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サヨナラ、ヒトノコ
０、オープニング
サヨナラ、サヨナラ。
ズットミテキタ。
カワイイ、ヒトノコ。
今度は、猫探しであった。
怪奇依頼ではないものの、いまいち探偵として緊張感に欠ける仕事である。
しかし、依頼人は小学生。無碍に断るわけも行かず、草間は話を聞いた。
猫の名前は『ナナ』と言う、九才のメスだった。白毛でオッドアイの賢い『おばあさん』だそうだ。
それが一週間も前にブラリと出ていったまま、未だに戻らないと言う。
少女は毎日、暗くなるまでナナを探し歩いていた。
「危ないから、もう止しなさいってお母さんに怒られちゃったんだ。でもさ……美菜ね？ 生まれた時から、ナナと一緒だったんだよ。一人っ子だし、ナナが姉妹の代わりなの。探偵さん、駅の向こうの、『お化け屋敷』って知ってる？ 友達がそこの塀の上で、ナナみたいな猫を見かけたって！ 行きたいんだけどさ……お母さんが線路から先は行っちゃ駄目だって言うし」
「ああ、そうだな。君みたいな子供が一人でウロウロしてると、危ないかもしれないな」
通りに立つ黒服。桃色がかったネオン。暗くなればなるほど、活発化する町並み。
草間は少女の母と、恐らくシンクロしているであろう思考で言った。
その一角に、かつては、煙草屋だった小さな二階建ての家がある。
ドアは番が腐って外れかけ、二階のベランダは床が抜けている。『お化け屋敷』と子供達の噂するに相応しい、ボロボロのツタ屋敷だ。『売り家』のプレートがかかっているが、誰も見向きもしない。浮浪者のたまり場になるから、と付近の住人から取り壊しの要請が出ているが、実際に出入りしている者はいなかった。
「探偵さん、お願い……絶対見つけて！」
悪い結果にならなければ良いが──
草間は、どこか暗い気持ちになりながらも頷き、少女を送り出した。
「さて。誰が適任だろうな……」
受話器を持ち上げ、ふと違和感に気付く。
真っ黒なツキノワグマのぬいぐるみが、イスの上に座っていた。近頃、草間が昼寝用の枕として愛用しており、依頼人が来る前は、ソファーで草間の頭の下敷きになっていたものである。そして、そこから机の下に投げ込まれたはずなのだが。
草間はクルリと背を向けた。
そして、再び向き直った。
「やっぱり、こうなるのか」
クマは立ち上がり、万歳をしていた。
草間は目頭を揉んだ。
「で、お前さんはいったいどこの何者だ？」
「ナァオ」
「あぁ……」
猫を探していると言う少女と、クマに憑いている『者』。
偶然、と片づける事は出来そうにない。
これが真実であるなら、少女の涙となるのは避けられないだろう。
「順を追って説明してやるには、何が必要か……」
子供に泣かれるのは、何度経験しても慣れんな。
草間の口から溜息と共に、そんな言葉が吐き出された。
１、壊れたおっさん
「おっさんが、とうとう壊れたわ」
興信所のドアノブに手をかけたまま、村上涼は、恐ろしさに身震いした。
なにしろ三十路の探偵が、腐りかけた侘びしい事務所の中で一人、ソファーの上に座らせたクマのぬいぐるみに向かって話しかけていたのである。草間の傍らには、十才の女児ほどの日本人形の姿もあった。
春は過ぎ、夏目前。今は、梅雨のまっただ中。
むしむしとする暑さにやられて、草間は逝ってしまったのだろうか。
「人形を相手にするほど、寂しかったのかしら」
言って頭に閃いたのは、『失恋』『傷心』の二単語。涼は、はたと手を打った。
「まさか、もしかして、とうとう、やっぱり愛想尽かされたとか！」
好奇心に涼の瞳は輝いた。踏み込んで行って、尋ねてみたい衝動にかられながら、すんでのところで思いとどまる。
最近、どうなの？
