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<東京怪談ノベル(シングル)>


あちこちどーちゅーき 〜北海道・開陽台にて〜

日本が四方を海に囲まれていることを知らぬ日本人は、さすがにいるまい。
そう、地図を生まれてこの方、一度も見たことがないなどというのは乳児くらいだろう。
だから、この海洋王国日本で地平線が見られると聞いて、いてもたってもいられなくなったのは、何もおかしいことではなかった。
桐苑敦己 (きりその・あつき)は、いつもように、多少の着替えと、財布と携帯と手帳だけをナップザックに放り込み、笑顔をたたえて家を出た。
日差しは強く、空も青い。
これから彼を待つ北の大地は、どんな顔をして彼を迎えてくれるのであろうか。
彼はまず、東京駅へと出かけた。
今彼が目指すのは、ひたすら北の果て、北海道である。
彼はのんびりと夜行列車で北海道まで行こうと思い立った。
上野を19時3分に出発して、翌朝11時15分に札幌に着く北斗星3号の、B寝台個室で行くことに決めた。
個室と言っても、大して広くはない。
中腰で立てる程度の高さしかないし、座るか寝るか以外に出来ることもなかった。
それでも夕闇から昼間の景色まで、すべてが堪能できる寝台車の魅力が、彼にそんな道を選ばせたのであった。
窓の外を眺めたり、車内を隈なく探検したり、ぐっすりと眠った後、列車はいつの間にか、津軽海峡を越え、北海道の地に滑り込んでいた。
そこから、また延々と東に針路を取り、北海道の東端まで行く。
目的地までは、電車を乗り継いで行くことも出来たが、今度は彼はお得意のヒッチハイクをしてみようと思った。
「まあ、誰か親切な人が乗せてくれるでしょ、きっと」
のほほんと、人通りの全くない、まっすぐな道路にナップザックをクッションにしながら座り込んで、敦己はひと休みを決め込む。
夏であってもほとんど初秋に近いほどの温度しかないこの地では、太陽が出るとお昼寝日和となる。
うとうとと心地良い眠りに誘われながら、敦己はそのまま、2時間ほどその場所で時を過ごした。
「おい、ぼうず、そんなとこで寝てちゃあ、風邪引くぞ!」
「んー・・・」
突然起こされて、敦己は目をこすりながら、声のした方を見上げた。
どうやらすっかり日も昇り、燦々と太陽が照っている。
その太陽の真下で、敦己を揺さぶっているのは、とても体格のいい中年の男だった。
背中の向こう側に、大きなトラックが目に入る。
きっとあのトラックの持ち主なのだろう。
「どこに行くか知んねえが、気つけろよ?」
「あ、あの!」
がたた、と敦己はあわてて立ち上がった。
不思議そうに振り返ったその男に、彼は地図を広げて行った。
「ここ!ここに行きたいんです。近くまで行くなら、乗せて行ってくれませんか??」
「どこだって?ああ、開陽台か、そんじゃ、釧路まで乗っけてってやろっか?」
「は、はい、ありがとうございます!」
深々と頭を下げ、敦己はナップザックを背負い、高い助手席によじのぼった。
途中、「寝ててもいいぞ」という男の言葉に甘えて、敦己は釧路までの長い道のりの、後半半分ほどは眠っていた。
夜を駆けるトラックの振動が、少しだけ眠気を誘ったのである。
そして、着いた時には、もう白々と夜が明けていた。
トラックを降りる時、ちょっとだけ男は考え込むような様子を見せてから、ごそごそと車の中を探して、何かを敦己に差し出した。
「開陽台に行くんなら、もしかしたら会えるかも知んねえ。それを持って行きな」
からんころん、と乾いた音をさせて敦己の手の中に転がり落ちてきたのは、ドロップが入った缶だった。
にかっと笑い、男は窓越しにこう言い置いた。
「きっと、いいことがあるぞ、それ、持ってるとな」
そうして男が片手を軽く挙げると、びっくりしたままの敦己をそこに残して、トラックは去って行った。
敦己はしばらく手の中の缶を眺めていたが、どこも変わったところはない。
ただのドロップだ。
首をひねりながら、そのドロップをナップザックにしまい、彼は次の地へ移動し始めた。
釧路から摩周までは電車を、その後はまたもヒッチハイクで、ようやく敦己は目的地に到着した。
場所は中標津町にある開陽台。
ここでは、広大な大地が330度のパノラマで目の前に広がる。
