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冷たかった雨
――プロローグ
サアサアと雨音がする。ザザザザと雨音がする。
草間・武彦は傘を持っていない。空を見上げると、暗いというよりどこかやわらかい色合いの雨雲が浮かんでいた。草間はぼんやりとそれを眺め、それから目の前のポストを打つ雨を眺め、ふ、と一息だけ吐き出して、コンビニの軒下から、たっと駆け出した。
革靴は雨に浸食されぐちょぐちょで、草間の足はびちゃん、びちゃんと音を立てる。
体中の服に雨が吸い込まれて、ひどく重かった。
耐えかねて、今度は寂れた喫茶店の軒下に入った。身体中びしょ濡れだったので、店内に入ることはできない。
草間は眼鏡を取り、濡れたシャツの裾で拭いてかけ直した。
「ミー」
驚いて、霧のように流れる雨から、視線を落とす。すると、そこにはダンボールに入った白っぽい子猫が入っていた。
「……鳴くなよ」
草間は突っぱねるように言った。雨はなぜか心まで濡らすようで、ひどく心細いような気がしていた。
「なあ、鳴くなよ」
草間は子猫に屈みこんで、子猫を抱き上げた。子猫の体温は温かく、心にあった寂しさを浄化していくようだ。
「お前、名前なんていうんだ」
草間は猫を抱いて、笑った。猫はもちろん、「ミー」としか答えない。
――エピソード
雨の中、くしゃみがした。
草間は一瞬誰がしたとも思わず、なんとなく鼻を押さえた。どしゃ降りの雨の中に、人影が現れている。
その姿はだんだんと輪郭を取り戻し、海原・みなもの姿であることがわかった。青い髪は雨空にとても映えていて、セーラー服姿は少し意外な印象を及ぼした。
彼女は雨を楽しんでいるかのように、やわらかいステップで草間達の方へ歩いてくるところだった。雨と格闘している様子もなく、雨に濡れるのを疎んでいるわけでもないらしい。
みなもは、霞のかかる雨の中喫茶店の軒下にいる草間を見つけ、たっと水溜りを蹴って草間に駆け寄ってきた。
「こんにちは」
「やあ、こんにちは。学校帰り？」
相変わらずの優しい笑顔に、草間が思わず穏やかに笑みながら聞き返す。
「ええ。でも皆足止め……っくしゅん」
少し経てば雨足も引くだろう。そう思って留まる方が正解である。草間も、コンビニから出たのを後悔していたところだ。とはいえ、そうしなければ子猫のミーは拾えなかっただろうから、ミーにとっては幸運と言えるだろう。
いや、草間に拾われるのは幸運と言えるだろうか。
草間は少し心配そうな顔つきで訊いた。
「風邪？ ……も引くよな。この雨じゃ」
みなもは軒下に入り、赤とベージュのチェックでできている傘をたたんだ。
「濡れたところが、風に煽られて寒いんです」
「そりゃそうだ……と、上着でも貸したいところなんだが、俺のはびしょ濡れでね」
草間は全身濡れ鼠状態だった。とてもじゃないが、傘を持っているみなもに被せるには不相応の、ジャケットを一枚羽織っている。
「平気ですよ」
ニコリとみなもが笑って、皮製の黒い鞄の中からキャラメルの箱を取り出した。
「食べます？」
草間はまだ昼食がすんでいない。朝から仕事をするのは希なので、朝食も食べていなかった。空腹を思い出して腹をさすりながら、草間はみなもからキャラメルを受け取った。
口の中に頬張ると甘い苦い香りがする。そのうちに甘みばかりを感じて、そういえばキャラメルとはこんな味だったな、と草間は思い起こしていた。
「猫さんにもあげたいですね」
言われて、草間は抱き上げた猫を見た。白い子猫は、草間の体温にすがるように身体を埋めている。
「腹減ってるだろうなあ、こいつ」
「拾ったんですか」
みなもに言われて、草間は目で足元のダンボールを指した。みなもは一瞬だけ悲しそうに表情を曇らせてから、子猫の頭をそっと撫でた。
「こんな雨の日に、かわいそう」
言われて子猫は「ミー」と鳴いた。
