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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


彼岸への地図

【壱】

 月明かりがアスファルトの通りを照らし出す夜。
 石神月弥は月光浴を楽しむようにして当て所なく月の光の下に広がる世界を歩いていた。蒼白い月光と月弥の容貌が描き出すコントラストは中性的を際立たせ、青くしんとした双眸は柔らかに煌く。時折晴れ渡る夜空を見上げ、ふと足を止めては電柱とさりげなく言葉を交わしゆったりとした足取りでアスファルトの上を行く。
 静かな夜。
 ゆったりと視線を彷徨わせながら歩を進めると、月光を遮るような人工的な光がアスファルトを照らしている一画を見つけた。ショーウィンドウから漏れる光は人工のそれ。誘われるようにして近づくとアンティークショップ・レンという店だということがわかる。月弥は躊躇うことなくドアノブに手をかける。そしてそっと開くとその向こうから不思議なレトロな雰囲気が溢れてくるのがわかった。
「いらっしゃい」
 多くの品物が犇きあう店内に埋もれるようにして設えられたカウンターから店主と思しき女が気怠げに云う。
「こんばんわ」
 微笑と共に云うと女は眉を顰めて、子どもはお帰り、と云って手にしていたファイルに視線を落とす。透明なファイルのなかには古めかしい紙片が収められているのが遠目にもわかった。
「それは何?」
 好奇心のままに月弥が訊ねると女はゆっくりと視線を上げて、月弥の顔と手にしたファイルの中身を見比べるようにして、一つ溜息をつく。そして関係がないことだとでもいうようにして素っ気無く云った。
「子どもには関係のないものさ」
「これでも百年は生きているんだけど、それでも子どもなのかな?」
 云いながらカウンターに近づくと女は笑う。
「そうかい。じゃあ、年の功でこれをどうにかしてくれるかい?」
 月弥の言葉に不信がるでもなく女はさらりと云って、月弥の前にファイルを差し出す。その言葉や動作には揶揄かっているような気配はなく、月弥の言葉を信じている風でもなかった。ただ持て余しているから解決してくれるなら誰でもいいといったような様子だ。
「これは何?」
「呪の道具だそうだよ。一言で云えば彼岸への地図だそうだ」
 云って女は呟くように、寝言に答えてはいけないというのを知っているかい?と問う。月弥がその言葉にゆっくりと頸を横に振ると、物語を語るような口調で女は云った。
 眠る人が紡ぐ寝言は彼岸の言葉。それに答えると眠りは永遠のものになり、眠る人は彼岸から戻ってくることができなくなるのだそうだ。それを呪として用いるために作られたのがファイルに収められている紙片なのだそうである。じっくりと眺めると無数の細い道が絡まりあうようにして螺旋を描いている。まるで出口のない迷路のように張り巡らされたそれは、どこへ続くかもわからないものだった。
 ―――もう夢はお終いにして……。
 不意に声が響く。
 女はそれを聞きとめてか溜息をついた。
「このとおりなんだ。どうにかしてくれるかい?」
「どうすればいいのかな?鉱物なら触れることでどうにかできるかもしれないけど、紙ではそれは無理だと思う。でも、そこにあるのが人の念なら方法次第でどうにかできるかもしれないよ」
 月弥が云うと、女はそれは簡単だとでもいうようにさらりと云った。
「これを枕の下にして眠ればいいんだよ」
 その言葉に月弥は店内を見回してクッションが置かれた古めかしいソファーを見つけると、
「あれ、借りてもいい?」
と女に問う。好きにすればいいという女からファイルの中身を受け取り、一度それをじっくりと見つめて云った。
「相手は鉱物じゃないかもしれないけど、人の念なら話し合えると思うんだよね。―――それに、誰だって苦しいままでいたいとは思わないだろうから」
 そしてソファーに近づくと、枕代わりのクッションの下に紙片を忍ばせて、それに触れるそうにしながら目蓋を閉じた。

