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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


さても珍妙な怪談―見るもの、ぶらさがるもの、はべるものども―


0番 いつもどおりの始まり

 毎年規則正しくやってくる六月の初め。
 土臭い匂いの中に咲き誇る紫陽花が、梅雨の雨に濡れそぼるその季節に、山間(やまあい)にある小さな村ではちょっとした変事が起こっていた。
 村で一番の土地持ちの家での出来事。
 田舎にあるだけに広大なその土地に広がる家屋敷で、奇妙なモノノケが現れると。

 湿気の多いこの山間の村の中、彼らは雨漏りと共にやってくる。
 過剰な恐怖さえないものの、まだ雨漏りを「ふるやのもり」と呼ぶもののいる古い田舎の村でのこと。
 雨漏りと共にくるものは、彼らにとって立派な災厄であった。

 奇妙な足跡。奇妙な人影。そして人とは思えないものの姿。

 三種の不思議なモノノケが雨漏りが起こるたびに家屋敷に迷い出る。
 さながら、その家に住む者たちを脅かすかのように。

 家主は困り果て、助けを求めている。

 そんな話が草間興信所という、一分野においてとても名を馳せる機関に持ち込まれたのは、偏にある青年のおかげと言えた。

「よう、怪奇探偵!」

 嫌味なほどに莫迦明るいそんな猫倉・甚大(ねこくら・じんだい)の声で、今日も草間・武彦(草間興信所所長)は肩を落とす。

▽▲▽

「夜中にお前の枕元でムンクみたいに叫んでやる」
「やるせなさは分るけど、奇行に走るのはよくないわ、武彦さん」
 机に突っ伏したまま、くぐもった声で投げやりに呟いた草間を、シュライン・エマは冷静に諌めた。
「……もちろん、冗談だ」
 嘘ね。半ば本気の声だったわ。
 拗ねたように返ってきた答えには心の中で答えを返し、シュラインは給湯室から、よく冷えたコーヒーを満たしたグラスを三つ載せて、狭い興信所のメインルームに戻ってくる。最もそこはメインルームと呼ぶほど立派なものではなかったが。
「ほんとに武彦って色々試練に合う奴だよなー」
「……お前が言うなよ」
 まるで誰によって、草間が落ち込む依頼を持ち込まれたのかを、さっぱり忘れたような笑顔で甚大は気楽に笑う。力のない草間のツッコミなどものともしない。
 草間もすでに諦めたように苦く笑って、少しずれ落ちた眼鏡を直していた。日頃はハードボイルドを目指しているらしいが、実際の彼にはこうした親しみやすい一面も多くある。
 これだから見ていても飽きないわよ。
 これもこっそり呟いて、シュラインは二人の前に水滴でいっぱいになったグラスを置いてやった。
「まぁ、いいじゃない。甚大くんは、いわばここの常連だもの。私、ちょうど手が空いているから、調査をかってでもいいわよ?」
「怪奇事件持込専門の常連だけどな……おまえ、いいのか?」
 二人が話すのを眺めながら、甚大は勝手にソファに積まれていた資料を避けて、冷たいコーヒーを喉に流し込んでいる。
 シュラインはもう一度、いいわよ、と頷いた。
「……おまえ一人?」
 ほんの僅かに眉を顰めた草間。そこにはわかりにくはあるものの、心配の色が浮かんでいる。
 少しだけ苦笑して、シュラインは伺うように甚大を見た。
「や、俺も行くよ。行っても大して何の役にもたたないけど、その家主のおっちゃんに挨拶してこないとだめなんだよね」
「だ、そうよ。だから二人ね」
 一人で調査に行くことなんてよくあるでしょう、と微笑んだシュラインに、ま、それもそうだな、と草間はようやく頷いて甚大に向き直った。
「今度からは、普通の人間が犯人の事件持って来いよ」
 言ったところで無駄とは知りながら、そう呟く。甚大も気軽に「またその内ね」と決まりきった言葉を返した。
 開け放しの窓の外からは、やかましいくらいに元気な蝉の声が入り込んできていた。
 夏が、騒がしく始まっている。