なんとなく、別にかわいそうなんかじゃないよ。と言ったような気がして、草間は苦笑した。興信所には、今実はヒヨコがいる。ヒヨコと猫は同時に飼うことはできないだろう。
「飼い主……探してやらにゃあ」
草間が呟くと、みなもはうんうんと頭をうなずかせた。
「絶対探してあげましょう」
みなもの言葉には決意のようなものが受け取れたので、草間は子猫に一生懸命になっているみなもが可愛らしくて笑った。
興信所に着いてみなもにバスタオルを渡すと、みなもは安心したような顔つきでタオルに顔を埋めた。あちこちを拭き、最後に頭にタオルを被る。
「シャワー入っていく？」
「いえ、お構いなく」
草間の方はなにもかもずぶ濡れなほど濡れていたので、みなもに断ってからシャワーに入った。シャワーから出てくると、クローゼットの中から出したのかみなもは猫を抱いたまま毛布にくるまって寝てしまっている。
草間は独り言のように
「濡れると体力は消耗するからな」
そう言って、子猫にミルクを与えようと小皿にミルクを入れた。手近な段ボール箱を組み立てて、簡易猫の住処を作ってやる。タオルを入れて、皿を配置してさてできたと顔を上げると、転寝をしているみなもの首がかくりと落ちて、子猫の額とぶつかった。
驚くべきなのは次の瞬間だった。
みなもに、耳が生えたのだ。耳が。……猫耳が！
びっくりを通り越して、草間は途方に暮れた。みなもの顔も、白い毛で覆われているようである。近付いてよくよく見ると、腕の中で眠っていた子猫の姿もない。これは……一体……。猫が妖怪の類だったのか、それともなにか別の要因があるのか……。
「零、零！」
草間が呼ぶと、白いリボンを揺らしながら草間・零が応接間に顔を出した。目をぱちくりさせる。
「みなもちゃん、見てやってくれ。取り憑かれたのか」
零は不思議そうな顔でソファーまで行き、みなもの様子に小首をかしげて反応すると、そっとみなもの頭に触れた。それから草間を見上げ、ぶんぶんと首を横に振る。
「そういう力は感じません」
「……いや、でもそれじゃあ……一体？」
こて、っと頭を垂れていたみなもが、ぼんやりと目を覚ます。草間は何故か狼狽した。
「あ、みなもちゃん」
しかし、みなもの方は一向に気がついていないのか
「ニャ？」
そう言った。色々なものを通り越してしまい、眉根を寄せたまま草間は固まった。これが猫娘以外であるわけがない。
「み、みなもちゃん、よく聞いてくれ」
「はいニャ」
「……みなもちゃんは、その、なんだ、今、猫の姿というか」
「ニャんです、それ」
あからさまにみなもは猫なのだが。
草間は零に手鏡を持って来させ、みなもに渡した。
「ニャー！ にゃにゃっ、これはどうして！」
どうしてはこちらも訊きたい。
しかしみなもは草間ほど動揺しているわけではないらしく、どうしてだか慣れた様子ですぐに立ち直った。
「これは、お父さんのお薬の仕業なのニャ。だから心配ないニャァ、一晩経てば戻ると思うニャ」
本人が言うのだから信じるしかない。
しかし、ニャァニャァと人から聞くと、なんだか妙な感じである。
「草間さんはご主人を探して欲しいニャァ」
みなもの応対に困ってしまっていた草間だったので、彼女の要望をすぐに受け入れ、応接間の端に追いやられている９８のＷｉｎを起動させた。
「零、見ててあげなさい」
「はい、お兄さん」
しかし、なんとも、猫になってしまうなんて。
草間はそろりと、零と楽しそうに話している猫娘を振り返った。
白い毛がフサフサしている、愛らしい猫娘の姿がそこにはあった。草間は頭を振って現実に意識を引き戻し、慣れない手付きでキーボードを叩いた。
インターネットと草間の伝手を使い、ミーの飼い主は一応決まった。明日にでも引き取りに来るというのだが、草間は歯切れの悪い返答しかできなかった。
なにしろ、みなもが融合しているのだから。
みなもはあちこち走り回った後、零にかつぶしをもらって嬉しそうに食べていた。それから、煙草を吸っている草間の隣に来て、くるんと引っくり返って草間の腿に頭を投げ出した。自由奔放というか、猫らしいというか、みなもは猫そのものであった。
