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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


白無垢の紫陽花屋敷

 東京地方もすっかり梅雨入りしたようで、空には灰色の雲が立ちこめている。蒸し暑く、うっとうしい天気ではあったが、それを振り払うくらいに元気よく、海原みあおは走っていた。
 いきつけのインターネットカフェの扉をあけると、中から流れ出た涼しい空気が、みあおの銀髪をそっと揺らす。
「あ、みあおちゃん」
 いつものように一席を占めていた雫が、みあおを認めて声をあげた。その様子からして、どうやら雫は人が来るのを待っていたらしい。ということは、ゴーストネットOFFの掲示板に何か面白い書き込みがあったということだ。
「雫、何か面白いのあったの?」
「うん……」
 みあおはいそいそと雫の方へと歩み寄ったが、雫の返事にはためらいの色が含まれていた。が、みあおは構わずモニタの画面を覗き込む。


◆紫陽花屋敷の噂

 こんにちは、初めてカキコします。
 私の住んでいる○×町には、紫陽花屋敷と呼ばれる家があるんです。とても古い家で、今では誰も住んでいないような廃屋なのですが、庭いっぱいにいろんな種類の紫陽花が植えられているんです。この季節になると、いっぺんに花が咲いてそれは綺麗なんです。隠れた地元の観光スポットなのですよw
 それで、その紫陽花屋敷なんですけど、夜中に前を通ると、全部の紫陽花の花が真っ白になっている時があるという噂があるんです。ただの噂だと思っていたら、友達の1人が去年見たと言い出したんです。友達の間で、本当だとか嘘だとか決着がつかないので、本当はどうなのか確かめて下さい。
 ちなみに、その友達は、絶対に見間違いじゃないと言っています。月明かりの下、満開の紫陽花の花が全部真っ白で、ゆらゆらと動く白い影みたいなものも見たと言っていました。
 どうかよろしくお願いします。


