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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


推定恋心〜ローマで休日〜


 強い風が吹き抜けた。
「きゃっ……」
 杉森みさき(すぎもり・みさき)は慌てて帽子を押さえた。
「みさきさん、大丈夫ですか!?」
 前方で花束を抱えて歩いていたヨハネ・ミケーレ(よはね・みけーれ)が慌ててみさきのもとに小走りに駆け寄る。
「うん、大丈夫」
 みさきはそう言って抑えていた帽子を外す。
 再び吹いた風が、彼女の前髪をなびかせて形の良い額があらわになる。
 そして、2人が足を止めたのはその墓地の片隅にある小さな墓標の前だった。
 ヨハネはみさきに選んでもらった淡いオレンジやピンクの初夏らしい色合いの花束をゆっくりと捧げる。
 そして、膝を着いてその墓標を眺めて一言呟いた。
「rientrare……tata―――」


■■■■■


「やぁぁぁん、ヨハネくんったら大胆〜」
 いったいどこから漏れたのか、ヨハネの一時帰郷の話を聞きつけた友人がそう言ってヨハネの肩をバンバン容赦なく叩く。
「いたっ、痛いですよ〜」
 ヨハネは懸命に自分の身を守りながら友人に向かってそう訴えた。
「だって、今度の里帰りはみさちゃんと一緒に行くんでしょ?婚前旅行なんて大胆ねぇ」
「こここここ婚前って、何てこと言うんですか!!」
 ヨハネは友人を叱るように見つめたが、いかんせん憤死寸前の真っ赤な顔では迫力不足に輪をかけるだけだった。
「えー、でも、一緒にイタリアに行くのには本当でしょ?」
「それは、“たまたま”です!“たまたま”僕の帰郷とみさきさんのイタリア旅行が重なっただけなんです」
 そう、本当に、別に示し合わせたわけではないのに偶然ヨハネの一時帰郷とみさきのイタリアへの旅行が一緒になったのだ。
「じゃ、これなーんだ」
「それはっ」
 友人が取り上げたのはところどころに赤いペンで丸印やルートが書き込んであるローマのガイドマップだった。
「―――でも、本当に一緒になったのは偶然なんです」
 事実には違いないが徐々にヨハネの声が小さくなったのは言うまでもないだろう。


■■■■■


「ヨハネくん?」
 顔を覗きこまれて、ヨハネは、
「は、はい」
と、裏返った声で返事をした。
「ここって誰の?」
 ただ帰郷の報告をしたいと言って連れて来られたみさきはここが誰のお墓なのかまでは知らなかった。
 ただ、さっきイタリア語で小さく呟いたヨハネの声が切なくて……聞かずにはいられなかった。
「ここは僕の姉のお墓なんです」
 その墓標に彫ってある年を見ると、ヨハネがずいぶん幼い頃のことだったのが判る。
 みさきは、不意に自分の姉を思い出した。
 もしも自分が幼い頃に姉を亡くしていたとしたら―――そう考えると全てではないが墓標を見つめるヨハネの目が切なそうだったのは無理もない。
 そこでみさきは、
「ヨハネくん!みさが今日1日おねえちゃんの代わりになってあげる!」
と力強く宣言した。
 ヨハネとしてはせっかく自分たちを知る外野の居ないめったにない機会である。それこそ『ローマの休日』とまではいかないもののみさきの喜びそうな観光コースを練りに練って来たのだ。
 それはもちろん一人の女性としてのみさきをエスコートする為にだ。
 それが事態は予想もしない方向に転がりだした。
「いえ、でも姉を亡くしたのはずいぶん前ですし―――報告も、いつも帰ってきたときの習慣になっているからで―――」
「ヨハネくん、無理しちゃダメ。みさにくらいは素直になって、ね?」
 恋する相手にここまで言われて否定できることがヨハネに出来るだろうか―――それはもちろん否だった。
「はい―――」
 ヨハネは半分項垂れるように頷いた。


■■■■■


 まぁ、みさきが姉宣言をしたところで、結果的にはあまり何も変わらなかったと言うのが本当のところだった。
 よくよく考えれば実際の年齢もみさきの方がヨハネよりも上なのだから。
「ちょっと待っててくださいね」
 まず定番ではあるのだが、スペイン広場へ行った。
「はい、みさきさん」
と、ヨハネはみさきを階段に座らせて買ってきたジェラートを渡した。
 そう、ここはあの有名なモノクロ映画で王女がジェラートを食べていたその場所である。
 ヨハネとしては気をきかせたのだが、ジェラートを受け取ったみさきはしたから小さく睨みつけて、
「みさきさんじゃなくて今日は“お姉ちゃん”っていったでしょ!」
と言う。
「……はい、お姉さん」
 律儀にヨハネがそう言い直すと、
「ありがとう」
と言ってにっこり笑うのだから堪らない。
 所詮、惚れたほうが負けなのだ。
 とりあえず、墓参りの後はヨハネが散々頭を悩ませて練りに練った観光コースでみさきを案内した。もちろん、定番を押さえた上での1番効率的なルートにしたつもりだ。何せ、ここはヨハネの庭みたいなものなのだから。
 サン・ピエトロ大聖堂でピエタも見たし、トレビの泉もサンタ・マリア・イン・コスメディン教会で真実の口に手を入れて写真も撮った。
 そして、歩きつかれたところで公園に行ってボートに乗ったり、ピクニックのようにテイクアウトしてきたサンドイッチを食べたり。
 2人で並んで座ったベンチではついうつらうつらしてしまったみさきがヨハネに肩をもたれさせてうたた寝をしてしまい、うろたえたヨハネはまるで石像のようにみさきが目覚めるまでカチカチになって身動きひとつしなかったり―――余計な外野を心配しなくていいせいもあるのか、2人の間に流れる時間は日本とは比べ物にならないほどゆったりとしている。
―――ずっとこの時間が続けばいいのに……
 みさきの重みを感じながらヨハネはそう願わずにはいられなかった。