などと、あの『おっさん』に聞こうものなら、逆に切り替えされて、思い出したくもない『男』の名前が出てくるかもしれない。
あれは恋人ではない。断じて無い。むしろ、人生の妨害者――宿敵なのだ。そんな男の事を問われるのは、余計なお世話に他ならない。
そして、それ以降の話の中で、『眠い』『だるい』などと、うっかり呟こうものなら、自ら掘った墓穴に直行するだろう。
草間から、にやにやとした笑顔を向けられる事、必至である。
「チッ」
涼は、あっさりと好奇心を捨てた。
「今日はおとなしく帰ろう。そうしよう、うん。おっさんは壊れた決定、と言う事で」
ぶつぶつ言いながら踵を返したそこに、見慣れた長身の影が立っていた。
「独り言が多いのは、今に始まった事じゃないが……今日もまた、見事と感心するしかないな」
銜え煙草の無表情で呟いたのは、真名神慶悟だった。
いつからそこにいたのか。慶悟は、反撃ののろしを上げようとしている涼の横を、何食わぬ顔で通り過ぎ、扉に手をかけた。
「壊れてるわよ？ おっさん」
そう言い添えたが、慶悟に思い留めた様子はない。
「壊れてる？ 変なものでも食ったか」
と、躊躇いもなくドアを開いた。
涼は慶悟の後ろから、その内側に先ほどと寸分違わぬ世界が展開されているのを見た。
ぬいぐるみと戯れる三十路探偵に、ぼそりと、慶悟が一言。
「……なるほど。壊れてるな」
そうでしょう、と涼は頷く。
「さっきから、表で何を騒いでたんだ？ しかも、入って来るなり何だ」
涼は、草間の傍らの人形に目をやった。
「いや。何でもない。どうやら、『良い所』へ来たようだな」
と、慶悟。
（おっさんが壊れてる状態が、『良い所』なのかしら）
そんな事を考えていた涼に、人形が小さく会釈した。涼は面食らって、眉根を寄せる。
（う、動いたわ。動いたわよね。と、言うことは、つまり──）
ソファーの上のぬいぐるみも、ただ者ではないのかもしれない。
玄関先で固まっている涼に気付いた探偵が、灯火を見下ろして言った。
「村上と四宮は初顔合わせか？ まぁ、そう警戒する事もない。入って来いよ」
不振に思っていたのは、四宮灯火（しのみや・とうか）の事ではなく、むしろ草間の行動なのだが。
「ま、いっか」
涼は頭を掻きながら、慶悟の後に続いた。
２、思念
「猫、ね」
「なるほどな。そう言うわけだったのか」
涼と慶悟はそう言って、ソファーの上で毛繕いをしているクマのぬいぐるみを眺めた。
「クマだけに、クマッ──」
「おっさん率が上昇するわよ。寒いダジャレは」
涼は、さもつまらないと言った顔で、草間をぴしゃりとやりこめた。慶悟が鼻で笑う。
「って言うか。冗談言ってる場合じゃないわよ。おっさんが探せって頼まれた猫が、このクマの中にいるのよ取り憑いてるのよ！ 取り憑いてるって事はつまり、えーと……」
涼は束の間、じっとりとした目でクマを見つめたかと思うと、おもむろにそれを抱きかかえ、腰を浮かした。
「ちょっと待て。どこへ行くんだ」
草間に腕を掴まれて、涼は真顔で振り返る。
「取り憑いてるって事は取り憑いてるって事で探しても無駄って事だからこのクマを渡してスッキリさよならおしまいにしてくるのよ！」
ぜえはあと、呼吸を乱して涼は一気にまくしたてた。ふざけてはいない。むしろ必死だ。
そんな涼を横目に、慶悟は涼やかな紫煙をくゆらせた。
「まぁ、言いたい事はわからないでも無い。だが、どんなに言葉を尽くしたところで、事態を軽くする事は出来ない。子供には辛い事実だろう」
「そうですね……。せめて、美菜様が……納得してお別れ出来るよう……、お手伝いできたら……良いのですが……」
灯火も頷き、涼に抱えられたままのクマを見上げた。
ただ一人、涼だけが顔を曇らせたまま、それを元に戻そうとしない。
「こういうの苦手なのよね」
「得意なヤツはいないだろう」
慶悟が言う。