「へぇ、紫陽花が真っ白にねぇ……。見てみたいなぁ」
 興味津々とばかりに目を輝かせたみあおの横で、雫の表情はうかなかった。
「でも、夜中じゃあ、見に行くわけにはいかないよねぇ……」
 いかにも残念そうに溜息をつく。そのまま「みあおちゃんだって……」と続けるので、みあおはきょとんとした顔をした。
「みあお、雫の代わりに行くよっ」
「でもみあおちゃん、小学生じゃ……」
「気にしない、気にしない」
 心配顔の雫に、みあおは無邪気な笑みを返した。
「だって、紫陽花が真っ白になるんだよ? 見なくてどうするの?」
 持ち物はデジカメに、懐中電灯に……と、さっそく心づもりを始めるみあおの隣で、雫は溜息をついた。
「いいなぁ、みあおちゃん。門限ないんだ……」
 じゃあ、あーんな噂もこーんな噂も調査し放題だね、などと少しずれたところで羨ましがっているのが雫らしい。
「大丈夫、ほら、ちゃんと写真撮ってくるからっ」
 といった具合に少女2人がはしゃいでいると。
「何、紫陽花が真っ白になるって?」
 唐突に1人の若い男が声をかけてきた。みあおは男の方を振り向いて、目を丸くした。茶色に染めた長髪に、どこかちゃらちゃらしたアクセサリー。額には三日月形の傷。いかにも、といった軽い格好はしているが、少し垂れ気味の瞳には、愛嬌のある光が浮んでいる。
「あ、高台寺さん」
 知り合いなのだろう、雫の方は男を見るなり、にっこりと笑った。
「ああ、俺、高台寺孔志。こう見えても、花屋の店長だから。花のことなら花屋にお任せってな」
 雫に紹介を頼もうとしたみあおの心を察したかのように、男は自分から名乗ると、にま、とでも形容できそうな屈託のない笑顔を2人に向けた。なかなか人好きのする笑顔だ。
「海原みあおだよ、よろしくね」
 みあおも孔志にならって名乗ると、孔志は「よろしく」と応じて雫の前にあるモニタを覗き込んだ。
「大概の紫陽花は色がつく前は真っ白なんだが……、途中から白くなるのはまずありえんな……」
 独り言のようにつぶやくと、考え込むような顔になる。
「へー、そうなんだ……。それに、この書き込み見るといつでも白いってわけじゃないみたい。白くなる時期とか条件とかあるのかなぁ」
 話題が怪談となると、すぐに馴染んでしまうのが雫だ。孔志と同じようにモニタに視線を戻すと、感じた疑問を口にする。
「この白い影って幽霊か何かかな。だとしたら、やっぱり何か遂げたい思いがあるんだよ。となると、誰か関係ある人が通るとそうなるんじゃないかな。時期だったら、霊気が強くなるお盆とか、満月の夜とか」
 馴染みの早さなら、みあおも負けてはいない。
「書き込みに『満開の紫陽花が』とあるから、季節的にお盆はないな。けど、満月の方は匂うな……。『月明かり』と書いてあるし、この友達が見たという日時が正確にわかれば調べられるんだがな」
「この書き込み、メルアド入力されてないねぇ……。とりあえず返信してみよっか」
 孔志の呟きを受けて、雫がマウスに手を伸ばした時。
「あーっ」
 隣のパソコンで調べものをしていたみあおがすっとんきょうな声をあげた。すぐに、自分が大声をあげてしまったことに気付いて首を竦める。
「みあおちゃん、どうしたの?」
 雫が軽く首をかしげると、みあおは自分の見ていたモニタを指差した。
「みあおね、月暦調べてたんだけど、今夜が満月なの。それも、月齢15.0」
「何ぃっ。猶予はなしってか。じゃ、さっそく行くか」
 みあおの言葉に、孔志はさっさと席を立った。
「待ってっ。みあおも行くよぉ。でもその前にデジカメ、懐中電灯、お菓子、ジュースっ!」
 慌ててみあおが追い縋る。その声に、孔志が足を止めて振り返った。
「もちろん、俺にも準備があるから、一時間後にここで集合でいいか? この時期、日は長いからまだまだ時間はあるしな。ああ、ちゃんと親御さんに許可もらってきてくれよ。幼児誘拐犯になるのはごめんだからな」
 孔志の言葉にこくこくと頷くと、みあおは慌ただしく走り出した。もちろん、頭の中は持って行くお菓子のラインナップでいっぱいになっていた。

「本当にお花屋さんだったんだ。きれい……」
 一時間後、孔志の車に案内されたみあおは、思わず目を丸くした。Zロードスターの車内は、座席を除いて小さな紫陽花の鉢で埋め尽されており、さながら小さな花畑といった様相を呈していた。
「最初からそう言ったろ? ま、これも営業努力ってやつだな。顧客拡大の機会は逃すわけにはいかないからな」
 にやりと笑みを浮かべて解説を加えながら、孔志はみあおの荷物を預かり、助手席に乗るように促した。
「……重たいな。何が入ってるんだ、これ?」
「デジカメと懐中電灯と、お菓子とジュース、2人分」
「……」
 みあおの返事に、孔志は物言いたげな表情になったが、何も言わずに助手席に座ったみあおに荷物を返し、運転席へと乗り込んだ。

