コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


調査コードネーム:ものわすれノート
執筆ライター  :階アトリ
調査組織名   :アンティークショップ・レン
募集予定人数  :1人〜2人


------<オープニング>--------------------------------------

 それは、見たところ、ただの古めかしいノートだった。
 しっかりした表紙の、いかにも舶来品といった風情の立派な品で、きっと日記帳に最適。
 けれど、それがただのノートである筈がなかった。アンティークショップ・レンの店主、碧摩蓮の手にある以上は。
「面白いコなんだけど、ねぇ」
 カウンターに置いたノートの表紙を、蓮は爪の先でついとなぞった。
 端の擦り切れた革張りの表紙には、金の文字が型押ししてある。ところどころ箔が剥げているが、辛うじて読めた。Write to me if you please.――私に書いて。
 開くと、古い紙特有の埃とカビの匂いがする。黄ばんだ紙面には、何も書かれていない。いや、書かれていなかった、と過去形にしなければならなかった。
 ページの端に触れていた蓮の指先から、細い黒い線が、するすると伸びた。蛇のようにくねりながら、それはノートの中心へと滑り、そして文字の形になってゆく。ざるそばとてんぷら。線の動きが止まった時、紙面にはそう書かれていた。
 蓮はノートから指を上げた。ノートの奥のどこかから、もぐもぐむしゃむしゃ、と行儀悪く咀嚼する音がする。見る見るうち、文字は水で滲んだようにぼやけていった。ごっくん、と飲み込む音がした後には、元通り何も書かれていないページが開いているだけ。蓮は頭を振った。
「……今夜は、何にするんだっけね」
 決めていたはずのことが、頭の中からスッポリと抜け落ちている。蓮は夕食のメニューを考え直さねばならなかった。
 蓮がノートを閉じると、ぐぇーぷ、と品のないゲップの音がした。
「あんた、頼んでもいないのに勝手に食べてしまうのは感心しないよ」
 物忘れのノートとでも名付ければ良いだろうか。書き込まれた文字を、このノートは食べてしまう。すると、その内容は、書いた人間の記憶からも消えてしまうのだ。
 裏表紙の内側にはペンホルダーがついているが、今は空だった。恐らく、対になるペンがあって、もともとはそのペンで書き込んだことにのみ、忘却の作用が働くようになっていたようだ。そのペンがノートの力を制御する役目も果たしていたのかもしれない。
 今は、開いた人間が触れているだけで、その記憶をノートは勝手に吸い取って食べてしまうのだ。最初はとりとめもない記憶から消されてゆくが、知らずに開きっぱなしにしていたら、終いには自分がどこの誰かも忘れてしまった廃人の一丁上がりということになる。
「もう少し、お行儀がよくなってくれりゃあ、いいんだけど――」
 誰しも、忘れたい記憶の一つや二つ持っているだろう。使いようによっては役に立つ道具だろうが、この状態ではとてもではないけれど売り物にはならない。
 どうしたものか、と蓮が豊かな胸の前で腕を組んだ時、折り良くドアの鈴が鳴った。来訪者だ。


