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<東京怪談ノベル(シングル)>


□紅の遭遇□


鳴るクラクション。人のざわめき。工事現場の機械が軋む音。
騒がしい東京という街の中を、今日も緋羽は飛んでいく。人と人との狭間をすり抜けながら。

背に宿る翅は目にも鮮やかな赤色。もうすぐ夕暮れを迎える時であってもなおその翅は、世界を彩り始める光にさえ決して負けてはいない。
飛ぶたびに舞う鱗粉のような真紅の雫が、揺れる黒髪に触れて弾ける。ぱしん、ぱしん。夜の闇以上に深い色を宿した長いそれはしなやかにたなびき、世界を一瞬だけ闇の色に染め上げる。
優雅にして典雅。そんな言葉が相応しい少女は、けれど時折儚げにふらりと体勢を崩した。
地に落ちかけるのを何とか堪え、再び翅をはためかせて舞い上がりながら、緋羽は小さく長い溜め息を吐く。

緋羽は主が不在の時は大気を漂う精を糧にしてその生を続けてきたが、どうやらそれもここ数日で限界に達しようとしているらしい。
普通の街であれば限界など知らずにいつも精を吸収できていた筈なのだが、この街は特に気の密度が薄かった。いや、濃すぎると言うべきなのかもしれない。
確かにこの街には人が多く、普通ならばこれほど精の溢れている場もないだろうが、しかし人はあまりにも多く、それに伴う様々な感情の波もまた溢れすぎていて、緋羽は最近息苦しささえ感じるようになっていた。

少女が必要としているのはこの身に余るほど多大な精ではない。むしろたったひとしずくの純粋な精はいくつもの雑多な精に勝り、それがあればかなりの期間身体を保たせられるのだが、しかしそれが見つからない。
加えて、長きにわたる主の不在に緋羽の身体は徐々に疲弊していっていた。
彼女にとって主の存在というのはただ護る為のものではなく、精を吸収する為の媒介でもある。
目の細かい上質の布で水を濾過するように、主を通された大気の精は素晴らしく純粋なものになり、緋羽へと導かれていく。緋羽は主を護り、そして主は少女の必要としているものを提供するのだ。

主従であり、同時に互いを護る相互関係。
しかしその契約が結ばれなくなってから、どれほどの月日が経ったのだろうか。
けれど緋羽は過ぎ去った年月を数えない。いや、もうそうしている余裕すらなかったのだ。

「………………っ」

また翅が不安定に揺れ、緋羽は身体の均衡を崩してコンクリートへと降り立つ。
早く、何処かで取り込めるだけの精を見つけなければ。

そう思いかけた、その時だった。

「……………」

視線を感じ、緋羽は俯きかけていた顔を上げる。そんな事は起こり得ない筈だというのに。
赤色の夕陽に染まる、何ということのない道の向こうに、ひとりの少年が立ち竦みながら凍ったように緋羽を見つめていた。

少女は無表情を保ちながら、自身の力を確認する。『隠密』の形は解けてはいない。まだそこまで弱ってはいない。
ならば人に存在が見えるわけはないというのに、その少年はただ黒い瞳を見開いてただこちらを見据え、動こうとはしない。

「……………………」

緋羽は翅を動かし、再び夕暮れの空へと舞い上がった。
きっと力が弱っているせいで、一瞬だけ自分の姿が見えたのだろう。この風体は確かにこの時代や街ではあまり見かけない類のものなので、少年の同様も頷ける。
けれど、こうしてはっきりと力を使えば、もう誰も少女の姿を見る事はかなわない。
その筈だった。

だが。

「待って!!」

響く足音に緋羽は振り向く。
下界では先程の少年が緋羽だけを視界に捉えながら、人の多い歩道を一心不乱に駆けてくる。時には人にぶつかり、またある時は段差につまずきそうになりながらも、緋羽を視界から外そうとは決してしなかった。
緋羽は『隠密』の形を強めた。そのせいで少し速度が落ちるが、少年ひとりに見えているわけではないかもしれないという危険性を考えると、そうするしかなかったのだ。

少女の形の良い眉が、少しだけひそめられる。
限界は、近い。






都心にしては緑の多い公園だった。
幾本もの木が梅雨に濡れた若葉とその枝を力の限り伸ばしているせいか、鬱蒼とした雰囲気に満ち満ちている。
夕陽も落ちかけ闇が迫るこの時間に、遊具で遊ぶ者も、そして散歩などする者などいる筈もなく、どこか重苦しい空気だけが限定された空間を支配していた。

そんな場所の中心に、赤い翅と細い身体がゆっくりと降り立つ。
地に足をつけただけで、重い疲労が両肩にのしかかるようだった。少し無理をし過ぎたのだろうかと溜め息をつきかけた、その時。
じゃり、という音と共に、人の気配が背後に現れたのを感じ、緋羽はゆっくりと振り向く。

そこには息を乱した少年が、立っていた。視線が絡み、しばし二人の間に沈黙が漂う。
少年はどうにか息を落ち着けると、緋羽に向かって問いかけてきた。


「――――――――君は、誰―――――――?」


緋羽は少年の瞳を静かに見据えた。敵かどうかを、見定める為だった。今まで『隠密』の形を使っていた少女をそれでも視認できたのは、敵か主かのいずれかでしかなかったからだ。
しかし、少年の黒い瞳の左側の奥のそのまた奥にちらりとひとつの輝きが瞬くのを見つけ、緋羽は僅かに目を見開く。

