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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


みどりの蕗の、下のひと

<オープニング>

 その日、草間興信所のオンボロソファには、『足寄農業組合』と胸元に書かれた作業着を着て、額から流れる汗をせわしなく拭う二人の壮年男性が所在なさげに座っていた。その下にはきっちりと地味色のネクタイが締められている。
「……で、行く先々でたらい回しにされた挙句、とうとうここへ足をお運びになった、と」
 そんな二人の話を珈琲片手に聞き終えた興信所所長・草間武彦の眉間には、依頼人から見ても一目で分かる程深い皺ができていた。
 おりしも東京は真夏日。遠く北海道からやってきた二人は草間のその表情を見てさらに額の汗をたらたらと流し、慌てて言葉を改める。
「た、たらい回しといいますか。私どもの件を真実と受け止めてくださるような、そういった所はこちらしかない、とお聞きしたもので」
 生霊から妖怪まで幅広く。が業界での当興信所の評判であるのは、草間にとって不本意だ。ゆえに彼らのフォローはますます草間の機嫌を損ねたが、しかし依頼者のすがるような目つきにとうとう溜息をついて肩の力を抜いた。
「ま、あたらずとも遠からず、ですよ。不本意ではありますがね」
「では、引き受けてくださる!?」
 驚きながらもほっとした様子で顔を見合わせる二人の男に、草間は釘をさした。
「引き受けますが、他言無用で願いますよ」
── これ以上、妙な依頼はほしくない……

「……という訳でだな、蕗畑の収穫に間に合うよう、それを邪魔する『小さな人』たちをどうにかしてやってくれ。依頼人は足寄農業組合の方々だ」
 草間は週末の興信所に集まった面々の前で、『ラワン蕗入り』と書かれた羊羹を切り分けつつ、依頼内容を伝えた。
「飛行機のチケットは手配済みだ。ま、あんまり手荒な事はしてくれるなよ。どっちが悪いって訳でもないんだからな」


<本文>
 今日も東京は夏日。窓を締め切り、少しでも暑さを凌げるようにとブラインドを下ろした興信所の室内には、初対面の自己紹介を終えた6人の男女がおり、調査員である彼らの前には、夏らしいガラスの器に盛られた蕗入り羊羹が置かれていた。

