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いかれ帽子屋
■ 幕開けの宴 ■■
宵闇に、血飛沫が閃く。
摘み取られた憐れな生首を恭しく拾い上げ、シルクハットを被った人影は満足げに溜息を吐いた。
「わたくし狂った帽子屋さん、似合いの帽子を仕立てましょう」
生首を眼前に持ち上げ、まるで滑らかな唄を唄うかのように人影は喋る。生首から耐えず滴り落ちる血液が、人影の袖口をどっぷりと濡らした。生臭い独特の匂いが、ぷんと香る。
「ふふ……貴方にはどんな帽子がお似合いでしょうね?ああ、わたくしのアリス……貴方であれば良いのだけど」
切り離した胴体部分には、目もくれない。摘み取られた若い少女の首を胸の前に捧げもち、人影──いかれ帽子屋(マッドハッター)は、悠々と裏路地を歩き出す。
右手は胸の前にて首を捧げもち、左手には赤くぎらつく大鎌を持って。
「いかれ帽子屋からの、お茶会への招待状?」
手渡された一枚の紙片を見て、草間武彦は思い切り眉根を寄せた。其の紙片には、気取った飾り文字で招待文句が書かれている。凝った装飾の其れを電灯に透かすように持ち上げながら、草間は其れを読み始めた。
「次の新月の夜、麗しき御嬢さんをお迎えに参りましょう──ご心配なく、帽子は此方で御用意します」
読み上げ、草間は其のカードをそっとテーブルの上に落とす。先程零が持ってきた、来客用のカップに入れられた紅茶を一口飲み、草間はこのカードを持ち込んだ──つまり依頼人である、妙齢の婦人を見つめた。
其の隣には、綺麗な顔立ちの少女が座っている。きっと、この少女がカードに書かれていた「麗しき御嬢さん」なのだろう。草間はそう見当を付け、ゆっくりと口を開いた。
「……つまり、今巷で騒がれている『いかれ帽子屋』……其の殺人鬼の予告、だと?」
「はい」
草間の問いかけに、妙齢の婦人は頷いた。
「其の殺人鬼は、美しい少女しか狙わないと聞きます。娘は……その、親が言うと親ばかのように聞こえますけれども……」
「ああ、御嬢さんは確かにお美しいですね」
草間が淀みなく答える。少女は、僅かに恥ずかしそうに身動ぎしたものの、其の表情は浮かない。美しさを誉められること、イコール殺人の獲物だ。其れを考えれば当たり前の反応であろう。
妙齢の婦人は、意志の強い眼差しで草間を見つめた。
「どうか御願いです、殺人鬼を捕まえて下さい……!」
■ 殺人鬼の話 ■■
「集めてきたわ、一般に流れてる殺人鬼・いかれ帽子屋の情報」
シュライン・エマはそう言って、どさりと大量の紙を草間の座るデスクの上に落とした。ばさばさばさと派手な音を立てて広がる資料を前に、げんなりとした声で草間は呟く。
「おいおい、こんなにかぁ……?」
「今一番の話題性があるからかしらね。特に噂が回りやすい女子学生辺りがターゲットにされてるみたいだから、其の分デマも多いわ」
でも選り分けてる暇が無かったのよ、ごめんなさいね。シュラインは艶やかにそう呟いて、山と積み上げられた資料の山をぽん、と叩いた。
草間興信所。
あの婦人と少女の訪問から三日経った今、この興信所内は今や資料の坩堝と化していた。何しろ噂が回るルートがルートな為、真偽の判断が付け難いのが一番の原因だった。
新月まではまだ日があるとは言え、この現状を早く打開しなければ。そんなことを思いながら、草間はぱらぱらとシュラインが持ち込んだ資料のチェックを始めた。
パソコンから引き出した情報をプリントアウトしたのだろうか、紙の隅には情報源であろうページのアドレスが記されている。
「……此れもまたガセだろうなァ……信憑性が無さ過ぎる」