「其れは」

少年の瞳の奥深く、ちかちかと歌うように光がきらめいている。
それは人外の輝きだった。いや、少年自体はれっきとした人間のようだったが、瞳の光だけが人のものではない。むしろ緋羽の存在に近いそれは、少年の左目の中でくるくると無防備に光を発し続けていた。
まるで何かを、喚んでいるかのように。

「!!」

唐突に、空気が歪む。
いや、空気どころか景色すらも歪みうねり、今やここに存在しているものは緋羽と少年を除いて、全てがかたちを無くし歪んでいた。

「えっ……………」

少年は訳が分からないというように、驚愕を顔に貼り付かせて辺りを見回しているが、それが仇となっている。
彼が首をめぐらせる度に、左目の奥から発せられる輝きがこの歪みを引き起こしている者たちの獰猛な食指を煽っている事に、彼は気がついてはいないようだった。

緋羽はそっと懐紙に手を伸ばす。この状態は危険だった。少年が自覚していないのならば、尚更の事だ。
自分たちを取り巻く雑霊の数、およそ四体。この程度の相手ならば昔からさばき慣れてはいるものの、しかし緋羽は決して警戒を緩めない。その雑霊たちの凶暴性が増していくのが、それこそ手に取るように分かったからだ。

雑霊たちは欲しい、欲しいと啼いている。それに比例するかのようにまた少年の身体の内部から、力がせり上がっていくのを緋羽は感じていた。
その力は彼を護ろうとするかのように泉のように湧き上がり、あと少しで外へと漏れてしまうだろうと思った、その時。

「―――――――――――――!!!」

声にならない声をあげながら四体全てが歪みから現れ、少年へと躍りかかった。
もう待てないもう待てないとぎらぎらした欲望の涎を垂らし、喉のない彼らは奇妙な叫びと共にねじれた手を少年へと伸ばす。
少年は、動かない。いや、きっと動けないのだろう。きっと彼自身もその力の存在には気付いてはいるものの、その有効な使い方までは知らないに違いない。敵を前にしても呆然と立っているのがその証拠だ。

懐紙を素早く引き出しながら、緋羽は昔を思う。
かつて自分が主とした者たちもまた、種類は違えど特異な能力や魂を有する者が多数を占めていた為に、こうやって狙われるのはもはや日常だった。
その度に緋羽はその身に宿る力を如何なく発揮した。幾度も、幾度も。それこそ主がその生命を終え、彼女の額から契約の証が消え去るまで。

「――――――来よ」

緋羽は三つの工程を示す。

一。白い手のひらから離れた刹那、真紅の紙は霧散し、
二。砕けた真紅は異界より同質かつ同色の存在を喚び、喚ばれたものは紅を介してその刀身を世界へと現し、
そして、最後に。

「行け」

命と共に、一振りの紅の刃が雑霊目掛けて宙を舞う――――――!!

最初に、今にも少年の頭を鷲掴みにしようとしていた一体が屠られた。
二体目が剣を掴もうとするのを間断なく斬り払い、続け様に三対目の胴を二つに分ける。四体目は利口だったのか離脱しようと足をばたつかせるが、それを許すような緋羽ではない。
細い指先で醜くあがく雑霊をそっと指さすと、少女は薄赤い唇を開く。



「仇為す者よ、去ね」



剣は命のままに、最後の一体を真っ二つに斬り裂いた。









歪みが消える。
木々は元のようにすっくと大地に立ち、ねじれていた遊具も元のようにきいきいと揺れている。

少年は瞳を見開いたまま、緋羽を凝視していた。もう左目にあの誘うような輝きはない。異質な存在を屠ったからだろう。そのせいで一時的にではあるが、ここの空気は澄んでいた。
剣を呼び戻した緋羽を見て、少年は僅かに怯えたように後ずさる。それも当然だろう、たった今、彼はこの剣がした事の一部始終を見ていたのだから。
緋羽は構わず剣を元の異界へと送還しようと意識を集中しようとしたが、しかしそれは叶わなかった。

「………………」

がしゃん、と重い音が静けさを取り戻した公園の空気を震わせる。少女は自身の足元を見た。たった今までこの手のひらに在った筈の赤い刀身をした剣が、転がっている。
『力』で浮かせ拾いあげようとするが、剣はぴくりとも動かない。それどころか、それを見る視界さえ霞んでいた。急激に力を使いすぎたのだ。
しかし、緋羽がそれに気付いた時はもう遅かった。小さな身体はゆっくりとかしいで、紅の刀身目掛けて崩れ落ちそうになる。

深い色の着物に包まれた少女は、誰かの駆ける足音と共に不意におとずれた力で、上へと引き上げられた。
その力強さに閉じかけていた霞む瞳をもう一度開けば、少年の顔が見える。彼は何かを叫んでいるようだったが、聴覚まで麻痺してしまったのか、緋羽にはその声の切れ端すら聞こえない。
少年は自分に向かって何かを叫ぶ。
何を言っているのか分からないままに、少年の口の動きと先程自分に向けられた言葉を重ね合わせて、揺れる意識の中、緋羽は答える。



「吾が名は――――――…」




きみは、だれ?




「………緋羽」




ぷつん、と糸が途切れるようにして、緋羽は人形のように崩れ落ちる。
最後の意識がなくなる刹那に背中に回された腕の温もりを感じながら、少女はゆっくりと意識を闇に閉じていった。






END.