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物事とはかくもままなりません。
真柴尚道、二十一歳。外見は高校卒業程度で止まっているらしいが戸籍上では一応そう。
モーリス・ラジアル、…取り敢えず二十七歳。実年齢はそこに五百歳程足されるが元々長生種なのであまり考えに入れるべき事でも無い。
ともあれ、どちらにも…色々と悩ましい事はある訳で。
…そんなある日のモーリスの私室。
何処か朦朧とした状態の客人がひとり。
「相変わらずだね」
と、それこそ相変わらずの微笑みを来訪者――尚道に向けているモーリス。
そんな彼の前で尚道が長い長いウェーブのかかった黒髪を重そうに引き摺りソファに座り込んでいた。
「…だって…こんな話できるのって…ここくらいだし」
置かれていたクッションを抱えてぐったりしている。
尚道の浅黒い顔は、わかり難いがやや赤い。
…熱っぽいらしい。
また熱でも出したらしい。
とは言え、風邪と言う訳でも無さそうで。
…実はまた知恵熱である。
「どうしたら良いのかぜんっぜんわからなくなっちまってさ…」
前世での想い人の事。
そして今の世での好きになった――のだと思う――彼女の事。
このふたつの間で、つまりはまるっきり板挟み。
確かに似てはいる…のだろう。
だからこそ余計に悩ましい。
尚道には、前世のあの彼女に義理立てしようと考えている部分もある。
また、今のあの彼女を、前世の彼女の身代わりにしているんじゃないかと自分を疑う部分もある。
それでも素直に自分の心を見れば結局今のあの彼女が好きでもあって。
けれど前世の事もあり…と、堂々巡りを繰り返している。
前世の事と今の事。
「どうしたら良いのか、ねぇ…?」
ふむ、と考える風に受け答えるモーリス。
「…うん」
こくりと頷き、尚道は、ふー、と息を吐いている。
熱いらしい。
「それ程難しく考える事は無いと思うけど。好きだと言うなら君がしたいようにすれば良いんじゃないかな?」
前世だ何だって難しく考えなくてもね。
「私なら悩む前に彼女を頂いてしまいますけれど」
「ってっ…ちょっと待て」
「はい?」
「お前が…なんて…駄目だ…っ」
何やら尚道君の思考回路はまともに働いていない模様。
少なくとも普段の冷静さは何処にも見当たらない。
ふとモーリスは考える。
今の文脈で何が駄目?
私が。
………………私は「私が彼だったなら」、と仮定して言ったつもりなのですが、「私自身が」、だと勘違い?
そこに思い至ったモーリスは何処か悪戯っぽく尚道に振る。
「…それは彼女に対する独占欲?」
「〜〜〜!!!」
顔を真っ赤にさせてぶんぶんと頭を振る尚道。
「それとも…私が君以外に手を出すのがいや?」
「んな訳無いってっ」
思考回路が朦朧としていてもこればかりは速攻で反論するが、今の尚道にはどうも迫力が足りない。
モーリスは微笑ましげにそんな尚道を見ている。
「わかってますよ。今のは、『私が君だったら』悩む前に、と言う意味ですってば」
単なる勘違いですって。
とは言え、そもそもそんな勘違いをするくらいなら、君は充分、今想うべき相手の事をわかっていそうな気がしますが。
「…ん。…でも俺さ…」
「前世の記憶の彼女の方も、君の枷になる事など望まないと思いますよ?」
「そぉ…かな…」
「そう思いますが」
…私なら。
それは、愛しい人にずっと想われているのは嬉しいですが…それで逆に悩ませてしまうのは本意ではありませんし。
と、モーリスがそう答えた直後。
尚道は力が抜けたのかよろりとバランスを崩しソファにそのまま倒れ込む。モーリスはそんな尚道に当然のように歩み寄り少しだけ上体を抱き起こすと、様子見がてら額に手を当てる――熱がひどい。
おやおや、余計に熱を上げてしまいましたか?
…確かに、前々から熱だけには弱いと言ってましたがね。
ここに来た時から朦朧としてはいましたが――そろそろ限界ですか。
「うー……もーりす…わりぃ…ごめんな」
うわ言のような尚道の声。
モーリスの手に抵抗する様子は無し。完全に信頼し切った無防備な態度。
「…さすがにそろそろ、ちゃんと休んだ方が良いようだね」
と、すまなそうな顔を見せる尚道に、モーリスはまたもにっこり微笑みかける。そしてそのまま当たり前のように尚道を自分のベッドまで運んだ。…尚道は大柄なのだが特に気になった様子も無い。
存外あっさりと自分のベッドに尚道を寝かせると、モーリスは今度は氷嚢や水枕を取りに行く。力を使って治すのは尚道が嫌がるだろうから。普通に看病。…これもこれで趣はあるが。
氷と水を詰めてからベッドに戻り、モーリスは一声掛けてから尚道の頭の下に水枕を置き、氷嚢を額に乗せる。と、一旦びくっとしたが、すぐに落ち着いたような息を吐いて、さんきゅー…と力無い礼を返す。
抵抗は無し。
…モーリスとしては少々複雑な気分ではある。
熱があると言う事は尚道は何も力を使わない訳で。
その気になれば、見る人が見るなら『絶好のチャンス』とも言える訳でもあり。
…それでも親友なので同意無しには手は出せないけれど。その信頼は裏切れません。…医者としての沽券にも関りますか。
それでも。
私がどういう男かわかっているのに、どうしてそれ程までに無防備な顔を見せてくれるのか。
嬉しいけれど反面、悩ましい。
「…俺がしたいように…ったって…ど…したら…いいんだろ」
そんなモーリスの考えも露知らず、ぼそりと呟く尚道の声。
こちらも、悩み事は尽きないようで。
ま、そんなところが可愛いとも言うんですけどね。
モーリスは掛けたブランケットの上から、尚道を静かに撫でている。
【了】
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