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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


暗黒のファラオ【ゲブの書】

「ミイラ……ですかぁ……」
 三下忠雄は気味悪そうに呟いた。
「そう。何千年もの時を越えて、砂漠にうずもれていた遺跡から発掘されたんだ。これをロマンと呼ばずして何と呼ぼう。キミにわかるかな、三下忠雄クン?」
「はぁ……」
 気の抜けたような返事をする三下と対照的に、彼に相対した男は興奮を隠せないようだった。雑然とした編集部の中で、男の奇矯ないでたちと振るまいはいやがうえにも目立つ。三下は彼とは初対面だったが、麗香に(編集長は、その男と先日の温泉旅行で知り合ったらしかった)引き合わされたことを、すでに恨みたい気持ちになっていた。渡された資料のコピーと、男の名刺、そして彼の胸元に咲いた真っ赤な薔薇とを順番に身比べる。

  神聖都学園大学 文学部史学科
  教授 河南創士郎

「それで、その……新しく発掘されたミイラが、帝都博物館に展示されているんですか?」
「いや。展示ではなくて学術調査のために持ち込まれたので、一般公開はされていない。……だからだよ。取材なら、応じてくれるかもしれないだろう?」
 要するに河南は、そのミイラが見たいがために編集部をダシにしようとしているのである。
「三下クン、これは極秘情報なんだけどね」
 悪戯めいた笑みを浮かべつつ、河南は声をひそめた。
「このミイラは、あのネフレン=カーのミイラじゃないか、っていう説があるものなんだ。もしそうならこれは考古学上のみならずオカルト的にも大発見だよ」
「ネフレ……何です?」
「なに! オカルト雑誌の編集者のくせに知らないの!?」
 河南はおおげさに驚いてみせ、さきほど、手渡した資料を指さした。

【ネフレン=カー】(生没年不詳)
古代エジプトの王と言われるも、二、三の史料に散文的にあらわれる記述を残すのみで、詳細は不明。そのため、伝説上の、実在しない人物とされている。異端の神々を信仰したがゆえに追放され、生きながらにして埋葬された後、歴史書からその名を抹消されたとする説がある。冒涜的な儀式や、暴虐なふるまいを多数為したと伝えられ、ゆえに『暗黒のファラオ』とも称されている。

「……なんか、厭な感じの話ですね……」
「もうひとつ面白いこと教えようか」
 追い討ちをかけるように、河南は告げる。
「問題のミイラが持ち込まれてから、博物館の警備員が何名か行方不明になっているそうだよ」

■好事家たち

 その日、帝都博物館を訪れたのは実に奇妙な面々であった。
「取材……ですか」
 学芸員は、三下の差し出した白王社の名刺、河南の神聖都学園大学の名刺を見ても、困惑を隠さず、一同をじろじろと眺めるのだった。
 半数はそれなりにまともそうにに見えた。三下と、仕立てのいいスーツ姿のモーリス・ラジアル(この青年は医師だと名乗った)、フォーマルではないがこざっぱりとした格好の都築秋成(しかし彼は、立場については口を濁した)、そして、藤井雄一郎という壮年の男(自営業だと言った)――しかし、言い方を変えれば、不審でないのはその4人だけと言ってよかった。
 胸に紅い薔薇を挿した金髪の河南(これで教授?)に、その傍らでは、ウラ・フレンツヒェンという少女は、アンティークドールめいたフリルのいっぱいついた黒いドレスに身をつつんで、あやしげな微笑を絶やしていないし、同じく、にこにこしてはいるが、海原みそのという少女のほうは、どういうわけか、黒い生地の、多分に扇情的な踊子のような格好なのだ。それと、桐生アンリなる最後の男は、これから秘境探検にでもゆくのかというスタイルに、腰には鞭をたずさえていた。
 しかし、この、あの有名な映画に出てくる考古学者風の男もまた大学教授であるらしく、出された名刺は偽物ではなさそうだった。加えて、学芸員は彼の名前に聞き覚えもあったようだ。最近の大学教授というのはこういうものなのだろうか――首を傾げながらも、館長にとりついでくれる旨を残し、とりあえず応接室にまでは通してくれたのである。ただ、館長は今、手が離せないので、すこし待ってもらわねばならないこと、そのあいだ、暇つぶしに一般展示のほうは自由に観て構わないことなどが告げられた。