------<調査開始>------------------------------

 ドアを開けたのは、長身の男だった。詰襟の黒い長衣が、彼が教会に所属をする者であることを知らせている。
 カウンターから、蓮は営業スマイルで男を招き入れた。
「いらっしゃい。丁度よかった、あんた、ちょっと仕事をしていかないかい?」
 そこかしこに並んだ怪しい物品に臆することなく、神宮寺旭(じんぐうじ・あさひ)は店内に足を踏み入れた。蓮の言う「仕事」が一体どういう種類のものであるか、店の様子を見て、聞かずとも承知したようだ。
「お困りのご様子ですね」
 言って、微笑を浮かべた口元はいかにも聖職者らしく温和だが、眼鏡の奥の目が帯びた光は、それを裏切って鋭い。
「こいつをどうにかして欲しいんだけど」
 蓮は手にしていたノートをカウンターの上に落とした。ノートから、不満げなうめき声が上った。
 説明を聞きながら、ノートを手に取って、神宮寺はふむ、と鼻を鳴らす。
「要するに、これが、開いた人間の記憶を手当たり次第に消したりできないようになれば良いんですね?」
「そうだね」
 斜めにしたりひっくり返したり、ためつすがめつした後、神宮寺はノートをカウンターに戻した。
「これ。この文字を変えてみてはどうでしょう。少し見た目が悪くなるかもしれませんが」
 表紙に綴られた文字を、神宮寺は指先でなぞった。私に書いて、というのはノートの望みだと思われる。その結果として何が起こるかは限定されていない。書けば忘れない、など、ノートに何かを記した結果起こることを、こちらから指定してしまえば良いのではないかという案だ。
「やってみる価値はあるかもしれないね」
 どこからか、蓮が太い油性マジックを出して、神宮寺に渡した。
 Write to me if you please. So you will not forget.――私に書いて。そうすれば忘れない。
 優しげな見掛けによらず、思い切りよく黒々と、神宮寺は金文字の続きに新しい言葉を書き込む。しかし、最後のピリオドを打つか打たないかのところで、手を止めた。
「……駄目ですか」
 皮にインクが染み込むよりも先に、神宮寺の文字がぺらりと浮き上がった。そして、まるでスパゲティか何かのような調子で、ノートの中へと吸い込まれてゆく。ずずずずー、と啜り込む音までした。
「拒まれましたね。このノートそのものの意志だけでなく、製作者の意図もあるのかもしれません」
 溜息を吐いたところで、神宮寺は自身の言葉を反芻した。
「……製作者」
 考え込む仕草をした後、神宮寺は顔を上げた。 
「不思議な縁です。このノートのことを、何かの本で見たことがありますよ。古い技術の本で、著者は確か……ああ、そう、ノートと対のペンの作り方も、一緒に載っていました」
 魔術か錬金術か。どちらにしても、それは教会の、しかも神父様が読んでよい種類の本ではないのではないだろうか。蓮は内心思ったが、あえて口にはしなかった。彼女自身も、そう信心深いわけではなかったので。
 
