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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


血の聖域  前編




「翼絡みなんだ」
早朝にいきなり掛かってきた興信所へ来た依頼の助っ人を頼む電話で告げられた、武彦のその台詞に、金蝉は受話器越しに冷笑を浮かべる。


いつもそうだ。


そう言えば、金蝉が動くと思っている。

馬鹿な。
舐めるなと言ってやりたい。

ホイホイと、女の名前を出されて軽くなる腰の持ち主ではないのだ。
そろそろ、そこら辺を思い知らしめてやりたい。


「誰が行くか」と冷たく答え、ガチャンと、手酷く電話を切り、本家より頼まれている札の作成に戻る。
目を閉じ、精神の集中を図って、筆を手に取り……、


そして、金蝉は、勿論興信所の前にいた。



扉の前で、じっと手を見る。


阿呆か?
阿呆か、俺は。
興信所などに、足を踏み入れるものかと心に誓って幾星霜。
また、来ている。



翼絡みと聞いた瞬間から、金蝉の鋼の精神は乱れまくり、札など作成出来そうにない。



翼のせいだ。


金蝉は、溜息をついた。


いつだって、あいつのせいだ。


「酒、酒、酒…」
三度呟き、翼にどんな銘柄を奢って貰おうかと考えながら扉を開ける。
つまみは、出来れば刺身が良い。
鮪、烏賊、甘エビ、鰹、秋刀魚なんかもイけそうだ。
枝豆の塩ゆでに、冷や奴。
翼は大層料理が上手だったから、手早く何か作って貰うのも良い。
幸せな想像をしながら足を踏み入れる興信所の応接間には、そろそろ、もう、本気でこいつの顔見たくないと、心から感じ始めている武彦と、質素な姿ながらも上品そうな一組の老夫婦が待っていた。
武彦が「よぅ」と手をあげ、それから掌で老夫婦を指し示す。
「こちら、今回の依頼主のご夫婦だ」
武彦の言葉に、老夫婦が金蝉に視線を向け、頭を深々と下げる。


陰陽術は、儒教の国、中国が発祥の地である。
儒教は、年功序列を大事とする学問だ。
故に、鬼畜名高い金蝉も、老人に対しては、学問としてしみついた先人を敬う感情が先立ち、思わず頭を下げ返す。


まぁ、だからといって、あくまで条件反射的態度のようなものなので、いくら年上だとしても、精神年齢の幼い者、無能の癖に威張る者、ただ年齢が上だからといって、偉そうな態度で接してくる者に対しては、いつもの傲岸不遜な態度で対応し、その心得違いを叩きのめすが、しかし目の前の夫婦は、金蝉の軽蔑して止まない態度をどれ一つ取るとは考えられなくて、金蝉は少し改まった表情で武彦の隣り、老夫婦達に向かい合うソファーに腰掛けた。
武彦は、そんな金蝉を不思議そうに眺め、それから視線を老夫婦に戻す。
「彼が、翼と特に親しくしてる、桜塚金蝉です」
そう紹介すれば、老夫婦はマジマジと金蝉を眺め、それから「翼が、お世話になっています」と、再び頭を下げる。
金蝉も、また、頭を下げながら、(この二人、翼の何だってんだ?)と疑問を抱いた。
武彦が、そんな金蝉の為に老夫婦に言う。
「申し訳御座いませんが、先程、お見せいただいたお写真、彼にも見せてやって下さいませんか」
二人は、コクリと頷くと、夫人の方が、そっと懐に手を偲ばせ、一枚の写真を撮りだした。
そこには、紛れもなく、二人の夫婦の間に立ち、柔らかな笑みを浮かべている翼がいる。
金蝉が、視線を夫婦にすえれば、今度は夫の方が口を開いた。
「お初にお目に掛かります。 私どもは、翼の両親に御座います。 桜塚金蝉さんには、翼と随分仲良くして頂いているみたいで……」
金蝉は、二人の言葉の途中で目を見開く。
「……両親?」

翼の両親…?

硬直する金蝉。
今まで、感じた事のない緊張感が金蝉の全身を駆け巡った。
一瞬、ほんの一瞬だが、『もっと、ちゃんとした格好をして、菓子折でも下げてくるべきだった』という後悔と、『くそ! 武彦も、もっときちんと説明をすればいいものを! 何の心の準備も出来てないじゃねぇか』という、怒りが込み上げる。
幾ら冷血無比で、常識観念に乏しい、世界人非人選手権間違いなくNO1の金蝉にも、想い人の両親というのは、怖い存在だったりする。
思わず、もっと愛想良くすべきだったかと、自分には土台不可能な事まで考えて、フト、気付いた。
翼の両親って……人間だったか?