 三下は、ため息をつく。
 またもや厄介なことに巻き込まれた――そんな思いが、彼の脳裏に渦を巻いている。
 河南の話を聞いて、三下がまず助けをもとめたのは、桐生教授であった。
「ほう。面白い。考古学は専門ではないけれど、興味あるね。ぜひ、同行させてくれないか」
 アンリは文化人類学が専門だ。三下にしてみれば、考古学と文化人類学と民俗学がどう違うのかまったくわからなかったが、彼が電話で快諾してくれたので、かなり安堵した。……が、こんなコスプレまがいの格好で来るとは思わなかったのだ。
 ついでに、よく世話になっている女性に電話をしてみたが、彼女は都合がつかなかった。かわりに、その電話を切ってしばらくして、「ごめん、三下くん。……うっかり、父親に話したらやけに乗り気になっちゃって……」と連絡があり、藤井雄一郎がやって来た。これには驚いたが、彼はそれなりに頼りになりそうであった。
 加えて、編集部にたまたま訪れていた都築秋成とモーリス・ラジアル、海原みそのが協力してくれることになった。かれらは信頼のおける調査員であったから、三下は心強さが増したが、みそのの、ベリーダンサーにしか見えない衣裳については質問する勇気が持てなかった(あとで、屈託なくモーリスと会話しているのを漏れ聞いたところでは、彼女の妹が先日、草間興信所の仕事でトルコ(!)に行ったお土産なのだそうである)。
 そして、いざ、と編集部のドアを開けたとき――、そこに立っていたのが、ウラ・フレンツヒェンというあやしい少女であった。彼女は河南を街でみかけるや、その派手な格好に惹かれ、後をつけてきたのだという。スカートの裾をつまみあげて挨拶すると、小悪魔めいた微笑みを、彼女は浮かべた。

「ミイラ、ミイラ、ミイラ!」
 さて、感極まったように、うっとりとした声をあげたのがウラ・フレンツヒェンである。
「それは永遠をもとめる執念の干物! ――ああ、楽しみ。ね、教授?」
 そして、きしし、と、ひきつれたような忍び笑いを漏らすのだった。
「そうだねえ。まして『暗黒のファラオ』のそれとは、いやがうえにも興味が増すね」
 目を細めて、河南は頷く。この少女のことを、なぜかしら河南はずいぶん気に入ったようである。
「まだその――、ネフなんとかのミイラと決まったわけではないんだろう?」
 雄一郎が、うさんくさげなまなざしで、河南を見た。
「ええ。それを確かめにきたんですよ」
「教授はなにか確証をお持ちなんですか。おうかがいしたいですね」
 モーリスが問うた。
「まあ、それなりには」
「まさか、それと警備員の行方不明が関係してるんじゃないでしょうねええ。嫌ですよ、そんなの」
 青い顔で、三下が悲鳴じみた声を出す。
「映画なら、夜な夜なミイラが警備員を襲って……というところかな」
 アンリの気の利いた(?)一言が三下をうちのめした。くすくす、と、モーリスがそれを面白がるように眺める。
「ミイラの呪い――」
 ぼそり、と、秋成の発した言葉は、水面に投じられた一石だった。皆の視線が彼に集中する。
「……いえ。そのような事情のある死者であるなら、そんなこともあるかと思ったまでです。他意はありません」
 そうはいったが、三下は完全に度を失ってしまったようだ。
 再び沈黙した秋成のとなりで、みそのが、あいかわらずにこにこと微笑んでいる。
「まだ、かかりそうだね。……館内を見学させてもらうかい?」
 アンリの言葉に反対するものはなかった。

