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<東京怪談ノベル(シングル)>


ビルの谷間で困り事。


 しんと静まり返る闇夜。
 …と言う訳にも行かないのがこの都会。
 地上では車の走る音がする。ネオンの明かりはいつまで経っても消えない。
 この場では、静かな闇は殆ど無い。
 それでも、空中から見下ろせば、それなりに綺麗ではある。様々な色と形の光。昼間と比べれば少しは車の数は減ったか。人の気配も幾らかは少ないか。時折鳴り響く救急車のサイレン。夜故か微妙に響き方が違うのは気のせいだったか。…ビル風も荒々しく吹いている。なかなか強くて面白い。


 ………………ともあれ、ばさりと黒い翼を扇がせつつ、和装の天狗――伍宮春華は真夜中空の散歩中。
 冷たい風が案外心地良い。


 そんな中。
 か細い声が聞こえた気がした。
 妙に近く。
 …ここは空中だと言うのに?
 春華は訝しげにふと意識をその声――が聞こえた気がする方向に持って行く。
 暗い場所。
 ちょっとだけ下の方。
 …ビルの屋上。
 みゃー…。
 また聞こえた。
 同じ声。
 …間違いない。


 そう思った春華は声が聞こえた源と思しきビルの屋上に静かに降りる。翼を扇ぐ音も極力聞こえないように気を遣って降りてみた。今の声は何やら弱っている様子に聞こえた。だったら脅かしてもどうしようもないし。
 悪戯好きの天狗でも、気遣うべき時は確り気遣う。…当然、一般的なTPOで、では無く、自分自身の判断と相手によるけれど。
 声からして、猫…それも仔猫のような感じだった。
 ビルの屋上に降り立った春華は取り敢えず周囲を探してみる。ネオンの下。暗がり、物影――居た。やはり仔猫。ひとりっきりでこんなところに居る。地上ならともかくビルの屋上なのに? 親兄弟はどうしたんだろう――って怪我してるじゃん。
 と、なるとこんなところじゃ放っておく訳にも行かないし――下手するとカラスの餌食って事も。
 最近の都会のカラスって凶暴化してるって言う話だし。
 傷付いた仔猫。…これは、危ないかもしれない。
「…しゃーないなあ…おい、大丈夫か?」
 春華は仔猫に呼び掛ける。
 が。
 その声で初めて春華の存在に気付いたか、仔猫はびくりと反応する。手負いの獣は警戒心が強い。そんな事はわかっていた筈なのに、少々迂闊だったか。近付こうとすると仔猫は足を引き摺りつつも、春華から逃れようと走って行ってしまう。
 春華は少々慌てた。
「って…ちょ、何にもしないから待てってば」
 手当てしてやろうと思っただけだって。
 慌てながら追い掛ける。
 ビルの屋上で走る春華と仔猫。足を引き摺る小さい身体、下手に走らせてしまう方が気の毒。そう思って春華は、わっ、とその身体を捕まえた。極力柔らかく、力を込めないようにして――それでいて確りとその身体を両手で抱き上げる。
「ほら、大丈夫だって、な?」
 と、仔猫を抱き留めたそこで。
 春華の体勢が、崩れた。
 ――他に意識が行ってない。
 ビルの屋上、つまりは足許にある筈の鉄筋コンクリート。
 を。
 踏み外した。
 何も無い。
 空中。
 バランスが崩れ、翼を羽ばたかせるまで頭が回らない。
「…って…っ…!」
 落下する。
 ごく狭いその場所に。


