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首くくりの木の怪 ― 赦しの秘蹟 ―
広い室には蒼い闇が訪れようとしていた。白を基調とした上品な調度はそれぞれがあるべき場所に収まり、見事な調和を描く。闇はその調和を損なう事なく降り降りて、次第次第に満ちて行く。潮が満ちて白砂を呑み込んで行くように。
やがて室は水底のように蒼きに染まる。
空間に存在する明りは、大きくとられた窓からの月の光と、窓の前に置かれた机上にあるパソコンのモニターの淡い光のみ。
セレスティ・カーニンガムは室内に存在する唯一の人工の光……モニターの前に在った。
キーボードの上に白き繊手を走らせ、混沌と溢れる情報の波を掻き分ける。
その、ともすれば他愛ないと一笑に臥されて終るであろう情報に目が止まったのは、仕事の合間の息抜きにと覗いたとあるホームページの掲示板での事である。
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舞 …… 2004/7/26(mon)21:50
私、ここのBBSには初めて書き込みします。みなさん、よろしくお願いします。
私の学校……私立若葉高校というんですが、実は裏手の森に一本の有名な大木があります。部活の先輩から聞いたんですが(先輩も卒業した別の先輩から聞いたんだそうです)この木は死者の霊が集まる場所で、夜中に木の前へ立つと、霊に呼ばれて首を吊りたくなってしまうそうなんです。
私……全然信じてなかったんですが、部の友達二人が試しに木の前へ行ったらしくて……次の日、一緒に死んでいるのが発見されました……。
何か供養をしてあげたいんですけど、どうすればいいのか全然分からなくて…どなたかいい方法を教えてください。お願いします
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書込まれた日を確認すればつい、一昨日。後には幾つかレスポンスが入っているが、その内容は様々な宗教の、死者に対する鎮魂の儀式の方法である。
流石に東京を中心に日本各地から怪奇現象の情報が集まるHPである。よくもここまで細かく、と感心出来る程に信頼に足る内容のものから、何処をどうすれば、と首を傾げるしかない胡散臭い情報まで様々だ。
だが、とセレスティは疑問に思う。
この書き込みをした…ハンドルネームと内容からすれば恐らく少女だろう…はただ、供養の方法を、儀式の用法を知りたいだけであるのか。
もし用法のみが必要であるなら、書込まれた中から、自分が出来る範囲のものを選択すればいいだろう。
「ですが、彼女が言っているのは……」
少し違うのはないか、とセレスティには感じられた。
キーボードの上で止まっていた指が、しなやかに動く。
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celesta …… 2004/7/28(wed)19:38
初めまして。
御友人の供養をされたいとの事ですが、もう少し詳しくお話をお伺い出来ないでしょうか?
もしかしたら御協力出来るかも知れません。
メールアドレスを残させて頂きますので、お気が向かれましたら御連絡下さい。
*****@****.***.**
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不特定多数の人間が見る掲示板にメールアドレスを残す事は歓迎されぬだろうが、他に連絡の取りようもない。調べる事は可能だが、相手が望まないのであればそこまでする必要はないだろう。
ただ、セレスティの時の先を見通す力が彼にそっと囁くのが聞こえたのだ。
これはただの、何処にでもある噂話ではなく、それに惑わされただけの少女の呟きではない事を。
舞からメールで連絡が入ったのは、セレスティが掲示板に書き込みをしてから翌日の夕方だった。
『celesta様
初めまして。舞と申します。
掲示板の私の書き込みへのレスを見たのでメールを差し上げました。
私が知りたいのは供養の方法なのですが、既に他の方からのレスで色々と教えてもらっている「方法」でいいのか正直わからないでいます。
友人二人は噂通り首を吊って死んでいるのが見付かりました。
前日まですごく元気で、自殺なんてするようなそぶりはありませんでした。自殺を考えている人が数日後に遊ぶ約束なんてするでしょうか?
もし、噂が本当で、霊に呼ばれて首を吊ってしまったのなら、二人の魂はまだそこにつかまったままのような気がします。苦しんでいるかもしれません。
だとしたら、二人の魂を解放してあげたいんです。
そういう意味での供養が出来たらと思っています。
掲示板に書き込みをした時は、悲しくて、そればかりで詳しい話を書込む事が出来ませんでした。
celestaさんのレスのおかげで少し落ち着く事が出来ました。ありがとうございます。
これで供養の方法がわかりますか?
