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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


調査コードネーム:悪夢を喰らう
執筆ライター  :流伊晶土
調査組織名   :界鏡現象〜異界〜
募集予定人数  :1人〜5人


▲▽碧摩蓮登場▽▲

 獏(バク)――
 悪夢を食べるといわれる、想像上の生き物である。
 からだ全体は熊のようで、目は犀、鼻は象、尻尾は牛、足は虎に似ていると言われる。
 獏の皮は邪気退散に効果があるらしい。眉唾な話ではあるが、いままでに獏の皮が裏取り引きされた例もあり、その筋では潜在的な需要が高い。
「出るのよ、獏が」
 ジキュアプジャー東京基地にふらりと現れたのは、碧摩蓮。地下の作戦室(ま、ただの部屋)のテーブルで、向かい合って椅子に座り、隊長の三覇手翔子にそう言った。
「出るって、何が?」
「だからァ、獏がよ。あたしの話、ちゃんと聞いてるゥ?」
 アンティークショップレンを経営する碧摩蓮は、三覇手翔子の昔からの遊び相手。アネキ、ショウコ、と呼び合う仲だった。甘えたい気分のときは、ネェネ、ショコショコと呼び合うこともある。ときどき喧嘩状態である場合は、とても言葉にできない表現になる。
 蓮が、キセルの灰を、ポーンと灰皿にはたいた。
「で、あんたたちジキュアプジャーに、その獏を退治してもらいたいわけ」
「えー、やだなぁ。アネキのことだから、ただの獏じゃないんでしょ?」
「そうね。大物だよ」
「あんまり地球の平和と関係ないじゃん。そういう仕事は、安くないよ。それなりに頂かないと」
「あんたね……だいたい、金を取る正義の味方なんて、いないでしょうに」
 蓮はチャイナ服からスラリとのびる足を、優雅に組みなおした。
 翔子は、スウェットの上下。下町をランニングして一汗かいてきたあとだった。
「ま、いいわ。獏の皮が手に入ったら、いい値で買い取る」
「それって、絶対、アネキが色つけて、もっと高い値段で売るんでしょ」
「ええい、うるさい。わかったわかった、ちゃんと退治ボーナスも出すって」
「ふふ、毎度おおきにー。おーい、モシモくん、ネェネに紅茶を持ってきて」
 すでにバイト戦隊の使いっ走りとして定着しつつある事務担当の八尾道モシモが、かしこまってレモン付きの紅茶を運んできた。彼は蓮を見ると、ほんのり頬を赤らめた。
「あぁら、かわいいじゃないィ。初めて会うわね。碧摩蓮だよ。噂はいろいろ聞いてるわァ、モシモくぅん」
「どうも……」
 ふわふわとした足取りで立ち去ろうとするモシモに、レモンはいらないのよ、と翔子が耳打ちした。
「聞こえてるぞ、ショウコ」
 紅茶をひとくちすすると、蓮はさらに話を進めた。
「でね、その獏なんだけど、あたしの知り合いに霊媒師Mってのがいてね、その人の家に出るわけ。憑き物を落としたり、除霊したり、そっち方面の治療をする施設をやっててさ」
「ふんふん」
「けっこう評判はいいんだ、霊媒師Mは。特に、夢にうなされて眠れないとか、霊のせいで精神が不安定になっちゃった女の子なんかを治すのには定評がある」
「ちょっと待って、アネキ。獏って悪夢を食べるんだよね? それなら、別にいいんじゃないの? 悪夢を食べてくれるなら、助かるじゃない。万々歳」
「そうだね。普通ならね……」
「やっぱり、普通じゃないんだ」
「眠れなかった子たちが、その獏のせいで、今度は眠り続けてるんだよ」
「え!」
「眠れる森の美女、だね。まだはっきり結論づけてるわけじゃないよ。でも、あたしは、その獏のせいだって睨んでる。だから、獏が退治できたら、獏の皮は手に入るし、眠り続ける子たちを助けられるかもしれない。一石二鳥」
 三覇手翔子の瞳が、キラリと光った。
 やる気が出てきた証拠だった。その目を見て、碧摩蓮が薄く微笑む。
「今夜、集合して。あたしが案内するよ」