所謂ギャル文字とやらで暗号のように記された文章をやっと読み、得られた情報は其れがガセであるということだけ。参ったように溜息をつき、草間はぽいと資料をデスクの上に放り返した。見る気も失せてしまう。
「でも、そういった物の中にこそ、真実が隠されているのも知れませんでしょう?」
零が持ってきた麦茶を飲みながら、海原・みそのは優雅に資料のページを摘む。
「私が招待状と帽子屋様を繋ぐ流れを辿れば早いのですけれど……生憎見つかりませんでしたし」
みそのは参考資料として机の上に置かれていた招待状を手に取り、じいと眺めて密やかに溜息を付く。既に自分の能力を使って時間的な流れや位置的な流れを読んだ後だったが、有益な情報は得られなかった。
途中まで辿ることは出来た。だが其の途中から、ぷっつりと切れてしまっているのだ。
「とても綺麗な切れ方でしたわ。あれは……浄化の力」
「と、すると。あちら側も能力を使える……若しくは、誰か協力者が居る可能性がありますね」
みそのがそっと招待状を戻す向いで資料を整理していたモーリス・ラジアルは、落ち着いた様子でそう言った。とん、とテーブルで資料の端を揃え、其れを調べた資料の山に積み上げる。もう結構な高さになっている紙の山は、乗せられた拍子に僅かに傾いだ。
一度は収まったかのように見えた資料の山が、もう一度ぐらりと揺らぐ。其れとほぼ同時に興信所の入り口が大きな音を立てて開き、落胆した様子の大男が姿を見せた。
「……聞き込み調査は無理です。皆さん逃げてしまって……」
CASLL・TO──キャスル・テイオウはそう呟いて、やれやれと小さく呟いて後ろ手に扉を閉める。
お疲れ様ですという零の言葉と共に、彼が座るであろうソファの前のテーブル上に、冷えた麦茶のグラスが静かに置かれた。
「というか、こりゃあ資料自体を洗い直した方が良いんじゃねぇか?噂で構成されてるのが八割だ」
自分の分の麦茶をごくりごくりと喉を鳴らして飲みながら、帯刀・左京はそう言った。もう資料には手を触れては居ない。既に最初の二、三枚を見た時点で、こうなることは予想していたのであろう。
其れまで真面目に資料と睨めっこをしていたシュラインは、大きく溜息を付いた。今まで頑張っていた時間が嘆かわしい。
キャスルがどさりとソファに座り込んだ拍子、まだ僅かに揺れていた資料の山がばさりと倒れた。
■ 帽子屋と少女 ■■
「帽子屋さん帽子屋さん、キミは鵺にとっても素敵な帽子を仕立ててくれたよね?今でもお出掛けに使ってるわ」
血の匂いと死臭、其れから腐臭がする小部屋の中、小柄な少女──鬼丸・鵺の視線は真っ直ぐに帽子屋へと注がれていた。
対峙し合う形で向き合った二人を取り囲むのは、白い布──血を吸い込み、其の殆どは赤黒く変色してしまっていたが──を被せられた台と、其の上に置かれた美しい少女達の生首だ。
皆が皆化粧を施され、綺麗な似合いの帽子を被せられていた。本当に良く似合う、上品で可愛らしい帽子ばかりだった。
「どうしてキミは首が欲しいの?」
鵺は質問を続ける。帽子屋は微笑んだまま、答えない。
「──鵺は、もう一度、あの頃の帽子屋さんに逢いたいよ。だから……」
ふ、と少女の頬が緩む。帽子屋を心から慈しむような、血濡れの部屋には似合わぬ笑顔。
「キミの面を打とうと思う。そうすれば、鵺は帽子屋さんの心を知ることが出来るから」
だから安心して。鵺はそっと呟く。
面が完成する其の日まで、鵺が帽子屋さんを守ってあげる。
帽子屋は小さな小物屋のカウンターに座り、ぼんやりと其の場所から見える、小物屋の前の女子高校を眺めていた。
下校の時刻らしい、ぽつりぽつりと生徒達が出てきている。
