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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


風吹く草原の真ん中で


「ご迷惑をおかけしました」
 小学校に呼び出された父親が、担任と3つ上の姉の同級生、そして泣きじゃくる彼の親に頭を下げているのを藤井葛は下に向けた視界の端に捉えていた。
 雄一郎は、うちの子になんてことを……と理由も知らずに一方的にまくし立てる親と、その間に入ってとりなそうとする担任を前にしても、ただ謝罪するだけでそれ以上何も言わないし、聞かない。
 そして同時に、けして葛をこの場で責めたりも叱ったりもしなかった。それどころか、自分に相手への謝罪すら強要しない。
 肩へと回された父の手は、泣き出しそうな自分を護ってくれているかのように優しく温かかった。
 だからこそ余計に、葛は父の姿に居た堪れなさのようなものを感じる。
 たしかに自分は悪いことをしたかもしれない。
 どんなに腹が立ったとしても、たとえ先に手を出してきたのが向こうでも、自分が怪我をさせたのは事実なのだ。
 それも習っていた武道の技を使って。
 だから、きっとこれは『やりすぎ』だった。
 でも、相手だってずっとずっと許せないことをしたのだ。
 なのに、彼は泣いているだけで。
 全然反省なんてしてくれなくて。
 どうして――――
 きゅっと眉を寄せて、唇を噛み締める。握った拳に力が入った。
 結局、大人の間で話の決着をつけ担任から退室を促されるまで、葛は一言も発しなかった。
 父に手を引かれ、ランドセルを背負ってとぼとぼと玄関まで歩いていく。
 どんどん気持ちは落ち込んでいって、不思議と足取りも重くなる。
「なあ、葛?俺とちょっとドライブ行くか?」
 校門を一度抜けて、裏手側の広い駐車場に止めた車の前で、雄一郎が葛を振り返ってにぃっと笑った。
 ぼんやりとそれを見上げる葛。
 それから浮かない表情のまま、無言でコクリと頷きを返した。