■闇の訪れ

 おりしも、展示にかかっているのは「古代エジプト展」――。
 一行は三々五々、館内を歩き回っている。
 河南は、ウラと、どちらからともなく腕を組み、アンリと話しながら、砂漠の遺跡から出土した品々のあいだを歩いていた。
「ちょっと調べてみたのだけど、あのミイラ、W大学の発掘隊が掘り当てたそうだね。なんでも、急にスポンサーが決まったとかで」
 と、アンリ。
「この時代に甦るべくして甦ったというわけなのでしょう」
「W大の学者たちのことは私も知っている。かれらは信用できるとしても……、どうも、ね――。発掘もずいぶん急がされたそうだし……」
 どこかの墳墓の壁からとられた、壁画のレプリカの前で、かれらは立ち止まった。
 古代エジプトの人々は、死の世界への関心が深かった。人は死ぬとどうなるかが、図式と、神聖文字とで、克明に描かれている。人を横顔で描く、特有のタッチで、死者が神々にみちびかれて、冥界を歩くさまが、そこにはあらわされていた。
「さっき、お話が途中でしたけれど」
 近付いてきたのはモーリスだ。
「件のミイラが当のファラオだとする理由は何です?」
「発掘の状況が、伝説と合致するからですよ」
 河南は言った。
「暗黒のファラオ・ネフレン=カーは、生きながらにして石棺に閉じ込められ、墳墓の奥深く、密閉された部屋に置き去りにされたといいます。かれが著した邪悪な書物や、かれに仕えた4人の従者たちも同時に墳墓に閉じ込められ、建物そのものも砂に埋められたといいます」
「……よっぽどのことをしたのねェ」
 ふいに、ウラが言った。妙に嬉しそうな顔だった。
「いったい何をしたっていうの、そのファラオっていうのは」
「悪しき神々を信仰して、その力を得ようとしたといいますね。たくさんの、生贄をささげたとか」
「でも……所詮は人間なのでしょう? ミイラになるくらいなのですから」
 さらりと、モーリスは言ってのけた。
「いったいどんな人物だったのか――、興味ありますね」
 うっすらと微笑む。緑の瞳が深遠に輝く。
「私も。ああ、はやくご対面したいわ!」
 ウラが同調した。それは河南もアンリも同様のようだった。

 対して、あまり気乗りしていないのが、三下である。
「ところで、警備員の行方不明事件のほうだが」
 紀元前に彩色されたという大きな瓶の前で、雄一郎が口を切った。
「あああ、思い出させないで下さいよぉおおお」
「ふん。消えた日時や場所の情報はないのか?」
「い、一応、調べてあるんですけどね……編集長がそっちの話も記事になりそうだっていうから」
「なにか、法則性などがあるとか?」
「そういうわけじゃないようですけど……、四人の人がいなくなってますね。共通点は全員、男の人だというくらいで。でも、警備員というのは、だいたい男の人ですし」
「ふむ」
 雄一郎は腕を組んで考え込んだ。そして、周囲に視線をめぐらせる。
「ここに精霊でもいれば……」
 じゃら、と、音がしたのは、秋成が腕に巻いた象牙の数珠が立てたのだ。
「やはりそのミイラと、対峙してみればわかるのでは」
 彼の口調はどこまでも穏やかで、沈着冷静だった。
「それはそうと、みそのさん」
 そして、ふいに、黒衣の少女に水を向ける。
「そのお荷物は一体?」
 みそのは、一抱えもある発泡スチロールのケースをひきずっていたのだった。いったい、いつのまに……、と、三下と雄一郎は顔を見合わせた。
「お土産ですわ」
 こともなげに、みそのは応えた。
「聞けばそのカー様はたいそう高貴な身分のお方。礼を欠いてはいけませんもの。初鰹をお持ちしました」
「え……っと――、つまり、ミイラのファラオに鰹のお供えを……?」
「お供えではなく、お土産です」
「…………」
 それでは、その重そうなケースの中には氷とともに鰹がまるごと一尾入っているのか……。かれらは二の句が告げずにいた。
「エジプトの方が……鰹はどうでしょうか……」
「そう、それが、わたくしもいささか心配だったのですけれど」
 雄一郎が、たまらず、豪快な笑い声をたてた。
「こいつはいい。ミイラにカツオか。干物と刺身だな。……ま、博物館の人たちが食べてくれるだろうさ。死体はものが食えんからな」
「藤井さま」
「あん?」
 黒衣の巫女は、おだやかな微笑のまま、たしかにこう言った。
「ネフレン=カーさまは、亡くなってなどいらっしゃいませんよ」
 そして、ふいに、闇がかれらを覆った。

■5つの柩

「何……?」
「停電か――」
「おい、どうした」
 人々の声が交錯する。
 突然、暗闇の中に放り出された格好になる面々は、互いに呼び掛けあった。しかし――
「河南教授? どこです?」
「む。都築くんもいないようだが」
 モーリスと、雄一郎の声だ。
 ただひとり……もとより、闇に奪われるべき視覚をもたないみそのだけは、おだやかな笑みをたやさずにそこにたたずんでいた。腰を抜かした三下忠雄の頭の中で、暗転の直前の、彼女の言葉がぐるぐる回っている。
 ネフレン=カーは、死んでなどいない。