 例の書き込みに、紫陽花屋敷の場所がわかりやすく書かれていたおかげで、2人はさほど苦労もせずに目的地に到着した。車で2時間弱。意外と都心から離れていない。
「わ、きれーい」
 車が止まるのも待ち遠しいとばかりに飛び出たみあおが歓声をあげた。都会にしては広い区画に、生け垣のようにはり巡らされた紫陽花は、まさに今が見頃だった。
 青紫から淡い空色、ほんのりと色付いたピンクから目のさめるような深紅まで、さまざまな形の紫陽花が、さまざまな色で思い思いに咲き競っている。ごくごく普通の住宅地の一画で、それは虹色の雲が地上に降りて来たような、不思議な空間を作り出していた。
「ほう……。こりゃすごいな。紫陽花ってーのは土壌が酸性だと青い花、アルカリ性だと赤紫の花が咲くもんなんだよな。ま、中には土壌と関係なく色の決まってる種類もあるが。にしても、こんだけ鮮やかにいろんな種類の紫陽花をいっぺんに咲かせられるっつーのはやっぱりすごいな」
 遅れて降りてきた孔志も、紫陽花の生け垣を前にして感心の声をあげる。
 後で土壌も調べておくか、と呟きを続けた孔志の声が、不意にトーンを下げた。
「まあ、あんだけわかりやすく場所を書いてあったら、たどり着けるのは俺たちだけじゃなくてもおかしくないんだが……」
 その声に、みあおも孔志の視線を追い、小さく息を飲んだ。
 路上には、たくさんの車やバイクが止められ、カップルやら子ども連れやらが紫陽花を指差してははしゃいでいる。あれだけ人の見る掲示板に書き込まれたのだ、ちょっと見に行こうと思う人間が出ても不思議ではない。
「どうしよう、夜まで人がいてたら……」
 みあおは小さく呟いて眉を寄せた。みあおの能力は変身をともなう。そうそう人前で能力を使うわけにもいかないし、何より人が多いと、起こるべきことも起こらないかもしれない。
「大丈夫、ああいう連中は夜になったらどっかにシケこ……っと、まあ、夜になればいなくなると思って間違いない。」
 途中、不自然に咳き込んだ孔志は、きょとんとして自分を見上げるみあおをごまかすかのように、慌てて言葉を継いだ。
「ま、まあ、まだ夜中までには時間がある。ここは1つ、聞き込みでもするかね」
「うん、そうだね」
 少しおどけた孔志の提案に、みあおはすぐに頷いた。もとよりみあおも屋敷についての聞き込みをするつもりだったのだ。周囲の街なみを見渡せば、中には古い民家もある。昔からここに住んでいる人もいるだろう。この分だと、わざわざ図書館などで調べものをしなくても、誰か屋敷に関して知っている人もいるかもしれない。
「よっしゃ、こういう時のための特売品」
 孔志は機嫌よく車から紫陽花の鉢植えを下ろし始めた。聞き込むついでに店の宣伝もしてしまおうというのだろう。そうか、お店やさんというのはこうでなければいけないのか、とみあおが感心の溜息をついたその時。
「きゃー、きれい〜。可愛い〜。お花屋さんですかぁ〜」
