コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


傍ら。


 軽い溜息を落とす。
 そして、呆れたように、苦笑を口許に滲ませながら、モーリス・ラジアルは会場内にさらりと視線を廻らせた。
 ――まったく。
 従者のそんな呟きなど気にも留めず、主は手許のカタログを指でなぞり、また微笑む。その指先の項目を見て、モーリスはようやく、小声で主の名を呼んだ。
「……セレスティ様」
 諌める意図もあっての些か鋭い声音に、しかしセレスティ・カーニンガムは首を僅かに傾けて、
「次の、これも」
 と、モーリスの溜息を増やさせる一方だった。

 現在、セレスティとモーリスが居るのは都内の会員制オークションハウスである。
 財閥の総帥たるセレスティと、その財閥の庭園管理者であるモーリスはこの時間、本来なら通常業務に勤しんでいるはずだった。その二人の姿が揃ってここに在るのは、午前中に訪ねてきた傘下の会社社長が、セレスティの蒐集した美術品への讃辞とともに、発した一言のお蔭である。
 ――そういえば、今日も近くでオークションがあるのですが、なかなか良いものが出るそうですよ。
 それだけなら「そうですか」と応じたものだが、相手はご丁寧にもカタログを所持していたらしい。
 現在まだ計画段階の他の部門との提携プロジェクトの相談に訪れたと聞いているが、それが難しいと知って何とか総帥自身のお墨付きを貰うためのご機嫌取りとみて間違いないだろう。このオークションを主催する会社との繋がりも確認できている。即日会員と認められたのも用意周到、というわけか。
 もっとも、そんなことでビジネスに私意を交えるような主ではないことを、モーリスを含めセレスティの部下たちは心得ている。その上でこのオークションに出向いたわけは、ただひとつ。
 目録に並ぶ品々が、セレスティが惹かれるほどに見事な代物であったから、なのだ。
 モーリスがちょうど仕事に一区切りつけたところで、セレスティの秘書からの連絡は入った。それが先述の内容で、自分は会議に出席しなければならないが、総帥の方はなんとか時間が作れる、もし良ければ同行をお願いできないか、というものだった。
 蒐集家のセレスティのオークションへの参加は珍しいことではない。ただ、どうやらギャンブル性の高いゲームを好む主に、同行する部下は毎回気を揉んでいるという話だ。
 しかも。
(どうやら今回は、『当たり』の連続のようですね)
 事前にカタログでチェックした品とは別に、急遽特別出品されたものや、現物を見て気に入ったもの、それらすべてをセレスティはモーリスに競り落とさせているのだった。
 そう、現在進行形で。
 オークショニアが中央に出された品物の説明を始める。次に出されたのはある有名画家のスケッチだった。無名時代に描かれたものらしく、作風も一般に知られているそれより荒いものの、特徴は出ている。無造作に瓶に挿された一輪の花と、題材は変哲のないものだが、軽く付けられただけの陰影が、画面で映える。
 落札予想価格として提示されていた金額も他の品より高めに設定されていた。
「良い絵ですね」
 セレスティは目が弱く、光を感じる程度の視力しか持たない。事前にカタログから読み取った情報によりどのような絵かは分かるだろうが、細かい部分は“視えて”はいない――けれど、“分かる”のだ。研ぎ澄まされた感覚が、それ以上の情報を齎してくれる。
「ええ、線に迷いがない」
 同意して、モーリスは主の返事を待たずにパドルを掲げ価格を宣言した。一気に跳ね上がった値に、間を置かずすぐ後方の席から一割上げる声。モーリスは三割また上げる。少し苛立つ声が、更に一割上げてきた。
「……どうします?」
 念のため主へ指示を仰いだが、セレスティは整った容貌を思案に曇らせることなく、ゆるりと頷いただけだった。
 モーリスは軽く肩を竦め、こちらを窺う面持ちのオークショニアに五割上乗せした金額を告げる。他の声は上がらない。
「セレスティ様」
「なんです?」
「後ろが怖くて振り向けませんよ」
「おや、モーリスの口から怖いなどという言葉が出るとは思いませんでした」
 囁くように交わされる会話は笑みの混じる。戯れのように。
「私の手許をご覧になれば、お分かりかと思いますが?」
 モーリスはぱらぱらと紙を繰る。サイン済みの落札承認の控えだ。既に束と言っていいほどの枚数になっていた。
 セレスティは笑みの声を洩らすと、
「今日は本当に、私好みの素晴らしい作品が揃っています」
 直接の返答は返さず、既に興味は次に紹介されるであろう別の物品へ向けられているようだ。
(……要らぬ心配、なのでしょうが)
 後ろの席から痛いほどに突き刺さる視線を感じながら、モーリスはまた微かな苦笑を浮かべた。
 オークショニアがハンマーを叩く音が、会場に響いた。

