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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ハッピー・ディ


◆金曜 21:17 ケーナズ→モーリス(TEL)

「珍しいね、君の方から電話なんて」
『ああ。明日なんだが、空いてるか?』
「明日? ……打ち合わせが午前中に入っているけど、午後からなら時間が作れるかな」
『それなら――』

「――それは、私の方で手配しておこう」
『そうしてもらえると助かる。では、明日』
「明日。……楽しみにしてるよ」


◆土曜 12:55 白王社ビル内月刊アトラス編集部

 編集部の下っ端代表ご存知三下忠雄(23)、本日も真赤に添削された原稿を見ながらもう七度目になる書き直し作業に没頭していた。
「さんしたくん、その原稿一時までにお願い」
 昼休みを終えて帰ってきた編集長が、デスクに着くなり投げた指示に、三下は己のパソコンの時計で現在時刻を確認する。確認した。確認して、泣き叫んだ。
「編集長ぉおおお?!」
 補足するまでもないが、編集長の指定した時刻は五分後――否、たった今一分経過したので四分後の一時のことである。明日の一時でもなく、ましてや十二時間後の午前一時のことでもない。
 三下は必死に原稿を打ち込むためにキーを叩く。しかし焦れば焦るほど指はもつれて同じ文を何度も打ち直す破目になる。まだ規定の文字数の半分の打ち込みも終わっていなかった。絶望的だ。
 ふと、パソコンのモニター画面が暗くなった。同時に、背後に気配を感じる。
 恐る恐る振り向くと満面笑顔の編集長。その向こうに見える壁に掛けられた時計が無情にも一時を指す。
「あ……あの、編集ちょ……」
 編集長は笑顔のまま、三下のパソコンから繋げられたマウスを動かし、右クリック、ついで左クリック。三下は何をされたのかと改めてモニターを見て、青褪めた。
「没」
 カチ。
 至って簡潔に編集長から告げられた一言とともに、押されたキー。青く選択されていた文字列が一瞬で跡形もなく消え去った。
 Delete。
「ああぁああああ!!」
「うるさい!」
 三下の(ある意味)断末魔の叫びは編集長の一喝で制せられる。
「指摘したところがまったく直ってないわね。記事に穴開けるつもり?」
 三下はぶんぶんと大きく頭を振る。
「そんなわけないじゃないですかああ! 僕はいつだって真面目に――」

「そう、いつだって真面目で一途で一生懸命なんですよね」

 唐突に。
 三下と編集長は声の主を振り向く。
 いつの間にか三下のデスクの脇に立っていたのは二人の男性だ。どちらも長めの金髪に彩られた美貌に穏やかな微笑を浮かべ挨拶する。
 翠の瞳のスーツ姿はモーリス・ラジアル。
 モーリスより少しばかり背が高く、眼鏡を掛けたアイスブルーの瞳はケーナズ・ルクセンブルク。
 いずれもアトラス編集部へは取材の協力や三下絡みの事件で幾度か訪れたことがあり、三下や編集長とは顔見知りだ。
 ケーナズはおもむろに編集長に近付き、その耳許で何事かを囁くと、二人で三下のデスクから距離を取って話を始める。時折、二人の視線が三下に向けられるのが、三下にとっては言いようもなく怖かった。
 ――なにを話してるんですか、二人とも。
 気になって耳を澄まそうとすると、まるで二人の会話を聞かせまいとするように(実際そうなのだが)、モーリスが三下の前に進み出る。
「モーリスさん、あの、編集長とケーナズさんは――」
「そんなことより、ね、三下くん。早く準備をしよう」
「準備?」
「うん、出掛るね。二人の相談もすぐに終わるだろうから」
 言いながら、モーリスはてきぱきと三下のデスクを片付ける。立ち上げられたままのパソコンも、電源を落とすために開いていたファイルをすべて閉じてしまう。文章編集ソフトを閉じる際に保存をするかというメッセージが出たが、躊躇うことなく「いいえ」を選択した。
「あ」
 三下の間の抜けた二度目の断末魔もお構いなしだ。
「既に編集長からは没と言われているのでしょう?」
「そ、そうですけど……」
 今までの六回プラス消去された途中の原稿を作成した時間と労力は空しく消えていった。
 一通り整頓を終えると、モーリスは三下を立ち上がらせ、さっさと椅子をデスクに戻してしまう。有無を言わせぬ手際の良さに、三下はおろおろするばかりだ。
「モーリスさん、出掛けるってどこにですかぁ?」
「それは秘密。……ケーナズの方も終わったみたいだね。上手くいったかな」
「上手くって、なにがです、か……なんか二人ともすごい笑顔なんですけどおおおぉぉ」
「三下くん。君はケーナズと編集長が揃って笑顔だとなにか問題があるのかい?」
「いえ、そうじゃなくて……って、モーリスさんまで笑顔で一体なにが……」
「……さ、行こうか。三下くん」
「え? あ、ケーナズさん? ちょ、モーリスさんもっ。あの僕はまだ仕事が! え? なんですか編集長? もう帰っていい? それはクビってことじゃないですよね? あっ、その、なっ、なんなんですかああああっ!!」
 ケーナズとモーリスに腕を組まれ、なかば引きずられるように三下は編集部を後にした。
 三下のデスクの前では、それはもうご機嫌な笑みで手を振りながら見送る編集長の姿。周囲に居た編集者たちは、心中で三下へささやかなエールを送った。