そんな金蝉の混乱の間に夫は、丁寧な挨拶を済ませた後、今回の依頼について語り出す。
「翼は、金蝉さんも、ご存知の通り、レーサーの仕事に就き、世界中を飛び回っております。 私も根っからの車好きで、昔は車の整備工場なんかに勤めてましてね、そんな私の娘である翼が、レーサーとして活躍してるという事は、本当に堪えようのない喜びでした」
夫の言葉に続けて、夫人が口を開く。
「ホント、この人ったらF1のレースなんかの中継は欠かさず見る人なんですけどね、翼が出てるレースがTVで放映される時なんかは、ビデオまでセットして……。 全部録っておいてあるんですよ? 車以外の機械には弱いのに、ビデオ操作だけは、一生懸命覚えたんです…」
夫が、手を振り、つまらん事を言うなと、夫人のお喋りを遮ると、金蝉に向き直った。
「ですから私達夫婦は、そんな翼の忙しさをよく知っておりましたし、直接喋る事が一年近く無かろうとも、それ程寂しさは感じておりませんでした。 翼も、ことある事に連絡をくれたり、土産を送ってくれたり、暇を見れば会いに来てくれたり、本当に親孝行な娘で……」
金蝉は、さもあらんと思う。
夫婦が、翼の両親だというのは、有り得ない話だが、だが、翼が何らかの事情で二人の娘を演じてあげているのだとしたら、彼女はそこまでする人間だ。
心から、娘のように振る舞い、両親である二人を大切にする。
翼は、そういう人間だった。
「それでですね、先日久しぶりに実家に翼が顔を出してくれる予定になっていたんですよ。 私達は楽しみにして、ずっと待っていたのですが、待てど暮らせど翼は来ない。 あの子は律儀な子ですから、来られないにしたってそういう知らせを寄越してくれる筈です。 不思議に思いまして、何度も連絡を取ろうとしたのですが、携帯電話も繋がらず、自宅の方にもいないようなのです。 私達は、心配で堪らなくなり、上京して参りまして、こうして、何度も翼のお話に出て来ました、興信所の方を訪ねさせて頂きました。 お願いします。 翼のことを探して下さいませんでしょうか? 無事ならば良いのです。 連絡をよこせなかったのも、何か事情があったのだろうと納得できますから。 しかし、何も分からないままだと、不安ばかりが募るのです。 お願いします。 翼の事を探して下さい」
そうして、また二人は深々と頭を下げた。



夫婦には、連絡先だけ教えて貰い、調査済み次第連絡を入れると伝えた。
東京に親戚の家があるらしく、暫くはそちらに滞在するらしい。
武彦と金蝉は顔突き合わせ、黙り込む。
訳の分からない事だらけだった。
「あの二人……本当に翼の両親って事は…」
「ないな」
武彦の言葉を途中で遮り金蝉が、淡々とした声で否定する。
「貴様も知っているだろう。 翼は、吸血鬼の血が半分入り混じっている。 あの二人は、どう見たってどちらとも吸血鬼ではない」
「じゃぁ……どういう事だ?」
訝しげに呟く武彦に、「さぁな…」と金蝉は答えて煙草を銜える。
火をつけ、胸一杯に煙を吸い込むと、目を細めて吐き出しながら「あの二人が、もし、俺達を騙そうとしているとして…、翼の両親を騙って、消えた行方を興信所に依頼し、あの二人は何を得するのか俺には理解出来ない。 あの口調を見る限りじゃ、心から翼を娘だと思い込んでいるように見えた。 人には、色々事情がある。 翼にも、あの夫婦にも、何か事情があって、家族ごっこをしているのかもしれん」と言った。
「事情? どんなだよ?」
「そんな事は、翼に聞けば良い。 依頼も解決できて一石二鳥だ」
そう告げ、スクリと立ち上がる。
「俺は、俺で、適当に調べる。 貴様も、探偵らしく、翼の行方を追え。 喜ばしい事に、怪異絡みじゃない仕事じゃないか」
そう冷静な口調で語る金蝉に、武彦がむっとしたような表情を見せる。
「金蝉は、心配じゃねぇのか? 翼が消えたんだぞ?」
すると、金蝉は「はっ!」と鼻を鳴らして不機嫌そうに告げた。
「どうせ、また、どっかでお節介焼いてるか、女口説いてるか、何かに夢中になってて時間を忘れてるだけだろう。 ただ、無駄に顔と、行動範囲が広いから、尻尾掴むには苦労するかも知れないが、翼に限って、心配なんて、無駄もいいとこだな」
金蝉は全く不安を抱く事のないまま、この頃少し伸びてきてうっとうしくなり始めた髪をかき上げ、興信所の外へと足を踏み出す。
気ぜわしげな声で武彦が「何か、嫌な予感すんだよな…」と呟くのを背に、翼のことを何も分かってないと、微かな優越感すら感じて、金蝉は扉を閉め、階段を降りた。