▲▽背後▽▲

 夜――
 碧摩蓮とその一行は、とある洋館の玄関前に集合していた。
 三覇手翔子の仲間には洋館に住んでいる者が多数いるが、蓮が案内してきたこの洋館はその形の奇抜さで群を抜いていた。
 十四角形のドーナツ状の建物が、1階。中庭をぐるりと囲んでいる。例えれば、闘牛場のような広場を、渡り廊下と部屋が取り囲んでいる、といったらいいだろうか。
 正面に、中庭を見下ろすように塔が建っている。この塔がだるま落としのごとく、空へ伸びていた。
 2階は八角形、3階は四角形、4階は十六角形、という不思議で美しい外観だった。
 夜なので、すべてがはっきり見えるわけではない。それでも、ライトアップされた木造の白い外壁が目新しかった。
「さぁて、と」
 碧摩蓮が、後ろを振り返って言う。
 5人のジキュアプジャー隊員があとに続いていた。バイト戦隊に相応しい身なりをしていた。体にぴったりした銀色のパワードスーツに、それぞれのオリジナルカラーで文様が描かれている。
 隊長のスカーレットショウコが号令をかける。
「みんな、準備はいい? イロハ?」
「あいあいさー」菅原射鷺羽がそう答えた。
「シャナ?」
「準備できてます」バイト中はヤマブキと色名で呼ばれることもある奉丈・遮那(ほうじょう・しゃな)が返答した。
「モシモ?」
「一応、います」遮那の陰に隠れるようにして、八尾道モシモがそう言った。
「梅津さん?」
「…………」
「富士子さん?」
「はいはい、いますよ」
 5人のジキュアプジャーの中で、一人だけ異彩を放つ者がいた。
 スカーレット隊長の三覇手翔子、モエギ色の菅原射鷺羽、ヤマブキ色の奉丈遮那、レイズン・パープルの八尾道モシモ。
 もうひとり。
 今夜の第5の人材、梅津・富士子(うめつ・ふじこ)である。
 パワードスーツと暗視グラスで統一した他の4人の隊員と一線を画すのが、その着物姿だった。
 碧摩蓮のチャイナドレスも目立つが、海老茶色の鉢巻をキリリと結んだ梅津富士子の姿も圧巻だった。
 ただ単に獏狩りを楽しみたいだけで今回参加したらしい。
 その能力は未知数だったが、昔は猫妖怪であったとのことだから、獏とは親戚かもしれなかった。
「私は手助けするんじゃないからね」機先を制して富士子が言う。「あんたたちはあんたたちで、勝手におやり」
「はぁ……」隊長のショウコは、困った顔をした。
 バイト戦隊ジキュアプジャー5人のうち、今夜の主力は奉丈遮那だった。少なくともショウコは、遮那の力をあてにしていた。
 中学生のようにも見える奉丈遮那は実は17才の占い師で、タロットと夢を扱っていてそちら方面に強い。獏のような相手には力を発揮してくれるはずだった。ショウコやイロハはどちらかというと武闘派、モシモは戦力外、富士子は未知数、となれば、遮那に期待がかかってくるのも無理はなかった。
「遮那……がんばろうねっ!」
 ショウコは、抱きついて接吻したいくらいの熱い視線を遮那に送った。獏狩りの成否は、あなたの腕にかかってるのよ、と励ましているつもりの熱視線だったが、暗視グラスをしているせいでその想いは伝わらず、はい、と普通に返されただけだった。
「オーケー。全員揃ってるわね」ショウコが頷いた。「ひー、ふー、みー、よー、いつ……」
「じゃ、行こうか、ショウコ。この建物の中よ」と碧摩蓮が言った。
「待って、アネキ! あれ? あれれ?」
「うん? どうしたのぉ」
「えっと、ひー、ふー、みー……」
「なんだい、ショウコ」
「一人、二人、三人、四人、五人……六人。――六人いるよ!」
「あたしを入れて?」と蓮。
「違うっ」
 今夜のジキュアプジャーは5人のはずだった。基地を出るときも、蓮に連れられてここへ到着したときも、5人だった。
 しかし、いまは――。
 ショウコは、その一つの影に向かって、臨戦態勢の構えと取った。そして、だれだ、と叫んだ。
 驚いたのは、ショウコ以外の4人である。素早くその場から離れて、ショウコのうしろにまわった。
 そこに――なにかがいた。
 誰ががいた。
 いつの間にか。
 遮那にも、富士子にも気づかれぬうちに。
 ゾクリ、とした冷たい空気がそこにあった。
「だれなの?」ショウコが再び影に向かってほえた。
「――ようこそ」とその影が答えた。
 ソロソロと音もなく近づいてくる、影。
 完全に背後を取られていたのだ。
「ようこそ、わたくしの病棟へ」
 影の正体は、霊媒師Mだった。