「へ〜え。暇つぶしで来てみたら、なんかほのぼのとした依頼だね」
 茶の用意が整う間に草間が話した依頼内容をざっと聞いた後で、海原みあお(ウナバラ・ミアオ)は暢気そうな声でそう言った。
 金曜日。今にも息を引き取りそうな興信所のクーラーは、丁度みあおの頭の辺り風を送っていて、彼女の銀色の髪と、彼女の着ている制服の赤いリボンをそよがせている。彼女の華奢な体はソファに埋まるほど小柄で、虫も殺さないような愛らしい顔立ちだが、口調を聞くに気のほうは決して小さくは無いらしい。
「暇つぶしとは何だ」
 聞き咎めた草間の手がみあおの羊羹に伸びるが、みあおはそれより一瞬早くスィと皿を持ち上げ、草間に向かって小首をかしげて微笑んでみせた。
「はいはい、大人気ない事しないの、草間さん」
 と、興信所の狭い流しで立ち働いていたシュライン・エマが振り返り、手にしたお盆からまず草間に珈琲を、皆の前に冷えた麦茶を配り、草間の隣に腰掛る。苦虫を噛み潰したような顔をしていた草間は、そんな彼女をちらりと見ると、自分のはす向かいに座った男を指差した。
「大人気ないってのはな、ああいう男の事を言うんだ」
 そこには着崩した仕立てのいいスーツに、黒髪長髪、そして無精髭の男性が座っており、懐から大事そうに取り出した箸箱を嬉しげに開こうとしている所だった。
「は? 私ですか?」
 整ってはいるが少々生活苦が滲み出た顔に、ちょっと驚いたような表情を浮かべ草間を見返した彼の手前には、二切れの羊羹の乗った皿が置かれている。 草間が一ミリの誤差も無き様均等に切り分けた羊羹は、そんな風に分配されたのである。
「いいのよシオンさん。食べられる時にたくさん食べて頂戴。草間さんも余計な事言わないの」
 シュラインの言葉を聞いてシオン・レ・ハイは素直に、そうですか? と微笑んで箸を持ち直した。今日、彼はだいぶ遠い所からここまで『ゆっくり歩いて』来たのだそうだ。訳を聞くに現在公園暮らしで電車代が勿体無かったからなのだとか。羊羹の数はそれを聞いた皆の意見が無言の内に一致した結果だったが、シオンはありがたく頂戴するのみで、哀れみの視線には気付いていない様子。
 そんな彼らの会話を好奇心いっぱいの目で眺めていたのは、藤井蘭(フジイ・ラン)。彼は半ズボンから伸びた足をソファの上でぶらぶらさせていたが、やがて自分の右隣に座った細身の青年の服裾を引いて尋ねた。
「ね、ね、もう食べてもいいなの?」
 10歳くらいだろうか、緑の髪と銀色の瞳をしたその少年に、じっと見上げられた青年、理生芽藍川(コトオメ・アイカワ)は、まだ一切れの羊羹について話しあっている草間とシュラインの様子を黒目がちの瞳で眺めると、埒があかなそうだと判断し、頷いた。
「食べちゃってもいいだろーね。むしろさっさと食べないと草間さんに横取りされちゃうかもよ」
「えぇっ!?」
からかうように言われた言葉を真に受けた蘭は、出された羊羹を一口で飲み込もうとして喉に詰まらせる。「ん、んん〜っ!?」
「うわ、大丈夫か?」
 自分がからかったせいでまだ年端も行かないような少年にあの世に行かれてしまっては申し訳ない。理生芽はそのやさしげな外見とは裏腹に、勢い良く蘭の背中を叩いたが、羊羹のかけらは蘭の喉に詰まったまま。
「茶を飲ませた方がいいのではないか?」
 慌てる理生芽に、蘭の左隣に座っていた花瀬ルティ(ハナセ・ルティ)から落ち着いた声が掛けられた。小麦色の肌に黒い瞳が印象的だったが、その瞳は蘭が息を取り戻すまで微動だにしなかった。
「はぁ〜。息が止まっちゃうかと思ったなの。ありがとうなの、理生芽さん、ルティさん」
 二人にぺこりと頭を下げて、蘭はそのままルティの顔をまじまじと見上げ、可愛らしく小首をかしげた。
「ね、おねぇさんはなんで耳にいっぱい色々ついてるのなの?」
「ピアスやイヤーカーフの事か?」
 子供の無邪気な視線と質問に、ルティは正直に返す。
「たくさんあって重くないのなの?」
「あまり、そう感じた事は無い」
「なんで腕に模様が書いてあるなの? なんで暑いのにマフラーみたいのつけてるなの? おヘソが見えてるとお腹が冷えてとゴロゴロになっちゃうなの」
 ルティの人目を引く外見が気になるのか次々となされる問いかけに、彼女が律儀に答えようと口を開きかけた時、草間が手を上げた。
「藤井蘭。そこまでにしといてやれ。ルティが参るだろ」
 いや、私は別に……そう思っていてもルティの表情にはあまり変わりがない。
「それよりお前ら、その羊羹を食べたからには、行くんだろうな今回の依頼」
 漸くあきらめたのか、草間は煙草に火をつけながら彼らに尋ねる。
「もっちろん! みあおは行く。だって楽しそうだもん」
「みあおちゃん、学校はどうするの? 行き先は北海道よ? 今日は金曜だから一泊して帰ってくるだけなら月曜日には間に合うけれど、もし長引いたら……」
 シュラインはみあおを心配して言ったが、
「学校? そんなの何とかごまかせちゃうって」
 みあおはとても小学校一年生とは思えない発言をして軽く肩をすくめた。
 みあおの通う学校は、帰国子女や海外赴任者の息女、留学生たちを中心にした名門校だ。お育ち良くお金持ちぞろいの生徒を育てる教師たちには、どこかネジが一本抜けたような所がある。風邪を引いたとでも言えば、簡単に信じてしまうに違いない。
 学校はちゃんと行っておいた方がいいわよ、というシュラインがみあおに言っているのと聞きながら、一人羊羹をゆっくりじっくり味わっていたシオンが軽く手を上げた。
「私もご一緒させて頂きますよ。たとえ依頼料が出なくっても、ちょこっとだけ奢っていただけさえすれば」
にこりと微笑む。「北海道ですからね。夢の北海道! 美味しいものや蟹、美味しいものや蟹、おいしいものや……」
 蟹。がどうやら譲れないラインにあるらしい彼は、箸を咥えたままうっとりした目でどこか遠い所に行ってしまった。、
「ね、北海道って今涼しいよね? 俺も行く♪ 俺も高校あるけどさ、俺こんな暑いと蒸発しちゃうし」
 と言ったのは理生芽。おどけた台詞だが真意はあり、だが今の所は誰もその意味を知らない。
「遊びに行くんじゃないんだぞ」
 釘をさした草間の言葉に、ルティが軽く首を振る。
「私は勉学がてら、だな。今回の依頼には興味がある。それに、学校だけでは学べない事も沢山ある。そうだろう?」
 むぅ、と黙った草間の隣で、シュラインが確かにそうね、と頷き、ふと気づいたように言った。
「そういえば、ルティさんは民俗学や伝承に興味を持っていたんだったかしら」
 翻訳家などの仕事をしながらも、こうして興信所の事務員も兼ねているシュラインは、皆が集まる前に草間から多少の情報を仕入れていた。ルティの、南の血が混じっている事を感じさせる自然に浅黒い肌や、冷静な瞳とは裏腹に情の深そうなふくよかな下唇は、人のルーツを思い出させる。彼女自身も、その血に何かを思ってそういった事に興味を惹かれるのだろうか、それとも生来の気質なのだろうか。
「ああ。だから今回の依頼にも興味を持った。話に寄れば依頼人に何らかの被害をもたらしているのは、『蕗に関係ある小さな人たち』という事だろう? その正体はもしかしたらアイヌに伝わる……」
「そうね、『コロポックル』よね、きっと」
 ルティとシュラインは頷きあったが、他の4人は不思議そうな顔をしている。
「コロポックル? 小さな人ってコロポックルなの?」
 蘭は懲りずに羊羹を食べながら首を傾げて、
「ってあれも蕗だったっけ」
みあおは思い出したように視線を上げた。「だとしたらやっぱりまた、もののけ絡みなんだね」
「そーそ、草間さんの所イコール怪奇がらみ」
軽口を叩いて笑いあう理生芽とみあお達に、草間の機嫌が悪くなるが、理生芽は気づかず話を進めた。「でも、組合の人たちは具体的にどんな目に遭ってるわけ? 収穫の邪魔をされるって言っても色々な方法があるよね」
「ん〜。蕗泥棒とか?」
と、みあお。すると草間は依頼書をめくり、もう一度目を通し直すと答えた。
「いや、蕗には一切手出ししてこないそうだ」
「じゃ、逆にいえばその小さな妖怪さん……コロポックルだっけ? の、目的が蕗だって事は間違いないんだな」
 理生芽が納得したように頷くと、シュラインが落ちてきた黒い前髪を耳に掛けながら、
「妖怪、ね。いいえ、その『小さな人』が本当にコロポックルだとしたら、妖怪と言うにはちょっと違うかもしれないわ。彼らは確か、蕗の下に穴を掘って暮らしているとされる種族で……」
「え? 地底人!?」
 素っ頓狂な声を上げた理生芽に、シュラインはクスクスと笑って答える。
「いいえ、神様に近いはずよ」
 と、今までずっと北海道グルメ旅を夢想していたシオンが目を覚ました。
「神様ですか。なら訳なく人の営みに手を出してくるようには思えません」
どうやら、聞いていないようでちゃんと話は聞いていたようである。「邪魔をする訳が何かあるんでしょうか?」
「単純に考えれば、蕗を刈られる事によって住処を失う、と言うところだろうな」
 ルティが言うと、みあおは「そっか、小人さんにとっても蕗が必要なんだね」と言い、シオンは「住処が無いのは辛いですからねぇ」と違う意味で薄く涙を浮かべた。
「それでも、今まで収穫を邪魔された事は無かった訳でしょう? だとしたら最近移り住んで来たのかしら」
「ありえるな。しかしそうなると一体どこから? 前の住処を捨てた事にもなる。もしかしたら、単なるいたずらなのかもしれないぞ。伝承によれば、コロポックルは神くずれの精霊に近い。キジムナーのように悪戯好きの一面も持っている」
 ルティの言葉に皆が首を傾げてうなっていると、草間がポンと膝を打って言った。
「ま、詳しい調査は現地でな。今回は依頼料もきっちり貰ったことだし、がんばってきてくれ」
 出発は明日。調査員たちは、旅の支度もあるし、と一人一人興信所を後にする。が、最後にドアの前に立った緑の髪の少年は、話の間中ずっと傍に置いてあったクマのリュックをよいしょと背負うと草間を見上げ、微笑んだ。
「僕、ちゃんと、『ほっかいどー』まで行って小さな人を見つけてくるなの。がんばってくるのなの〜」
 ばいばい、と手を振って出て行く姿に、腰が砕けそうになった草間であった。





