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忘れられた影、鬼の棲む街
――プロローグ
捜査一課の人間と名乗る若い男女が二人、草間興信所に訪れている。
一人はひどく幼い顔をした少女で、葛城・理と名乗った。もう一人は気の弱そうな背の高い青年で、道頓堀・一と言った。二人とも、苦り切った様子だ。
そして、依頼内容を聞いた草間も渋い顔をしている。
「鬼を、探して欲しい? 警察が?」
一の出した警察手帳をマジマジと眺める。嘘ではないようだ。
「特務班は自分達二人だけであります。凶暴化した鬼を止めるのは、我々だけでは無理なのです」
理はハキハキとした様子で言った。少し、時代錯誤な話し方だった。
「……どういうことかな。警視庁が鬼狩り、ですか」
「いいえ、僕達は鬼と共存してきました。そのバランスが崩れようとしているのが現状です。鬼は人を喰らっています。それを食い止めるのが僕達の仕事なのです」
「人を喰らう鬼を、……調査して、探し出す……」
警視庁という超現実的な場所から持ち込まれた依頼とは思えない、超神秘的かつ粗悪な依頼である。
幸い、草間は今別件の依頼で動いているので、この怪奇事件を受け入れる謂れはない。
「今、私は、他の依頼がありますので……」
「そこをなんとか」「お願いします」
机に手をついて、二人の刑事が頭を下げる。鬼だとか狐だとかとは、見ないフリをするのが一番いいのだ。
「このままでは、被害者が増えるばかりです。昨年の段階で一月に一人だった鬼の仕業であろう変死体は、今年に入ってから週に一人というハイペースに変わっているのです。喰らった鬼を見つけ出す間に、次の被害者が出る始末なのです」
一が言う。草間は嫌な予感を込めて聞き返した。
「鬼……は複数ですか、単体でなく」
「ええ。毎回、違う鬼なのです」
だから、鬼の凶暴化なのだ。
渋々草間は承諾した。
「誰か、調査に当てましょう。ただ、鬼を止めるとかそういう危険なことは……できるだけ避けたい」
「もちろんです。民間人の方に死傷者を出すわけにはいきません」
理が言ったが、とてもじゃないがそうは思えなかった。
二人だけの特務班が、複数の鬼を捕縛できるとも思えない。
困ったことになったと、草間はガリガリ頭をかきむしった。
――エピソード
草間・武彦の机の椅子に座っていたリオン・ベルティーニは、突然訊いた。
「鬼って、これ効くの?」
片手で鉄砲を作って、バキューンと擬音を発する。草間はリオンの存在を忘れていたのか、彼を視界へ入れて不機嫌そうに咳払いをした。
「お前には関係ない」
「困ってるんでしょ、理ちゃん」
リオンは草間など鼻にもかけず、ソファーから腰を浮かせている小さな葛城・理(かつらぎ・まこと)へやさしく言った。理は大きな目を瞬いて、少年っぽい仕草で頭をこっくりとうなずかせたあと、困った顔で告げた。
「自分は今、非常に困っています」
「それで?」
またリオンが鉄砲を作る。理は自分も手で鉄砲を作ってみてから、答えた。
「刀で殺すことも可能ですから、鉄砲も撃ちどころでしょう」
理はソファーの傍らに置いた長い棒状の風呂敷を手に取った。どうやらそれは、真剣らしい。しかも、鬼を退治し続けてきた真剣なのだろう。
「そいつはいいや。俺は乗った」
暇を持て余していたらしいリオンは、呑気にそう断言した。草間が苦い顔をする。そんなことには一つも気付かないのか、理は嬉しそうにえくぼをつくった。
「助かります」
「ちょっと待て、もっとマシなのに当たってみるから」
キッチンから、シュライン・エマと海原・みなも(うなばら・みなも)が姿を現した。シュラインの手元の盆には、六人分のグラスに茶が入っていた。
理は笑顔で草間を見やり、微笑んだ。
「いえ、人数は多いほどいいですから」
言葉に窮した草間の間を埋めるように、道頓堀・一(どうとんぼり・はじめ)が言葉を続ける。
「鬼は集会を開く習性があるんです。ならわしというのでしょうか……。僕達の直面している状況から、その集会で人間を食べている可能性があるのです。そうなってくると、理ちゃんの剣術がどれだけ長けていたとしても、少々分が悪い。……なにせ、僕はケンジューとかケンジュツとか、そういうのはちょっと……苦手でして」
ぽりぽり、と一は短髪の頭をかいた。草間は、その情けない仕草に「そうだろうな」と洩らした。
キッチンで話を聞いていたのか、みなもが小さな声で言った。
「そんなの酷いです」
「え?」
一が呟く。
「鬼だからって一緒ごたにして殺しちゃうなんて、酷いです。いい鬼さんだっている筈でしょう? そりゃあ、人を食べちゃうなんてあんまりだけど……」
「大阪先輩」
理が一を見上げて声を上げた。一は、どうやら大阪と呼ばれているらしい。一は仕方がなさそうに、口許をかすかにゆるめた。
「お嬢さん、自分達も鬼退治をしているつもりはありません。もしも鬼が世間一般で認められていれば、きっと殺人を犯した鬼だって裁判を受けているかもしれない。だが、現在の一般認識ではあり得ないことです。鬼は人間よりも身体能力が優れており、ちょっとしたタイミングで我々の生活を歪めます。
皆が幸せに暮らせるシステムがあればいいのです。それが、ないのです。