 ちなみに、ケーナズと編集長の密談内容は以下である。
「これから(うちのペットの)三下くんをお借りできませんかね」
「それは(どうでも)いいけど、彼に頼んだ原稿がまだ上がってないのよね。(一応)困るわ」
「先ほどの様子を見るに、(また)間に合いそうにもないのでしょう? 既に、(また)代筆を用意してらっしゃるのでは?」
「さすがにお見通しね。でも次号こそは彼に書かせないと、クビにしなきゃならないわ(私はまったく困らないけど)」
「そうですか(今でもあれでクビにならないのが不思議なくらいですけどね)。では、代わりに今度記事になりそうなネタの提供、ということで埋め合わせになりませんか」
「中身によるわね」
「期待は裏切りませんよ」
「そうね、あなたなら……いいわ。さんしたくんと(どこへでも)いってらっしゃい」
「ありがとうございます(弄って弄って弄り倒してきます)」
「(あなたも悪ね)」
「(いいえ、編集長ほどでは)」
 おとなって、こわい。
 が、実はケーナズ、三下とは年齢がふたつしか違わなかったりする。


◆土曜 13:43 都内某高級ブティック

「あああ、あの……」
 先ほどからもう何度目になるかしれない感動詞を繰り返しながら、三下は相変わらず両脇を美形の二人にエスコートされながら店内を進む。
 車内――ケーナズの愛車、青のアウディA8。勿論人目は惹き過ぎるほどに惹いた――でも二人へどこに行くのか、何をするのかと尋ねたが、はぐらかされるばかりで一向に答えは得られなかった。
 そんな三下の様子を知ってか知らずか(そこら辺は愚問です)モーリスとケーナズは貸切状態の店で店員と会話を交えつつ、三下の前に次々とアイテムを並べてゆく。
 スーツ、ネクタイ、シャツと、同ブランドで揃えるべきかと話し合う声。
「……それとも、違うもので組み合わせを考えるのも楽しいかもしれないね」
「ああ。色はどうする。いつもとは違うものもいいもしれない。……これは明るすぎるか? そっちのグレーは?」
「するとネクタイはこっちかな」
「あのおおぉお」
「なんだい?」
「なにをしてるんでしょーか」
 ケーナズさんとモーリスさんは、とやっと振り向いてくれた二人へ三下は大きく首を傾げる。
「なにって……ああ、気付かなくてごめんよ。そうだね、三下くんはどんな色がお好みかな?」
 そう言ってモーリスはにこやかに店員が出してきたスーツを指す。
 三下は困惑の表情のままだったが、しばらくして得心がいったように頷くと、
「あ、お買い物ですか。それで、モーリスさんとケーナズさん、どちらのスーツですか?」
 とっても鈍い回答を導き出したらしい。