念の為に学校の住所と電話番号を書いておきます。
よろしくお願いします。
私立若葉高校
――県――市―――――――
tel ×××-×××-××××
□◆◆◆◆□◆◆◆◆□
舞
***@****.**.* 』
セレスティはメールを読み終えると机の上を指先で一つ、叩いた。
これだけでは噂が本当であるのかも判らない。舞と言う少女の友人が死んだ理由も。
発作的な自殺なのか、それとも何かが関与しているのか――。
セレスティは俯かせていた顔を上げ、傍らの秘書を呼ぶ。
「これから言う所に連絡を取って下さい。……私立若葉高校に」
私立若葉高校は長い坂を上がり切った、閑静な住宅街の中にある高校だ。
セレスティは秘書が車から下ろした車椅子に身を預け、校門を入ってすぐにある銀杏の並木道を行く。
緑鮮やかな葉を茂らせた銀杏は枝振りも良く、未だ午前中であると言うのに既に強い日射しを僅かなりとも遮り弱めてくれる。
セレスティは並木道を抜け、校舎を目前に右折した。中央の校舎の右側に独立して小さな建造物がある。それが図書室と、他目的室のある棟であると事前に確認してある。中へは車椅子では不便であると判断し、受付に預け来客用のスリッパを足に、中に入る。
建物の中に入ると、空調が効いておりひんやりとした空気がセレスティを包んだ。じりじりと灼くような日射しよりは格段に身体が楽になる。
入口から真直ぐ行くとエントランスがあり、右が他目的室の並び、左が図書室になっていた。迷わず図書室の方へ向かい、中へと足を踏み入れる。
「セレスティ・カーニンガム様ですか……?」
声を掛けて来たのは四十代も半ばを過ぎた頃だろうか、穏やかな物腰の女性であった。
「理事長から話は伺っております。私は教頭を努めております」
そう言うと、女性……教頭は頭を下げた。
「本日こちらは関係者以外立入らぬようにしておりますので」
「有難うございます。お願いしてありましたものは御用意頂けましたでしょうか」
「はい。創立当時からのわが校の歴史や、行事等の資料、それから裏の森に関する資料……御依頼頂いた物は全てここに」
「お手数をお掛けしました」
セレスティは促された席の前に立ち、教頭に礼を述べる。
「いえ……、この度の件に関しましては、こちらでも何か手を打たねばと考えていた所でしたので。生徒達が噂に踊らされて、混乱をしているようですから」
「そうですか……それは早急に対処せねばなりませんね。この年頃は感受性も強く、繊細です」
椅子を引いて座りセレスティは教頭を見上げる。教頭はセレスティの水の色の瞳に真直ぐ見つめられ、僅かに視線を下向ける。セレスティの天上より降り立ったかのような美貌に、抗える者は少ない。
セレスティは女性の反応も知らぬげに、言を継ぐ。
「出来ればお昼休みに、生徒の方から噂についてお話を伺いたいのですが。……どのような話が流れているのか把握しておきたいのです」
単なる噂であれ、解決の糸口が紛れている可能性はある。
だが、生徒以外の教員を含めた大人達が、正面から噂に触れる事はないだろう。セレスティが、噂を重要視するのも、よくは思っていないに違いない。
案の定、目の前の女性の気配が曇ったのが判る。
「生徒の心理状態を理解する為に必要な事です。虚言や噂の中にも、人の心理は隠されているものですよ。……生徒の混乱を収めたいのであれば、先ずその心理を理解する事が必要ではありませんか?」
柔らかに諭す響きに、教頭は沈黙し、そして頷いた。
「そう……ですね。判りました」
教頭は言って再び頷くと、では昼休みに、と言い図書室を出て行く。
整然と書籍が並ぶ図書室に、セレスティは一人残された。
「さて真実は那辺にありましょうか」
セレスティの指が、机上に積み上げられた資料へと伸ばされた。
資料から得られた情報は、この学校では自殺者が多いと言う事だった。
自殺者があれば、その死因についても詳しい資料をと予め指定してあった為、死因も殆どが判った。
――圧倒的に首吊り自殺が多い。
しかも場所は噂にあった学校の裏手の森―資料からすれば森と言うより林に近い―の特定の木の許であると言う。
よくこれで今迄に週刊誌やテレビのネタにならなかったものだとセレスティが呆れる程に、自殺者のほぼ全てと言っていい数が同じ木で首を吊っているのだ。
