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<東京怪談ノベル(シングル)>


Electrical Parade

 ――Attention please. This airplane is arrives at ……

 機内放送が旅の終わりを告げる。
 流れるような異国の言葉は、相変わらず何を言っているのか理解らなかったけれど。どことなくそわそわし始めた周囲の空気がそれを伝えた。
 大きく旋回を始めた飛行機の小さな窓から暗闇に瞬く滑走路の誘導灯を眺め、海原・みあお(うなばら・−)は
 お父さんは、あまり良い顔をしなかった。
 それは、とても大切で重大な秘密だったから。――いくら愛娘のお願いだからといって私情を交えての職権乱用は、責任ある立場にいる者としては致命的だ。今回のことが公になれば、お父さんは少し困ったことになるだろう。
 もちろん、みあおにはその辺りの大人の事情は理解らない。自分のやりたいことを、思ったとおりにやるだけだ。

「――海原、みあおさん?」
 空港の入国ゲートを潜ったみあおは、数時間ぶりの日本語に勢い良く振り返る。
 チャコール・グレーのスーツを着たセクレタリー風の女性が立っていた。ダークブラウの髪に青い眸。彫りの深い顔立ちは、おそらく日本人ではない。若いようにも見えるが、もっと年長者のようにも見える。――綺麗に整った顔立ちは美人の部類に入るのだろうが、ひどく表情に乏しい感じだ。
「‥‥あなたは?」
 日本語で話しかけてきたのだから、理解できるのだろう。‥‥理解してもらえなくても、みあおは英語が話せないので、日本語で返すしかないのだが。
 その反応を肯定だと受け取ったのか女性は、わずかに顎をひいてみあおを眺めた。なんだか品定めをされているような気分になってくる。
 ぽかんと口を開けたみあおに女はすらすらと自己紹介し、そして、くるりと踵を返した。
「×××行きの飛行機は30分後の離陸になります。搭乗ゲートへご案内しますので、付いてきてください」
「え? あ、はい」
 歩き出した女の後を追いかけて小走りに足を踏みだし、みあおはふと気がついた疑問を口にする。
「離陸って、また飛行機にのるの?」
「はい」
 淡々と返された抑揚のない声に、みあおは思わず顔をしかめた。
 飛行機は、好きじゃない。シートベルトで身体を座席に括りつけておかなければいけないし。開けられない小さな窓は、どこか研究所を思い出させる。――閉じ込められるのは今でも苦手だ。
「フライトは約2時間。“島”には飛行場がありませんので、そこからは船になります」
 いつか見た映画に似ている。
 現代社会から遠く隔離された絶海の孤島。もしかしたら、大昔に滅んだ恐竜が闊歩していたりして‥‥。


 エメラルドグリーンの遠浅にぽつんと浮かんだ小さな島は、過去と未来の混在した不思議な世界だった。
 数本の椰子の木と砕けた珊瑚で埋められた白い砂浜。隆起した環礁の内海は穏やかに凪いで、古い桟橋に寄せるひどく透明な汐の流れに色鮮やかな熱帯の魚が遊ぶ。水平線の向こうから大航海時代の海賊船が現われそうな‥‥
 ヘミングウェイの小説を想わせる古き善き時代をそのまま残したノスタルジックな世界の真ん中に、無機的で色のないモノレールの駅があった。
 色鮮やかで生命力に溢れた周囲の景色の中で、そこだけがいっそ気味が悪いほど冷たく、そして、完璧な静謐を湛えている。
 それはみあおのいるこちら側の世界と中とを遮る、幾重にも引かれた見えざる障壁にも思われた。
 拒んでいるのは、さて、どちらだろう。


□■


 宇宙ステーションのようだ。
 実際にその場所を知っているわけではないけれど。
 飾り気のない無機質の。それでいて、思いがけなく広いゲートを潜り抜ける時、そんなことを考えた。
 空港や駅。あるいは、学校といった大勢の人のいるべき場所から、その気配を消してしまったら‥‥こんな風になるかもしれない。
 静かで。あまりにも、静かで。重い沈黙に、耐え切れなくなる。
 堪え切れない衝動に声を上げようとした、その時――。
 不意に目の前が明るくなった。
「いらっしゃいませ」
 唐突に現われた女は謳うようにそう言って、身にまとうふうわりと裾の広がった長いドレスを摘んで優雅な仕草で腰をかがめる。
 黒い髪と青い瞳。そして、透き通るような白い肌。
 彼女の名前を、みあおは良く知っていた。――みあおだけでなく日本中‥‥いや、世界中の子供が知っているお伽噺のお姫様だ。
 にこにこと愛想の良い笑顔でみあおを出迎えた彼女の後ろには、人の形をした小さな影がななつ。
 ずんぐりむっくりの体型に、胸まで届く白い顎鬚。顔立ちは老人のそれだが、身長はみあおの胸ほどしかない。赤や青、黄色に緑といった色取り取りの服を着て、陽気な笑みを浮かべてみあおを見つめる。
 目の前の光景が俄かには信じられず思わずぽかんと口を開けたみあおの様子に、彼女はただ善良な笑みを浮かべた。
「楽園<パラダイス>へようこそ。海原みあおさん」
 ようこそ、と。ななつの口が声を揃えて、お姫様の挨拶に唱和する。
 これはいったい何だろう。
 立ち尽くしたみあおの手に、ふわりと暖かなぬくもりが触れた。気が付くと小人たちはみあおを取り囲み、背中を押して無機質な部屋の外へと連れ出そうとする。
「‥ちょ、ちょっと‥‥」
 少し慌てて抗うように身をよじったみあおに、お姫様はにこりと安心させるように優しい目をした。
 押し出されるように潜った素っ気ない銀色の扉の向こうは――