この間の可愛らしい少女は、招待状を読んでくれただろうか──そして、彼女はアリスであるのだろうか。帽子屋の中を、ぞくりとしたものが駆け抜けていく。嫌悪感ではない、快感。首を切り落として帽子を被せれば、僕のアリスになってくれるだろうか。
今のところ、まだ自分の存在が警察や世間にはばれてはいない。其れは一重に鵺のお陰だ。僕を慈しみ、憐れんでくれる。面が完成するまでの間、僕を守っていてくれる。
だから、僕は早くアリスを見つけなければ。思い出さなければ。
彼女がアリスではなかったら、また新しい少女を探さねばならない。美しい少女。アリスのような、美しい。
もうすぐあの校門から出た生徒が、この小物屋に向かってやってくるだろう。
また、聞き出しておかなくちゃいけない。見目の良い少女のことを、それとなく。
最初は不審がられもしたけれど、常連が増えた分、聞ける範囲も増えた。怪しまれることも少なくなった。
アリス。早く、早く逢いたい。
■ 線が繋がる ■■
「置き去りにされた胴体部分の検死の結果、年代はどれも10代後半の少女のものだった」
ぱし、と手の甲でファイルを叩き、草間は其れをデスクの上に放り出した。
「一人、制服姿の時に殺された少女が居て──其の少女のポケットに、学生証が入っていた。高校三年生、K女子高だ」
「……というか、最初から其の路線で調べていたら早かったんじゃない」
やれやれとでも言いたげに、シュラインは溜息を吐いて頭を振った。
「今鑑識の方から回ってきたところだったんだ。しょうがないさ」
苦笑して、草間はきぃ、と椅子を揺らす。
「もう一度、洗い直しだ」
「最近小物屋が高校前にオープン。ほぼ同時期にいかれ帽子屋から招待状が届き始めたようです」
ゴーストネットOFFで調べてきたらしい資料を手に、モーリスはそう呟いた。
えげつないわね、とシュラインが眉を顰(ひそ)める。
「女子高生の気を引いて、自分に有利な方向に事を運ぶ──」
「でも、一番安全で利己的な判断だと思います」
いざとなれば、女子高生など殺してしまえば良いのですから。みそのは続けてそう言って、でも、と思いついたように視線を上に向ける。
「自分の身の安全を図れるほどにゆとりがあるのに、あんなに杜撰(ずさん)な殺し方をするでしょうか?」
「確かに、な。其れに女子高生を媒介にするっつうのも、結構な賭けだ」
何処からか情報が漏れても可笑しくないし、何より噂話というネットワークの範囲が広すぎる。自分の所へと回されてきた資料──プリントアウトされた情報源を摘み上げながら、左京は興味深げにそう言った。
デスクの上に積まれている紙類は、先ほどに比べたら随分と減っている。其れだけあの女子生徒の学生証で、範囲が絞れたということだ。其れが果たして自分たちの切り札(ワイルドカード)であったのか、其れとも。
ふと、其の場が静まり返る。各々が各々の考えに老ける中、むわりとした夏の風と共に、興信所の扉が勢い良く開かれた。
「少女の共通点、見つかりました!」
焦った様子で息を切らし、キャスルは大きな身体を忙しなく動かしながら資料が重なるデスクへと近付く。ぼたぼたと流れ落ちる汗など気にせず、拭く様子もないまま、キャスルは自分の胸ポケットから一枚の紙片を取り出した。
何事か書き綴っている其の紙に、ぼたりと汗が落ちる。多少読み難くなったのだろうか、キャスルは僅かに目を細めて其れを読み始めた。
「殺された少女達は、全員K女子若しくは近郊の高校生。いずれも高校三年生──17、8の少女だったそうです」
「ちょっと待って」
シュラインは慌てて報告を遮り、デスクを引っ掻き回して一枚の地図を取り出す。其れはこの周辺の地図だった。
同じくデスクに転がされていたらしい赤いペンを手に取り、シュラインは視線をキャスルに向けた。