刑事の自分達にできる仕事は、犯罪を犯した鬼を捕縛または殺害することです。私達の倫理は今まさに歪み、異人種を迫害している。しかし……だからと言って今の一般市民の生活を犠牲にはできません」
草間は一つ溜め息をついて立ち上がり、リオンを椅子のままどけて黒電話の受話器を取った。
草間という男は、そういった理不尽な人間と幽霊の狭間にいる。だから何度も理不尽だと思ってきたし、今回も思わないこともない。みなもの言う正論は正しいが、なんとなく耳に痛い。それが今の草間の心境だった。
「鬼さんはどうして怒ってるんでしょう」
しぼり出すように言った。シュラインとみなもは草間の座っていたソファーに腰かけている。
「凶暴化の要因を取り除かなければ、事件は解決しないのでは」
冷静なシュラインの声に、理と一が静かにうなずいた。
「鬼は長い年月をかけて、人間社会に溶け込み生きてきました。興奮したときに、額に角が浮き出る以外はほとんど人間と変わりありません」
草間はかけた電話先の反応を聞いて、片手を上げ声をあげた。
「ちょっとタンマ、刑事さん」
「はい?」
「説明を聞きたい連中が何人か来る。何度もそんな話をするのは苦痛だろう。ちょっと待っていてくれないか」
一が「はぁ」と相づちを打つのに対し、理は元気よく笑った。
「了解です」
理は口をつけたジャスミンティーを美味しいと褒め、ガラステーブルへ戻す際に倒してお茶をぶちまけた。
「あらら」
シュラインが慌てて立ち上がって雑巾を持ってくる。
理は右往左往して、おどおどしていた。
そして、布巾と雑巾で辺りを手早く掃除をするシュラインに、理は言った。
「すいません。自分、不器用ですから」
草間興信所にはぞくぞくと人が集まっていたが、ある者は情報を聞くことはせず興信所を出て行き、ある者は刑事達の情報を得ようと留まっていた。
腰まである豊かな黒髪の田中・緋玻(たなか・あけは)が物腰静かに入ってきたと思えば、音を立てることさえせずに黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)が現れたりした。
「情報は必要ないわ。あたしなら、食事の匂いぐらいは感じとれる」
緋玻が少し笑みを浮かべた。笑うところではなかったので、不気味に感じる。
理が驚いて声を荒げた。
「本当でありますか!」
「ええ、同類ですからね」
緋玻が苦笑した。理は嬉しそうに立ち上がり、その拍子にガラステーブルを引っくり返した。
事情を聞いてた冥月は、可笑しそうに笑った。
「私向きの仕事だな、私も行こう。殺していいのか」
草間が苦い顔をする。いいと言っていいものか、悪いもんか考え込む。
理は緋玻について行く様子だった。一は他人事のように理を眺めている。
「そこの、葛城刑事さん」
「はい」
敬礼をしそうなほど、歯切れのいい挨拶が返ってきた。
「鬼よりも冥月に襲われないように」
忠告された理はきょとんと目を丸くしていて、いつのまにか草間の隣に立っている冥月は横からゴス! という音を鳴らして、草間の頭を強打した。
草間興信所には人が集まっていた。
ソファーにかけているのは、扉側を背に座っている連中に向かって右から夢崎・英彦(むざき・ひでひこ)、シュライン・エマ、海原・みなも。逆サイドの英彦の前には占い師のレイシュナ星座を操る梅・黒龍(めい・へいろん)そしてさっきからいるリオン・ベルティーニが座っていた。
草間はいつも通り色々な物が山積みにされている机の椅子にかけている。
話し手の道頓堀・一は所在なさげに立ち上がったまま、紺色の手帳を取り出して話していた。
一応、話が一段落したところだった。
「ポイントは範囲が狭いことだな。A駅周辺の鬼が凶暴化している、ということになる。こんな簡単な状況下で、どうして鬼が見つけられないのか……警察の無能さが窺えるが……」
一見少年に見える容姿の英彦が、つんとすました口調で言い切った。言われた一は、なんとも情けない表情をつくっている。
一はおずおずと続けた。
「目撃証言も取れていますし、その場合犯人の特定は難しくありません。しかし、例えば同じ日に違う鬼が違う人間を襲うケースも出ておりますし、そうなってくると僕達二人の調査ではなかなか結果がでない。……突然の凶暴化についても、まったく線が出て来ないのです。夢崎さんが言った通り、この事件のポイントはA駅です」
首から下げた眼鏡を右手で弄んでいたシュラインが、一をちらりと横目にした。
「大阪さん、被害者に共通点はないのかしら。例えば、匂いとか。あとは、持ち物ね。もしかすると、容姿なんかも入れていいかもしれない」
大阪と呼ばれた一は、まるでそのことに気付かなかったような顔で説明した。
「皆無です。その点では、完全無差別と考えてよいでしょう」
ジャスミンティーに口をつけたレイシュナは、虚空を見つめるようにして、静かにそれでもすぐ耳元で囁いているような、そんな口調で質問した。
「今年に入ってからの凶暴化ということは、鬼に関する祭事や神仏関係の建物が失われた、つまり壊されたことや中止されたことはなかったのでしょうか」
一は口を一度への字に曲げた。
「一応……調べはしたんですよ。でも実際問題、人間の作った鬼関連の建物や祭は、人間が勝手に造り上げた物の場合が多いですから、鬼が怒る謂れはありません。……二つほど、祭の習慣が消えている場所がありますが、東京都内でさえないですから、関係がないと考えてよいでしょう」
