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<東京怪談ノベル(シングル)>


   人魚姫の週末
 日曜の朝、海原みなもは東京郊外のとあるイベント会場にいた。
自動車ショーのスタッフに欠員が出たとかで、人材派遣会社から知らせが来たのは昨日だった。急だったが、予定もなかったし、簡単な裏方の仕事だと言われたから、応じたのだ。しかし、会場の裏口で名前を名乗ったら、通されたのは控え室、兼、更衣室だった。
「あの、あたし、雑用だって聞いて来たんですけど……?」
 困惑顔で訴えたみなもに、自動車メーカーから来ていた広報担当者は頭を抱えてしまった。冗談じゃないわ手配しまくってやっと代役が見つかったと思ったのに手違いなんて! しばらくの間は呪詛のように呟いて、ややあって顔を上げた彼女と、目が合って、みなもは反射的に微笑んでしまった。それが良くなかった。
「……ちょっと幼いけど、身長はあるし……。イケる。イケるわ」
「え? あの??」
 寝不足なのか、目が血走っていて、少し怖い。思わず一歩引きかけたみなもの華奢な両肩を、担当者の手ががっちりと掴んだ。
「ねえあなた、コンパニオンやらない? て言うかやって。是非とも! お願い!」
 懇願されて嫌とは言えなず、戸惑いながらもみなもは頷いてしまったのだった。

 着替えてね、と渡された衣装を広げて、みなもは半泣きで呟いた。
「…………お断り、すればよかったかも」
 一緒に渡された自動車のパンフレットには、『街をピュン☆跳んじゃうMINI』という、ちょっとどうかと思うキャッチフレーズ。兎が丸くなっているようなコロンとした形の軽自動車を、みなもはテレビCMでも見たことがあった。それに因んだ衣装であるのだとは思う。しかし、もっと他に無かったのだろうか。
 後悔先に立たず。一度引き受けた以上、断われない。意を決して、みなもは服を脱ぎ、着替え始めた。
 まず、黒いストッキングを穿く。下着も兼ねたタイプのもので、サポートが利いていて少しきつい。次はレオタードだ。艶のある生地でできていて、色はみなもの髪と眼に合わせたような青だった。アンダーバストのところまで、体のラインに沿ってキュッと締まるつくりになっていて、肩紐はついていないがずり落ちない。動いても全く大丈夫そうで、それには少し安心したが、胸元が大きく開いているのが気になった。肩が剥き出しなのも頼りない。
「これ……へ、変じゃない……かな」
 鏡を見て、みなもはぎょっとした。腰もスースーすると思ったら、レオタードは腰骨のあたりまで切れ上がった形になっているのだ。水着ならよく着るけれど、ここまでのハイレグは未経験だった。何より水着と違うのは、お尻の部分についた、フワフワの白いポンポンである。
「海原さん? まだかかりそう?」
 担当者が外から声をかけてきた。逃げ出したい自分を叱咤しつつ、みなもは残りのパーツを慌てて身に付ける。
両手首に白いカフス。首にはリボンタイのついた付け襟。そしてとどめに、レオタードと同じ布で出来た兎耳のついたカチューシャを頭につけると、どこからどう見ても、立派なバニーガールの出来上がりだった。
 ……本当に、もっと他に何か無かったのだろうか。
「お、終わりましたー」
 おずおずと扉を開けると、担当者が待ちかねたように飛び込んで来た。手には化粧品ボックスが下げられている。
「次はお化粧ね。思った通り、あなたスタイル良くてよかったわ。サイズもピッタリ。不幸中の幸いってこのことね!」
 サイズが全然あわなければ断われた。みなもにとっては不幸である。鏡の前に座らされ、衣装を汚さないようケープをかけられながら、みなもは複雑な笑みを浮かべた。
鏡の中に見たことのない顔が出来上がってゆく。肌の若さを隠すため、舞台化粧並の厚さにファンデーションをはたかれ、瞼にはパールの入ったブルー系のアイシャドー。アイラインとマスカラで、もともと大きな目が普段の1.5倍くらいに見える。パールピンクの口紅に、グロスを重ねて完成。
 最後に、銀色のラメの入った靴を履かされて、みなもは立ち上がった。高いピンヒールで、慣れないものだからフラつく。横から手が伸びてきて、支えてくれるのかと思いきや、
「うーん、このへんがちょっとだけ寂しいわね」
 その手は脇から胸元へ入り、胸を下からギュウっと持ち上げた。
「ひゃぁあ!?」
 みなもの悲鳴にも構わず、ぎゅうぎゅうと、バニーコートの胸にパットが詰め込まれる。寄せて上げて、更に上げ底までされて、くっきりと谷間が出来上がった。完璧に大人仕様のバニーである。
「これでよし! あとはクルマの横でにっこりしててくれたらいいの。がんばってね!」
「は、はい……」
 この格好で人前に出るのかと、今度こそ泣きそうになりながら、みなもは頷いた。

 ショーの開場以降、みなもは気力で微笑み続けた。お金をもらうからには、全力を尽くさねばならない。その思いだけがみなもを支えていた。
実際の心理状態は笑うどころではない。視線とカメラのレンズとに囲まれて、フラッシュが眩しいし恥ずかしいし。しかも、ストッキングとレオタードは柔らかそうな見た目に反して、鎧のようにがっちりと動きを制限する。ピンヒールはちょっと油断をすると転びそうになるし、常にお尻のあたりを緊張させていないと立ってさえいられないのが辛い。
 こっち向いて、とあちこちから声をかけられて、くるくる体の向きを変えるだけでも一苦労。皆さん車見に来たんじゃないんですか、と心の中で突っ込む余裕もなく、次々と人がやってきて、その度ににっこり、の繰り返し。
 本人は気付く由もなかったが、会場の中でも、みなものブースの周辺は人口密度が高かった。常に人だかりで、体温の熱気に加え、照明がまた熱い。
意識が朦朧としてきた頃に、飲み物片手に立ち止まっている客を見つけた時は危なかった。ふと気付くと、何故か紙コップの中身が細波立っている。みなもは慌てて指を引いた。あまりに喉が渇いて、無意識のうちに引き寄せようと手を伸ばしていたのだ。零す前に止めることができたので、失敗の内には入らないだろう。
 お昼の休憩で食事が出たけれど、服の締め付けと疲労とで、飲み物しか喉を通らなかった。
この週末、みなもには知識が一つ増えた。コンパニオンは最早肉体労働だ。きっと、土木工事のアルバイトと同じくらいの!
 体はぎしぎしするし、足は見事に靴擦れになった。ナイフを踏むほどとはいかないけれど、まるで魔女に脚をもらった人魚姫だ。
 助かったって喜んでくれたから、こんな人魚もいいかな。帰り道、そんなことを思って、みなもは夕日を頬に浴びながら笑った。頬も少し筋肉痛になりそうだった。