「少女達が殺された場所は判る?」
「ああ、其れならわたくしが知っています」
調べておいたのですよ、と少し自慢げに胸をはって、みそのはデスクに手を伸ばす。
一番上に乗っかっていた書類を取り上げ、此れですね、と呟いて小さく頷く。其れをシュラインに手渡すと、彼女は赤ペンで地図上の殺害場所へと印をつけ始めた。
「……あァ。殺害場所を形に表して、近くに妖しい奴が住んでたりなんかしてないかを燻(いぶ)し出すのか」
左京が納得したように頷いたと同時、シュラインのペンが地図を離れる。きゅ、と音高く閉められた其れをまたデスクの上に転がし、シュラインは其れをじぃ、と改めて眺める。
この近くの何処かに、いかれ帽子屋は潜んでいるはずだ。小物屋に毎日通えて、首を持って帰るという派手な行為が人目に付かず出来る距離。ならば自然と限られて来るはずだ。
「いかれ帽子屋かもしれない……という情報なら、ありますけれども」
地図を傍から眺めていたモーリスが、唇を薄く吊り上げてそう呟いた。
「先ほどゴーストネットOFFに向かった時、主人の書斎にも赴きましてね。少し調べていたら、面白い情報が引っ掛かったものでして」
「其れは、どういう?」
みそのが小さく首を傾げると、モーリスは自分の懐から小さく折り畳んだ紙を出した。どうやら其れはパソコンでプリントアウトされたものらしく、デスクの上に散らばる其れと同じように、矢張り日付と時間が隅に小さくプリントされていた。
丁寧に折り目が付けられた其れを、ゆっくりと開く。もどかしいほど、ゆっくりと。
「第一と第二の殺害場所からそう遠くない位置──そうですね、このあたりでしょうか」
開いた紙面と地図を見比べながら、モーリスは地図上の一点を指差す。其処は最初と二人目の犠牲者が殺された場所の丁度中間点あたりで、アパートや賃貸マンションが立ち並ぶ場所だった。
「時期的には第三の犠牲者が出る寸前……そのくらいまで、此処のアパートにとある男性が住んでいたそうです」
モーリスは何処からかボールペンを取り出すと、喋りながら指差していた場所に印をつけた。
「其の男性の隣部屋から、苦情が出ていたそうです。……酷く異臭がする、と」
「じゃあ、其処に死体が」
キャスルが身を乗り出して聞く。だがモーリスは頷かない。未だ視線を紙面に落としたまま、唇は滑らかにもう一度動く。
「彼が部屋を立ち退く前日、銀髪の小柄な少女が部屋を訪れていたそうです。隣住人が苦情を言いに言ってもドアすら開けない男性が、少女だけは声を聞くなりすんなりと部屋に入れてしまった、と」
不思議な話でしょう、とモーリスは薄い笑みを浮かべたまま、ゆっくりとした動作で体重を掛けていた足を前へとずらした。移動した体重で楽な姿勢が取れたのだろうか、柔らかく溜息が吐かれる。
驚くこと無かれ。もう一度沈黙が訪れた空間に、モーリスの静かな声が、極静かに響いた。
「其の少女は、鬼丸精神病院の院長の娘だそうです」
■ 夢と帽子屋とアリス ■■
部屋のベッドで疲れたように眠る帽子屋を見、鵺はぱちりと電気を消した。
今日も沢山可愛らしい少女の話を集めてきた、と夕食時に彼は言った。其の瞳は夢見がちな乙女のようで、声は花咲く春のようで。アリスは居るのかな、と楽しそうに語る帽子屋の横顔を見ると、鵺も自然と嬉しくなった。
「今日は新月の日。……今度こそ、アリスを思い出せると良いね、帽子屋さん」
ぱたん、とドアが閉まると、辺りは綺麗な闇に包まれた。
此処は何処だろう。帽子屋は暗い空間を彷徨っていた。
上も無く下も無い空間だ。確か僕は、眠っていた筈なんだけれど。ああ、若しかすると此処は夢の中だろうか──?