零が夕飯を持ってくる。夕飯は……いわしの缶詰だった。台所事情も切迫しているのだから仕方がない。
「わー、魚だニャ」
みなもは大喜びだ。
……よかったのかもしれない。イワシで。
草間はまた途方に暮れながら、腹が減っていたにも関わらずイワシには手をつけず、茹でタマゴとご飯を口に運んで、夕食を終えた。
食後、みなもはソファーに寝転んで、零と戯れている。零が猫じゃらしを持ってきて、みなもと遊んでいた。
草間はいよいよ口に出した。
「明日、飼い主になってくれる人が来るんだが……」
「ニャー、嬉しいです」
猫の言葉なのかみなもの言葉なのかさっぱりわからない。
「ニャンニャン♪」
草間は一計を案じ、ファイル棚の後ろから虎の子の焼酎を取り出した。アルコールで酔っ払えば、二人は分離をするのではないか、という推測である。冷蔵庫に残っていたファンタで割って、みなもに差し出す。みなもは、ゴクゴクとチューハイを飲み干した。
ぽっと頬が赤くなる。が、変身するわけではない。
草間はがっくりと肩を落とし、
「あーあー、明日どーしよー」
と呟いた。
みなもはニコニコと草間の周りを駆け回り、ゴロゴロと頭を差し出す。草間は青い髪をそっと撫でてやる。みなもは気持ち良さそうに、顔をやわらげる。
そうして夜。
草間がソファーで転寝をしていると、ニャアと声が聞こえた。
また、ニャアである。
目を開けると、白い猫がちょこんとソファーに座っている。……猫に、なっちまっちまったのか？ と草間が慌てて身体を起こす。子猫を抱き上げて、必死に問いかけてみた。
「みなもちゃん、みなもちゃん」
すると後ろから声がする。
「はい？」
「え。はい、って日本語しゃべれるのか」
要領を得ず猫に話しかけている草間に、後ろからまたみなもが言った。
「草間さん、大丈夫ですか」
草間がようやく気が付いてみなもを振り返ると、みなもは心配そうに草間を覗き込んだ。
「おお、なに、いつの間に」
「たぶん、さっき、ひょっと気が付いたら猫さんがいたので……」
「そりゃ、よかった、うん」
外を見ると、雨はもう上がったようだった。もっとも、見たところで暗くて何も見えない。雨音が聞こえないだけだった。
みなもが傘を手にしているのを見て、草間は目をしょぼしょぼさせながら訊いた。
「帰るの？ こんな時間に」
とは言うものの、まだ十時過ぎだった。
「ええ、また明日来ます」
「送ろう」
みなもが「へっちゃらですよ」と笑う。けれど、酒を飲ませてしまった罪悪感もあった。
翌日引き取られていく子猫を見ながら、みなもは「元気でね」と少し寂しそうに笑った。
草間もなぜか身を切られるような気がして、悲しい気持ちになった。
そこへ草間興信所に住み込んでいるヒヨコが「ピー」と鳴いたので、なんとなくその場は和んでしまった。
――ｅｎｄ
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【1252／海原・みなも（うなばら・みなも）／女性／13／中学生】
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■ ライター通信 ■
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海原・みなもさま
「冷たかった雨」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
個性的なプレイングありがとうございました。こういった、ほのぼの系は書きなれていないので、もしお気に召せば幸いです。相変わらずかわいらしいみなもさまに、今回もなごませていただきました。
では、次にお会いできることを願っております。
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