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<東京怪談ノベル(シングル)>


月の鬼
 
 
 その夜、流星群がくると聞いたので、あたしは散歩をしていた。苗字が月夢というくらいだから、晴れた青空と同じくらいに夜空も好き。この季節は、特に星がきれい。
 夜の散歩、といっても、神聖都学園の寮に住んでいるので、そんなに遠くへは行けない。コースはいつも学園の敷地内になってしまう。──といっても、敷地内はとても広いのだけど。
 高等部の校舎をぐるりと一周してから、桜の樹が植わっている丘へ向かう。桜の季節はとっくに過ぎているけれど、ここはあたしのお気に入り。昼間もひなたぼっこをしに、よく足を運ぶ。
 地面に寝そべり、空を眺めた。
 星が流れた。ひとつ、ふたつ、みっつ……。
 願い事を唱えようとして、でも結局なにも思い浮かばなくて、苦笑いがこぼれてしまった。あたしって、なんにも考えないで生きてるんだなあ、なんてぼんやりと思った、そのとき。
 背後で音がした。
 最初は木の葉が落ちる音かと思ったけど、それよりももっと質感のある音。ひとの気配というか──。
「誰?」
 声にした途端、不安になった。
 ひとのいない夜。見知らぬ誰か。こういう状況でとるべき行動は、声をあげることじゃなくて逃げること。けど、できなかった。
 身体を起こすと、誰かが樹にもたれて座っていた。暗くて顔はみえない。あたしに襲いかかってくる様子はなくて、じっと座っている。
 なにか変だな、と気づいたのは、すぐだった。そのひとは座ったままで、動く気配すら感じられなかった。
 恐るおそる近づいてみる。
「……」
 言葉を失った。
 彼は怪我を負っていた。額から血を流している。気も失っている。そして、それ以上にあたしを驚かせたのは、彼が──鬼だったということ。
 どうしよう。助けたほうがいいのかな。と迷ったのは一瞬だけ。
 急いで寮へ戻って、救急箱とライトを持って桜の丘へ引きかえした。目の前で怪我しているのだから、やっぱり放ってはおけない。一一九番をしようかなとも思ったけど、その後のごたごたを考えると、あたしが手当てしたほうがいい。
 止血をして傷口を消毒していると、「う、うーん」と鬼の彼が意識を取り戻した。目があった途端、彼は後退りしようとした。まるで、あたしに怯えているみたいに。
「動かないで。傷口が広がっちゃう」
 言われて、はじめて自分が怪我をしているのに気がついたらしい。おずおずとあたしの顔を覗きこみ、敵意がないのを感じとってくれたのか、そのまま手当てを受けてくれた。
 もっとも、あたしには専門的な知識なんてないから、ただの応急手当になってしまうのだけど。
 
 
 翌朝。
 あたしは授業にはでないで桜の丘へ行った。桜の樹にもたれかかっている鬼の彼は、静かに寝息をたてて眠っていた。よかった。命には別状がなさそうだ。
 あたしは隣に腰をかけた。
 昨日は暗くて顔がみえなかったけれど、今日はちゃんと確認できる。太陽の下でみる彼は、変な言い方かもしれないけど、とても可愛かった。
 青い髪。小さな顔立ち。白い肌。華奢な身体。額から小さな角が生えていなければ、普通の女の子みたい。
 ──彼が目を覚ました。
「起きた?」
 言うと、昨日と同じように彼は後退りした。「待って」ともう一度声をかけると、彼はまじまじとあたしの顔をみつめ、しばらくすると強張っていた表情が崩れた。あたしが昨日のひとだと気づいてくれたらしい。
「お弁当、持ってきたの。食べる?」
 包みを差しだすと、怪訝そうな顔をしたものの、彼は受け取ってくれた。お弁当はあたしの手作りだ。準備する時間がなくて、冷蔵庫の残り物で作ったから、中身には自信がないけれど。
「あたし、学校に戻るね。昼休みになったら、またくるから」
 ゆっくり立ち上がって、桜の丘を下りようとしたら──。
「……きみは変なひとだね」
 驚いて、あたしは振り返った。
 彼は微笑みと苦笑いの、ちょうど真ん中くらいの、不思議な表情をしている。
「見ず知らずの僕を助けて、食事まで用意してくれるなんて、本当に変わっている」
 さっきまでずっと何も言わなかったから、てっきり喋られないものだと思っていた。でも、第一声が「変なひと」だなんて、ちょっとがっかり。
「困っているひとを助けるのが、そんなに変?」
「少なくとも僕はしない。されたことも、ない」
「それは──」
 あたしが「人」で、あなたが「鬼」だから。そんな言葉がでかかったけど呑みこんだ。たとえ、種族がちがっても、あたしも彼もおなじ「ひと」。神聖都学園には人間じゃないひとなんて珍しいことじゃない。
 だから、あたしは別なふうに言った。
「あなたにはそれが普通かもしれないけど、あたしにとっては困ってるひとを助けることが普通なの。そういうことにしておかない?」
 