「わかった、わかった。そんなにひっぱらなくても」
「だってだってだって!」
 ウラの声が真っ暗な廊下にはずんだ。
「これ、絶対、なにかの前触れよ。はやくミイラのところへ急がないと、決定的瞬間を見逃しちゃう!」
「場所がわかるかね」
 とアンリ。河南がウラに連れ出されたとき、しっかり彼もついてきたらしい。
「こっちですよ」
 第4の声に、かれらははっと息を呑む。――秋成だった。
「ですが……危険かもしれません。ちょっと妙な気配が」
 カチリ。
 光が灯った。アンリが懐中電灯をともしたのだ(なんだってそんなものまで用意しているのか、あえて訊ねるものはいなかった)。
「面白い。確かめてみようじゃないか」

「藤井さん」
 モーリスが、雄一郎を呼んだ。
「これ……ただの停電ではないですね。わかります?」
「そう……だな……なにか変な感じが――ん?」
 闇の中に、青白く浮かび上がるものを見たように思った雄一郎だった。それは彼にとってはなじみある……植物の気配だった。
「だれかいるのか。こたえてくれ」
 蓮だ。どこかの遺跡から出てきたという蓮の花――むろん、すっかり乾燥して、しかしそれゆえに何千年もかたちを保ってきた植物が、そのガラスケースの中に展示されていたのだった。
(黒い翼)
 蓮の花が生きて咲いていたのは気の遠くなるほど昔のことだったから、その言葉を聴き取るのは雄一郎にも容易ではなかった。しかし、それでもはっきりとした、恐怖の感覚だけが、伝わってくるのである。
(黒い翼を広げるもの――ナイルを覆う……太陽さえも隠して)
「まて。それは何のことだ。何が起こっている?」
(暗黒のファラオの……生贄――)
 生贄。不吉なひびきの言葉が、雄一郎の背筋を冷やした。
「藤井さん。ミイラを確認しましょう。いやな予感がします」
「どこにあるかわかるのか」
「ここへ来る前に博物館の見取り図を見て、建物の構造は頭に入っています。展示品でない物は地下にあるはずです」
 壁に取り付けてあった非常用の電灯を片手に、モーリスが一同を先導した。やがて、地階にある広い部屋へと入り込む。
「こ、こ、こ、これって……」
 三下の歯の根が合わぬのも無理はない。手術台を思わせる大きな台の上にはズラリと、5つの石でできた柩が並んでいたのである。
「五つの柩、ですか」
「こ、こ、この中に、ミイラが入ってるんでしょう〜?」
「――の、わりにたのしそうだな」
 三下とモーリス、対照的なふたりを見比べて雄一郎が言った。
「ま、私は医師ですから。遺体保存のある種の究極の形ともいえるミイラには興味ありますよ」
 言いながら、こともなげに、柩のひとつの蓋をズラす。
「…………」
 中を照らしてみれば、ひからびて黒く変色した肌をさらしたミイラが、そこによこたわっていた。何千年も前に生命の時を終えた肉体が、類稀なわざによってその形をとどめられ、古代の死者は、静かに眠りについているのである。
「まあ。これが『みいら』、ですか」
 興味深そうに、みそのがのぞきこむ。
「いけませんわ。お肌がかさかさ」
「それはね。……いいですか、まずミイラというのは、死体がその形状を損なわず保全された、永久死体の一種です。人為的な処置、または置かれた環境の結果、死体が腐敗するよりも先に、急速に乾燥が進むことでミイラ化現象が起こります。ですが、自然環境では、よほど特殊な条件でなければ、死体の内臓部分の腐敗が免れませんから、このような全身ミイラはなかなかできません。古代エジプト人は、かれらの高度な技術によって、死体から内臓を取り出し、薬品によって腐敗をとめおいたのです。そこに乾燥したエジプトの気候がさいわいして、この芸術ともいえる死体処置法――ミイラ文化が花開いたのですよ」
「芸術的ねえ」
「もっとも」
 くすっ、と、モーリスは小悪魔じみた笑みを浮かべる。
「“こんなもの”は悪趣味なイタズラですけどね」
 ミイラの上にてのひらをかざす。
「何……!」
 みるみるうちに、ミイラの皮膚がみずみずしさをとりもどし、その顔つきが変わってゆく。
「わたしの能力で、これをあるべきすがたへ戻します」
「そ、そんな、これは……!」
 雄一郎が叫んだ。
 モーリスの力はミイラを、ミイラになる前の姿に戻したはずだった。だが、今、石柩の中によこたわっている遺体は……どうみても古代エジプト人のものではない。
「行方不明の警備員の居場所が、わかりましたね」
 どさり、と音がしたのは、モーリスの言葉に、事情を察した三下が失神して倒れた音だ。
「これも、これも、こいつもか!」
 雄一郎が次々と柩を暴いていく。
「消えたのは4人。ミイラは4体。これで辻褄は合います」
「だが、柩はもうひとつ……」
 最後の柩は、他の4つとはあきらかに造作がことなっている。複雑なヒエログリフがびっしりと刻まれ、あやしげな紋様で飾り立てられているのだ。
 モーリスがその蓋をズラす。……中はからっぽだった。
「さて。柩の中にいたのが消えた警備員たちとなると、もともとここに眠っていたミイラはどうしたのでしょうね。そしてこの空の柩――これがファラオの柩と見て間違いないと思いますが」
「なにか、書いてあるな」
 柩の内側に、刻まれている文字を、雄一郎はもとめた。モーリスと顔を見合わすが、いくら博識なモーリスといえども、古代エジプト文字をそうたやすくは読めない。
「そは永久によこたわる死者にあらねど――」
 うたうような声に、はっとかれらは振り返る。
「いと永き時の果て、死もまた死せるものなれば」
 みそのだった。
「そう……書いてあるのか」
「古いお祈りの言葉ですわ。……然るべきときがくれば、ふたたび、甦る。ネフレン=カーさまはそう約束されていたのです」
「誰と」
「ですから、それは――」
 みそのが答えようとするよりはやく、ドアが開いてかれらがなだれこんできた。

