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<東京怪談・PCゲームノベル>


「氷はじめました」―なんでもない一日に―


▲届いた葉書▽

「おい、行かなくていいのか」
 ゆだるように暑い夏の昼前。
 シュライン・エマは集中していた書類から顔を上げて、声をかけてきた本人を見た。
 言わずとしれた馴染みの事務所の中、薄茶の度入りグラスの向こうから眠そうな目でこっちを見ている。草間・武彦(くさま・たけひこ)だった。
 シュラインは急に引き戻された現実にきょとん、とした顔をして、武彦を見て、それから時計を見て「あ」と呟いた。いつの間にか昼近くなっていたらしい。
「今日は午前までで切り上げて胡散臭いところに行くんだろ」
「……胡散臭いところってなんなの」
 苦笑して答えながら、そうだったわ、とシュラインは思う。
 確かに、今日は午後から約束があった。
 それは武彦の言うところの「胡散臭い店」であり、シュラインとしては気が向いた時に寄せてもらっている不思議な店である。
 行こうとしても行き着けない時がある。行く気もないのに行き着いてしまうこともある。まるで何かのお話の世界に入り込んでしまったかのようなあの場所、「猫餡中心」。
 人(猫)の良さそうな顔をしたそこの化け猫店主、黒谷黒吉から葉書が届いたのがつい先日のことだった。

 ――変わった材質の紙だった。
 素人がすいて、造り上げたばかりのような和紙。横書きの葉書の右下には墨で描かれた蚊遣り猫(恐らくイメージは蚊遣り豚なのだろう)の姿がある。どうにも手描きらしい。
 文章は何も小難しいことは書いておらず、ただ数行。

【氷、はじめました。どうぞおいでくだせぇやし。お待ちしております】

 裏を見れば、貼られている切手は見たこともない種類のもので、消印も普通にみられる郵政省のものとは違ったものだった。なんとか読み取った文字に化け猫銀座と銘打たれているところを見ると、どうやらあの猫餡中心界隈にあるポストに投函したらしい。
 あそこにあるポストにいれても、きちんとこちらに着くものなのね。
 妙なところに感心して、シュラインは首を捻る。だけど、一体誰が配達するのかしら。
 人間でない何かがこの草間興信所のポストに葉書をいれている様は、想像してみると少しだけ奇妙で、おかしい。
「悪いけど、武彦さん。今日はもうあがってもいいかしら」
 書類をクリップでまとめて未処理の箱にいれながらそう聞いてくるシュラインに、武彦はほんの少し肩を竦めて答えた。
「ご自由に。変なもの食って腹壊すなよ」
 黒吉が耳にしたら毛を逆立てて起こりそうなセリフだった。

▽▲▽

 手早く荷物をまとめて興信所の扉を開くと、シュラインを包んだのは想像していたような熱気と眩しい光ではなかった。
「……え?」
 思わず声に出して呟いて、今さっき押し開けたばかりの扉を振り返る。
 すると、一歩も歩いてはいないというのに、開け放った硝子の扉ははるか後方にあって、暗闇の中、ぽっかりと興信所に続く階段だけが頼りなさげに浮かんでいた。それさえも遠く向こうに離れて、やがて消え去ってしまう。
 不思議な目に合うことはしょっちゅうではあったが、これはまたどうしたことだろう。
 自分を覆う辺りは真っ暗闇。上も下もわからない。ただ、微かに自分の足元にあるのが土の地面だということだけはわかる。これは、もしかして迎えに来てくれたのかしら。
 ふと思い当たって前を見たシュラインの目に、タイミングを合わせたようにうつる薄ぼんやりとした黄色い光。
 ふらふら、と揺れながら近づいてくる光は、どことなく暖かい空気を連れてくる。もしかして、と思いながらその光を待って、やがてそれが姿を現した時、シュラインは満面の笑顔で微笑んだ。
「黒吉さん。迎えに来てくれたの?」
 小さな提灯の灯りに照らされて、細い目で笑う化け猫はその言葉に頷いた。
「左様で。すこぅしばかり遅くなられるようでしたんで」
 こっちの方が近道ですぜ。まったく暑くもありませんしねぇ、さぁ、どうぞ。
 そういって近づいてきた方の道へシュラインを誘う提灯には、これもまた自分で描いたのか、妙に愛嬌のある黒い猫の顔が描かれていた。
 それがとても微笑ましい。
「この道はなんなの?」
 どこまでも真っ暗闇で、何一つ見えなかったそこは、黒吉が提灯をかざした途端に小さな小道がすぅっと浮かび上がり、両端にはざわざわと、種類のわからない木々が生い茂る。道は遠く続いていて、そのそこかしこに蛍のような、小さな緑がかった光がぽっ、ぽっ、とついたり、消えたりを繰り返していた。
 まるで田舎の夜道のようだ、と思った。
 興信所から出てすぐにこんなところにでるなんて、というシュラインに黒吉はしゃしゃ、と笑う。
「獣道ですよ。あっしらはよく使います。人は、きづかねぇかもしれませんがね。ちっとばかし暗いことを別にすりゃ、どうして、なかなか便利なもんでさぁ」
 暗くはあっても、恐ろしい類の闇ではない。涼しい風が吹いている。
 提灯の光を器用に操り、赤いちゃんちゃんこを揺らして彼が歩く。
 小道には、生き物の気配も、水の気配も、緑の気配も、その全てがあって、息づいていて。
 とても東京の隙間にこんな道が通っているとは思えないほどだった。
 世の中の全部が見えているようで、人間はこんな風に、とてももったいないものを見過ごしているのかもしれない。自分がそれに関われるのは嬉しいけれど、ほんの少し、知らない人も知れるきっかけがあればいいのに。
 そんなことを考えながら歩く道は、全てが物珍しく、だけどどこか懐かしかった。