1番 うしょうさん

 依頼を正式に受けた次の日。
 東京を出たのは早朝だったが、村に着いたのは昼を随分回った、二時という時刻だった。
 がたごと、と騒がしい音をたてながら縦に、横に揺れるバス内は、お世辞にも過ごしやすいとはいえなかった。それが長時間を過ごす場所ならなおさらだ。
 身体によく合い、着慣れた、過ごしやすい服装を選んでいたことが幸いした。それでも随分凝ったような気がする肩を軽く回して、シュラインは幅の高いバスの降り口から土の上に足を下ろす。
 その後ろから続いて、シュラインの大きい方の荷物を抱えた甚大が軽やかに降り立った。
 シュラインは自分の荷物は自分で持つ主義だったが、当の甚大が持たせろ、ときかなかったのだ。
 器用に狭い道をUターンして戻っていくバスに手を振っている甚大を見て「元気ね」と呟き、辺りを見回す。
 目の前には、錆び付いた赤と茶色の交じったバス停の標識。格式ばった明朝体で「天澤役所まえ」と書かれてある。天澤。これがこの周辺の地名らしい。……だけど、役所はどこにあるのだろう?
 随分昔から、ここで風雨に晒されているのだろう、と思われる。丸い鉄の板から下には白いペンキがところどころ剥げた木の棒がひょろり、とのびて下の台形の石の土台に消えている。棒も標識も、少し斜めに傾いているのが微笑ましかった。
 耳を済ませれば、まだ遠くに行ききっていないバスの排気音が微かに聞こえる。気のいい運転手さんで、最低限の旅行荷物を持った甚大とシュラインを見比べて「姉弟かい?」と笑顔を見せてくれた。こちらも笑顔で会釈してから、「いいえ、少し調べ物で」と答えると、「ああ、学者さんかか何かかい」と興味ぶかい言葉を漏らし、破顔したので、道すがら少し話を聞くことにした。
 よく余所者が出入りする村なのか、と尋ねると、まぁ、ぽつぽつと村の伝承などを調べに来る物好きもいる、という。
 なんでも、村がかつて信仰していたという神が土着の産土神であったため、学術的な研究対象となることがあるらしい。現在では、信仰自体はさほど強いわけでもないようだが、この辺では誰でも知っている、と答える。
 もっと聞いてみると、その神が雨や風を司る神さんだ、と言うものだから、今回の案件のこともあって、興味をそそられたシュラインは聞いてみた。
「祭神は誰にあたるんですか?」
 すると、運転手は前を見たまま首を傾げて、「さぁ、そんな難しいことはわからんけども」と苦笑したあと、こう言った。

「ああ、やけど、村のもんはその神さんを”うしょうさん”と呼ぶなぁ」

 そこまで思い出したところで、遠くの方から自分を呼ぶ声がして、シュラインは標識に向けていた顔を声がした方に向けた。
「シュラインー!? なんでまだそんなとこにいんのー!?」
 甚大だった。知らぬ間にもう随分遠くにいる。どうやら自分が後ろからついてきているもの、と思っていたようで、声には驚きが含まれていた。
 ほんとに元気ね、あの子……と思いながら、シュラインはゆっくり甚大に手を振る。道案内があんなに先に行っていては置いていかれかねない。
 幸い、座りっぱなしで固まっていた身体は、地に降り立ったことで随分ましになっていたので、腰に回したウェストポーチを後ろに回してから、歩き出す。
 土の匂いが色濃かった。そして、水の匂いも。
 空を見上げると、つい先ほどまでバスの中から見ていた色とは様変わりしている。深く、青かった色は薄灰色のグラデーションに成り代わり、もう、いつ雨が降り始めてもおかしくなかった。
 屋敷につくまでに早速折り畳み傘を使うことになりそうだわ。
 まだ前の方で騒がしく自分を呼んでいる甚大に応えながら、先を急ごうと思った。