■強襲

「こちらのほうから、強い霊的な波動を感じます」
「待て。ここは、しかし……」
 アンリの懐中電灯が、そのプレートを照らし出した。
「――館長室?」
「入ってみればわかるわヨ」
 誰が止める間もなく、ウラがドアを開けてしまった。
「こんにちは。ネフレン=カー様のミイラはこちらかしら〜?」
 雷鳴――。
 いったいいつのまに、天候が変じたのだろう。窓の外の空は、黒雲に覆われて夜のような暗さだった。その窓際に……ひとりの男が立っている。
「失礼。こちらの館長さんでしょうか」
 挨拶しかけた河南の靴に、なにかが当った。見下ろすと……床に倒れている男。それは、最初にかれらに応対してくれた、あの学芸員だった。
 ウラが、ひきつけのような、口笛のような、驚きとも喜びともつかぬ声をあげる。かっと目を見開いた男が、すでに絶命しているのはあきらかだった。
「ようこそ。当博物館へ」
 窓際の人物が、窓のほうを向いたまま声を発した。奇妙にざらついた低い声である。
「ちょうどよい時に参られた。まさしく、時を越えた奇蹟を、みなさんはご覧になれるでしょう」
「ここでなにか……起こるのかね」
 アンリの問いに返ってきたのは、低い忍び笑いだ。
「左様。たったいまから、この建物は――暗黒のファラオの神殿と化すのだ」
 男が振り返った。
 カッ――、と白い雷光が閃き、その顔を照らし出す。
 異形!
 人間の体の上に、その首から先はイヌ科の生き物のそれだった。
「危ない!」
 薔薇の花びらが散った。
 アンリが河南を突き飛ばさなければ、そいつの爪が彼の身体を抉っていたかもしれない。「われこそはネフレン=カー様にお仕えする四神官のひとりアヌビス。この時この場所に居合わせたが運のつき。貴様らすべて、カー様にささげて、かの方への供物としてくれる」
 獣の喉の奥で獰猛な唸り声が上がった。
「まったく――B級映画な展開だな!」
 びゅん、と、アンリの鞭がふるわれた――が、犬頭の怪人はすばやくそれを避けると、一瞬の隙をついて部屋の外へと走り去るのだった。
「待て!」
「……大丈夫ですか」
 秋成が河南を助け起こした。
「ええ、なんとか……。桐生教授――、なんてワイルドな人なんだ。ちょっと恋してしまいそうだよ」
「俺たちも追いましょう。彼だけでは危険です」
 河南の不穏当な発言をあっさり流して、秋成が促す。
「はやく、はやく行きましょうよゥ。さっきの見た? 凄かった! あァ、来てよかったわ!」
 ウラが黄色い声でさわぎたてる。そしてかれらもアンリを追うのだった。