▽化け猫銀座▲

 その日の化け猫銀座も、暑さでやられることなく、モノノケ共はそれぞれによく働いているようだった。目の前が明るく開けた途端、威勢のいい声が飛び交っている。
 相変わらず目が痛くなるような原色の建物もあれば、崩れかかった掘っ立て小屋のような店もある。
 どういう原理になっているのか、暗い小道を抜けるとそこはもう、そうした化猫銀座の路地裏で、猫餡中心はすぐそこだった。
 露店の並ぶ隙間を縫うように移動する黒吉について通りを歩くけれども、やはりどうにも彼のようには器用に歩けず、シュラインは時折誰かとぶつかりそうになる。
 店の店員のモノノケどもは、たまに物珍しげにそんな彼女を見ていたが、前に黒吉がついているので特に絡んできもしない。
 話してみると恐ろしくもなんともない黒吉だが、実は怒るとこわかったりするのだろうか。
 黒吉はそんなことを考えているシュラインには気づかずに、立派な髭を揺らしながら猫餡中心に向かう。
 古風な木作りの引き戸の前には、「氷はじめました」という張り紙がしてあった。
 あけた瞬間、威勢の声が飛んでくる。

▽▲▽

「いらっしゃい、シュライン!」
 元気すぎる脳天を貫く声に面食らいながら見てみれば、どうやらそれも見慣れた青年のようだった。猫倉・甚大(ねこくら・じんだい)。
 草間興信所でもおなじみの顔になり、よく武彦とじゃれている姿を目撃する。最近は彼もよくこの店に入り浸っているようだ。今日は手伝いに来たのか、黒吉がいつもつけているのと揃いの柄のエプロンをつけている。
「こんにちは、甚大くん」
 そんな彼に挨拶して、シュラインは店の中の空気を思う存分吸い込んだ。
 土壁のくすんだ匂いがする。
 クーラーの一つもいれていないはずなのに、店の中はとても涼しく、風がゆるやかに通っているのがわかった。風が通る道に風鈴が吊るしてあるのか、澄んだ心地よい音がする。
「この風鈴は、やっぱり江戸の……?」
 透き通った硝子でできていたので、首をひねって尋ねるシュラインに、黒吉がよくぞ聞いてくれた、とばかりに嬉しそうに返事をする。
「左様で。この界隈に江戸のものばかりを扱う嬉しい店がありやしてね、そこで見つけて買ってきやした。江戸風鈴でさぁ」
 できた当時は高価なもので、あっしらがいたような場所では到底お目にもかかりませんでしたが、という黒吉の目は、遠く時を越えて向こうの懐かしい時を見ているようだった。
 その目に感慨を感じて目を移した風鈴は、ひょうたん型の形をした、とても美しい硝子の細工ものだった。
 夏らしく赤い金魚が悠々と泳ぐ様が描かれている。ちょうど硝子が金魚鉢のようで、中で泳ぐ金魚は楽しげに見えた。

