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<東京怪談ノベル(シングル)>


手間賃なしの手間仕事

 今度こそ逃してなるものかと、五代真は全速力で自転車を飛ばしてやってきた。それなのにまた間一髪の差で、相談所に残っていたのは生意気そうな顔をした、見覚えのある少年一人きりだった。小さな体を荷物が山積みにされたソファの間になんとか滑りこませて、足をぶらぶらと投げ出している。
 確か、以前会ったとき名前を聞いたのだけれど・・・・・・。真は思い出せない。
「おい、あの、ええっと」
すると少年は真が訊ねている内容を勝手に取り違え、淡々とした口調で話し出した。
「おっちゃんなら逃げたで。真兄ちゃんに金請求されたない言うとった」
せやけど契約は守ってな、俺今日寝るところあらへんわ。
 訛りある少年の言葉通り、空気の淀んだ室内は足の踏み場もなかった。いたるところに封をされたままの段ボールが積み重ねられ、カップラーメンの食べ残しが並んだテーブルの上には極秘のはずの個人情報が記載されたファイルが開いたままになっている。くしゃくしゃになったストライプのシャツをつまみあげ真は、本当にここは医療機関としてなりたっているのだろうかとため息を吐く。その拍子に本棚から週刊雑誌が雪崩れを起こし、派手な音を立てた。肩をすくませ後ろを振り返った真に対し、少年は慣れきっているのか猫に似た瞳をきょろりと動かすだけだった。
 少年の叔父であり、同時に真の親戚でもある(つまり二人は直接血のつながりはなくとも一応親戚同士といえる)臨床心理士からかかってきた電話を思い起こし、真は地団太を踏んだ。
「やられた!」

 電話を受けた瞬間、真の口から飛び出したのがまず
「金を払え!」
だった。この親戚からは以前にも仕事を依頼されたことがあった、にも関わらず報酬を貰った試しはなかった。だから、いつだって電話に出るとまず挨拶の前にこの言葉が飛び出すのだった。
「まあまあ、落ち着け。それより今日はよく晴れたな。昨日の大雨が嘘のようだ。雨といえば、そうだ・・・・・・」
しかし相手も慣れたもので、まず今日の天気や昨日見たプロ野球の結果の話を持ち出してきては何気なく真の気を殺いでしまう。五分か十分も世間話をしたところで、真の声が穏やかになったのを見計らい、そこでようやく本題を持ち出す。
「ところで、だな。お前に頼みたいことがあるんだ」
「またかよ」
せめてこの言葉が出たときに最初の剣幕が持続していればよいものを。しかしさんざんになだめられた真は、もう彼の言葉を聞いても仕方ないなあくらいにしか思えなかった。
「今日はな、うちの大掃除をお前に手伝ってもらいたいんだ」
「うち・・・・・・っていうと、仕事場のことか?そういや俺、まだ行ったことなかったな」
「ああ、道は教えるから。間違えようない場所にあるからすぐわかるぞ」
今までの詫びも含めて、報酬は倍払うからやってくれないかな。その言葉に真はすぐさま飛びついた。そして自転車を駆って来れば、この有様である。
「あのサギ親父!」
手近なスリッパを掴んで思い切り床に叩きつける、と、ソファから立ち上がった少年がそれを拾い上げ
「はよ掃除せな日が暮れてまう」
少し前からこの家の居候となっている少年は、どうやら既にこうした扱いには慣れきってしまっているらしい。
「・・・・・・しゃあねえなあ」
大人が子供にたしなめられるわけにはいかない。短い黒髪をガシガシとかきむしり、真はTシャツの袖をまくりあげた。

「おい、このブラインド動かねえぞ」
「俺が来たときから開いとるとこ見たことあらへん」
まずは空気を入れ替えようと窓を開けることにしたのだが、ここからまず難関だった。万年雪のごとく埃をかぶったブラインドはどんなに紐を引いても動かないし(仕方ないので取り外してしまった)で窓の上には色あせた書類だの本だの土だけしか入っていない植木鉢だのが邪魔をしていた(植木鉢は捨ててしまった)。おまけに窓の鍵は錆びついてしまっていて、頑なに真の手を拒むという始末だった(これはさすがに壊せないので時間をかけて錆びを落とした)。単に窓を開けるという作業でもこれだけ手間取ったのだから、後の作業が思いやられた。
 少年のほうはどうやら雑誌の処分から始めたようで、ありとあらゆる場所に放置された数種類の雑誌を集めるそばから紐でくくっていく。その中には今週発売の最新号も混じっているのを見て
「おい、闇雲に捨てていいのか」
すると少年は
「兄ちゃん知らんやろうけど、おっちゃん毎日まんが買うて来るんやで。全部捨てたらなこの部屋丸ごと捨てる羽目になるわ」
それもその通りだと、真はげっそりした面持ちで室内を見渡す。だらしないあの男のことだから仕事場だろうとどこだろうと散らかしているに違いないと思ったのだが、予想をはるかに越えていた。