「なんだなんだこいつらは!」
 雄一郎が吠える。
 ぎゃっ、ぎゃっ、と耳障りな声をあげて、襲い掛かってくるもの――。矮小な、小人めいたひからびた身体に、ぼろぼろの包帯のようなものを巻き付けたそれは、さながら動き出した猿のミイラだ。
 雄一郎はどこかに隠し持っていた木の枝をぶん、とふるった。それは鞭のごとくに伸び、しなって、奇怪な猿人を打ち据える。ぎゃあっと悲鳴をあげるや、それはぼろぼろと砂のように崩れていったが、いかんせん、敵の数はまだまだ減らなかった。
「ネフレン=カーの神官たちが呼び寄せた奉仕種族といったところでしょうね」
 モーリスが、駆け寄ってきた敵の一体を蹴りながら言った。
「む、海原くんがいない」
「彼女なら心配ないでしょう。ある意味、この場でもっとも安全といえるかも」
「それはどういう――」
「ともかく……」
 モーリスはすでに意識のない三下の首ねっこを掴むと、
「しばらくここにいてください」
 あらゆるものを捕え、あるいは防護する檻が出現し――その中に三下が放りこまれる。
「警備員たちと入れ替わったものを探しましょう」
「そいつぁ、もしかして……」
 ミイラ猿を蹴散らしながら、部屋を出た雄一郎は、かれらが続々とあらわれる、暗い廊下の向こうに、燐光をまとってたたずむあやしい影をみとめた。
「あれじゃないか」
「セト神」
 モーリスが呟いた。
 いかにも、それはエジプト神話の神々の一柱を思わせる姿をしていた。人の身体に、犬のようにも猪のようにも見える得体のしれぬ獣の頭。
 それが、くわッと、牙のはえた口を開け、雄一郎らを指さすと、ミイラ猿たちの群れが勢いづいて襲いかかってくる。
 だが。虚空から出現する檻が、猿たちを2、3匹ずつまとめて、閉じ込めてゆく。
「小物に用はありません」
 モーリスは冷徹に微笑んだ。雄一郎が、霊枝片手に突撃する。獣の顔をした怪人が、牙を剥いた。

■異形

 どろどろと、タールを流したような空だった。
 生ぬるい風が吹きすさぶ、そこは博物館の屋上である。
 奇怪な光景がそこに広がっていた。コンクリートの床一面に描かれた不可思議な紋様。それは、脈打つように明滅する光を発している。
 その中央に――それはいた。
 ぼろぼろの包帯に巻かれ、朽ちかけながらも生前のすがたをたしかにとどめたミイラである。なぜかそこに持ち出されている古代の様式の石の椅子――いや、その形状をみれば、それは王座に違いないことがわかる……、その石の王座に、ミイラは座しているのだった。
「ネフレン=カー様ですね」
 みそのだった。
「お初にお目にかかります。海原みそのと申します」
 ぼう――と、ミイラの、うつろな眼窩に、あやしい炎が灯ったような気配があった。そして……ざらついた声が発せられる。
「《水》の巫女だな。何用か」
「ご挨拶ですわ。……それに、いろいろとおうかがいしたいことが――」
「立ち去れ」
 にべもなく、ミイラは告げた。
「この時この国に、そなたのようなものがいようとは意外であった。だが、ここは今より、わが神殿となり、《闇》のしろしめす地となるのだ」
「……ですが、カー様」
 動じることなく、みそのは続ける。
「かの方々の意を汲むことは、誰にもできません」
「な――に……」
 ぎし、と、軋むような音を立てて、ミイラの首が動き、みそのを見据えた。
「そのことは、カー様ご自身が、よくご存じなのではないですか」