■■■■■


 しかし、やはりささやかなデートはそれだけで終わってくれなかった。
 そう、ちょうどパンテオンの辺りだっただろうか、
「やっぱりこれが古代建築の代表格だと思うんですよ、そう思いませんかみさきさん―――っじゃなくって、ぇと、お姉さん」
 先ほどから何度もついみさきの名前を呼んでしまいそのつど訂正されていたヨハネは条件反射的に首を竦めてみさきの訂正を受ける前に自ら言いなおしたヨハネだった。
「―――みさきさん?」
 返答がないことを訝しんで振り向いた時には、ヨハネの後ろに居たのは団体のツアー観光客の集団でみさきの姿は影も形も見当たらなかい。
「みさきさん!?」
 慌てて人を掻き分けてヨハネは繰り返し名前を呼ぶが、
『ヨハネくーん、こっちこっち』
といういつもの声は聞こえない。

「みさきさん―――」

 ヨハネはただがむしゃらに彼女の名前を呼びながらパンテオン近辺を走る。。
 異国で独りぼっちにしてしまったみさきの不安を思えばヨハネはひたすら走ってそして一刻も早く彼女を探さなければと言う―――その焦燥感だけが足ががくがくになってもヨハネを突き動かすエネルギーになっていた。
 そして走って走って街が夕日に染まりだした頃、いつのまにかヨハネはナボーナ広場についていた。
 そして―――広場の中央に居るみさきを見つけた。


「みさきさん!―――みさきさん……みさきさん!!」


 まだ、自分の中のどこにそんな力が残っていたのか……ヨハネは力いっぱい彼女の名前を呼んだ。
 振り向くみさき。
 そして、ヨハネの姿を見つけた彼女は、心細げな表情から一瞬驚いたそれでいて嬉しげな表情になりその後は目を潤ませて泣き出しそうな表情になった。
 まるでヨハネの目にはその後の彼女の表情の変化がスローモーションのように映る。
「ヨハネくん―――」
 よほど不安だったのだろうみさきは泣き出しそうな顔のまま、ヨハネの胸の中にみさきが飛び込んでくる。
「みさきさん……よかった」
 ヨハネは自分の腕の中にいるみさきを確認するように抱きしめた。


■■■■■


「本当に本当にすみません」
「うぅん、みさこそゴメンネ」
 2人はしっかりと手を繋ぎながらフォロロマーノという遺跡の中を歩いていた。この遺跡はライトアップされ、絶好のデートコースとなっている。
 だというのに、犬も食わないような痴話げんかのように、2人は謝ったり謝られたりを繰り返している。
「いえ、僕が悪いんです」
「違うよ、みさが悪いの!」
「僕です!」
「みさ!」
 そう言い合いしながら2人は顔を見合わせて笑った。
「クリスマスの時みたいだったね、さっき」
 ひとしきり笑った後に、みさきはそう言いながら去年のクリスマスのことを思い出していた。
 ヨハネにクリスマスケーキを届けに行くのに黙って家を抜け出したみさき。
 みさきの姉は突然みさきがいなくなったとヨハネに連絡し―――
「あの時もヨハネくん一生懸命みさのこと探してくれて」
 そして、今日と同じように見つけたみさきをぎゅっと抱きしめた。
 ヨハネもそれを思い出して今更ながら顔を赤らめた。
「最後にどうしてもみさきさんを案内したいところがあるんです」
 誤魔化すようにヨハネはみさきをある場所へ連れて行った。
「ここ?」
 そこは一見してみると単なる教会だった。
「サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会―――音楽の聖人が祭られている教会です」
 ピアニストの卵であるみさきをどうしてもここに連れて来たかった。
 今日の観光コースは大げさに言えばそのついでのようなものだったのだ。
 祭壇の下の墓にある聖チェチリアの像まで彼女を導いていったヨハネは、
「みさきさん、貴女に聖チェチリアのご加護がありますように―――」
 ヨハネはみさきの前髪に唇を寄せるようにしてそう呟いた。神聖な誓いのように。


Fin