その夜、再び武彦から連絡が入った。
風呂上がりで、髪から雫をポタポタと落としながら、やっぱり髪を切るべきかなんて考えつつ金蝉は武彦の言葉に耳を傾ける。
「早速調べてみたんだがな、どーもおかしいんだよ。 翼が、あの夫婦の言う通り一昨日此方に帰国してきているのは間違いないんだ。 周囲の人間や、遠征先の人間も、そう証言してくれてる。 だがな、こっちに着いてからの足取りが全く掴めない。 空港周辺で消えたのか、それともあの夫婦の家に向かう途中で消えたのか…。 だが、それにしたってあんなに目立つあいつの目撃証言が、一つも得られないんだ」
不安げな言葉。
金蝉は、ガシガシとタオルで髪を拭き、退屈げに問い返す。
「で?」
「は?」
「何が言いたいんだよ。 まさか、あいつが誰かに拉致られたっていうのか?」
受話器の向こうから一瞬沈黙が伝わり、武彦が暗い声で「その可能性もあると考えている」と言ってくる。
金蝉は、「フン! 有り得んな。 拉致だと? 馬鹿な。 翼に危害を加えられる人間がいたとしたら是非とも顔を拝んでみたいものだ。 貴様も、そんな馬鹿な事を考える前に、もっと気合い入れて探せ」と告げて受話器を下ろす。
ヒタヒタと足に心地よい木の廊下を、裸足で歩く。
ポタポタと、雫は廊下に水滴を落とし続け、フト「翼に見られたら叱られるな」と金蝉は考えた。
金蝉以上に翼はこの家を気に入っている。
来た時は必ず掃除をし(勿論金蝉も巧くこき使い)自分の心地よい空間として好んでいてくれていた。
(この家は、まさにキミみたいだ。 金蝉。 頑固で、涼しくて、古臭い)
そう言って笑った翼の顔が思い浮かぶ。
「何処で、道草くってんだよ、お前は。 帰ってきてんのなら、早く、来い。 ったく」
金蝉は独り呟き、自室へと戻った。
ガタガタと、風に煽られ窓硝子が揺れる。
TVのニュースが、大型の強い台風の接近を告げていた。



二日後。



金蝉は再び興信所を訪れていた。
窓硝子から、不快気に眉を寄せ空を見上げる。
真っ黒な雲が、空一面を覆っていた。
風が吹き荒れている。

台風、東京上陸。

翼の行方は已然掴めない。
武彦とて、プロの探偵。
そのプロがこの二日全力を尽くして探しても未だ翼が見つからないという異常事態に、流石の金蝉も胸が騒ぐ。
事務所内では武彦が、片っ端から翼のいそうな場所にコンタクトを取り、金蝉もその手伝いをしていた。
ギリっと音が立つほどに歯を食いしばる。
こめかみがキリキリと痛んだ。
(翼……何処にいる? 何をしている? 翼…。 翼!)






「…金蝉」
掠れた声で翼は呟いた。
「…金蝉」
目を閉じ、何度も名を呼ぶ。
少しだけ、体に力が漲るような気がした。
頭がクラクラと揺れる。
翼は暗い部屋の中、目隠しをされ、縛り上げられたまま放り出されていた。
硬直し、軋むような音を立てる体は、節々が痛み、冷たいリノウム張りの床が容赦なく翼の体温を奪っていく。
帰国した翼は、そのまま駅へと向かい、翼にとって大切な人達に会いに行く予定だった。
手には、遠征先の土地での土産物。
浮き立つような気分で、歩き出す。
だが炎天下の下、足早に急ぐ翼の行く手を、一台の黒い車が阻んだ。
中から降り立つ白衣の男性。
街中で白衣なんていう奇妙な光景に目を見開くとその内の一人が、「蒼王翼さんですね?」と問い掛けてきた。
警戒を露わにしながら頷く翼。
すると男性が、一枚の名刺を差し出しながら「申し訳御座いませんが、我が研究所の所長が是非とも貴女にお会いしたいと申しております。 一緒にお越し下さいませんでしょうか」と申し出てきた。
受け取った名刺には、「ブラッド・サンクチュアリ研究所」と書かれている。
ブラッド・サンクチュアリ……血の聖域?
眉を顰め、名刺を突き返す翼。
「生憎忙しい身でね。 初対面の人にそのような事を言われてホイホイ着いていくような余裕はないんだ。 それ程馬鹿でもないしね。 僕に用があるんなら、事務所を通して正式にアポイントメントをとってくれ」
明らかに不審な誘いを一刀両断し、また足を踏み出し掛ける翼。
そんな翼の耳に、小さな女の子のくぐもった微かな悲鳴が聞こえた。
勢い良く声のする方向へと目を向ける翼。
視線の先は、白衣の男が乗っていた車の中。
後部座席のシートに、猿わぐつを噛まされ、縛られて転がっている小さな女の子が居る。
その隣には、少女の喉元にナイフの刃を突き付けて座る屈強なスーツ姿の男もいた。
少女が苦しげに、喉の奥の方で、コンコンと咳き込む声が耳に届くと、翼は引きつった視線で男達を睨み据える。
低く震える声が、翼の唇から零れ落ちた。
「貴様…らぁ!」
男は薄く笑う。
「あのお嬢さんはですね、別の理由で我が研究所にお招きするのですが…。 翼さん、貴女は大層優しいお方だとお聞きしてます。 所長は、最優先で貴女を研究所へお連れしろと仰られた。 その為ならば、手段を選ばずとも良いと……。 貴女が、着いてきて下さらなければ、あのお嬢さんには、残念ながら少し痛い目を見て貰わねばならないのですが……」
翼は怒りと憎しみに満ちた視線で男を見上げる。
「…地獄へ堕ちろ」
唸るようにそう言えば、薄く笑って車の扉を開け、男は翼を車の中へ促した。


