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<東京怪談ノベル(シングル)>


浄玻璃


 セレスティ・カーニンガムは外出先から戻ると、しばらくは誰も近寄らないように告げてから、自らの部屋へと向かう。
 木製の扉が重いと感じたのは、おそらくはその作りの重厚さのためだけではないだろう。
 その扉の向こう。自室のキャビネットの中に納められた人形の事を思うと少し、気が進まなかったのだ。なぜなら、先程仲間とも言える一体の人形は解体される様を見守ってきたがゆえに。
 とはいえ、このままでいる訳にもいくまい。
 セレスティは自らを奮い立たせるように、長い銀髪を揺らしながら首を振ると、ゆっくりと頭を上げて、そっと扉を開いた。
「戻りましたよ」
 誰もいない部屋に向かって、セレスティは静かに呼びかけた。


 セレスティの胸に抱かれているのは、一体の人形。ビスクで出来た、時代を感じさせる人形である。
 セレスティは、過ごした年月のためかわずかにぱさついた人形の髪を細く白い指で何度も梳きながら、人形の顔を見つめる。
 人形の青い瞳に映るのは、人形を覗き込んでいる自分の姿。

 ――浄玻璃。

 その瞳は、亡者のおこないを映し出すという鏡を想起させた。セレスティはその考えに少し口角をゆがめ、笑みの形を作る。
 馬鹿らしいと笑い飛ばしたのではない。あまりにその考えが、相応しい物のように思えたからだ。
『……試されているのでしょうかねぇ』
 手にした人形に話しかけるようにセレスティは、そっと呟いた。


 * * * * *


 胡粉を塗られた顔。白く小さな手足。
 人の姿を模った存在が、分解され、次第にただの部品へと化す。
 先程まで形をなし、人の如き動きを見せた精巧な機巧人形としての面影はなく、すでに幾つかの部品と成り果てたそれは古びて汚いガラクタでしかない。
 かつての主人に打ち捨てられた時よりも、さらにみすぼらしいガラクタ。
 セレスティの胸をよぎるは哀傷。人に対するものと変わらない程の。
 以前の自分であれば、取るに足らないものと打ち捨てて終わったかもしれない、ただの物体。それに対する哀愁。
 自分でも、何故だかは分からない。けれど、なぜか心が痛んだのだ。
 人によって生み出され、人によって葬られた人形。それは……エゴではないのか。

「どうしたんだい?
 なんか妙な顔をしてるけど……」

 大胆なスリットの入った服を纏った紫の一人の女が、セレスティの顔を窺う。
 女の名前は碧摩・蓮。
 先程、分解された人形とセレスティの縁を結んだ張本人だ。壊される人形を今ひとたび甦らせ、そして葬る事を決めた。
 それが、悪い判断とはいえない。けれど、少ししこりが残るのだ。
 人に害をなした人形を分解する前に甦らせたのも、所詮は蓮自身が、自分の心を納得させるためのものだ。人形に対する憐憫があったのだろうとは分かっているが、けれど、所詮はそれも人間のエゴでしかない。
「我々は、なんて自分勝手な業の深い存在なのでしょうね」
 自ら生み出し。自ら葬る。まさに、神の所業だ。
「総帥……、あんたは相当魅入られちまったらしいね」
 わずかに苦笑するような響きの篭ったその言葉に、セレスティはゆっくりと顔を上げ、蓮の顔をうかがう。
「ああ、こりゃ悪かったね。いや、馬鹿にしてるんじゃないよ。
 ただ、そうだね……。この店は客を選ぶのさ、知ってるだろう?」
 だから、この店に来たあんたが、あたしに物を頼まれて、その結果やらなんやらについて考えるのだとすれば、この店にあんたを呼び寄せた『何か』は、あんたにそれこそを望んでいるのかもと思うのさ。
「最近のあんたは……『人形』に魅せられている。そう思うのさ。それは、ここ最近のあんたなら、分かるはずだ。
 ただ、言っておくとね。今回の件で、あんたを呼んだのもあたしの意思じゃない。あたしの意思じゃない何かが、そうさせているのさ」
 そこまで言い終えると、蓮はトレードマークのように普段から手にしている煙管をいく度か指先でもてあそんでから、口先にその吸い口を運び。ぷかりと煙を吐き出した。


 わずかに呆然としながら、セレスティは考えをめぐらせる。ありえないと一笑にふす事は出来ようはずもない。
 このアンティークショップ・レンで自分は一体何体の人形に出会ったか。
 ただの偶然というより、何者かの意図がそこにあると考えた方がよほどしっくりする。それほどの数なのだ。
 真っ先に思い浮かぶのは、自室のアンティークの人形。果たして、意思があるのかも定かではない人形。
 そして……もう一つ。
『そう、彼もまた』
 彼?そこまで考えて、セレスティの思考はぴたりと止まる。
 彼とは一体誰であったのかがまったく思い出せないのだ。
 思い出そうとしても、はっきりとは思い出せない。だが、ぼんやりと浮かぶのは、黒々とした二対の瞳だけ。
 記憶に長けたセレスティが、物を忘れる事など、滅多にある事ではない。
「一体……誰なのでしょう」
 なぜかひどく心に引っかかった。


 * * * * *


「私は魅入られているのでしょうかね」
 くすりとわずかに困ったように、セレスティは腕の中の人形に呼びかける。
 何故だか、『それもいい』と思った。
 何かを伝えるために人形が自分に働きかけているのであると言うのであれば、それに付き合う事もいいのではと思えた。
 自分がこの物言わぬ存在に、人間という造物主を持った力なき存在達に出来る事があるのであれば、それをしてやりたいとそう思った。
 それすらも自分勝手な思い上がりのエゴでしかないのかもしれない。そう思う。
 それでも、みすみす不幸にはしたくない。


「キミは勝手だと思いますか?
 それとも、喜んでくれるのでしょうか」

 キミのためになどと甘い言葉で責任を逃れるつもりなど毛頭ない。けれど、セレスティは呼びかける。
 責められようととなじられようと構うまい。
 例え今、自分の行いが試されているのだとしても。将来、自分の行いを振り返る事になったとしても、私は自分自身が胸を晴れるように行動するのみ。
 セレスティは顔を上げる。小さく微笑み、もう一度だけ人形の顔を見つめてから、そっと人形をキャビネットに戻した。
 財閥の総帥としての多忙な日常に戻るため、廊下へと続く扉を開け放ち、部屋を後にする。
 もし、セレスティがキャビネットの中から部屋を出る自分を見つめる人形の表情を見ることが出来たなら、普段よりも優しげな笑みを浮かべている事に気付いただろう。