<組合で>

 足寄(アショリ)は、日本一広い町だ。帯広空港を降り、ふるさと銀河線に乗ってしばらく。着いた駅舎には高い立派な塔まであって、見上げればその向こうには青く広い空がある。草間興信所の面々は、この駅前で迎えに来ている筈の組合職員を、雑談しながら待っていた。
 東京から半日近くかかる道程の途中で、昨日の興信所が初顔合わせであったメンバーたちも、だいぶ打ち解けて来ていた。年若いメンバーが多いせいか、道中ではみあおが持ってきたジュースやお菓子を食べつつカードゲームをしたりなど、草間の言っていた通り、仕事より遊びや旅行と言えそうな雰囲気だったようだ。
「うーん、こっちはやっぱり涼しいなぁ!」
 降り立った駅の正面出口で、みあおが澄んだ空気を思い切り胸に吸む。その隣で、狭い車内で肩を凝らせたシオンが、無精鬚の伸びた顎を黒手袋を嵌めた手で軽く掻きながら伸びをしていた。みあおは昨日着ていた制服とは打って変わって、青いワンピースに旅行用のリュックを背負って日よけの麦わらをかぶる、という避暑地スタイルになっていたが、すると余計に幼く見えて、こうしてシオンと二人並んでいると、なんだかとても怪しい組み合わせだ。
「私は北海道に来たのは初めてだが、気温は低くとも近づく夏の気配に大地が喜んでいるようだな」
 実際にその気配を感じたのか、ルティが辺りを見回し目を細める。
「本当。雨も降らずにじめじめしてばっかりの今年の東京とはぜんぜん違うわ」
 シュラインの台詞に約一名、ぎくりと身をすくませ「さ、サボってる訳じゃないもん」とか呟いている青年が居たが、声は、駅に着くなり傍の花壇にしゃがみ込んで、なにやらごそごそやっていた蘭の耳にもほんの少しだけしか届かなかった。
「ふに? 何か言ったなの?」
「いや、何でも……あ、誰かこっちに来る」
 理生芽の差す方向から、作業着姿で小太りの男が慌てて走って来る。男は駅に他の団体が居ない事を確認すると、彼らの傍へやってきて懐から名刺を取り出し、まずシュラインに手渡した。
「や、お待たせしました。え〜と、草間興信所の皆さんでよろしいでしょうか?」
 職員の名は田中と言った。次にシオンにも名刺を渡し、次に、と視線を巡らせ驚いた顔をした。蘭やみあおは明らかに小学生であるし、理生芽は高校生だが見た目は中学生と言っても通じる。それにルティなどは、ほとんどテレビの中でしか見たことが無い今時の服装であるし。
 どうするべきかと悩んだ末、田中はもの欲しそうに自分の手元を見る蘭に気づいて、結局全員に配ることにした。
「じゃ、着いて早々で申し訳ないんですが、早速一緒にいらしていただきたいと……」
 そういって、田中が皆を促した先には、脇腹に組合と書かれたマイクロバスが鎮座していた。どうやらこれの借り出し手続きで遅くなってしまったとの事。



