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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


第一地獄・極寒

    一

 眠らない街にも闇は存在する。
 だが都心からやや外れた一角を支配する闇は、到着した数台のパトカーによって引き裂かれていた。
 慌しい赤色の光を投げかける回転灯は、「それ」らの苦悶に満ちた形相を数秒に一度の割合で闇の中に浮かび上がらせる。
 高架下の下水路に浮かんでいた溺死体を、浮浪者が発見したのが二時間前。未だに溝浚いはつづけられている。なぜなら警察の到着直、さらに二人分の遺体が発見されたためだ。
「どうなってんですか、こりゃぁ……」
 夜中に呼び出された不運な刑事は、途方に暮れたつぶやきを漏らした。
 浚っても浚っても出てくる死体。既に四人の被害者が発見されている。
「暴力団の抗争ってわけでもないでしょう。直接の死因は何なんでしょうかね……」
「検死の結果を見ないと詳しいことは言えんが、こりゃ溺死じゃないか?」
「まさかここで溺れ死んだってわけじゃあないでしょう?」
 若い刑事は、凄惨な溺死体を見下ろしてつぶやく。
「大きいヤマになりそうですね……」


    二

「――現場へ行きます」
 幻が突拍子のないことを言い出したのは、事件の報道がなされた翌日のことだった。
 言うや否や、フードを目深に被り、マフラーを巻いて、出かける準備を始める幻。ベレッタを装備するのも忘れていなかった。
「本気でござるか、幻殿」
「はい。僕一人で行ってきます」
「そうはゆかぬ」
 夜切陽炎は、幻にやや遅れて立ち上がる。とは言え彼女は常に軽装だ。『忍者』という世間一般にはあまり認知されない職業故、ある意味重武装の幻とは対照的な身軽さである。
 行き倒れになっていた陽炎を幻が助けてからというものの、彼らは何かと行動を共にすることが多い。幻が呼び寄せる数々の怪奇現象に彼女は関わりつづけていた。そして今回も。
「下水路で発見されたという遺体……。全員、あの医療ミスの関係者だ。あの事件は――『ゴースト事件』はもう終わったものと思っていました。とんだ勘違いです。何一つ終わってなんかいない……」
 幻はぎゅっと拳を握り締める。フードとマフラーのせいで表情は見えなかったが、陽炎は彼の表情を想像していたたまれない気持ちになった。
「拙者もお供するでござる」
 二人は午後の街へ出る。

 ゴースト事件……。
 謎の多い事件だった。
 事の発端は医療ミスによる少年の死である。医療ミスに関わった医師達は事実を隠蔽しようとし、幻は真相を暴くため、銃を手に記者会見へ向かった――。
 結局幻が彼らの口から真実を訊き出すことはできなかった。警察は記者会見の現場で発砲した幻の行方を追ったが、逮捕はおろか、手がかりを得ることもできないまま数週間。いつの間にか、医療ミスに関わる一連の出来事は『ゴースト事件』として知られるようになっていた。
 警察にとっては頭の痛い問題であったことだろう。幻の行方も掴めず、その上事件に関わった医師達全員がよもや溺死体で発見されるとは、誰も予想していなかったに違いない。
 幻と陽炎は、今その現場に到着したところだった。
 当然、遺体は回収された後だった。現場検証は未だに続行されている。
 警察の目に触れぬように、幻は存在を遮断し、陽炎は物陰に潜む。幻は高架下の下水路へ降りていった。
 入り口付近に、既にそれとわかる死臭が立ち込めている。気配、かもしれない。色濃い死の気配――幻はぞっとした。
 ここで、自分が銃口を突きつけたあの院長達が死亡した。
 死因は溺死。自殺か、他殺か。ミスを保身のために隠蔽しようと試みたような奴らが、揃って入水自殺などするだろうか――? どうも考えにくい。他殺だとしたら、誰が、何のために?
「幻殿。ここの空気は身体に良くないでござる」
 陽炎の声に、幻は思考を切り替える。
「そうですね……。今更、僕達が見るものなんてないかもしれない」
 幻はふと、自分の右手を目の前にかざした。マフラーで隠された口元に皮肉げな微笑を浮かべる。
「直接『彼ら』に訊いたほうが、早いかもしれませんね」
「幻殿、まさか――」
 幻は頷いた。
「警察の捜査の手助けというつもりはありません。僕はただ事件の真相が知りたい。――被害者の記憶を略奪します」


    三

 幻の持つ能力の中に、死者の記憶略奪、というものがある。
 生物の死体に触れることによって、そのすべての記憶を奪うのだ。
 遺留品などから犯行現場の映像を見るなどといった、サイコメトリーに近いかもしれない。しかし幻の能力は、死者に対してしか使用できず、記憶を「すべて」略奪できるという点で特殊だ。犯罪捜査にこれほど役立つ力もないだろう。
 幻は今回の事件の被害者に対してそれを行おうというのだった。

