んでいたらしく午後も遅い時間になっていた。帰りが遅いと怒られるかしら、そんなことをふと思って小さく笑う。
「何か見えたんですね」
「ええ。――あなたは?」
「ある程度までは。…相手の方が草田さんだということは確認しました。――そのさんは、草田さん…手紙の相手とは出会えていないみたいでしたね」
「そうみたい。…花嫁衣裳が見えたのと…他の女性と結婚することに対して口惜しいって言っていたから、多分お互いに別々の人と結婚した、んでしょうね」
 何となく、遠い目になってカップを口に運んだ。
「想いだけが残ったのかもしれませんね。シュラインさんが言っていた事は当たっていそうです」
「何か言っていたの?」
「――手紙の主の意識が無い可能性がある、と」
 その言葉を聞いて顔を見合わせた直後。
 PLLLLL…
 突如事務所内に響き渡った電話の音に、皆の目が一斉に動いた。
「はい」
 煙草を揉み消した武彦が、事務的な顔をふっと緩めて相手の言葉に聞き入り――そして、表情を険しくし、
「分かった。そこで待機していてくれ。――ああ、代わる」
 受話器を伸ばし、
「シュラインから連絡だ。…相手の男性が倒れた」
 セレスティがその言葉を聞いてすっと立ち上がり、急いで電話に向かっていった。
 ――倒れた?
『4人分聞こえたような気がしたものですから』
『――お会いしたかったのに…』
 まさか。
 手元にバッグを引き寄せながら、手紙をひとまとめにして中へ仕舞う。そこへ、話を聞き終えたセレスティが受話器を戻し、今度はタクシー会社へと電話をして戻ってきた。
「今は病院だそうです。行った先で意識不明になったらしく、搬送されましたが…まだ意識は戻っていません。タクシーを呼びましたので来たら出かけましょう」
「ええ、分かったわ」
 タクシーが来る十数分程の間、じりじりする思いで待ち続け、そして事務所の目の前に横付けしてもらったタクシーへと乗り込んでいった。

   * * * * *

 かつん、かつん、と杖を付く音がし、そしてセレスティがウィンに付き添われながらゆっくりと姿を現した。
「連絡を戴いて、急いで来ましたが…どうですか?」
「――まだ、なんとも…」
 分からない、と言うように小さく首を振る嵐達の近くで小さく震えている青年がいる。誰?とウィンが目顔で訊ねると、其れを察したらしいシュラインがすっと近づいて説明してくれた。
「――この2人も調べてくれた仲間なの」
「あ…そうなんですか。俺、草田和生って言います」
 新しく加わった2人に名乗りを上げると、ウィンとセレスティがそれぞれ名乗り、そしてちらっと病院の廊下の奥――まだ誰も中に入れない治療室へと視線を向けた。
「これね」
 ウィンが、事務所に残っていた手紙の束をバッグから取り出す。
「あの後も調べてみたのだけど」
 セレスティと顔を見合わせながら、話し合ってきたのだろう、ほんの少しだけ口ごもった後で辺りを見回し、
「残念だけど、相手の女性の方は分からなかったの。何しろ、この手紙には相手の住所は無いし、苗字も書かれてないのだもの」
「仕方ないわ。…他には?」
「一度、手紙を出した形跡があるの」
 え?と小さく声を上げるみなも。嵐も不審気な顔でその事を聞いている。唯一話に付いて来れないのは和生だが、その彼も特に口を挟む事は無く耳を傾けている。
「事務所に届けられたのは、2通目らしいわ――本当に手紙が届いたのかどうか不安で、新しくもう1通書き直したみたい。でも、相手からの返事を待って取って置いたようね」
「初めての返事にしては、投函したのがごく最近みたいだから気になっていたんですけれど…そういうことだったんですか」
「その後も、そうですね。相手を責め、または返事を乞うような内容でしたから。――手紙を出す前に、返事が来てくれれば、と…手紙を書き上げては出す直前で思い直してまた戻した、そんな雰囲気でした」
 かつん、と杖を付いて待合室のソファに腰を降ろしたセレスティがふと顔を和生に向け、
「失礼ですが、1つ聞いても宜しいですか?」
 穏やかに、そう問いかけた。――透き通るような青い瞳に見つめられて、どぎまぎしたか慌てて和生がこくこくっ、と首を縦に振る。
「キミのお爺様が、隠し物をしている場所に心当たりはないでしょうか?」
「隠し物…」
 鸚鵡返しにその言葉を口にする青年。
「まだキミのお爺様が結婚する前に、この人から同じ文面の手紙を貰った可能性があるんです。――もし…もし、処分されていなければ。大切に保存してあるとすれば、家族に…特に、キミの亡くなったというお婆様に気付かれないような場所に置いておくと思うのですが」
「………あ…」
 暫く何か考えていた青年が、何か思いついたのか小さく声を上げた。その時になって初めてじっと見つめられていたことに気付いて、視線をずらしながらセレスティにこくりと頷く。
「ひとつだけ、あります。ちょ、ちょっと待ってて下さい。うち行って取ってくるんで。何かあったら家に連絡下さいねっ!」
 それは、思い付きと言うより確信のようなものだったか。がばっと立ち上がった和生がばたばたと走り去っていく。途中、廊下ですれ違ったらしい看護師の怒ったような声と謝る青年の声が聞こえて、それからまた足音が小さくなっていった。
「あるかな」
 少しして、ぽつりと嵐が呟く。
「…無ければ、また別の方法を考えるわ。――すぐに連れて行かなかった…その事が救いになってくれるといいのだけれど」
 送られた、たった1通の手紙。その手紙が見つかれば…大切に取って置いたという証が見つかれば、妄執を断ち切ることが出来るかもしれない。
 幸いなことに、目立った動きも無く。それは好転したわけでも無いが、急変したと言う事ではないので、時計を睨みながらじりじりと待ち続けた。