 そして駅から更に20分。彼らが着いたのは、組合のラワン東支所だった。
 ラワンとは川の名前であり、川沿いの集落には郵便局や小さな商店、小学校などが集まっている。来る途中の道からは、そろそろ収穫の時期を迎えて黄金色に実った小麦の畑がどこまでも続いているのが見えて美しかった。
「蕗はラワン川の流れ沿いに自生していますが、足寄では10年ほど前から栽培をはじめまして。え〜観光スポットとして自然保護区域なども設けて、地元としても全国にアピールしております」
 支所では興信所に来ていたもう一人の依頼主である川上が待っていた。作業着姿に、どこかへ出ていたのか長靴を履いていた。こうして、現場に行くよりも先にここへやってきたのは、実際に依頼人から話を聞いてみたいと言った理生芽とみあおの提案からだ。
 出された麦茶に付いてきたのは焼きとうもろこしである。この支所は近隣農家からの収穫物を安価で売る直売所も観光案内所も兼ねているらしく、入り口ではとうもろこしの他にも地物の鶏なども焼いており、地元民ではない様子の人の姿もちらほらと見受けられた。
 実のところ入ってきた時から醤油のいい香りが漂っていて、シオン以下、シュラインを除く全員が、その匂いに目を潤ませながら、案内してきた田中をじっとじっと見詰めた結果が今ここにある訳だ。
「ふぅん。じゃ、収穫する蕗って自分たちで育ててるやつなんだね」
もろこしを齧りながらみあおが言った。自然のものを乱獲しているようならば、依頼人ではなく『小さな人』たちに味方しちゃおうかな、などと密かに考えていたみあおだったが、それは無いと知って、事はもう少し複雑そうだと首をひねる。「具体的にどんな邪魔をされているわけ?」
 見た目小学校低学年でしかないみあおの、子供とは思えぬはきはきとした口調にちょっと驚いた様子の川上だったが、隣に座った田中をちらりと見てから、丁寧に答えた。
「初めは地元の方から要請が来ましてね、刺されるとひどく腫れる虫が出るから駆除してくれとか何とか。困ったもんだ位に思っていたんですが、どうもその虫というのが、その小さな人らしくて」
と、言いながらも川上は自分の言っている事に自信が持てないようだった。「実はですね、私どもの中でも被害に遭う者と遭わない者がおりまして。私などは後者なんですが、こちらの田中は」
「その、これっ位の小さなサイズの人なんですが、私にはやられたんですけど、一緒に居た課長……川上課長は見えもしなかったと仰いまして。それで、見える人と見えない人というのがいるんじゃないか、見えない人はどうやら襲われないようだという話になりました」
 田中が全員に指で示したのは、約15センチほどの大きさだった。川上が頷く。
「そのうち駆除に出ていた職員だけではなく民間での被害も大きくなりだしまして、これはどうにもならん、と」
「興信所へいらっしゃる事になったのね」
 聞きながらすばやくメモを取っていたシュラインが話をまとめると、依頼人たちは揃って頷いた。
「はぁ、今は仕方ないので、襲われない人間だけ集めて収穫に出ています」
 理生芽が、唇に付いたしょうゆをぺろりと舐めながら尋ねる。
「なんでそんな事になったのか、何か思い当たる節とか無いの? 聞けば畑を作り始めてもう10年経ってる訳でしょ、これまでに何も起きなかったのに今年からなんておかしいよね」
「それが分かれば」
 良かったんですが、という言葉を川上は口の中でもごもごとつぶやいて、興信所のメンバーを眺めた。
── 本当に無事解決してもらえるんだろうか……。
 話を聞いているのか居ないのか、ただ焼きもろこしを一心に齧っているそこの数名が、特に気になる。
 きれいに齧られて芯だけになったもろこしの山を見て、川上がほぅっとため息をつきかけた時。
「課長! またやられました!!」
 飛び込んできた組合職員が、新たな被害を皆に伝えた。






<ラワン蕗>
             
 
 被害が出たという近隣の畑では、収穫作業中の男性が一人、数箇所刺された様である。興信所のメンバーが現場にたどり着いた時にはすでに被害者は自力で病院へ行っており、『小さな人』たちも影も形もなくなっていた。
「いつもこうなんですよ。後には何も残さないというか、とても素早くて」
「刺された人は無事だったのか?」
「ああ、一日プクーと腫れますけれどね、なに、ちょっと痛痒いだけで一週間もあれば元通りです」
 なら、さほど心配ではないが被害は被害だな、と心中つぶやくルティの脇では。
「うわー。この蕗、傘みたいなの。おっきーい、おっきーい、なの」
 両腕を空に向けて広げて、蕗林を出たり入ったりしながら蘭がはしゃぎ回っていた。
 ラワンの蕗は人の背丈ほどもあった。昔は馬の背に乗ってでも、充分その下をくぐることができるほどの高さだったそうだが、今は年々小型化しつつある。特に畑で栽培されているこの蕗は、蘭やみあおにとっては見上げる高さだったが、背の高いシオンにとっては、少し手を伸ばせば蕗の葉に届きそうだ。
 蘭はがっしりとした茎に手と頬を寄せて、心底うれしそうな顔をした。
「なんかね、蕗さんワクワクしてるなの。おいしい水といっぱいの気持ちで育ててもらって、生き生きしてるなの」
「そ、そうですか?」
 蘭の言葉に喜びように気を良くした田中が、腰の後ろに付けていた鎌を持ち、構えた。
 それは一瞬の出来事だった。
 よく育った茎を鎌が刈り取る。蘭の目の前で、つい先ほどまで頬を寄せ撫でていた蕗から、ざっと大量の水がこぼれて散った。
「……っ」
「ほらね、ラワンの蕗はこんなにたくさんの水を含んでいるんです。飲むとおいしいですよ」
 真っ青になった蘭の表情の変化に気づかず、田中は人の良さそうな笑みを皆に向けた。
 が、全員が微妙な顔つきをしていることに気づいて、笑顔を収める。観光客はこれをやると大抵手を叩いて喜んでくれるのに、どうしてだろう。
 皆はうつむいてしまった蘭の様子を見るとも無しに見ていた。
 草間興信所から調査依頼をされるほどだ。ここに居る全員が何らかの能力を持っている事に間違いは無い。そして先ほどの様子と、今の様子を見るに、蘭にはきっと植物との意思の疎通能力があったのだろう。
 そこで、す……と蘭の傍に片膝を付いた影があった。ルティだった。彼女は蘭の小さな肩に両手を置くと、顔を上げさせ銀の瞳を覗き込んだ。
「よく、耳を澄ませてみろ」
深い漆黒の瞳が蘭をじっと見つめる。「植物の声が聞こえるあなたと違い、私に聞こえるのはここに暮らす精霊たちの声のみだが、よく……耳を澄ませてもう一度聞いてみれば、わかるはずだ」
「聞く……?」
 潤んだ目でルティを見上げて、蘭は辺りを見回した。
「刈られたからといって終わりでは無いこと、かな」
 言われて、そのまま目を閉じた。小鳥のさえずり、風の音に混じって聞こえてくるのは、蕗たちの声。決して悲しんではいない、つらいとは思っていない。と蘭に語りかけてくる。
「蘭ってきっとすごく純粋なんだね」
そっと言ったのはみあおだった。「みあおも勿論純粋だけどさ、結構現実見てるもん。植物ってほら、人の手が無ければ育たないことだってあるでしょ。蘭だって自分で言ったじゃない。いっぱいの気持ちで育ててもらってありがとうって言ってるって。ありがとうって感謝の気持ちのことだよね。だからさ、元気だしなって」
「ふに……」
 ちょっと無理をした風にではあるが、笑った蘭を見てルティは立ち上がり、シュラインは良かったとでもいうように微笑む。そんな蘭の頭に、ぽん、と黒手袋を嵌めたシオンの手が乗った。
「蘭さんは、強い子ですね」
 頭を撫でる大きな手に、蘭ははにかんで、今度こそほっとしたように微笑んだ。手は次にみあおの銀色の頭にも乗っかって、小さな子供にするように、かいぐる。
「ちょっと、みあおは子供じゃないんだから」
「いえいえ。遠慮しないで。ただ私がいい子いい子したくなっただけですから」
「だから、ホントに子供じゃないんだってば!」
「あはは。確かになんか撫でたくなるよねえ」
 それに便乗した風に理生芽の手も伸びて、小さな子供二人は一時もみくちゃにされていた。
「ところで肝心の小さな人のことだけど」
シュラインはその光景を脇に見て微笑んでいたが、遠慮したように立っている田中に気付いて、尋ねた。「私たちが知らせを受けてここへ来るまでに、5分とかからなかったわ。でも逃げてしまったのね?」
「多分そうです」
「なら、どうにかしてコンタクトを取らないと。彼らがどこに住んでいるのかもまだ分からないわ」 
 どうしましょうね、とシュラインが小首を傾げた時。
「僕、知ってるなの」
と、蘭が言った。「小さな人たちはね、ここよりもうちょっと東のほう……川のあっち側に住んでるなの」
「どうして分かるんですか?」
 彼の頭を撫でる事をようやく止めたシオンがたずねる。
「僕ね、『ほっかいどー』に来てからずっと『ほっかいどー』の植物さんたちとお話してたなの。小さな人たち知らない? って聞いたら、駅前のお花さんが教えてくれたの。小さい人たちはね、なんだっけ……し、し、『シゼンホゴク』とかいうところに住んでるなの」
「自然保護区ね?」
なるほど、とシュラインが手を打つ。「ならそこを交渉の場所としましょう。小さな人にも話を聞きたいし」
 みあおも頷く。
「そーだよね。両方から話を聞かないと、ふこーへーだもんね」
 と蘭を見ると、蘭は蕗に耳を寄せ、一心に何かを聞いていた。
「どうしたんだ?」
 ルティの声に顔を上げる。
「ふに……あのね、小さな人たちは、あんまりいっぱい居ないから、隠れてるんだって。ただ行ってもきっと出てきてくれないよって、蕗さんたちがそう言ってる」
「そうかぁ。ん、でも悩むよりまず行動あるのみじゃない? その自然保護区とやらに行ってみようよ」
 理生芽の提案により、皆は再び田中の運転するマイクロバスに乗って移動することとなった。







