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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


ココロトココロ

 「なぁなぁ、聞いてぇな、明日奈〜!」
 明日奈が勤める花屋に、涼香がいつものようにけたたましく飛び込んでくる。箒片手に店内の清掃に勤しんでいた明日奈は、作業の手を一旦止めると微笑んでそんな涼香を迎え入れた。
 「こんにちは、涼香さん。お店の準備はよろしいのですか?」
 「ええねん、そんなの、親父に任せておけば!うちは看板娘なんやから、店が開いてからが仕事やねん♪」
 「いい加減だね、相変わらず…それでよく商売が勤まるね」
 呆れたような声は、恵那の声だ。いつからそこに居たのかは分からないが、まるで自分の家のように、寛いだ様子で店内の丸椅子に腰掛け、足を優雅に組んでいる。
 「なんや恵那りん、おったんか」
 「居たのかとは薄情な物言いじゃないの。大体、何があったかは分からないけど、親友の私を差し置いて、明日奈に先に話に来るとはどういう了見さ」
 「そんなの当たり前やん、恵那りんにヘタな事言うと何言われるか分からへんもん。その点、明日奈は姉貴と違って、素直でいい子やし」
 「聞き捨てならないね、何さ、その『姉と違って』ってのは」
 そんな、姉と親友の賑やかな遣り取りを端で眺めながら、明日奈は嬉しげにそっと目を細める。元気で明るく、裏表がなくっていつもポジティブな涼香。そんな彼女が、昔は『あんな』風だったとは、今の彼女しか知らない人達に例え話したとしても、誰一人として信じようとはしないだろう。
 まだ何やら言い争っている風な二人を見詰めつつ、明日奈の思いは十年前へと遡っていた。


 ただいま、と帰宅した姉を出迎えて、当時十四歳の明日奈が玄関へと出迎えると、そこに居たのは姉だけではなかった。年恰好は恵那と同じぐらいだろうか、整った可愛らしい容貌をした少女だったが、ただひとつだけ、恵那と違っている部分があった。
 「明日奈、こっちは私の親友。友峨谷・涼香」
 「こんにちは。はじめまして、友峨谷さん」
 にこりと、年齢よりもずっと落ち着いて柔らかな笑みを浮かべる明日奈に涼香と言う少女は、にこりともしないでただ軽く会釈をするだけだった。
 その後、涼香は恵那の部屋へと招き入れられ、お茶を運んだ明日奈も交えて三人で軽く談笑をした。尤も、笑い声を立てているのは専ら恵那で、明日奈は静かに口元で微笑むのが主だし、涼香に至ってはまず笑みの表情を作らない。が、無表情な涼香が、単なる冷たい性質の少女ではない事は、彼女の恵那に対しての態度で分かる。明日奈に対しては、何故かいつも哀しそうな表情を向けるのみであったが、恵那に対しては時々、ふっと儚げな笑みを浮かべてみせるのだ。時折見せる涼香の笑顔は、珍しいと言うだけでなく、その繊細な表情から、明日奈には凄く印象的で、世間的にはとっつきにくい少女と評価されてしまいがちな涼香の事を、明日奈はいつも気にかけるようになったのだ。

 何故、涼香の事がそんなに気に掛かるのか、明日奈にもはっきりとは分からない。ただ、目の前で恵那に微笑み掛ける涼香を見ると、この笑顔がずっとこのままであればいいのに、と祈るような気持ちになるだけだ。多分、恵那にだけは笑い掛ける涼香は、元より感情が無い訳ではないのだ。何らかの事情があって、今は忘れているだけなのだと漠然とだが確信しているから明日奈は、何回話し掛け、何回笑い掛けてもロクに反応を返してくれない涼香に、しつこいまでに諦めずに微笑み続けていたのだった。