黒龍が、両手を組んでその上に顎を載せながら目を細めた。
「意図的なものを感じるな」
「意図的ですか」
一が言おうとしたのを先回りして、みなもが口にしていた。
「鬼を誰かが凶暴化させているんじゃないか、ということだ」
組んだ手を解き、眼鏡を上げながら黒龍はつぶやいた。
一はどういうことかわからないのか、ぽかんとして黒龍を見つめている。しかし、英彦はまったく動じる様子もなく当たり前のように付け足した。
「可能性として考えられることは、A駅周辺になんらかの力、異変があるということ。これは人には作用せず、鬼に作用する。また、A駅周辺の鬼に誰かが凶暴化する何かを与えている。前者後者とも、意図的と言えばそうだろう。前者の説は、環境要因ということも頭に入れておかなければならない。後者は、完璧に誰かが鬼を狂わせたのだ」
容姿からはまるで想像のできない口ぶりだった。生意気を通り越して、いっそ清々しい。
シュラインは細い顎に手を当てて、静かに提案した。
「被害者のデータを。変死現場や今までの加害者の鬼の写真も欲しいわ」
「……わ、わかりました」
すう、とレイシュナが発言する。彼女が話し出すと、不思議な雰囲気が興信所に広がるようだった。
「能力、外見……全てが本当に鬼なのでしょうか。鬼と認知されているだけで、鬼ではない可能性があります。鬼ではないものが生まれた、またはやってきた、そういった仮説も立てられると思います」
一は眉根を寄せてから、手帳をパラパラとめくって難しい声で言った。
「僕達の認知してきた鬼が、鬼でないというのならば別ですが、僕達がここ数年追ってきた者が鬼とするならば、おそらくは鬼の犯行と思われます」
「そうですか……」
レイシュナが、静かに目を閉じる。
一は手帳を胸のポケットへしまい、苦笑をした。
「ちょうど鬼の変死体が上がったところです。実物をお目にかけましょう」
「変死体?」
英彦が訝しげに聞き返した。
「そうなんです。鬼は凶暴化しているだけでなく、大量に死んでもいるんです」
一が説明をしているところへ、片手を上げてシュラインが続ける。
「興奮状態には角が出る、のよね。死んだら人間と同じでしょう? それに、変死体というのはどういうニュアンスなのかしら。鬼だと心臓発作で死んでも変死になるの」
「いえ」
一はしどろもどろになりながら答える。
「老衰なんです。姿形は、老いていたり老いていなかったりと様々ですが、僕達が始末した鬼達を除いて浮かんでくる鬼達の死体は、いつも老衰です」
黒龍がうっすらと笑みを浮かべながら言った。
「そりゃあ、興味深いね」
同意するように英彦がうなずく。シュラインは難しい顔で腕を組んでいた。それぞれがソファーを立ち上がる中、ガラステーブルに水晶玉を置いたレイシュナがじっと水晶の中を睨んでいた。睨むというより、そっと見守るという方が正しい言い方かもしれない。真剣だが、けして押し付けがましくはない。
「粉……ですね」
「こな? おしろいですか」
みなもがハテナを浮かべて天井を見やる。
シュラインが、それに答えた。
「化粧をした女性ばかりが襲われてる……なんてことはないんでしょう?」
「ないですね。例えば電車から降りて、女性の化粧が少しついてしまったとか、そういう可能性はあるかもしれませんが……」
一が頭をかきながら答えた。
英彦がぴしゃりと言った。
「そんなことは問題じゃない。その、おしろいに反応をするとしても、反応をしなくてはならなくなってしまった原因が問題だ」
草間も席から立ち上がった。
「冥月と緋玻が先走っている。もし鬼を全滅させられても困る……誰か、一人行ってくれないか」
「どうやって鬼の場所を?」
黒龍が短く訊いた。
「緋玻は鬼だ。同類の食事ぐらい、簡単に嗅当てられると言っていた」
「ボクが行こう。二人とも、どちらかというと体力派だろうからね」
自分を頭脳派と振り分けてか、黒龍はニヤリと笑った。
会話をずっと聞いていたリオンは、ぼんやりとつぶやいた。
「死体には興味ないしなあ。俺はどうするかなあ……」
そこへレイシュナが言う。
「わたくしが鬼の居所へ案内いたしましょう」
灰色の肌をしたレイシュナがうっすらと紅い瞳を覗かせて微笑んだ。リオンは同じように笑って、
「そっちの方が興味があるね」
軽くそう言った。
興信所の出入り口で、英彦が携帯電話をかけている。彼は何言か述べたあと、一を振り返った。
「桜田門かい?」
「ええ」
「じゃあ、そういうことだ。キミも来い」
英彦が一方的に言って電話を切った。
草間は薄手のジャケットを羽織ながら訊いた。
「誰呼んだんだ?」
「御東間・益零、医者だ」
草間は少し苦い顔をして「あのじじいか」とつぶやいた。
「武彦さんも行くの?」
シュラインがハンドバックを片手に、コンパクトを取り出しながら言った。
草間は苦笑して頭を振り、嬉しそうに笑った。
「残念ながら、俺は別件だ。鬼の変死体なんか見たかないしな……」
全員が立ち上がって興信所から出て行った。
興信所を出たところで、草間に呼ばれてやってきた少女が立っていた。
「あらら、皆さんお揃いだあ」
