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<東京怪談ノベル(シングル)>


三等星、でも一等星

 点滅する青信号、急いで信号を渡ろうとして、すぐ傍にある水溜りに気付けずに、新品の靴を泥水で汚してしまう人。人は、特別に意識していない限り、自分の足元にまで気を配る事は難しいのだろう。
 それが水溜りなら、少々悔しい思いをするだけで終わる。その後は笑い話にでも転じてしまえば、傷も残らない。だが、気付かなかったのが横断歩道に突っ込んでくる信号無視の暴走車だったりしたら……。


 「…出るんだってよ」
 「……やっぱりか…?」
 そこここで、そんな作業員のひそひそ声が聞こえる。尤も、それが声を潜めた内緒話だとしても、その話をしているのが何組もあれば、自然とそれは厭でも耳に入ってくると言うものだ。
 「女と子供だってよ…」
 「オレは子供が二人だって聞いたぜ」
 「女の幽霊だろ?夜中にこの辺りを赤いスポーツカーが通り掛ると、道の端に立って呼び止めるんだと」
 「スポーツカー?違うだろ、タクシーだろ。それに、呼び止めるのは子供の方で、女の幽霊はその背後にひっそり佇んでいるだけだって…」
 噂は噂らしく、一つとして同じ話は出てこない。が、噂を統合すると、この辺りにはタクシーを呼び止める女と、泣きじゃくる子供の幽霊が現われるらしい。
 「ああ、それでタクシーが止めてその女を乗せ、暫く走るといつの間にか女の姿は消えていて…」
 「俺が聞いたのは、後ろから女の幽霊が運転手の首を絞める、って話だぜ?んで驚いて急停車すると、『急に止まると危ないわよ…』って囁いて、すぅっと姿が消えちまうって……」
 その話をした男は、幽霊の台詞らしき部分では掠れた裏声で臨場感たっぷりに話をする。恐がりの作業員が、うわぁと情けない声を上げて両耳を手の平で覆った。
 「や、やめろよ…そう言う話をしてると、あっちの方から寄ってくるって言うだろ…」
 「そんな事を言ったら、今頃この辺りはユーレイで一杯だぜ」
 他の作業員が、そんな恐がりな男を揶揄って笑い出す。笑われた男は、憮然とした表情を浮かべているが、それでも恐いものは恐いのか、視線だけはきょろきょろと落ち着きがない。例え気をつけていたって、至って平凡なその男の目には、何も映る事はないのだろうが。

 「みんな、好き勝手言ってるねぇ、…あれは、恐い気持ちを騒いで誤魔化しているだけだろうがね」
 不意に話し掛けられ、有佐はその声のした方を向く。有佐と同じ警備会社に勤める同僚の男が、穏やかな目で有佐の方を見ていた。白髪混じりで目尻に皺のある、それなりにもういい年なんだろうこの男は、何故か有佐と組む事が多く(多分、口数の極めて少なく一見するととっつきにくい印象を与える有佐を何の衒いもなく対応できる者が余りいないからだろう)話し掛けられてもロクに返事もしない有佐に、懲りもしないであれやこれやと声を掛けてきていた。
 「ここ、魔のカーブって言われてるって知ってるかい?」
 「………」
 有佐は何も答えなかったが、男は、有佐のぴくりとも動かぬ表情は肯定の意を示しているのだと分かっているらしい。ひとつ頷き、話を続けた。
 「都心から少し離れたこの辺りは、街中の喧騒を抜けてドライバーが最初に開放感を感じる場所なんだってね。だから、気が大きくなってアクセルを踏み込む者も多い。なのに、すぐに訪れるここは、見ての通りのヘアピンカーブだ。しかも、路面は実は、外側に向けて僅かに傾いているらしい。それで外側へと流れる車体を慌てて操作しようとして、衝突事故を起こす車が多いそうだよ。当然、死亡事故も多くなる。それで魔のカーブなんてありきたりな名前が付いてしまったんだろうね」
 交通誘導の為の、電飾付きのパイロンを軽トラックの荷台から降ろしながら、男は言葉を続けた。
 「本当は、当初の予定ではこんな風に急激なカーブにせずに、最初っから直線にするつもりだったらしいよ。でも当時はその場所の土地を買収できなかったらしくてねぇ…それでこんな風になったんだってさ。でも、今更になってまた直線道路にする工事をするなんて、それってただの税金の無駄遣いだよねぇ」
 「………」
 有佐は、ほんの僅かに、しかも一瞬だが、眉間に皺を寄せる。
 「でしょ?有佐クンもそう思うでしょ?きっと、買収するのにもすごい大金が詰まれたんだろうし、そう思うと、土地持ちっていいなぁって思うねぇ」
 男は、からからと乾いた笑い声をあげる。そっち持って、と有佐を促して、荷台から【工事中・迂回願います】と書かれた看板を下ろした。