■■■


 みゃ…、とまた仔猫の声がする。春華の腕の中。一応保護できた。春華の意図がわかったか、逃げる様子もない。…と言うかむしろ腕から逃れた方が怖いと思ったか。
 …今、春華と仔猫が今居る場所は――ビルとビルの間の隙間。
 足を踏み外したそこで、落下しながら咄嗟に風を使っていた。即ち地上に落ちた時の衝撃を和らげる事はできた。おかげで怪我はない。
 けれど。
 狭い。
 周囲を見渡しても出れそうなところがない。
 見上げると空が遠い。
「…」
 無言のままで春華は考える。
 翼を広げられる程の広さもない。
 …つまり、翼を用いて再び舞い上がるのは少々無理。
「んっだよこれ…」
 思わずぼやく。
 人間が作ったビルの癖に穴が空いてるのかっての。
 つーか人間社会…特に都会ってこーゆーちょっとした危ない場所ってのすっげー気にしてるんじゃないワケ?
 …天狗の俺で足踏み外すんだったら人間だったら誰でも落ちるぞ。危ねーぞ。
「面倒くせー…山とか森だったらこんな事にゃならないのに…」
 例え地面に唐突にぽっかり縦穴が空いてよーがそれなりの感触はある。わかる勘はあるから落ちる事なんて絶対に無いのに――こんな人工物だらけの街では今まで培ってきた知恵も経験も通じない。
 それは春華は普段、都会生活をそれなりに満喫しているとは言えるが――それでもやっぱり『ここ』は春華が良く知る場所とはまったくと言って良い程勝手が違う。
「ちくしょー…」
 風だけではそう高くまでは飛べない。何と言うか…この狭い空間で上手く飛翔するのは制御が面倒臭くて手間取る事が目に見える。そもそも、そちらに意識が行ってしまって仔猫の方がおろそかになったら本末転倒。使えない。
 更に考え込む。
 上がる方法。
 仔猫は心配そうに春華を見上げている。
 安心させようとでも言うのか、春華の手が、ぽんぽん、と柔らかく仔猫の頭に被された。
 …まずはこいつが問題だ。
 怪我をしている。
 春華はちょっと悩む。
 …人を頼るのは弱みを見せるようで癪だが。
 このまま明日学校を休むのは嫌だしこの仔猫も心配だし。
 …癪だけど。
 本当はしたくないけど!
 ………………それでも…仕方無い、か。
 自分自身に言い訳しつつ、春華はうん。と渋々ながらも頷く。
 仔猫はやっぱり春華を見上げている。
「…おっちゃんに連絡する」
 仔猫に答えるように言うなり春華はその場に胡座をかいて座り込む。仔猫をそっとその上に置いて、紙か何か持っていなかったかと襟やら袂やら色々探る。と、運の良い事に懐紙とボールペン発見。よし、とばかりに春華はボールペンのキャップを引き抜き、懐紙にさらさらとおっちゃんこと保護者への救助要請を書き出した。その頃にはもう仔猫は逃げる気配はない。不思議そうに春華が何やら書いている手許をじーっと見ている。
 風、は使える。
 それは春華自身の身体を飛翔させるのは少々辛いが、ごく軽い紙――手紙程度ならば特に問題はない。おっちゃんのところまで運ぶくらいなら朝飯前だ。
 …そりゃ、やりたく無いけど。
 どーせまた怒るだろうし。


■■■


 で、その暫し後。
 程無くおっちゃんは現れてくれ、状況を考えてあっさりと救出してさえくれた。都会ではやっぱりおっちゃんに一日の長がある。…て言うか俺が何もできてないだけじゃんひょっとして…とちょっとばかり内心ショック。だが表面上はそんな事はおくびにも出さない。自覚してても表には出せない。…出してたまるかっ。
 と、春華がそんな風に思っている中。
 あの手紙には驚いたぞ、とぼやきつつ、保護者さんから春華に対し、案の定カミナリが炸裂。
 だから無闇に飛ぶな心配掛けるな、と。
 それに対しぶつぶつ文句言いつつも、今回ばかりは春華もあまり強く出れない様子で。
 ただ――最後にまた、仔猫がそんなに怒らないでとでも言いたげに、みゃー、と鳴いていた。


【了】