銀色の髪をざんばらにカットした、紅い瞳を持つ少女だった。鬼丸・鵺(おにまる・ぬえ)という。彼女も不思議な能力を持っている一人だった。
「鬼さん、鬼さん、大変ですね」
草間に対してニッコリと笑う。草間も、なぜかつられて笑った。
「死体を見に行くか、生きた鬼に会いに行くか、どっちがいい」
草間が問うと、鵺はまた頬をほころばせてから
「鵺は、おしゃべりできる鬼さんの方がいいですねえ」
草間はリオンとレイシュナを見やった。
「そういうことだ。鵺も連れて行ってやってくれ」
リオンが一瞬呆気に取られた顔になり、目をつり上げて抗議する。
「こんな小さな女の子、危険な場所には連れて行けませんよ」
「鵺は、ヘーキ。面白いお話聞けるといいなあ」
鵺の言葉にリオンは言葉を失い、草間は苦笑を禁じえずリオンの白衣の肩を叩いて言った。
「まともにやりあえば、お前の負ける類の相手だよ」
リオンはマジマジと鵺を見つめた。鵺は捉えどころのない笑顔で、レイシュナを見上げて目をクルクルさせている。
A駅の改札を出た田中・緋玻は、眉根を寄せた。
黒・冥月はその仕草を見逃さず、小さな声で鋭く訊ねた。
「どうした」
「……食後の匂いよ」
理は目を丸くして、背の高い二人を見上げている。理が小さすぎるのかもしれない。
「また、食べられたのですか」
悔しそうに理がつぶやいた。緋玻の反応は淡白で、「そのようね」と短く答えた。
「行儀の悪い同類が迷惑をかけたわね」
緋玻は理の頭をくしゃりと撫でてから、ゆっくりと歩き出した。
そこへ理に電話がかかってくる。
着信の表示は大阪と書いてあった。
「もしもし」
駅の北口の中で立ち止まった理は、携帯電話の音に神経を集中させた。
「すいません、緋玻さん、冥月さん」
電話を終えて理が突然謝った。
「なんだ」
冥月が怪訝な顔になって訊き返す。
「一人、興信所から人がこっちに向かっているようなので、ちょっとだけここで待っていただけますでしょうか」
緋玻と冥月は目を合わせた。
そして当然のように、同じことを言った。
「戦力として、必要があるとは思えないが」
「……えーと、自分もそうは思うのですが。一応。向かっているとのことなので」
A駅と草間興信所は急行で三駅しか違わない。理が事件の概要を二人に説明している間に、梅・黒龍がA駅に到着した。
黒龍はあちらこちらを注意深く見回している。黒龍は小柄で、理よりも少し大きいぐらいだった。もちろん、他の二人に比べると低い。
「……鬼の場所は」
黒龍は開口一番にそう言った。三人は目を合わせて、冥月は少しだけ首をかしげた。
「わかっているわ、あなたが来る前からね」
「悪いとは思ってない。行こう」
北口付近にはティッシュや化粧品のサンプル、ガムや生理用品のサンプルを配っていた。アンケートを願ってくる者も多い。三人は威圧的な態度でそれらを無視しながら、緋玻の指示する方角へ歩を進めて行った。
寂れた商店街のアーケードを抜けて、郵便局を右折する。しばらく小道を歩いた先のアパートの前で、緋玻は立ち止まった。
「ここね」
二階の一室の前に、四人で立つ。冥月が自分の任せるように目で合図をする。彼女はヘアピンで鍵を開けるのではなく、思い切り足を振り上げてドアを蹴破った。
ダウン! と音がして扉が開かれる。中へ入ると、なにかの塊とそれを眺めている額に角の突き出た男が座っていた。男は四人を振り返った。
途端だった。飛び出した緋玻が喉元に手を差し入れ、人であったであろう塊を飛び越え、鬼を壁に叩きつけた。次に冥月が音を立てずに影を近寄らせ、その男をがんじがらめにするように、壁に縫いつける。
「……ぐふ」
口の周りを真っ赤に染めた鬼が、喉を鳴らした。
理は死体に近付き、一瞬だけ顔を歪めた。ちょうど二つ目の目玉を取り出されており、両方の眼窩がくっきりと浮かび上がっている。
死んでいないわけがない。
理はきっと鬼を睨んで立ち上がった。
「さっさと言いなさい、あなたの目的はなんなの」
鬼の首元から手を離した緋玻が冷たく言う。
「暴れるなら、全身の骨を折るぞ」
他人事のような口調で冥月がかすかに笑った。
しかし、鬼の様子は変わらない。ただ、苦しそうに身を悶えさせ、そしてしばらくして静かになった。
「殺ったのか」
緋玻が意外そうに冥月へ言った。
冥月は、首を横に振る。理はきゅっと唇を噛みしめた。
玄関先に立っていた黒龍が、顔をしかめながら土足で部屋の中へ入ってきた。
「誰も殺していないのに死ぬ、ほぼ不老であろう鬼が死ぬ」
「……? なんだ」
冥月が短く問うた。
「鬼が変死体となる事件が多発している。つまり、ボク等は変死の現場に居合わせたわけだ」
理がうわの空でうなずいた。
「そういえば、そうですね。変死が多いのも事実です」
緋玻は鬼に近付いて、そっと首に手を当てた。それからかぶりを振る。
「確かに、死んでいる」
黒龍はそんなこともわからないのか、そんな顔色で三人を見渡した。
「貴様等は外へ出てろ。ボクが、原因を見つける」
緋玻と冥月と理は、眉を寄せて視線を交わらせた。
レイシュナが水晶を睨んでいる横で、鵺は面を取り出して顔に被せた。
「南北暗い部屋太陽の昇らぬ部屋鬼……」
鵺がひどく低い声で言ったので、リオンは目を丸くして鵺を見つめていた。鵺はすぐに面を鞄にしまい、レイシュナが二人を導いて歩き出した。