<小さな人>

 ラワン蕗自然保護区の一部には、人が特定のルートで歩けるようにと、砂利で覆った細い遊歩道が作られていたが、草間興信所の面々が案内されてきたのは保護区の中でも東の最奥であった。
「この遊歩道は最近作ったばかりなんです。あまり人には知られていませんし、ここから先は職員もめったに入らない場所なんですが……ホントにこんな方法で出て来ますかねぇ?」
「それはやってみない事には分からないわね」
 と言うシュラインの手元では煮えた蕗が切られている。隣では持ち込んだ七輪の上にトウモロコシを置いて、しょうゆを塗ってはひっくり返しているみあおと、それを手伝うように団扇で墨を熾しているシオンが居り、そのまた隣では、蘭と理生芽が大平鍋に鱗も取らない魚をそのまま放り込もうとしてルティに止められていた。
「何をおっしゃいますか。これだけ良い香りがしていれば、小人さんたちも出てこない筈がありませんよ」
 と、シオンは焼けるとうもろこしの香ばしい香りに鼻をひくひくさせながら言うと、シュラインがちょっと腑に落ちない表情をしながらも、苦笑した。
「確かに私も何か……蕗羊羹とか蕗のお漬物とかをお土産に持ってきたほうがいいかしらって言いはしたけれど」
 それって、たとえば蕗がどんな風に使われているかって事を、小さな人たちに伝えたかっただけなのよね。
 それがどうして何時の間に、こんな炊き出しのような事になってしまったのだろうか。
「ほら見てみてください。蟹。蟹ですよカニ。ああ、なんて美味しそうなんでしょう」
 だがシオンはシュラインの微妙な表情には気づかず、すでに茹で上がっているカニの山を前に頬を緩めている。蟹ははシオンのリクエストであり、ルティたちが作っているのは北海道の新鮮な海の幸をふんだんに使ったパエリア。シュラインが作っているのは蕗と白魚の和え物と蕗のピリ辛煮。
「なんかご飯が欲しくなる匂いだよねえ」
「早く食べたいね」
 あまりこの作戦の成功を信じていない理生芽とみあおは、すでに自分が食べる気満々で、つまみ食いもしているようだったが、お互いそれに気づいても黙っている事にした。見た目は全く違うがなんとなく似たもの同士の二人だ。
 こんな風に美味しい料理を用意して、団扇で匂いを扇いでおびき出してみましょうと言い出したのはシオンだった。小さな人たちが何を好むのかわからないので、和洋折衷どころか何の国か分からない状態になっているけれど。
 ちなみにこれらの食材の出所は田中の懐だから、失敗しても興信所には何のリスクもない。
「ん?」
その時、パエリアの出来具合と理生芽、蘭の二人が何かしでかさないか注意深く見守っていたルティが、気配に気づいて顔を上げた。「今……そこに何かが居なかったか?」
 蕗の林の方、何かが動いた気がした。
「もしや、とうとう来たのではないですか? お客さまが」
「ええ〜? ホントに?」
「きっとそうですよ。ちょっと行って見てみましょうか?」
 シオンは、皆が引きとめる間も無く、蕗の林の中へ姿を消した。
「……行っちゃったね」
 言いだしっぺが居なくなり、みあおは持ち主の無くなった団扇を拾い上げて、ニッと笑った。