夢の中だと自分が認識した途端、空間の底辺がぱぁと光った。目も眩むような光の後、自分の足元に何処かの街の風景が広がる。
帽子屋はつと見下ろした。ああ、自分は此処を知っているような気がする。帽子屋がぼんやりとそんなことを思う間、どんどん街は展開してゆく。次第に足元からせり上がって来る風景の中、次の瞬間、帽子屋は街の中に立っていた。
どうやら何処かの保育園らしき場所だった。──保育園?自分の中で自問自答が湧き上がる。いいや、違う。此処は孤児院だ。
そう、僕はこの場所を知っている。だって、此処は僕とアリスが出逢った場所だから。
──そうだ、僕は此処でアリスに出逢った。僕が両親を事故で亡くし、此処に来たばかりの頃、矢鱈(やたら)とアリスが構ってくれた。
アリスも両親が事故らしい。僕と違うのは、死んだ場所が国内か国外という、其れだけ。
僕の足元を、ちょろちょろと小さい僕とアリスが駆け抜けた。
其処からは矢のように早かった。
小学校中学校と僕たちは其処で過ごし、中学を卒業する頃には、お互いがお互いの掛け替えの無い存在になっていた。
アリスは高校に進むと言う。僕は彼女に何かしてあげたくて、だから、服飾関係の専門学校に入った。アリスは帽子を集めるのが好きで、何時も可愛い帽子を見ては物欲しげに溜息を吐いていたからだ。僕が造ってあげられれば、きっとアリスが喜んでくれる。
僕たちは恋をして、笑って、笑って、恋をした。
だから高校三年の冬、彼女が肺炎を拗らせて呆気なく逝ってしまった時も、僕は信じることが出来なかった。
ああ、何て早い僕たちの恋した時間──あっという間ではないか。慌しげに移り変わる夢の情景を、僕は冷めた目で見ていた。
二年の月日が流れて、彼女の最後の遺品が孤児院で見つかったと聞き、僕は誰よりも早く其処へ行った。アリスの残り香がまだ存在している。アリスは若しかしたら生きているのではないか、ひょっこりと「心配した?」なぞと言ってくれるのではないか。そんなことすら、思った。
見つかったのは、僕が最初に造った帽子だった。アリスに似合うようにと自分でデザインし、何から何まで自分一人でやった最初の帽子。
アリスは其れを酷く喜んでくれて、何時も何処へでも被っていっていた。あの時葬式で飾られなかったのは、見つからなかったからか。帽子を眺め、僕は生前のアリスを思い出そうとした。
けれど、思い出せない。
アリスが、思い出せない。
帽子を被って少女が笑っている。けれど少女の上半身は、白い靄が掛かったようになっていて見えないのだ。
アリス。
アリスアリスアリス。
アリスを、思い出さなくては。
僕は夢から覚めた。
「アリスを、思い出さなくては」
十分眠った。疲れも取れた。此れからアリスを探しに行く。
枕元に置いてあったシルクハットを手にとる。そう、此れは言わば僕の仮面。
僕ではなく帽子屋になれる、魔法の仮面。
「……わたくしは、アリスを探しているのだから」
僕は、帽子屋になる。シルクハットをゆっくりと被った。
■ 狩りの合図 ■■
幾人もの少女達の血を吸って生き延びてきた大鎌を、帽子屋はしっかりと掴み上げる。
今宵は真っ暗闇──月の無い夜。わたくしは今宵もこの闇中を駆け抜ける。アリス、貴女を思い出す為に。
「帽子屋さん、帽子屋さん。無理はしないで、鵺は帽子屋さんが痛い思いをするのは嫌だよ?」
不安が滲んだ声で、帽子屋を見上げながら鵺はそう呟いた。嫌な予感がする。ぽつりとそんなことを付け足して。
帽子屋は薄っすらと笑みを湛えたまま、くしゃりと鵺の頭を撫でた。ああ、まるで昔に戻ったようだ──ふと目を細めるも、もう自分は後には引けない位置にまで来てしまっているのだ。
思い出さなくては。其の言葉だけが自分を、帽子屋という存在を突き動かす。
「其れじゃあ、少し生気を貰う。軽く眩暈何かが起こるかもしれないけれど、我慢してくれな」
そう言うと、左京は緊張した面持ちの少女の頬に、ゆっくりと自分の掌を宛がう。
生気を抜かれた所為か、少女は瞬間、がくりと足を崩す。だが後ろに控えていたみそのが其れを支え、地面に膝を付いてしまう事は防ぐことが出来た。お怪我が無くて良かった、とみそのは少女に微笑みかける。
左京は抜き取った生気を確かめるように、二、三度宛がっていた掌を軽く握った。うん、此れならば十分だ。だが少し、少女──招待状を受け取った娘──から貰いすぎてしまったか。心中でひっそりと謝りつつ、左京はゆっくりと呼吸を整える。
彼の周りの空気が一瞬揺らぎ、其の場に居た人間が瞬きをした次の瞬間には、左京の姿は少女の姿へと取って代わっていた。あー、と軽く声を出し、其の声が少女のものと間違いないことを確認する。
「……此れで、少し辺りをぶらついていれば良いか」
「ええ、お願いね。帽子屋が現れたら、直ぐに私達も行くわ」
シュラインが頷き、少女の姿を取った左京へと、小さなマイクのようなものを手渡した。其れが回りの音を拾ってくれるから、何かあったら直ぐ判るわ。シュラインの言葉を聞き、左京は頷く。
心なしか楽しそうに光る瞳で出て行った彼を見送ると、モーリスはソファで休んでいた少女の傍に寄り、其の身体を能力で編み上げた檻に入れてしまった。
「向こうには能力者が居ることは、既に判っていますし。見破られないとも限りませんから」
不安げな表情を消すことが出来ない少女は、ただ頷くのみだ。自分を取り囲んでいるのであろう能力の檻にも嫌悪感を示すことは無く、唯大人しく守られていた。
キャスルは何が在っても直ぐに飛び出していけるように、と愛用のチェーンソーを握りながら、そんな少女の様子をちらりと見遣る。可哀想に、あんなに脅えてしまって──全く殺人鬼とは、身勝手で怖い。こんな外見を持つ自分ですら怖いのだから、あのか弱い少女は、一体どれほどの恐怖を其の身体に抱えているのだろう?