恐らく学校側はこの事実をひた隠しにして来たのだろう。私立だからこそ出来た事と言える。
セレスティは若葉高校と連絡を取るのに、自らの立場を利用した。リンスター財閥の総帥であり、高名な占い師であると言う、立場を。そうでなければ――もし一介の探偵等であったのなら、この事実を容易に手に出来はしなかったに違いない。
「よくもここまで放っておけたものです」
これだけ同じ場所で、同じ死因で自殺者が出ていると言うのに、何故怪しまなかったのか。
――いや。
怪しまなかった筈がない。何かしら手を講じた事もあったろう。
それでなくば。
「この学校自体が既に……気付かぬ内に囚われてあるのでしょうか」
目に見えない、死者の叫びで縒り合わされた糸で。
「えっとー、俺が知ってるのは……」
セレスティが資料を調べ終える頃、昼を知らせる鐘が鳴った。
教頭は先の言葉通りに生徒を数人連れ立って訪れ、セレスティが席を外すように言えば別段異論を唱える事もなく従った。
現在居場所を図書室の中にある、司書室に移している。窓で仕切られた簡易的な室は個別に話をするには丁度良かった。一人ずつ順に司書室に招き話を聞く。
今セレスティの前に座っているのは、小柄な少年だ。
「裏の森にある木……一番デカいヤツなんだけど……」
少年はセレスティの顔をちらちらと見ながら訥々と話す。これまでに話を聞いた生徒も同じようだったが、セレスティは気にしなかった。こう言った反応には慣れている。
「そいつが満月の夜……夜中の三時に生きてる人間を呼ぶんだって……。最初に死んだ女の子が、どんどん仲間を呼んで、そんでそいつらが皆で……次を呼ぶんだって」
「君はそれを確かめた事がありますか?」
セレスティの質問に、少年は首を振る。
「そっ、そんなの……こ、恐くって出来ないよ。あそこ、森って言われてるけど、大きさ的にはホントは林なんだ」
「そのようですね」
セレスティは調べた資料の記述を脳裏に描く。
「だけど何で森って呼ばれてるか、わかる? あそこさあ……昼間でも何か暗いんだよ。結構鬱蒼としてるしさ……だから、皆森って呼んでる」
暗い、鬱蒼と木の茂る、森を思わせる林。
「噂をちゃんと知ってる人間なら昼間でもあんなとこ行かない。知らないヤツでさえ、何となく嫌な感じがするって、滅多に行くやつはいないんだ。こないだ死んだ子達は……知っていたから死んだんだろうけど……馬鹿だよ。あの噂を、試すなんてさ」
「君……」
「死んだ人の悪口を言うなってんだろ? でも、本当じゃないか。噂を冗談か何かと勘違いして、遊びにしたからいけないんだ」
少年は言い切ってから、「そりゃ可哀想だとは思うけど」と口を噤み俯いた。
「噂を鵜呑みにするのはあまり感心しませんね」
セレスティの声に少年は顔を上げる。
「でも」
「けれど、人間は本能で危険を感じ取ります。本当に危険だと胸の裡が騒ぐなら近付くべきではありません。君が木に近付かなかった、その判断は正しい」
驚いたように目を見開く少年に、セレスティは微笑んだ。少年の頬が、僅かに染まる。
「これからも、心の底で危険を感じた時には近付かないように……自分の感じた事を信じてあげてください。そして、知っている人が、君が危険だと判断した事に不用意に近付こうとしたら、止めてあげて下さい」
セレスティの言葉に、少年の背筋が伸びる。
「はい」
少年の真摯な視線を感じて、セレスティは瞳を伏せた。
亡くなった少女の傍に、少年のような人間が居れば二人は死なずに済んだかも知れない。済んでしまった事とは言え、残念に思えてならなかった。
教頭が連れて来た生徒の全てから話を聞き終えたのはちょうど昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った頃だった。
セレスティはこれまでに判った事を纏めてみる。
・自殺は学校の裏手の森と呼ばれる林の中にある、一番大きな木にて首を吊って行われる。
・生者を呼ぶのは満月の夜、午前三時と言われている。
・最初に首を吊って死んだのは少女である。
最初に少女が首を吊ったと言う噂に関しては、資料から事実を拾う事が出来た。十五年前の事になる。理由迄は流石に判らなかったが、少女は当時十七歳だった。それ以前にも自殺者が一件あったが、これは別の場所での事であり、首を吊っての自殺でもなかった。