「確かに、南北の方角になります。わたくしの見た絵では、鬼という者は暗い部屋に閉じこもっています。太陽の昇らぬ部屋という表現は適切かもしれません。リオンさん、鬼に遭遇したらどうしましょうか」
振られて、リオンは難しい顔で頭をかいた。実際、考えていなかったからだ。問答無用で撃ち殺すわけにはいかない雰囲気である。そもそも、レイシュナは人間なのだろうか。
黒いたっぷりとしたコートを羽織り、右手と左手に長く黒い手袋をした灰色の肌のレイシュナは、確かに美人ではあったが得体が知れなかった。
そんなリオンの心情を見越してか、目を伏せたままレイシュナは囁いた。
「わたくしは識る者。恐れる対象ではありません」
「あ……そうなの」
「レイシュナ怖くないよ、鵺」
鵺はそう言ってたっとレイシュナの前に駆け出した。レイシュナが笑顔を作り、鵺の頭を撫でる。
「おじさんも怖くないよ、鵺」
鵺は邪気なくクスクス笑う。おじさんと言われたショックもそこそこに、リオンも同じように笑ってみせた。
そうしているうちに、両隣を高いマンションに囲われた小さなコンビニを見つけた。二階には人が住んでいるらしい。外階段から二階へ上がるも、古びた部屋の鍵はきっちりとしまっている。リオンはポケットから針金を取り出して、器用に部屋のドアを開けた。
「ああ」
レイシュナがうめく。
ドアを開ける前だったので、二人ともレイシュナに注目していた。
「死んでいます。その鬼はもう、力尽きて……」
レイシュナの切実な声に、リオンは乱暴にドアを開けた。中には、自分の身体を大きな柱に紐でくくりつけた鬼が、ぐったりと力尽きていた。
「……誰かに?」
やられたのか? そう鵺とレイシュナを振り返る。鵺は面を取り出し、さっきと同じ面を被った。
「欲は制すもの、汝制するもの」
「凶暴化した鬼であるのは間違いがないようです。ですが、強靭な精神力の持ち主だったのでしょう。わたくしの見たところでは、……おそらく、人を喰うことを望まぬばかりにこの姿になり、そして例の老衰をするという変死体になったのだと、出ています」
リオンはきつく巻いたロープを解いてやり、その場に寝かせた。
白衣のポケットに手を突っ込みながら、やり切れなさそうにつぶやく。
「いい鬼もいるんだなあ。ここまでして我慢してたんだもんなあ」
「鵺鬼さんとお話したかったなあ」
鵺が心底残念そうに口をすぼめたので、リオンは気休めのつもりはなく言った。
「会えるぜ。色んな鬼にな」
レイシュナは水晶をじっと見つめながら、少し切なそうに嘆息した。
警察地下にある特別に作られた霊安室の中に、額から鬼のように角の突き出た人間が横たわっていた。
管理人は胡散臭そうに一行を眺めると、わからないという顔をしながらも、霊安室のドアの鍵を開けてくれた。
「守秘義務、絶対に他言無用だ」
言い残して、管理人は去って行った。
ぷん、とホルマリンの香りが鼻につく。
苦しんだ顔つきだった。目は辛うじて閉じているものの、何かから逃れようとしているのには違いないだろう。死だろうか、それとも殺人者が他にいるのだろうか。
「……怖いです」
ここまでついて来ると言い張ったみなもは、目を逸らしている。みなもの肩をシュラインが抱いていた。少し、震えているようだった。
英彦は死体に触らぬよう顔を近付けた。反対側に立っている御東間・益零(みあずま・えきれい)がめんどくさそうな顔をしている。
「解剖結果は」
「……なにも出ません」
一が申し訳なさそうに言った瞬間だった。鬼はどういうわけか起き上がり、英彦の首に噛みつこうとした。そうして身体をもたげた鬼に、益零は手に持っていたステッキを首へ引っ掛け、引き寄せるように力をかけた。鬼は抗ったが、杖に首を取られそして、下へ叩き伏せられてしまったので、また、ぐふうと喉を鳴らした。
「生きているならちょうどいい、話がある」
英彦は淡々と言った。しかし、鬼に反応はない。
益零を見上げて、英彦がちっと小さく舌打ちをした。
「殺すんじゃない」
「ワシ殺しとらんぞ。こいつぁ、最初から死んでたんだ」
英彦は片眉を上げ、興味がなさそうに鬼へ視線を戻した。
シュラインは恐々と角に手を伸ばし、触れてみた。角というだけあって、固い形状のものだった。開きっぱなしの瞳を見て、思わず眉をひそめた。
「益零さん、ちょっと目閉じさせて」
一応医者である益零に言うと、彼は「なんでワシが」とぐちぐち言いながらも、鬼のむいた両目に瞼を被せてやった。
「なんにしろ、鬼はしぶといからの。死体が生き返って人を襲うぐらいわけないだろうなあ」
シュラインが眉間にシワを寄せる。
「そうなの?」
「頭取られたわけでもなきゃ、なかなか死なん。こ奴等が大量に変死となると、ワシはやっぱり薬説取るかのお」
「薬だなんて」
みなもが悲しそうにつぶやく。
シュラインは慰めるようにみなもの肩を抱いたまま言った。
「そう決まったわけじゃないわ」
「そうとしか思えないな」
間の悪い一言を、英彦はなんの気もなく言い放った。
蒼王・翼(そうおう・つばさ)はフェラーリを飛ばしている。隣に緑皇・黎(りょくおう・れい)が座っていた。後部座席には、桜田門で拾ったみなもが乗っている。この後、CASLL・TO(キャスル・テイオウ)と合流する予定だった。有楽町の複雑な車線を慣れた調子で行きすぎ、駅前に立っている男を発見する。子犬と一緒だった。
