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<東京怪談ノベル(シングル)>


静やかに咲き

 セレスティ・カーニンガムは、ふと窓の外を青の目で見つめた。カタン、という音と共に窓を少しだけ開くと、風がさあ、と心地よく室内に舞い込み、セレスティの長い銀髪を揺らした。
「いい風ですね」
 小さく呟き、そっと微笑む。
(強すぎず、ですが優しく心地よい風ですね)
 ふわりと室内に舞い込んだ風は、ひらひらとカーテンをも揺らす。ばさばさと激しく揺らすのではなく、蝶が舞っているかのようにひらひらと。
 実に優雅な光景であると、セレスティはまた微笑んだ。
「まるで……」
 セレスティはそう言いかけ、そっと口を噤んで口元だけで微笑んだ。名前を出すのも勿体無いと思うほど、心の中でそっと問い掛けるので充分だと思うほど。セレスティの体の中を彼女への思いが緩やかに駆け抜けていた。
 時に早く、時に遅く。焦るのではなく、共に歩いていくかのように。言葉にしようとするほどそれは逃げていくかのように。
「……そうですね、言うなれば……」
 セレスティはそう言うと、ちらりと窓の近くで揺れる小さなかすみ草の花を見つめた。花瓶一杯にいけてあるかすみ草は、白く可愛らしい花をひらひらと風に靡かせている。かといって、風にそのまま流されている訳でもない。
(まるで彼女のようですね)
 ゆらりと風に靡いてはいるものの、完全に靡いたままと言う訳でもない。ただ、風に靡いた後は自分の力で再び立ち上がろうとしている。ゆらゆらと揺れ、そうして自力で立ち上がる。あんなにも小さく、か細い茎を持ち、見るからに可愛らしい花だと言うのに。
(……会いたいですね)
 セレスティはそっと窓の外に目線を向ける。会いたい、とふと思ってしまった。ただ窓を開けて、風を室内に入れ、花瓶にいけられたかすみ草を見ただけだと言うのに。
(私の思考回路は、すぐに彼女に直結しているようですね)
 そう考え、小さく苦笑する。だがその苦笑の裏にある幸せを、セレスティは良く知っているのだし、また噛み締めているのだ。
(不思議ですね。本当に、不思議です)
 セレスティはそっと窓に手をかける。窓から、家の正門が見ることが出来る。いつも、あの門から彼女はやってくるのだ。あの明るい、光のような声セレスティを呼ぶのだ。まるでセレスティの心を照らしているかのように。
『セレ様』
 彼女の声が、胸に響く。その場にいるかのような錯覚すら起こるほど。実際には同じ部屋にいる訳ではなく、ただ頭の中で問い掛けてくるだけなのだ。
(ですが……こうしてすぐに思い出せるほど、私の頭の中は……)
 セレスティはそっと微笑む。声も、姿も、その仕種も。全てがすぐに思い出すことが出来る。
 だが、やはりそうすると実際の彼女に会いたくもなるのだ。声を、姿を、仕種を、全てを思い出すたびに訪れる、会いたいという気持ち。思い出せても、それは実際に記憶の中の彼女にしかならないのだから。実際の彼女に会う事の方が、記憶の何十倍も良いに決まっている。
(思い出す以上に、会いたいと思ってしまうのですね)
 彼女は、いつもセレスティの家に訪れていた。セレスティが彼女の家に行くという事は一度もなく、彼女の方からセレスティの家に訪れてくれるか、または外で待ち合わせをする事しかなかった。勿論、家に迎えに行ったことならば何度もある。
 しかし、彼女の生活空間である部屋は、未だに目にした事が無かった。
(勿論……女性の部屋ですから)
 セレスティは真剣な眼差しに変わる。
(女性の部屋ですから、突然お伺いするのはいけませんね。それは、勿論)
 小さく頷く。納得するかのように。
(ちゃんと、お伺いをしてもいいのかを確認しないといけませんね)
 彼女の家は、セレスティの家から徒歩で来られる距離はある。そして、彼女の通う大学の近くでもあった。どちらからも近いマンションだと、彼女は嬉しそうに言っていた。だが、セレスティはいつも危惧していた。なるべく送るようにはしているのだが、それでもよく彼女は一人で訪れ、一人で帰る事がある。
(心配……なんですよね)
 彼女は、一人暮らしをしている。大学から近いマンションに、セレスティの家から徒歩で来られる距離であるマンションに。一人で暮らす彼女の事が、セレスティはいつも心配に思っていた。一人で行き帰りをしている事は勿論、一人で生活しているという事に。
(何かがあったらどうしようかと、どうしても考えてしまうんですよね)
 セレスティは小さく苦笑する。自分はいつからこんなにも心配性になってしまったのか、という思いが含まれている。だが、それも仕方の無い事なのだとセレスティは自らを納得させる。そしてまた、心配して当然なのだとも。
「本人に気付かれないようにボディーガードをつける……というのも、いけませんし」
 セレスティは呟く。何事も無いように、また何かあった時でも大丈夫なように、彼女に隠れてこっそりとボディーガードをつけるのは簡単な話だ。彼女を守るように指示し、何事もなかったと言う報告を聞き、相応の報酬を出せばいいだけの話なのだから。
 だが、それはプライバシーの侵害でもあった。彼女にボディーガードをつけ、護衛させ、その報告を受けるという事は、同時に彼女の生活を知ることにも繋がっている。
(なるべくなら、そういう事はしたくないですね)
 彼女の生活を知るという事は、束縛する事にも似ていた。束縛は、相手を大事に思えば思うほど出てくるものだ。だが、時としてそれは相手を苦しめる事にもなりうる。そして勿論、自分自身も。
(それだけは、したくないですから)
 セレスティにとって、そのような束縛は意に介さないものであった。大事にしたい気持ちはある。守りたい気持ちも勿論ある。彼女の事を知りたいと思うし、彼女を常に思っていたいという気持ちもある。しかし、だからといって束縛すると言うことには繋がらないように思ったのだ。
(となると……やはり)
 セレスティは思いを纏める。
「部屋に、お伺いしたいですね」
 ぽつりと、セレスティは呟いた。心配や不安は勿論、また少しだけ好奇心もあった。大事にしているから、守りたいから、知りたいから、思っていたいから。セレスティの思いはぐるぐると渦を巻き『部屋に訪れる』という結果を生み出す。
 驚くだろうか、嫌がるだろうか、それとも……喜ばれるだろうか。
 それは彼女にしか分からないし、セレスティ自身も知り得ない。ならば、なすべき事はただ一つだけ。行動を起こすという事だ。
「……お伺いするのが、早そうですね」
 セレスティはそう呟くと、小さく微笑んだ。そして目線を窓の外から外し、室内にある電話に向けた。受話器を手にし、彼女の電話番号を一つ一つ確認するかのように押していく。頭の中に刻まれている、彼女の電話番号。
(しっかりと、私の一部になってしまっていますね)
 呼び出し音が響く中、セレスティはそっと微笑んだ。がちゃり、と音がして、彼女が電話を取った。
 その途端にセレスティの胸が小さく撥ねた。力強く、鼓動をしながら。


 一つ一つの思いが花弁となり、一つの花を形成する。熱を帯び、柔らかさを増し、緩やかに時は流れる。
 そうっと胸の中で、咲き誇る為に。

<部屋に訪れる日を思いながら・了>