「面会時間は過ぎましたよ。御用が無ければ…」
「すみません。…草田さんの容態が落ち着くまで、いさせて下さい」
 待合室、他の病室を見回っていた看護師に断りを入れ、ぽすんとソファに座りなおすみなも。長い時間待つと言う上に症状の急変を危惧して心の休まる暇が無く、予想以上に体力を消耗していた。
「………ー」
 ぱたぱたぱた、と小さな足音が、どんどん大きくなって来る。それがばたばたばたばたとけたたましく廊下に響き渡った直後、
「ありましたありましたありましたっっっ!!!!」
 喜びの声なのか奇声なのかわからないくらい興奮しきった声が、待合室だけでなく廊下を広々と伝わっていった。
「あったの!?」
 半分は気休めのような提案だったのに、きちんと見つけ出してきた和生にウィンが駆け寄る。
「え、ええ…ふう。家から駆け通しだったんで流石に疲れたぁ」
 ソファにどさっと腰を降ろした青年が、尻ポケットに捻じ込んだ『2通』の手紙を取り出す。
「…2通ですか?」
「そっ、これ。1通は、じいちゃん宛ての手紙。――もう1通は返事だった」
「返事!?」
 まさか、あると思わなかった、もう1通の手紙。
 声を上げた嵐も慌てて口を押さえてまじまじとその手紙を見る。初めて目にする、角張った文字と、しっかり封をされ、切手まで貼られている手紙。
『――梅山 その 殿』
 宛名には、初めて知った『彼女』の苗字が。
「物置の奥に、古い写真とか道具が置いてあるのを思い出したんだ。昔、其処を探検してたらじいちゃんにえらく怒られてね。大事な物があるんだから無闇に入るな!って――それでさ」
 へへっ、と笑いながらぺらんと1枚の写真を取り出す。
「手紙と手紙の間に挟んであったよ。――この女性じゃないかな、そのってひと」
 黄ばんだ、白黒の写真。しかも青年が笑った理由が良く分かった。
「隠し撮り?」
 覗き込んだ嵐がそう言ってにやっと笑う。
「まあ、いけないんですよ、そういうのは」
 そう言いながらも、目は怒っていないみなも。
「――今は本当にあっさりと出来てしまいますけどね。当時は大変でしたでしょうに」
 斜めになっていて、ぶれている写真。その中で、親に付き添っているのだろうか、着物姿の綺麗な女性の姿があった。
「ああ…そうよ。この人」
 見せてもらったウィンが目を細めた。また会えたというような口調に一瞬変な顔をしたものの、何か納得したらしい和生が手紙を手に取り、「ごめんな、じいちゃん」と呟いてぴりぴりと開く。
 ――それは、不器用ながら、返事を貰えた嬉しさに喜び勇んでいる、若々しい男性の筆跡だった。そして、何枚か書いた後で急に紙の質が変わり、そして文章も、筆の勢いも変わる。
 内容は、親が突然に決めてきた縁談を怒る言葉と、自分の不実を責める言葉…そして、親不孝にはなり切れないと嘆き、
『――申し訳ありません』
 その言葉で締めくくっていた。