 自生している蕗林の中は、栽培をされていた蕗畑とはまるでちがい、地面は水分を含んでやわらかく、折り重なった蕗の葉が日光を緑色に染めて暗い影をいくつも作っていた。
 シオンは、後ろに誰もついて来ていない事にすら気づかず、殊の外ゆっくりと慎重な足取りで蕗を掻き分け歩いていた。小さな人たちへの配慮である。
── それにしても……。
 上を見上げ、目を細める。自然のラワン蕗はシオンでさえも小人にしてしまいそうなほど大きく育っていた。
── こんな中に居ると東京であくせく働いている自分が嘘のようです。
 なのに働いても働いても我が暮らし楽にならざり。懐に収めたマイ箸とその先にあるマイホームを夢見て、シオンが思わずほうっと溜息をついた時。
「っ! うわぁ!!」
 彼は何かに足を取られ、情けの無い声を上げて地面に転がった。かろうじて受身は取ったものの、オーダーメイドの服は無残に泥で汚れ、か弱い体に打ち身が痛い。思わず出た咳に青い炎が混じる。
「あ、つつ……」
 落ちてきた黒髪を掻きあげ、身を起こそうとした彼の目の前に、蛙が一匹立っていた。
── カエル……ですね。ええと……カエルって、二足歩行するんでしたっけ?
 当惑しながらも、こちらを見ている蛙を見返すと、蛙の唇がにやりと両端に広がった。



「み、み、皆さん! 見てくださいっ、これ、これこのカエル!!」
 蕗の中に入ったと思ったらすぐにも出てきたシオンの手には、一匹のアマガエルが捕まえられていた。
「あ、シオンさん戻ってきたよ」とみあお。
「お先頂いてます〜」と言ったのは理生芽。
 慌てに慌てるシオンとは裏腹に、草間御一行と組合職員田中は出来上がった鍋をつつきつつ、カニをたらふく食べていた。
 先ほど一人で行ってしまおうとしたシオンを、誰も止めなかったのはここに理由があったようだ。
「ああっ! 蟹が!!」
 片手にアマガエルを握ったまま、シオンが泣きそうに顔をゆがめる。
「蟹はともかく、そのカエルがどうしたんだ?」
 と言うルティの手にさえ、剥き身の蟹と蟹酢が収まっているではないか。
「あ、ああ……これはですね。なんだか笑ったように見えたので咄嗟に捕まえてきてしまったのですが」
そんな事は蟹の衝撃に比べたら大した事が無いような気がしてきた。「可愛そうですよね、離してあげましょうか」
 そして箸に持ち替えるべきだ。とシオンが膝を曲げ地面にそっと蛙を下ろそうとした時。
「ちょっと待って!」
シュラインの声が飛んだ。「確か、コロポックルたちは外ではアマガエルの皮をかぶって行動しているという話よ? もしシオンさんの手の中のそれがそうなら」
 彼女の話が終わる前に、シオンの手の中のアマガエルが暴れだす。
「うわ、とと……」
 握りつぶさないよう気をつけながらもシオンの手に力が篭る、すると。
「あっ、皮が」
 ちょうど着ぐるみの人形のように、脱げた。
 下から現れたのは、真白い肌に、気の強そうな眉毛をした小さな人だった。少々ふっくらした顔つきはしているが、大人のように見える。
「ははぁ。もしや私を転ばせたのはあなたですね? 私は足元には気をつけて歩いていたつもりでしたし」
とシオンが言うと、
「うわー、小さい人なの。かわいいなの!」蘭が言い、
「ホントに食べ物の匂いに釣られて出てきたんじゃないよね?」とみあお。
「ああ、これは小さいなあ」
 もっとよく見ようと寄ってきた理生芽にも小さなこぶしを振り上げてくるが、あまりにも小さいのでまったく怖さが無い。
 驚いていたのは組合職員田中の方である。
「皆さん、びっくりしないんですか? 小人ですよ?」
「そうねぇ。多少驚くけど、何せ私たち……」
 草間興信所から来ましたので。と声をそろえたシュライン以下の4人と、一応うなづくルティ。
 小さな人の姿は、それが個々の持つ能力に関係しているのかどうかは分からないが、少なくともここにいる全員に見えるようだ。
「はぁ、そうですか……そういうもんなんですかねぇ」
 汗の浮いた額をハンカチでぬぐいながら、改めて小人を見ると、小人といっても顔つきは青年のようだ。
「これでよーやく小人さんからもお話聞けるね」
 みあおが言うと、ルティがうなづく。
「しかし、言葉は通じるのだろうか?」
「僕話しかけてみるなの。蕗さんと小人さんとはお話できるなの。だからやってみるなの」
 だが、『小さな人』は植物よりも精霊に近い存在らしく、語りかける蘭の声に、小さな人は反応を示さなかった。
「俺もねー、もうちょっと水に近い生物となら何とか話もできるんだけど、このコ達とはちょっと無理みたいだなあ」
 理生芽は困ったように言い、どうしようか、と傍にいたルティを見る。
「私も精霊の声を聞くことは可能だが……対話となると相手の機嫌次第なのでな」
 ちらりと見た先にはまだ大暴れしている小さな人の姿があった。
 困ったように顔を見合わせている皆に。
「あのう……」
泥だらけのシオンの声が掛けられた。「いつまで私、この人を捕まえていればいいですかね。実はさっきから手が痺れはじめておりまして」
 私あんまり体が強くないので、長い事同じ姿勢をとるのはちょっと辛いんですよ、と彼は言った。