▽▲▽

 屋敷につけば、よほど到着を心待ちにしてくれていたのか、そういう家なのか、「調査に伺ったものです」と言って頭をさげたシュラインを迎えてくれたのは当の依頼人だった。
 それなりに広い家屋敷だから、お手伝いさんでも出てくるかしら、と思っていただけに意外は意外。禿げ上がった頭を晒して何度も頭を下げ、どうぞ上がってくださいと家の中に招き入れてくれる。これにも意外さを感じた。
「……結構、気さくな方なのね」
 大地主だ、っていうのに、と廊下を通されながら驚いたように呟くシュラインに、甚大は眠そうな声で簡単に答えた。
「うちのじいちゃん、えらぶった金持ち嫌いだから」
 つまり、甚大の家と付き合いがある、ということは人柄はそれなりにいいということなのだ、という。
「なるほど……」
 確かに、笑顔からして人の良さが漂っているような気がする。
 小柄な身体をかがめるようにして、静かに廊下を歩いていく老人を眺めながら、何が原因にしろ、この人を悩ませる原因を取り払ってあげよう、と思っていた。

 通された先はこじんまりとした座敷で、畳じきの真ん中には年代を感じさせる、背の低い黒机がどっしりと座していた。
 客を通した時にだけ並べるのか、座椅子が隅に積み上げられている。それを見た甚大が素早く荷物類を端に固め、人数分の座椅子を並べた。
「あ、すまんなぁ、甚大くん」
 皺の深い顔でにこにこと言う老人に、甚大は「全然」と答えて彼を上座に座らせる。
 そうして自分はシュラインと並んで座ると、急に居住まいを正して頭を下げた。
「先日は、たくさんの本の寄贈をありがとうございました! また縁がありましたら何卒よろしく」
 日頃の喋りからは想像もできないようなしっかりとした口調に、シュラインは密かに目をむいたが、どうやらそれは彼なりの仕事上でのけじめらしい。老人はそんな甚大を孫を見るような目で見守り、「こちらこそよろしく」と頭を下げ、そこで形式ばったやり取りは終了らしかった。