「眼帯も外さなければなりませんね……」
やれやれ、と軽く息を吐く。二枚に重ねた眼帯を、しゅる、と外す。此れを外してしまうと、帽子屋に殺された少女達の無念が見えてしまいそうで怖かったのだけれど、仕方が無い。
デスクの上に設置されたスピーカーから、がぎぃん、という鈍い音が聞こえてきたのは、丁度其の時だった。
■ 新月 ■■
「……っぶ、なー……」
ひゅう、と息を吐いて、左京は迷うことなく後ろへと飛んだ。足全体のバネを使って全身を支えている間、そっと右手を自分の首元へ伸ばす。まだ、じんじんと痛みと熱が引いていた。衝撃と共に変化も解けてしまったようで、自分は本来の自分の姿をしていた。
首周りを硬化させていなかったら、きっと綺麗に首が撥ね飛んでいたことだろう。其れほどに迷いが無く、且つ正確な一撃だった。
「おやおや……私がお茶会に御招待したのは、別の方だった筈ですけれども」
帽子屋は、ひぅん、と空気を切り裂いて大鎌を振り上げる。不愉快な声と共に振り下ろされる──其の太刀筋を裂け、左京は右へと飛び退いた。
ぺろり、と乾いた唇を舐める。
「御嬢さんは、どちらですか?」
「残念だけど、教えられねぇな──……!」
冷たい言葉と視線。大鎌が振り上げられる一瞬の隙を狙って、左京は懐へと飛び込んだ。肩に鎌の切っ先が振り下ろされる寸前、自分の体と衣服の間の隙間を硬化させる。がぎぃん、と鈍い音がした。
ふ、と腹に力を込め、痺れる腕を持ち上げる。左京は渾身の力を込め、無事だった方の掌を使い、思い切り帽子屋を叩き付けた。其の肌が触れた瞬間を、左京は一気に自分へと引きずり込む。
生気を大量に奪ってしまえば、後は此方のペースだった。がくりと崩れ落ちる帽子屋から飛び退き、自分が息を整える間に、後ろから能力者たちが追い付いてきていた。
「──失礼しますよ」
キャスルはそう呟くと、チェーンソーのスイッチを入れる。ヴィィィンと物騒な音を立てて暴れ始めるチェーンソーを片手で軽々と扱いながら、空いた一方の手で帽子屋の持っていた大鎌を取り上げた。
其の細い持ち手の丁度半分辺りの所を、チェーンソーで切断してしまう。短くなり、今以上の負担が掛かるようになってしまった大鎌を振り回す気力なぞ、生気を吸われた帽子屋には無いだろう。
「……おや、まぁ。驚きましたね」
帽子屋は、其れでも表情を崩さない。不思議の国のアリス(アリスインワンダーランド)のいかれ帽子屋其の者のように、飄々とした笑みを浮かべたままだ。
帽子屋の傍へと近寄り、みそのは其の手でそっと、帽子屋のシルクハットに触れた。ああ、間違いない。この、「流れ」は。
「鬼丸病院と遺された胴体、それらを繋ぐ流れと同じです」
みそのは振り返り、能力者たちに向かってそう言った。そうしてもう一度、彼女は帽子屋のほうへと向き直る。
「……流れを辿らせて頂きました。遺された胴体、其れから──鬼丸病院の。其れと貴方の持つ流れが御一緒ならば、帽子屋さんは貴方であると断定出来ますから」
「…………本当に、驚いた。わたくしが──いいえ、僕が鬼丸病院と関係があることを御存知でしたか」
帽子屋は緩やかな笑みを湛えたまま、シルクハットに手を遣って、其れをするりと頭から取り去った。
シュラインは小さく肩を竦め、其れは少し違うわね、と唇を動かす。
「御存知だったんじゃなくて、調べたの。貴方が前に住んでいらしたと思しきアパートに出入りしていた御嬢さんが、鬼丸の娘さんだったから」