「そりゃあ、そうかもしれないけど」
涼の小脇で、クマがもがいた。
自分の大事にしていた猫がどこかで骸となり、その魂がぬいぐるみに憑依しているなどと、にわかには信じがたい事実である。いかに素直な子供でも、容易に認めはしないだろう。
そして、それを諭すには、かなり高等な『なだめすかし』の技がいる。
「他の部分ではいくらでも力になれるが……説得は俺の管轄外だ」
言って煙草を灰皿に押しつける慶悟を、涼は見下ろす。
「あー！ そう！ きっと、生き霊よ、生き霊！ 猫は念が強いって言うし！ まだ、生きてるかもしれないじゃない？ それに、このクマ渡されてキミのって言われても納得しないし出来ないし！ ってなわけで、真名神君に四宮さん。お化け屋敷にレッツゴーよ！」
「まぁ、妥当だな」
音もなく立ち上がった慶悟を、灯火の目が追った。
「そうですね……私も、ナナ様を探したいと思います……。それが……どんなお姿でも……」
『生』とは、いつか果てるものだ。
灯火は、遠い日に思いを馳せた。
灯火を可愛がってくれた主も、『生』を持つ者である。
暖かな手を放れてから、永きを経て生まれた灯火は、主のその後を知らない。この猫のように、自分の知らないところで果ててしまったのではないか、と言う考えが過ぎり、不意にその目が遠くなった。
「異議もないようだし。と言う事だから、おっさん。ちょっと行ってくるわね」
涼は、抱えていたクマを、草間に手渡そうとした。だが、後ろ足を突っ張ったり、前足で草間の手を払いのけたりと、一向に渡りたがらない。
灯火は感情の無い白い顔で、クマを見上げた。
「……一緒に行きたいのでしょうか」
クマは涼の手に前足をかけ、下肢をだらりと下げた状態でぶらさがっている。慶悟は涼に目を移し、どこか含みのある声で言った。
「連れて行ってやったらどうだ？ 似合ってるぜ？」
「あ、そ。そりゃ、どうも。つか、信用ならないセリフと顔つきだわよ、コラ」
涼は癖のある顔で笑い返しながらも、クマを置いていこうとはしなかった。
３、お化け屋敷
タバコ屋だった名残は、閉じられたままの小さなシャッターと、ペンキのはげかけた看板だけだった。
あとは噂通りの荒れぶりだ。
玄関扉は外れかけ、ガラスと言うガラスは割れている。壁や天井に空いた穴から差し込んだ日光は、引き出しを全て抜かれたタンスや、腐って歪んだ畳と言った散々たる室内の光景に、スポット効果をもたらした。
中に入るには、蔦との格闘が必要だろう。
猫が死に場に選んだ場所は、人間には顔をしかめる空間であった。
「ここに入るのよね」
暗い眼で廃屋を眺める涼に、慶悟は「あぁ」と事も無げに頷いた。
「ナナ様のいる場所を……教えて貰えませんか……？」
灯火は、涼の腕に抱かれたクマに向かって尋ねた。
クマは涼の手を飛び降りると、扉の下をくぐって家の中へと入っていった。灯火が後に続き、慶悟は涼を振り返る。
いつ、どこから出したのか。
涼の手には、釘付きの金属バットがしっかりと握られていた。
「……物騒だな」
と、漏らす慶悟に、涼は「ふふふ」と笑った。
「お化け屋敷だか何だか知らないけど。物騒なのは私じゃなくて、この家よ。どう見ても」
「安心しろ。人間の気配は無い」
「人間以外の気配はどうなのよ」
「まぁ、気にするな」
そう言って慶悟は、絡まる蔦の暖簾を小腰を屈めてくぐり、倒れた扉をまたいだ。その後を、ブツブツ言いながら涼が続く。
二人は、タンスの前で立ち尽くしている灯火の横に並んだ。
「……」
灯火は黙って、空っぽの整理ダンスの中を指出した。引き出された引き出しが、統一性の無い階段のように見える。内部の闇に、それは横たわっていた。
「……あぁ……もう、畜生」
一目見た涼が呟く。
「どうするか。依頼人を呼ぶのは簡単だが……」
慶悟は、灯火が跪き、猫の体を撫でるのを見守った。