車の中で目隠しをされ、多分翼の距離感を失わせる為に、何度も何度も道を曲がって、一時間ほど掛けて、ここへ連れてこられた。
携帯電話等の荷物は既に全て奪われている。
車の中では、翼の力を知っているのだろう。 逃げだそうとすれば、あの少女の命はないと脅された。
確かに目隠しをされた状態で、狭い車内という悪条件の中、闇雲に力を奮うわけにはいかない。
結局、翼が出来る事と言えば、今はどのような状況で、連れ去られようとしているのか、情報を集める事位だった。
怒りに震える声を抑え、出来るだけ冷静に問い掛けた結果手に入った情報は以下の、数点。
翼の略取を命じた所長とやらは、何処かへ出掛けており、二日後には帰ってくるらしい。
傍らの少女は、嫌な感じの咳の仕方から、察せられた通り、重度の喘息を患っているそうだ。
さる財閥の一人娘らしく、金目当てで略取したそうで、少女の喘息は発作が起こった時には気管支拡張薬を吸入する必要性があるし、他にも定期的なステロイド薬の投薬も必要らしい。
男達は、通院が必要な少女の病を利用して、学校帰りに病院へ向かっている所を誘拐したようで、少女は赤いランドセルを背負い、私立の小学校らしい制服を着ていた。
男達は翼に対して研究所内で、もし、反抗的な態度をとるようならば、少女への投薬を即座に中止すると脅してきた。
研究所に着くと、少女は何処か別の場所へ連れて行かれ、翼は一人別の部屋に閉じ込められる。
例え、鎖で雁字搦めに縛られても、翼の能力があれば即座に逃亡は可能だが、少女の身を思うと迂闊な行動はとれない。
じっと地に伏せたまま、翼は相手の目的を考える。
世界的F1レーサーである自分の略取する目的として一番相応しく思えるのは、やはり金だろう。
スポンサーについてくれている企業ならば、幾らでも金を出してくれるだろうし、メディアにも希求力があるから、名誉欲や目立ちたいという欲求も大いに満足させる事が出来るに違いない。
だが……。
翼は静かに考える。
(ブラッド・サンクチュアリ………血の聖域……血…)
妙な不安が胸を突き上げる。


金なら良い。
そんな単純な目的なら怖くない。
しかし、ならばこんな研究施設に浚ってきたりするだろうか。
首謀者は所長だといっていた。
少女は、金目当てで誘拐したとして、どうして自分まで浚う必要が…。
そんな思考を巡らせる翼の耳に、カツカツと高い足音が聞こえてきた。
翼は、ゆっくりと首を巡らせる。
(分からない事は……本人に聞けって事だね)


ガチャ、ガチャと鍵を開ける音が響き、キィとドアが空けられ、廊下の空気が室内に入り込んでくる。
目隠しをされた目を、布越しに眩い蛍光灯の光が射た。 


「初めまして。 蒼王翼さん。 いえ『AMARA』の名の方が相応しいのかしら?」


翼は、艶やかな女の声で紡がれる、その言葉に身を強張らせる。


「会いたかったわ、とても」



翼は、悟った。
相手は、F1レーサーの翼に用があって浚ってきたのではなく、半ヴァンパイアのAMARAに用があるのだと。










血の聖域 後編へと続く