 見たこともない街があった。
 中央に小さな噴水のある広場から放射状に伸びた石畳の道。――お伽噺の世界に迷い込んだような錯覚さえ覚える。
 振り返ると頭上に、"Station"と掲げられているのが見えた。
 広場を取り囲むように建てられた瀟洒な建物にも、"Restaurant"とか"Shop"といったみあおにも馴染みのある単語が並ぶ。そして、薄暮を刷いた白い空を背に天を刺すように細い尖塔を持つその城は、街を彩る赤い鱗屋根の向こうに優美な姿を浮かべていた。
「うわぁ‥‥」
 思わず感嘆が洩れる。
 この間、お父さんとお母さんに連れられていったアミューズメントパークに良く似た。いや、もっと不思議で幻想的な世界が広がっている。――ここには否応なく現実を思い出させるうんざりするほどの来場者の姿はない。
 みあおと、出迎え役のお姫様と7人の小人。そして、勢い良く水を噴き上げる泉の真ん中で気持ち良さ気に金色の髪を梳っている少女だけだ。少女が腕を動かすリズムに合わせ、緑青色の濡れた尾鰭がオレンジ色の夕映えの光を弾いて、ひらり、ひらりと左右に揺れる。
 上半身が人間で、腰から下は魚の尾鰭‥‥
 異形の少女は一段高い噴水の上からみあおを見つけ、軽やかに笑んで金色の櫛を持った手を振った。
「あの子は――」
 どこかで会ったことがある?
 抜け落ちた記憶の中には、見つけることができなかったけれど。それでも、きっとみあおはあの子を知っているのだ。
 そろそろとみあおは舗装された石畳に足を踏み出す。
 生まれて初めてにほんの足を得た魚のような不安な気持ちが胸の奥にぽつりと暗い染みを落とした。――海の魔女と取引して足を得たのは、みあおではないはずなのに。
 そろりと噴水に近づこうとしたみあおの前を、小柄な影が駆け抜ける。
 ベストの胸に留めた金鎖の懐中時計をしきりに気にする白いうさぎ。そして、ウサギの追うように広場に飛びこんできた女の子。
 やわらかそうな金色の髪が、あるかなしかの微風にふわりと揺れた。
「どこへ行くの?」
「お城よ」
 みあおの問いに、うさぎを追いかける少女は振り足を止めずに言葉を返す。ぽんと弾んだ少女特有のその声は、もうひとつ言葉を付け足した。
「早く行かないとパレードが始まってしまうわ」
「パレード?」
 お城に続く石畳の通りを駆けて行く少女の言葉を反芻して振り返ったみあおに、出迎えの姫はそのお人形のように綺麗なふうわりと笑みを浮かべる。
「お城のみんなで、歓迎会の準備をしているのですわ」
 街中の明かりを点して。
 閉ざされた世界にやってきた新しい仲間をみんなで歓迎するために。
「‥‥あのお城には、誰が住んでいるの?」
 聞かなくても知っていた。
 お城には、異形の天使が棲んでいる。
 ‥‥世界で1番優しい悪魔が‥。


□■


 色とりどりの提灯に火が点る。
 ミッドナイトブルーの闇を幻想的に彩る電飾に照らされて、白亜の城を戴く街は夜毎の夢に包まれた。通りに面した家々の窓から香りの良い熱帯の花が投げられ、濃厚な香りを夜に揺蕩わせる。
 顔の半分を隠す仮面を付けた人々が通りに溢れ、かぼちゃを模した電気仕掛けの馬車に乗せられたみあおに手を振り、あちこちから歓迎の言葉が寄せられた。

 トランプの兵隊。
 ブリキの樵。
 象の頭を持った異国の神と、馬の下肢をもった人。

 切り離されたこの世界の中でしか、まっとうに生きることを許されない彼ら。
 その顔にあるのはこころからの笑み。

 ここにしかない幸せと、
 ――ここでなら得られる安穏と‥‥。

 めくるくめく光の洪水の中で。
 みあおは対峙するように腰掛けた親友に視線を向けた。
 変らぬ笑顔。
 地獄よりも酷い、あの場所で。
 明日を夢見る勇気をくれたその笑みは、少しも変らずここにある。この気持ちは、安堵だろうか‥‥。


□■


 遠くで誰かが呼んでいた。
 静かに響くその音に吸い寄せられるかのように、意識は眠りの底より引き上げられる。そして、目覚めは唐突にやってきた。
「みあおさん?」
 ぱちりと目をあけたみあおに、女は少し驚いたような顔をする。
「‥‥あたし‥」
 眠っていたの。と、訊ねたみあおに、女は僅かに顎を引いて肯定を示した。そして、つと一列に並んだ小さな窓に視線を向ける。
「もうすぐ、着きますよ」
 銀色に輝く翼の下に、エメラルドグリーンにきらめく海がほんの一瞬、垣間見えた。
 飛行機を乗り継ぎ、船に乗り換え。

 楽園に暮らす異形の人々は、みあおを受け入れてくれるだろうか。

 ぷつり、と。機内放送の電源がONになり、キャビンアテンダントの流れるような声が閉ざされた空間に響く。
 流暢すぎる異国の言葉は、相変わらず聞き取れなかったけれど。
 それでも、その言葉の意味は知っていた。

 ――それでは、皆様、心に残る良い旅を‥‥Bon Voyage!


=おわり=