 やがて、中年ほどの使用人らしき女性が、涼しげなコップに入れた麦茶を運んできてくれた頃、ようやく主人が話を切り出そうと思ったのかシュラインに向き直る。
「この度は、我が家の変事の為に足を運んでもらい、申し訳ない」
 座椅子に正座していたシュラインは、それに対して丁寧に頭を下げ返した。
「いくつか、お聞きしたいこともあるのですが、よろしいですか?」
 メモを取り出しながらそういうと、主人は「わしにわかることならなんでも」と応えた。
 簡単に最初の調書を示し、内容と事実が違っていないかを確認する。
「怪異が起こったのは、六月初め、とお聞きしているんですけど」
「……そうですなぁ。正確には梅雨に入った日でしたから、六月の二日ほどやと思います」
「起こっている怪異はこの三つで間違いありませんか?」
「ありません。……あれには、家内たちもほとほと困っております」
 温和な顔に初めて苦い色を浮かべ、家主は左右に首を振った。
「夜中、いつの間にやら廊下に立っている人物。狭い個室でぶら下がる何か。玄関先周辺についている足跡、ですね。それらが起こるのは雨が漏った日」
「そうです」
「屋根の修繕はなさいました?」
「無論です。やけど、何度屋根を葺き替えても、あまり効果がありません。何日かするとまたもとのように漏るようになるんですわ」
 屋根が原因ではないような気がします、と家主は首を振った。言外に、あの雨漏りが異常なのだ、と言いたげだった。
「では、何が原因か、という心当たりはおありになります?」
 含むところは綺麗に隠してシュラインが聞くと、家主はまた少し考え込むように眉間にしわを寄せ、やがて「いや」と答えた。
「心当たりがないから、困っております。どうして、こんなことが起こるのか。信心が足りないのでは、などと、最近では悪戯(いたずら)に言うものもおりますが、そんなつもりはないと思っております。ただ」
「ただ?」
 よどみない口調をふと止めて、老人は何もない宙を見つめる。障子の外側で激しい雨音が始まった。とうとう、雨が降り出したのだ。
「雨が、降り出しましたな」
 聞かれた話の続きとはまったく関係のない言葉を呟いて、老人はまた顔を二人に戻した。
「失礼しました。ただ、わしらも人でございますので。もしかすると、知らぬ間に、何かしらの気に食わぬことをしてしまったのやも、しれません」
 何かしらの、気に食わぬこと。
 それは何に対して気に食わないことなのだろう、と思いながらシュラインは黙り込んだ。
 いつも滑るように軽口を叩く甚大も、こんな時には静かに黙りこくっている。話自体にはあまり興味がないのか、ずっと障子の外を眺めていた。
 つられてそちらを見たシュラインに、「あなたは」と主人が呼びかける。
「はい」
 顔を戻すと少し不安げな顔で主人が聞いてきた。
「あなたは、我が家の変事をどう思われますか」
 そこには、どことなく「そんなことは気のせいだ」と帰ってしまうのではないだろうか、という不安がにじみ出ている気がした。
 シュラインはそれを安心させるように微笑んで、「私の私見になりますが」と言い置いて答えた。
「お話を聞いて、まず古家の漏りを思い出しましたわ。ここでの現象が人によるものなのか、そうでないものによるものなのかは、調べてみないことには分りませんが、ここであったということは真実だと思っています」
 話している貴方の様子からも事の真実味は伝わります、といった。
 主人は安堵したように、表情を緩和させ、口元を綻ばせる。
「全力で調査します。ですから、少しだけ協力していただけるかしら」
 事前にFAXで送られてきた見取り図のコピーを机の上に出しながら、シュラインはさらに細かく調書を取っていく。
 ぶらさがるものが出現するという場所、時間帯。誰が、どこで、どのように見たのか。
 視線についても、それを感じる時間帯に法則はあるのか。頻発する大体の位置は? 時間は?
 そういったことを順番に詳しく聞き取る。
 家主はその質問の量と、シュラインの手際のよさに目を白黒させながらも、覚えている限りで答えてくれた。
「この家の他に、こういった現象が起こっている、と訴える人は?」
「村の中で、ですか。さぁ、どうでしょうか……狭い村のことですから、もしあればわしの耳にも入るはずですが、さて」
「では、六月の初めに何か……事故や怪我をした、とか。何か物を壊した、というようなことはありませんでしたか。貴方でも、ご家族の方でも結構です。そんな覚えは?」
 メモの空いた隙間がなくなるほどに、びっしりと情報を書き加えたシュラインは最後にそう尋ねる。これは、一種の自分の推論からなる質問だった。
「…………怪我。物を壊した、ですか…………」
 唐突な質問に家主はしばらく、ふーむ、とかうーん、とか唸っていたが、やがて何か思い至ったように、そういえば、と言った。
「いろいろな用ききをしてくれている、六助というものがおります。六月初めに町向きの用事を頼みまして、使いにだしたんですが、その際に右足をくじいた、といってました。軽トラックを運転してくるのに、大丈夫だったのか、と聞いたら、左足で運転したものだから軽く何かにぶつけてしまった、と忌々しそうに言っておりましたが」
 シュラインは一瞬、目を細めた。
「その方にも、お話をお聞きできますか?」
「無論です。呼びましょうか?」
「……。いえ、どこにいらっしゃるのか教えてくだされば。こちらから伺いますわ。色々と足で調査もしたいですし」
 少し考えたあと、にっこり笑うと、そうですか、と頷き、家主は上げかけた腰を据えなおした。
 それでは、と立ち上がりながら、シュラインも思い出したことがあって尋ねる。
「あの……それとは関係がないことなんですけど。この村では土着の神を信仰している、とお聞きしましたが」
「ああ、うしょうさんですな。それが何か?」
 うしょうさん、という言葉で一気に笑顔になった老人を見ながら、シュラインは単純な興味ですが、と首を傾げる。
「その名前は何からつけられたんですか?」
「うしょうさんですか。……どうでしょう。もう随分昔から村ではそう呼んでおりましてなぁ。ここから町の方に向かって越す山の中腹ほどに神社があります。そこの神さんなんですけども」
 神社まで行けば、発祥も分るかもしれませんが、といわれ、そうですか、と返した。
「うしょうさんは雨と、風、雷を司るえらい神さんです。もしお行きになるんでしたら道順を書きましょう」
 土地の神に興味を持っているらしいシュラインを好ましく思ったのか、親切にそういってすぐに簡単な地図を用意してくれた。
「どうぞ。今はもうあまり栄えてはおりませんが。わしらには大事な雨神さんです」
 にこにことそういう老人の姿を見て、シュラインは思った。
 なんとなく、あらましが見えてきたわ。
 礼をして部屋を辞しかけ、ふと思いついたように振り返る。
「ごめんなさい、もう一つだけ。六助さんというのは、何歳くらいの方ですか?」
 家のどこかであっても分らないかもしれないから、というシュラインに家主はまた人のいい笑みを浮かべて「ああ、六助はちょうど今年で六十です」と教えてくれた。
 恐らく、今頃は裏庭の奥辺りで垣根を掃除してくれているはずですよ、という声に頷きながら、シュラインは何故かそこに行くのは神社に行った後にしよう、と思っていた。


