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午前0時の涙
○オープニング
「もっとちゃんと取材しなさい!」
肩をすくめて萎縮する三下を前に、原稿をシュレッダーへ突っ込む碇麗香。
「ああっ……」
都内のとあるカトリック系高校。その校内にあるマリア像に異変が起きていた。黒い涙を流すのだ。成分分析した結果、それは単なる墨であることが判明する。
イタズラは続く。
業を煮やした学校側は、カメラをセットして一晩中マリア像を録画した。
その結果分かったのは――。
「とはいえ。午前0時になるとひとりでに墨の涙を流すマリア像なんて、さんしたくんだけじゃ手に負えないかもね」
麗香は冷たく麗しい視線で編集部内をチェックする。
そして、みあおを見てにっこり微笑んだ。
「ちょうどいいわ。さんしたくんに同行してくれない?」
「行く行く〜! おもしろそうっ!」
元気に応接セットの革張ソファーから立ち上がったみあおだった。
◆現場へ
夏休みに入って一週間、水純(みずみ)高校の校舎に人影はない。
グラウンドも、ソフトボール部の女子が先ほどまでキャッチボールをしていただけだった。
今、彼女たちは木陰にひとかたまりになって、突然の訪問者にだらしなく頬をゆるめている。
「そっかー、みあおちゃんっていうんだ。かっわい〜」
銀色の髪と銀色の瞳の少女、海原みあお。
三下にマリア像に関しての事務的なことを調べさせ、自分は生徒たちに聞き込みをしている。
さきほどみあお自身が確認してみた結果、中庭にあるそのマリア像は、ごく普通の石像だった。霊的な意味でも変わっているようには見えなかった。
が、その顔には確かに墨が垂れていた。最初は学校側も掃除していたのだが、洗っても洗っても毎晩垂れてくるので、最近では泣くに任せるようになってしまったらしい。
「やっぱりあれかなぁ」
「あれって?」
「ほら」
女子生徒はグラウンドの端を指さした。ツタに絡まれた古い校舎が見える。
「旧校舎の取り壊しが決まったのとマリア様が涙を流しはじめたのって、ほとんど同時なのよ」
「ふ〜ん?」
旧校舎の取り壊しと、墨を流すマリア像。いったいどういう関係が……。
首をひねっていると、別の女子生徒がフォローを入れた。
「旧校舎の取り壊しにマリア様が反対してるって、みんなが言ってるのよ」
どの学校にでもある、七つの怪談。
水純高校にももちろんある。
その一つにこんな話があった。
昔、書道教室で、心臓麻痺で死んだ女子生徒がいた。書道コンクールで優勝し、これから、というときの惨事だった。そんな彼女を哀れんで、夜0時になると中庭のマリア像が墨の涙を流す――。
「その書道教室っていうのが、旧校舎にあるのよ……」
女性生徒たちと別れたみあおは、その足で旧校舎に行ってみた。
「う〜ん、確かにいるね」
鍵がかかっていて中へは入れないが、外から見るだけでもよく分かる。
ここに、霊はいる。一人だけではない。最低でも七人の霊気を感じる。
「七不思議の幽霊さんかな」
つぶやくみあおの背に、三下の声がかけられた。
「こんな所にいたんですか〜。探したんですよぉ」
グラウンドを走って横切ってきたのか、汗だくで息も上がっている三下。大きなリュックを背負っているのも余計に体力を使う原因となっている。中身は、みあおのためのお菓子やジュース、それに懐中電灯に蚊取り線香だ。デジタルカメラはいつ必要になるか分からないから、みあお自身の首にストラップでかけてある。
みあおは涼しい顔で三下に訊いた。
「そっちはなにか分かった?」
三下は深呼吸して息を整えてからみあおに答える。
「なんにも。あのマリア像に変わった点はありませんでした。十五年前卒業記念としてあそこに建てられたようです。作ったのも普通の業者さんでした」
「そっか」
となると、やはり七不思議だ。
「三下、今夜はこの高校に泊まるからね。許可とっといて」
「は、はい……ってみあおさん、なにか分かったんですか?」
「もっちろん!」
えっへん。
胸を張るみあおを頼もしげに見つめ、背を向けて走り出そうとした三下だったが、ふと思い直してみあおに振り向いた。
「ご家族には連絡しました? 今夜外泊するって」
胸を張ったまま固まるみあお。
「だいじょ〜ぶっ!」
苦しい笑顔で喉から声を絞り出すみあおであった。
今日、友達の家に泊まるからねっ!