 ちりり、ちりり。

 風が店を通り抜けるたびに、小さく風鈴の中の玉が震えて側面の硝子を打ち付ける。その音がこんなにも心地よいなんて。
「昔っから風鈴は魔除けの為に使われていたらしいですが、あっしらは単純に音が好きでしたねぇ。こう、ちりん、ちりん、ってさ。聞いてるだけで涼しくってね」
 猫は暑さが苦手なのだ、と恥ずかしそうに言いながら、黒吉は座敷にシュラインを誘(いざな)ってくれる。
 そこにはささやかながら囲炉裏があって、上からかかった鉄鍋には大きな氷と、シロップらしきものが入った瓶が汗をかいたまま浸かっていた。
「囲炉裏をなんて使い方してるのよー」
 思わずふきだしたシュラインに、黒吉がじとり、と甚大を見る。
「あっしは一応とめたんですがね。甚大さんが勝手にやっちまって」
 まったく大事な鉄鍋を、とブツブツ言いながら顔はさして怒っていない。
「だってさー。ほら、鉄鍋って冷たさが持続しそうじゃん。省エネだってば、省エネ」
 そんなでたらめなことを言いながら、彼はひょい、と厨房に引っ込むと、すぐにまな板にどん、と乗った氷の塊を運んできてくれた。
 最近知ったことではあるが、彼は案外よく動く。手には氷をかくものなのか、キリのようなものを持っていた。
 下駄のように下の歯が二枚ついたまな板を畳座敷のあがりかまちにおろし、ぐい、と腕まくりをする。
 厨房からは黒吉が「シュラインさん、氷はどんな味がよろしいですか」と聞いてきた。
「……ちょっと注文多くてもいい?」
 思わず上目遣いになって聞くシュラインがおかしかったのか、黒吉が細い目をさらに細くして「どうぞ」と気持ちよく答える。
「抹茶と小豆がいいの。ミルクもあったら最高なんだけど」
「かしこまりまして。ではすぐにご用意しやす」
 え、あるの? と驚く彼女に二人が笑った。黒吉が化猫銀座で奮闘したらしい。ほとんどのものはそろえた、という彼に、つくづく人をもてなすことが好きな人(猫)だと思う。

「んじゃあ、かくよ」

 一声かけて、甚大が力強くキリのようなものを振りおろした。
 がりん! と一際(ひときわ)大きな音がして、あがりかまちの板敷きに小さな氷の破片がぱっと散らばる。
 そのまま繰り返しがつがつ、と氷をかいていく。

 口では形容しがたい、涼しげな音だった。思わず目を閉じて、その音に耳を傾ける。
 時折それに風鈴の音が混じって、店の中は透明な音に満たされた。
 そうして作られていく硬く、荒い様子の氷は、小さかったり、細かったりする欠片に姿を変えて、やがてまな板の上に降り積もっていく。それをできるそばから黒吉がこんもりと硝子皿に持っていった。二人の共同作業は見ていても楽しい。

「ねぇ、やっぱり食べたら何か不思議なことが起こったりするの?」
 頬杖をついて楽しげに聞くシュラインに黒吉は笑う。
「食べてからのお楽しみですかねぇ。シュラインさんが望めば、起こるかもしれませんが」

 がり、がりり。ざく、ざく……

「そんなに大盛りなの?」
「基本は大盛りに決まってんでしょー」

 景気よくふん! と腕をあげる甚大が当たり前のように言う。
 武彦さんに言われた通り、お腹を壊さないように気をつけないとダメだわ、と思った。

 やがてこれ以上盛れない、というほどにいっぱいに盛られた氷に、落ちそうな風体でのせられた抹茶シロップと小豆の粒。そこに上から豪快にミルクがかけられ、ようやくで豪快なカキ氷が出来上がった。
 こんな氷は、店でも見たことがない。
 白く僅かに曇った器をシュラインの前にだして、その横に竹を彫って作られたスプーンを添える。さじには黒吉という字があった。これも彼の手作りらしい。
「さぁ、召し上がってくだせぇ」
 なんなら、シロップ追加しますぜ、とふわふわの毛で覆われた腕に抱えたシロップ瓶を振ってみせる。
 氷の味がわからなくなるから、これ以上はいいわよ、と苦笑し、シュラインはそろそろとスプーンを構えて山盛りの氷の一角に突き入れた。

 さく。

 とても柔らかい感触。
 そのまますくって、抹茶や小豆をミルクと混ぜてから口にいれる。
 入れた瞬間、さらりと解ける雪のような感触の氷。

「……すごいわ」

 本当に驚いてそう呟くと、黒吉が本当に嬉しそうに微笑む。
 その笑顔を見ながら、次の瞬間、ふとシュラインは脳裏に夏空を見た気がした。

 あれれ、と思って、もう一口。

 今度は夜空に咲く大輪の花が見える。体の奥でドーン! と音が鳴った感触があり、びく、と体が震えた。

「……黒吉さん? これ」

 狐につままれたような顔で黒吉を見ると、彼は相変わらずニコニコと人(猫)のいい顔で笑っている。だけど、少しだけその顔がいたずらっ子のようだったので、やられたな、と思った。