2番 雨の神社

「ねぇ、シュラインはさぁ。この家のことってどう思ってんの?」
 家主の許可を得て、見取り図に沿って一つ一つ丁寧に家を調べて回るシュラインに、何故かついてきた甚大が唐突にそう尋ねてきた。
「どうってどういうこと?」
 今は渇いている風呂場の天井を脚立に上って調べながら、シュラインは振り向かずに答える。
「だからさ、なんていうの? えーと、つまりー」
 彼にしては珍しく、言葉を選ぶような気配があった。前を向いたままシュラインは笑いをこらえる。
「つまりねー、ほら。それって自作自演じゃねぇ? とかって思わないの、ってもっと間接的に言いたかったんだけど」
 ……だめだわ。笑ってしまった。
 ついつい吹きだしながら、シュラインは脚立から下りて振り返る。本当に間接的に言いたかったらしく、甚大は自分に納得いかない様子だ。
「甚大くんはあんまり間接的に、とかって言い回しを考えない方がいいと思うわよ」
「だって武彦にもよく直せ、って言われるしさー」
「あら、気にしてたの?」
 脚立を肩にひょい、とかつぎながら笑って隣を行き過ぎると、ひでぇなぁ、というぼやけた声がかえってきた。あまりひどいとは思っていないらしい。
 歩幅が広いらしく、自然と隣に並んだ甚大を見ながら、シュラインは「まぁね」と切り出した。
「そういう風に思っていたところはなきにしもあらず、ってところかしら。でも今は違うことが気になってるのよ」
 ちょっと考えを整理してみようと思って、と言うシュラインに、甚大は首を傾げた。
「ここに来るまではどう考えてたわけ?」
「それが聞きたいの?」
「今気になってることは後で聞く」
 言うとも答えていないのに、聞かせてもらえることを断定しているのが彼らしかった。
 人の推理とか論理って聞いてて面白いもん、と甚大は言う。専ら、自分で深く考えることは嫌いらしい。
 シュラインは笑ったが、すぐには話し出そうとしない。
 色々と考え事をしていたせいもあるが、今、まさに話題となっている人たちがいる屋敷の中で推論を口にするのは失礼に当たる、と思ったのだ。
 口を開いたのは、脚立を納屋の戸口にたてかけて屋敷の門を出た、そのときだった。
「……さっきもいったけど、本当は少し疑いの目を持っていたわ」
「おっちゃんを?」
「そう」
 さしている傘の影から顔を覗かせる甚大に頷いて、シュラインは続ける。
「うちに犯人が人間でない依頼はたくさんくるけれど、私の基本姿勢はあくまで草間の基本姿勢と同じものよ。一見不可思議に見えることでも、まずは人の仕業ではないか、と疑うわ」
 ただ、それに凝り固まらないことが大事だと思うけど、と付け加えた。
「ぶら下がってくる何か、についてはそのまま雨漏りの印象があった。いつ漏って落ちてくるか分らない雨漏りの出方に似ているでしょう? ただ、それについては家主さんの証言が気になったわ。彼だけがどうしてはっきりと外見を言い切ることができるのか」
「視線が気になるのはどうしてかしら? 何かやましいことでもあるのかもしれない」
「足跡も、発見者は家主さんだと聞いたわ。発見者であれば、証言はどうとでもなるでしょう。何故雨漏りのあった日に怪異を起こすのかといえば、特別なことが起こっているんだ、と匂わせる為か、と考えたわ」
 幾つか考えていた推論を口に出して並べ立てたあと、シュラインは傘のかげで小さく息をついた。
「でも、それならどうして解決を頼むのかしら。解決を頼むことで家主さんに解決以外の意図がある場合ならばそれも頷けるけれど、さっきから会って話した感じだと」
 そうじゃないと思うわ、と一瞬間をあけてシュラインが呟いた。
「なんで?」
「それは、あとで」
 えー、と甚大が不満の声をあげたところで、二人は二又の道に差し掛かった。地図によれば、この片側が神社へと上る登山道に通じる。その片側にたって、シュラインは甚大に一つ頼みごとをした。
 さっきの続きはそのあとでね、というと、甚大は首をかしげながらも言われた通り、もう一つの道をたどり始める。傘の向こうで黒い頭がしきりに揺れていた。
 シュラインはそれをしばらく見送ったあと、自分は雨に煙る登山道への道に足を踏み入れた。