------<対策と行動>------------------------------

 二日後、神宮寺は古い本と小さなインク瓶を携えて、アンティークショップ・レンを訪れた。
 カウンターの蓮の他にも、珍しく客がいる。赤いメッシュの入った髪と、身に纏った何かが持つ異質な気配とが、印象的な少年だ。入ってきた神宮寺を、少年は胡乱げな目で見たが、すぐに興味なさげにそっぽを向いた。
 カウンターにやってきた神宮寺に、ノートは機嫌の悪い唸り声を出した。一昨日、神宮寺にページを何枚か破かれたことを根に持っているのだ。当の神宮寺はというと、涼しい顔をしている。
「出来ましたよ」
 蓮の前で、神宮寺はインク瓶を揺らした。中身のインクは青だ。色の濃さは不均一で、朝の空ほどの淡い青と、薄暮の空ほどの濃い青とが、ガラスの中で不安定に交じり合っている。
「ノートのページを、わすれな草と一緒に丸一日煮たものです」
「この真夏に、わすれな草なんてよく咲いてたね」
「常日頃の行いですよ」
 首を傾げた蓮に、神宮寺は温和そのものの笑みを返した。わすれな草は春の花だ。しかもいわゆる雑草で、花屋で扱われることもない。あらゆるハーブや草花を、普段から菜園で栽培している神宮寺だからこそ入手できたものである。
「インクはこれで良い筈ですから、試してみましょうか」
 ポケットから羽ペンを出して、神宮寺はノートを開いた。当り障りなく、昨日の夕食のメニューでも書いてみようとしたのだが――、
「……うわ!」
 ノートがものすごい勢いで閉じて、ペンを神宮寺の手から弾いてしまった。当然、ペン先からインクの飛沫が飛んだ。
「嫌がってる、ね。これは。ペンそのものも、ちゃんと専用に作らなけりゃいけないんじゃないかい?」
 辛うじてインクを避けた蓮が言い、指を汚してしまった神宮寺が頷いた時だった。
「作れるぜ」
 今まで黙って見ていた少年が、唐突に口を開いた。口調に幾分棘があるのは、インクの被害にあったためだろう。カウンターに歩み寄りながら、苛立った仕草で頬を拭った手の甲に、青い線がついている。
「その、ペン。俺なら速攻で作れるって言ってんだよ」
 少年は黒澄龍(くずみ・りゅう)と名乗った。想像したものを全て具現化できる能力の持ち主だと言う。形だけでなく、その機能も。
「どうせ来ちまったんだから、ついでだし。それに店長サン」
「……蓮、よ」
「蓮さ、報酬出してくれるんだろ?」
 初めて少年らしい笑顔を見せた龍に、まあね、と蓮が頷いた。神宮寺は持っていた本を開いて見せた。中身はラテン語だ。読めない者でも、ところどころについた挿絵から、かなり怪しげな本であることを察するだろう。
「中世あたりの、魔術師を名乗る人物が書いた本なんですが」
 神宮寺の神父服と本とを見比べて、龍は何か言いたそうにしたが、結局口を噤んだ(恐らく、先日の蓮と同じような感想を持ったのだろう)。
「ペンは、こういう物だったらしいです」
 開かれたページには、確かに今カウンターの上にあるノートが絵で描いてあった。表紙の文字の一字まで同じだ。その隣には、万年筆らしいペンの絵がある。ペン先は金色、ペン軸はインクと同じような青のマーブルだった。
「ふうん……」
 ひとしきり絵を見詰めたあと、龍は目を閉じる。
「……こんなもん?」
 ややあって顔を上げ、龍はカウンターの上で手を開いた。絵に描かれていたとおりの、マーブル模様の青いペンが、その掌の上に乗っていた。
「大したものですね。本当にあっという間だ」
 感心したように言った神宮寺に、龍は無言でペンを放って寄越した。蓮がどこからともなくスポイトを出して、神宮寺に渡した。インクを詰めろということだ。
 本によれば、忘れさせるノートと、わすれな草のインクの入ったペンが、互いを制御しあうように作られているらしい。
 対を成させることに意味がある。インクを入れたペンを、神宮寺は裏表紙の内側についたペンホルダーに挿した。むずかるようにノートが身じろいだが、最後には大人しくなった。とりあえずはこれで、開いただけで持ち主の記憶を吸い取るようなことはない筈だ。
「じゃ、試してみますよ」
 神宮寺は、ゆっくりとノートを開いた。ページの合わせ目を指でなぞってみる。空白の紙面には、何事も起こらない。
 安心しかけたその時、ぐるる、と低い唸り声がした。もう少しなのに、と口惜しげな、それは声ではなく、はっきり耳に聞こえたと感じるほどに、強い思念だった。足掻き、力を振り絞ろうとする気配。
「危ね……ッ!」
 後ろで見ていた龍が、神宮寺の手をノートから引き剥がそうと手首を掴む。しかし、その龍の手も、ノートの紙面に引き寄せられた。掌に触れた、ざらつく古い紙が、強烈な吸引力で体の中から何かを吸い取ってゆこうとするのを、二人はそれぞれ感じていた。
 血でも肉でもない、科学的に言えばそれはただの電気的な信号の寄り集まり。だが確かに、己を己たらしめる、自己の一部であるものだ。体温が奪われてゆくような錯覚があった。
「神宮寺! どうでもいいことを思い出せ! 要らないものからくれてやれ!」
 龍が叫ぶのを、神宮寺は眩暈の中で聞いた。そうか――被害を食い止めるにはそれしかない。神宮寺は必死で思い出した。今朝の朝食のメニュー、昨日食べたもの。忘れてしまってもどうでも良い記憶を。
 蓮が無理矢理ノートを閉じようとして失敗したのと、二人の手が弾き返されるようにノートから離れたのとが、ほぼ同時。
「大丈夫かい、あんたら? 名前は言える?」
 神宮寺と龍は、肩で息をしていたが、蓮の問いに頷いた。
 カウンターの上では、ノートがだらりとページを開いている。嘘のように静かだった。