 曲がった道路を直線にする道路工事の為、まずは車線を規制して通行量を減らす事から始めた。危険予防の為、電飾の付いたベストを身につけ、赤く点滅する誘導灯を振って、走ってくる車を一つの車線へと誘導していく。ウィンカーを出して有佐のすぐ脇を走り抜けていく自動車達は、どれもかなりなスピードを出しており、その勢いに前髪を煽られるたび、これでは確かに事故も多発するだろう、と有佐は思った。
 夜半を過ぎると、さすがにこの道路も交通量ががくんと減る。週末だと、はた迷惑な暴走車がけたたましく走り抜けていくのだが、今日は平日だからそれも無い。てきぱきと工事の手順を進める作業員達の手際良さは、早く仕事を終えてこの気味の悪い場所からオサラバしたい、そんな気持ちがどこかにあるような印象を受けた。
 そんな彼らでも、休憩時間はきっちり取るようだ。この場所で飯を食う気にはならないらしく、作業員達はそれぞれ車に分乗して少し離れた場所にあるコンビニへと出掛けていった。残ったのは、交通整備をする必要のある有佐とさっきの男で、男は休憩時間の間、警備会社の車で寝ると言って引っ込んでしまった為、現場に残されたのは、有佐ただ一人。
 オレンジ色の街路灯がうすぼんやりと灯るだけの暗い道路、その中で、パッ、パッと点滅する赤いパイロンが、何かを導くかのように長く一本に伸びている。有佐は、普段は歩行者が歩く事など出来ない、自動車専用道路の真ん中へと歩いて行く。そこに立ち息を潜めると、さっきから時々感じていた気配が、より鮮明に有佐へと迫ってくるのを感じた。
 さっき、交通誘導をしていた時も感じていたのだが、その時は作業員もいた為、人の念が多過ぎてはっきりとは分からなかった。オーロラのよう、何かの波長が合う時だけ、それはゆらり揺らめいて掠れた姿を現わす。ふっ、ふっと消えては現われ、場所を移動しながら何かを探している風だったそれは、今は有佐の前で一人の女の姿となって悲しみにくれた悲痛な表情を歪ませた。

 【おねがい、とまって…いそいでるのよ、はやくあのこのもとにかえらなきゃ……!】

 母親であろう、その女が流す涙は、透明な液体であってもそれはまさに血の涙で。苦悶の表情を浮かべながら、母親は右から左へと走り抜けていく自動車の一台一台を目で追っては、停まる訳の無いそれらに声にならない悲鳴を上げた。

 【はやくいえにかえらなきゃ…ねぇ、あのこはどうなったの…?】
 【だれか、おねがいよ…わたしをいえまでつれていって…!】

 【オカアサン―――…!】

 不意に、有佐の脳裏に違う声が響いたような気がした。揺らめいて、一瞬有佐の瞳に映ったのはパジャマ姿の幼い子供。ぽっかりとくり貫いたような真っ暗な眼孔からは、母親と同じようにとめどなく涙が溢れ出ていた。

 【オカアサン、ドコニイルノ…コワイヨ、タスケテ…!】
 【まってて、いまいくわ。だれか、それまであのこをまもって】
 【オカアサン…ドコ……】
 【はやく…はやくだれか……】

 そんな母の悲鳴も子の悲鳴も、実はお互いのすぐ近くで響かせているのだ。母子は恐らく、ここで同時に亡くなったのではないのだろう。どちらかがここで命を失い、別の場所で死したもう片方が、片割れの想いに引き摺られてここまでやって来た、そんな感じだ。だが、二人とも自分の想いに半狂乱で、すぐ近くに居る相手の存在に気付いていないのだ。有佐は、自分の足元を見下ろす。長身とは言え、自分の靴先が見えないなどと言う事はあり得ない。だが、有佐が腕を前方に伸ばしてみると、そこに居た母親の気配に飲み込まれ、有佐の手の指はぼんやりと霞んでしまった。勿論、腕を引けば、有佐の手は変わらず五本の指を有している。だが、そんな簡単な事に、母も子も気付けずにいるのだ。

 有佐は片手を伸ばし、母親のたおやかな手に触れる。そして逆の手は子供の小さな手に。母子は、自分の手に生身の人間が触れているとも気付かずに、ただ色の無い涙を滴らせている。有佐は、取ったその手をゆっくりと持ち上げては寄せ、子の小さな手の上に母の手を乗せ、それらを上下から挟むようにして、そっと触れ合わせてやった。暫く、そのままの姿勢で有佐は母子の手を両手で包み込み続ける。まるで、その伝わるぬくもりに互いが我を取り戻し、すぐ傍に大切な存在が居た事に気付く事が出来るのを待っているかのように。
 「……」
 そっと、有佐は手を放す。母子の手は、重なり合ったまま微動だにしない。存在があってないようなものなので、重なった互いの手は透け、向こうの景色がぼんやりと臨めた。
 そのまま母子の姿は闇に融けるようにして消えてしまったので、彼女達が出会えたかどうかは分からない。有佐自身に霊を宥める力は無く、手を重ね合わせたところでそれが可能かどうかは分からない。ただ、気付きますようにと願う有佐の心が、母と子を結び合わせてくれれば良いと願うだけだ。

 生きる人も死した人も、なにかに縛られる必要など無いのだ。例えそれが、志半ばで己の命を奪った場所であっても、必死で求めるものが縛られている場所であっても。

 有佐が顔を上げ、まだ夜が明けぬ空を見上げる。微かに瞬く星は、都会の夜にはあり得ないもの。恐らく目に見えないだけで、宇宙には数え切れない程たくさんの小さな星が存在するのだろう。それらの瞬きは微々たるものだが、だが、世界を占める存在の大半は、そんな小さな小さな輝きなのだ。

 ドラマは、そのひとつひとつに存在する筈。今夜たまたま偶然に触れた、そんな小さな物語を、有佐は見送り見守って行きたいと、思った。


おわり。


☆ライターより
 お待たせ致しました、この度はシチュノベのご依頼、誠にありがとうございました!はじめまして、ライターの碧川桜です。
 基本的に三人称の場合は、そのPC様の名前で描写するのですが、今回はいつも以上に客観的な印象を強調したかったので、あえて姓の方で描写させていただきました。ご了承くださいませ。
 ではでは、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
 またお会いできる事を、心からお祈りしています。