 にわかに、甘ったるい女性の声が振ってきた。何とも目ざとく見つけたことか、ミニスカートにハイヒール、ばっちりとマスカラでまつげを固めた彼女は、きれいに塗られた爪で器用に小鉢を持ち上げた。すでにその視線は彼氏の方へと向いており、買ってぇ〜と蜂蜜に砂糖を溶かしたような声を出す。こうなると、断れる男はまずいない。
 そうこうしているうちに、女の声を聞き付けて、別のカップルがやってくる。間もなく、孔志は数組のカップルに取り囲まれてしまった。
「……」
 みあおは今度は呆れまじりの溜息をつくと、自分1人で聞き込みに出ようと、踵を返した。その途端、ふと、じっとこちらを見ていた男の子と目が合った。年の頃はみあおとさほど変わらないだろうか。
「こんにちは」
 みあおがにっこりと声をかけても、男の子はじっとみあおを睨み付けるだけだった。
「……あそこは妖怪屋敷なんだ」
 じっとりと上目遣いでみあおを見据えて、男の子はぼそりと短くそれだけを告げた。
「待って、妖怪屋敷ってどういうこと?」
「あそこの屋敷には妖怪が住んでるだって母さんが言ってた」
 食い下がるみあおに、男の子はそれだけを付け加える。さらにみあおが質問を重ねようとしたその時。
「何が妖怪屋敷か!」
 まるで雷のように落ちてきたしわがれた声に、みあおは思わず身を竦ませた。振り返れば、白髪の老婆が、怖い顔をしてみあおを睨んでいる。傍らにいた男の子はさっさと走って行ってしまった。
「あ、あの……」
 とりあえず何かを言おうと、みあおが口を開くよりも早く。
「どこの子か知らないが、あんたもさっさと家に帰りな。遊びでいろいろとかぎまわるんじゃないよ。ここは子どもの遊ぶところじゃないよ」
 老婆は口元を歪めると、屋敷を見に来ているカップルたちをあごでしゃくり、吐き捨てるように続けた。
「今朝から急にああいう連中が押し寄せて、ただでさえ迷惑してるっていうのに。あんたたちには面白い遊びかもしれんがね」
「そんな、違うよ。みあおは……」
 言い返そうとして、みあおは言葉を詰まらせた。決して遊び半分にきているつもりもないし、誰かが困っているのなら力を貸したいと思っているのも嘘ではない。けれど、この辺りに住んでいる人にとっては、野次馬と変わらないのかもしれない。そう思うと、何といえば良いのかわからず、言葉が出てこない。
「スミマセンっすね。お騒がせして」
 そこへひょこりと顔を出したのが孔志だった。見るからに「礼儀知らずで不真面目な今どきの若者」な孔志の格好を見て、老婆はさらに険しい顔をした。
「けど、あそこの紫陽花、すごいでしょ。俺、花屋の店長してるんで、あんだけ紫陽花が好きだったって人のこと、聞きたいと思って」
 孔志は相変わらずの笑顔のままで、言葉を継いだ。その顔はにこにこと笑ってはいるけれど、瞳は真面目な光を浮かべているのが、みあおにもわかる。それが老婆にも通じたのか、しばしの沈黙の後に彼女は溜息と共に表情を緩めた。
「紫陽花……。確かに、あの人は紫陽花が好きだったねぇ。あんなことさえなければ……」
 さりげなく孔志が差し出した鉢を受け取って、老婆はぽつりと呟き、無念そうに首を振った。