▲▽依頼人は眠る▽▲

 霊媒師M――
 今回の依頼人。
 碧摩蓮以外は、初対面のはずだった。
 まだ若い。
 年老いたイタコのような存在ではなかった。
 長い黒髪に、白い顔。
 花模様をあしらった真っ赤な長襦袢を着ていた。どこかのファッションショーならいざしらず、みんなの前に襦袢姿で現れるのは異様だった。たったいま、寝屋から抜け出してきたとでもいうのだろうか。
「こちらです。さあ、どうぞ」
 霊媒師Mは、その瞳をぴったりと閉じたまま、幻のように歩く。驚き顔でただただ見つめているだけのショウコの脇を抜け、碧摩蓮に軽く微笑みかけると、玄関の大きな扉を開けてジキュアプジャーを招きいれた。
「目が、見えないのですか、あの方は」
 奉丈遮那が蓮に小声で尋ねると、蓮は、さぁて、とつぶやいた。
 一行は、洋館の内部へと入っていく。
 Mのうしろを、ショウコ、蓮、遮那、イロハ、モシモ、富士子がついていった。
 木造の、がっしりとした塔だった。玄関の扉を抜けると広間になっていて、前に上り階段があった。部屋の左右にも扉があって、中庭をぐるりと巡る渡り廊下へ続いていたが、霊媒師Mは一度も振り返らず、そのまま階段を上っていった。自分のテリトリーだとはいえ、彼女の足取りは、すべてが見えているような確たるものだった。
 2階――
 3階――
 何事もなく、たんたんと事が進んでいく。
 霊媒師Mと、碧摩蓮と、5人のジキュアプジャー。
 何かがおかしい、と奉丈遮那は思った。
 まるで夢の中にいるようだった。遮那は、その能力のゆえ、自分の夢については人一倍敏感だ。だから、いま見えている建物の映像、床がたてるギィという音、みんなの息遣い、背中に軽くタッチしているイロハの手のぬくもり、そういったものが夢でないことは彼にはよくわかっている。これは現実だ。しかし、それでもなお、夢のような心地がするのだ。
「わたしくの目的は――」先頭の霊媒師Mが、歩きながらみなに告げる。小さい声だったが、みんなが真剣に耳を立てていた。
「目的は、獏を退治していただくことです。わたくしは、道を誤りました。自らの能力を過信し、取り返しのつかない所まで……いつの間にか来てしまっていたのです。わたくしは罰を受ける覚悟をしております」
 4階に到着した。全員がその最上階へ到着すると、Mはクルリと振り返り、さらに言った。
「獏は、わたくしが作り出したのです。そして、彼女たちとわたくしを呑みこもうとしています」