 モーリスはくすりと笑んで、ネクタイを三下の胸許へと合わせてみせる。ワインレッド。もう少し深い色合いがいいだろうか。
「あの、モーリスさん……?」
 モーリスの傍らで眺めやるケーナズも、指を顎に添え、ほう、と頷く。
「なかなかいいんじゃないか。……キミ、そちらのスーツを」
 店員へ指示すると、相手もすべて段取りは心得ているとみえて、三下の背を押すようにして試着室へと連れてゆく。
「え? なんで僕が着るんですかっ?」
 やっぱり鈍い。
「それは三下くんのスーツを選んでいるからだね」
「今日のプリンセス役はキミだからな」
 ここに至ってやっと意味を理解したらしい三下は、驚愕のあまりに面白いほどに口を大きく開けた。
「あああの! 僕は今日そんなにお金持ってきてませんが!」
「言っただろう? プリンセスだと。お姫様に支払いを任せるわけがないじゃないか。そんなことは心配せず、早く着てみせてくれ」
「そもそもなんで僕がスーツを買わなきゃならないんですかあぁ!」
「その恰好ではさすがにお店に入りにくいかと思ってね」
「お店?」
「これから食事を一緒にね」
 軽く首を傾け微笑むモーリス。
 食事を一緒に、とさらりと言われたが、無論それだけならわざわざ新しくスーツを新調する必要などない。それはつまり、今着ているよれよれのこの服装(そういえばこのスーツをいつ購入したのか三下は覚えていなかった)では入店できないような高級料理店であろうことは、いくらなんでも三下にも分かった。
 そしてそんなことを考えているうちに、試着室のカーテンの向こうに引っ張り入れられ、店員の手を借りて瞬く間に着替えが済まされてゆく。
「靴はこれだね」
「こちらのスーツならば、入ったばかりの新色がございますが」
「やはりさっきの色の方がいいんじゃないか?」
「思いきってこっちの色合いも試してみようか」
「よくお似合いです」
「ああ、本当だ。では次はこちらも着てみてくれないか」
「これで決まりだね」
 かれこれ一時間近くあれでもないこれでもないと着せ替えさせられた挙句、結局決まったスーツは一番最初に試着したものだった。ただモーリスとケーナズが三下のおろおろする様を見て楽しみたかっただけなのは言うまでもない。
 最初のうちこそ悲鳴や奇声(?)をあげて遠慮もしていた三下だが、途中からは諦めたのか大人しく着せ替え人形と化していた。
「いいんです、いいんです、僕なんて……」
 微妙にいじける三下の髪を、モーリスは軽くブラッシングして整える。茶色掛かった黒髪は、思いの外やわらかい。
 三下のトータルコーディネートは、こうして完了した。