「やはりこれが最初と見て良いようですね……」
少女の死の後、この学校に存在する者が自らを死に至らしめるのは学校の裏手の木で首を吊る……そうした不文律が出来上がったかのように、木の下の死者として名を列ねる事になる。
そして、セレスティは一つの共通点に気付いていた。
自殺者の死亡日……己の死刑を執行する日は、ある日を境に噂と同じく満月の夜に集中していた。
特にここ数年は必ず、満月の夜である。
つい先日亡くなった二人も、やはり満月の夜に亡くなっていた。
「今日から一番近い満月の夜は……」
セレスティは司書室に置かれた端末で調べてみる。
「……明後日ですね」
満月を知らせるカレンダーには八月一日、日曜日に、月のマークが記されている。
空には白い月がかかっている。円く明るい光だけを見るなら、満月の美しさを詩にでも詠みたい所である。だが、セレスティは月を頭上に、その美へと注意を向ける事は無い。
セレスティは私立若葉高校の裏手、噂の通りに木々が鬱蒼と茂る林の中を歩いていた。
足場が良い状態ではない為に、車椅子はない。得意とは言えぬ歩行は、だが杖を使いながらも凛とした美しさを感じさせる。
林に満ちるのは、怨嗟。それが織り上げる念は、時が経つにつれ次第に空間に満ちて行く。ゆるゆると。ひたひたと。
現在午前二時五十分。午前三時まであと十分。
時を待たずして毒々しい瘴気は既に林を埋め尽くそうとしていた。
セレスティを取り囲む木々が、誘うように揺れざわめく。
声が聞こえるようだ。
早くここへ、と、呼び招く声が。
これは、霊に敏感な者であればある程引かれるだろう。セレスティには通じないが、人であれば林に近付いただけで催眠状態に陥り、無意識に招き入れられる事もありうる。そしてそれは霊感に優れ、心の中に影を落している者であれば、尚強い引力を感じるだろう。
やがてセレスティは一際高く、見事な枝の張りを見せる大木の前に辿り着いた。
本来なら生命に満ちた自然の勇壮を感じさせるであろう樹木は、纏わせた怨嗟に黒々とした異様をしか描かない。
「哀れな」
周囲は怨嗟に烟り、その濃さに異臭さえ放っている。
セレスティでなければ、木の全容を見渡す事が出来るかどうか――それ程の、怨みに穢された木を中心に、生き物を腐敗に爛れさせる瘴気が周囲に放たれ流れ出して来る。草々の間を、木々の隙間を余す事なく埋めながら、セレスティをも冒そうと……誘おうと。
だが、セレスティの周りは清浄さを保っていた。頭上にかかる月の光が変わらず注ぐように、清冽な水のごとき光が身を縁取る。
自らが聖域であるかのようなセレスティに、濁り病みついた空気は触れる事が出来ない。
セレスティは一歩、また一歩と木へと近付いて行く。
「多くの魂をその身に下げ続け、支えて来たあなたに敬意を表し」
セレスティは太く立派な幹を見上げた。
「そして、苦しみ深きそのゆえに、救済を求め続けた悲しき業を断ち切らんが為」
多くの枝の下に、沢山の骸が下がる。紺色のブレザー姿の少年少女。そして、セーラー服と詰め襟の……十年前までの若葉高校の制服姿。
果実が樹に実るように、怨嗟に熟れた十数人分の骸が腐臭を放ち枝下に生る。
「還して差し上げましょう……狂える樹は黙する樹に、怒れる骸は白き骸に、眠れぬ魂は天に」
首を吊り、俯いていた頭が一斉に顔を上げた――午前三時を告げる、鐘の代わりに。
黒く塗りつぶされたような、相好もつかぬ顔の中で、瞳だけが赫い光を灯している。孕むのは怒りか、血の叫びか。
セレスティは足を止めると、スーツの内から銀のナイフを取り出した。ナイフで掌に傷と付け、握り込む。やがて、白き指を染めて血が滴り落ちはじめる。赤い雫は地に落ちるとすぐに染み込み、拳の下に染みを広げて行く。
「我が身に満ちたる血潮よ、行きなさい……」
静かに命ずる声が暗く澱んだ空に波紋を生み、声に引き起こされて土に染み込んだ筈の血が波打つ。ゆらり、ゆらと次第に波が大きくなるにつれ、周囲に広がって行き、何時しかセレスティの足下には淡く光を放つ波が広がっていた。。