 最上階の部屋は、薄暗かった。
 壁の一面が開け放たれ、そこから夜風と月明かりがこの部屋へ注ぎ込まれていた。
 部屋の中央には、手術台のような縦長のベッドが3つ、置かれていた。
 ジキュアプジャーたちは周囲を慎重にうかがいつつ、ベッドを注視した。
 そこに、3人の少女が横たわっていた。
 眠り続けている少女というのは、彼女たちのことだろうか。
 獏はどこに?
「さぁ、獏よ、来い!」
 ショウコが突然、そう叫んだ。とりあえず観戦することに決めている梅津富士子以外が、さっと配置につく。
 老猫の果てである富士子は、どこから持ってきたのか、薙刀を手に、部屋の片隅に立っていた。
 ショウコは素手、イロハは弓をつがえ、遮那はカードと宝珠を準備し、モシモはショウコの背後に隠れていた。
「あ、いまのは、気合を入れただけで」とショウコが言い訳する。「獏がいたわけじゃないよ」
 蓮が、勝手にキセルに葉煙草をつめ、火をともした。そして、窓辺に背中を預けてキセルを吸い、フフフと笑う。月明かりを背景に、その姿がシルエットとして映り、キセルの先がほのかに赤く染まる。
「獏は――」と霊媒師M。「わたくしが生みました。絶望を消したくて」
 Mは、ベッドに横たわる少女たちの髪をなでたり、頬に触れたりしながら、独白を始めた。
 それは、獏の出生の意味。
「わたくしには、暗い秘密があります。その内容を述べている時間はありませんが――ずっとずっと、悪夢に悩まされてきました。わたくし自身が、悪夢の被害者だった。幼き日より、ずっと。苦しんで苦しんで、しかし助けの手はなく、外道と死と耽美を揺れ動きながら、それでも苦痛は去らなかった。どこへ逃げてもわたくしはわたしくで、過去を消し去ることはできなかった。悪夢が浄化されることはなかった。そして、苦しみの中でわたくしは獏を生み出した。無意識だったのでしょう。もともと、霊的な素質もあったのでしょう。獏はわたくしを苦痛から救ってくれた。獏がわたしくを暗黒から開放してくれた」
 みんなの視線が、霊媒師Mに向けられている。彼女はときどき、苦しそうな息をはいた。
「生まれ変わったわたくしは、新しい生き方を見つけました。同じような症状で苦しんでいる人々を――彼女たちのような少女たちを、助けたい。わたくしは、獏の力を借りました。霊媒師や精神治療と称した仕事を通じて、苦しむ人々を救いたいと思っていたのです。しかし、それはあまりにも自分の力を過信し、世間を知らなすぎた行為でした。この世の人々が孕む苦しみというものは、わたくしが思っていた以上に、もっともっと深く、もっともっと膨大なものだったのです。わたくしは、自分だけのためにその能力を使っていればよかった。それなのに……」
 不意に、霊媒師Mは奇妙な格好をした。
 まるで、天井から垂れる糸に、心臓をつり上げられたように、爪先立ちになって体を反らせた。
「来る……獏はいまでも、わたくし……を助けるためにやってくるのです。人々の悪夢を食べすぎて――自制がきかなくなったいまでも……わたくしを想ってくれているのです。――かわいそう、わたくしのために……ああ」
 霊媒師Mの肢体が、びくんびくんと波打った。
「かわいそうな獏……来る――来る!……助けてあげたい……でも、それはわたくしの……わがまま……来る!――わたくしと一緒に、獏を滅して――」
 どこからか、獣の咆哮が聞こえた。
 雷にも匹敵するほどの、大きな音だった――外からだった。
 碧摩蓮が、窓際からサッと体を投げ出して、ショウコたちがいる場所まで木の床を転がってきた。
「そこ、そこ!」
 薄暗い部屋が、さらに暗くなった。何かによって月明かりが遮られていた。
 みんなが、見た。
 それを、見た。
 窓一面に、ぬっと出てきたのは、獣の顔だった。
 顔だけで人の背丈の倍もある。伝説でいわれているものより、もっと猛々しい、豹や熊のような顔だった。
 そんな巨大な顔が、部屋中を両の瞳で赤々と睨みつけ、牙のある大きな口を開いていたのだった。
「獏が――きたっ。ホントにっ」ショウコが叫んだ。