 小さな身体を助手席に埋めて、雄一郎の運転する車から外を眺める。
 その表情はけしてドライブを楽しんでいる子供のものではない。
 何か言いたげで、どこか不安げで、でも言葉を発する事もなくただひたすら葛は膝の上で握った自分の手を見つめている。
 職員室で過ごしてきた時間を思い出すたび、心はさらに重く暗くなっていく。
 そんな娘の様子をちらりと横目で確認し、雄一郎は黙ってカーMDのボリュームを上げた。
「葛ぁ?」
 一気に車内に葛の好きな音が溢れる。
「いいか?めいっぱい飛ばすからなぁ?」
「え?―――うわぁ!?」
 にやりと笑ってそう宣言した父親の言葉が聞き取れず、思わず顔を向けた瞬間、葛はいきなり掛かった重力に驚きの声を上げた。
 ぐいっとアクセルを踏み込めば、メーターもぐんぐん上がっていく。
 僅かに開けた窓には風の音がBGMに負けないくらいの音量でぶつかってくる。
 道路の脇に並ぶ草木は緑の流線となってあっという間に後方へ消えていってしまった。
 沈みこんだ気持ちも、口から出てこない重い言葉も、何もかもを吹き飛ばすように、2人を乗せた車は対向車もない、舗装もほとんどされていない田舎道を、高速で走り抜けていった。
 途中、古びた個人商店でお菓子と飲み物を入手して。
 それから後は、斑に建った民家もその間に挟まっていた畑もあらゆる生活空間をどんどん後ろへ置き去りにしていく。
 林を抜け、川を渡り、山をすぐ近くに見ながら、ひたすら青空の下を突き進んでいった。
 そうして長い長い緑のトンネルを抜けて、ほんの少し日の翳った森の中を走り、車が辿り着いた場所は――――
「さあてと、到着だ、お姫様?」
「あ……」
 父のエスコートで車を降りた葛の視界に、海のように波打つ草原がどこまでも遠く広がっていた。
 頬を撫でていく心地よい風。
 鼻をくすぐる甘い香り。
 遠くに見える青の稜線。
 だが何よりも驚いたのは、雄一郎と一緒にそこへ足を踏み入れた途端、まるで計ったかのように一斉に蕾だった花が開いたこと。
 まるで魔法みたいに仕掛けられた色鮮やかな世界に、葛が目を丸くする。
「すごい…すごいすごい!」
 細い手足をめいっぱい動かして、咲き乱れる緑の中へと駆け込んでいく。
 そんな様子を雄一郎は笑みをこぼしながら眺め、それから何かを閃いたように小さくポンっと手を打つと、大股で葛の後を追いかけた。
「なあ?なあなあ、葛?」
「え?」
「お前、妖精の種って知ってるか?」
「………妖精の…タネ……?」
 聞いた事のない言葉に、首を傾げて父親を見上げる葛。
「見たことねえ?だったら見せてやるからさ、しっかり目を凝らしてろよ?」
 くすくすと実に楽しげに囁きながら、雄一郎は葛の前で自分の両手をそっと合わせる。
 一瞬とてもあたたかな光が当たりを包み込んだような、そんな錯覚を覚える葛。
「え?あれ?」
 ふわふわと、何かが頭上から降ってきた。
 思わず空を振り仰いだ葛の額に、小さな綿毛たちが雪のように舞い降りる。
「タンポポの綿毛はな、他所の国じゃ妖精の種って呼ばれてるんだ。これに乗ってあっちこっち移動したりもするし、もしかしたら、この種の中に妖精そのものが混じってるかも知れん」
「妖精がまじってる……ここに……?」
 なんとなく言葉を繰り返してみる葛。
「そうそ。ある日突然カサに掴まって空からやってきた彼女みたいに、妖精たちもタンポポを使って葛の前に来てくれるかもな」
 楽しげに説明してくれる父親の手や肩、頭や服にもやわらかな白の色彩がふんわりと積もっていく。
「ただし、たとえ妖精を見ても皆にはナイショだぞ?」
 人差し指を唇に当て、『シーっ』と秘密めいたウィンクで秘密の約束をほのめかす。
「もちろん、この場所だってナイショだ。じゃないと、もしかしたら悪いヤツにここがばれて、妖精が棲めなくなっちまうかも知れねえからな」
「……うん、わかった」
 父の言葉に神妙な顔でコクリと頷いて見せてから、ふと、葛は自分よりうんと小さな幼馴染の少女を思い出す。
 妖精の絵本が好きで、いつも夢見るみたいに微笑んで、楽しそうに話を聞かせてくれる。
 それから、姉も。実はひそかに小さいものとか可愛いものとか大好きだって知ってる。
 2人にもこの景色を見せてあげたい。
 たぶんきっとすごく喜ぶと思う。
 でもナイショなんだ。
 なんだか『ひとりじめ』ってもったいない。
「なんつーかなぁ、今日の葛はすっごく頑張ったからな。ご褒美ってヤツだ」
 思いがけない言葉に、葛は猫のような目をさらに丸くして父親を振り仰いだ。
「怒らないの?」
「何で俺がお前を怒らなきゃいけないんだ?」
「……だって……ケガ、させた……」
「まあ、武道を嗜んでるヤツが本気だしちゃイカンだろうなぁ」
 思案する素振りでぐるりと目を回し、
「だが、大事なもんを護ろうとした結果だろ?俺だって可愛い娘を苛めたやつには容赦なんぞホントはしたくない。相手が子供でなけりゃこれでもかって位の報復をしてやる」
 そう言い切った雄一郎の目はかなり本気だった。
 何も聞かず、何も言わなかったのに、担任も上級生も誰もちゃんと分かってなんかくれなかったのに、雄一郎は全ての経緯を察している。
 葛が何故あんな真似をしたのか、父はちゃんと理解し、受け止めてくれていた。
「………父さん……」
 姉は特殊な目を持っている。
 自分には見えない何かを見、そのせいでたくさんの言葉の棘を受けていた。
 あの時も、やっぱり皆に囲まれて、泣きそうな目をして、じっと耐えていた。
 その姿がすごく辛くて。
 他人が姉をそんなふうに追い詰めるのが許せなくて。
 どうしてこんなこと出来るんだろうって怒りがわいてきて。
 気づいた時には、身体が勝手に動いていた。

 ねえちゃんを、いじめるな―――っ!