 日は西へと沈んだらしく、切れ始めた雲の合間から藍色の空が覗いていた。
「この調子だと、月が出るな」
 空を見上げた孔志が独り言のように呟いた。
「そうだね」
 みあおもそれに返事を返す。孔志の言った通り、日も暮れてしまうと紫陽花屋敷にいたカップルたちはすっかり姿を消していた。廃屋となった屋敷の敷地内は、紫陽花の生け垣が外の光を遮って、一層暗く静かに沈んでいるかのようだった。
「やっぱり、ここの幽霊ってあの娘さんなのかな」
 薄闇にほんのりと浮ぶ紫陽花の花を見ながらみあおは呟いた。先程聞いた老婆の話が頭の中に蘇る。
 老婆と女学校で同級だったというこの屋敷の娘さんには、将来を誓いあった許婚がいたらしい。けれど、時は戦争の真っ最中。兵隊にとられた許婚は、白木の箱になって帰ってきたという。許婚の死に耐えられなかった彼女は、正気を失ってしまい、あたかも亡くなった恋人がそこにいて、夫婦になったかのように振る舞い始めた。頼るべき親戚もいなくなる中、次第に生活も荒れ、身だしなみも乱れていく。
 その鬼気溢れる姿が、妖怪の噂を呼んだのだと語った老婆はとても小さく見えた。静かに小鉢の紫陽花を見つめていた目は、涙の枯れ果てた瞳だった。
「まあ、月が昇ればわかるさ」
 答えた孔志の声は、ややぶっきらぼうなものだった。
「そうなの?」
「……ま、いろいろあってな」
 みあおの問い返しに、今度は曖昧な言葉と苦笑が返ってくる。ゴーストネットOFFの依頼を受けようというくらいだ、孔志もまた、能力者なのだろう。
「……そうなんだ。みあおもね、いろいろあるんだよ。……とりあえず月が昇るまでは、せっかく持って来たからお菓子とジュースっ」
 そう言って、いそいそと荷物を広げるみあおに、孔志はほんの少しの苦笑を向けた。
――……ナイデ
 孔志にスナック菓子やらチョコレートやらを押し付け、自らもそれらを口に運んでいたみあおは、ふと手を止めた。誰かの声が耳に届いたように思ったのだ。
――……レナイデ
 耳を澄ませばやはり、かすかながらも聞こえてくる。傍らの孔志に声をかけようとしたその時、さっと金色の光が差し込んできた。
「月……」
 思わず、みあおは空を見上げた。紫陽花の生け垣の上に、丸くて大きな月が昇っていた。懐中電灯もいらないくらいの冴えた月影を受けて、生け垣の紫陽花の花がさらさらと清冽な音を立てて、次々に真っ白に染まっていく。
「すごい……。孔志?」
 その混じりけのない純白を呆然と見詰めていたみあおは、ふと我に返って孔志を振り返った。先程から孔志は、一言も発することなく、じっと庭の一点を見詰めているようだった。
「何か見えてるの?……幽霊?」
 つられてみあおもそちらを見遣る。感覚を研ぎすませて視覚に集中させると、ぼんやりと白い人影のようなものが目に入る。けれど、屋敷自体の霊気が弱いせいだろう、みあおの感覚をもってしても、はっきりとした輪郭までは捉えられない。だったら、屋敷の霊気を高めれば良いはずだ。
 みあおはそっと神経を集中させた。もう1人のみあおと入れ代わる。小さな子どもの姿から解き放たれて、そっと広げた腕は鳥の翼に、すらりと伸びた脚もまた、鳥のそれに。妖艶なハーピーへと姿を変えたみあおが宙へと舞い上がり、翼を大きく一振りすれば、霊力のこもった美しい羽が幾枚も静かに舞い降りる。
「……幽霊じゃない。紫陽花だ」
 孔志がそう呻くように漏らしたのと、霊羽が紫陽花の上へと舞い落ちたのが、ほぼ同時だった。霊羽を受けた紫陽花は、清らかな白をさらに輝かせた。その光に照らされるようにして、白無垢姿の花嫁が現れる。もっとも女性の美を引き立てる衣装を身に纏って、この屋敷の主人は凛として紫陽花の間をゆっくりと歩んでいた。
 ああ、この人は、狂ってなどいなかった。
 覚悟を決めたその毅然とした表情に、みあおは思わず溜息をもらした。
 この人は婚約者が亡くなったことを受け止められなかったのではなく、自ら選んで、亡き人と添い遂げる決心をしたのだ。心だけは、大地のくびきを離れて、彼岸に渡った想い人の元へと。たとえ、その結果がこの俗世で狂人と呼ばれることになっても。そのために、満月と紫陽花だけが見守る中、たった独りで挙げた式。
 だから、これは無念の花嫁の幽霊ではなく、屋敷の主人に大切にされた紫陽花の記憶。
――忘れないで。忘れないで。美しかったあの人を忘れないで。
――忘れないで。忘れないで。優しかったあの人を忘れないで。
――忘れないで。忘れないで。あの人の哀しみを忘れないで。
 そう訴えるために、あの時の花嫁と同じ、刃のように清冽な、冴え冴えとした白へと身を染めて、一年に一度だけ満月の力を借りて、紫陽花が見せる幻。
「……大事な主人が妖怪呼ばわりされて、悔しかったんだな……」
 独り静かに歩む花嫁を見て、孔志が小さく呟いた。
「忘れないよ。みあおたちが忘れない。でも……」
 無言の訴えに応えるように言って、みあおは花嫁を見詰めた。凛然とした彼女の顔は、どこまでも美しく、けれど触れ得ない程に冷たく、あまりに哀しい。
「せめて、今夜だけでも……」
 みあおは再び翼を広げた。ひらひらと舞う霊羽が、今度はゆっくりと渦巻くように地に降りて、そこに1人の青年の姿を形作った。
 花嫁がふと歩みを止め、顔をあげる。呆然とその目が見開かれ、ついで氷のようだった顔が、花のようにほころんだ。青年が穏やかな笑みを浮かべ、静かに腕を広げる。花嫁は、衣装が乱れるにも構わずに、想い人の元へと駆け寄った。
「六月の花嫁って、本当はすごく幸せになれるんだよ。だから、せめて今夜だけでも幸せに、ね……。今夜だけだけど、これでいいよね……」
 元の小学生の姿に戻ったみあおは、軽く目を伏せて呟いた。けれど、孔志からの返事は返ってこない。
「孔志? ……泣いてるの?」
 訝しく思って振り向いたみあおの問いに、涙をすする音だけが返ってきた。