▲▽戦闘の行方▽▲

 矢――
 最初に行動したのは、菅原射鷺羽だった。
 獏の瞳めがけて、矢を放ったのだ。
 一の矢は、痙攣したように震えて立つ霊媒師Mをかすめ、獏へ向かってとんでいく。
 素早く二の矢も放たれた。どちらの矢も、ゼリーにエンピツを立てるように、獏の目につきささった。
「具現化してる! 当った」とイロハ。
「みんな、来いっ。ここじゃ狭すぎて、他に犠牲が出る」ショウコが言った。
 イロハの矢でひるんだ獏にショウコが突進した。そしてパワーが強化されている飛び蹴りを、獏の眉間にヒットさせた。
 塔に張り付いていた獏ともども、そのまま4階の高さから、中庭へと落ちていく。
 ショウコに続いて、シャナとイロハとモシモも、そこから飛び降りた。
 新開発されたパワードスーツがあるおかげで出来ることだった。
「とぉっ。とぉっ」
 富士子だけは、高見の見物といった風情で、その場に留まった。蓮も、その塔の最上階に残っていた。
 ドドーーン。
 ぐるりと四方を十四角形の渡り廊下で取り囲まれた中庭に、獏が倒れこんだ。
 起き上がったショウコと、他の3人が合流して陣形を取り、獏に向かって構えた。
 想像していたよりずっと巨大な獏だった。からだはどちらかというと竜のように細長く、ワニのような手足が短くある。全長20メートルもあろうかという巨体が、裏返ってトグロを巻いている光景があった。獏を作り出したのが霊媒師Mなら、きっと彼女の空想力が獏の造形に関与しているのだろう。
「どうやって倒すの、隊長?」弓を引いたイロハがそう聞いた。
「遮那に任せる。獏は、具現化するような得体の知れないモノになっちゃったかもしれないけど、もともとは霊的創造物。遮那なら、飲み込んだ悪夢ごと、獏を消せるはず」
「わかりました。僕がやります!」
 遮那だって、獏にどんな攻撃が効くのかわからなかった。いくつかの選択肢を試してみるだけだった。タロットカードは使わず、今回は東洋的手法でいくことにして、宝珠を手に呪解の念を唱えた。
 ブーンという低重音とともに、遮那の体が青白い光に包まれ始めた。
 彼はブツブツと何か言葉を発していた。口から光る煙が吐き出され、煙が華奢な彼のからだを覆っていく。
「あっ」
 とモシモが驚いている間もなかった。その巨躯から想像できないほど俊敏に立ち直りをみせた獏が、みんなより三歩前で念を唱える遮那にいきなり噛みついたのだ。グルルルと唸りながら大口をあけ、ぱっくりと遮那のからだを丸ごと地面ごと口に入れてしまった。
「あああ!」
 助けの矢を放とうとしたイロハを、ショウコが制した。
「待って。まだ大丈夫。ここからが勝負」
「隊長……」
「遮那は体内から攻撃するつもりだった。計算のうちよ」
 光る遮那のからだが、獏の皮膚を通して透けて見えていた。
 確かにその光があるうちは、遮那は無事だといえた。 

 獏の体内は、外界とは全く違う世界だった。
 境界が――ない。
 巨大な獏といえども、その体内は有限なはずなのに、そこは宇宙に浮かんでいるような広い場所だった。
 そして、獏の意思が――存在した。
 遮那にはそれがすぐにわかった。
 さらに強く念を唱えた。
 獏の波動に押しつぶされてはいけない。
『我の内で何をしようというのだ、小僧』
 それは言葉ではなく、直接遮那の脳髄へ響いてくる波だった。遮那はその問いに、頭で答えた。
『獏……おまえを、助けたい』
『小賢しい。助けてやるのは、我のほうではないのか? いまでも悪夢を見るのだろう?』
『僕の問題は、僕自身で解決するよ。いまは、バイト中なんでね』
 闇の空間には、さらに密度の濃い闇がいくつも、浮かんでは消えていた。遮那はそれを肌で感じた。自分の力をもって、それを1つ1つ手に取り、消していった。
 それぞれが、誰かの悪夢。あるいは、良き夢。
 何もない広い場所なのだが、よく感覚を澄ますと不気味な意志と夢の塊が密集していることがわかった。
『余計なことを。我は、あの少女のために生まれた妖なのだ。小僧には関係のないことだ』
『霊媒師Mのこと? それなら、僕には大いに関係あるね。彼女を助けなくちゃ』
『助けはいらぬと言っておろう!』
『おまえも疲れてるんだね。わかってるよ』
 遮那のからだから、光がほとばしる。
 交差し、螺旋を巻き、闇を照らしていく光たち。浄化しているのだった。
 主(あるじ)を救いたいばかりに、無理をして悪夢を喰らい続けた獏。
 獏の存在の悲しさに、遮那の心にも涙が宿る。
『わかってるね、おまえも。本当に、本当に、主を救いたいだけだったのに……いつのまにか、おまえ自身が、彼女の悪夢となってしまった。すごくつらい事実だ。おまえは主を救うために生まれたのに、いつしか主を苦しめる存在になっていたなんて。だけど僕たちが……彼女を助ける。約束するよ。さあ、僕に身を委ねて。おまえが存在したことは、決して無駄ではないんだよ』
 遮那は次々と、漆黒の塊を消していった。
 しかし、キリがなかった。この妖魔が持つただならぬ力の証拠だった。
『我は――本当に、彼女の役にたった、と?』
『ああ』と遮那が答えた。
『そうか――だが、小僧には我の闇は消せぬよ。悪夢は、終わらぬのだ』
 その瞬間、さらなる闇の洪水が遮那を襲い、彼のからだはどこかへ弾き飛ばされていた。