「草間さんの?」
停まった車に近付いてきて、男は言った。翼はボタンを押して窓を開けると、うなずいてみせた。
そしてCASLLが車に乗り込み四人になった。
そうなってから、みなもは聞かされてきた説明をうまくまとめながら三人に伝えた。翼はなにも言わず、黎とCASLLがうまく合いの手を入れてくれる。
「お嬢ちゃん、鬼の死体までみたのですか……怖い目に遭いましたね」
そういうCASLLの外見は恐ろしいほど怖い。右目の黒い眼帯が印象的で、顔はけして悪くはないが、生まれながらの悪役なのか思わず全員が言葉を失うような人物だった。
みなもも本当は泣きそうな気持ちだった。
それでもフェラーリは走っている。
「……CASLLさん……その、怖いです」
CASLLは目を大きく瞬かせ、顔を青ざめさせた。
「怖い、鬼がです、よね」
「え……」みなもは流石に本人に直接述べるのは酷いことだと思い直し「そ、そうです」と誤魔化した。
「ですよね、鬼見ちゃったら怖くなっちゃいます」
ふうむう、と真面目な顔でCASLLは言った。その横顔もなぜか極悪非道に見えた。
「解決するには、大元を取り締まらなくちゃならないな」
運転をしてる翼が言った。
黎がそれを受けて答える。
「どうするんです?」
「風はよくわからないの一点張りだからな……。公園を当たって、鬼の線を追うっていうのはどうだ」
黎はこくりとうなずいた。
「公園の木々からの情報調査ですね」
「そういうことだ」
「占い師は粉とか言っていたな……キナ臭い匂いがする」
翼がハンドルを切る。
「A駅を探った方が直接的ではあると思います」
黎が言い、みなもはぼんやりと考えながら口を挟んだ。
「A駅からどんなものが出るのでしょう。水のみ場のお水に薬が入っていたとか、鬼が興奮する匂いをばらまいたとか? でしょうか」
CASLLはひええと声を上げた。
黎がつぶやくように答える。
「そういう可能性もあります。あとは……セールス系かアンケートかな。一度連れて行かれて、凶暴化の注射を一本打たれる。これが、元々粉状のものだったとすれば、占い師レイシュナの占いはドンピシャですね」
後部座席の後ろの二人は目を合わせ、薄ら怖い薬の推測に背筋を凍らせていた。
キイイイ! アスファルトとタイヤの擦れる音が響いた。全員が前のめりになる。
フロントガラスの先には、女を咥えた鬼が走り去ろうとしている。
「黎」
翼は相方の名を呼んで、ドアから飛び出した。鬼の去った方向へ手をかざし、魅了の能力を使うことにする。しかし、鬼は従わない。
鬼は、精神が壊滅状態なのだ。
同じく逆のドアから外へ出た黎が、植物を操り鬼の足にツタを絡まらせた。ツタはどんどんと鬼の身体を侵食していく。咥えていた女性はその場に倒れ、鬼はジタバタと足を動かしていた。続いて、みなもとCASLLが車から出た。子犬がぴょんと足元へ飛び降り、鬼に向かってけたたましく吼えていた。
「無事か」
翼が短く叫んだ。けれど、女性はぴくりともしない。全員がその女性の元へ駆け寄ったが、もう事切れていた。
「……そんな」
みなもが目を涙ぐませる。
「なんてこと」
同じくCASLLも目を涙ぐませていた。
「救急車を呼ぶべきか? それより先に、例の刑事に来てもらった方がよさそうだな」
「そうですね」
翼が冷淡に物事を進ませていく。黎はその言葉に静かに同意した。
桜田門からちょっと歩いたファミリーレストランにて、シュラインと益零と英彦、そして一が座っていた。
「物事は早急に運ばなくては。事実、被害者が増え続けているわけだしな」
英彦がコーヒーを一口運んでから言った。増えた被害者とは、田中・緋玻や黒・冥月、梅・黒龍と理の向かった先に落ちていたもう物体と化してしまっている死体の話だろう。たぶん、死んでしまった鬼も被害者に数えられている。一に連絡を入れてきたリオン達も、鬼の死体に遭遇していた。
「死んでるのは鬼ばかりだなあ」
一がなんとも言えない声でつぶやいた。聞いたシュラインが厳しく
「人ならよかったわけじゃないわ」
そう言った。一は頭をかいて「そういうつもりじゃないんです」と申し訳なさそうに苦笑した。
誰もメニューを開いていないというのに、益零がファミレスのボタンを押してウェートレスを呼びつける。
彼はメニューを見ずに、勝手知ったる我が家というノリで次から次へと食事を注文し始めた。他のメンバーは呆気に取られて益零を見つめていた。
「ワシぁ、ファミレス通でのー」
悠長にからから笑う。頭が痛そうにエマが額を抑えた。
そうしている間に、緋玻や冥月に黒龍と理が店に入ってきた。すぐに鵺とレイシュナ、リオンがドアのベルを鳴らして入ってくる。
全員が遭ったことを口々に話す中、海原・みなもとCASLL・TO、草間・武彦が現れた。。
「武彦さん」
言ったシュラインの隣のソファー席に草間は納まった。
新たな客の出現に、店員が慌てて席をくっつける。
それからたっぷりと間を取ってから、少し苦い顔で語りだした。
「俺の方の依頼は、夜中に騒いでいる公園の連中をなんとかしてほしい。そういうものだった」
「ほう」
益零が相づちを打つ。