光の波は木に向かって音もなく打ち寄せる。怨む声を、悲嘆の涙を、それらが凝固した黒き渦を、白々と明るい光波が呑み込んで行く。決して荒ぶるでなく、優しく腕に抱き込むかのように。
木に辿り着いた波が、幹を伝って上に昇って行く。幹を、多くの枝を葉を僅かも揺らさずに。揺れるのは、枝に下がる骸。光波に呑まれた骸は、燃え上がるように濁った蒸気を上げた。襤褸と化した制服は、蒸気を上げた後に、真新しく生まれ変わる。血肉のこびりついた骨が、肌を取り戻す。
怨念に塗りつぶされた顔に、表情が戻り――、瞳に生の輝きが点る。
首を巻いていた紐が溶けて消え去り、樹木に縛り付けられていた首が自由になる。
小さく、笑い声が聞こえた。
楽しげに、笑みを漏らす、それは光と共に笑いのさざ波となって、木を伝って天へと掛け昇って行く。
光が消えた後には、木に下がる骸も林を占める濃き怨嗟もなくなっていた。不快なざわめきも姿を消し、残ったのは夜を謳う虫の声を抱く木々の静けさ。そして、今はもう本来の姿へと戻った大木の前に佇む一人の少女。
『どうして……?』
少女はセーラー服を着ていた。セレスティはその少女の顔を記憶していた。資料の中にあった、木の下で首を括って己を消そうとした少女。
『寂しくなかったのに。ずっと、皆と一緒に、居たかったのに』
少女は一歩、踏み出した……セレスティに向けて。
『……どうして……ッ!』
少女の身体が瞬時にしてセレスティの眼前に移動した。怨みに歪んだ顔をセレスティの間近に寄せ、瞳から血色の涙を流す。
『やっと、独りじゃなくなったのにぃ……ッ』
肉声ではない声がセレスティの心に響く。セレスティはゆっくりと頭を振った。
「……いいえ。貴女はずっと独りでした……亡くなられてから」
『違うぅ、独りだったのぉ……だから、みんなをよんだ、のに……ぃ』
金属を打ち鳴らすような激しい声が、セレスティの内を揺さぶる。だが、セレスティはやはり頭を振る。
「生きていれば……誰かと共に在る事も出来たでしょう。貴女はそれを諦めて独りになる事を選んだのです」
寂しくて、悲しくて、憤ろしくて、次々と生者を招き死に陥れても、少女は独りである事に変わりはなかった。
「だから……何人もが貴女を追っても、満たされなかったのでしょう……?」
少女は、再び言い募ろうと唇を開いた。何かを喋るように開閉を繰り返し――叫んだ。
『ああぁあああああああァ………ッ!』
絶叫は、静まった筈の林を揺らす。激しく風が渦巻き、セレスティの銀の髪を巻き上げた。
少女は耳を塞ぎ、身を折って叫び続ける。
怨嗟の咆哮ではなく、慟哭だった。孤独を嘆く絶望の嘆きだった。
セレスティは月を見上げた。この慟哭が届いてはおらぬかのように、表情を変える事のない、白い面。
セレスティの視力は極めて弱い。肉眼ではっきりと月の姿を捕らえる事は出来ない。だが、月の残酷なまでの白き美しさは感じ取る事が出来る。
――人の孤独は、こんなにも哀しい。
既に潰えた筈の魂が、死を受け入れられず長く彷徨い、痛みを忘れられずこうして血を流すがごとき叫びを上げても、聞き届ける者は無い。
幾度、このような嘆きを聞いただろう。見届けて来ただろう……孤独はどんな時代でも、常に人の傍らに在り分かち難く、普遍だ。
――それでも。
「泣かないで下さい」
セレスティは、少女に合わせるように、身を落した。両手で抱え込まれた顔を、抱え込む手ごと白き手で包み、優しく顔を上げさせる。
「苦しむ時は終りました……、眠るのです」
それでも、人には終わりがある。生まれた者に課せられた終末は、全ての苦役の終わりでもあるのだ。
「眠りなさい――、忘れて。死はそれを赦してくれるのだから」
セレスティは少女に祝福を与える。額に落す口付けと言う名の。
「おやすみなさい。天の褥で」
安らかな死を、幸いと言祝ぎ。
少女は、セレスティの手に一雫の涙を残し、月光に溶けた。
『舞様
魂を誘う哀しき樹の鎮めは終えました。
二度と同じ事が繰り返される事はないでしょう。
貴女の御友人も、今はもう静かに眠っておられる事と思います。
もし、御友人の死を悼むのであれば、噂の木の根元に花を捧げて下さい。
――貴女の、心を添えて。
celesta 』
end.
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