◆土曜 15:50 都内某やっぱり高級レストラン

「帰っていいですかあぁぁ」
 先ほどからもう何度目になるかしれない台詞を繰り返しながら、三下は相変わらず両脇を美形の二人にがっちりエスコートされながら店内を進む。
 隠れ家風を謳っただけあって、都会の喧騒を忘れさせるように緑に覆われた白い西洋建築のレストランである。小さいながらも設えられた中庭を臨む席へ案内される。
 三下は着席して、きょろきょろと失礼にならない程度にまわりを見回した。綺麗にセッティングされた各テーブルは、客の訪れを待ちわびている。客の訪れを。客の。
 客は、自分たちだけなのである。
「時間が、早いからでしょうか……」
 独り言として呟いたつもりだったが、それを聞いたモーリスは近くのスタッフに二言三言指示を出す。と、控えていたスタッフたちが一斉に他のテーブルを片付け始めた。
「目障りなので、片付けさせました」
 モーリスは事もなげにそう説明した。ケーナズも軽く頷いただけだ。
 これはつまり、貸切ということなのだろうか。
 そう三下は思って、そういえば先ほどのブティックにも自分たち以外に客が居なかったことを思い出す。そう、あれは貸切状態ではなく、貸切だった。
 スタッフはケーナズとヨーロッパ辺りの言語(厳密にどこの言葉かは三下には分からなかった)でやり取りを済ませると、厨房に引っ込む。間を置かず食前酒、アミューズ・グールと運ばれてくる。
「ええと……」
 三下は、平編集員である。毎月どうやって生活しているのか不思議なほどの安月給だ。このような高級料理店には勿論のこと縁がない。
 ――た、確か色々とマナーがあったはずですよね……。
 勤め先である白王社の出している料理雑誌などを思い出してみるが、まったくそれらしい情報など思い出せない。精々「ナイフとフォークは外側から」とかいう基礎も基礎な知識しかなかった。
 そっとケーナズとモーリスの様子を窺ってみる。長身の二人に、座っていても自然上目遣いになった。
「ひとつ、訊いてもいいでしょうか?」
「どうぞ?」
 やけに機嫌の良いケーナズがシャンパンのグラスを置いて三下へ視線を向ける。もっとも、ずっと三下を観察していたのだがそれを彼は知らない。
「なんで僕をこう連れまわすんですか?」
「おや、気に入らない?」
「そ、そういうことじゃなくてですね! ケーナズさんもモーリスさんもレストランに行くならもっと素敵なお相手がいらっしゃるじゃないですか」
「それは……」

「楽しいからだよ」
「楽しいからだね」

 君をからかうのが、とか、君で遊ぶのが、とか、キミは私のペットだし、とかまでは続かなかったが。
「それだけですかああ?!」
 これには二人とも同様の笑顔で答えた。
 そうこうしている間に前菜が運ばれてくる。原稿に追われて昼食を取り損なっていた三下だったが、それ以上にこんな料理をご馳走になっているのだから残さず食べないと、と意気込む。三下がナイフを手に取り――違う、と下ろしフォークを恐る恐るといった様子で操る姿に、モーリスとケーナズは視線を合わせ、互いにゆるく笑った。


◆土曜 18:32 あやかし荘前

「わざわざ送ってくださって、ありがとうございました」
 疲れの見える表情で、三下はぺこりとお辞儀した。
「あ、このスーツとか靴とかですが、あとでお金払いますので、その――」
「構わないさ。プレゼントなのだから、そのまま受け取ればいい」
「えええ、でも……」
「三下くん、ちょっと耳を貸してごらん」
 モーリスは三下に、全身コーディネートに掛かった総額をそっと耳打ちした。
「うひゃあ?! え? ホントですか。それ、その……は、払えません、すみませええんっ!!」
「だから払わなくていいと言ったろう?」
 くつくつと笑って、車に戻り掛けたケーナズだったが、ふと何か思い付いたとみえて、振り向く。口許に、深く笑みが浮かぶ。
「? どうしました、ケーナズさん?」
 三下ににっこりと微笑みかけその傍らに立つと、不意にケーナズは三下の分厚い眼鏡を取り上げた。
「えっ?」
 容貌を隠している眼鏡を取られて、その下の表情が露わになる。
 大きめの黒の瞳は僅かに見開かれ、整った愛くるしい顔立ちは状況が判断できず困ったよう――普段の様子からは想像できぬが、美形、である。
 しかも、上か下なら下。攻か防……もとい受なら、受、といった系統に分類されるような。
「あの、ケーナズさん、眼鏡返してくださ――」
「モーリス」
 ケーナズは後ろに立つ男に意地悪げな視線で目配せする。モーリスはすぐにその意図を了解して、三下へ同じように近付いた。
「え? なんですか?」
 視界が一気に見えづらくなった三下は混乱するばかりである。
 そこへ、
 ケーナズが右頬へ、
 モーリスは左頬へ、
 それぞれの唇を寄せた。
「え? え、と……ええええぇぇええ?!」
 陽も傾きかけた、あやかし荘前。
 事態を把握するまでにたっぷり五秒ほど要して響いた三下の悲鳴に、ケーナズとモーリスの実に楽しげな笑い声が重なった。


 <了>