▽▲▽

 車が通る為に舗装されたのだ、という道は本当にぎりぎりの幅しかなく、時折村から町へ向けて走る車がシュラインの真横をゆっくりと走っていった。
 こんなんじゃあ、お年寄りなんかは危ないんじゃないかしら、と思ったが概ね慣れるものらしい。登る途中、幾人か下山する人と行きあったが、危なげな人は一人もいないようだ。それもそのはずで、もうしばらく道を行くと、そこには車道の脇に初めてならば見過ごしてしまいそうな小さなわき道があった。
 よくよく見ればそこに流暢な手書きで「参道」と記されている。
 この先に件の神社があり、老人たちはみなここに通っているのだそうだ。車道を歩く距離は本当にわずかなので、大した問題ではないらしい。
 話を聞いた数人の老人は、シュラインがその神社に行くのだ、と告げると物珍しそうに上から下までシュラインを眺め回し、やがて皆嬉しそうに笑った。聞く前から神社に行くのか、と聞いてきたものもいる。一様に嬉しそうなその笑顔には見覚えがあって、その全てには、自分たちの神さまに興味を持つものへの親近感と、誇らしげな思いがにじみ出ているようだった。
 あの家主と同じ顔だ。うしょうさんの話をした時の彼の顔と。
 甚大にお願いをするまでもなかったかしら、と思いながらシュラインは道を登る。
 参道は村に下りたときよりももっと土の匂いが濃く、今は雨に濡れているため木々の芳香もすさまじかった。
 やがて、坂の土を盛り上げて木の板を打っただけの階段が苔に覆われた石の階段に成り代わり、シュラインの前にこじんまりとした空間が開ける。
 それほど大きくもなく、雨に濡れた朱の鳥居。その向こうにはささやかな石畳が続き、神の屋代が控えていた。
 思っていたよりも、小さい。だが、まったく信仰をなくしているわけでもないように見える。
 石畳の両脇には多少背の高い草が生えていたが、それさえ時折整えられているのか、雨露を重そうに首をもたげながらなかなかに美しい。手のまったく入らない雑草が生え揃った場所は、もっと荒れた感じがするものだ。
 先に進んでいくと屋代の回りも小奇麗に掃除されているようだった。屋代自体も古くはあるが、汚くはない。
「……やっぱりね」
 細かい雨が傘をたたく音だけが聞こえる静かな場所で、シュラインは自分の推論があたっているのではないだろうか、と思い始めた。
 思いながら神社の裏側へ回ると、そこには木々が乱立していて、足を滑らせれば立ち上がれないような崖になっている。けれどもその木々の間、遠く下の方から車の排気音が聞こえた。町へ向かう車だろうか。
 車道は神社を取り巻くようにぐるぐると回っている。信仰は、盛んということもないが、確かに残っている。
 そして、六助という家主の家のものが、車を何かにぶつけてしまった、と言った。
 傘から滴る雫が、風に吹かれたのかシュラインの手に零れ飛んできた。風は思う存分雨をなぶって、木々の間で泣き声を上げる。本当に泣いているようだ。
 ……泣いているのかもしれない。
 もう、この神社に来ることもないだろう。そう思った。