「顔は面で隠したりしているようだが、暗闇の中に額から突き出た角が」
「目撃されたのか」
リオンが煙草をくわえながら言った。草間もつられて煙草をポケットから取り出した。
「まさしく、どんぴしゃだ。鬼の集会の一つというわけだ」
「それで?」
英彦がそれだけの情報じゃあるまい、と先を促す。
「そういった話が他にないか聞き込んだ。A駅の半径一キロから三キロの間に存在する公園は十二個。該当する公園は四つ。決まって金曜日の晩の夜十二時過ぎかららしい。目撃者を襲うことはない。祭のように騒ぎ出したのは最近で、昔はただ人が集まって談笑している程度だったと聞いている」
草間の話が切れると、黒龍が語り出した。
「ボク達の捕まえた鬼から出たA駅関連の物は、おそらくA駅で貰ったと仮定できるポケットティッシュがいくつかと、試供品で配られていたガムだ」
「……ガムか」
英彦がニヤリと笑った。
益零は料理が届かないので、そわそわと後ろを振り返っている。
冥月はぼそりと言った。
「悲惨だな」
緋玻も静かに声を押し殺したような口調で言った。
「誰が……そんなことを……」
「さあね」
さっぱりと黒龍は言い切った。
「ガムの線から追って首謀者を見つけ出すのは俺が請け負おう。当日、それぞれ今日の組で草間の調べてきた公園に張っているしかない。たとえば、その凶暴化を押さえるワクチン的なものが見つかれば、全員殺さなくてもすむだろうしな」
英彦が水を一口飲んだ。
料理が来ていないのに緋玻は立ち上がった。
「不愉快な事件だわ。首謀者とやらが見つかったら教えてね」
レイシュナが瞳を閉じたまま訊いた。
「どうするおつもりですか」
「喰ってやるわ。ヘドが出るほどマズイでしょうけど」
そう言って緋玻はカツカツと靴を鳴らしてファミリーレストランを出て行った。
「あの――」
みなもが口を開いた。
「全然お話できない鬼さんを捕まえたんですけど、どうしましょう」
「心神喪失ってやつか」
「ええ。黎さんのお力で、動けないので興信所に置いてきました」
CASLLは注文をしようとして手を上げた。すると、来たウェートレスは完璧に固まってしまい、盆を落としCASLLに向かって両手を上げてみせた。
「お、お金なら出します。ここは穏便に……」
どうやらCASLLは強盗に間違われているらしい。実際それぐらい人相が悪いのだから、気の毒だが仕方のないことだ。
「いえ、いえいえお金はいりません。コーヒーを……」
「は、はい、ただいま」
益零が口をすぼめて言う。
「ここはドリンクサービスなんじゃがのぉ」
「あまりの怖さに汲みに行ったんだな」
黒龍はCASLLが傷つく言葉を、ずけずけと言い切った。
その週の金曜の夜。それぞれは、それぞれの場所で待機していた。
シュラインは全員分、柊を持ってきていて、お守り代わりにと全員に配った。善意が通じたのか、英彦も「ありがとう」と礼を言ったぐらいだ。
草間とシュラインと益零そして英彦は、公園の茂みに身を隠していた。そうしているうちに、ぽつんぽつんと人が集まり始め、そして何人かは人を引きずって来ているようだった。
「……食い物か」
草間がつぶやく。益零はそんな草間に、ポケットからタマゴを取り出して草間に渡した。
受け取った草間は、一瞬意味を汲み取れずじっとタマゴを眺めていた。
どうでもいいことだが、草間・武彦という男は、ハードボイルド以外のタマゴは断固として食べない主義だった。
一応剥いてみると、やはり益零のやることだ。半熟だった。
怒りを抑えよう抑えようと思えば思うほど、この緊急事態に半熟タマゴを手渡してきた益零が非常に憎く思えてきた。
草間は突然立ち上がって、その茹でタマゴを益零へ投げつけた。
「この、クソジジイ」
シュラインが頭を抱えている。
「あーあ……見つかっちゃった……」
「益零お前今のわざとだろ」
英彦も嘆息をする。
ざわり、と鬼達が草間達に視線を向けた。円を組んだ真ん中に座らされている男女二人は、救世主が現れたように目を一瞬輝かせた。
「お前のせいで見つかったじゃないか」
益零は我関せずだった。
草間は鬼の集団にびびっているので、益零に反応している場合ではない。シュラインの前に立つようにして、へっぴり腰だった。
「しょーがないのお」
益零がずずずと茂みから抜け出した。そして、緑色のコートの中へ手を突っ込むと、指の間にタマゴを挟んで出した。えいや! と鬼に向かって投げつける。それはどうやら生タマゴらしく、狙っているのか鬼の目の辺りに当たるので、鬼達は目潰しをくらった状態になっていた。
駆けるというより、移動する、そんな速度で益零は鬼の一人のコメカミ部分を肘で突いた。鬼はそのまま地面へ落ちる。次に向かってきた鬼へステッキを振って打撃をし、逆方向から近付いてきた足を薙いだ。
益零の素早さに呆気に取られていると、鬼が三人草間達の前に現れた。
草間は捨て身で二人に掴みかかった。顎を思い切り殴っているというのに、鬼は倒れる気配がない。隣の鬼の脇腹を思い切り蹴ってみたが、効かなかった。
絶対絶命だ。
「エマ、逃げろ」
自分が撤退するわけにはいかない。草間は思い、今度は拳で鬼の目を突いた。同じ瞬間に鳩尾を殴られ、後ろへ飛びながら、肩を上下させ息を整える。
もう目の前に鬼は一人しかいない。シュラインが逃げた気配もない。英彦は?