 
 お昼は購買部でパンを買い、夜は生協で材料を仕入れて手作りのお弁当。
 神聖都学園に入ってから、ずっと寮で一人暮らしなので、料理は得意。自分で食べるときは冷凍食品とか出来合いのものでごまかすこともあるけど、誰かに食べてもらうときは、やっぱり気合が入る。
 卵焼きに魚のフライ。にがうりと豚肉の炒めもの。ほうれんそうのおひたし。赤がないから、プチトマトを添える。これで、よし。
 そして、桜の丘で意気揚々とお弁当を手渡そうとすると──彼は意外な反応をした。
「こういうの、もうやめてくれないかな?」
「どうして? 朝のお弁当、そんなに酷かった?」
「そんなことはないけど……」
 彼は言葉を濁した。あたしの顔をみないで、じっと空を眺めている。視線を追うと、そこには月があった。満月になりかけた十三夜の月。
「あの星、なんていうの?」
「月。お月さまなんていったりもするけど」
「僕の星でも、似たような衛星があるん、だけど──」
 言葉の途中で、彼は顔を歪めた。昨日の今日だから、傷がまだ痛むみたい。
「ごめん。骨が何本か折れてるみたいなんだ」
「気にしなくて、いいよ。怪我人なんだから」
「あの星──月をみていると、僕の星を思いだしてしまう」
 僕の星──。普段は聞かない言葉が二回も続けてでてきた。ということは、彼はちがう星からの訪問者ということになる。
「あなたの星は、どんなところなの?」
「僕が異星人でも驚かないんだね?」
「もう充分驚いたから。あなたに角があることで」
 それに、怪奇現象の類には(興味のないあたしでも)慣れているから。
「地獄だよ。毎日誰かが死んでいる。父も母も恋人も、もういない。だから逃げだしてきたんだ」
「──」
 かけるべき言葉が見つからなかった。「大変だね」とか「つらかったんだね」なんて言葉は、相応しくないし、逆に言ってはいけないものだと思う。
「僕たちはね、ひとを喰らって生きる者なんだ。生きるためには、誰かを喰わなければいけない。僕の恋人は親友に喰われたよ。その親友を喰ったのは僕だけど」
「──」
 やっぱり、なにも言えなかった。彼の告白にも驚いたけど、それ以上に胸が痛かった。
 彼が地球ではじめて会ったひとは、たぶんあたし。昨日、あたしから逃げようとしたのは、あたしに食べられると思ったからなんだ。安全な星へ逃げてきたはずなのに、心の平穏には程遠いなんて。
「いつか僕はきみを喰らってしまうかもしれない。いや、きっと喰ってしまう。だから僕なんかに構ってはいけないよ」
「いいよ。あたしを食べても」
 無意識のうちに返事をしてしまっていた。
 自分の言葉にあたし自身も驚いたけれど、でも、それもいいかな、なんて思ってしまった。
「構ってはいけない」と忠告してくれるのは、あたしを心配してくれているからだ。あたしを食べることは、きっと彼の本意じゃない。生きるために仕方なくあたしを食べるのなら、それもいいんじゃないのかな。不思議なことに、そんなふうに思ってしまった。
「やっぱり、きみは変わってるね」
「みたいだね。あたしもそう思っちゃった」
 うなずくと彼はおかしそうに笑った。あたしも笑った。笑いながら、もう一度、彼にお弁当を差しだした。
「ね、せっかくだからお弁当も食べて。これでも自信作なんだから」
 
 
 それから数日の間、時間をみつけては彼と会うようにしていた。お弁当を持参して。
 おたがいの星のことを話したり、たわいない会話をして笑いあったり、一緒にごはんを食べたりして、こうして二人でのんびり時間をすごせたらいいなあ、なんて思っていた。一度だけキスもした。
 なのに、彼はあたしに黙っていなくなってしまった。新月の夜のことだった。
 夜空を眺めると、流れ星をみつけた。願い事はひとつ。
「あたしの好きなひとが、しあわせでありますように」
 声にすると、涙がこぼれた。