「其れでは、私が其処の患者であったことはお知りではないのですか」
「いいえ?」
シュラインの言葉に、帽子屋はそう問う。否定を意を示して首を振ったシュラインを見、帽子屋は相変わらずの薄い笑みをにぃ、と吊り上げた。
「其れじゃあお教えしましょうか。どの道、僕は捕まるのでしょうしね──長い長い、話をしましょう。遡りますは十数年前──……」
奪われた生気はまだ戻る様子が無かったが、漸く立ち上がれるほどには成ったらしい。切り落とされた大鎌の柄の部分を支えしに、帽子屋はよろりと立ち上がる。まるで其の様は羽をもがれた蝶か何かのようで、先ほどの華麗な動きとは別人のようだった。
能力者たちは一瞬身構えたが、帽子屋は気にも留めない。再び、喋り出す。
■ 昔話 ■■
僕は、孤児院で育ちました。両親が事故により、早くでこの世を去ったからです。
アリスと出逢ったのは、そんなときでした。彼女も事故で両親を亡くしたこともあり、僕たちは直ぐに仲良くなったのです。
中学校を卒業するまで何時も二人で居れば、自ずと芽生えたのは恋心。
彼女は高校へ、僕は服飾関係の学校へ進みました。彼女は大の帽子好きで、けれども可愛い帽子には手が届かなかったからです。何故かって?お忘れですか、僕たちは孤児。身寄りなぞありません。
悲劇は高校三年生──今から二年前。アリスは其の冬肺炎を拗らせ、あっという間に神様に召されたのです。
僕は悲しかった。悲しくてどうしようもなくて、僕は病気になってしまった。
精神的な病気、とでも称しておきましょうか。僕は喋れなくなってしまい、一時期廃人のようになってしまったのです。
其の時に僕が入院していたのが、──お察しの通りです、レディ。鬼丸精神病院ですよ。
鵺と僕は仲が良くなって、退院間際、僕は彼女に自作の帽子をプレゼントしました。そして僕は、退院したのです。
アパートで僕は普通の人間として生活していました。
ですが、異変は──そう、僕が変わってしまったのは、つい最近。彼女の遺品が見つかったと、孤児院から連絡を受けた時です。
彼女が死んでから空き部屋だった彼女の部屋の押入れに、僕が彼女に最初にプレゼントした帽子が入っていました。
こんなところに隠していては、見つからない筈だ──僕はそう思いながら、帽子を手に取りました。
彼女はどんな表情で此れを被っていたかしら。思い出そうとして、僕は気付きました。そうです、僕は──思い出せなかった。
思い出さなくては。
思い出さなくては。
アリスを思い出さなくては。
僕を突き動かしたのは、其れだけです。
異常かと御思いになるでしょう。僕も自分が変わるのは耐えられなかった。だから仮面として、帽子屋になるためシルクハットを被ったのです。
手先の器用さを生かし、僕は女子校の前に小物屋をオープンさせました。
毎日毎日待っていれば、数々の女の子の顔を見て、アリスを顔を思い出せるかもしれない、と。そう思ったからです。
ですが思い出せなかった。──だからわたくしは、首を狩った。
帽子を被せ、アリスの雰囲気を持つ少女を探そうと。そう考えたのです。
やがてアパートが首で一杯になった頃、鵺が僕の部屋を訪れました。
僕と首を見て、鵺は僕を守ってくれると──そう言ったのです。面を打つ間、僕を守ってくれると。
そして僕は鬼丸病院の、空いた病室に移りました。
招待状を出すようになり、其の紙から僕のことがばれないよう、鵺が力を使って痕跡を消してくれもしました。
其の先は、貴方方の得た情報と同じですよ、レディ──此れで、満足?