がむしゃらに突進して行って、あちこち殴られるのを感じながら顔だけを狙った。そうしているうちに、さすがの鬼も目が霞んだのか、鬼の勢いは失せた。
これでも草間の喧嘩術は相当なものの筈だった。
草間はこれでもかというほど、膝で肘で拳で鬼を殴った後、倒れた鬼にようやくシュラインと英彦を振り返った。
英彦の肩に血が滲んでいる。
英彦の能力は……たしか、その血に触れたものを歪曲できることだった。
二匹の鬼が「うぎゃぁ」という悲鳴を上げて、メリメリと身体をあらぬ方向へ曲げられる。マネキン人形でもこんなポーズは取れないだろう。鬼は胴体が百八十度回転させられ、腕を身体に巻きつけ、そしてブクブクと泡を吹いて白目を剥いていた。
「俺を喰えると思ったか、低脳が」
ふん、と英彦が言ったところへ、素手で鬼をボコボコにしてきた益零が目をぱちくりさせながら戻って来た。
「すまんのー、そっちまで手が回らんで」
「まったくだ。計算外だ」
シュラインがよろりと立ち上がる。そして、指を差した。
「見て、逃げて行く奴がいるわ」
咄嗟に、全員が追いかけていた。
その鬼が入って行った場所は、簡素なプレハブ小屋だった。
問答無用でドアを蹴破る。草間も英彦も少し苦しそうな表情を浮かべていた。だから、益零がおりゃ、と黒いズボンを履いた足で小屋のドアを壊した。
中には気の弱そうな、額に角をつけた男がいた。益零達を見て、腰を浮かせ後退る。
中は棚になにやら怪しげな薬品や生物のホルマリン漬けが置いてあった。鬼は奥まで追い詰められ、机の上を手で探る。鬼は何かの粉の入った瓶を見つけ、それを手に取った。
「鬼の凶暴化は、お前のせいか」
英彦がジロリと睨んだ。
鬼はニヤリと笑った。
「本来の姿に戻しただけだ」
「変死の理由は」
「今の鬼は脆弱だからね。本来の機能に耐えられないのさ」
そう言って鬼は手に持った粉を口に流し込んだ。
誰も何も言わなかった。鬼は目つきがランランと輝き、そして筋肉が隆々としていた。それからすぐに、鬼は一歩草間達に近付いた。そして二歩目、歩み出した途端首に手を当ててもがき始めた。鬼は倒れ、そして床に痕をつけるほどの力で苦しみながら、小さくなりそして動かなくなった。
「あんたも、脆弱な鬼だったわけね」
シュラインが口を曲げて呟く。
「つまらんのぉ」
益零だけが、面白くなさそうに両手を頭の後ろで組んでいた。
――エピローグ
粉は残っていたので、薬学マニアのリオンと天才としか言いようのない英彦の手によって、狂った鬼を元に戻すワクチンが制作された。もちろん、非公式にであった。
翼達が捕らえてきた鬼で実験を行い、鬼は通常の状態に戻った。
それを知った多くの関係者は、悲しそうにこう言った。
「もう少し早く、その方法が解明できていたら」
凶暴化した鬼に注射をするなど無理難題だが、救いがないわけではないのだ。
ただ同族の緋玻だけは、ワクチンができたことを喜ぶでもなく、そして鬼について嘆くでもなく、小さな声で一言言った。
「時代が人を作るように、鬼も時代に作られているのよね」
その通りかもしれない。
草間・武彦は、苦いコーヒーを噛み締めるように飲んで、胸に残るしこりを取り除こうとしていた。
――end
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0555/夢崎・英彦(むざき・ひでひこ)/男性/16/探究者】
【1252/海原・みなも(うみばら・みなも)/女性/13/中学生】
【2240/田中・緋玻(たなか・あけは)/女性/900/翻訳家】
【2414/鬼丸・鵺(おにまる・ぬえ)/女性/13/中学生】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女性/20/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【2863/蒼王・翼(そうおう・つばさ)/女性/16/F1レーサー兼闇の狩人】
【2952/御東間・益零(ミアズマ・エキレイ)/男性/69/自称フリーター(開業医)】
【3026/緑皇・黎(りょくおう・れい)/男性/21/オペラ歌手兼私立探偵】
【3453/CASLL・TO(キャスル・テイオウ)/男性/36/悪役俳優】
【3359/リオン・ベルティーニ/男性/24/喫茶店店主兼国連配下暗殺者】
【3370/レイシュナ・−/女性/666/占い師】
【3506/梅・黒龍(めい・へいろん)/15/男性/中学生】
【NPC/葛城・理(かつらぎ・まこと)/女性/23/警視庁一課特務係】
【NPC/道頓堀・一(どうとんぼり・はじめ)/男性/26/警視庁一課特務係】
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■ ライター通信 ■
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「忘れられた影、鬼の棲む街」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
今回は怒涛の大人数で、書ききれていない多くのことがあるような気がします。もし、イメージとそぐわない作品であったら申し訳ありません。
ともかく、全力で書かせていただきました。
少しでもお気に召していただければ、幸いです。
では、次にお会いできることを願っております。
ご意見、ご感想お気軽にお寄せ下さい。
文ふやか
※今回は個別通信を書く余裕がなかったので、割愛させていただきます。
※理はPC登録しております。相互等よろしければ、お願いします。
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