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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


冷たかった雨


 ――プロローグ

 サアサアと雨音がする。ザザザザと雨音がする。
 草間・武彦は傘を持っていない。空を見上げると、暗いというよりどこかやわらかい色合いの雨雲が浮かんでいた。草間はぼんやりとそれを眺め、それから目の前のポストを打つ雨を眺め、ふ、と一息だけ吐き出して、コンビニの軒下から、たっと駆け出した。
 革靴は雨に浸食されぐちょぐちょで、草間の足はびちゃん、びちゃんと音を立てる。
 体中の服に雨が吸い込まれて、ひどく重かった。
 耐えかねて、今度は寂れた喫茶店の軒下に入った。身体中びしょ濡れだったので、店内に入ることはできない。
 草間は眼鏡を取り、濡れたシャツの裾で拭いてかけ直した。

「ミー」

 驚いて、霧のように流れる雨から、視線を落とす。すると、そこにはダンボールに入った白っぽい子猫が入っていた。
「……鳴くなよ」
 草間は突っぱねるように言った。雨はなぜか心まで濡らすようで、ひどく心細いような気がしていた。
「なあ、鳴くなよ」
 草間は子猫に屈みこんで、子猫を抱き上げた。子猫の体温は温かく、心にあった寂しさを浄化していくようだ。
「お前、名前なんていうんだ」
 草間は猫を抱いて、笑った。猫はもちろん、「ミー」としか答えない。
 