「埋めて……差し上げませんか？」
涼は腕を組み小首を傾げると、白い顔を見下ろした。
「賛成だけど。でも、その前に、本人を呼んだ方が良いわね。自分の手で埋めれば、諦めもつくし」
予期していた光景であった。
説明を一切必要としない、簡潔な事実を見せられるのだ。
しかし、沈黙は否が応でもやってきた。
三人は、佇んだまま冷たくなった体を見下ろす。
外傷も無く、眠るような顔は綺麗だった。
「お婆ちゃんだって言ってたわよね」
「抗えぬ流れだ。どうしようもないさ」
慶悟が涼に返した。
唯一の救いは、まだ『彼女』の魂が、ここに在ると言う事だろう。
慶悟は、ぺったりと腰を下ろしているクマを見下ろした。
「ここに残っている理由を、まだ聞いてなかったな」
質問に答える術を知らない黒毛は、タンスの奥の暗がりをじっと見つめている。
涼は携帯を取り出すと、二つ折りのそれを開いた。
「見れば分かるし。とりあえず呼ぶだけで良いわよね？」
二人が頷くのを目にしながら、涼は幼い依頼人に場所と用件を告げ、早々に電話を切った。
「……思いっきり、飲んで騒ぎたい気分なんだけど」
疲労感の漂う声。
「これからが、大変なんだが……」
と、煙草を唇に押し込みながら、慶悟が言った。
４、サヨナラ、ヒトノコ
「ナナがいたって本当？」
美菜は、母の自転車に乗せられてやってきた。
涼が電話をした時、傍にいて話を聞いていたようだ。美菜の母は三人に向かって会釈をすると、複雑な笑いを浮かべて娘の姿を見守った。
「どこにいるの？」
目を輝かせている美菜に、涼がそっとタンスを指さして言う。
「残念だけど……」
「残念って？」
慶悟は無言で、銜え煙草を灰と煙に変えている。すでに悟っていたのか、母は目を細めただけだった。
美菜は怪訝な顔で一同を見回すと、小腰を屈めてタンスの中を覗き込んだ。ほころんだ表情を見せたのは、束の間だった。直ぐに、異変に気付いたようだ。
「……お母さん。ナナが……」
振り返って涙ぐむ娘の頭を、母は優しく抱き寄せた。
「ナナは、お婆ちゃんだったでしょう？ 美菜が悲しむと思って、死ぬ所を見せたくなかったのよ」
それは大人の綺麗事かもしれない。幼い子供には、『死』そのものがフォローの出来ない悲しみなのだ。
泣きじゃくる美菜の足下に、黒い影は喉を鳴らして擦り寄った。
「なにこれ……」
「……それは……ナナ様です……」
言葉の意味がわからず、美菜は声の主を振り返った。そして、その顔立ちに、「あっ」と声を漏らす。
「に、人形？」
灯火は静かに頷き、ぬいぐるみへと顔を向けた。
「ナナ様は……まだ、そこにいらっしゃいます……。わたくしと同じように……『思い』となって……」
「え？」
「猫は死んだが、その魂は熊のヌイグルミに宿っている」
美菜は慶悟の言葉を聞いて、ようやく理解したらしい。母の足にしがみついて怯えた様子を見せた。
「怖れる事は無い。脅かすまいとして、可愛らしいヌイグルミの中へ入った。優しくて気の利いた奴だろう？」
「キミに何か用があってそうしたのよ、うん」
と、涼。
美菜はそれでも、動かない。
先に反応したのは、意外にも母の方だった。膝を折り曲げしゃがみこむと、黒い毛に手を伸ばしたのだ。
「……ナナ？」
『ナァ』
一声鳴いたそれに、親子は顔を見合わせた。今度は美菜もおそるおそる、母と同じように頭を撫でる。
「本当にナナなの？」
クマはぐるぐると喉を鳴らし、首を傾けて美菜の手に自分から頭を押しつけた。
娘とぬいぐるみの様子を、母は静かに見つめる。その横顔が寂しげながらも、どこかホッとしているのを、涼は見逃さなかった。
と、そこで驚くべき事が起こった。
見守る一同の脳裏に、何かの映像が飛び込んできたのだ。
「──これは？」
問いかける涼に、慶悟は目を細めて読みとろうとする。