 稀覯本、古地図、絵画、楽譜、楽器と、幅の広い蒐集対象のセレスティにとって、自身の言葉通り今回のオークションは好みに合わぬ品の方が少ないように思えるほどの品揃えだった。結局、すべてのオークションが終わるまで会場に留まり、モーリスはセレスティの指示通り競り落とし続けることとなった。
 会場の視線が二人に釘付けになるのは当然の成り行きだ。
 オークションを終え、杖を突いて席から立ち上がったセレスティと、軽く手を添え手伝うモーリスの貌が席の後方――出口へと向いた。
 儚げな白い肌の上を掠むように落ちる銀流が、セレスティの後姿を彩るように舞う。主を気遣いつつ傍らに添う従者は、柔い金糸の髪の奥で、翠の双眸を周囲に過ぎらせた。
 外見においても、人目を惹く主従である。
 この二人が並んで進みゆけば、少々混みあっていた出口の周辺もさっと人が引いて自然道ができ、セレスティはその様子に笑みでもって応えながら優と歩いた。
 恍惚と、あるいは羨望に、ほうと息を吐いて二人を見送るオークションの出席者たちのなか、モーリスは先ほども感じた視線の類がいまだに自分たちへ向けられているのを知っていた。ちらりと主に視線で問う。セレスティは顔は前方に向けたまま、小さく笑った。
「……セレスティ様、一応お聞きしておきますが、お知り合いの方ですか?」
「いいえ。今日が初対面でしょう」
「では、構いませんね」
「財閥と関係のある方だったら、どうするつもりだったのです」
「特に何も。ただ、あの熱心な秘書がまたひとつ苦労を背負うのではないかと思っただけです」
 不意に、セレスティとモーリスは歩みを止めた。
 二人の後ろを数歩の距離を取って付いてきていた足音が慌てて停止する。
 次から次へと競り落とせと命じたせレスティの仰せのままに落としてみれば、結果は独擅場だ。参加者に睨まれないものかと心配していたが案の定、すぐ後ろの席に座していた資産家と思しき壮年の男性にお門違いな恨みを買ってしまったらしい。セレスティには確認したが、この容姿を知らないとなると、リンスター財閥の関係者でないのは間違いない。
 間を持て余したように咳払いをした男へ、示し合わせたわけでもないのに二人は同時にゆっくりと振り向いた。
 絶世の美貌に、極上の笑みを添えて。

 帰宅途中の車中にて、本日競り落とした物品のリストを眺めながら、モーリスは隣に座るセレスティの横顔へ言葉を投げた。
「今日は随分と、派手に競り落とされましたね」
 窘めるような響きを含む。
 瞑目していたセレスティは、ふっと目を開けると、満足げに微笑んだ。
「どれも良いものでしたでしょう。詳しく見るのが、今から楽しみです」
「楽しまれるのは結構ですが――」
 少しは周囲も見ていただきませんと、と結び、モーリスはリストを書類ケースに仕舞った。
 リストに並ぶ品は、当初予定していた二倍近くの数になっていた。小さなものは車に積んだが、それ以外は運送の手続きをしてきた。明日の午前には届くだろう。どれほど車に積めるか、と運転手を本日競り落とした物品の並ぶ部屋に呼んだところ、呆気に取られていたようだから、明日屋敷に届く荷物の数に幾人かの使用人たちは眉を顰めるかもしれない。
「周囲、ですか?」
 セレスティは本当に分かっていないのか、とぼけているだけなのか、問い返す。
「先ほどの、どこぞの資産家の男性も」
 モーリスの言葉に、ああ、とセレスティは頷いた。
 会場の廊下でセレスティとモーリスに何事か言おうとしたのかは知らないが、振り向き様の二人の微笑みにすっかり毒気を抜かれた様子の男のことである。
 モーリスは思い出し、一言呟きを落とす。
「……せめて、彼が美しければもっと楽しみがいがあったのですが」
「モーリス?」
「いえ、なんでもありません」
 微妙に不穏な発言を流しつつ、モーリスは屋敷が近くなるのを知って、主に釘を刺す。
「今日競り落とした品は、明日に改めて拝見することにしましょう。本日の仕事も、明日に持ち越したものもあるのでしょう?」
「分かっていますよ。それに、配送を頼んだものが大部分ですから、届くのは明日でしょうし」
「荷物が到着したらすぐに中身を確かめたりはしないでくださいね。仕事を終えた自分の時間に、ですよ?」
「信用されていませんね、私は」
 セレスティは疑い深いモーリスに笑みを向けると、次第に速度を落としてゆく車中から、屋敷の姿を捉えた。
 その傍らで、モーリスは改めて主の本日の“ゲーム”の成果に溜息する。そして今度は苦笑の代わりに、穏やかな微笑みを湛えた。


 <了>