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<東京怪談ノベル(シングル)>


Prayer

 ◇君を想う

 夕焼けを眺めながら涼風を感じている。
 澄んだ灰青に茜を刷いて、世界はこんなに美しい。なのに、自分は鉛色のまま。
 それででいいのだろうかと、ヒルデガルド・マクスヴェルは長い溜息をついた。
 腰に下げた剣は研ぎ澄まされ、手入れされているが、今の自分では剃刀にすら劣る。前十七師団団長からその座を譲渡されて殆ど時間が経ってないのだ。溜息が出るのも仕方ないのかもしれない。だが、そんなことでは一師団を纏める事は難しい。
 気持の切り替えが出来ていない自分が厭わしくて堪らない。幼馴染である男も筆頭騎士を務め、サポートしてくれるだろう。
 ヒルデガルドは幼馴染の顔を思い出した。どういった原理か不明だが眼帯の下の紅瞳からビームを出す男の風貌を思い浮かべると、何故か安心感が伴う。ヒルデガルドはふと頬を緩めた。
 限りなくアホに近い男ではあるが、それはそれでいい男の部類に入ろう――数々の行動を端折れば、だが。
 こんな男の存在に癒されている自分が可笑しかった。
 自分の所属する真・聖堂騎士団は第一から第二十二師団まである。1〜6までがローマ教皇庁直属。7〜16まではEUの各聖堂に配属。17〜22は諸国に派遣されていた。明後日には自分は日本に向かわねばならないのだ。
 暫く見ることが出来なくなるだろう、独首都ベルリンの夕焼けを眺め、思案に明け暮れている。
 師団長という責任は重い。過去北欧に繁栄した「新聖堂騎士団」の体制を見直すべく結成された「真・聖堂騎士団」では殺戮は行われない。前時代ならば逆に統率は楽だったろう。団律に反するものは処刑か禁固刑に処すればいいのだから。
 しかし、神がそれを望むだろうか。
 等しく愛しい子供達が、罪の重さに耐え切れず崩れていってしまうだろう。そんな姿を望むはずは無い。
 厳しくも暖かく自分は見守ること、共に支え合い成長していけるだろうか。怒りの気持が自分を支配してしまわないだろうか。
 そんな気持が自分の中に去来していく。
 もうすぐ夜が来る。
 思う時間も少ないが、夜だけは自分を包んでくれそうだった。


 ◇蒼ノ向コウ側へ

 朝焼けに染まる欧州の空の下は涼やかだった。
 遠い日本という国は昼頃だろう。
 その国は南の国でもないのに、とても暑い国だという。どういう気候なのか分からないが、ここよりは過ごしにくいのだろう。
 そんなことを考えながらヒルデガルドは剣を振るっていた。
 子供の頃は剣を振るうごとに強くなっていくような気がした。実際そうだった。今の自分は振るうごとに疲労を感じるだけだ。
 昨日の思いにケリがつけられずにいる。明日になればこの国を発たねばならないのに、やり残した事があるような感じがしてならないのはこの気持の所為だろうか。
「でやぁッ!」
 十字剣を振るう風鳴りが耳に届く。
 付き纏う不安を拭い去るべく振るう剣は重い。まるで負わねばならない責任のように、益々、重量を増していっているような気さえしてきた。
 蒼さを取り戻していく空を眺めれば、ヒルデガルドは剣を下ろす。
(…こんなふうに……)
 生きられるだろうか、自分は。
 その先の気持を言葉にしたら居た堪れなくなりそうで、ヒルデガルドは心の中の言葉さえ隠しこもうとした。
 僅かに苦い溜息を吐いて、剣をしまう。朝食の時間はもうすぐだ。
「休憩するか…」
 木に引っ掛けたタオルを手に取ると汗を拭き、宿舎の方へと歩き始めた。小川を越え、宿舎の敷地内に入ったとき、歩いてきた方角から少年と思しき声が聞こえてきた。
「何だ?」
 何事かを叫んでいるような声に、眉を潜めて振り返る。
「助けてーッ」
「ん?」
 助けを求める声に振り返ったヒルデガルドは思わず駆け出していた。何が起こったのかは分からない。だが、助けを求めているのなら行かねばならない。正義感が彼女を動かしていた。
「向こうの川でボクの弟が溺れてるんだ!」
 栗毛の十歳ほどの少年が涙を浮かべて訴えかけた。
「何だって…坊主、場所は何処だ?」
「…向こうの川だよ…。ボクがからかって突き飛ばしちゃったんだ…ごめんなさい。…ごめんなさい」
 安心したのか、緊張からなのか、少年は泣きじゃくり始める。
「謝るのは私にではなく、弟にしろ。助からなかったらそれも叶わないぞ」
「…う、うん…」
「さあ行こう」
 ヒルデガルドは少年の手を掴んで走り始めた。向こうの川までそんなに距離は無い。走れば間に合うはずだ。ヒルデガルドと少年は必死に走った。
 陽光に輝く金色の野原を抜け、空を写し取ったような大地の蒼が目に映る。川に近付けば、生い茂る木々の影で水音がした。
「助け…て…おにいちゃ…ん…」
「いたよ、あそこだ!」
「待っていろ、坊主」
 そう言うなり、ヒルデガルドは十字剣を放り出して川に飛び込んだ。
 溺れてしまった少年は川の中に繁殖した藻に足をとられたのだろう。それほど深くないが、もしかしたら落下したときに怪我でもしたのかもしれない。少年はやっと水面に顔を出しているような状態だった。
 濡れた服が重く纏わりついているが大した事はない。
 水の流れに足を攫われた少年を抱き寄せると、ヒルデガルドは陸に向かって泳ぎだした。足がつくところまで来れば、少年を引き上げて歩きだす。
 野原に寝かしてやると、少年は自分で飲んでしまった水を少し吐き出した。
「大丈夫か?」
「うん…。……お兄ちゃん、騎士団の人?」
「え? …あぁ…」
 不意に言われてヒルデガルドは目を瞬いた。
 訓練中の自分は制服を着ているわけではない。どうして分かったのだろうか。少し思案していたヒルデガルドの表情を読み取ったのか、少年はうっすらと笑った。
「騎士団はね…僕の憧れなんだ…。だからね、今、その剣の紋章見て吃驚しちゃったよ」
「……そうなのか」
 少年にそう言われて、はたと気が付いたヒルデガルドは面映い表情で少年を見た。
「うん、僕も大きくなったら騎士団に入るよ。ずっとね、決めてたんだ」
「辛い事もあるぞ?」
 今の自分の状況を思い浮かべるに、思わず正直な気持が口をついて出た。
「うん…大丈夫。ねぇ、ぼくの隊長になってくれるかなあ? キライなニンジンも食べるから」
「そうか…」
 そう言ったまま、ヒルデガルドの声が詰まる。
 金色の野原に一筋光る大地の蒼のように、未来に輝く瞳を見つめてヒルデガルドは頷いた。目の端に熱いものが込み上げて、視界が滲む。
 少年が見る未来の蒼と大地の蒼が、自分に映ったかのような気がしてならなかった。

 ■END■