日本で唯一、地平線が見られる場所だ。
「いい気持ちだなー・・・」
うーん、と空に向かって伸びをして、彼は展望台に上る。
そして、わくわくしながら、日本での地平線を見晴るかした。
「うわあ・・・!」
周りは見渡す限りの、一面の平原だった。
そして無骨な山たち。
小さな白い花がところどころに顔をのぞかせ、はるか彼方に生き物の動くかすかな草むらの揺れが見られる。
いかにも北海道の大地を感じさせる、新緑の眺めに、敦己はただただ、感嘆の声を上げるばかりだった。
しばらくそうして、かぐわしい新鮮な空気と景色を堪能していた時だった。
「ねえ、ねえったら!」
「ええっ?!」
いきなり服のすそを引っ張られて、敦己は驚いて下を見た。
小さな女の子と男の子がそこにはいた。
たぶん姉なのだろう、おしゃまな顔をした少女が、しきりに敦己の服のすそを引いている。
「ねえ、お兄ちゃん、キレイな色のあめ、持ってるでしょ?」
「あ、あめ?」
「うん!」
姉の方が勢いよくうなずいた。
にこっと笑うと小さな白い歯が見える。
水色のワンピースもとてもよく似合っていた。
敦己は先ほどもらったドロップの缶をナップザックから出して、女の子と、その後ろに隠れている男の子の小さな手のひらに、いくつかのあめを転がしてやった。
ぱく、とそのあめを口に含んで、ふたりは満足そうににっこり笑った。
それから敦己の手を両側から引っ張ると、うれしそうに彼を見上げた。
「お兄ちゃん、あそぼ!」
「あ、遊ぶの?!」
「うん、あそぼあそぼ!」
敦己は、広い広い大地へと引っぱられ、この小さな姉弟と遊ぶことになってしまった。
ふたりはいろんな遊びを知っていた。
この緑あふれる大地で、生まれて育ったのだろう。
かけっこ、鬼ごっこ、かくれんぼ――――いつの間にか敦己も、ふたりとの遊びに熱中していた。
息を切らして走り回り、笑顔をこぼしては草地に寝転ぶ。
もうとうの昔に忘れてしまった、子供の頃の気持ち。
ふたりと遊んでいると、それを自然と思い出し、それに包み込まれていく。
何だかひどく幸せだった。
どれだけの時が流れたのだろう。
「あ、もう日が沈んじゃう」
ふと、少女が空を見上げて、悲しそうにつぶやいた。
無我夢中で遊んでいたので気付かなかったのだ。
あっという間に日は大きく西に傾き、緑一面の大地の、西の地平にゆっくりゆっくりと沈んでいくところだった。
ふたりは慌てて敦己を振り返った。
そして、その小さな手で敦己の腕にしがみつくと、本当にうれしそうににっこりと笑った。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「あ、ありがと、お兄ちゃん・・・」
「えっ、ど、どういたしまして・・・?」
敦己は戸惑いながら答え、問い返した。
「そろそろおうちに帰る時間なの?」
「うん」
ふたりは揃ってうなずいた。
それから、敦己の腕から離れると、大きく手を振って向こうの方へと駆けていく。
「お兄ちゃん、さよなら!」
「ありがと・・・さよなら」
姉は元気そうに、弟ははにかみながら、そう言って遠ざかっていく。
その背中を、ざあ・・・っと風がさらった。
「・・・?!」
敦己は目を見はった。
ふたりの姿が一瞬にして風に溶け、蝶の姿に変わったのだ。
水色の、見たことのない蝶の姿に。
ふたつの蝶は名残惜しそうに敦己のそばまで戻ってきて、頭上を数回回り、やがて空へと消えて行った。
そういえば、と敦己が辺りを見回すと、やはり誰もいない。
今日は観光客はひとりもここに来なかったのだろうか。
そんなはずはない、と敦己は首を振った。
「きっと、誰にも、あの子たちは見えなかったんだろうな・・・」
その時だった。
こつん、と敦己の頭に何かが当たった。
「痛っ・・・っと、あれ?」
『それ』は、敦己の手の中にころん、と落ちてきた。
透明のフィルムに包まれた、黄金色のあめだった。
(もしかして、これは・・・)
敦己はもう一度、茜色の空を見上げた。
そこにはもうふたりの姿はない。
けれど。
敦己はフィルムを開いて、そのあめを口に放り込んだ。
それは――――甘い甘い、極上の花の蜜の味が、した。
「これが今日いっしょに遊んだお礼、なのかな・・・?」
口の中に広がる豊かな自然の蜜の香りに、敦己はとてもとても満足げに微笑んで、夏の開陽台を後にした。