------<エピローグ>------------------------------

 静かになったノートには、これまでとは決定的に違っている点があった。
「これは……」
 覗き込み、誰ともなく呟いていた。紙面が、細かな文字で埋まっていた。
 最後の一ページの最後の数行には、トースト、ミルク、オムレツといった単語が並んでいる。
「私の字です。覚えてないんですけど、多分、今日の私の朝食ですね」
「…………こっちは俺の字だな」
 並んでいる別の筆跡を確かめ、龍は神宮寺の隣で面白くなさそうに頷いた。
 先ほど吸い取られた二人分の「どうでもいい記憶」の上には、柔らかな筆跡で、「ざるそばとてんぷら」の文字がある。
「それは私だね」
 蓮が呟く。更に上へと視線を遡らせれば、脈略のない言葉が延々と綴られていた。数行ごとに筆跡と言語が変わっている。蓮の元に売られてくるまでの持ち主たちから奪った記憶だろう。
 神宮寺がページを繰っても、ノートはもはや何の反応も示さなかった。統一性のないページが続く。しかし、途中で様子が変わった。
 角張って几帳面そうな字でページが埋まっていた。日付らしき数字と、数行の文章の繰り返し。ぺらぺらと捲ると、最初のページから半ばほどまでは、一人の人間の手で書かれているようだった。
「何だこれ? 何語?」
「ラテン語です」
 怪訝げな龍に短く答え、神宮寺はノートに目を走らせる。
 途中、ページが数枚欠けていた(破ったのは神宮寺だ)が、内容を理解するのに差し障りはなかった。
「日記ですね。この本の著者であり、ノートの製作者でもある人物の」
 綴られた文字を追いながら、神宮寺は続けた。
「不要な記憶の削除が、彼がノートを作った目的です。研究に専念したかったのでしょうね。妻とうまくいっていないこと、子が出て行ったこと、友人と諍ったこと。書かれているのはそんなことばかりですよ」
 毎日男は日記を記し、嫌なことを忘れた。確かに、人間関係に心を乱されては思考を練り上げる妨げになるだろう。しかし、それを忘れるということはどういうことかを想像して、龍は嫌悪も顕な表情になった。
「何だそれ。そいつは家族やダチより、研究が大事だったってことかよ。周りはたまったもんじゃねーな」
 吐き捨てるように言った龍に、神宮寺が頷いた。 
「実際、彼は家族も友人も失ったようです。しかしその悲しみも忘れようとノートに頼って……」
 神宮寺の口の端が歪んだ。
「最後の日記は、どう見ても正気を失っています」
「自分のアイデンティティに関わる記憶だからね。不用意に弄れば、歪みが歪みを呼ぶのは当然だよ」
「……勝手な話だぜ」
 三人三様の溜息が漏れる。
 一人の男を狂わせたノートは、今はもはや何の力も持たない、ただの使い古しのノートだった。
「保持できる情報量の限界を超えたんですね」
 神宮寺は首を傾げた。そうなることを望むかのように、ノートは暴走していた。
「コイツ、さっさとただの『物』に戻りたくて、がっついてたんじゃねえ? わかんねーけどさ」
 ぶっきらぼうな龍の言葉が、果たして真相を突いているのかどうか。しかし、ノートが、重い記憶を内に抱えることから開放されたのは、事実だ。
「何にせよ、礼を言うよ」
 カウンターの引き出しから、蓮は謝礼の入った封筒を二枚出した。
 商品が一つ減ってしまったが、もともと売り物になる代物ではなかったということだ。それならそれで、別に良かった。ノート自身が納得しているのなら。
 ぱたり。蓮はノートを閉じる。表紙の金文字は、真新しく変わっていた。

 I ate enough.――おなかいっぱい。


                                   END



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【3383  神宮寺・旭 (じんぐうじ・あさひ) 男性  27歳  悪魔祓い師】

【1535  黒澄・龍 (くずみ・りゅう) 男性  14歳  中学生&シマのリーダー】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
          ライター通信          
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 はじめまして。階アトリ(きざはし・あとり)です。
 この度は、ご参加ありがとうございました!
 
 前半は、完全に個別の文章になっております。
 それぞれのPC様が主人公の小説になるように、地味に視点の調節なども行っています。
 お楽しみ頂ければ幸いです。

 少し怪しげ(失礼します;;)な神父様というイメージを前面に出してしまいました。ほんわりと温和な様子も描写したつもりなのですが、イメージにそぐわない部分などございましたら申し訳ありません。
 
 今回、お二方の参加者様が、それぞれプレイングで「ペン」と「インク」について触れておられたので、これ幸いと分業していただくことにしました。ノートの本性について全く細かいことを考えておらず(うわぁ)、プレイングの文章に全面的に助けて頂いて出来上がったお話です。ご参加いただいたことだけでなく、この点でもお礼を申し上げたいです。

 文章や内容について、要らない描写多すぎ、これはキャラクターのイメージじゃなかった、など、ご意見ご感想頂けますと幸いです。今後の参考にさせていただきます……。
 
 では、またお会いする機会がありますことを。
 ご参加、誠にありがとうございました!