 獏の中で何が起こっているのかはわからなかった。
 待ち構えていたショウコ、イロハ、モシモは、獏の口から飛んで出てきたシャナのからだを胴上げのように全員で受け止めた。
「だいじょうぶ、遮那!」
「あつつ――大丈夫です。イロハさんの弓の先が当ってて、痛いだけです」
「うん?……わ、わ、ごめんね、遮那くん」
「中で何があったの?」
 遮那を吐き出した獏は、グリャグァアと一声啼いて、中庭の地面を踏み鳴らした。
 そして、少しの間、遮那のほうをじっと見ていたようだったが、首をグルンと振ると、またしても大きな口を開けた。
「あぶない。逃げてっ!」
 逃げる必要はなかった。
 4人の目の前で起こった出来事が、それを示していた。
「え……」
 獏は大きく開けた口で――自らの尻尾に噛みついていたのだった。
 信じられない光景だった。
 獏が、自分の尻尾をその口に含み、そして、少しずつ呑み込み始めたのだった。
「まさか……」
 呆然としたイロハが、そうつぶやいた。
 遮那だけは、その理由がわかるような気がした。
 ウロボロス――自分の尻尾を噛んで輪をなす蛇竜。
 すべてがつながっていることの象徴。あるいは、永劫に巡る宇宙のたとえ。
 獏は――主のために、ついに己を喰らうことを決断したのだ。
『獏よ……おまえは、主のために自分を消すことを選んだんだね。それが、おまえの本当の想いなんだね』
 遮那は心の中で、そう語りかけた。
 自分を呑み込み続ける獏と、そのとき、目があった気がした。
『獏よ……おまえは、僕にとっては良い想い出になるよ。おまえの主は、きっと、おまえのことを忘れてしまうだろう。それでいいんだ。みんなが忘れてしまっても、僕はひっそりと、おまえを覚えている。ずっとだ。だから、さようなら』
 巨大な獏といえども、自らの口を使えば、それを呑み込むのにたいした時間はかからなかった。
 円の半径はどんどん狭くなり、足を喰らい胴を喰らい、最後には頭を喰って、獏の姿は見えなくなった。
「終わったのか、な」
 イロハが口にした。誰も答えなかった。
 ただ獏の姿が見えないだけかもしれなかった。
 役目を終えた獏は、もしかしたら永遠に、この場所で、自分を喰らい続けているのかもしれない。
 どこまでも、どこまでも。
「あ、獏の皮――取れなかったや」
 ショウコが現実的なことを言った。隊長は、いつも冷静でなければならないのだ。


