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<東京怪談ノベル(シングル)>


おひさまの診断結果

 「金払いやがれ」
開口一番飛び出した台詞から、五代真の電話相手は知れた。ここ最近なにかと厄介ごとを運んでくる、親戚の臨床心理士だった。今日はどこか雑踏から電話をかけてきているらしく、遠くから人のざわめきが賑わしい。
「今日はなんの用だ」
「おい、ちょっと待て」
用がないなら切るぞと受話器を置きかけると、電話の向こうは慌てて声を張り上げた。お互いに相手の性格がよくわかっている。
「真、お前今週の日曜は暇だろう」
決めつけられると腹もたつが、しかし否定はできない。用事がなかったわけではなく、日曜に仕事が入るかもと言われ空けていたのだ(仕事自体は結局昨日済ませてしまった)。いい年をした若い男が休日に遊ぶ友達もいないのかと笑われることだけは避けたかった、これだけはくれぐれも、真の名誉のために断言しておきたかった。
「うちのがお前に会いたがっててな、来てやってくれんか」
「あいつが?」
「うちの」「あいつ」名を挙げなくても話が通じる相手とは、臨床心理士の家に居候している少年のことである。いつも唇を引き結び、無表情に人を見上げるので大人びて見えるのだが、真に会いたがるとは案外子供らしいところもあるものだ。
 そう言って真は口元をほころばせかけたのだが実際はぬか喜びで、話し相手はざっくり期待を裏切ってみせた。
「いや、お前を相手に心理テストをやってみたいんだそうだ。要するに実験台だな」
同じものでも言いようがあるだろうと、今度こそ真は机に受話器を叩きつけた。だが電話が切れる寸前、日曜日の午後一時だぞと念を押す声だけはしっかり聞き逃さなかった。

 そして日曜日。几帳面に約束の一時十分前、臨床心理士の部屋を訪れた真はまず、当然上げるべきであろう悲鳴を上げた。
「ど・・・・・・どうやったら、こんなに汚くなるんだ!」
この間大掃除したばかりの待合室がすでに、週刊雑誌とカップラーメンの食べ残しとに侵食されている。ひっくり返ったスリッパに足をつっこみ、手近にあった洗濯物を一つにまとめる。これだけ部屋を散らかせるのなら、これは怠惰ではなくもはや一種の才能だ。
 ごみの中に点々と残る白い床を踏みながらどうにかカウンセリングルームまで辿り着き、ドアを開けると白い大きなテーブルを挟んで、臨床心理士と少年が座っていた。振り返った瞬間の唇を尖らせた感じがさすが血縁、似ている。
「よお、来たか」
散らかし大魔王め、と真は心の中で呟いた。呟きは催促に替えた。
「今日こそは絶対、金払えよ」
三度目の正直である、今日こそはなにがなんでも逃さないぞと真は臨床心理士の隣に腰を下ろしたのだが、しかし彼は真が座るとすぐに立ち上がって少年の背後へ回ってしまった。
「おい」
呼び止めようとした真の手は空を切り、臨床心理士は座ってろと手で合図を送る。カウンセリングのときは診察する側と受ける側向かい合って座るのだという常識を、真が知らないだけだった。
「いいから大人しく座っていろ」
重ねて注意され、ようやく真は中空に漂っていた腰を椅子に据えた。