<原因と結果>

 先程まで蟹の入っていたおが屑入りの木箱へと放り込まれた小さな人の機嫌は、1時間前よりはずっと良くなり始めていた。
「なんだか、ハムスターみたいに見えてきたよ」
 木と木を組んだ隙間から、小さな人の様子を見て来た理生芽が、口の中で飴を転がしながら戻ってきた。小さな人は先程から、胸元に抱えた飴を大口を開けてほおばっており、すでにアマガエルの皮は脱いで、草を乾燥させ染め抜いた貫頭衣に姿を変えていた。捕まえられたことで観念したのかそれとも開き直ったのだろうか。
 飴は、シオンがなけなしのお金で道中買い、小さな人に会えたならプレゼントしようと思っていたものらしいが、ポケットからそれを取り出して見せた途端に、飴が好物の理生芽にも一つ取られる羽目になった。
「だとしたら凄く頭のいいハムスターよね」
大変おいしく頂いた食事の片付けをしながら、シュラインが答える。「あの服を作る技術といい、畑で人を襲う手際といい。……ねぇ、そろそろお話は聞けそうかしら? ルティさん」
 静かに片付け物を手伝っていたルティは呼ばれて振り返り、思案顔になりながらも答えた。
「そうだな。そろそろ大丈夫ではないだろうか」
 蟹の箱から漏れ出していた怒りの声は、聞こえなくなりつつあった。
── さっきまでは、聞くたび『蟹臭いから出せ』と煩かったが、今はおとなしくなっているしな。
 精霊の声を聞く事ができるルティの能力『スピリチュアル』だが、そんな言葉を聞く為ばかりに使われていたら、その身に流れるシャーマンの血も泣くだろう。
 『小さな人』の声を聞く為には精神集中が必要だ、という事で、片付け終わったキャンプテーブルの傍には蟹の箱とルティだけを残して、皆は一歩下がり様子を見守る事となった。

 ルティは、まず目を閉じると片手を胸に、片手を下腹部に当て、目を閉じた。
 ただそうしただけで、ルティの纏う気配が色濃くなる。小さな人はそんな彼女の気配の変化を察したかのように、木箱の中で視線をあげる。
「……あなたの声を聞かせて欲しい。私はあなたたちを傷つけたいわけではないし、ここにいる皆も同じだ。……あなたの声を聞かせて欲しい。あなたが私に聞かせてくれるならば、私はあなたの力になれるだろう」
 ゆっくりと低い声で語りかけながら、ルティの両手は時折胸と腹から離れ、摺り合わされて元の位置に戻る。瞳は閉じられていたが、視線は、背後で見ている興信所の面々には分からない次元で、小さな人を見つめていた。
 木箱の中で小さな人が立ち上がったのが見えた。手元から飴を離すことはしなかったが、ルティの方を見上げ、それから後ろに立つ人々をじっと見詰める。その間もルティと小さな人との間では対話がなされているようだったが、聞き取ることはできなかった。

「……と、いうような経緯だったそうだ」
 精霊という、人と同じ世界に棲みながら別の次元で暮らすものとの会話に、多少疲れたような顔で、ルティは言った。
 彼女の話によれば、やはり小さな人達は、人間の言う『コロボックル』と同じなのだという。彼ら自身は自分達をそうは呼んでいないようだったが、発音は難しいとのこと。
 なぜ畑を襲うのかと言うルティの質問に、彼は答えたのだった。
 この百年。この地に住む人が多くなるにつれ、自生のラワン蕗は徐々に減っていた。彼らはラワンと共に生きる種であり、ラワン蕗が無くなれば、蕗の下の住処もその蕗から分かたれる生気も無くなる。
 蕗がなくなることが自然ならば、彼らが失せることもまた自然な事、とは思いつつも、人に近い精霊として在った彼らは、気質も人に近くなり始めていたのか、そのまま諦めることができず、人への警告をという気が高まってきていた。
 だが、ちょうどその頃、人間がこの場所を自然保護区を決め、ラワンを守るようになった。それに気づいた彼らは、人への警告を一時取りやめることにし、残った者達でここに移り住んできたのだが……。
「水脈が変わってしまったって?」
 理生芽の言葉にルティがうなづく。
「ああそうだ。ほんの一月前の事だそうだ。その為に更に東の奥の一角では蕗が枯れはじめているそうだ」
「そしてそこが丁度彼らの住処の真上だったのね」
 シュラインが言うと、シオンが考え込みながら呟く。
「……水脈の変化は人間の手によるもの、だと小さな人たちは考えている訳ですか? だから人を攻撃するようになったと?」
 すると田中が思い切り首を横に振った。
「いや、でも我々は特に何もしていないですよ、水脈といっても……」
「水脈かあ……」
 何事かを思うように、理生芽は呟いた。その隣でみあおが何かに気づいたようにぽんと手を打った。肩までの銀の髪がさらりと動く。
「あ! みあお気づいたんだけど。それってさ、もしかしてこの遊歩道のせいなんじゃない?」
 足元を指差せば、整備したばかりの新しい砂利が引かれた道がある。ついさっき通ってきた道だが、作られたばかりでこの先は行き止まりになっている。
「なるほどね。確かにここの水脈は地表から浅いところにあるみたいだし、その可能性も無くは無いな」
 理生芽がざっと辺りを見回すと、蕗の伸びた地面のあちこちには湿地のように水が湧き出ている。
「ね、じゃあどうしたら小さな人達を助けてあげられるなの?」
 今は蟹の箱から開放され、テーブルの上で残った蕗羊羹をかじっている小さな人を蘭は見た。
「そうねぇ……。できることといえば、組合の方に頼んで新しく水路を作っていただくとか、そういったことかしら。でもずいぶん手間がかかる事だし、もしかしたらその工事のせいでまた別の水脈が切られてしまうかもしれないわ」
 シュラインの判断に、軽い声で答えたのは理生芽だった。
「あー、そんなの訳ないって。俺がなんとかしてあげられるよ」
 え、と振り返った人々の前で、理生芽はすぐ傍の水路に歩いていくと何気なくその中に足を突っ込んだ。
「ああ、理生芽さん。そんな事をしては風邪を引いてしまいますよ」
 見た目よりずっと深かったのか、理生芽の下半身は、シオンが止める間もなく腰まで水に漬かっている。
「大丈夫、大丈夫。あのね、俺もともと水でできてるの。雨の精霊だからね」
ほら、と指差した足元は、実はそんなに深くない。理生芽の下半身はすでに水に溶けてしまっているのだった。「これからこの辺りの水脈調べてきてあげるよ。それで、奥につながる水脈の修正をすれば、元通り。でしょ? ……ああでも、枯れた蕗って東のどの辺りにあるのかな」
 それが分からないと困る、と中途半端な姿のままで言った理生芽に、みあおが手を上げた。
「じゃ、それはみあおが行ってあげる」
言い終わるか否かの内に、みあおの体が薄く白い光で包まれた。「これって、きょーどーさぎょーってやつだよね」
 物事を楽しむような声を残し、光が薄まったそこには一羽の小鳥がいた。美しい銀色の羽と銀色の瞳を持った小鳥はそのまま小さな人の傍に飛び移り、小さく羽を振るわせる。
 すると、見詰める皆の前で小さな人は心得たようにその背に乗った。
「ち・ちちち…」
 澄んだ囀りを残して、銀の羽はあっという間に東の空に消えた。
「みあおちゃんは小鳥になる能力を持ってるのね。ああ……あんなに高く飛んで。こんなにいい天気だとなんだか羨ましいわね」
 見送るシュラインに、理生芽が言った。
「じゃ、お互いの連絡役は蘭さんでいいかな? 俺は水棲植物としかコンタクト取れないから、宜しく」
 言い残すと後を追うように姿を消した。みあおからの連絡を待つ間に、大体の所を調べてしまおうと言うことらしい。
「……これで、事件はほぼ解決ね」
 残されたシュライン、シオン、蘭だったが。
 ふと背後の気配に気づき振り返る。
「おじさんどうしちゃったなの?」
「気を失われてますね」
 そこには、倒れる寸前をルティに支えられた組合職員田中がいた。
「どうやら目の前で起きた事についていけなかったようだな」
 ルティの至極冷静な言葉に、怪奇慣れした興信所職員は、今更ながらにああ、と呟いたのであった。