「…出せば、良かったのに。出せなかったのね」
 大事に今まで取っておいてあるということは、そうなのだろう。相手からの手紙も、相手の写真も今まで保存してあった所を見れば。
「体面とか…気にしたのかもしれない。結構気ちっちゃくて…でも、これは悪いよな。――謝ったのも、しょうがないよな」
 ぞろぞろと治療室へ向かいながら、和生がぼそっと呟く。
「――でもさ。…でもさ。だからって連れてって貰いたくないよ」
 写真の中で、微笑んでいる女性を見。
「草田さんですね?…とりあえず落ち着きましたので、別の病室へ移しました。ご両親へは?」
「連絡してあります。…入ってもだいじょぶですか?」
「ええ」
 待合室に居ない皆を探しに来ていたらしい看護師に連れられ、病室へと移動した。
「まだお話は出来ませんけれど、あまり興奮させませんように」
 その一言と共に室内へ入る。――無機質な音を立てる機械と、呼吸器を付けて眠っているように見える老人。和生が静かにその傍に寄って、
「じいちゃん」
 一言、声をかけた。
「じいちゃん宛ての手紙、見つけたよ。返事も…写真もさ。ごめんな、隠してたもの見つけちゃって」
 薄くなった髪を、撫でる手付きは酷く優しい。
「手紙、ちゃんと届いてた。…返事も、書いてたんだ。ごめんって、言ってただろ」
 祖父へと向けられた顔――だが、その言葉は祖父へと向けられた物ではないのが分かる。
 ふっ、と、セレスティと嵐が全く同じ方向を見詰めた。其れに続いて、ウィンもすぅっと視線をベッドの傍らへ向け、シュラインとみなもがそれに続く。
 ――誰もいない空間。なのに、何かがわだかまっているようにも見える。――目の錯覚かもしれないが。
「頼むから、連れて行かないでくれよ。――じいちゃんだって書いたんだから返事くらい出せば良かった。…俺、生まれなかったかもしれないけど、親の縁談が気にいらないなら駆け落ちでもなんでもすれば良かったんだ。――あんただってさ」
 不意に、和生の視線が、セレスティ達の向ける視線の向こうへと、誰かの目線を追うでも無く向けられ。
「その時に縋り付けば良かったんだよ…出来なかったのは分かってる。分かってるけど…だったら、じいちゃんを今連れて行くのだけはやめてくれよ。――返事なら、ここにあるから」
 ぱさりと、彼女が出した手紙と、出せなかった返事と――そして、写真がベッドの上に落ちた。
「とってあったよ、ずっと…ずっと、長い間、誰にも見せないで取っておいてあったよ」
 ゆらり。
 最後の言葉を和生が吐き出した途端、空気が、揺らめいた。
 そして。
 ――こふっ。
 咳が、老人の喉から漏れた。続いて、ひゅぅっと息を吸い込む音。
 息を飲む皆の前で、老人が…ゆっくりと目を開く。
「じいちゃん!?」
 慌てて、横たわっている祖父の手を取り、ぎゅぅと握り締めた、その和生の顔をまじまじと見つめ。
 口が、ゆっくりと動き。
「か…ず――ぼう、か」
 ――にっこり、と。
 その老人は、勢い込んで手を握り締めた和生の手を、ごく僅かだけ握り返し、そして――笑った。
 刻まれた皺を、くしゃくしゃにしながら。