 「あんた、本当にイイコだね」
 唐突に、恵那が明日奈にそう言うので、面食らって明日奈は目を白黒させた。
 「な、なんですか、急に…」
 「急でもないさ、私は前からそう思ってた。これでも感謝してるんだよ」
 そう言ってウィンクをする恵那に、ようやく明日奈は彼女が何の事を言っているのか理解をした。嬉しげに優しい笑みを浮かべると、沸き立つ感情を抑えるかのよう、胸の前で両手の指を組み合わせた。
 「涼香さん、最近は私にも微笑み掛けてくれるんですよ。まだちょっとぎこちない感じはありますけど、それでも…」
 「それでも、涼香が私以外の誰かに笑い掛けるなんて、未だ嘗て見た事無いからね」
 驚いてるよ、と恵那は嬉しそうに目を細める。ふと、明日奈は何かを言い掛けて口を僅かに開くが、躊躇うとそのまま何も言わずに口を噤んでしまう。聡い恵那は、明日奈が何を言おうとしたか、大方の察しは付いたようだった。ふ、と目元で微笑むと、さっきまで読んでいた小難しい専門書を閉じて小脇に抱え、立ち上がる。
 「涼香の事情は、涼香の口から聞くものだよ。人から聞いた話なんて、それが例え真実であっても、自分にとっては信用するに足りないと思っていた方がいい。真実なんてのは、自分の内側にしか存在しないのだからね」
 恵那はもう一度ウィンクをすると、そのまま部屋を出て行く。一人残された明日奈は、涼香の内にある『真実』とは何か、ぼんやりと思いを馳せるのであった。


 ズザッ!砂埃を舞い上げて涼香の踵が地面を抉る。それだけ強く足を踏み締めないと、退魔刀の刃先で鋭い爪先を受け止めている、この化物の力に押されてこのまま崖の下に投げ落とされてしまいそうだからだ。くっと奥歯を噛み締めると、涼香は『紅蓮』の柄を両手で強く握り直す。その拳の内側から発生したかのよう、小さな稲妻が指の隙間からバチバチと火花を散らしたかと思うと、その稲妻は蛇の鎌首のような曲線を描き、化物の眉間へと突き刺さり、吸い込まれていった。
 「ウギャアアァァア―――…!」
 耳を劈く、厭らしい悲鳴が周囲に響き渡り、涼香は思わず顔を顰めた。それでも緊張が緩んだ訳ではなく、怯んだ化物の隙を付いて刀を右へと素早く払い薙ぐ。バランスを崩して倒れ込む化物の後ろに一瞬で回り込み、その背中を蹴って崖下へと叩き込もうとすると同時に、『紅蓮』の鋭い切っ先が化物の項を綺麗に切り裂く。そこから噴水のように噴き出る化物の返り血を背後に飛びすさって避け、涼香は冷ややかな目で、咆哮をあげ悶絶しながら落下していく化物の末路を見送った。
 化物の声も、その気配も完全に消えたのを確認して、涼香は握っていた己の退魔刀を見る。刃先には先程の化物の血が纏わりつき、いつもの鋭い輝きは纏わり付いた脂肪の所為で、どんよりと鈍ってしまっている。それでも所々はまだ元の輝きを保っていて、涼香はその隙間に映る、暗く平坦な色合いの己の瞳と対峙した。無表情な自分の輪郭を縁取るのは、濁った化物の穢れた血。それは、今までに幾千と無く退治してきた、化物達の恨み辛みであるようにも思えた。

 お母さん。そう呼ぼうとして涼香は、自分の声が全く出ない事に驚いて目を見張った。喉に何か柔らかいけど凄く硬いものが詰まっているかのよう、強張ったそこはひくりとも動かず、涼香に呼吸する余裕すら与えなかった。苦しさの中、目線で母を捜し、覚束ない足取りで涼香は歩き出す。足取りの不確かさは、歩く事自体に馴れていない訳ではない。ただ、何やら言い知れぬ恐怖を感じ、本能的に身体が先へと進む事を拒否しているのだ。真っ暗闇の角を何とか曲がり、そこに母の背中が蹲っているのを見つけて、涼香はようやく安堵の笑みを浮かべた。お母さん、とようやく出た掠れ声で呼び、近付こうとする。その瞬間、母の背中は見るもおぞましい化物の爪に切り裂かれ、引き千切られてしまう。引き攣る涼香の頬、見開かれた瞳。その茶色の瞳に映ったのは、地面に広がっていく血の赤、赤、赤……。

