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<東京怪談ノベル(シングル)>


珍客

 「いらっしゃい」
 どこからともなく聞こえてきた女の声に、その青年はびくっと肩を竦ませ、慌ててその声の主を捜した。が、薄暗い店内には何やら怪しげなものが無造作に置いてあるだけで、人影どころか猫の子、鼠の子一匹さえいない。空耳だったか、と青年が首を傾げたその時。
 「おや、こんな美人の存在を見逃すなんて、よくよく女に縁のないタイプかね」
 「うわぁっ!」
 思わずビックリして青年が叫び声を上げる。振り向くと、さっきまでは確実に誰も居なかった場所に、一人の女がいきなり姿を現していたのだ。
 アンティークショップ レンの女店主、碧摩・蓮である。

 「で、モノはなんだい?見せて御覧よ」
 「え?」
 唐突な蓮の言葉に、青年は目をぱちくりと瞬かせる。そこにあった、大きくて古びた椅子に腰を下ろしていた蓮は、優雅に足を組み変え、肘掛に頬杖を付いて青年を妖しい眼差しで見詰めた。
 「何か、売りたい物があってやってきたのだろう?」
 「え、えーと…」
 「それとも何かい、アンティークショップレンの、噂の美人店主の顔でも拝みに来たのかい?」
 そう言って蓮が青年を揶揄うと、青年は思いっきり否定の意を示して、首を左右にぶんぶん振る。それを見た蓮が、わざとらしく溜息を零した。
 「やれやれ、デリカシーの欠片もない男だねぇ…そう言う時は、嘘でも『そうです』って言っとくのが男ってもんだろう?あんた、女にモテないだろ」
 「す、すみません…」
 あらぬところで蓮から説教を受け、青年は身を小さくして小声で謝罪する。イマドキ珍しいような、貧弱な身体の如何にも貧乏学生で、頼りなげな目線で蓮の方を伺う。暫くそんな学生らしい青年のおどおどした目を、蓮はじっと見詰めていたが、やがてくすりと小さく笑いを漏らした。
 「くくっ…悪かったよ、揶揄ったりして。で、本当は何の用だい?」
 この店に、何かの目的無しで辿り着く事が出来る者などまずいやしないんだからね。そう心の中だけで思い、蓮は青年が口を開くのを待った。
 「あ、あの…これを買って欲しいんですけど……」
 「うん?」
 蓮に促され、恐る恐る青年が鞄から引っ張り出したのは一冊の本だ。勿論、あえて蓮の店に持ち込んできただけあって、如何にも普通の本ではない様相だ。分厚いその本は紙も黄ばんで古びていて、表紙には何かの絵と文字が書いてあるが、掠れてしまって判別は不可能だ。中身は無事なようだが、だがそこに書いてある文字は蓮でさえ見た事のない不思議な記号で綴られており、一言で言うならば珍書と言うべきものであった。
 「…へぇ、変わったものを持っているじゃないか。あんたの持ち物かい?」
 本をぱらぱらと捲りながら、蓮がそう尋ねる。が、青年はその問いには答える事はなく、居心地悪そうに身を揺らしながら、小さな声で安値でもいいですから、とだけ言った。
 「ふぅん……まぁいいよ。これぐらいでどうだい?」
 立ち上がった蓮が、本を片手に抱えたままで、レジから数枚の札を出して青年へと差し出す。青年は、その金額をろくに確認もしないで、蓮からひったくるようにして奪うと、そのまま足早に、振り向きもしないで店を出て行った。
 「……おやおや、よっぽど後ろめたい事でもあるのかねぇ。あたしは別に、盗品であろうとなんであろうと、面白そうなものなら何でも構わないんだけどねぇ?」
 ねぇ?と蓮が、たった今仕入れた古書に向かって同意を求める。勿論、返事が帰ってくる事を期待している訳はない。黙りこくったままの古書を、蓮は棚の一つに立てかけて、自分はまた店の奥へと引っ込んでいこうとしたその時だった。