「……どこかの家──台所か？」
「女性が……います」
灯火に目を向けられ、美菜の母は頷く。
「私です」
「ナナがやってるの？」
美菜は不安そうな顔で母を見上げ、ギュッと抱きついた。
映像は、台所仕事をしている美菜の母を、低い位置にしかけたカメラから覗くようなアングルで流れている。
それがナナの視点だと気付くのに、時間はかからなかった。
やがて、美菜が近づいてきて、その顔が大写しになった。手が頭上に迫ると同時に、視界が真っ暗になる。ナナが目を閉じたからだろう。二人のやりとりする声が聞こえた。
『今日、新しく出来たお店に、皆で行って来ても良い？』
『え？ あぁ、あのオモチャ屋？ でも、駅の向こうにあるじゃない。線路を超えちゃ駄目だって、お母さん、いつも言ってるでしょう？』
『えー、だって。皆、行くんだよ？』
『皆は、皆。美菜は美菜。行っちゃいけません。学級通信にも、駅の向こうで遊ばないように、書いてあったでしょ』
たわいもない日常のやりとりである。再び視界が明るくなり、母の横で美菜が顔を曇らせているのが見えた。
『ねー、良いでしょう？』
『駄目です。なにかあってからじゃ、遅いの』
『何もないーっ』
『ダーメッ』
『もう、知らない！ お母さんなんか、大嫌い！』
美菜は大声で怒鳴ると、ナナの前を走り去った。
一人になった母は、しばらく無言で包丁を動かしていた。トントンと、まな板に包丁が当たる音が聞こえる。
母は吹き出したやかんの火を止めると、家事の手をやすめ、ナナの前にやってきた。
『心配だから言ってるのよねー、ナナ？』
困惑した笑顔。
ナナがいつも見ていた景色を、皆は見ていた。
場面は変わり、別の映像になった。
真っ黒な視界から、再び、台所で口論する二人へと変わる。かなり色褪せているが、今度は、親子を上から見下ろす位置にいるようだ。
いなくなったナナを探しに、駅の向こうへ行きたいと、美菜が駄々をこねていた。
「……待って。これって──」
慶悟が涼に向かって頷く。
「呼び寄せられたのか──気になって見に行ったのかはわからないが。死後のものだ」
親子は、顔を見合わせた。
映像がまた切り替わった。
すっかり日の暮れた中を、少女がナナを探して彷徨い歩いている。母の『心配だから』と言う声が、繰り返し繰り返し聞こえていた。
『なぁお』
と、ナナは鳴いた。
次に飛び込んできた映像は、タンスの中で倒れている老猫の姿だった。
プラスチックのクマの目が、美菜と母を見上げた。
めまぐるしく変わる場面。
最後の思念は、その場にいる者達の脳裏に、はっきりと強烈な鮮明さで流れ込んできた。
──モウ、サガサナイデ──
と。
突然クマが、ぽてっとくずおれた。ピクリとも、動く気配はない。本当の別れがやってきたのだ。
ぼろぼろと涙を流し、美菜はタンスの中に手を伸ばした。冷たい体を、泣きじゃくりながら撫でる幼い姿は見ていて痛々しい。
慶悟はポツリと言った。
「……自分の死を伝えに戻ってきたようだな……」
「……美菜様を……お母様と同じように……心配したのでしょう……」
灯火が、元のぬいぐるみに戻ったクマを抱き上げる。
言葉をいくら尽くしても、去った命は戻らない。そして、その悲しみを和らげる事も出来はしないと分かっているが、やはり言葉は生まれるものだ。
「可哀相だと思うのよね……このままだと」
「うん」
「埋めて差し上げましょうか……」
「うん」
つまりがちな返事を、涼と灯火に返した美菜は、泣き顔を母に向けた。
「お母さん、お庭じゃ駄目？」
頷いた母の目も、涙ぐんでいた。
５、家族の居場所
美菜の家の庭の一角が、ナナの新しい居場所となった。
いつまでも、しゃがみこんだまま動かない我が子の背中を見つめ、母は寂しそうに語った。