3番 ことの次第

 屋敷に帰ったシュラインは、自分よりも先に帰って来たらしい甚大から、頼んでいたことの結果を聞いた。
 答えは、「じいちゃん、ばあちゃんは神社のことをよく知ってたよ。村では六月初めに、神社付近で物を壊した人はいなかった。でも、最近、壊れているのを見つけた人がいるって」とのこと。
 車道からわけいった、参道のある場所よりももう少しだけ上に登った場所。その端に、ひっそりと景色に埋まるようにたてられた地蔵が壊されていたという。
 ひどいことをするもんだ、と年寄り連中で形ばかり直しておいたそうだが、結局誰が壊したのかはわからずじまいだったらしい。
 村の人々は、六助が車を何かにぶちあてた、という事実を知らなかったのだろう。
 シュラインはその足で家主のところに行き、六助を呼んでもらった。
 彼を訪ねずに先に神社へ行ったのは、ほとんど勘というしかなかったが、結果的にはそれが幸いしたと言える。
 家主に呼ばれてきた六助は、半ば想像に反しない六十過ぎの小男で、「六月の初めに町に出かけた時のことについて伺いたいのですけど」とシュラインが切り出した途端、ぎょろり、とした目を数度しばたかせて急に落ち着かない様子になった。
「あなたが物を壊したというのは、神社の参道の近くじゃなかったでしょうか」
 なにやら切り抜ける方法を探しているらしく、泳ぐ目をひた、と捉えてもう一押し。
 それで六助はあえなく白状した。

「あの時は、本当に気づかなかったんだ。あの時、わしは急いでいたし、周りも暗くて、雨が降っとった。知っておったら、こんな罰(ばち)をかぶるような真似はしねぇ」

 ほとんど涙ながらの六助の告白に、驚いたのは家主だった。
 どうして今まで言わなかった、と茫然と問い詰める彼に、六助はたどたどしい言葉で答える。
「初めは、うしょうさんの地蔵塚が壊れとるのが、わしが車でぶちあたったせいやなんて、思ってもみんかったんや。けど、屋敷でおかしなことが起こり始めて、家の皆もそれで騒いどって。そんな中でわしだけが、皆が言うようなものが見えんかった。
 これは、何かおかしい。何かがわしをせめとるんと違うやろか。そう思うとったら、最近になって、地蔵塚が壊れとった、と村のものが言い始めたさけ……、……もしかして、あの時ぶちあたったんは、うしょうさんの地蔵塚やったんやないやろか、て。そう思ったけども、だんだん話が大きくなってきて、言い出そうか、言い出すまいか考えあぐねておったら、ようよう、村のもんもこの屋敷のことを疑いだしたけに。一人だけはっきり姿が見える、と言うた旦那さんが疑われだして、もう、どうもこうも言い出せなくなってしもたんや」