 「涼香さん?」
 明日奈の静かな声が、涼香を現実に引き戻した。はっと顔を上げて周囲を視線だけで見渡すと、そこはいつもの数藤家の居間であった。
 「どうかしましたか?顔色がお悪いみたいですけど…」
 心配そうに自分の顔を覗き込んでくる明日奈に、涼香は微かに微笑んで首を左右に振った。
 「大丈夫、…何でもあらへん……」
 「…そう、ですか……」
 涼香の返答に、明日奈はまだ納得行かない様子だったが、それ以上は何も言わず、笑みを浮かべて淹れたての紅茶を涼香へと差し出した。
 涼香の母が、彼女が幼い頃に化物に殺されたのは、確かに事実だ。涼香は時々、先程のような惨殺現場の光景を見る事があるが、実際にその場に居合わせたのかどうかは覚えていない。もしかしたら、人から聞いた話を元に勝手に自分でその光景を記憶の中に作っているだけなのかもしれない。だが、彼女が情け容赦なく化物を狩る退魔師になったのは、母の死がきっかけである事は確かだった。
 「涼香、今日は何か用事があるのか?」
 恵那の問いに、涼香は無言で首を左右に振る。
 「じゃあ泊まっていきなよ。今夜は、この家には私と明日奈しかいないからね。女三人、思う存分夜明かしして楽しもうじゃないか」
 そう言って恵那が勇ましく笑うと、隣で明日奈が慌てて姉の袖を引く。
 「ダメですよ、幾ら明日が日曜日だからって、夜更かしなんかしては……」
 「何を言ってるんだ、イマドキ、夜更かしの一つもしない中学生なんて、明日奈ぐらいなものだよ?」
 ねぇ、涼香?と恵那に同意を求められ、涼香は目を瞬く。ダメですよねぇ?とこれまた明日奈から同意を求められ、涼香はどっちの味方をしていいものやら、迷って数藤姉妹の顔を代わる代わる見詰めた。そんな友の様子を見て、恵那が可笑しげな笑い声をたてる。
 「ほら、明日奈が融通効かない事を言うから、涼香が困ってるじゃないか」
 「え、ええ!?」
 「と言う訳で、夜更かし決定。ほら、明日奈。布団の用意をしなさいよ」
 そう言ってパン!と両手の平を打ち鳴らす恵那に、まだ納得行かない表情のまま、明日奈は客室の布団を引っ張り出しに歩いて行く。そんな姉妹の楽しげな遣り取りを見ながら、涼香はそっと口元で微笑んだ。


 そしてその夜。川の字に布団を三組並べて三人は眠りに付いた。夜半過ぎ、何かの気配に気付いて、布団に包まったまま、涼香が瞼だけを開き、周囲に気を巡らせる。
 ざわ、ざわ、ざわ。何とも表現し難い、厭な感じがする。涼香にだけ感じる、思わず顔を顰めたくなるような生臭い匂いに、粘液質な息遣い。間違いなく、化物達の気配である。しかも、それは一匹二匹ではない。この数藤家の周囲をぐるりと取り囲むよう、ギャギャギャと耳障りな鳴き声が聞こえてくる。化物達が、何の目的もなく一般の住居を襲う事はまずあり得ない。紛れもなく、奴らの狙いは涼香ただ一人であった。
 「…涼香さん?」
 静かに身体を起こした涼香に、寝たまま明日奈が小さな声を掛ける。驚いてビクっと身体を竦ませる涼香だが、心配そうにこちらを見上げる明日奈を安心させるよう、涼香は小さく微笑み、頷き掛けた。
 「散歩。すぐに戻るさかいに」
 「………。はい…」
 そう言って起き上がり、涼香は部屋を出て行く。その背中を見送って暫くしてから、明日奈もそっと布団を抜け出し、部屋を出て行った。
 一人残された恵那、彼女は起きあがる事も瞼を開く事もなかったが、その身体は不自然な程に、ぴくりとも微動だにしなかった。