 アンリの鞭が床を打つ。
 犬頭の怪人は、またもそれをくぐり抜け、俊敏に、壁を蹴って、躍りかかってくるのだった。
「うおっ」
 怪人がアンリを床に引き倒した。馬乗りになる。生ぐさい息が顔にかかった。
「教授ッ!」
 しかし、駆けてきた秋成が特撮ヒーローばりの跳び蹴りをお見舞いすることで、アンリを救った。
 蹴り倒された怪人は、さほどこたえた様子もなく、獣の咆哮とともに起き上がる。
「来るぞ!」
 アンリの発する警告を聞くまでもなく、秋成が数珠を手にした腕を突き出した。
「悪霊退散!」
「そんなの効くのか、エジプト製の化物だぞ」
「そういうツッコミはなしですよ」
 どこかのんびりとしたやりとりをするふたりの間を割って入って、前へ進み出たのウラだった。
「ぬるいわね」
 黒いレースのスカートがふわりと空気をはらむ。
 ダンスのように軽やかなステップが床にリズムを刻んだ。そして、フラメンコのようにぱん、と彼女が手を叩くと同時に――
 絶叫――
 白い閃光が真昼のようにあたりを照らし出し、アンリと秋成は、雷撃が怪人を撃つのを見た。
「……このくらいはやらないと」
 それはさながら、あやしいグラン・ギニョールの一幕だった。
 あとに残ったのは、黒焦げの異形の屍がぶすぶすと煙を上げている光景だけ。
「やった……か――」
「いや、油断しないでください……あっ」
 秋成が短く声を上げたのは、黒焦げの身体が不自然にゆがみ、その胴体がぶくりと膨れ上がったからだ。
 次の瞬間!
 焦げた肉体が異界への通り道ででもあったかのように、そこからあふれでてきたもの――
 ウラの喉が鳴った。
 ただよう異臭。嘔吐感を誘うような、それはおぞましい、軟体動物のような、生き物の内臓のような、からまりあう触手のような、形容しがたい存在だった。
「妖魔調伏!」
 秋成の気合いが効果を上げているのか、それが身を――粘液にまみれた触手をすくませたかに見えた。ひゅーっ、ひゅーっ、と、奇怪な、フルートのような音がなる。
「なんと!」
 遅れて駆け付けてきた河南が叫んだ。
「これは何です?」
「異形の神の従者――……なんてことだ。でも、なぜ……イヌの頭――アヌビス――ミイラ……」
 ぶつぶつと、口の中でなにか呟く。
「そうか、もしかすると!」
 そして、河南は走り出す。
「都築さん、もうすこし、抑えつけておいてください!」
 と言い残して。

 そのとき――
 地下のフロアでも同様の光景が広がっていた。
「な、なんだこいつぁ!」
「本性をあらわしましたね」
 モーリスの檻が、うねる触手をもった生物を区切られた空間に閉じ込めた。
「犬人間みたいなやつだったのに、なんだって、こんなタコみたいな……」
「あれはエジプト人の感性に合わせた擬態だったのでしょうね。そのほうが神意を代行するのに効果的ですから」
 ひややかに、異形のものを見下ろすグリーンアイズ。
 ――と、廊下の反対側から河南が走り込んでくるのが見えた。
「壺を壊して!」
 彼は叫んだ。
「カノープスの壺です。ミイラの内臓を保存する容器――山犬、犬、はやぶさ、ヒトの顔をかたどっている……異形の神の従者は魔術によって、ネフレン=カーの内臓をおさめたカノープスの壺から召喚されたんだ、内臓を媒介に、壺がかたどるエジプトの神々のすがたを真似て……おそらく、アヌビス、セト、ホルス、オシリス――」
 今ひとつ要領を得ない河南の言葉だったが、モーリスたちには通じたようだ。
 雄一郎が彼とともに柩のあった部屋に駆け込む。
 片隅に安置されていた石の容器。
 うちふたつはすでに砕け散っていた。残るふたつは――蓋の部分が山犬と、犬の頭になっている。
 雄一郎の霊枝が、古代の遺物を、音高く叩き壊した。

■ファラオは眠る

 あやしく光る紋様が――風にさらわれる砂絵のように消えてゆく。
「なん――だと……!」
 怨念をこめた叫びが、ミイラの口から迸った。
「あやつらめ、しくじりおったわ!」
 みそのは、盲いた瞳で、屋上から見渡せる街並を眺めていた。ひとつの建物――みそのは知らなかったが、それは新築された劇場だった――を、濃い闇の気配が包み込み、そこから、この場所へとエネルギーの流れがあったのだが……、今や、それが断たれているのが、彼女にはわかった。そして、それがこのミイラの王にとって致命的であるということも。
「これまでか……」
 かさかさした声で、ミイラは……暗黒のファラオ・ネフレン=カーは言った。
「《水》の巫女よ――」
「はい?」
「笑うがいい。そなたらの勝ちだ」
「何を仰います。わたくしはなにも――」
「だが儂は……また必ず舞い戻る……」
「はい。そのときにまた、お目にかかれるとよいですね」
「言いおるわ。……覚えておれ。《闇》はつねに、おのれらが足元にあるのだということを……」
「おやすみなさいませ」
「……イ……イア――! ナィアルラトホテップ! 這い寄る混沌…………地上に、死と闇を――……」
 それきり、ミイラは沈黙した。
 風が唸り、雲が吹き払われて、陽の光が戻りはじめていた。
 みそのは、空を見上げた。太陽が顔を見せる直前――、黒雲の空にほんの一瞬、あおじろい下腹と、うろこのある触手がうねるのが、ちらりと映ったような気がした。そして同時に、どこか遠くで何者かの狂おしい哄笑が聞こえた――。
 混沌にたゆたうかの神にとっては、かれの使徒であるはずのネフレン=カーとその一派も、その復活を阻止せんと奔走したものたちも、等しく価値のない虫けらのようなものだった。
 ただ、かれらが必死になって走り回るすがたが、異形の神にとっては可笑しかっただけである。
 それは永劫を生きる神にとって、ほんの須臾の間に起こった、退屈をまぎらわしてくれる座興に過ぎなかった。