 一気にそう叫ぶと、六助老人は力なくうなだれ、男泣きに泣きふした。
 そしてその告白が、今度の古家の漏り騒ぎの種明かしとなった。


0番 また続く日常

「何かがぶら下がってくる、という箇所の天井を調べたけれど、家主さんの言った通りに何の故障もないように見えたわ。そりゃあ、お風呂場なんかは木板の屋根だったから染み出すし、蒸気で水滴だって落ちるでしょうけど、トイレなんかは土壁だったもの。雨漏りがすること自体がおかしいと、そう思ったのよ」
 興信所に帰ったシュラインは、ほんの一日で難事件を解決するに至った説明としてそう言った。一度何か異質なものが原因と気づいて、その筋で疑って調べてみればあとは簡単なものだった、という。
 キーワードは「うしょうさん」と、ちょうど六月の初めに物を壊したという家人。町からの帰り。神社。土着の神にいまだ残る信仰。そして、老人たちの信仰の度合いだ。
 信仰を失くしきった神というのは、あとは朽ちて果てていくのみ、と耳にしたことがある。
 それでいけば、うしょうさんという神は、この現代にあっていまだそれなりの力は持つ神さまであるらしい。
 現実的な調査の為の質問をする傍らで、信仰が深く残るというこの土地のこと。ふと浮かんだのは祟りという言葉だ。
 それで、聞いてみた。「六月初めに、この屋敷のものが何かを壊さなかったか」
 結果、下手人は簡単に上がり、事件は解決。
 家主は丁重に塚を築きなおし、うしょうさんに詫びを示すために大掛かりな祭りを行う、ということだった。
 六助には、本人も十分苦しみ、反省をしているのだから、ということで其れまでどおりに働いてもらっているという。

 本当は、うしょうさんはきちんとわびて欲しかっただけなのかもしれない。
 自分の力だけではそれが難しいから、私の口を借りてその犯人を教えたのかも。
 なんとなく、そう思った。それでなければ、いつものような現実に基づいた慎重な調査ではなくて、今回の当て推量のような調査を自分が進めた理由がつかない。

 土臭い匂いの残る田舎でこそ、起こった事件かもしれなかった。人々の中に神が生きているからこそ。
「けど、結局うしょうさんがどういう由来からついた名前なのか、聞けなかったわね」
 先ほどシュラインが淹れたコーヒーを上手そうに飲む草間の隣でぽつり、と呟くと、話を終始黙って聞いていた草間が短く「そうだな」と頷いた。
 少しの間を空けて、振り向いたシュラインに小さく笑う。
「おまえにだって、謎の残る事件があってもいいんじゃないか? たまには、な」


 夏の初めの、小さな事件だった。

END


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


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■         ライター通信          ■
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 いつもお世話になっております。ねこあです。
 今回はまずお詫びを。
 体調不良とはいえ、大幅に納品が遅れてしまいましたことを心からお詫びします。本当に申し訳ありませんでした。

 さて今回は初の完全個別に挑戦してみました。
 お一人お一人のプレイングをアドベンチャーゲームのような扱いで書いてみたらどうなるだろう、という試みです。キャラクター、一人ずつを深く書いてみたい、ということもありましたが。成功しているかどうかは甚だ疑問です……(汗)
 今回は雰囲気を重視いたしました。
 それゆえに、いつもの書き方とは少し違うかもしれません。お気に召せば、これほど嬉しいことはありません。

 シュラインさま
 いつも本当にありがとうございます。
 今回はこのような形になりました。いつもながらこちらが「すごいなぁ」と唸らされるプレイングで、それを活かしきれない自分が情けなく。申し訳ないです;
 いつもてきぱきと話を進めていってくださいますので、助かっております。ありがとうございました。


 それでは、今回も依頼を解決していただき、本当にありがとうございました。

 失礼いたします。