「……そっかぁ。哀しい花嫁さんだったんだね」
 いつものインターネットカフェでみあおの報告を聞いた雫は、溜息をもらした。
「で、写真はとれたの?」
「うん……。花嫁さんたちの写真はとれなくて……。白い紫陽花の写真だけ、とれたことはとれたんだけど、これ、データ移そうとしたりプリントアウトしようとすると、いっつも失敗しちゃうの。だから、テジカメの画面で見るだけ。それに、実物はもっと……きれいだったよ」
 言いながらみあおはデジカメを差し出した。くしくも白い紫陽花は、2人の式の参列者となったみあおたちのためだけの引き出物になった、というところだろうか。
「そっかぁ……。あれ? まだ次の写真あるみたいだけど?」
「ああ、それは違うやつなの」
 画面を切り替えようとした雫を、慌ててみあおは止めた。次の一枚は、2人の再会に涙する孔志が映っていたりするのだ。これは見せない方がいいだろう。
「そっかぁ。でも、これでも充分きれいだけど、こんな小さい画面だもんねぇ……。あーあ、あたしも見に行きたかったなぁ……」
 雫は大袈裟に嘆くと、パソコンのモニタへと視線を移した。
「とにかく、これで真相解明、だね。レスしとかなきゃ」
「待って。あの……、本当のこと、書いてほしくないの。」
 みあおは、キーボードを叩こうとした雫を止めた。真相を知って、また面白半分の見物人が増えるのは、紫陽花にとっても、近所に住んでいる老婆にとってもありがたくないことだろう。あの紫陽花には、主人や、その周りの人たちのためだけにひっそりと咲いていてほしい。
「うーん、じゃあ、よくわかりませんでした、って書いとくね。もうすぐ紫陽花の季節も終わるし、一年たてばみんな忘れちゃうよ」
「ありがと、雫」
「どういたしまして」
 にっこりと笑うと、雫はキーボードの上に指を走らせ始めた。
 みあおは、カフェのガラス越しに、外を見遣る。機嫌よく晴れた真っ青な空が広がっている。もうすぐ紫陽花の季節が終わる。もう、夏は間近だった。
「ね、雫。夏が来たら海に行こうね」
「うん、きっとその頃には海に関係のある噂が出てくるよ」
 こういう時にでも怪奇現象が頭から離れないのが雫らしいと、みあおは、にこりと微笑んだ。

<了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1415/海原・みあお/女性/13歳/小学生】
【2936/高台寺・孔志/男性/27歳/花屋】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、初めまして。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、「白無垢の紫陽花屋敷」へのご参加、まことにありがとうございます。
大変お待たせ致しました、そして長々とお疲れさまでした。

 今回のお二方はどちらも人の好い印象を受けまして、きっと実際に顔を合わせたらすぐに仲良くなりそうだ……、ああ、でも親子に見えちゃったりして……などと、書き手の妄想がやや加速気味になってしまいましたが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
 今回は、一応お二人用に書き分けております。おまけ程度の違いですが、お気が向かれましたら、他の方にお納めしたものも目を通してみて下さいませ。

 みあおさんは、子どもらしい「可愛らしい」部分と、それでいて、問題解決に向けては筋道の通った行動(=プレイング)をとられる、そのギャップのようなものが魅力の1つだと感じました。またご縁があれば、このあたりを際立たせたみあおさんを書いてみたいと思います。

 ご意見等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。
 それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。