 つきとばされたりしたけれど、誰かが止めようとしたけど、でもそんなこと全然構わなかった。
 とにかく姉を守りたくて仕方なかった。
 葛の表情が再び沈み込む。
 姉はどんな気持ちでいたんだろう。
「ほらほらほらぁ!落ち込むな!」
「う、うわぁ!?」
 がしがしと、大きな雄一郎の手が遠慮なく葛の頭を上から押さえつけるようにして掻き撫でた。
「……葛も傷付いちまったけどな、でも、これってちょっとカッコイイって俺は思うぞ?」
 それからふぅっとやわらかい笑みを浮かべて、屈んで顔を覗き込む。
「な?」
 父の言葉に、そして明るい笑顔に、ぽわっと葛の胸の中に温かさが灯る。
 なんだかすごく嬉しくて、さっきとは違う気持ちで泣きたくなった。
「葛、葛。ちょっと見てみ?」
 また俯いてしまった自分に、雄一郎がしゃがみ込んで、すいっと目の前に握った右手を差し出した。
「いち、にぃ、のぉ……じゃんっ!」
「あっ」
 目の前で、開いた手のひらからぽんぽんぽんっと次々花がはじけてあふれ出す。
 いつかテレビでみたマジシャンみたいだと思ったけれど、タネも仕掛けも分からないから、多分これは魔法なのだ。
「こんな事も出来ちまったり」
 今度は立ち上がって葛の頭上から、溢れる花のシャワーを浴びせてきた。
 あっという間に葛は白と淡い紫の花で飾られてしまう。
「クレマチス・ブルーライトに、クレマチス・カルトマニ、パテンス、フロリダ……ツル性の植物全部ひっくるめて、葛って呼んでるんだ」
 キレイだろうって自慢げに笑う雄一郎につられて、自分に降り注ぐ花を掴まえて、眺める。
 手の中にあるのは、自分の名前が含む可愛くてキレイな花達。
 見上げれば、妖精が乗っているかもしれない綿毛が空に舞っている。
 そしてすぐ傍には、父の姿。
 もうどうしていいのか分からないくらい、いろいろな気持ちで胸がいっぱいになった。
「ありがとう」
 気持ちはたくさん溢れていくのに、言葉はたったひとつしか出てこない。
「どういたしまして、お姫様」
 でも、伝えたかった気持ち全部を父はしっかりと受け取ってくれる。
 その笑顔が嬉しくて、葛の表情もつられてほころぶ。
「ああ、そうだ。うちのもうひとりのお姫様にお土産持って帰ってやろうか?」
「え……」
 父親からの思いがけない提案にきょとんとする葛。
 ここのことはナイショだと言っていたから、お土産なんて考えもしなかった。
 そんな自分に雄一郎は人差し指を軽く左右に振って見せ、悪戯っぽく笑いかける。
「ここのことはナイショ。でも、なんにだって例外があるもんだ。せっかくだから、な?」
「あ、あ……じゃあ、じゃあさ、あの子の分もいい?姉ちゃんとあの子と…あと、母さんの分も……っ」
 勢い込んで確認する葛に、雄一郎は嬉しそうに頷いた。
「おう!そんじゃあ思い切り豪勢な花を見つけて、2人の姫君と素敵な女王様に花の冠でも献上すっか?」
「うん!」
 父の手を取って、葛はようやく全開の笑顔を弾けさせた。

 花が降る。
 風が歌う。
 耳を澄ませば、様々な囁きも聞こえてきそうだった。
 赤や黄色や白やピンクや……大きかったり、すごく小さかったり。
 実家のフラワーショップや道端やよく遊ぶ丘の上や、普段は見た事もない植物たちに囲まれて、葛は雄一郎との時間を過ごす。
 妖精は見つけられなかったし、多分それは父親のお伽噺だけれど……でも、風の吹くこの草原で葛は素敵なものをたくさん手に入れた。


 誰かを護ろうとする時、もしかすると自分が傷付いてしまうかもしれない。
 もしかすると、誰かを傷つけてしまうかもしれない。
 でも、それでも護りたいと思えるのはカッコイイじゃないかと笑う父の顔が、花の色と共に幼い葛の心にそっと刻まれた―――――




END