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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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彼岸への地図
【壱】
風もなく月だけが明るい夜。
東雲飛鳥は枕持参というどこか不均衡な格好でアンティークショップ・レンのドアを潜った。
「本当に来たのかい?」
飛鳥の姿を見とめた蓮が呆れたような声でカウンターの向こうから云う。
「こんばんは、碧摩さん」
蓮が溜息交じりにカウンターに頬杖をつくのを他所に飛鳥は店内を埋め尽くす品々を上手くかき分け、蓮の前に立つ。そして穏やかな声音で続けた。
「お話を聞いてやはり、直接話しをしてみようと思ったんです。その念というものと。―――私でよければいくらでも愚痴を聞きますよ」
「ふざけるのはおよし」
云う蓮に飛鳥は至って真面目な顔で答える。
「ふざけているわけではありませんよ。本気でそう思っているんです」
事の発端は数日前のこと。飛鳥が何気なくアンティークショップ・レンのドアを潜ったその日にある。特別な用事もなかったが、ふと心惹かれてドアを空けると平素と変わらず商いをする様子もない蓮が出迎えてくれた。そして届けられたばかりだという一枚の紙片の話しをしてくれたのだ。特別飛鳥にそれに関してどうしてほしいというわけではないようだったが、飛鳥は話しを聞くうちにどうにかしてやりたいという気持ちになった。寝言に答えられただけで夢の淵に幽閉されてしまった人々の念に触れてみたいと思ったのだ。他人の意思で現世に戻ることなく、夢とも現ともつかない場所に幽閉されてしまった人の念というものに興味が生じたといっても過言ではない。
「貸していただけますか?」
云って店内を見回し、丁度良い寝椅子を見つける。
「丁度良い寝椅子もありますし、碧摩さんも手に余しているのなら試してみるくらいの価値はあると思いますが」
云う飛鳥の言葉に、強情だねと呟きながら蓮はカウンターの端に追いやっていたファイルをそっと飛鳥の前に差し出した。しかしそう簡単に手渡すつもりはないようで、八方塞の螺旋を描く紙片が収められたファイルの上に手を添えたまま、真っ直ぐに飛鳥を見て云う。
「殺されるかもしれないんだよ」
飛鳥はその言葉を笑顔で交わして答える。
「心配してくれるのは嬉しいんですけれど、それは元より承知のうえ。別に覚悟があるとか決意があるわけでありませんけれどね。―――そもそも私にはそうした強い感情がないのかもしれません。胸を抉られるような死への恐怖も生への執着もないんです」
「だからってこんな紙切れ一枚に殺されていいというわけじゃないだろう」
「そうかもしれません……。それでも、哀しいことや辛いこと、何かを強く欲すること、そうした総てを聞いてみたいのです。お役に立てるかどうかはわかりませんが、とりあえず行ってきますよ」
「そうかい。……なら勝手におし」
云って蓮はファイルの上に乗せていた手をどけた。飛鳥はすみませんと呟き、それを手に多くの品々に埋もれるようにして設えられた寝椅子に近づきファイルから紙片を取り出すと、枕の下にそれを置いて寝椅子の上に躰を横たえた。
―――もう夢はお終いにして……。
不意に声が響く。
人はどこまで欲望と共に生きていくのだろうか、思いながら飛鳥は眠りの淵への一歩を踏み出した。
【弐】
眠りの淵は曖昧に揺れる。
重力から時はなれて空中を彷徨う水滴のように、ふわりふわりと曲線を描くようにして……―――。
人は自分が眠ったことには気付かない。ふと気付いた時には眠りのなかにいて、ふと気付いた時には目覚めている。夢とは死にも似た眠りを誤魔化すための虚構でしかない。終わることを知っているから眠ることができる。虚構が永遠ではないことを無意識のうちに理解することができるから、人は眠りに総てを明け渡すことができるのだ。それが彼岸への第一歩だということを知りながらも、それを恐れずに無防備に眠ることができるのである。
―――終わらない夢のなかは……。
硝子のように繊細な女性の声が響く。闇のなかに流れる一筋の黒髪。艶やかに滑らかに曲線を描いて、視界をすり抜けていく。紅色の唇が闇のなかで言葉を綴る。
―――とても暗くて……とても冷たく……。
眠りが日常になったのはいつからだろうか。生れ落ちたその時から当然のことになっていたような気もするが、それ以後のような気もする。そもそも眠りというものはなんであるのだろうか。肉体を維持するために必要不可欠なもの。本当にそうなのだろうか。眠りは怠惰に、時間を空費するもののような気もする。起きている時間がもっと長ければ多くのことができるような気がする。
―――終わらないというそれだけが…本当……。
闇のなかで女性が面を上げた。蒼白い顔が闇に浮かび上がり、飛鳥の視界のなかではっきりとした輪郭を描く。長い髪を背中まで垂らし、浴衣姿で淋しげに飛鳥を見つめている。
「あなたは……?」
―――私は私。そして私たち。……終わらない夢の囚われ人。幾年月日が流れたことか。あなたはそれをご存知ですか?