<エンディング・花瀬ルティ>

 あの後、程なくみあおが背に何も乗せぬまま戻ってきた。上空から見た小さな人たちの住処は、一目見て分かるほどに荒れていたのだという。
 それはすぐに元に戻るものではないが、遊歩道によって分断されていた水脈は理生芽が見つけだし、流れを治した。近いうちに快方に向かうだろう。


── 蕗の森の内と外……か。
 東京に戻った、日曜日の夜。
「お疲れ様」
 の言葉と共に駅で皆と別れ、今は蕗の森とは似ても似付かぬ、明かりの灯ったビル群の間を歩いている。駅ビルで少々買い物をしている間に、どうやら大雨が降ったようで、空気はさっぱりと澄んでいた。
 足寄りのあの清々しい大気とは流石に比べ物にならないけれど、その水気のある匂いに、ルティはあの蕗の森を思い出した。
 結局彼女は蕗の森に入ることはなく、常に外の人間として行動する事になった今回の件だったが、ルティはそれこそが自分の立場なのかもしれないと思っている。
 小さな人は、彼女の語り掛けに答えた。ルティにシャーマンとしての能力と心があったから。
 二つの世界を繋ぐ橋、それがシャーマンの本質であり、ルティもそれを望んだ。もう一つの世界に触れる事ができる者としてルティは生まれてきたのである。
 ルティはこの先、その能力を望むと望まざるとに関わらず伸ばしていくに違いない。すればこれから先、何が彼女を待っているのだろうか。
── 何が私を待っていようと……私は私のいくべき道を歩むだけ、だがな。
 前を向いてさえ居れば、ルティは進むべき道を自然と見つける事ができるだろう。その道に導かれていくだろう。


 お礼だと言われて組合から持たされた一抱えもあるラワンの蕗は、人込みの中しなやかに歩くルティの姿をひときわ目立たせた。
 右手には、重そうな袋が一つ。
 蕗の為に選んだ、背の高い花瓶が入っている。
 大きな葉に隠れた彼女の唇が、ほんの少しだけ微笑んだことに気付くものは、誰も居なかった。

<終わり>











■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業

0086/シュライン・エマ    /女/ 26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2770/花瀬(ハナセ)・ルティ    /女/ 18歳 /高校生
2163/藤井・蘭(フジイ・ラン)    /男/  1歳 /藤井家の居候
1746/理生芽・藍川(コトオメ・アイカワ) /男/999歳 /雨男・ところにより時々高校生
1415/海原(ウナバラ)・みあお   /女/ 13歳 /小学生
3356/シオン・レ・ハイ    /男/ 42歳 /びんぼーにん 今日も元気?

※ 申し込み順に掲載させていただきました。

■ライター通信
花瀬さん、藤井さん、理生芽さん、海原さん、シオンさん。初めての依頼参加、ありがとうございます。ライターの蒼太と申します。そしてお久しぶりです、シュラインさん。長い事ご無沙汰しておりました。
さて、「みどりの蕗の、下のひと」いかがでしたでしょうか?
プレイングにおいては、小さな人たちのことも組合の人のことも思いやってくだされば、成功です。
みなさんなぜ小さな人が人を襲うのか、色々考えてくださいました。その中で一番よいと思った理由と、各自の能力をあわせて今回の話とさせていただき、テラコンの人物相関図を参考にしていますので、初対面の方が多いという事から、お一人ずつの現状がなるべく相手に伝わるように、という事を意識して書かせていただきました。

PCさん達にはなるべく彼ららしく、思い切り動いて欲しいというのが希望です。こういう癖がある、言葉遣いはもっとこうだ、という事がありましたら、プレイングの端にでもいいですので、教えてくださいね。
PCさん同士の気安さのようなものはまだあまり出ていませんが、後々、依頼をご一緒させていただく中で、より親しい間柄になっていただければな、と思っています。

次回もご縁がありましたら。また一緒にお話を作っていきましょう! では、また。
蒼太より。





千春ありが塔と足寄には、いつか行ってみたいものです。