 「…………」
 ひゅうと吹き抜ける風は生暖かく、肌に纏わり付くその感覚は、涼香を悪寒で総毛立たせた。ざわつく周囲のその雰囲気は、念願の相手を引き裂ける悦びに打ち震えている。今まで同胞を狩られ続けた化物達が、ここでは無防備に己を晒す涼香の隙を狙い、復讐に訪れたのだ。
 「…舐められたもんやな、うちも。ここなら殺れるとでも思うとったんか」
 自嘲的な涼香の表情は、己の油断を見抜かれた事への苛立ちか、それとも危うく親友姉妹を危険に巻き込みかけた己自身への猛烈な反省か。隠してはいたがいつも肌身離さず持ち歩いている『紅蓮』を鞘からするりと抜くと、眩い刃先の照り返しが、化物達を臆させる。が、既に引っ込みも付かなくなっているらしい、化物達は弾かれたように駆け始め、一斉に涼香目掛けて襲い掛かってきたのだ。多勢に無勢の状況に置いても、涼香は焦る事もなく、冷静に退魔刀を構える。
 「甘いっつうんや!うちを本気で殺すつもりなら、それなりの覚悟を見せ!」


 ざんッ、最後の一太刀が化物の喉元を切り裂き、苦悶の表情を浮かべて倒れ込み、絶命する。動かなくなってただの肉塊と化したそれらを、何の感慨も無い瞳で見下ろし、涼香はようやく一息付いた。手にした『紅蓮』は、化物の血で真っ赤に染まり、今もぽたぽたと生血を地面へと滴らせている。それの元を辿れば、涼香の全身から腕を、刀を伝わって滴り落ちているのであり、先程の戦闘の激しさを物語っていた。頬に付いた血を拭こうと、涼香が空いている方の腕を持ち上げて、服の袖で頬を拭う。その瞬間、己の二の腕の向こうに、呆然と恐怖に立ち竦む、明日奈の姿が目に入ったのだ。
 「………あ、………」」
 「…………」
 明日奈は何も言わない。いや、言えないのだろう。彼女にとって、この光景は当然初めて見るものであり、見なくて済むものなら見ない方がいいものなのだから。
 涼香は、立ちすくむ明日奈から視線を外し、己の姿を見下ろす。血に濡れた刀。衣服に付いた化物の血は、凝固してどす黒い染みになりつつある。踏み締める足元にも化物の血が溢れんばかりに、それはねっとりと粘っこく絡み付いて、現実へと戻ろうとする涼香を引き止めるかのようだ。ここに立つ己と、そこに立つ明日奈は全然違う。住む場所も、生きる意味も、求めるものも。涼香はくるりと背を向けると、そのまま歩き出そうとする。そんな涼香を引き止めたのは、粘りつく化物の残り血ではなく、背中から両腕で抱きとめる明日奈だった。
 「……あ、明日奈……?」
 「…………」
 明日奈は何も言わない。ただ、両腕で強く抱き締めている。行かないで、と泣いて母親を引き止める子供のような必死さと、何かに怯えるような刹那さでもって。何も言わずただ、首を緩く左右に振り続け、泣いているかのように細い肩がしゃくりあげている。明日奈の手が、乾いた血でごわごわになった涼香の衣服をぎゅっと握り締めた。
 「…………」
 涼香は軽く俯く。背中に伝わるのは、確かに生きている人の暖かさ。微かに伝わる鼓動と吐息が、涼香の中から何かを押し出した。頬を伝う透明な雫が、涼香の血の穢れを洗い流していく。生臭い蒸気を吹き上げて消滅していく化物の残骸の真ん中で、二人はただ静かにぬくもりを分け合い続けていた。


 自宅に戻り、一緒に風呂に入って身体を洗い流してから、明日奈と涼香は共に布団に入った。片手はしっかりと互いの手を握り、安らかな寝息を立てている。涼香の表情は穏やかで、今まで見え隠れしていた、棘のようなものもすっかり無くなっていた。
 むくり、と徐に恵那が上体を起こし、布団の上に座り込んだまま、そんな二人の様子を見詰める。その目は、寝起きの割には眠そうな様子など全くなく、ついさっきまで眠っていたとは思えない程はっきりと見開かれている。そんな恵那の瞳がふっと嬉しそうに細められ、静かに微笑んだ。

 そうして朝まで、恵那が妹と親友の寝姿を見守っていた事は、夜明けに消え行く空の星しか知らない。


おわり。