「まず、こういう器具を使って――」
 折れ曲がった針金のようなものを手に、河南は説明した。
「遺体の脳を掻き出します。こう、鼻の穴からね」
「鼻の穴からですって!」
 なにが嬉しいのか、ウラが華やいだ声をあげた。
「脳ミソをひきずりだすのね!」
「ちょっとグロだな……そんなに巧くいくのか」
 雄一郎の問いには、モーリスが答えた。
「脳は空気に触れると液状化しますからね。むろん熟練も要したでしょうけれど」
「身体の内臓もすべて抜き去ります。これは、脇腹のあたりを切開してそこから手で取ったようです。ただし、心臓だけは残しました。これは死後の命にとっても必要だとみなされていたんですね」
「人体における心臓の重要性を認識していたんだな。古代エジプト人は」
 感心したように、アンリが言った。
 それに頷きを返しながら、河南は続ける。
「次に体腔内も含めて遺体を洗浄し、香油で浄めます。そのあとは乾燥させます。リビア砂漠で採られた、ナトロン――天然炭酸ソーダの粉末を遺体に振りかけて包み、何日も、乾燥させるのです…………三下クン、どうかしました? さっきから青い顔をして」
「あ、あ、あのですねぇ〜。み、みなさん、あんなことがあったあとなのに、こ、こんな平然とミイラの見学だなんて、ど、どうかしてるんじゃ――」
「三下さん、メモとかとらなくていいんですか。取材なんでしょう?」
 三下の抗議をまったく意に介したふうでなく、秋成が言ったので、がくり、と、臆病な編集者は首を垂れた。
「それで、それで」
 じれったそうに、ウラが先を促す。
「充分に乾燥したあと、再び香油が塗られ、香が焚きしめられて……」
 よこたえられているのは、かれらによってその復活が未然に阻止された、『暗黒のファラオ』のそれである。もはや微動だにすることもなければ、秋成のように特殊な感覚をもつものが見ても、不審な点はみとめられない。
 みそのは黙って、にこにこと、その顔を見ていた。
 ファラオは、再び永劫の眠りについたのだ。
 次に目覚めるときが来るのか来ないのか、それはわからない。
 ぽっかりと開いた眼窩は何を見ているのだろうか。
 暗黒のファラオは、いったい何を夢みたのか。
 それは、見果てぬ、砂漠の彼方の蜃気楼であったかもしれない。

(了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1388/海原みその/女/13歳/深淵の巫女】
【1439/桐生・アンリ/男/42歳/大学教授】
【2072/藤井・雄一郎/男/48歳/フラワーショップ店長】
【2318/モーリス・ラジアル/男/527歳/ガードナー・医師・調和者】
【3228/都築・秋成/男/31歳/拝み屋】
【3427/ウラ・フレンツヒェン/女/14歳/魔術師見習にして助手】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。大変お待たせいたしました。『暗黒のファラオ【ゲブの書】』をおとどけします。

いやー、エジプトって本当にいいものですネ(福耳の人風に)。
急にエジプト熱にとりつかれてつくってみたシナリオでしたが、ちょっと詰め込み過ぎたかな?というきらいも。
でもミイラ、ミイラとたくさん書けて楽しかったです(変)。

なお、今回のシナリオは異界調査依頼『暗黒のファラオ【ヌゥトの書】』とリンクしております。合わせてお読みいただくと事件の全貌が見渡せる格好になります。

それでは、また機会がありましたら、お会いいたしましょう。
ご参加ありがとうございました!