【弐】

 眠りの淵は曖昧に揺れる。
 重力から時はなれて空中を彷徨う水滴のように、ふわりふわりと曲線を描くようにして……―――。
 人は自分が眠ったことには気付かない。ふと気付いた時には眠りのなかにいて、ふと気付いた時には目覚めている。夢とは死にも似た眠りを誤魔化すための虚構でしかない。終わることを知っているから眠ることができる。虚構が永遠ではないことを無意識のうちに理解することができるから、人は眠りに総てを明け渡すことができるのだ。それが彼岸への第一歩だというこを知りながらも、それを恐れずに無防備に眠ることができるのである。
 ―――終わらない夢のなかは……。
 硝子のように繊細な女性の声が響く。闇のなかに流れる一筋の黒髪。艶やかに滑らかに曲線を描いて、視界をすり抜けていく。紅色の唇が闇のなかで言葉を綴る。
 ―――とても暗くて……とても冷たく……。
 眠りが日常になったのはいつからだろうか。生れ落ちたその時から当然のことになっていたような気もするが、それ以後のような気もする。そもそも眠りというものはなんであるのだろうか。肉体を維持するために必要不可欠なもの。本当にそうなのだろうか。眠りは怠惰に、時間を空費するもののような気もする。起きている時間がもっと長ければ多くのことができるような気がする。
 ―――終わらないというそれだけが…本当……。
 闇のなかで女性が面を上げた。蒼白い顔が闇に浮かび上がり、月弥の視界のなかではっきりとした輪郭を描く。長い髪を背中まで垂らし、浴衣姿で淋しげに月弥を見つめている。
「おまえは……?」
 ―――私は私。そして私たち。……終わらない夢の囚われ人。幾年月日が流れたことか。あなたはそれをご存知ですか?
 月弥は頸を横に振ったつもりだったが、それが本当に形となって彼女の目に映ったかどうかはわからなかった。肉体というものの曖昧さ。躰は軽く、意識だけが鮮明。所在無さが不快感にも似たものをもたらす。居た堪れなくなるほどの不安。
 ―――じきに慣れますわ。肉体などただの器にすぎませんもの。
 その言葉に月弥は本音なのだろうかという疑念を抱く。
 だから問うた。
「おまえは、否、おまえたちは夢を終わらせてほしいのではなかったの?」
 女性が微笑む気配がした。けれど月弥の目に映る女性が笑っている気配は微塵もなかった。まるで能面のように無表情だ。冷たくしんと冷えて、何もかもを諦めてしまったとでもいうようにしてそこにある。
 ―――ここへ来てしまったあなたに何ができるとおっしゃるの?
 声に滲む微笑みの気配は確かだというにも拘らず、微笑んでいる人などどこにもいない。目の前にいる女性はただの幻のようにして微動だにしなかった。まっすぐに月弥を見つめて、何かを待っているようなだけだ。
 沼地に足を取られるような気配。ずぶずぶとどこまでも沈んでいくような、不快感。意識だけだというのに、皮膚を通して感じるようにそれは鮮明だ。恐怖を伝達しようと足掻く神経の存在を感じる。それを忘れてはならないのだと何かが訴えている気配がする。
 ―――此処は彼岸の始まり……。一歩踏み出せばあなたは此方側の住人よ。
 声が木霊する。まるで誘惑するかのように、招き寄せようとするかのようにして涼やかに響く。
「おまえたちはずっと此処にとどまっているの?」
 月弥が訊ねる声に気配が笑う。
 ―――面白いことをお訊ねになるのね。
 反響する声が無数の人々の気配を伝える。
 ―――私たちが他に何処へ行けるのだとおっしゃるの?
「じゃあ諦めているの?ここへずっととどまっていなければならないのだと、そうした自分の運命を諦めて、同じような存在を引き寄せているのかな?」
 ―――つまらないことをおっしゃる方ね。
 長い沈黙。
 ―――誰が私たちを救ってくれるのかしら?
 人の心はどこまで堕落していくのだろうか。人に呪われ、人に殺され、それを目の当たりにした人々やそれを行使した人々の心は何に蝕まれ、どこまで堕落していくのだろう。良心などという言葉は疾うに失われてしまったとでもいうのだろうか。あまりに愚かな現実。どこまでも堕落して、どこまでも自らの罪から目を逸らし続ける。向き合うことで総てから許されることを拒み続けるのは虚勢なのか。それとも傲慢な自我なのか。
 ―――肉体など疾うに失われて、私たちが戻る場所などもうどこにもないのよ。夢が淵だけが私たちの永遠。ここからは逃れることも、離れることもできない……。
「じゃあ、誰が夢を終わらせてほしいという声を俺に届けたの?」
 月弥が問うと、不意に辺りの空気が凍りついたような気がした。触れられたくないところに触れられてしまったとでもいうようにして、冷たい空気が肌を撫ぜるような気配がする。能面の女性がまっすぐに仄暗い目で月弥のことを見つめている。月弥はその向こう側に問いかけるようにして、云う。
「夢を終わらせてほしいのだと願う誰かも確かにそこにいるんじゃないのかな?」

