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<東京怪談ノベル(シングル)>


BLUE SPEAKER




 少女ふたりの後ろ姿を見送った。
 ひどく穏やかな気持ちで、それが見えなくなるまでを過ごしている自分の理由がわからなかった。

「・‥…さて、と」
 口の中だけでそう小さく自分に弾みをつけて、ゼゼ・イヴレインは細く白い前髪をしなりとかきあげる。
 校舎から抜け出してしまえば、ただひとり女性ものの制服を身に付けたままでいる理由はない。ふわりとスカートの裾を翻して木陰に隠れると、次の瞬間にはすっかり着慣れてしまったパーカーとシャツと言ったいでたちへと転装した。
 上下ともに、彼が身を寄せている少女の部屋に散らばっていたものである。どれを取っても中性的、もしくは男性的なデザインの衣服ばかりであったので適当に掻き集めてきた。
 先ほど別れた、銀髪の少女のものだ。
「あ。……いつ合流すれば良いんだろう」
 少女は、とある大規模な組織の許で護衛の任務に就いている。ゼゼは暗殺組織のメンバーで、ふたりは幸か不幸かある日のミッションで出会ったのである。
 上層部にゼゼの存在を悟られたくない少女は、校内以外ではふたりと個別行動をとることをゼゼに命じた。
 それが先だっての、ふたりとの別れであった。
 まあ、良いか。
 彼女が自分に何もいわないままで、山を下りてしまうことはないだろう。一日の大半をあの令嬢と過ごすことが決まっている以上、いきなり姿をくらましてしまうことは有りえないのだ。
 ならば、自分は自分なりの時間を過ごせば良い。
 夏の日は長く、太陽はいまだ空高く木漏れ日を届けつづけている。
 ゼゼは熱く乾いた木の幹に背中を預け、柔らかな芝の上に腰を下ろした。



 それにしても、と。
 ゼゼはひどく複雑な心持ちで、薄い葉と葉の間から見え隠れする日の光に目を細める。
 常に緊張や緊迫を感じながら暮らしてきた少年である。いざ自分なりのと構えてみても、ただ流れるがままの安穏とした時間の経過を耐えることは刺客を撒くことよりも難しい。
 だから敢えて、鋭い光を見上げていた。すでに己が意志だけでは制御しきれなくなっている鋭い五感が、ほんのささいな草鳴りや獣の足音にも感応し、彼の琴線を敏感に刺激するからだ。視覚と聴覚は強いつながりを持っている。それをぼかすことでのみ、彼は無意識にその心と身体を癒すことができた。
 赤の瞳が、強い光を受けて透く。ゼゼはしばらくの間、そうして太陽の光をじっと見上げていた。
「………‥・」
 なぜ少女は、これほどまでに急な任務に就かされたのだろうか。
 自分が部屋に忍び込んだ翌日、少女は仕事を無断欠勤した。彼女自身の体調の不具合もあったが、大きな理由としてはゼゼの介抱が挙げられただろう。そのさらに翌日、出勤したまま彼女は任務でこの地に渡ってしまった。
 あまりに、迅速すぎはしなかっただろうか。
 揚げ句、この学園の妙である。
 少女が護衛の任務に就いた令嬢が、その怠惰な身のこなしのわりに場違いなほど落ち着き払っているのがゼゼの気に付いた。肝が据わっている、と言い換えた方が良いのかもしれない。それほどまでに何者かから襲撃を受けているのだと言っても、たいていはその場合ふたつにひとつかの選択に迫られる。戦うための術を身に付けるか、脅えて自室に篭るか、だ。ゼゼから見て、令嬢はそのどちらにも当てはまらないように見えた。
 それと、もうひとつ。
「……何て言ったっけ、あの……神父? 先生?」
 昼間、校内で出会ったこの学園の教師のことをゼゼはふと思い返す。
『そんな尻が薄いと力も出ねェだろ』
 ふたりは気付いていただろうか。
 あの言葉は、まさしくゼゼが男であると彼が見抜いたゆえに投げかけられた言葉であるということを。
 そう、あの男が『鈍い』ことを、誰よりも願っていたのはゼゼだった。
「油断した、ね……あんなに簡単に見破られるなんてさ」
 女学生が纏う制服がとても似合っていると、複雑な思いながらも自負していたのは自分自身だった。
 それゆえに、油断した。
「余計なことして足を引っ張らないように、――」
 しないと、と。
 独白がふと途切れて、ゼゼはむっつりと閉口する。
 もとは殺そうと考えていた少女の、任務の足を引っ張って何が悪いと言うのだろう。
 慌てて己の考えを改めようとするが、複雑に混じった感情の色は拭いきれない。
 そうだ、自分はいま、あの少女と一緒にいることを決して不愉快には、思っていないのだ。
「……かっこわるい」
 代わりに紡がれたのはゼゼの毒である。自分が長い間身を置いていた暗殺組織は壊滅させられた。その仇を討とうと息巻いた自分が数日後、その少女と安穏と暮らすことで息を繋いでいる。
 込み上げた苦渋の思いと、抗いきれない安堵が交じり合い、再びゼゼの心に鈍い感情の色を渦巻かせはじめる。
 ゼゼは長いまばたきのようにゆっくりと、そのまぶたを閉じた。
 ――が。
 次いで瞬間、彼がくっと見開いた双眸には先ほどまでの複雑の色は乗らなかった。
 跳ねるように背中を木の幹から逸らし、前のめりの上体を華奢な左手の指先で支える。
 背後を確認することはなかったが、かすかに風に乗って香る硝煙と空気を裂いたリボルバーの音に全てを悟った。
 彼が背中を預けていた木の幹には、小さく鋭い銃弾の痕が穿たれていた。



 小さく逞しい獣のように、ゼゼは芝に指先を突いたまま刹那、微動だにせず耳を澄ましていた。
 狙撃者からすればゼゼの姿は丸見えのままであるだろうが、相手はリボルバーを用いた。
 第二弾が来るのならばその前に必ず銃の撃鉄を起す音が空を震わせるだろう。
 そうすれば、ゼゼのいる場所から狙撃者までの距離や場所が計れる。
「―――チィッ」
 だが、撃鉄よりも先にゼゼの耳に届いたのは狙撃者の舌打ち、であった。
 次いで、彼の右後ろの方で激しく草を掻く音。狙撃者はゼゼをしとめることが無理だと判り逃亡を図ったのだった。
「………」
 気配が遠くなるのを確認してから、ゼゼはそっと上体を起す。
 途方もない疲労が、彼の背筋を重苦しくさせていた。
「……どうして……」
 空気を裂いたリボルバー。
 それはあの日――組織が壊滅へと導かれることとなったあのミッションの日、ゼゼと共に暗殺任務を請け負ったパートナーが愛用していたものだったのだ。
 よもやの疑問は、狙撃者が漏らしていった舌打ちで、確信となった。
 組織の中で共に暮らし、生死を共にしてきた仲間が――今、自分の命を狙っている。
 それも少女について山の奥へとやってきた、既に誰もその素性を知ることがないと思っていた自分を彼が。
 疑問も、驚愕も尽きない。
 太陽が傾き始めている。
 ゼゼはそれでもなお、しばらくの間その場に立ち尽くしていた。
 
(了)