飛鳥は頸を横に振ったつもりだったが、それが本当に形となって彼女の目に映ったかどうかはわからなかった。肉体というものの曖昧さ。躰は軽く、意識だけが鮮明。所在無さが不快感にも似たものをもたらす。居た堪れなくなるほどの不安。
―――じきに慣れますわ。肉体などただの器にすぎませんもの。
その言葉に飛鳥は本音なのだろうかという疑念を抱く。
だから問うた。
「あなたは、否、あなたたちは夢を終わらせてほしいのではなかったのですか?」
女性が微笑む気配がした。けれど飛鳥の目に映る女性が笑っている気配は微塵もなかった。まるで能面のように無表情だ。冷たくしんと冷えて、何もかもを諦めてしまったとでもいうようにしてそこにある。
―――ここへ来てしまったあなたに何ができるとおっしゃるの?
声に滲む微笑みの気配は確かだというにも拘らず、微笑んでいる人などどこにもいない。目の前にいる女性はただの幻のようにして微動だにしなかった。まっすぐに飛鳥を見つめて、何かを待っているようなだけだ。
沼地に足を取られるような気配。ずぶずぶとどこまでも沈んでいくような、不快感。意識だけだというのに、皮膚を通して感じるようにそれは鮮明だ。恐怖を伝達しようと足掻く神経の存在を感じる。それを忘れてはならないのだと何かが訴えている気配がする。
―――此処は彼岸の始まり……。一歩踏み出せばあなたは此方側の住人よ。
声が木霊する。まるで誘惑するかのように、招き寄せようとするかのようにして涼やかに響く。
「あなたたちはずっと此処にとどまっているのですか?」
飛鳥が訊ねる声に気配が笑う。
―――面白いことをお訊ねになるのね。
反響する声が無数の人々の気配を伝える。
―――私たちが他に何処へ行けるのだとおっしゃるの?
「では諦めているのですか?ここへずっととどまっていなければならないのだと、そうした自分の運命を諦めて、同じような存在を引き寄せているのでしょうか?」
―――つまらないことをおっしゃる方ね。
長い沈黙。
―――誰が私たちを救ってくれるのかしら?
人の心はどこまで堕落していくのだろうか。人に呪われ、人に殺され、それを目の当たりにした人々やそれを行使した人々の心は何に蝕まれ、どこまで堕落していくのだろう。良心などという言葉は疾うに失われてしまったとでもいうのだろうか。あまりに愚かな現実。どこまでも堕落して、どこまでも自らの罪から目を逸らし続ける。向き合うことで総てから許されることを拒み続けるのは虚勢なのか。それとも傲慢な自我なのか。
―――肉体など疾うに失われて、私たちが戻る場所などもうどこにもないのよ。夢が淵だけが私たちの永遠。ここからは逃れることも、離れることもできない……。
「では、どなたが夢を終わらせてほしいという声を私に届けたのでしょうか?」
飛鳥が問うと、不意に辺りの空気が凍りついたような気がした。触れられたくないところに触れられてしまったとでもいうようにして、冷たい空気が肌を撫ぜるような気配がする。能面の女性がまっすぐに仄暗い目で飛鳥のことを見つめている。飛鳥はその向こう側に問いかけるようにして、云う。
「夢を終わらせてほしいのだと願う誰かも確かにそこにいるのではありませんか?」
【参】
揺れる、水面に曖昧な、影が映る。
そんな幻が見えた気がした。
闇のなかに浮かび上がる淡い光の球体。それはあたりをぼんやりと漂って、次第に数を増やしていく。
―――あんたが初めてだ。
男の声とも女の声ともつかない声が云う。
―――殺されたわけではないんだね。
木霊する声の主などどうでもいいこと。
―――面白い……。自ら望んでここへ来るなんて。
云う言葉に飛鳥は答える。
「あなたたちに呼ばれたといっても過言ではないのかもしれませんけれどね。―――これからどうなさいますか?」
―――あなたはどうすれば良いと思っているのです?