【参】

 揺れる、水面に曖昧な、影が映る。
 そんな幻が見えた気がした。
 闇のなかに浮かび上がる淡い光の球体。それはあたりをぼんやりと漂って、次第に数を増やしていく。
 ―――あんたが初めてだ。
 男の声とも女の声ともつかない声が云う。
 ―――殺されたわけではないんだね。
 木霊する声の主などどうでもいいこと。
 ―――面白い……。自ら望んでここへ来るなんて。
 云う言葉に月弥は答える。
「おまえたちに呼ばれたといっても過言ではないのかもしれないけどね。―――どうするの?」
 ―――あなたはどうすれば良いと思っているのです?
 声が訊ね返す。
「おまえたちが行くべきだと思う場所へ行けばいいんじゃないかな?」
 吐息に空気が震える微弱な気配。
 反響。
 水紋が広がるように拡散。
 音の波。
 溶け出していく。
 一つ一つが霧散する。
 そんな気配があたりいっぱいに広がる。
 そしてふと気付くと月弥は確かに自分の肉体と共にそこにあって、目の前には肉体を持った、否、肉体を持ったように見せかけた寝間着姿の女性が立っていた。もう能面のような顔はしていない。申し訳なさそうに目を伏せて、話しをするべきなのかどうかを迷っている様子だった。
「おまえも行くべき場所は行ったらいいんじゃないかな?」
 ―――私を責めないのですか?
「その必要がどこにあるの?俺はおまえに呼ばれたからここに来だけだよ」
 女性はふっと柔らかな微笑みを浮かべた。そしてするすると糸が解けるようにしてその姿を闇のなかに溶かしていく。ゆっくりと頭を垂れて、申し訳なさそうにしながら静かにその姿を溶かしていった。
 絶対的な闇が戻ってくる。目蓋の裏側を染める闇の鮮明さに、意識の自由が奪われていく。五感に触れていたものが一つ一つ剥がされていく。深い眠りの底だろうか。それともこれは目覚めの予感なのかわたからないまま月弥がそれに身を任せると、不意に現実の声が鼓膜を震わせた。
「いつまで寝てるんだい」
 月弥の顔を覗き込むようにして蓮が立っている。
「おはようございます」
 微笑と共に月弥が云うと、本当にね、と云って女は店の外へと視線を向けた。
 朝陽が眩しいくらいに外の世界を満たしていた。
 眠りは覚めて、生が帰ってくる。
 思いながらゆっくりと上体を起こして、月弥が枕の下を探るとそこにあったのは古びた、何も描かれていない白紙。地図のように張り巡らされていた図形はすっかり姿を消していた。
 連が笑う。
「つまらないものに煩わされていたもんだ」
 その言葉を受けて月弥は云った。
「何はともあれ、これでよかったんだよ」
 二人は笑う。
 差し込む朝陽が眠りを遠くへ運び去る。眠りは覚めて、永遠など遠くに消える。死に似ていると思うのは、きっとそれがあまりに心地良く、あまりに恐怖に満ちているものだからだろう。時々現実が重く圧し掛かる時、逃れる場所だからこそ畏怖する。それが眠り。囚われたままではいられないと思いながらも、どこかでそこに永遠に逃れてしまいたいと思う場所。そここそが眠りというものが支配する場所なのだ。
「眠ることが怖くなることがある?」
 不意に月弥が訊ねると女は真顔で答えた。
「怖いさ、時々ね。でも必ず目覚めることを知っていればそれほど恐れる必要もないんだよ」
 その言葉を噛み締めて小さく伸びをすると、いい朝、と呟いて月弥はソファーを下りた。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2269/石神月弥/男性/100/つくも神】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
石神様の柔らかく穏やかな雰囲気が上手く描けていればと思います。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。