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夏のお嬢さん
「いや〜暑いねぇ、今日は」
こちらの都合などお構いなしにじりじりと照り付ける太陽。
そういえば天気予報で、今日は今年一番の真夏日になるかもしれない、と言っていたっけ……と、額を流れる汗を拭いながらエリス・シュナイダーはぼんやりと思い出していた。
「本当に、暑いですねぇ〜」
(暑い暑い、言わないでください。余計暑くなります……)
先程から耳に入る単語と言えば『暑い』の一言ばかり。
エリスがこの場所に着て、かれこれ1時間ほどになる。いい加減焦れるというものだろう。
そもそも久々に休暇を取る事ができた彼女は、海水浴にでも行こうと思い付いて満員電車を我慢してここまでやってきたのだ。
自分にお触りをしかけてきた不届きな痴漢をミニュチュア化してストレス発散したり、ましてや鬱陶しい人波を泳ぎに着た訳ではない。
(これなら、お休みなんて貰わないで、御屋敷で仕事していた方がまだましでしたね……)
ふぅ……と物憂げに青い瞳を曇らせ溜息を吐くエリスに秋葉原系の男性がちらちらと熱い視線を送っていた。
これが仕事着であれば更に暑苦しいのだろう、と彼女は現在の格好―――…紺のミニ丈スーツと黒ストッキング、黒いパンプス…を選んで正解だった、と内心呟いた。
そんな彼女の仕事は、とある屋敷に仕えるメイドである。
普段は紺のミニ丈エプロンドレスに黒のストッキングに同色のローファーという俗にいう『メイド萌え』の人々には堪らない姿であろう。
加えて周囲より頭一つ高い長身と、長い手足に出るところはでて引っ込むところはちゃんと引っ込んでいる、モデルのように整ったプロポーション。
メイド服を着用してはいないが、この暑さに理性の飛んだ不届き者の一人や二人……駅から続く長い長い海までの人の波を泳ぐ道中出てくるかもしれない。
(巨大化して、みんな蹴散らしてしまおうかしら……)
よしんば浜まで出ても、人だらけで泳ぐどころではないだろう……とうんざりした気持ちでエリスが内心呟いた時だった、
「え……!?」
不意に、視界がぶれる。
奇妙な浮遊感にも似た感覚がエリスを襲い、何故か周囲のものがどんどんミニチュア化していく。
―――――否、エリスが巨大化しているのだ。
「きゃぁ―――――!!」
「うわぁぁ――――!!化け物ぉ〜」
ぐんぐんぐんぐん大きくなっていくエリスを見上げ、人形からアリ…最終的にはごま粒程に小さくなった人間が口々に叫んでいる。
「……。…………。………………熱暴走?」
思わず斜め45度ずれている発言をぽつりと呟いた時には、エリスの体は周囲のビルよりも大きくなっていた。
「困りましたね」
あまり困っても居なさそうな表情でエリスは顎に手をあてて考え込む。
マイペースでのほほんと呟く本人とは対照的に周囲の人々は突如現れた巨大怪獣……否、謎の巨大女性に蜂の巣を突付いたような大騒ぎとなっていた。
「……ま、いいです」
考える事1分30秒。彼女は丸投げ的発言をするとおもむろに服を脱ぎ始めた。
麗しい美女の着替えシーン、目の保養とばかりに男性陣ならば喜ぶところかもしれないが、しかし巨大すぎた。
喜ぶどころではないサイズだった。
「さ、行きましょう」
ぱさり…、脱いだ衣服を周囲のビルにひっかけ、靴とバッグを道路に置くとエリスは何事もなかったかのように足を踏み出す。
服の下にはしっかりと水着を着こんでおり、脱いだところで問題は無かった。
ずん……ずしん……ずず―――ん!!!
アスファルトにヒビを入れながらエリスは、海辺の高層ビル街を海を求めて歩き出す。その足元では彼女の一足一足ごとにきゃーきゃーと悲鳴を上げながら逃げ惑う人間たちがいたが…気にしないことにして。
―――…ぐちゃ。ぷち。ぺちゃ。
「うわぁぁ―――!!俺の新車がァ〜!まだローンが残ってるのにィ!!!」
……見えなかった、聞こえなかった事にして。
「わぁ…」
不意に視界が開け、視界一杯に広がった青にエリスは感嘆の声をあげる。
巨大化した彼女をもってしても海は広く大きかった。
そんなことに意味も無く感動していたエリスの足元でやはりビーチリゾートを楽しんでいた人間達がパニックを起こしていた。
丁度海とエリスの巨大な足とに阻まれ逃げ場を失った人々が、砂浜に頭を擦りつけんばかりに拝んでいる。
「ふふふ……みんなわたしの玩具です」
無邪気な笑みをこぼすと、怯える人々に構わず海へと足を踏み入れた。彼女が入った余波で高波状態となって海水が砂浜を叩くのに人々は慌てて逃げ出していった。
「誰も居ない海〜♪」
巨大水着美女の恐怖に人々が消えた無人のビーチで、エリスはプライベートビーチを堪能すべく愉しげに昔聞いた曲のフレーズを口ずさみはじめた。
「―――――…あれ?」
ぱちり、と不意に視界に飛びこんできた風景が室内である事に、一瞬状況が掴めずぱちぱちと瞬きをする。
「ええっと……夢?」
どうやらいつもの不可思議な夢の一部らしい、とベットより身を起こしたエリスは額に手をやりながら時計を見る。
時間はもうすぐ昼を示しており、常ならば仕事をしている時間であった。
しかし、寝覚めのいい彼女である。目覚ましが鳴ったならとっくの昔に起きているはずだった。
「……あ。今日お休みでしたっけ」
そうか……と、納得したように呟くとごそごそとベットから降り身支度を整えるべくバスルームへ向かう。
「折角のお休みですから……今日は海へ行きましょう」
はたして正夢になったかは――――…本人のみぞ知る。
【おしまい】
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