 立てかけたばかりの本が、何故か自らぐらりと前へと傾ぐ。当然、古書は万有引力の法則に従って、床へと落下しようとした。それに気付いた蓮が、あっと言う口の形で本の方に手を伸ばそうとしたその瞬間。
 古書はくるくると数回回転した後、ボン!と白い煙と共に小柄な少女の姿に変じ、すちゃっと身軽に床に着地をしたのであった。
 「…………」
 「あー、よかた。助かたアルよ〜。もー、一時期はどうなるかと、ちと不安だたアルね〜」
 「…もしもし?」
 「あー?」
 蓮に声を掛けられ、娘は間延びした返事と共にそちらを向く。腕組みをし、片足の先をカツカツと床に打ちつけながら、蓮が片眉を上げて娘の方を見ていた。
 「あー…、ここの店主さ、アルね?はじめましてアル。わたし、彩・瑞芳言うアルよ」
 「どーも、あたしは碧摩・蓮。…じゃなくて。聞いてないよ、この本の正体が人間だったなんてね」
 「あ〜、それは違うアルよ。どちかと言うと、この姿の方が仮で、本の方がもともとと言うか…まぁ、今となてはわたしもどちがホントのわたしか、分からないアル」
 「ま、いずれにしても、なんであの男がうちに持ち込んできたか、ようやく判った気がしたわ」
 やはり、あの青年がここへとやって来たのは、偶然でも何でも無かったのだ。
 「…で?あんたは何で売られて来たのかい?あのひょろりに、何か弱味でも握られていたのかい?」
 「あー…、ちょと違うアルね…それにはいろいろと…」
 てへ。と誤魔化すように瑞芳は笑った


 それは丸一日前の話。初夏にしては穏やかな天気の昼下がり、瑞芳はご機嫌で散歩の真っ最中であった。
 「あ〜〜、今日はキモチイイ日アルね〜、梅雨ドキだて言うのに湿気もなくて実に爽やかアルよ!」
 そんな事を呟きながら、瑞芳はうーん!と背伸びをする。散歩と言いつつも今は歩いている訳ではなく、宙に浮いて風の吹くまま気の向くまま、ふよふよと青空の下、漂っているのであった。
 ここ数日、雨が続いて心身ともに萎れていた所為もあり、久々の晴天は、瑞芳の気分をも晴れ渡らせると共に、乾燥した空気が同時に眠気をも誘った。ふわぁあ〜…と大欠伸をし、目尻に浮いた涙を指先で拭っていると、視界の端に何やら物凄く魅惑的なものが映った。
 「あ、あ〜……」
 瑞芳は思わず身を乗り出す。そこは、なかなか時代がかった雰囲気を漂わせる賃貸アパートの二階…簡単に言うと、安普請アパートの一室であった。
 空気の入れ替えの為に、と言った感じだろうか。開け放された窓からは爽やかな風が吹き込んでは、反対側の開け放たれたままのドアへと流れている。狭い室内は散らかってはいたが、何故か窓際に置いたベッドの上だけは何もなく、白いシーツがぴっちりと、ひとつの皺も無く綺麗に敷かれていたのだ。

 「それがまた、何とも気持ちよさそなベッドだたよ。タブン、久々の天気で洗濯したてのシーツだたアルね。あのシーツの敷き方、あれはタダモノじゃないアル」
 「…シーツの敷き方一つでそんな事まで分かるのかい」
 呆れたように蓮がそう言って笑うが、実は先程の青年が、シティホテルで清掃係のバイトをしている事など、当然知る由も無く。

 「それはともかく、わたし、イイ天気にイイ気候にイイ風、そしてイイ寝床とこれだけ条件が揃たらもう、あとは寝るしかないアルね。それで…」
 「窓からお邪魔して一眠り、と言う訳かい」
 蓮がそう言うと、瑞芳はこくこくと何度も小刻みに頷いた。
 「ほんの少しだけのつもりだったアルよ〜、ベッドは思たとおり気持ちよくて、わたし、スゴク幸せだたよ。…でも、暫くしたら、あの人、帰てきたアル。わたし、慌てて本に化けたら」
 「ここに持ち込まれたって訳かい。そりゃ災難だったねぇ」
 やれやれ、と溜息混じりにそう言う蓮に、全く、と瑞芳も大仰に頷いた。
 「と言うか、災難は、あたしもなんだけどねぇ」
 「あ?」
 瑞芳が首を傾げると、蓮は片目を眇めて娘を見る。にっと口端を持ち上げて勇ましく笑った。
 「あんたがその姿になっちまったら、もう商売にならないじゃないか。やれやれ、金にならない買い物をしちまったねぇ」
 「あ…〜それは申し訳なかたアル……」
 瑞芳が情けない表情をして、ぽりぽりと後ろ髪を掻く。最初からそのつもりは無かったとは言え、そんな表情をされては、蓮も真面目に怒る訳にはいかない。思わずぷっと吹き出すと、笑いを噛み殺しながら言った。
 「いいさ、別に…面白い話も聞かせて貰ったしね。…でも、それで勘弁しちまったらあたしの名が廃るってもんさ。あんた、ちょっと働いていきな?」
 「え?わたしが?ここで」
 目をぱちくりとさせて瑞芳が自分を指差すと、蓮は当たり前だと言わんばかりに深く頷く。一旦店の奥へと引っ込むと、細長い桐の箱を持って戻って来た。
 「…それは?」
 「この間手に入れた掛け軸なんだけどね、ちょっと出自が不明でね…霊的な気配も何かの呪いのようなものも感じないもんで判断が付かず、困っているんだよ。あんたなら分かるんじゃないかい?」
 蓮は、そう説明しながら箱を開け、掛け軸を壁のフックに掛ける。古びたそれには、左下に白と赤の椿が、右上には煤けた枯れ枝の絵が描かれていた。
 「綺麗アルね。かなり古いモノのような感じはするけど…」
 「古い、って事しか分からないんだよね。紙の種類や劣化具合、顔料の種類から大抵は分かるもんなんだけどね…」
 「あ〜、……」
 溜息混じりの蓮の言葉に、瑞芳も小さな声を漏らす。掛け軸の前に立ち、片手を椿の上へと翳す。暫くそのままで、瑞芳の唇だけが細かく蠢き、何かと対話するような仕種をする。やがて不思議な事に、白と赤の椿の絵柄がホログラムのように、ぼんやりと輪郭を滲ませながら、掛け軸の上から浮き上がってきたかと思うと、すっと瞬く前に消え、掛け軸上に戻ってしまった。
 「…ふーん、……」
 連は、腕組みをしたまま、その不思議な光景を見守る。こう言った事には慣れている蓮ではあるが、それでもたった今、浮き上がって輝いた椿の美しさには、思わず溜息を漏らしてしまう。
 続いて瑞芳は、腕を上へと伸ばして枯れ枝の上に翳す。同じように唇を小さく動かして対話をしていたが、枯れ枝の絵は椿と違い、浮き上がってくる事はなかった。