 それからしばらく、二人は黙々と掃除を続けた。いや、部屋があまりに汚すぎて口をきいている暇もなかったというほうが正しいだろう。真は段ボールを開いて中身の整理をしたり、家具を持ち上げて移動させたりと主に力仕事を請負い、少年は雑誌の処分と洗濯物の回収に働いた。
 久方ぶりに光を取り込んだ大きな出窓から夕日が差し込んでくる頃、ようやく部屋は本来の白い壁と床とを露わにし、三つある本棚の中には整理された書物が並んだ。勿論洗濯物は落ちていないし、スリッパだってきちんとスリッパ入れに収まっている。
「ようやく終わったな」
これは間違いなく今まで受けた一番の大掃除だと確信しつつ汗と埃まみれの真が悲鳴のような歓声を上げる。もう当分は掃除機も雑巾もバケツも見たくない。
 玄関の隅へ最後の雑誌を運び終えた少年は、真がでんと体を沈めるソファの横へちょこちょこと近づいてきた。そして
「まだあるで」
残酷な宣言と共に、本段の脇にある白い扉を指さしたのだった。扉には真の目線よりやや下あたりに「counseling room」と淡い水色の文字で書き抜かれている。
「ま・・・・・・まだあるのかよ」
真は思わず逃げ出したい衝動に駆られたが、少年がシャツの裾を掴んでいるので動けなかった。
「兄ちゃんが帰ってもうたら俺一人で掃除せなならん。掃除終わらなおっちゃんに会わせる顔ないんや」
これが居候としての責任感だろうか、そういえば少年は文句一つ言わず黙々と働いていた。
「徹夜になるかもしれないんだぜ?」
念の為たずねてみたのだが、少年は覚悟していると頷いてみせる。
「かまへん」
健気に頷いてみせる様が、見た目の幼さに加えいじらしくてたまらない。
 そういえばこの子はなぜ、親戚の家に預けられているのだろう。そんな疑問が真の頭をよぎったがしかし、少年の無感情な瞳に尋ねられる雰囲気でもなかったのでなにも訊かないことにした。

 カウンセリングルーム、つまり診察室は幸いにも少し書類を整理して、掃除機をかければ格好がつく程度に片付いていた。真が喜んだのは勿論、少年もほっと安堵の息を吐いた。人間、覚悟していたものが実は案外にあっけなかったと知るときほど嬉しいことはない。
「これなら掃除を終わらせた後でも充分夕飯にありつけるな」
お前はなにが食いたい?と肩を叩く真に少年はこの格好で行くん?と薄汚れたシャツを引っ張って顔をしかめる。語調はそっけなかったが、口の端にほんのり笑みが浮かんでいたのを真は見逃さなかった。
「大丈夫だって、俺のよく行く店は客がどんな格好してようが全然気にしないんだからさ。あの店で食べる魚の煮付けったらもうとんでもなく美味いんだから・・・・・・」
「兄ちゃんの母ちゃん、料理上手かったんやな」
「どうしてわかるんだ?」
話聞けばわかる、と言う少年にさっぱり要領を得ない真は掃除の手が止まる。
「なあ、どうして俺の親のことなんてわかるんだ?」
「おっちゃんのカウンセリングで言うとった。人間っちゅうんは子供の頃食うとった味が舌の基本になっとるんやて。で、繊細な和食の美味い不味いを言い当てられるんはほんまに美味い和食食うとった奴にしかわからんてな」
「ふうん」
あのだらしない男からそんなまっとうな言葉が飛び出すとは思いもよらなかった。もっとも、彼自身から聞けば真は納得しなかっただろう。子供のくせに大人びた目をした少年の口から出た言葉だったから、なるほどと頷いてしまったような気がする。
「お前もカウンセリングとかってできるのか?」
「阿呆か、できるわけないやろ。まあ、いつもおっちゃんの横で見とるからなんとなくかじった程度や」
つまり耳学問というやつである。しかし門前の小僧習わぬ経を読むという言葉もあることだし、元々少年に資質があるのかもしれない。
 生まれてこのかた健康優良児という名をほしいままにしてきた真だったから、病院だの医者だのという言葉には縁遠かった(怪我をして入院したことは何度かあったけれど)。だから親戚の仕事が臨床心理士と知ってもふうんと答えるくらいだったけれど、自分の育った環境をずばりと言い当てられると興味も湧いてくる。
「なあ、ほかにはどんなことがわかるんだ?なにができるんだ?」
「せやなあ・・・・・・」
それやったらこのテストやってみよか、と少年は慣れた調子で戸棚からなにやら箱を取り出してくる。どうやら、大分仕事を手伝わされているようだった。

「うーむ・・・・・・」
ところで、この二人の様子を陰から窺っている人物がいた。誰ならぬこの部屋の主、真の親戚である臨床心理士だった。実は二人に気づかれないよう、随分前から隠れていたのである。
「また失敗か」
なぜ彼はそう呟いて肩を落としたのだろうか。
 実は、この間から何度となく真と少年を引き合わせているのには理由があった。誰の目にもはっきりわかるほど大人びた少年、子供らしくなさすぎると兄夫婦から相談を受けているのだった。よく言えば理性的、悪く言えば感情が乏しすぎる。そこで心理士は少年を預かって、正反対の気質を持つ真に引き合わせれば、いくらかは子供らしい溌剌とした明るさを取り戻すのではないかと考えたのである。
 だが今のところは呟き通りに失敗だった。見てのとおり真は、自分の半分くらいしかない少年が語る心理テストの解説に感心して聞き入っている。簡単なカードを使ったテストなのだが、真くらい単純に模範例通りの回答を選んでくれると診断もつけやすい。一体、どちらが大人か首を傾げたくなるくらいだった。
「すごいなあ、お前。ここで勉強続けたら本当の先生になれるんじゃないか?」
「おだてたかて、なんも出らん」
いや、臨床心理士が心配するほどではないのかもしれない。真から誉められてはにかむ少年の表情は案外に子供らしいではないか。今回は仕事場の大掃除も完了したことだし、思惑は大成功ではないだろうか?