■ 帽子屋とアリス ■■
其れでも──。息を吸って、シュラインは口を開いた。
「貴方を重要参考人として、然るべきところまで連れて行かなきゃならないの。来て下さるかしら?」
彼女がそう言った、其の瞬間だった。
「駄目だよ、帽子屋さん!」
甲高い声がして、一人の少女が暗がりから駆け出てくる。月の無い場所を照らすかのような銀髪に、赤い瞳。
行かせまいと帽子屋の腰に縋りつき、転がり出てきた少女──鬼丸・鵺は、説得するように帽子屋を見上げた。
「行ったらもうアリスを思い出せなくなるよ、鵺は悲しむ帽子屋さんは見たくないのに」
帽子屋は、緩やかに口許を歪める。其れは矢張り狂った行動の片鱗を現しては居たが、何処か自愛に満ちた、そんな笑みだった。
有難う、小さな僕の友達。柔らかな言葉と共に、帽子屋は足元に落ちていた、切り落とされた大鎌の鎌部分を拾い上げた。
「……思い出さなくても大丈夫。ああ、僕は何故こんな簡単なことを考え付くことが出来なかったのでしょうね──アリス、貴女に逢いに行く」
ひたり、と。鎌の刃が、帽子屋の手によって、自らの首に添えられる。
其の場に居た全員の視線が、其の帽子屋の動きにくぎ付けになる。そうして理解をする──帽子屋は、死ぬ気なのだと。
「止め……ッ!」
キャスルが慌てて手を伸ばしたが、既に帽子屋はゆっくりと瞳を閉じていた。一瞬遅れて、ざくり、と鈍い音がする。
ずるりと横にスライドした帽子屋の首は、呆気ないほど簡単に地面に落ちた。溢れ出した血飛沫が、辺り一面に四散する。降り注ぐ紅色の雨の中、鵺はゆっくりと屈み、帽子屋の首を拾い上げた。
「……まだ、面は完成していなかったのに……」
自分自身も紅色に染まりながら、鵺はぽつりとそう言った。
騒然とし始めた其の場は、結局急いで呼んだ警察の手によって処理された。
世間一般には帽子屋は「事故死」とされ、不可解な猟奇殺人は幕を閉じた。呆気ない幕切れ。
少女は、そっと合わせていた手を解いて持参した白い花束を置き、ゆっくりと立ち上がる。
自分自身が、此処で死んだ帽子屋の獲物として狙われた日が──招待状が届いた日から、幾日も経たない筈だと言うのに。
どうして自分は、其の殺人鬼の為に手など合わせているのだろう。
あの日、能力の檻の中から見た光景は、正に異常だった。
自分の首を掻き切って死んだ帽子屋と、白い少女。其れから幾人もの能力者。
複雑に絡み合った糸の最後の一箇所は、果たして解れることが出来たのだろうか。
「──どうぞ、安らかに」
少女はそう呟くと、ゆっくりと歩き出す。
見届けた「アリス候補」として、私はきっとこの出来事を、忘れない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1388 / 海原・みその / 女性 / 13歳 / 深淵の巫女】
【2318 / モーリス・ラジアル / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者】
【3453 / CASLL・TO / 男性 / 36歳 / 悪役俳優】
【2349 / 帯刀・左京 / 男性 / 398歳 / 付喪神】
【2414 / 鬼丸・鵺 / 女性 / 13歳 / 中学生】
※登場順にて表記しております。
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■ ライター通信 ■
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今日和、ライターの硝子屋歪で御座います。(礼
相変わらず納品が遅くなり、申し訳御座いません。(汗
草間興信所、引いては東京怪談にて受注を受けるのは、此れが初めてだったりします。
(厳密に言えば蓬莱館で幾つかお受けしたのですが)
普段はどっぷりファンタジーの身です故、話の流れ的に少しそう言った要素が入っていたかもしれません。
皆さんのプレイングをどう生かすか、に楽しく悩ませて頂きました。(笑
まだまだ拙い文章ではありますが、御楽しみ頂けましたら幸いです。
又機会がありましたら、どうぞ宜しくお願い致します。(礼
其れでは。
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