 「ぁー……、そう言う事アルか……」
 「何か分かったのかい?」
 唸る瑞芳に、蓮が声を掛ける。瑞芳は蓮の方を向くと、
 「椿さはオンナノヒト二人で、枯れ枝さはオトコノヒトね。恋人同士が椿と梅になて、でも火事で梅さはただの枝になてしまたよ。それで椿さは悲しくて……」
 「ちょ、ちょっと待った。…もう少し、分かり易い表現で説明してくれないかい?」
 それから何度か、瑞芳と言葉の遣り取りをして、蓮が導き出した結論はこうだ。
 人が花になったのか、花が人になったのかは分からないが、ともかく、赤い椿と赤い梅は恋人同士なのだと言う。そして原因は分からないが、梅の木は火災に遭い、その美しい花を散らしてしまった。同時に生命の火も消えてしまったらしく、それ以降、枯れ枝に花を咲かせる事はなかったと言う。それが悲しくて赤い椿は、少しずつ色褪せ、今は二輪あったうちの片方が、完全に白くなってしまったのだと。
 瑞芳自体ははっきりと物事を理解しているのだが、それを日本語で表現するのがやや苦手だったらしい。問答のような遣り取りを終えて、少々疲れた表情の蓮に、瑞芳が言葉を続けた。
 「だから、たれか(誰か)腕のいい絵師にでも、この枯れ枝に赤い梅の花を描いて貰えば、椿さの心の傷も癒えるアルよ。この掛け軸は、枯れ枝さに、も一度生命を吹き込んでくれるたれかを捜して、それで蓮さのところへ辿り着いたのだから、梅ささえ復活すれば、それで万事解決アルね」
 「なるほどね。ありがとう、助かったよ」
 蓮が礼を言うと、瑞芳はにっこりと人好きのする笑顔を浮かべて首を左右に振った。
 「あー、礼には及ばないアルよ。蓮さの役に立てて嬉かたし、わたし、たのしかたアル」
 「楽しかったのはあたしも同じさ。なかなか貴重な体験をさせて貰ったよ。また楽しませてくれると更に嬉しいんだがねぇ」
 蓮がそう言って笑うと、瑞芳が目をきらきらとさせて、蓮の顔を見上げた。
 「ほんとアルか!?わたし、またここに来てもいいか?」
 「勿論だよ。…但し、今度はちゃんと自分の足で歩いてくるんだよ」
 揶揄って笑う蓮に、瑞芳も笑いながら頷いた。
 「分かったアル、また遊びに来るアルよ♪」


 「…でも、わたし、歩いてくるよりも、ふよふよ飛んでくる事の方が多いかもだけど…それでも良いか?」
 「…そこまで細かく指定はしないよ……」


おわり。


☆ライターより
お待たせ致しました、いつもありがとうございます!へっぽこライターの碧川桜です。
本題以外の部分を細々と書きたがるのは私の悪い癖のようですが…今回はその最たるもののような気がしています、今更ながら(汗)
微妙に長くなってしまいましたが、中弛みする事なく、最後まで楽しく読んで頂ければ幸いです。
ではでは、またお会い出来る事をお祈りしています〜。