その言葉をなんとか信じてもらったみあおは、三下に近くのファミリーレストランへ連れていってもらってそこで夕食をとり(もちろん三下のおごり)、高校に戻って宿直室で仮眠することにした。
時間になったら起こすように三下に言い、心おきなく夢の世界に入っていく。
みあおは姉たちとケーキバイキングに来ていた。
ショートケーキにチーズケーキ、ティラミスにオレンジタルトにアップルパイ。
超一流ホテルのバイキングなので、見た目も味も保証付きだ。
「ん〜、もう食べられない〜」
「みあおさん」
「でももう一個くらいなら……。チョコレートケーキぃ」
「みあおさんってばっ」
みあおは誰かに揺すぶられている。
目を開けると、そこには緊張した面持ちの三下がいた。
「なぁに?」
「あのぉ、時間になりました」
三下は自分の腕時計をみあおに見せた。
午後十一時三十分。みあおが指定しておいた時間だ。
「ん〜」
寝ぼけ眼のまま、みあおはゆっくりと起き上がった。
◆そして、幽霊。
中庭に着いたみあおは、植え込みの陰に隠れた。
お菓子をほおばりながらその時を待つ。
午前0時00分。
マリア像の目から、独りでに黒い涙が流れ出した。
普通の人間にはそれしか見えないだろうが、みあおには、宙に浮かんだ女子生徒の姿も見えた。手に持った筆をマリア像の目にあてがい、墨を垂らしている。
みあおはそっとデジカメを手にすると、幽霊を液晶画面にとらえ、撮影ボタンを押した。
フラッシュが暗闇を切り取る。
驚いて振り向いた幽霊に、みあおは話し掛けた。
「あなたが泣かせてたんだね、まりあさまを」
「……ばれちゃったらしょうがないね」
幽霊は疲れたように微笑む。
「あそこを取り壊させるわけにはいかないの。私だけじゃない、あそこには他に何人も行き場のない霊がいるから。あそこを壊されたら、私たちは浮遊霊としてさまよわなければならない……」
「みあおなら、なんとかできるよ」
自分以外のものを幸せにする、〈幸せの青い鳥〉の力。ただし、みあおがこうむる負担は大きい。
「みあおが幽霊さんたちを幸せにするよ」
「でも……」
「いいのっ。誰か、困ってる人のためにこの力はあるんだから」
にっこり笑って、みあおは三下に振り向いた。
……三下は気絶していた。
「三下!」
「あ……は、はい。なんでしょうか」
「みあお、今から気絶するから。ケータイ持ってるよね?」
「は、はい」
「みあおが気絶したらタクシー呼んで、どこか安全な場所に連れてってね。寝たら治るから、心配しないでいいよ」
三下に言い置き、みあおは幽霊に向き直ってすぅっと息を吸った。
目を閉じ、天使をイメージする。
みあおが覚えているのはそこまでだ。
あとは、優しく清冽な青い光と、幽霊の声。
「ありがとう……」
青い羽根が舞い落ちるなか、いくつもの魂たちが天に昇っていくのを、みあおは確かに見たのだ。
いつものようにアトラス編集部へ遊びに来たみあおの耳に、三下と麗香の会話が聞こえてきた。
「水純高校の旧校舎、取り壊されないことになったんですって?」
「文化的価値が認められるから、その保全活動として残すことになったそうです」
「でも幽霊の気配は消えたっていうじゃない。幽霊たちはどこへ行ったのかしら」
――天に昇ってったよ。
ストローでオレンジジュースを吸いながら、一人静かにみあおは微笑んでいた。
〈終〉
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 1415 / 海原・みあお / 女性 / 13歳 / 小学生 】
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■ ライター通信 ■
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みあお様、はじめまして。
今回は参加ありがとうございました&お疲れ様でした。
納品まで時間がかかってしまい、すみませんでした。もう少し人が来ないかと待っていたのですが、結局来ませんで……。
みあお様の能力に頼った解決法になってしまいましたが、いかがでしょうか。
みあお様は、現在の幸せ運ぶおきらくな鳥娘の部分と、過去に受けた悲劇の両方を併せ持った、非常に魅力的なキャラクターだと思います。だから困った人や、悲劇の途中にある人を放っておけない性格なのだと、そんな気がします。
それでは、またのお会いできることを祈りつつ。
ありがとうございました。
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