 ――手紙と写真は、老人へ意識が向けられていた間に全て無くなっていた。ウィンがバッグに入れて持って来ていたものも、みなもが持ってきたものも、そして和生が家から持ち出して来たものも。無くなる訳が無いと部屋中を探してみたが、見当たらなくなる場所に落ちる筈も無く。結局1通も見つからないまま、和生の両親が駆けつけて来たのを潮に引き上げることにした。両親の後ろでこっそりと手を振る和生に小さく手を振り返しながら。
 次の日に、手紙が届くことは無くなった。その次も、そのまた次も。

   * * * * *

 後日。
 ――ほんの少しだけ。
 祖父の痴呆が後退した、と、青年が後で教えてくれた。
 年代は違うものの、家族を家族として認識出来るようになったらしい。時々小学生に間違われてます、そう告げた青年の声は、もしかしたら少し潤んでいたかもしれない。電話越しでは良く分からなかったけれど。
 そして。
「――お義兄さん、手紙が来てますよ」
 ぽんと渡された封筒を見て、武彦が思い切り顔を顰める。
 草間武彦様、と書かれた封筒の文字は、つい最近何通も連続で届いた筆跡に良く似ていたからだ。やや線が震えてはいたけれど。
「解決したんだよな?あれは」
「その筈ですけれど」
 嫌々開けて、中を覗き込み。中に入っていた紙を取り出した。
「…一度開封した跡があるな」
 呟きながら、便箋を開き――そして、ひらりと落ちた小さな紙を拾い上げた。それは、一筆箋で、中に一言、
『御世話になりました』
 年のせいか、震えながら、それでも綺麗な文字で書かれてある紙。
 便箋の方に目を通す。
『――先日亡くなった母の遺品を整理しておりました所、草間様宛ての封筒が残されておりましたのでお送り致します。亡くなったことお知らせしなければならないと思い、勝手ながら開封させていただきました。香典その他の気遣いは無用ですので…』
 遺族が手紙を追加したのだろう。一通り読み終えてほっと息を付く。
「この日付ですと、最初に手紙が送られて来た日にはもう…」
「そうだろうな」
 呟いて、手紙を封筒に戻す。これは誤配では無く、この事務所に宛てられたものなのだから。
「零。――この封筒も調査済みの中へ入れておいてくれ。後でシュラインがやって来た時にファイリングしてもらうから」
「分かりました」
 封筒を受け取った零が何か思いついたのか、未処理の箱に入れるとくるりと振り返り、
「今回の件は、もしかしたら誤配でもなんでもなくて、この方からの依頼だったのかもしれませんね」
「…だな」
「依頼料は入りませんでしたけれどね」
「………」
 そっぽを向いた武彦が煙草に火を付ける。
 ゆらりと揺れた煙の向こうで、くすりと零がひとつ笑った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ    /女性/ 26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1252/海原・みなも      /女性/ 13/中学生              】
【1588/ウィン・ルクセンブルク /女性/ 25/実業家兼大学生          】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725/財閥総帥・占い師・水霊使い    】
【2380/向坂・嵐        /男性/ 19/バイク便ライダー         】

NPC
草田和生
草田武彦

梅山その

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。「恋文」をお届けします。
今回は誤配というプレイングの他に、時空を越えた手紙、という解釈もしていただいて、其方のプレイングも楽しく拝見させていただきました。今回は誤って…最後の手紙はそうではありませんでしたが、誤って届けられた、という話で進めました。でも時空を越えたお話というものも楽しそうなのでいつか機会を作ってやらせていただきたいと思っています。

数十年の時を経て、ようやく交わった『想い』、それを読み取っていただければ幸いです。

では、またお会い出来ることを願って。その時を楽しみにしています。
間垣久実