 
 ――エピソード
 
 雨は止む気配がなかった。草間は猫を抱えたまま、ただ降り続ける雨を見つめていた。雨はアスファルトにはねっかえり、視界を白く染めている。
 困ったな、と胸のうちで呟いて、濡れた身体で猫を抱いていてよいものか考える。猫もずぶ濡れだったので、あまり関係ないだろうと思った。猫は寂しそうに小さな声でミーミーと鳴いていて、草間は口を曲げて子猫の頭を撫でていた。
 捨てられたのだろう。
 ちくりと、胸が痛んだ。別に、草間が胸を痛めなければならない理由はないのだが。
 喫茶店を見ると、なるほど閑古鳥の鳴いていそうな店だった。シックな店構えで、看板の文字は朽ちてしまっていて読めない。それでも古びた大きなドアがついている。窓ガラスから中を見ると、間接照明で薄暗かった。こういう店は、どういうわけかなくならない。例えば、ドトールやスターバックスの方が断然客が入っているというのに、こういった寂れたスタイルの店は根強く街に残っていた。
 喫茶店に入れる格好じゃないしな。
 草間は自分の手足を見た。全身ずぶ濡れだった。コンビニさえも、あまりいい顔をしないだろう。
 肌にくっついたシャツを摘んで引き剥がしていると、カランカランとドアベルが鳴った。
「草間さん」
 ドアベルと共に呼ばれた自分の名に、ぎょっとして喫茶店の出入り口へ視線を上げる。するとそこには、自称喫茶店の店主であるリオン・ベルティーニが立っていた。
 全然濡れていない。それに、内側からドアを開けている。
 草間は逡巡してから、言った。
「客か?」
「どうしてそうなるんですか、喫茶店のオーナーだって俺言ったでしょ」
 不服そうにリオンがうめく。草間はくつくつと喉で笑ってから
「冗談だ、そうか……お前、こんな店やってたのか」
 そう言って外観を見渡すように視線を店にやった。けれど、軒先から出てしまうと濡れてしまうので、店の外観はまるでわからなかった。
 リオンは相変わらずバンダナを被った白衣姿だった。草間の胸元を見て、一瞬顔を青くしてから言う。
「猫……子猫ですね」
「ああ。拾った」
「草間さんはともかく、動物はかわいそうだ。どうぞ、中へ」
 さらりと言って、リオンは親指で店内を指した。なんだか突っかかりのある言い方だったが、雨が止みそうもない以上、軒先にいるか喫茶店に入るかしか選択肢がなかったので、草間は猫を抱いたままオレンジ色の照明がちらほらと光っている店内へ入った。
 席は四人掛けのテーブル席が八席ほどで、後はカウンターだった。リオンがカウンターの中へ入って行ったので、テーブル席を選ぶことができず、草間はリオンについて行って、こげ茶の木目のついたカウンター席に座った。
 べちゃり、と濡れたズボンと皮膚がくっついた。
 猫をカウンターに置いてやる。リオンはカウンターから奥へ引っ込んで、バスタオルとタオルを持ってきた。草間に二つとも渡す。
 草間はバスタオルでガシガシと頭を拭き、顔の水を拭ってから、猫の身体をもう一枚のタオルで拭いてやった。猫は不快そうにしていたが、風邪をひかせない為には拭くしかない。
「ミー」
 猫が抗議の声をあげる。草間は気にせず猫の毛を拭いた。
「コーヒーで」
「まさか、ビールは飲みたくない」
 リオンが訊いて草間が答える。ずぶ濡れの男がビールを飲むのは想像しづらい。
「一応、ここは喫茶店でね」
 サイフォンをセットしながら、リオンは苦笑した。
 草間は店内を見回した。シンプルだが、少しヨーロッパ調だった。店には誰もいない。
「流行っているとは言えないな」
「世の中流行ってるものばかりがいいってもんじゃない」
 サイフォンが音を立てる。シュゴー、というちょっと現実から離れたような音だった。リオンはカウンターの中の椅子にかけて、草間の方ではなく窓を見ていた。
 草間もつられて窓を見やった。
 この店の中では、雨音が聞こえない。大きなビルなら話は別だが、ここは小さな喫茶店である。雨音が聞こえないなんてことが、あるだろうか。実際興信所は一応小さなビルだったが、雨漏りはしないものの、雨音は響いて聞こえる。
 別に、音楽らしい音楽もかかっていない。
「音楽はかけないのか、この店は」
 草間は眼鏡をタオルで拭きながら訊いた。気が付いたようにリオンが草間に視線を戻す。リオンは、どこか遠くにいたようだった。
「かけます? 何がお好みですか」
「いや、別に。ただ、雨音が聞こえないのが不思議に思えただけだ」
「ああ」
 そう言って、リオンは猫を見た。「ミルクがいりますね」立ち上がって、内装に溶け込んでいる引き出し式の冷蔵庫らしきところから、ミルクを取り出し、少し手をあちらこちらに投げて、結局ティーカップのソーサーを取って、中にミルクを入れた。
「どうぞ」
 子猫より、少し離れた位置にミルクを置いた。猫はゆっくりとミルクまで歩いて行って、ぺちゃりと舌をつける。
 どうやら、話を逸らされたようだ。
 リオンの本業は暗殺者である。だから、防弾加工のしてある店なのかもしれない。
 サイフォンが最後の悲鳴を上げたので、リオンは二人分のコーヒーを注いで戻って来た。草間の前にブラックのコーヒーを置く。砂糖やミルクをつける気は毛頭ないようだった。
「雨は好きですか」
 リオンはうわの空のような、どこか違うところを見ているような目を草間に向けて訊いてきた。草間は自分の濡れたシャツを指した。
「好きそうにみえるか?」
「みえません」
 苦笑する。
 草間はなんとなく、リオンが子猫を遠巻きに見ている様子を感じ取って、訊いた。
「猫は嫌いか」
「そうみえます?」
「見えるな」
 即答すると、リオンはまた苦笑した。なんとも言えない顔だった。苦い思い出を噛み締めているような、痛いところを突かれたような、そんな顔だった。いつも余裕綽綽に、どんなときでも適当で曖昧な真意のわからない顔をしているリオンにしては、珍しい表情だ。
 リオンは窓へ視線を向けながら答えた。
「じゃあ、そうなんでしょう」
 草間は無言でコーヒーに口をつけた。コーヒーはひどく苦く、少し酸味があった。何の豆だろうと考えて、おそらくブレンドだろうと思う。豆の種類を聞こうとしたとき、リオンがぽつりと呟いた。
「雨の匂いって、埃の匂いなんですって」
「……ほう」
 一応相づちを打つ。
「小さい頃は、雨の匂いがするとなんだか、ちょっとワクワクするみたいな気持ちになった覚えがあります。けど、本当はただ舞っている埃が雨と共に落ちてくるだけだった。なにも、期待するものなんかなかったわけです」
 そのとき、子供が何かを感じていたのなら、それでいいのではないか。思ったけれど、リオンが言葉を継ぐのがわかったので、黙っていた。
「最悪のとき、雨と猫がいたら、どっちも嫌いになるでしょう」
「例えば」
 リオンの調子が聞いてほしそうだったので、草間は言葉を促した。リオンは、少し空ろな眼差しを草間に投げてから「敵わないなあ」と口許だけ笑わせた。
「草間さんの最悪の状況はなんです」
 自分の言葉を保留にしたのか、リオンは尋ねた。
 草間は薄ぼんやりと頭の中を整理した。整理しきれないイレギュラーが、浮かび上がる。愉快な話でも、辛い話でもない。
「手を握ったら、彼女は笑った。次の瞬間、嬉しそうに駆け出して車に轢かれた」
「温かかったですか」
「冷たくなってた」
 台詞がすれ違う。お互いそれには気付いているのに、修正しようとはしない。
 リオンはコーヒーをすすってから、まるで何度も読み返した小説の冒頭を語るように言った。
「硝煙がのぼっていることにも気付かなかったのに、目の前の人が死んでいることがわかっていて、猫が死体に飛び乗って鳴いて、生きている俺にも死体にも平等に雨が降っていて。はじめてそれを知ったときは、最悪だと思うでしょうね」
「最悪だな」
 苦々しく草間が言う。
 そして草間はリオンに電話を借り、零に傘を持ってきてもらうことにした。
 電話をかけ終えた草間が呟く。
「雨はいつでも降る、猫はどこにでもいる。お前は最悪だらけってわけだ」
 リオンは今度は本当に笑った。
「そんなこともありませんけど」
 それからリオンはコーヒーを飲み干して、恐々と猫に手を伸ばした。
「この猫、置いていってくれませんか」
「……なぜだ」
 座った草間は怪訝そうな顔をした。
「最悪を最高にするチャンスぐらい、くれてもいいでしょ」
 少し草間は戸惑ってから、けれど本心から言った。
「人殺しにそんなチャンスはいるもんか」
 リオンがあちゃあと笑う。いつもと同じ、曖昧な笑みだった。
 やがて零がドアベルを鳴らして入ってきた。
 草間はコーヒー代を払おうともせず、零からコウモリ傘を受け取ってリオンに片手を上げた。リオンも同じように片手を上げて応えた。
 開いたドアから、雨の匂い……埃の匂いが店内に紛れ込んでいる。
 草間は子猫を抱いてはいなかった。
 雨の降る街は陰鬱で、ある人殺しの憂鬱が立ち込めているようだった。
 
 ――end
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3359/リオン・ベルティーニ/男性/24/喫茶店店主兼国連配下暗殺者】

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■         ライター通信          ■
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 リオン・ベルティーニさま
 
「冷たかった雨」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
今回はシリアスで! 二人の親交は深まることなく、わかり合えないけれどそれでも、少しの休戦をと思って書きました。お気に召せば幸いです。

では、次にお会いできることを願っております。