声が訊ね返す。
「あなたたちが行くべきだと思う場所へ行けばいいんじゃないでしょうか?私のように生や死に対してひどく希薄な者には、あなたたちに指標を与えることなどできないでしょう。あなたたちが望むままに、そこへ行くのであればそれで良いのではないのでしょうか」
吐息に空気が震える微弱な気配。
反響。
水紋が広がるように拡散。
音の波。
溶け出していく。
一つ一つが霧散する。
そんな気配があたりいっぱいに広がる。
そしてふと気付くと飛鳥は確かに自分の肉体と共にそこにあって、目の前には肉体を持った、否、肉体を持ったように見せかけた寝間着姿の女性が立っていた。もう能面のような顔はしていない。申し訳なさそうに目を伏せて、話しをするべきなのかどうかを迷っている様子だった。
「あなたはどうなさるおつもりですか?」
―――私を責めないのですか?
「その必要がどこにあるというのですか?私はあなたに呼ばれたからここに来だけだけです。そして、自分であなたたちの言葉に触れてみたいと思ったから、それだけです。そんな私ですからあなたに責められることがあったとしても、私があなたを責めることなどできませんよ」
女性はふっと柔らかな微笑みを浮かべた。そしてするすると糸が解けるようにしてその姿を闇のなかに溶かしていく。ゆっくりと頭を垂れて、申し訳なさそうにしながら静かにその姿を溶かしていった。
絶対的な闇が戻ってくる。目蓋の裏側を染める闇の鮮明さに、意識の自由が奪われていく。五感に触れていたものが一つ一つ剥がされていく。深い眠りの底だろうか。それともこれは目覚めの予感なのかわたからないまま飛鳥がそれに身を任せると、不意に現実の声が鼓膜を震わせた。
「いつまで寝てるんだい」
飛鳥の顔を覗き込むようにして蓮が立っている。
「おはようございます」
微笑と共に飛鳥が云うと、本当にね、と云って女は店の外へと視線を向けた。
朝陽が眩しいくらいに外の世界を満たしていた。
眠りは覚めて、生が帰ってくる。
思いながらゆっくりと上体を起こして、飛鳥が枕の下を探るとそこにあったのは古びた、何も描かれていない白紙。地図のように張り巡らされていた図形はすっかり姿を消していた。
連が笑う。
「つまらないものに煩わされていたもんだ」
その言葉を受けて飛鳥は云った。
「何はともあれ、これでよかったんだよ」
二人は笑う。
差し込む朝陽が眠りを遠くへ運び去る。眠りは覚めて、永遠など遠くに消える。死に似ていると思うのは、きっとそれがあまりに心地良く、あまりに恐怖に満ちているものだからだろう。時々現実が重く圧し掛かる時、逃れる場所だからこそ畏怖する。それが眠り。囚われたままではいられないと思いながらも、どこかでそこに永遠に逃れてしまいたいと思う場所。そここそが眠りというものが支配する場所なのだ。
「碧摩さんは眠ることが怖くなることがありますか?」
不意に飛鳥が訊ねると女は真顔で答えた。
「怖いさ、時々ね。でも必ず目覚めることを知っていればそれほど恐れる必要もないんだよ」
その言葉を噛み締めて飛鳥は、そうですね、と呟く。
生への執着と死への恐怖の均衡が取れていれば何一つとして恐れることなどない。人という生き物はそれを簡単にこなしている。ただ少しの発端でそれが揺らぐ時、苛烈な想いとして現れるだけのことだ。想いの強さで生きてる。思って飛鳥はゆっくりと寝椅子を下りた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2736/東雲飛鳥/男性/232/古書肆「しののめ書店」店主】
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■ ライター通信 ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
聞き役に徹して浄化とのことでしたがいかがでしょうか?
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。
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