「その氷は、昔江戸で将軍にも献上された、という氷室から切り出した氷なんですけどねぇ。ちょいと悪戯(あくぎ)をする坊主のようですぜ。氷室の向こうで夏に憧れていたようで、食べるものにほんの一瞬、夏を見せてくれるんですよ」

 やはり、猫餡中心の氷は普通ではないようだった。
 俺もびっくりしたわけよ、と真面目な顔で話す甚大に、シュラインは思わず声をあげて笑った。


▲夕焼け空、夏の空▽

 店を出ると、すでに空は夕焼け色に染まっていた。
 目が眩むような赤。自然が創り出す空はこんなにも美しいのだ、と今さらながらに気づかされた。

 帰りも来た時と同じように、黒吉は手作りの提灯を持って先に立ち、シュラインを誘ってくれる。
 この道はモノノケでないと見つけにくいそうで、自分が送っていく方が安全なのだ、と彼は言う。
 なんでも常識が通らない道だから、慣れていないものが通るとどこに繋がるのだかわからないそうだ。
 夕方だからなのか、どこからかいい匂いがただよってくるその獣道を歩きながら、ふとシュラインはずっと考えていたことを黒吉に聞いてみた。
「ねぇ、黒吉さん。私、今日とても楽しかったんだけど、ちょっとだけ残念に思っていたりするのよ」
「……何を残念に思っていらっしゃるんで?」
 黒吉は振り向きもせず、提灯を右に、左に揺らしながら穏やかな調子で聞いてくる。
「貴方たちが存在することを、知らないままに過ごしている人がとても多いことが」
 私、とても残念なの、とシュラインは続けた。もっときっかけが多くあれば、知ることができるかもしれないのに。
 東京にこんな場所があると、幾人が知っているだろう。どれほどの人が信じるだろう。
 それはきっと、本当に少ない、一握りの人だけに違いない。
 それは、ほんの少しだけ、シュラインは寂しい気がする。
 すると、黒吉はさっぱりと笑って答えた。

「シュラインさん。知ることができないわけじゃあありませよ。あっしらは人どもと関わることを拒みません。隠れません。それでも、積極的にこちらから関わろうとしたりもいたしませんし、それが今までも、これからも続いていく。ただそれだけのことなんでございますよ。……それを少し寂しいことと思っておいでですか? いいえ、そうは思わないでくださいまし。だってね、あっしらは人がとても好きなんですから――――」

 黒吉のその言葉で闇は閉じた。黄色い光を灯していた提灯も消えた。
 瞬きをした瞬間に、シュラインの回りにはまた現実が戻る。
 まるでいつかの夜の再来のように。

 ――夕暮れだった。目を向けた先にはひどく赤く焼けた空があって、その先に山に帰る鳥の背が見えた。
 一呼吸遅れて雑踏も戻る。
 ああ、静かだったんだ。あの道はとても静かだったんだ。そう思うほどに、興信所の前の道は騒がしい音に満ちている。
 自分の真横を知らない人たちが歩いて過ぎていき、それをしばらくの間、幾度と見送ってシュラインはやがて通い慣れた興信所の硝子の扉を開けた。
 大した時間もたっていない気がするのに、もう店じまい近いなんて、なんだかおかしな感じ。
 武彦さん、今頃お腹をすかせているのかしら。
 なんだか今とても、貴方の顔が見たいの。
 色々とがたがきて軋むドアを開けた途端にそう言ったら、彼は一体どんな顔で自分を迎えてくれるのだろう。
 冷たい感触がまだ確かに残る口で、シュラインは思った。

 そんな脳裏に、暖かい黒吉の声が響いて消える。


 ――――またお会いできる日を、楽しみにしておりやすよ。今度は是非、いい人もご一緒に。


END


*ライターより*

いつもありがとうございます。
ねこあです。
今回はまた体調の如何で締め切り延長していただき、真にご迷惑をおかけしました。
申し訳ありませんでした。

今回は白子星さんとのコラボ、ということで書かせていただきました。
「氷はじめました」。いかがでしたでしょうか。

コラボというのは初めてで緊張しましたが、色々と互いに話し合い、アイディアを出し合って骨格ができていくのは楽しい経験でありました。一人ではとてもできなかった作品です。
そこにシュラインさまも参加していただけたことを深く感謝いたします。

猫餡色には仕上がっているはずですが(笑)、お気に召せば幸いです。

それでは、ありがとうございました。