 二人は幻の知り合いがいる科捜研へ向かう。
 幻が突然存在遮断を解いたにも関わらず、白衣姿のその男はたいして驚く風でもなかった。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ」
 男は、幻の姿を認めてにこりと微笑んだ。が、さすがに陽炎が音もなく侵入してきたのには驚いたらしい。軽く目を見開く。
「拙者、夜切陽炎と申す。幻殿には世話になっているでござる」
「君のその服装は……」
「旅の道中、幻殿に助けてもらったのでござる。伊賀の上忍と言えば理解いただけるでござるか?」
 陽炎が名乗ると、彼は短く溜息をついて、肩を竦めた。
「やれやれ、世の中にはまだ私の知らないことがたくさんあるらしい」
 科捜研などという、現在の科学技術の集大成でもって捜査を行う組織に所属している彼にとっては、超常現象的な能力を駆使する幻や陽炎の存在は悪夢のようなものなのかもしれない。半ば諦観の滲んだ口調だった。
「『ゴースト事件』の被害者の遺体。見せてもらえますね」
 男は頷き、幻と陽炎を別室へ導いた。
 実に六体もの遺体が寝台に横たえられていた――二人はその遺体の惨さに思わず低い呻き声を漏らした。
 人間と呼ぶにもおこがましい「物」。死者の表情は苦悶に歪んでいた。いかに苦しみ抜いて死に至ったか窺えるというものだ……。
「本当に記憶を奪うつもりでござるか」
「ええ。僕はどうしても、真相が知りたいんです」
「幻殿がそう言うのなら、拙者は止めぬが……」
 それでもやはり躊躇いはあった。
 ここにあるのは異常な死の一形態であり、死者の苦痛に満ちた記憶である。
 記憶を奪う、というのは、すなわち彼らの死を追体験することを意味するのだ。
「君の手助けで捜査が進展するのは間違いない。だがあまり無理はしないでくれ」
「わかっています……」
「今のところ事件の手がかりは何一つない状況だ。あの子供の遺体も消えてしまったし……」
「「え?」」
 幻と陽炎の声が揃う。
「子供の遺体が消えた? どういうことでござるか」
「あの医療ミスで死んだ少年の遺体が消えているんだ」
「一体どうなっているでござるか……」
 彼はただ首を横に振る。
 ますます後には引けなかった。幻は意を決して右手を持ち上げる。
「その子供に関する情報も得られるかもしれません。――記憶を奪います」
 幻は遺体に手を伸ばす。
 その様子を、陽炎はじっと見守る。
 彼の指先が、死者の身体に触れた――


    四

 寒い。
 まず感じたのはそれだった。
 冷たいという感触を通り越して、ただ寒い。
 まるで全身氷漬けにでもされたように。
 ――僕はどこにいる?
 眼球の奥に汚水が染み込んでくる。
 幻は、自分が溺死しかけているのだと知った。
 僕が? 違う。僕は奴らの死を追っているだけだ。
 わかっている。わかっているが、理性で恐怖を押さえ込むにも限度がある。
 息苦しい。
 肺の中に水が浸入してくる。
 そして、
 ただ、
 寒い。
 助けを呼ぼうともがいた。もがけばもがくほど、息ができなくなる。酸素が足りない。視界が暗い。
 しっかりしろ。自分を叱咤する。恐怖に負けてはならない。ここで意識を失っては。幻は必死に記憶を「見」ようとする。彼の脳に流れ込んできたのは、膨大な、脳が制御しきれない、恐怖という名の感情の集積だった――
 助けて。許してくれ。寒い。息ができない。俺は殺されるのか。
 意味をなさない思考と、単語の羅列。ブラックアウト寸前の、
 寒い。寒い、寒い、寒い……
 狂おしいまでの叫び。

 ――助けてくれ!

 幻は夜切陽炎の名前を呼んだ。
 そこで、意識が途切れた。


    五

 数十秒、数分、数十分と経過しても、幻は「戻って」こなかった。
 遺体の一つに触れたその直後、がくんと糸の切れたマリオネットのように脱力してしまったのだ。そのまま幻は目を覚まさない。
「どういうことでござるか! なぜ幻殿は目を覚まさないでござるか!?」
 陽炎は眠りつづけている幻の右手を取り、怒鳴る。そのように耳元で大声を上げても、身体を揺すっても、幻は目を覚まさなかった。まるで死んでいるとでもいうように。
「前にも一度同じことがあったんだ。他人の記憶を奪っている最中に突然意識不明になって倒れたことが」
「何?」
 彼は難しい顔をして、眠りから戻ってこない幻に目をやる。
「……夜切君。彼が行っているのは単なる記憶の略奪というより、他人の死の追体験といったほうが正しい」
「追体験……他人の死を、経験するということでござるか?」
「ああ。これを行うと脳に相当な負担がかかる。ましてや寿命による自然死など通常の『死』ではなく、異常な『死』だ……人には理解することのできない『死』。脳への負担は計り知れないよ」
 陽炎は幻を見つめる。
「つまり幻殿は、脳に負担がかかりすぎて?」
「おそらく……」
 幻は一体どのような死を体験したというのか。
 意識不明に陥ってしまうほどの、異常な死――?
 陽炎の背筋に悪寒が駆け上る。
 何も幻が体験したであろう死の重さばかりが、彼女の身を震わせるのではない。
 もし、幻が二度と目を覚まさなかったら?
 陽炎の不安は増すばかりだった――。