 少年は、以前に会ったときより少し日に焼けているようだった。どうしたのかと訊くと臨床心理士に連れられて海へ行ってきたものらしい。肌が弱いので一日中日陰にいたらしいのだが、それでも二の腕のあたりに筋が入っていた。
「海か、俺も行きたかったなあ」
「おっちゃん一人でも手ぇかかんのに、真兄ちゃんまでおったら俺忙しゅうてかなわん」
冗談で言われるならともかく、至極真面目な表情で答えられると本当に迷惑をかけそうな気がして、真は続けるべき言葉をなくしてしまう。どうもこの少年は、会話を自分のほうで一方的に打ち切ってしまうところがある。瞳が真っ直ぐすぎるから、胸元に刀を突きつけられているような気がしてくるのだった。
 テーブルの上には一枚の画用紙とペン立てが置いてあった。ペン立ての中には色とりどりのフェルトペンが十二色、全部ペン先を上にして突っ込まれている。好きな色を一本取るように言われたから、赤い色を選んだ。
「したら兄ちゃん、ここにおひさま描いてみてや」
「おひさま?」
「太陽や」
いきなり絵を描けと言われも困ってしまう。赤いペンのキャップを外したところで考えあぐねていると少年が急かすように、またあの目で真を見上げてくる。
 ああ、もうどうでもいい。笑われようが馬鹿にされようが構わない、自分にはこんな絵しか描けないのだからと真は観念してペンを握った。おひさまと言われ最初に浮かんだものをそのまま、紙の上に描き写す。紙の中央から、線が回転して外へ広がっていくうずまき。縁を彩るような光を模した幾本もの直線。真が描いたのは簡単かつ単純な、子供の描くような太陽であった。
 犬を描いても(よく言われて)うさぎ?と訊ねられるような真の画力では、太陽らしい太陽を描こうとすればするほど見当違いの方向へ、それこそ引力を抜けた宇宙船のように漂っていってしまうことだろう。
「できたぜ」
描きあがった画用紙を少年に正しい方向から見えるように回転させ、といってもほとんど変わらなかったが、ペンの蓋を閉じる。一体、これでなにがわかるというのか。わからないから真にも興味はあった。

 少年は、両手を机の下に置いたまま首だけを折り曲げ、真の描いた太陽をじっと眺めていた。穴が空くほど見つめても、うずまきからはうずまきしか現れないというのに。だが少年の肩越しに本職の臨床心理士も真剣に覗き込んでいるので、ああこれは彼ら流の仕事のやり方なのだと真は口を挟まないことにした。誰だって、仕事のやりかたに茶々を入れられては腹が立つ。
 やがて少年は右手を出すと、太陽のうずまきを内側から外側に向かってなぞり出した。そして瞬きを一つ、目を輝かしたかと思うと。
「兄ちゃん、ええ人生やな」
心理テストというよりはまるで、辻占いのような口調であった。
「は?」
「おひさまのうずが中から外に向いとるっちゅうんは、性格もおんなしや。兄ちゃんは外へ、外へと大きく広がっとる」
おひさまの線も多いしな、と少年は十数本の直線も一つ一つ指差し言葉を続ける。
「人間関係も悪くないみたいや。ええ人が回りにおるさかいに仕事も順調やし、今の兄ちゃんは生きとるのになんの不満もあらへんのやないか?」
たった一つだけある、といつまで経っても仕事代を払わない臨床心理士の顔を横目で睨みかけたが、それには口をつぐむことにして真は頷いた。
「ああ、概ね良好だ」
「けど、この今があるんは全部兄ちゃん自身の実力みたいなもんや。兄ちゃんが真っ当で誠実やさかい、人も兄ちゃんに集まってくるんや」
「ほう・・・・・・」
感嘆のため息を吐いたのは臨床心理士。小学生だしなにもわからないだろうとカウンセリングの手伝いをさせていたのだが、実は案外に自分の仕事を覚えていたらしい。いや、記憶以上の観察眼と推察力が少年にはあった。今からこれだけの診察を下せるのなら、うまくいけばひょっとすると。
「さすが、俺の甥っ子」
臨床心理士が口元をほころばせたのと、少年の目からきらきらした輝きが薄れるのはほぼ同時であった。