「ナナは、私が友人の所で生まれたのを、頼み込んで貰った猫なんです。賢くて、美菜が何をしても、絶対に怒ったりしませんでした。最近、足腰も弱くなって、食事の量も減っていたので……そろそろかな、と言う気はしていたんですが……。良かった──最後に逢えて」
可愛がっていたのは、もしかすると美菜以上だったのかもしれない。美菜の母は、そう言って目頭を指で拭った。
「そうだ。お菓子代程度にしかなりませんが、受け取ってください」
取り出した小さな封筒を、母は三人に手渡す。
赤い目の親子に見送られ、三人は美菜の家を後にした。
６、居酒屋『草間』
「現物支給？」
「そうよ。なにか文句ある？ おっさん」
「……いや。それにしても、随分と都合の良い……」
ビール、焼酎、サワー、大量のつまみとスナック菓子が、袋一杯に詰め込まれているのを見て、草間は胡散臭げに眼鏡を押し上げた。
ほくほくとした顔でソファーに腰を下ろした涼は、慶悟を手招きして呼び寄せ、早速、冷えたビールに口を付ける。
「んー！ 仕事のあとの一杯は最高よねー。さぁ、今日はガンガン飲むわよ飲みたいのよ飲んで騒ぐわよ！」
「今日も。だろう？」
「うっさいわね。細かい事言ってないで、飲んだ飲んだハーイ」
草間はやれやれと言う顔で灯火を見下ろし、酒盛りをする二人には聞こえないよう、声を低めて尋ねた。
「で、本当のところはどうなんだ？ 現物支給じゃないんだろう？」
灯火が何も言わずに、そっと胸元に手のひらを宛うと、草間はそれだけで分かったようだ。
「ここは宴会場じゃないと、何度言ったらわかるんだ。アイツらは……」
草間は、クマの足についた汚れを払う。
「まぁ、今日のところは大目にみるか」
と、苦笑して、役目を終えたそれを、ソファーにそっともたせかけた。
終
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 / ＰＣ名 (年齢) ＞ 性別 / 職業】
【0381 / 村上・涼 / むらかみ・りょう（22）】
女 / 学生
【0389 / 真名神・慶悟 / まながみ・けいご（20）】
男 / 陰陽師
【3041 / 四宮・灯火 / しのみや・とうか（1）】
女 / 人形
（別班）
【0086 / シュライン・エマ / しゅらいん・えま（26）】
女 / 翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員
【0838 / 浄業院・是戒 / じょうごういん・ぜかい（55）】
男 / 真言宗・大阿闍梨位の密教僧
【1421 / 楠木・茉莉奈 / くすのき・まりな（16）】
女 / 高校生（魔女っ子）
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■ あとがき ■
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こんにちは。紺野です。
長らくお待たせしてしまい、申し訳ございません。
この度は、当依頼を解決してくださり、有り難うございました。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
しばらく怪談は、お休みさせていただこうと思っておりますf(^_^;
時々、ゲリラでシチュノベを開くつもりではおりますので、
もし、ご入り用でしたら、宜しくお願いいたします。
苦情や、もうちょっとこうして欲しいなどのご意見、ご感想は、
謹んで次回の参考にさせて頂きますので、
どんな細かな内容でもお寄せくださいませ。
今後の皆様のご活躍を心からお祈りしつつ、
またお逢いできますよう──
紺野ふずき 拝
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