▲▽目覚める者▽▲

 戦いを終えたジキュアプジャーは、施設の最上階へ戻った。
 そこには、碧摩蓮、梅津富士子、霊媒師M、そしてベッドに横たわる3人の少女が待っていた。
「ふー、とにかく獏は退治したよ。皮は手に入らなかったけど」とショウコが残っていた面々に言った。
 霊媒師Mは、さっきの姿と同じく、背中を反らしたまま立っていた。
 ショウコが近づいて、飛びはねながら顔を覗き込んだ。
「まさか、立ったまま眠ってるの? 器用ね」
「そういう問題じゃないよ」と富士子が言っって、Mの後ろに回った。「本当に悪夢は消えたのかい?」
 たしかに変だった。獏は排除されたのだから、すべて元に戻ったはずなのに。
「ちょっと時間がかかるのかな。おーい、霊媒師さん」
 ショウコがMを起こそうと、彼女の腕を持って揺り動かそうとした瞬間だった。
 霊媒師Mが、ショウコが近づくのを待っていたかのように、突然目覚めたのだ。
 目と口をカッと開き、髪を逆立てたMが、ショウコに襲い掛かった!
 避ける暇がなかった。
 反射神経に自信があるショウコでさえ、腕でその歯牙を受け止めるのがやっとだった。
「ぐっ」
 Mの牙が、ショウコの腕に深く突き刺さっていた。
 ものすごい力が加わっていた。とても人間技とは思えない。
「たいちょー!」
 パワードスーツの力をもっても、まったく振りほどけなかった。ショウコは窮した。
 が――
 ショウコが肘打ちを喰らわそうと攻撃の手を出したとき、急に霊媒師Mの力が弱まった。
「あ!」
 ショウコが見たものは、Mの腹を見事に貫き通している、薙刀の刃先だった。
 Mの腹を背中から貫通し、もう少しでショウコに当たるという手前で、止まっている。
 銀の刃からは、血はしたたっていなかった。
「富士子さん……」
 霊媒師Mを背中から刺したのは、いままでここで見物していた梅津富士子だった。
「富士子さん、なぜ、こんなことを」とショウコ。「なにも、ここまで」
「お前さんたちは、わかってないよ。この霊媒師とかいうのも、獏さ」
「え?」
 霊媒師Mは、力ない感じで、背後の富士子を振り返った。
 その唇が、ワナワナと震えて、ころして、という言葉を形作った。
 富士子は、突き刺した妖刀の刃を上向きにねじると、それを上に向かって斬りあげた。
 一刀両断というほど見事に、霊媒師Mのからだは腹から肩口にかけて斬られた。
「観念おし。役目は終わったんだ、ゆっくりお休み」
 他のメンバーたちが唖然と見ている前で、富士子のその言葉に送られるようにして、霊媒師Mは霧のように姿を消した。
 静寂。
 月光。
 終焉。
「どういうこと……富士子さん? 彼女が、獏? だって、わたしたちはさっき」
 ショウコがそれだけを、やっと言った。富士子は鉢巻をほどいて帯のあいだにしまい、答えた。
「正確には、獏使い、と言ったほうがいいかね」
「獏使い?」
「獏が想像で生まれた生き物なら、さっきのおなごも想像で生まれた者だということ」
「まさか!」
「ふん。700歳をあなどってもらっては困るね」富士子が碧摩蓮のほうを見た。「おおかた、その3人の娘のうちの一人が、本当の……その、Mとかいうおなごだろ」
 蓮は、ずっとここにいたのだが、いままで何をしていたのだろうか。
「アネキ、どういうことなの?」ショウコが尋ねた。
「まぁまぁ……いろいろあるのよぅ」
「いろいろって……アネキ……依頼人って、さっきの霊媒師Mじゃなかったの?」
「そうだとも言えるし、違うとも言えるね」
「どっちよ、もう! 何でそんな大事なこと教えといてくれないのっ」
「聞かれなかったからね。だけど、ここでちゃんと見張ってたからいいでしょ。その3人の少女のうち、真ん中にいるのが、霊媒師Mさ。あんたたちのおかげで、生まれ変わったM。横の二人は、本当にここの患者ね」
 全員が、ベッドにそっと近寄った。
 上から、少女たちの寝顔をのぞきこむ。
 中央の少女は、まだ10才を少し過ぎたくらいの、幼い少女だった。
 こんな少女が、あの竜のような獏や、香気ある霊媒師を創造し、動かしていたというのか。
 人間の業の深さ。
 苦痛の激しさ。
「ボーナスはずむから、そんなに怒らないでョ。ほら、見てご覧、この子の、柔和な顔をさ」
 少女は、薄っすらと笑みを浮かべ、軽い寝息をたてていた。
 苦しみは去っただろうか?
 悪夢は再び訪れないだろうか?
 それはわからない。最後には、彼女の生命力が解決しなければならない問題なのかもしれない。
「ほら、目覚めるよ……みんな、いい顔して!」と蓮。
「アネキは、その厚化粧を落としてきたほうがいいんじゃない。オバケと間違われるよ」
「この……ショウコ!」
「シーっ」
 一滴の涙が少女の瞳から落ち、そのまぶたが薄く開きはじめ、そして――。



  <了>
 





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 /色】

 0506/奉丈・遮那(ほうじょう・しゃな)/男/17歳/占い師/山吹

 2477/梅津・富士子(うめつ・ふじこ)/女/700歳/仕立屋/海老茶


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■         ライター通信          ■
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ライターの流伊晶土です。
今回は、異界『悪夢を喰らう』にご参加いただき、ありがとうございました!
前回に引き続き、キャラ様の血縁者でのご依頼、感謝にたえません。

富士子さまが、どんな風に戦うのか、ライターとしてもドキドキして様子を
見ていました。やはり多くを見抜いていたらしく、いいところをお持ち帰り
いただいたようです。妖刀のキレがすごかった。血はないので、これなら
許されると思ったのですが、いかがでしたでしょうか。

では、またお会いできることを願っています。