「ど・・・・・・どない、やった?」
瞳に輝きを宿していたときは自身満々闊達に口を動かしていたというのに、今真を見上げている少年の目はおどおどと頼りない。瞬間的な直感で喋りまくっていたときはよかったのだが、一度我に返ってしまうと途端に自分の診断に自信が持てなくなってしまったようだった。
「そうだな」
真はジーンズをごそごそと探り、左のポケットから五百円玉を一枚取り出した。少年と臨床心理士がなんだろうと視線を注いでいるそれを、右の親指に乗せてピンと弾いて跳ね上げる。コインは綺麗な放物線を描き、真の額より高く上がってそこからまた同じ軌道を描いて落ちてくる。
「表か、裏か」
落ちてきたコインを左手の甲で受け、上から右手をかぶせると真は少年の瞳に尋ねた。また、わずかだが少年の目がキラリと光った。
「・・・・・・裏」
裏だな、と念を押し、それから真は右手を開く。と、コインが見せていたのは。
「残念、外れだ」
「500」と描かれた側の面を上にしたコインを少年の前にすっと滑らせる。さらに少年が口を開こうとしたのを遮って、
「だけどお前の診断は間違ってなかったみたいだ。それは診断料として、取っておけ」
「けど、兄ちゃん」
いいから取っておけ、と立ち上がった真に向かって少年は目を細める。
「兄ちゃん、間違っとるんは兄ちゃんのほうや」
「・・・・・・は?」
五百円玉には「500」と文字が刻まれている面と、「日本国五百円」という文字と共に桐がデザインされている面とがある。子供などはよく勘違いしているのだが、硬貨はこの「日本国」と書かれているほうが表になっている。
「こっちが裏やん」
大抵は大人になる過程で誰かから間違いを指摘されるものなのだが、真はどうやら指摘されず今の年齢まで成長してきたものらしい。
 人は格好をつけようとしても、最後までつけきれないものである。

「それじゃ、俺帰るな」
散らかった待合室を再び踏み越えて、真がどうにか玄関まで辿り着いたところで振り返る。(そのとき気づいたのだが臨床心理士と少年は室内にも関わらず靴で生活していた)
「またな、兄ちゃん」
小さく手を振る少年の顔は、さっきまでの不安はどこへやったのか満面の笑顔である。もしかすると初めて少年のそんな笑顔を見たような気がする。
「おい、真」
忘れ物だと、臨床心理士が茶色い封筒を真に投げてよこした。受け取ったそれはなにやらかさばっているように感じられる。もしかすると、これは。
「多めに入れておいたからな」
臨床心理士の言葉に、真は心中で大きくガッツポーズを作る。やっと、やっとのことで報酬を手に入れたのだ。
「またいつでも呼んでくれよ!」
さっきまでを上機嫌だとすれば報酬を得た今現在は最上級それ以上ないくらいの天を突くような機嫌のよさである、茶封筒を抱きしめた真は意気揚揚と臨床心理士のカウンセリングルームを後にした。少年に負けず劣らず、臨床心理士も笑顔で手を振っていた。
 懐が重くなれば逆に足取りは軽くなり、自転車での坂道も苦にならない。今日はいいことづくめだったから、夕食は豪勢に行こう。
「・・・・・・と、その前に」
赤信号で止められた真は、ポケットに入れたままだった封筒を取り出す。少年も見ていた手前貰ったその場で開けることは憚られたのだが、いくら入っているのかは気になるところだ。多めに入れておいたと言っていたが、はたしてどれくらいなのだろうか。
 右足を自転車のペダルにかけ、左足を歩道の縁石に乗せたまま、自転車のハンドルにもたれかかるようにして真は封筒の中を覗き込んだ。そして、そのまましばらく動きを止めた。横断歩道の信号が青になっても動かなかった。青信号が点滅して、赤に変わって、車が走り出してからようやく
「・・・・・・あの、狸親父!」
腹の底から怒りを吐き出した。
 また一杯食わされたのだと理解した真は、すぐさま自転車をカウンセリングルームへ取って返したものだが敵もさるもの、残っていたのはやはりカップラーメンに注ぐ湯を沸かしている少年ただ一人であった。
「おっちゃんなら、逃げたで」
いないのではなく、逃げたと言うところがすでに少年も事態を察知している。
 渡された封筒の中に入っていたのは、紙幣と同じ大きさに切った新聞紙であった。人を困らせるときばかり手の込んだことをするあの男、確かに枚数を数えてみれば真の請求した分より多めに入っている(勿論新聞紙なのだからどれだけ増えたとしても一円にもならない)。
 怒りのやり場がない真は腹いせに新聞紙を全て待合室の中にばらまいてやったのだが、元々汚い室内のことである、新聞紙が数十枚舞ったところで復讐にもなんにもならなかった。
「また騙しやがって!」
あんな男の依頼なんて金輪際受けるものかと、二日で揺らぐ決心を口にした真であった。